シャンソン万歳!

2008年4月13日

 

昨日は、2年ぶりに大学の同窓会に参加しました。平成10年に卒業した若手から何と昭和17年卒業の大先輩に至るまで約90人が集まりましたので、会場の大手町のサンケイプラザの201-202会議室は満杯状態でした。(東京駅の丸の内周辺と大手町はいつの間にかすっかり変貌していて、産経ビルが建て替えられていて近代的なビルになっていたので驚いてしまいました。)

 

参加者のほとんどは定年を過ぎた方々ばかりで、20歳代から50歳代までの働き盛りは殆んど見当たりませんでした。同期の人間は私のほかに一人もいませんでしたからね。大学ではフランス語を専攻した人間で、本当に変わった人間が多いのです。フランス人にあやかって、よく言えば個人主義で人と群れたりつるんだりしません。悪く言えば、我がままで世間とうまく立ち回っていけない連中ばかり。卒業生に大杉栄や中原中也がいたといえば、大体想像がつくと思います。

 

それでも、一年後輩のKさんが母校の教授になっていて、初対面でしたが、お互いに知っている人の近況などを聞きました。私が学生時代に教えを受けていた最後の教授が、この3月で定年退官されたという話を聞き、自分も随分年を取ってしまったなあと思いました。

 

同窓会では、卒業生で一応名をなした人による講演会があります。二年前は私の同期で、マリー・クレール誌の編集長になった生駒佳子さんの講演でした。今回は音楽評論家の蒲田耕二氏(昭和39年卒業)でした。この講演会で席が隣りになった人が木村竜一さんという人で何と昭和20年卒業の方でした。大正14年3月生まれの83歳。戦中世代で海軍少尉だったらしいのですが、今も背筋がピンと伸び、矍鑠していました。どう見ても60歳代後半しかみえませんでした。木村さんが通っていた頃の大学はまだ、神田の一ツ橋にあったそうです。戦後、ジョージア州立大学でMBAを取得して、エクソン・モービル石油に就職し、世界中を飛び回った。と話してくれました。

 

元気の秘訣をうかがったら「そりゃあ、歩くことだよ。老化は脚からくるからね。足さえしっかりしていれば大丈夫。今の人はすぐにタクシーに乗ったり、エスカレーターに乗ったりして歩かないだろう?そりゃあ、使わなければ退化しちゃうよ」と言ってましたから、ご参考にしてください。

で、蒲田氏の講演の話でした。同氏は大学卒業後、出版社に就職し、フリーの音楽評論家になった方ですが、シャンソンの権威と言っていいでしょう。NHKのFMラジオでも長年、シャンソンの番組解説を務めていたので、ご存知の方も多いでしょう。私も氏の「聴かせてよ 愛の歌を 日本が愛したシャンソン100」(清流出版)CD付 4700円+税を会場で特別割引で4000円で売っていたので、早速、買い求めました。

その本にかなり詳しく書かれているのですが、蒲田氏によると、シャンソンはフランス語の唄という意味では今もあり、これからもあるが、「心に染みる」「人生を感じさせてくれる」歌という意味でのシャンソンはもはや終わったと断言しています。19世紀末に形が整い、1930年代に全盛期を迎え、1981年のブラサンスの死で終わった、というのが彼の説です。

蒲田氏の批評はかなり、かなり辛辣でした。例えば、イヴ・モンタンなどは、「大スターだけど、ぼくは評価しない。ちっともうまくない。リズムの乗りが悪く、しまりがない。でも一時代を築いた人なので敬意を表しますけどね」と言った具合。

私の大好きなセルジュ・ゲンズブールについては「詩人・作家、映画作家としては素晴らしいが、音楽家としては評価しない」と一刀両断するのです。講演をしながら、色んな歌手の代表曲のCDをかけてくれるのですが、私の一番好きと言ってもいいぐらいのフランソワーズ・アルディの「さよならを教えて」(作詞はゲンズブール!)なんかは、リストにありながら、「この曲はお聴かせるに値しないので飛ばします」と言って、この曲だけかけないんですからね。もっとも、日本人によく知られるアダモの「サン・トワ・マミー」などは「箸にも棒にもかからない」と言ってリストアップすらされていませんでした。

シャンソンに関する教養・知識でいえば、蒲田氏の方がはるかに上なのですが、どうも私とは感性が違うようでした。ちなみに、彼が真の天才として持ち上げたシャンソン歌手は、ダミア(戦前最大)、エディット・ピアフ(戦後最大)あたりでした。曲はシルヴィー・バルタンの「あなたのとりこ」で、「文学性などのシャンソンの伝統やしがらみを断ち切って、ダンス音楽に徹して潔い。オーケストレーションが図抜けている」という大賛辞でした。

彼の話を聴いて、もっともっとシャンソンが聴きたくなりました。

「太陽がいっぱい」の矛盾台詞を発見

 フランス語の勉強と称して映画「太陽がいっぱい」のDVDを購入して見ています。結局、フランス語の字幕がついていなかったので、がっかりしてしまいましたが。

 

この映画は劇場で何度見たか分かりません。50回、いやそれ以上かもしれません。もちろん、1960年の日本初公開の時点ではなく、リバイバル上映の時です。当時はDVDはおろか、ビデオもない時代ですから、いわゆる二番館と言われる名作座で見るしかなかったのです。今、あるかどうか知りませんが、当時は沢山ありました。池袋・文芸座、高田馬場のパール座、早稲田の松竹座、飯田橋の佳作座、ギンレイ座、大塚の…、銀座の…名前は忘れました。とにかくお金のない学生にとっては恵みでした。

あれだけいっぱい見た「太陽がいっぱい」なのですが、DVDで家で落ち着いて見ると、結構、矛盾点が見つかるんですね。ご覧になった方も多いと思いますが、アラン・ドロン扮するトム・リプレーが金持ちの放蕩息子のフィリップ(モーリス・ロネ)を殺して、彼に成りすまして、銀行から大金を下ろし、フィリップの恋人のマルジュ(マリー・ラフォネ)まで奪って、完全犯罪を企むストーリーです。原作はパトリシア・ハイスミスで、私は原作は読んでいないのですが、巨匠ルネ・クレマン監督の最後のシーンは彼による発案らしいです。1999年にアンソニー・ミンゲラ監督、マット・デイモン、ジュード・ロー主演でリメイク版「リプレー」が製作されましたが、やはり「太陽がいっぱい」には足元にも及びませんでした。それほど素晴らしい映画です。

若い頃は、アラン・ドロンの格好良さだけ目に付いて、男から見ても溜息をつくようでしたが、今、見ると、どうも、灰汁の強さだけが迫ってきてしまいます。その後、自分の用心棒だったマルコビッチ殺害事件にドロン自身が関与したのではないかと、疑われたり、飛行機に乗ってもファーストクラスで異様な王様気取りの傲慢さでフライト・アテンダントを辟易させたという証言を読んだりしているので、どうも単なる悪党(笑)に見えてしまいました。それだけ演技がうまかったということになりますが。

この映画は、子供の頃に初めてテレビで見たのですが、とても、恥ずかしくて大人の世界を盗み見るような感じでドキドキしてしまいました。彼らは皆、すごい大人に見えたのですが、当時、アラン・ドロンは24歳、マリー・ラフォレは何と18歳だったんですね。モーリス・ロネでさえ32歳です。驚きです。最も、ルネ・ククレマン監督でさえ46歳の若さだったのですから。

 

それで、矛盾点の話ですが、ドロン扮するトムがフィリップに成りすまして、フィリップの友人のフレディを殺してしまうのですが、警察は「指紋が一致した」と言って、フィリップが下手人であることを突き止めるのです。その指紋は結局トムの指紋なのですが、そんなことは、すぐ分かってしまいますよね。完全犯罪には無理があります。

これは、映画を見て思ったことなのですが、今回、DVDを見て発見した矛盾点は台詞にあります。トムとフィリップとマルジュの三人がヨットの中で食事をするシーンです。貧乏青年のトムは、フィリップの米国人の父親に頼まれてサンフランシスコに呼び戻す使いで、イタリアのナポリまで来ていたのです。(それにしてもあの映画で描かれるイタリアは素晴らしい。フランスとイタリアの合作映画だったということも今さらながら知りました)

食事をしながら、トムはフィリップに言います。

「フィリップの親父さんには、僕は随分嫌われていたなあ。出自が卑しいって言うんだよ。でも、おかしいよね。今ではこうして僕は君の監視役だ。貧しいけれど、賢いっていうことかな」(私の意訳)

トムは一生懸命、ナイフを使って魚の肉を切り分けています。それを見たフィリップは

「上品ぶりたがるということ自体が、そもそも下品なんだよ。魚はナイフで切るな。それにナイフの持ち方が違うぞ」

とテーブルマナーすら知らない貧乏青年を馬鹿にするのです。

そして、一番最後のシーンです。フィリップは殺され、ヨットは売られることになり、父親が米国からナポリにやってきます。マルジュはすっかり、トムといい仲になり、海水浴をしているところに、女中(禁止用語)が来て言います。「お嬢様、お義父さまがお見えになっていますよ」

マルジュはトムに言います。「いけない!忘れてた!」。トムは聞きます。「彼は何しに来たの?」マルジュは「ヨットを売りに来たのよ」。そして、トムにこう言うのです。

「あなたに会いたがるわよ。とても良い方なの」

なぜなら、フィリップの父親は、息子がすべての財産をマルジュに与えるという「遺言」を残していたので、息子の遺志を尊重すると、マルジュに言ったから…、と台詞は続くのですが、私が問題にしたいのは、そもそも「あなたに会いたがるわよ」という台詞が変なのです。なぜなら、ヨットの中でトムは、フィリップの父親に「嫌われていた」とはっきり、マルジュにも聞こえるように話していたからです。

以前は完璧なシナリオだと思っていたのですが、あら捜しすると、結構見つかるもんですね。

ヴァラエティ日本版の発行人にお会いしました

 昨日は複数の会合に出席し、また帰宅が深更に及びました。そろそろ、肝臓の方も疲れてきました。

午後は、日比谷でおつな寿司セミナーの月例会。ゲストは、エンターテインメント雑誌「ヴァラエティ」日本版の編集発行人のHさん。同誌は1905年発行の世界で最も古いエンタメ誌で、現在、ロンドンの本社があるリード・ビジネス・インフォメーションから発行されているそうです。同社は世界最大の出版社らしく、250種類の雑誌を世界で出版し、1兆円の売り上げがあるそうです。

同誌は、主にハリウッド映画やブロードウエーで働く業界人のためのビジネス誌に近いもので、スタッフも同誌を参考にキャスティングしたり、プロデュースしたりするそうです。データに定評があり、興行収益も水増ししたりせず、厳格な数字を掲載しているので、例えば、ある映画を製作する際にファンドを公募した時に、同誌が運営するM社の裏書があると、その信用が絶大で、銀行からも簡単にお金が借りられるそうです。

ヴァラエティ日本版は、ネットでビジネスを展開していますが、広告収入はそれほど期待できず、データベースやアーカイブなどコンテンツ販売に力を入れるそうです。

ちょっとオフレコ発言が多かったので、普通の人は、ネットを見て楽しめればいいのではないかと思います。http://www.varietyjapan.com/

夜は銀座の「方舟」で、通訳案内士の皆さんとの会合。これから本格的に仕事をしようとする人ばかり9人も集まりました。わざわざ奈良県からお見えになった方もおり、初対面の方が多かったのですが、和気藹々とした雰囲気で何ということのない話でも大笑いしました。

 

ただ、通訳の仕事は「個人事業」なので、シビアな話もありました。リスクが発生した時に、どう対処したらいいかということです。エージェントからの依頼の仕事だったら、そのエージェントなりが賠償してくれたりするかもしれませんが、個人で直接仕事を請け負った時、例えば、お客さんが怪我をしたとか、お金やパスポートを落としたりするなど万が一の事態が起きた時に、ガイド個人がかなりの負担を背負わなければならないケースも発生するというのです。

ある通訳ガイドの人はそれが嫌で、個人で直接仕事は受けないそうです。いくらエージェントに上前をはねられても(失礼)、保険になるので、組織を通した方が安心感が違うというのです。

東田さんという福岡出身の人が、米国の大学では、教授連中は必ず保険に入るという話をしていました。それは、米国は訴訟社会ですから、例えば、成績にAをもらえなかった学生が逆恨みして、やってもいないのにセクハラで訴えたりするケースがあるそうなのです。

そういう世界から来る人たちをガイドするとなるとそれは大変ですね。

色々と勉強になりました。

映画「マイ・ブルーベリー・ナイツ」はよかたとです

  ウォン・カーウァイ監督・脚本・制作の映画「マイ・ブルーベリー・ナイツ」を見てきました。

もう恋愛映画を見る年頃ではないのですが、ノラ・ジョーンズ(29)の大ファンなものですから、彼女の主演第一作を見たかったのでした。詳しくは分かりませんが、既に香港で中国語で映画化された作品をニューヨークに舞台に置き換えて、欧米人の俳優を採用したようです。

贔屓目なのですが、彼女の演技は合格点でしたね。映画批評家の作品評はどれもこれも散々でしたが、私はよかったと思いますよ。甘いシンデレラ・ガール・ストーリーではなく、恋愛映画というより失恋映画だったので、より現実的で身に染みてしまったからです。

 

特に、警官のアーニー役のデビッド・ストラーザン(59)とスー・リン役のレイチェル・ワイズ(37)がよかったですね。アル中に溺れる元夫のアーニーと、元夫の束縛から逃れようとするスー・リン役の息もつかせぬ攻防(?)は他人事には思えず、のめりこんでしまいました。

ジュード・ロー(35)は英国人なので、ブリティッシュ・アクセントでしたから、ニューヨークの場末のパブの主(あるじ)役にはちょっと無理があるなと思いました。相変わらず、ハンサムでしたが…。

ノラ・ジョーンズの2003年のデビューは私にとって、衝撃的でした。まだプロフィールが知られていない頃、ネットで彼女の地元のテキサス州のダラス・モーニング紙か何かに載っていたと思いますが、それを読むと、彼女の父親はラヴィ・シャンカールだと書かれていたからです。えっ?ラヴィ・シャンカールを知らない?

 

彼は、ジョージ・ハリスンのシタール(インドの弦楽器)の師匠で、バングラ・デシュ・コンサートにも出演しています。親子なので、やはり、どこか似ています。

そんなこともあって彼女のファンになってしまったのです。ハスキーヴォイスも魅力的です。

シタールといえば、ビートルズは「ノルウェーの森」で初めて使用しました。ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズも真似して「黒く塗れ」で使いました。ブライアン・ジョーンズは作曲ができなくて、リーダーだったのに、作曲するミック・ジャガーとキース・リチャーズに主導権を奪われて、メンバーの中で孤立して麻薬に走り、事故死してしまうのですが、演奏の名手でした。どんな楽器でも独学でこなしてしまったそうです。ビートルズの「レット・イット・ビー」のB面の「ユー・ノー・マイ・ネーム」では何とサックス・フォーン奏者としてレコーディングに参加しています。

あ、随分、話が違う方に展開してしまいました(笑)。

映画「靖国」が見たい

見るのを本当に楽しみにしていたドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」が、ついに上映中止になってしまいました。

本当に由々しき事態です。「憲法で保障されている表現の自由を侵している」なんて大上段に構えたくはないのですが、「いやあな感じ」がします。

上映中止の理由が「近隣に迷惑を及ぼす可能性がある」というのが劇場側の主な言い分で、いわば「不測の事態」に備えた事前の自主規制なのですが、こんなことをすれば誰が一番喜ぶのでしょうか。

この映画は、日中合作映画で、監督は19年間、日本に住む中国人の李いん監督。そもそも、文化庁の所轄の芸術文化振興基金から750万円の助成を受けていることから、一部国会議員が問題視して「事前検閲」したことから、問題は大きく広がりました。

しかし、問題視した自民党の稲田朋美代議士は「問題にしたのは助成の妥当性であり、映画の上映の是非を問題にしたことは一度もない。いかなる内容であれ、それを政治家が批判し上映をやめさせるようなことが許されてはならない」とコメントしているので、きっかけを作った本人とは違う方向に事態が推移したことになります。

いわば「見えない圧力」に屈服したことになります。

しかし、実際、何かが起きると、例えば、トラブル等で死傷者が出る不測の事態などが起きたりすると、マスコミは節操がないですから「上映した映画館が悪い」などと狼煙を上げたりします。ですから、上映中止を決めた配給会社や劇場を責めるつもりはありません。

ただ一介の市民として香港国際映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞を受賞した作品を見たいだけなのです。

私自身は政治的にはニュートラルなのですが、心情的には、国家転覆を目論見、私有財産を否定し教条主義的言辞で煙に巻く極左よりも、義理人情と儀礼を重んじ日本の伝統を大事にする極右の人の方が、どちらかといえば、我々の文化的資源を守ってくれるという印象があります。

まだ「見えない圧力」と名指しされた人はいないのですが、心外に思われる方がいるなら、是非、「上映運動」を起こしてもらいたいものです。

よほどひどい映画なら批判すればいいのであって、それを見せる前から門前払いをするのはおかしいでしょう。いずれにせよ、問題視された助成金は戻ってくるわけではないのでしょう?

おかしいものはおかしい。

「青春の門」はいまいちでした

 池袋の「あうるすぽっと」で、北九州芸術劇場プロデュース「青春の門 放浪篇」を見てきました。

原作・五木寛之、脚本・演出は、演劇企画集団THEガジラの鐘下辰男ですから大いに期待して見たのですが、がっかり。面白くなかったです。

 

やたら、殴る暴力シーンが多く、女も男もやたらと喚くシーンが多く、ドタバタでとても安心して感情移入することができませんでした。途中で帰ろうかと思ったくらいです。

地方の文化を東京に逆発信する異例とも言える野心的試みでしたが、これでは観客はついていけないでしょう。

残念でした。

会場で、10年ぶりぐらいに大池君と会い、帰りに一緒に飲みました。同い年なので、お互いに老けたと思ったのですが、彼はちょっと太ったなあという感じで、私より10歳も若く見えました。私はあれから極北の地に流刑されるなど、仕事の面では大変苦労をさせられたので、彼より10歳以上老け込んでしまいました。

彼は今、広告の関係をしていて、スポンサーに会って、色んな内幕話が聞けるので楽しいと話していました。最近、上野駅近くにマンションを買ったらしく、羨ましくなってしまいました。

「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」は85点

若松孝二監督の話題作「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」を見てきました。東京ではテアトル新宿でしか上映しておりません。普段、2000円なのですが、水曜日だけ、1000円で見ることができました。そのせいか、立ち見が出るほどの満員御礼でした。

 

これから見に行かれる方は、水曜日に上映時間の30分前に行かれるといいと思います。上映時間は三時間を超えるので、覚悟して見てください。それほど長さは感じませんでしたが、途中でトイレに行きたくなってしまいました…。

 

 

 

すごい映画でした。どうせ俳優陣は、20代か30代なので、あさま山荘事件の起きた1972年2月28日は、彼らは生まれていないので、実際、どういう事件だったのかについては彼らには皮膚感覚がないので、演技に関しては全く期待していなかったのですが、素晴らしかったです。本当に彼らは役者でした。何人も何人も出てくる俳優の中で、私自身、知っているのは、遠山美枝子を演じた坂井真紀だけでしたが、皆さん、その役にピッタリはまっていました。名前は知りませんが、驚くほどのイケメン俳優がたくさん出演するので、女性には必見かもしれませんね。

 

実録と銘打っているだけに、「史実」を忠実に辿っています。

 

森恒夫、永田洋子、坂東國男、重信房子、田宮高麿、坂口弘、吉野雅邦…当時の事件を同時代として生きてきた人にとっては、忘れられない連合赤軍のメンバーです。しかし、初めて、彼らの名前を聞いた今の若い人にとっては人物関係が複雑すぎて分かりにくいかもしれませんね。

映画では、なぜ、連合赤軍なるものが誕生したのか、1960年安保闘争あたりから、当時のフィルムを多用して歴史を追っているので、分かりやすいです。ヘルメットに角帽、機動隊との小競り合い、お茶の水の石畳の石をはがして投石する学生たち、安田講堂での攻防…懐かしいシーンが沢山出てきますが、今となっては全く異次元か異星人の世界です。あれから36年。学生運動の痕跡すら残っていないからです。

圧巻は、森恒夫、永田洋子が中心になって自分たちの仲間である同志たちを次々と「総括」の名前の下で、粛清していく狂気の沙汰を生々しく描いているシーンです。「真の国際連携における、プロレタリアート解放と平等を追及し…」などと左翼の教条主義的言辞だけが空回りして、集団暴行(リンチ)で仲間を殺害していくのですが、所詮、その背景には、若い男と女の感情的嫉妬心があり、全く権力を握った自分たちだけが絶対に正しいというおめでたいほどの独善主義に凝り固まって、見ていて、背筋が寒くなる思いでした。

それでいて、今の私の年齢からみると、彼らは本当に幼く、額に汗水たらして働いたことがない苦労を知らない、付け焼刃の知識だけを頭に詰め込んだお坊ちゃん、お嬢ちゃんたちで、自分たちが信じた正義だけがすべてだと思っているだけに、とても手に負えないなあ、と思ってしまいました。

彼らのほとんどは団塊の世代で、今ではもう50代後半から60代ですが、過激派としてさまざまな事件を海外でも起こし、今でも、「革命」を捨てることなく、闘志として潜伏している者も多いので、生半可な気持ちで活動していたわけではないことは分かっていますが、この映画を見た限りでは、社会を転覆してその後にどういう組織や国家を作っていこうかというビジョンが森や永田にしても持ち合わせていないように見えました。

どこかの評論家が、当時の学生運動家とオウム信者たちは、高学歴で、真摯に現実の社会矛盾を改革しようとした若者たちだったという点で共通項がある、と指摘していましたが、そう感じないではなかったですね。登場人物が初めて画面に出てくる時、肩書きと名前と一緒に、京都大学だの、横浜国立大学だの出身大学まで字幕で出てきます。若松監督の意図が分かるような気がしました。

大団円は、あさま山荘に立てこもった赤軍派と機動隊との銃撃戦です。私も当時は、テレビの前に釘付けになりました。山荘内では、革命を叫んでいた仲間同士で、たった一枚のビスケットを食べたことを巡って、「規律違反は革命主義に違反する。お前はスターリニストだ。自己批判しろ」と大喧嘩が始まりますが、本来ならあまりにもバカバカしいので笑えてくるはずなのに、本当に物悲しくなってしまいました。

ついでながら、山荘に立てこもって、最後には拘束された赤軍派の5人の中には未成年の少年がいましたが、彼は私と同世代でしたので、非常に衝撃を覚えたことを思い出しました。

この映画は若松監督が自費を投入したライフワークに近い作品なので、多くの人に見てほしいなあと思いました。総合85点。

「ノーカントリー」を見て縮みあがりました

 

月刊誌の敏腕編集者の方から「是非見た方がいいですよ」と奨められて、映画「ノーカントリー」No country for old man を見てきました。

 

コーエン兄弟監督作品。アカデミー賞主要4部門(作品、監督、助演男優、脚色賞)受賞。

うーん、見終わって、グエーという感じでした。何か、二階にまで上げられて降りる階段を外された感じでした。最後は全く唐突に意味もなく終わってしまい、「どう解釈したらいいの?」と戸惑ってしまいました。まさしく、不可解の連続でした。

 

ただ、私にとって、今年、ベスト5以内に入る傑作だと思いました。ハリウッド映画もここまできたか、という感じなのです。日本人の大好きな「勧善懲悪」ではないのです。最後まで悪が勝ち、生き残るのです。カタルシスも爽快感も全くありません。

 

細かいストーリーは省きますが、色んな映画批評家が書いていましたが、「おかっぱ頭」(「そうではない、単なる長髪だ」と的確な指摘をする評論家もいました)の殺し屋アントン・シガー(バビエル・バルデム)が気味が悪いほど、存在感があるのです。非常に頭が切れ、それでいて、全く罪悪感がなく、動機付けも、ただ金のためなのか、そのあたりがさっぱり分からず、見る者にシンパシーを全く拒否するのです。殺害の仕方も大胆で、エアガンのようなガスボンベを使って、鍵の付いたドアをぶち破ったり、人間の脳天を撃ちぬいたり、見ているだけで、縮み上がってしまいます。

 

そこまでしなくていいのではないかと思えるほど、殺戮を繰り返します。感情が全く表面に現れないので、空恐ろしくなります。「追われる男」ルウェリン・モス(ジョシュ・ブローリン)も「追う保安官」エド・トム・ベル(トミー・リー・ジョーンズ)も、別の殺し屋カーソン・ウエルズ(ウッディ・ハレルソン)も、強烈なキャラクターなのですが、アントン・シガーの前では全くお手上げです。

 

脚本がよく書けているのです。全くストーリーと関係のない味わい深い台詞が、次々と飛び出してきます。それが、間接的に意味があるので、ストレートに表現しない奥床しさが漂ってくるのです。例えば、トミー・リー・ジョーンズ扮する保安官は本当に渋い。不可解な殺人事件が連続して、自分の父親やお祖父さんや叔父さんや伯母さんの時代はまだましだったとか、そこにいない人たちの話をするのですが、それが非常に深い意味を持ってくるのです。保安官同士で駄弁っている時も、「今の若者たちは髪の毛を緑に染めて、ピアスをし、全く敬語も使わなくなった」と嘆いたりするのですが、全体のストーリーの流れに関係ないのに、深い重みが出てくるのです。非常に手馴れた台詞です。大抵の甘いハリウッド映画は、物語展開主体で「ワオー」とか「グレート」といった相槌表現ばかり目立っていたのですが、コーエン兄弟の台詞回しには驚くほど感銘してしまいました。

 

映画を見ていて、思ったのですが、先の展開が予測がつかなかったので、こちらが殺されるんじゃないかと、気を張って見ていました。不思議ですね。誰も、被害者の目線で見ており、殺人鬼シガーに感情移入しないんですね。誰も「さて、次は誰も殺そうか」と楽しみながら見る人はいないでしょう?

 

もし、恐怖を感じながら見ていたとなれば、まさしく、「性善説」なのです。これだけが救いでした。

84歳の演劇青年 

 

昨日は、劇団「青年劇場」顧問の瓜生正美さんにお会いして、お話をうかがってきました。

今年84歳になる新劇界の長老ですが、精神的に若いのか、全く老け込んでいませんでしたね。青年のようでした。

 

瓜生さんは、戦争末期の1944年、20歳の時に徴兵されたそうです。「赤紙ですか?」と聞いたら、「いや、白紙なんです。赤紙は、一度入隊して2年間の兵役を終えて、再び徴兵された人に来るんですよ」と、初めて教えられました。てっきり、徴兵証書は「赤紙」だとばかり思っていました。

九州久留米の第12師団48連隊に所属した陸軍二等兵で、長崎に原爆が投下された翌日に、死体処理などで、長崎に入ったそうです。当然、まだ放射能が漲っている中なので、被爆してしまったそうですが、奇跡的に後遺症がなかったといいます。

また、連隊の半分が沖縄に向かう途中、五島列島沖で船が魚雷で沈没させられて、戦死したそうですが、これまた瓜生さんは「居残り組」だったため、助かったそうです。

 

瓜生さんは、小山内薫とともに築地小劇場を開設した演出家の土方与志の最後の弟子に当たります。この土方の祖父の久元が、土佐藩出身で幕末に坂本龍馬らと一緒に国事に奔走した人なのです。維新後、伯爵に列せられました。土方与志は、歌舞伎などのいわゆる伝統芸能一辺倒に反旗を翻して、大正時代に築地小劇場を開設して、チエホフやゴーリキなどの翻訳劇を日本で最初に演出した人でもあります。

 

瓜生さんの話を聞いていると、土方は、リベラルな芸術主義者だったらしいのですが、演劇運動というのは自由主義とかプロレタリアート解放運動につながり、当時の官憲やお上に目を付けられて、随分弾圧されたらしいですね。土方自身も伯爵の爵位を剥奪されました。

だから、戦後、多くの劇団が代々木系の政党員になったり、またまた、ご多分に漏れず、政治と芸術との関係で、内部紛争があって、除名されたり、脱退したりして、色々とあったようです。

 

やはり、演劇というか、新劇というとイコール左翼のイメージがあり、瓜生さんの口から久しぶりに「プロレタリアート」などという言葉を聞いて、非常に懐かしい思いに駆られてしまいました。

 

プレタリアートなんてもう死語ですからね。今の若い人は誰も知らないでしょう。でも、84歳になる演劇青年にとっては、自分の血肉になっており、言葉として自然に出てきたのでしょう。

 

非常に有意義な面白い会談でした。

 

「アメリカを売った男」★★★★

ビリー・レイ監督の「アメリカを売った男」を見てきました。

2001年2月18日にロシアのスパイ容疑で逮捕されたFBI捜査官ロバート・ハンセンの捕まるまでの2ヶ月間に焦点を当てた作品です。

実際のストーリーの映画化で、結末が分かっているのに、最初から最後までハラハラドキドキのし通しで、一気に映画の世界に入ってしまいました。

80点

ハンセン役のクリス・クーパーが渋くていい。もう、見るからに「犯人」そのもので、屈折した感情を見事に表現していました。ハンセンの若手助手役のライアン・フィリップもよかった。初めて見る役者でしたが、なかなかの好演です。それに、やたらと美人女優が登場するんですね。名前も知らないのですが…。

 

それにしても、二十年間もKGBに米国の国家機密を売り続けていたFBIの捜査官がいたとは、驚きでした。「自由の国」米国の奥行きと懐の深さを痛感致しました。

 

ただ1つだけ、不思議に思ったのは、映画の中の重要なシーンで「ポケベル」が出てくるところです。2001年といえば、日本では、ポケベルは化石化して、ほとんど誰も使っていませんでした。メールにしろ、皆携帯を使っていたはずです。天下の世界最強、世界最先端を行くアメリカで、2001年にポケベルを使っていたんですかね?

 

まあ、原作に忠実に映画化したようですから、実際そうだったんでしょうが、日本ほど携帯が普及していなかったんでしょうね。確かそんな話を聞いたことがあります。ちなみに、ポケベルは、英語でpagerと言います。携帯電話は、cell phone またはmobile phone ですね。