「台湾歴史ドキュメント」

昨晩、皆さまご存知の「ガルーダ博士」こと山本さんから、「もし関心がありましたら、『台北の歴史ドキュメント』を見てください。滅多に見られない光景が見られます」とメールがありました。

「何だろう?」と思いつつ、見てみました。

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「台湾が生まれ故郷」という新元久さんという方が、子ども時代に通った台北の小学校などの当時の写真や米軍による空襲などCGを交えて再現したドキュメンタリーでした。

新元さんご本人が登場する場面は日本語なので分かりますが、彼の友人という台湾人の方は中国語なので、ほとんど理解できませんでしたが、何となく雰囲気が分かります。

台湾の地元テレビ局が制作して放送したのでしょうか。動画はかなり、プロ級です。

何で、山本さんが、このようなメールを送って来られたのかと思ったら、山本さんのご尊父さまが台湾総督府に勤務していて、山本さんは台湾生まれの台湾育ちだったというのです。

そして、昭和19年5月31日、米軍B-24による台北空爆を疎開先で見たそうです。(その時、台北の台湾総督府で働くご尊父は、戦火の中、大変な思いだったようです)

山本さん一家は敗戦後の大変な引き揚げも経験しました。

山本さんとはもう何十年も昔に面識を得ましたが、こういった話は初耳でした。

今の若い人の中には、台湾がかつての日本の領土だったことを知らない人がいると聞きます。もちろん、日清戦争後の賠償として分捕った領地だとか、植民地主義とかいう批判がありますが、地元のインフラ整備をしたり、病院や学校を建てたりして、貢献した面もあります。

台湾は親日家が多いと聞きますし、実際、私も一度だけですが、台北に観光旅行に行ったとき、地元の人から、日本人だということで随分親切にされたことを忘れません。年配の人には日本語が通じました。

植民地主義のあくどい搾取ばかりしていたら、親日家は生まれないのではないかと密かに思っています。

台湾総督府といえば、児玉源太郎や後藤新平らが活躍したことで知られ、また、台湾は、ゾルゲ事件で死刑になった尾崎秀実(ほつみ)が子ども時代を過ごした所でした。報知新聞社の記者だった秀実の父秀真(ほつま)が後藤新平の招きで、台湾日日新聞社漢文部主筆として赴任したことから、岐阜県生まれの秀実は台湾で育ち、台北第一中学校に進学しています。