「琉球新報」と「沖縄タイムス」、尾畠春夫さんに国民栄誉賞を、ヒトはサルだった

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沖縄にお住まいの上里先生から、地元紙2紙が渓流斎の自宅に送られてきました。

いずれも、8月12日(日)付の「琉球新報」と「沖縄タイムス」朝刊です。上里先生からは事前にメールで連絡がありました。

 作家の百田尚樹さんが『つぶさないといけない』と言っていた新聞を2紙送りました。8月8日に翁長知事が急逝し、8月11日に県民大会がありました。12日の新聞は大きく報道されていたので、お送りしました。
 
本土でも大きく報道されましたが、地元紙を手に取ると圧巻でした。桁違いの報道です。やはり、地元沖縄と本土との「温度差」を感じざるを得ませんでした。
 あまり書くと、怖い強面の百田さんから、このブログを「つぶさなあかんな」と言われそうなので、不本意ながらやめておきます。「琉球新報、沖縄タイムス、頑張れ!」
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 嫌なニュースばかり続きましたが、15日は久しぶりに爽快なニュースに接することができました。3日間行方不明だった山口県防府市の藤本理稀(よしき)ちゃん(2)を奇跡的に発見した大分県のボランティア尾畠春夫(おばた・はるお)さん(78)の美談です。何しろ、山口県警・消防が380人も動員して探せなかったのに、尾畠さんはわずか20分ほどで探し当てたというんですからね。
 しかも、天晴れなのは、尾畠さんは、本当にボランティア精神に徹底していて、理稀ちゃんの祖父が「せめてお風呂にでも入ってください」というのに、それまで断ってしまうんですからね。まさに、正義の使者。月光仮面、ウルトラマン、スーパーマンです。
 尾畠さんの活動はこれが初めてではなく、新潟中越地震や東日本大震災など、災害地に足を運んで救援活動を支援していたというのですから、こういう人にこそ、県民栄誉賞どころか、国民栄誉賞を授与すべきではないでしょうか。
 尾畠さんは65歳まで、別府市で魚屋さんをやっていたらしく、今は年金暮らし。失礼ながら、大して貰っていないでしょう。ボランティアのきっかけが「俺は学歴もないし、世の中に恩返しをしたかったから」というのですから、ますます尊敬してしまいます。
 医科大学に裏口入学させたり、過剰接待の汚職を受けたりする文科省の官僚の例を出すまでもなく、学歴がある人間こそ悪いことしますからね。人間的立派さは、尾畠さんの足下にも及びません。漫画みたいに、ちょっと格好良すぎますけどね(笑)。
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サル学者の松沢哲郎京都大学高等研究院特別教授によると、ヒト(人間)とチンパンジーは500万~700万年前に同じ祖先から分かれたもので、DNAの塩基配列の98.8%まで同じなんだというのです。吃驚ですよ。

人間とチンパンジーの違いは、人間には想像力があるが、チンパンジーにはない。その代わり、人間には嫉妬心やねたみの感情を持ってしまう。

人間は理想を描くことができるが、チンパンジーは今の現実が全ててそれができない。その代わり、人間は理想と現実とのギャップに苦しみ、コンプレックスを持ってしまうというのです。

なるほど。

尾畠さんの美談に接して、ちょっと記憶力がいいだけの人間ほど傲慢になり、ヒトとチンパンジーは大して変わらないという原点を忘れがちだと再確認しました。

「ノモンハン事件 責任なき戦い」を見ての印象記

昨晩はNHKスペシャル「ノモンハン事件 責任なき戦い」を見てて、本当に嫌になってしまいました。

作家司馬遼太郎が、ノモンハン事件を題材にして小説を書こうと膨大な資料を集め、関係者にもインタビューしながら、あまりにも無謀で無責任な陸軍首脳部に幻滅して、「日本人であることが嫌になった」と作品化を断念した経緯があることは、つとに有名です。

ノモンハン事件は、「事件」とは言いながら、実態は戦争でした。「ハルハ河国境戦争」という歴史家もいます。1939年5月から9月に起きた、当時日本が実効支配していた満洲とソ連の衛星国だったモンゴル国境のノモンハンで起きた紛争です。日本の関東軍は2万5000人。対するソ連軍は5万7000人。しかも戦車(200両)や航空機まで引き連れてきました。

4カ月に及ぶ戦闘で日本の死傷者は2万人(ほとんど全滅)。ソ連は2万5000人。ノモンハンは今でも人が住んでいない広大な草原地帯で、約300平方キロメートルという大阪市に匹敵する広さに何千、何万という塹壕がいまだに残っており、ソ連の戦車や薬莢、手榴弾などが散乱し、日本兵と思われる遺骨まで残っていたことには驚かされました。

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番組では、恐らく日本初公開のロシア国立映像アーカイブのフィルムのAIによるカラー化した記録動画や、米南カリフォルニア州立大学で保管されていた150時間に及ぶ関係者インタビューテープや、ノモンハン事件の生き残り兵士で、今年101歳になる柳楽林市(なぎら・りんいち)さんらのインタビューなどがあり、見応えがありました。

21歳でノモンハンに参戦した柳楽さんの部隊166人はほぼ全滅。「兵隊を鉄砲の弾だと思っていたのだ」と、柳楽さんは79年経って今でも悔しさを滲ませていました。

「兵隊は鉄砲の弾」と思っていたのは、無謀なノモンハン戦争を立案した関東軍参謀の辻政信少佐かもしれません。周囲の上官の反対を押し切って、十分に敵の戦力を知ることもなく無謀な戦争を遂行します。司馬遼太郎が書けなかったノモンハンを、彼の編集者として取材にも同行し、遺志を継いで「ノモンハンの夏」を書き上げた作家の半藤一利氏も、辻政信を実際に取材して「絶対悪」という印象記を書いたほどでした。

番組では辻政信の次男が取材に応じて、辻政信の「父は断じて卑怯なことはしていない」という手紙を見せながら、「父は(当時)少佐ですよ。中佐や大佐や少将や中将や大将がいるので、少佐が好き勝手なことできますか?」と弁明してました。この親にしてこの子ですな。確かに卑怯なことはしていないでしょう。でも、軍人としてノモンハン2万人の戦死者の責任は誰が取るのでしょうか。

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150時間の肉声インタビューには、東京の大本営の作戦課長だった稲田正純参謀(大佐)、関東軍参謀だった島貫武治少佐らが登場します。「辻の声がでかくて、あいつの主張が通ってしまった」などと戦後回顧してますが、まるで他人事で責任があいまいです。ソ連軍の戦車がシベリア鉄道で大量に国境近くまで運び込まれているのを目撃したソ連駐在武官の土居明夫大佐が、辻政信に「やるべきではない」と忠告したにも関わらず、辻政信を買っていた関東軍司令官の植田鎌吉大将も、東京の板垣征四郎陸軍大臣までも黙認してしまいます。

唖然としたのは、大元帥の昭和天皇が、国境紛争にまで拡大するな、と叱責したというのに、関係者の処分もあいまいだったことです。昭和3年の満洲某重大事件(張作霖爆殺事件)、昭和11年の二・二六事件では、昭和天皇の怒りを買い、関係者の処分がされたのに、この時点ではもう軍部独走で、天皇陛下の権威が失墜していたことが分かります。これで、2年後の太平洋戦争に突入し、結果的に戦争責任があいまいになってしまうのです。

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番組では井置栄一中佐の悲劇も明らかにしてました。井置支隊800人は、北方フイ高地で奮戦していましたが、水食料から弾薬まで尽き、通信も遮断されたことから、残った200人余りが撤退を余儀なくされます。しかし、「無断撤退」ということで、井置中佐は、第23師団長の小松原道太郎中将や辻少佐らによる「暗黙の了解」で目の前に拳銃を置かれ、自決を余儀なくされます。

井置中佐の妻は、夫の最期が知りたくて関係者に問い合わせますが、ほぼ全員が「知らぬ、存ぜぬ」と逃げてしまいます。

作戦を立てるだけで、弾丸が飛び交って死屍累々となる最前線には行かずに安全地帯にいた辻政信ら関東軍参謀の責任はなぜ問われなかったのでしょうか。彼らは、ソ連のスターリンは、西に仇敵ドイツを控えているので、これほど大量の兵器と装備をノモンハンにまで注力できるわけがないと高をくくって、情報さえ収集せず、しかも、土居武官の忠告まで無視するのですから無謀です。

辻政信は陸軍大学を首席級で卒業した超エリートで、天才と言われたそうですが、もし、そうなら、天才というのはいかに人迷惑なのでしょう。

軍人とは言いながら、所詮、兵隊に命令するだけで、人と人が殺しあう最前線に行くことがない陸軍省の文書お役人だったということでしょう。

見てて途中で嫌になってしまいました。

平成最後の終戦記念日に思うこと

8月15日。73回目の終戦記念日です。もしくは、平成最後の終戦記念日。

8月15日は、ポツダム宣言受諾を昭和天皇が玉音放送で国民に報せた日であるので、「終戦記念日」はおかしいという学者もおります。東京湾に浮かぶ戦艦ミズーリ号で降伏文書を調印した「9月2日」こそが終戦記念日だと主張します。

確かに8月15日時点で、アジア太平洋の全ての地域でピッタリと戦闘が終結したわけではなく、15日以降も特攻や散発的な戦闘がありました。

しかし、私自身、最近は、8月15日は終戦記念日でいいと思うようになりました。正確に言えば、9月2日は「敗戦記念日」です。文字通り、この日は外交上、国際法に則って、降伏文書に調印したわけですから。とはいえ、日本人は、敗戦記念日の9月2日をメモリアルデーにすることはないでしょうね。

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昨晩は、「日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実」(中公新書)がベストセラーになった吉田裕・一橋大学名誉教授がラジオに出演していて、思わず耳を傾けてしまいました。

吉田氏によると、アジア・太平洋戦争では310万人(軍人・軍属230万人、民間人80万人)に及ぶ日本人犠牲者を出しましたが、その9割が1944年以降と推測されるというのです。この1年間だけで軍人・軍属の戦死者は200万人以上。日露戦争は9万人だったので異常に高い数字です。(第二次大戦の敗戦国ドイツが、占領国から追放された際の死亡者が200万人という事実にも卒倒しますが)

資料が残されていないので正確な数字は推計の域は出ないものの、その戦死者の内訳として戦闘による戦死者は3分の1程度で、残りは、餓死やマラリア、赤痢などによる戦病死と、戦艦などが撃沈されたことによる海没死、それに戦場での自殺と「処置」だったといいます。

1937年に始まった日中戦争が泥沼化し、40年から国民皆兵の徴兵が始まります。末期は、若者だけでなく中年までも、そして、健常者だけでなく身体・精神障害者までもが徴兵されるようになったことから、厳しい行軍でついていけなくなったり、上官による鉄拳制裁やリンチで自殺に追い込まれたりします。また、戦場に置き去りにされたり、足手まといとして「処置」という名の下で殺害されたりしたというわけです。

吉田氏は、その背景には、「当時は、人権や人命に対する著しい軽視があった」と指摘しておりました。戦前の日本社会は、職場で、学校で、家庭で、親や教師や上司らによる、今でいう暴行や暴力が頻繁に行われることが普通で、殴られたことがないのはよっぽどのインテリぐらいだったのではないかいうのです。

特に人命軽視が甚だしい。フィリピンから奇跡的に生還した兵士も「兵隊は消耗品だった」と断言してます。まるで、日本の軍隊には「兵たん=ロジスティック」という観念がなかったかのようで、前線にいる兵士に対する補給を疎かにして、食物などは「現地調達」です。だから餓死者が出るのです。しかも、軍機保護法などで兵士には行き先も告げず、「行って来い」の片道切符のみで、二度と帰ってくるなと「玉砕」さえ命じます。

戦前も官僚制度ですから、辻政信牟田口廉也といった職業軍人であるエリート将官は優遇します。しかし、赤紙一枚で引っぱって来た兵士に対する扱いは将棋の駒の「歩」以下です。武器も、40年も前の日露戦争の「三八式歩兵銃」ですからね。圧倒的な武器弾薬と物資の補給を前線に送り、ある程度の兵士の人権を認め、戦死した場合、遺体を丁重に回収していた米軍とはえらい違いです。

そもそも、国力と技術力と戦力が全く違う米国に戦勝できるわけがなく、神風が吹くわけがなく、陰湿ないじめとリンチで自分より弱い者を自殺に追い込むのが、日本人の心因性でした。(記録には残っていませんが、かなりの精神疾患者が出たようです)

ですから、この73年前の敗戦は日本の歴史上最大の変革です。幕末も、戦国時代も、大化の改新も遠く及びません。

「他人を押しのけてでも」の立身出世主義、「余所者排除」の排他主義、「前例にありません」の事なかれ主義、「総理のご意向」の権威主義と忖度主義、友情よりも拝金主義、それでいて縁故主義と血統主義…と、臭いものに蓋をし、強きを助け、弱き挫く日本人の心因性は、将来も、そう大して変わるわけがありませんから、戦争は二度と御免です。

果たして日本人は全体主義国家を望んでいるのか?

昨日は、メディア史研究家のA氏と会食する機会を得て、衝撃的な事実をそっと耳打ちされました。

このままでは、今のマスコミ、特に新聞業界は崩壊どころか、壊滅、死滅するという話でした。

極秘資料を内密にご教授頂いたので、茲ではあまり具体的な数字は挙げられませんが、数字なしでは雲をつかむような話になってしまうので、ほんの1部だけ御紹介致しましょう。日本を代表する朝日新聞です。

かつては、800万部とも850万部とも隆盛を誇っていた大新聞も、今や600万部を切ってしまったというのです。この数字は「公称」なので、いわゆる販売店への「押し紙」(広告費を換算するために、実際の配布部数より水増しした印刷部数)が3割とも5割もあると言われてますので、実売は420万部ということになります。もうクオリティーペーパーなどと胡坐をかいていた時代は終わったということです。

しかも、朝日はここ3年、毎年30万部も部数が激減しており、年間150億円の損失を出しているというのです。この3年で450億円の損失です。何故、倒産しないかというと、一等地にある不動産業で糊口をしのいでいるわけです。

天下の朝日がこの事態ですから、経営難の毎日、産経となると、もう風前の灯となるわけです。具体的な数字を聞けば、腰を抜かすことでしょうが、この実体は何処のマスコミも報じていません。

原因は色々あるでしょう。スマホの普及や若者の活字離れなどと言われてますが、新聞業界の「敗因」は、初期の段階で展望を誤って、ヤフーやグーグルなどネットメディアにただ同然でニュースをあげてしまったことにあります。

読者にとっては、ただ同然でニュースがネットで読めるわけですから、大歓迎です。新聞がつぶれようが、痛くもかゆくもないことでしょう。

しかし、ここに見落とされがちな陥穽、つまり落とし穴があります。

第一に、ネット企業は自分たちが取材してニュースを配信しているわけではないからです。それなら、ネットメディアがやればいいじゃないか、という話になりますが、話はそう簡単ではありません。「餅屋は餅屋」があるというわけです。「報道」は無駄が多く、人件費が嵩み、そう儲かる商売ではありませんし、報道機関として長年培ってきた「技術」は、そう簡単にできるものではありません。

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今朝、たまたまラジオを聴いていたら、経済評論家の内橋克人氏が、「経済財政白書」について、一家言申し立てを行っていました。

経済財政白書は、かつては「経済白書」といって、1947年から経済企画庁が発行していましたが、2001年から、小泉首相(当時)の規制改革、行政改革により経済企画庁が廃止され、代わって内閣府により「年次経済財政報告」(通称:経済財政白書)として発表されるようになりました。

内橋氏によると、かつての経済白書では、ある程度、時の政権から距離を置いて経済政策をやや批判的に解剖したり、展望したりする傾向がありましたが、内閣府になってからは、時の政権に沿った、追認するような白書を発行するようになったというのです(そういった趣旨の発言でした)。

例えば、「平成29年度 年次経済財政報告」の「はじめに」は、こんなことで筆が起こされています。

 我が国経済は、アベノミクスの取組の下、2012年末から緩やかな回復基調を続けている。
 2016年後半からは、海外経済の緩やかな回復を背景に、輸出や生産が持ち直すなど企業部門を起点にした好循環が進展しており、雇用情勢が一段と改善する中で人手不足感はバブル期並みに高まっている。少子高齢化・人口減少が進む中で、人手不足を克服し持続的な経済成長につなげるためには、働き方改革と新技術の導入を同時に進め、生産性の向上と多様な人材の労働参加を図ることが大きな課題である。こうした取組により、生産性が上昇し、内需の活性化につながれば、デフレ脱却への動きも確かなものとなることが期待される。

うーん、どうも「アベノミクス大成功、万々歳」といった官僚記者の「忖度」がもろに表れておりますねえ。

私も内橋氏の話を聴かなかったら、経済財政白書など読んでみようという気がしませんでしたが、国民のほとんどは関心がないことでしょう。

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つまり、話は戻って、何を言いたいかといいますと、一部の若者が「マスゴミ」と軽蔑している新聞などの既成メディアが倒産すれば、ほとんど「右へならへ」の政府広報か、時の政権に対する忖度情報しか、国民は目に触れることができなくなる恐れがあるということです。

これでは、国家がマスコミを支配した全体主義のソ連や中共(ふるっ)と変わらないということです。独裁国家北朝鮮並みです。

「自民党広報紙」「御用新聞」と言われる読売新聞だけ残ればいいんじゃないか、という意見もあることでしょう。しかし、メディアは、多ければ多いほど多彩な埋もれがちな意見が反映されるというのが私の持論です。チェック機能が無くなれば、喜ぶのは汚職政治家や役人や脱税企業ぐらいでしょう。

このままでいいはずはありませんが、中高年でさえ、新聞を読まなくなった現実ですから、打開策はないと言い切っていいでしょう。

堕ちるところまで堕ちて気がついた時は、手遅れだったということになるはずです。

サンティアゴとは聖ヤコブのことだったとは!

来月、夏季休暇を取りまして、一人でスペインに行くことにしました。

欧州は、英国、フランス、ドイツ、イタリア、ベルギー、オランダ、デンマーク、ギリシャ…10カ国以上は行ってますが、スペインはまだでした。トラウマがあったからです。

学生時代に、生まれて初めて真剣に付き合った女性がスペイン語を専攻していて、彼女に振られてからは、どうもスペイン的なものを受け付けなくなってしまったのです(インカ帝国、アステカ帝国を滅ぼしたのもスペイン人でしたからね=苦笑)。

もう40年も昔の時効の切れた話ですから笑い話です。

それが、今春、ダン・ブラウンのベストセラー「オリジン」を読んでいるうちに、(それは、バルセロナのサグラダファミリア教会がメイン舞台になっていたのですが)、死ぬ前に一度、行って見てみたいと思ったのでした。

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彼女に振られてかなり落ち込んだ頃、クリスチャンでもないのに、聖書を読み込んで救いを求めました。そのもう一つの理由として、文学作品や宗教画や建築を鑑賞する際、どうしても聖書の知識がないとさっぱり分からなかったこともあります。

アンドレ・ジッドにせよ、ニーチェにせよ、アンチクリストにせよ、西洋史、西洋文化を理解するには、聖書の知識が欠かせません。

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ということで、自分自身は、ある程度は、聖書の知識はあると自負していたのですが、今回、スペインに行くに当たって色々と勉強していたら、キリストの十二使徒の一人、聖ヤコブがスペインではサンティアゴと呼ぶことを初めて知りました。クリスチャンの吟さんは知ってましたかねえ(笑)?

そういえば、スペインが植民地にしたチリの首都はサンティアゴだし、キューバにも、サンティアゴ・デ・クーパという都市があり、他にも沢山あります。

本家スペインでは、北西端のサンティアゴ・デ・コンポステーラが、エルサレム、ローマに次ぐキリスト教3大聖地の一つになっていました。9世紀初めにここで聖ヤコブの墓が発見され、世界各国から多くの巡礼者が訪れるようになったからです。(今回行かれないのが残念!)

そこで、十二使徒の聖ヤコブを調べているうちに色々と面白いことを発見、いや学ぶことができました。

図解入りで分かりやすいサイトがあったので、引用させて頂きたいと思います。イエス十二使徒 ←こちら

何と言っても、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」が有名ですよね。

十二使徒には2人のヤコブがいるので、このサイトでは「大ヤコブ」と表記されています。ここでは、大ヤコブ=サンティアゴとは全く書かれていませんが、「スペインで伝道」とだけ書かれています。この人は、イエスの弟子の中では「トップスリー」に入るほど、イエスに愛され、信頼されていた人だったのです。ナンバーワンは、ローマの初代教皇になるペトロ(バチカンの聖ピエトロ大聖堂)、ナンバースリーは、大ヤコブの弟ヨハネです。この人は天寿を全うし、「ヨハネによる福音書」「ヨハネの手紙」「ヨハネの黙示録」を書いた人と言われていますが、否定する学説も多くあります。

皮肉にも、イエスの弟子で一番有名なのが、彼を裏切ったユダで、日本人は私も含めて他にほとんど知らないでしょうから、ここで、改めてイエスの弟子を整理してみます。

(1)ペトロ(シモン、アンデレの兄、弟説も。漁師)ローマで殉教

(2)アンデレ(ペテロの弟、兄?漁師)ローマで殉教

(3)大ヤコブ(ゼベダイの子、ヨハネの兄、漁師)エルサレムで殉教、スペインで埋葬

(4)ヨハネ(ゼベダイの子、大ヤコブの弟、最年少の十代、漁師)弟子の中で唯一人殉教せず天寿を全うした

(5)フィリポ(ピリポとも。バルトロマイの友人、漁師)小アジアで?殉教

(6)バルトロマイ(フィリポに導かれ弟子に)アルメニアで殉教

(7)トマス(イエスの双子の兄弟?漁師、または大工)南インドで殉教

(8)マタイ(アルファイの子、徴税人)「マタイ福音書」の記者説も。トルコで殉教?

(9)小ヤコブ(アルファイの子、マタイと兄弟)エルサレムで殉教

(10)タダイ(ユダとも。小ヤコブの子、または小ヤコブの兄弟とも。マリアの妹クロパの子?)アルメニア?で殉教

(11)熱心党のシモン(反ローマ帝国の過激派)ペルシャで殉教

(12)イスカリオテのユダ(銀貨30枚と引き換えにイエスを裏切る)自殺

私は、覚えていませんでしたが、サンティアゴこと大ヤコブとヨハネ兄弟の父はゼベダイですが、母はサロメで、彼女はイエスの母マリアの姉妹(ヨハネ福音書)なのだそうです。となると、このヤコブ・ヨハネ兄弟は、イエスの従兄弟となりますね。

上述しましたが、(7)トマスはイエスの双子の兄弟、(10)タダイはイエスの母マリアの妹クロパの子という説もあるらしく、となると、イエスの弟子には親戚兄弟が多くいたということになります。

何しろ、イエスにヨルダン川でバプテスマを授けた洗礼者ヨハネは、その母エリザベトとイエスの母マリアとは親戚だった(ルカによる福音書)と言われてますから、これまた狭い縁戚関係だったのです。ペテロ、アンデレ、大ヤコブ、ヨハネの4人は、もともとは洗礼者ヨハネの弟子だったという説もあります。

イエスが最初から教団をつくろうとしたのか、しなかったのか、色んな説がありますが、少なくとも初期の原始教団は、狭い姻戚関係から生まれたことは確かでしょう。

ちなみに、ヨハネは英語でジョンだし、ペトロはピーター、ヤコブはジェームズ、殉教者パウロはポールということで、キリスト教は欧米人の生活の深部に関わっているわけです。ヤコブはフランス語でジャック(Jacques)で、コキーユ・サン・ジャック(coquille Saint-Jacques)で「帆立貝」を意味します。これには、諸説がありまして、聖ヤコブの亡骸をエルサレムからスペインに運んだ際に、小舟に帆立貝がくっついていたから、とか、聖ヤコブが布教中に帆立貝を持ち歩き、これで水をすくって飲んでいたから、など沢山あるようです。

飢饉、戦争、そして大量の難民。。。

お盆休みに入り、テレビは「戦争もの」番組を放送するようになりました。

昨晩は、続けて見てしまい、今朝はちょっとテレビの見過ぎで片頭痛です(苦笑)。

その中で、NHK-BSの「映像の世紀」の「難民」は衝撃的でした。

・1920年代初頭に起きたソ連の大飢饉で、疫病と飢えで実に900万人もの人が亡くなっていたんですね。不勉強で知りませんでした。「映像の世紀」ですから、やせ細った子どもたちや路上で亡くなった人たちが映っていました。

番組では、レーニン政権はほとんど無策で、黙って見過ごしていた感じでした。国際世論の高まりで、世界各国から援助物資が届きますが、後に米大統領になるフーバー商務長官は、国内の物価抑制のために余った飼料を送るなど、人道的ではなく、極めて「政治的」だったことも明らかにしてました。

ヒトラー政権によるユダヤ人のホロコーストが600万人と言われてますから、900万人というのはとてもつもない数字です。番組では紹介されていませんでしたが、ソ連は、1932~33年にウクライナで起きた大飢饉でも、ほぼ計画的にウクライナを見捨てたフシがあり、600万人とも、一千数百万人ともいう餓死者を出したと言われています。「ホロモドール」と言われ、2006年のウクライナ議会で「ウクライナ人に対するジェノサイド」と認定されました。規模があまりにも大き過ぎます。

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・1936~39年のスペイン内戦では、50万人の難民が出ています。国境近くのフランスでは難民キャンプがつくられましたが、多くの人が亡くなったようです。

・この番組で初めて知ったのですが、第2次大戦で敗戦国となったドイツは、占領していたポーランドやチェコスロヴァキアなどから追放され、実に200万人もの難民が死亡したということです。伝染病や飢餓によるものが多かったでしょうが、強制労働や暴行をはじめ、広場でリンチのように殺された人もいたようです。まさに憎しみの連鎖です。(約1500万人のドイツ人が半ば強制的に占領地に移住させられたようです)

日本の敗戦後のシベリア抑留は約60万人で、約6万人が亡くなったとされていますから、この200万人という数字には驚愕しました。

・シオニズムの高まりにより1948年5月14日、ユダヤ人によるイスラエルが建国されます(ダビド・ベングリオン初代首相)。しかし、土地を強制的に追われたアラブ人は難民化します。その数は現在、500万人と言われています。パレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長(1929~2004)が「ヒトラーのツケを我々パレスチナ人が払わさせられている」といった趣旨の発言は実に印象的で、心に残りました。

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もう一つの番組は、NHKスペシャル「”祖父”が見た戦場」でした。小野文恵アナウンサーが77歳の母親と一緒に、戦死した祖父小野景一郎衛生一等兵(享年34)の足跡を求めてフィリピンに行く話でした。

米国の国立公文書館の記録で、米軍は日本兵の遺体を一人ずつ数えていた資料が見つかり、5万人以上の死亡場所が分かりましたが、名前や所属は分からず、結局、昭和20年6月か8月に戦死した小野アナの祖父の最期の場所は分かりませんでした。

ほとんど玉砕でルソン島だけでも20万人以上が戦死したと言われます。私の大叔父もレイテ島で戦死しているので、どうも個人的にフィリピンと聞いただけで気が重くなります。

小野アナは、奇跡的に生還した90歳を超える元日本兵を訪ねますが、その中のお一人が「兵隊は消耗品のようだった」と話していたことが印象的でした。番組では、司令官や指揮官が誰でその後どうなったのか、までは触れていませんでしたが、一兵卒は、食料がなくて餓死したり、自決したりした者が多かったということです。それでいて、東京の大本営は「永久抗戦」つまり、時間稼ぎのために、玉砕するまで戦え、と安全地帯にいて命令するのですから、あの時代とはいえ呆然としてしまいました。

※数字は、諸説あります。

トルコリラ暴落とジニ係数=馬鹿臭い日常より

銀座ソニープラザ公園

8月11日(土)の一般紙朝刊でやっと「トルコリラ急落 高まる金融不安」なる記事が出始めました。

実は私自身も昨日初めて聞いた話で、ある「国際金融アナリスト」が私の耳元で「ボクシジケン」と囁くので、何のことか分からず「えっ?何のこと?」と聞き返すと「そんなことも知らないのか!」と呆れたような表情で彼は立ち去るので、早速調べてみたわけです。

どうやら、2016年夏のクーデター未遂事件で、米国人のブランソン牧師が約2年間収監された後、今は自宅軟禁状態で、彼の釈放を求める米国とトルコとの間で関係が急速に悪化し、それがトルコ経済への警戒感につながり、リラ安に拍車がかかっているようです。

10日は、一時、1ドル=6リラ台と過去最安値の水準で、年初と比べると約40%も大幅に下落しました。

これに加えて10日、トランプ米大統領は、トルコからの輸入関税として、鉄鋼50%、アルミニウム20%と従来の2倍にも引き上げるんですからね。まさに貿易戦争そのものです。トルコに融資しているイタリアとスペインの銀行に飛び火するのではないかという投資家の観測で、金融不安が国際的に広がっているというわけです。日本も10日の日経平均が300円31銭も下落しましたからね。

このブログの読者の皆さんは富裕層が多いので、心配ですね。

そこで、一時的に《渓流斎日乗》から《場郭斎日乗》と趣向を変えてみました(笑)。《場郭斎日乗》とは「馬鹿臭い日常」という意味です(爆笑)。さて、いつまで続くのやら…。

東銀座・ねのひ揚げ定食800円(うまいめんこい村通信)

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ということで、最近は、学生時代は敬遠していた社会科学、特に経済学なるものを自ら進んで勉強しています。最近の経済は、前述のトルコリラ・ボクシジケンのように、日進月歩で展開があまりにも早く、書物になった段階で古色蒼然となってしまうので、「参考書」は専ら新聞です。切り抜いて、重要事項にラインマーカーを引いてスクラップするという、いかにもアナログ的手法です。

敬愛する投資ファンドマネジャーらは「やはり世界経済の動向を把握するにはウォール・ストリート・ジャーナルしかない。日本の新聞は読むに値しないよ」と馬鹿にしておられてましたが、私自身は、先日も書きましたが、今は読売新聞経済面が一番分かりやすくて丁度良いのです。

最近は、日本経済新聞が連載していた名物コラムの「経済教室 70周年」がためになりました。経済というのは、一応と言えば失礼かもしれませんが、一応学問ですから、「考え方」であり、哲学のような「思想」でもあります。経済予想は、天気予報のように当たらないことがありますが、私のように学生時代から経済学を敬遠してきた者にとっては、「へー、こんな考え方があったのか」という新鮮な驚きがあります。

ここで取り上げたいのは、吉川洋・立正大学教授が同紙8月8日付で「不平等・格差是正が大前提」「所得再配分での補完必須」のタイトルで書かれた「ジニ係数」についてです。

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ジニ係数とは、所得の平等度を表す指標で、最も不平等な社会は「1」、逆に完全平等の社会は「0」となります。

戦前の日本は、今と比べ物にならないくらい大変な格差社会だったと言われます。特に昭和初期の金融恐慌を経て、東北では娘を売りに出さなければならないほど貧困に追い詰められながら、財閥や華族階級は優雅な生活を送っていました。これらの矛盾が青年将校らによる「5・15事件」や「2・26事件」などの遠因になるわけです。

ジニ係数は1895年(明治28年)の0.43から、「2.26事件」の翌年で日中戦争に突入する1937年(昭和12年)には0.57にまで上昇します。吉川教授は「今日所得格差が大きいといわれる中南米諸国のコスタリカは0.48、チリが0.45。戦前の日本の不平等は現在の中南米諸国以上だった」と書きます。

ただ、戦後は、財閥解体や農地解放などで平等化が進み、1950年代から60年代にかけて、ジニ係数は0.35まで低下し、70年代は「一億総中流」という言葉まで生まれます。

しかし、80年代に入ると経済成長率が低下し、ジニ係数も上昇し、21世紀には「格差」が大きな社会問題として論じられるようになります。

吉川教授はそこまでしか書いておられませんでしたが、私が調べたところ、2014年の日本のジニ係数は0.5704にまで上昇していたのです(厚労省調査)。な、な、何と、戦前のあの1937年の最高を記録した0.57と同じではないですか。

でも、娘を売らなければならないほど貧富の差があるかといえば、今はそこまで聞かれませんよね。実は、「0.5704」という数字は実質の値で、再分配所得、つまり、累進課税(富裕層に高めにかかる税率)を差し引いた同年のジニ係数は0.3759になるというのです。これなら、平等化した1960年代の0.35と数値的に近いですね。

そこで、気になる累進課税を調べたところ、国税庁の「所得税の速算表」が出てきました。

課税される所得金額      税率    控除額

195万円以下         5%     0円

195万円を超え330万円以下  10%   97,500円

330万円を超え695万円以下  20%   427,500円

695万円を超え900万円以下  23%   636,000円

900万円を超え1,800万円以下 33%  1,536,000円

1,800万円を超え4,000万円以下 40%  2,796,000円

4,000万円超         45%  4,796,000円

こう見ますと、年収4000万円以上あると半分近く税金で持っていかれるようですが、実態はもう少し複雑な計算法があって、そこまでいかないようです。

色々調べていたので、どこの資料だったか忘れてしまいましたが(笑)、「年収1000万円以上は、給与所得者全体の4%」とありました。「えっ?わずか4%?そんなはずないだろう」と直感しましたが、恐らく、大金持ちの富裕層は、自営業か会社経営者であり、「給与所得者」ではないということなんでしょうね。

《場郭斎日乗》ですから、もうこの辺でやめときます(笑)。

マスコミはグルなんですよ

福井の西崎先生です。

いつも、いや、たまに拝読させて頂いておりますが、老婆心ながら、貴ブログは、今ひとつ踏み込みが足りないので、一筆啓上仕ります。

一昨日は、日本ボクシング連盟の山根会長のことを書かれていたようですが、「池に落ちた犬は叩け」の格言通り、マスコミは束になって盛んにバッシングしておりました。まるで、山根会長が「諸悪の根源」のような、「悪の権化」のような扱いでしたね。

しかし、どう見ても、テレビに映っていた会長への貢物なんか、カンロ飴とか仏壇に供える程度の粗品ですよ。宿泊するホテルも二流か三流でしょう。

高等地検特捜部みたいに山根会長を叩いているマスコミも、清廉潔白で、疚しいことは何一つないと胸を張ることができるもんなんでしょうかねえ?イエスさまも仰いました。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」と。(ヨハネによる福音書第8章)

山根会長よりも、もっともっと悪どい人間は山のようにいるじゃあありませんか。

例えば、アメフト監督コーチによる悪質な反則行為指示であれだけ世間を騒がせた日本大学の田中英寿理事長です。彼も、暴力団との交際が噂されながらも、結局、山根会長のようにテレビに出演したりせず、雲隠れし、どこのマスコミにも本人が登場しないではありませんか。何故だと思いますか?

それは、2016年4月に新設された「危機管理学部」が怪しいのですよ。

例えば、河本志朗教授(1954年生まれ)と金山泰介教授(57年生まれ)は、元警察官僚。勝股秀通教授は元読売新聞記者(83年入社)。安部川元伸教授(52年生まれ)は、元公安調査庁。。。しっかり、マスコミ出身者を入れて抑えを効かせてますね。

日本の社会の仕組みがそうなっているのです。政界ー官界ー財界ー学界ーマスコミがつながって人事交流をしているのですよ。最近では「天下り禁止令」が出ているようですが、元大物官僚に来てもらうだけで、企業は格が上がるし、後輩官僚に対する抑えが効いてくれて、「用心棒」を雇うようなもんですから、「越後屋、おまえも悪やのう・・・」と言いながら、お互いに利権を分け合うことができるのです。

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ただ、このゴールデン・リングを見ているだけでは利権の構造は分かりません。裏社会が絡んできますし、宗教界、それに、NGOやNPOや国際的な諸団体も複雑に絡んできます。その中で、特に利権の宝庫は国際オリンピック委員会(IOC)じゃないですか。

精神は高邁かもしれませんが、実体は米国の大手テレビ局の代理人みたいなもんで、IOC貴族と呼ばれる、大して汗水たらして働こうとしない、不労所得狙いの連中が利権をむさぼっているに過ぎないのですよ。

マスコミもIOCとグルですから、どこも批判しません。熱中症で死亡者が出かねない真夏の猛暑の東京五輪開催も、「注意しましょう」と一言ぐらいで、根本から批判しません。恐らく、お金持ちの中国人が押し寄せるでしょうが、五輪開会式の入場料が30万円なんて、開いた口が塞がりません。

国会が閉幕して、いつの間にか、森友・加計問題は雲散霧消してしまいました。ボクシング連盟の山根元会長の仏壇の供え物粗品よりも、森友学園8億円の値引きや、不明瞭な獣医学部創設の加計学園問題の方がはるかに大きいはずです。

そのキーパースンは、あの人なのに、マスコミの批判は鈍いばかり。特に、政府から電波事業免許を握られている民放も国営放送もテレビ局は、惨憺たるものですよ。それでいて、庶民には政治に関心を持たせないよう、興味を持たせないようなお笑い番組ばかり放送します。

そろそろ、テレビは、政府広報の広告会社と認識を改めるべきなんですよ。

今の世の中、根元から腐ってますよ。本当に酷い話です。

読売新聞を拡張した最盛期の人々

読売新聞副社長、日本テレビ会長などを歴任した氏家斉一郎談・塩野米松聞き書き「昭和という時代を生きて」(岩波書店、2012年刊)をやっと読了しました。

刊行された翌13年に氏家さんは84歳で亡くなっておりますから、「遺言」めいた話でしょうが、やはり肝心なことは「墓場まで持っていく」と公言されていたように、はっきりとしたことは分かりませんでした。

特に彼が「暗躍した」社屋の東京・大手町の国有地払い下げや、中部読売創刊に関わり、地元の中日新聞との熾烈な闘いなど、もう少し内情を知りたかったですね。

ご本人は読売新聞経済部の敏腕記者だったので、御自分で執筆すればよかったと思われますが、余計なお世話でしょう。しかし、残念ながら、同じ読売新聞の内情を暴いた御手洗辰雄著「新聞太平記」(鱒書房)、佐野眞一 著「巨怪伝―正力松太郎と影武者たちの一世紀』」( 文藝春秋)、魚住明著「渡邊恒雄 メディアと権力」(講談社)などと比べると「読み劣り」してしまいます。

とはいえ、政界、官界、財界に次ぐ「第四の権力」と一時(的に)言われたマスコミの内情がよく分かります。国有地払い下げにしろ、「社会の木鐸」と世間で思われていたマスコミが、実は、向こうの人間(政官財)に取り入って、いや、食い込んで、一緒になって狂言回しの役目を演じていたわけですから、そりゃあ、一介の政治記者如きが「天下国家」を論じたくなることがよく分かります。

新聞記者はあちこちで情報を収集して、スパイみたいに、と書けば怒られるので、止めときますが(笑)、とにかく、コーディネーターのような働きをして、政治家や官僚を動かします。昭和30~40年代の右肩上がりの高度成長期ですから、やりたい放題で自分の思い通りになる感じなのです。何しろ、氏家さんは渡辺恒雄氏とともに、大野伴睦を一国の首相に担ぎ上げようとしたりするのですから、もはや記者の域を超えてます。

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氏家さん本人も述懐してますが、非常に運に恵まれたジャーナリストでした。キューバのカストロ首相には気に入られて2度も会っているし、ベトナムのホー・チ・ミン主席には会いに行ったら、亡くなって、スクープ記事を書くことができ、日本代表として葬儀に参列したりします。

「読売中興の祖」務台副社長には目を掛けられ、50歳そこそこで取締役に大出世します。セゾングループの堤清二さんや徳間書店の徳間康快さんら多くの友人に恵まれて左遷の雌伏期間中に救われたりします。

氏家さんが読売に入社したのは昭和26年。彼は、昭和25年末の時点で、毎日新聞が408万部でトップ、朝日新聞が395万部、そして、読売新聞はわずか186万部だったと記憶しています。読売は、もともと、東京のローカル紙だったからです。

それが、「販売の神様」務台さんの豪腕で、大阪に進出し、九州に進出し、中部に進出し…全国制覇を果たして、ついに世界一の1000万部にまで部数を伸ばすのですから、氏家さんらは、ちょうど新聞拡販戦争のど真ん中で熾烈な取材合戦を繰り広げていたわけです。

しかし、それも遠い昔の話。今では若い人の新聞離れで、天下の読売も700万部とも650万部とも、かなり落ち込んだという話を聞いたことがあります。

既に新聞の影響力は落ち込み、政治家を動かすどころか、利用されて、読売新聞は「御用新聞」とも「自民党機関紙」とも「政界広報紙」と揶揄されるようになりました。

もっとも、氏家さん本人は、最後の方で「新聞は反権力であってはいけない。国益に反してしまうことがあるからだ。せいぜい非権力であるべきだ」と語っていましたから、昔ではなく、今のこのような読売新聞をつくったのは、渡辺氏であり、氏家さんであることがこの本を読むとよく分かります。

2人とも若い頃はバリバリの共産党員だったのに、後年はバリバリの反共・体制護持派になるのですから、人間の抱く思想の不可解さを印象付けます。

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読売新聞について、もっとご意見があれば、コメント御願い致します。私自身は、これまで読売の悪口ばかり書いてきましたが、今、経済面が一番充実していて分かりやすく、抜群に面白いのは読売だと思っているので毎日欠かさず読んでおります。

日本ボクシング連盟会長辞任事件について

銀座「保志乃」鯖一夜干定食1080円(赤羽村長に対抗して少し贅沢しました)

台風13号の影響で、ここ両日の都心は気温が26度程度と意外に涼しいので面食らってます。つい先日まで、39度だの40度だのと言ってましたからね。これからまたぶり返すかもしれませんが。(岐阜県美濃市は本日41.0度記録しました!)

こんな猛暑は日本だけかと思ったら、スペインとポルトガルで8月4日に何と、46度を超えたんだとか。また、お隣の韓国では8月1日、北東部の江原道洪川で同国で観測史上最高の41.0度を記録したそうですね。

消防庁によると、4月30日~8月5日の熱中症による救急搬送者数が全国で7万1266人となり、統計を取り始めた2008年以降で過去最多。死者は138人にも上ったそうです。救急搬送以外で熱中症で亡くなった方は含まれていないということで、この数字よりさらに多いことになります。

地球温暖化を否定する学者さんは、これでもまだ、否定しますかね?

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この1週間、日本ボクシング連盟の山根明会長のスキャンダルで、「辞めろ」「辞めない」の内紛がとうとう、今日8日の本人の辞任という形で決着しました。

山根会長の「容疑」が「助成金の不正流用」や「奈良判定」と言われる審判への圧力などでしたが、不正流用といっても、240万円を3分割して他の2選手に分け与えた話で、本人が私物化して自分のポケットに入れたわけではない。奈良判定は、エリート官僚がよくやる「忖度」みたいなもので、決定的な証拠はなし。もし、事実なら審判こそ共犯になる事件でしょう。

ということで、最初ラジオでニュースを聴いていたので、それほど、悪質な話じゃないんじゃないかな、と思っていましたら、本人がテレビ出演して、そのイデタチからして裏社会の人間と間違えるほどの強烈なキャラが立った個性の持ち主。これじゃ、テレビのディレクターや週刊誌はほっておけませんよね。連日、ワイドショーでお顔を見かけるようになりました。(会社でつけっぱなしのテレビでチラッと見ただけですが)

山根会長がテレビでかなりのバッシングに遭っている姿を見て、「何か裏があるな」と直感しましたので、今日は久しぶりに「週刊新潮」を買ってしまいました。そこには、テレビや新聞が決して報道しないことが書かれていたので、何となく構造的な裏の背景が分かりました。

山根会長は40年ほど前に韓国から日本に帰化し、その複雑な出自などにも触れていましたが、ま、一種のクーデターみたいなものなんでしょう。

片や、山根会長は若い頃に、山口組の「殺しの軍団」と恐れられた柳川組の柳川次郎組長にお世話になっていたこと。片や、告発者側の澤谷廣典・前近畿大学ボクシング部総監督は、山健組の傘下団体に出入りし、小指が欠損していることなどを、それぞれ本人も認めていました。

山根会長によると、澤谷総監督がコーチ相手に暴力事件を起こしたため、近畿大学を辞めさせたことから、それを澤谷氏が逆恨みしたのではないかといいます。(澤谷氏は、その暴力行為を認めています。)

ただ、会長職の任期が「終身」というのは、やはり問題がありましたね。

私はスポーツは純粋で、政治的影響を受けるものではない、という綺麗事をよく耳にしますが、スポーツほど政治的なものはないと思ってます。今年になって、日大アメフト部事件や、レスリング監督によるパワハラ事件など立て続けに不祥事が起きましたが、権力を握った者は必ず腐敗するといった格言が証明されたようなものです。

そう思いませんかねえ?