性転換 

12月12日付の十勝毎日新聞に面白い記事が載っていました。

記事といっても、帯広畜産大学の美濃羊輔名誉教授の投稿論文です。

タイトルは「性転換について」ですが、編集者が付けたようで、あまり全体の論旨になじまない気がしましたが、仕方なく踏襲します。

全部引用すると「盗作」になってしまうので、1つだけ、引用させて戴きます。

カキ、そう柿ではなく牡蠣の方ですが、その牡蠣には、冬の期間だけ、雄でも雌でもない、要するに性がない状態になるそうです。冬期は、海水の温度が低下してくると生殖器が消失してしまうのがその理由です。(私にはその理由がよくわかりませんが…)

春になると、再び生殖器が形成され、前年度の性とは関係なく、雄になったり雌になったりするらしいのです。このような生物のように、時期によって性が異なることを「時間的両性」というのだそうです。

ここで飛躍して、美濃先生は、雄とは何か、雌とは何か。はたまた人間でいえば、男とは何か、女とは何か、といった哲学的問題にまで踏み込みます。

まず、人間の場合、性転換はありえない、と申されます。なぜなら、いくら外見上作り変えても、男の性染色体はXYで、女のそれはXXだからです。(それなら、性同一障害は何なのか、までは説明されていませんでした)

そして、美濃先生はいきなり、昨今の熟年離婚の増加に着目します。結婚35年以上の離婚は、現在は1975年当時と比べて、その15倍もある、といった数字を挙げています。

「男と女は別の生物で、結局理解しあえない」と先生は言いたかったのかどうか、この論文を読んだだけでは不明ですが、最後に「時には人としての傲慢さを捨てて、少しは自然界から学んでほしいと思う昨今である」と結んでおられます。

美濃先生は「学んでほしい」というのが言いたかったのではなく、「思う昨今である」と書いてあるところをみると、これは学術論文ではなく、エッセイ風にまとめたかったのではないか、と推察します。

とにかく、この論文エッセイには感嘆しました。

小泉さんのファンの方へ

小泉純一郎という人が脚光を浴びるのは、あと残り10ヶ月なので、本人に向かって言いたいのですが、小泉さんという人は、人の言うことを聞かない、聴く耳を持たない人なので、何を言ってもはじまりません。

そこで、せめて、彼に投票した、もしくは彼を支援する人に訴えたいと思います。

「構造改革」だの「民にできることは官から民へ」だの「地方にできることは地方に」だの、耳障りのいいことばかり述べて、大衆の支持を得ていますが、現実を見てください。

おかげで、弱者は切り捨てられています。地方は疲弊しています。人口も減少しています。ますます、一極集中、大都会に若者たちが吸い寄せられています。

この写真は、帯広駅の駅前通りの一等地にある商店です。
張り紙から悲痛な叫び声が聞こえてきます。
実直な商店主は、すでに70歳を過ぎているでしょう。2代目なら50歳代でしょう。こういう形で「店じまい」しなければならないとは、さぞかし無念だったことでしょう。

どこの地方都市でも同じ現象でしょうが、駐車場のない、というか、駐車料金が高い駅前の一等地の商店街は空洞化が進んでいます。無料の駐車場を備えた郊外の大型ショッピングセンターには人が大勢います。

帯広のメインストリートにあった文房具店も半年前に閉店しました。東京でいえば、銀座の鳩居堂か伊東屋のような老舗です。そこには「70年間のご愛顧に感謝致します」とありました。

このように、半世紀以上も地道に営んできた地元の商店が、ボコボコと倒産しているのです。これも、「小泉改革」のおかげ、と言っては言い過ぎでしょうか?

ハレー彗星を見るように、たまたまの巡りあわせで、地方都市に住み、50年や70年に一度しか起きない「商店の死」に立ち会い、それが、決して偶然ではない、という気が私自身しています。

このメッセージをしかと受け止めたいと思っています。

熟年離婚

ドラマ「熟年離婚」が今ブームだそうです。

渡哲也、松坂慶子扮する夫婦がいて、夫が定年退職したその日の夜に妻の方から離婚を言い渡す…という話らしい。一度も見たことがないのですが、話題になっているので、粗筋くらいは知ってます。その時、夫は「なぜだ!」と、三越の岡田社長(古い!)のように叫ぶことでしょう。

何やら、普通のトレンディードラマ(もう死語かもしれない)と違って、視聴者は40代、50代の主婦が多いそうです。ですから、この層をターゲットにしたCMがバンバン流れるそうですが、一度も見たことがないし、これから見るつもりもないので分かりません。とにかくそういう新聞記事を読みました。

ところで、親友のT君から面白い話を聞きました。彼が、塾の講師をしていた頃、子供の進路のことで面接すると、自然とその家庭の内部事情が分かってしまうそうです。結論を先に書くと、

「トラブルのない家庭は一軒もない」

ということです。子供の進路を相談している母親の話をじっくり聞いてみると、夫に対する不満は相当なもので、日々の生活のために、仕方がなくて夫婦生活を送っているというケースがほとんどだそうです。「熟年離婚」はドラマではなく、現実問題だったのです。

そして、もっと深くその主婦の言い分に耳を傾けてみると、大雑把に言えば、子供の進路などどうでもよく、夫に対する不満ももう諦めているのでどうでもよく、一番訴えたいのは、自分の家庭内の仕事、つまり、家事が、世間一般では誰からも認められることがないので、空しいこと。誰にも褒められも苦にもされず、結局、何の生き甲斐もなく、そんな無力な自分自身が腹立たしいこと…などが分かってくるというのです。

どこの家庭も似たり寄ったりで、旦那が世間的に尊敬される大学教授でも、奥方さんは夫を軽蔑しきって、裏で舌を出していたり、大豪邸に住んでいる医者の妻でも、退屈しきっていて、夫婦円満どころか、ほとんど家庭内別居状態だったりするそうです。

夫は働き者で、妻は料理上手で、子供たちは腕白だけど、勉強家。家庭円満で、絶えず笑顔があふれている…そんな60年代アメリカの絵に描いたようなホームドラマのような家庭は、まず皆無といっていい、というのが彼の結論でした。

私は妙に納得してしまいました。
だからこそ、人は、そんな理想とのギャップに悩むのでしょう。
だけど、皆さん、自信を持ってください。
もう一度繰り返します。

「トラブルのない家庭は、世の中に一軒もありません」

ヨガ教室初体験記

今日は生まれて初めてヨガ教室に行ってみました。

30畳ぐらいの部屋に25人くらいの人が参加したので、隣の人と肩がぶつかるくらいでした。

先生は、35歳くらいの目鼻立ちが整った小柄な女性でした。色白でしたが、顔の作りはインド人でした。長年、インドで修行したからそうなったのかもしれません。

以前、ベルギーに旅行した時に、ブリュッセルに住んで20年くらいの日本人女性と会ったことがありますが、その女性も日本人顔ではありませんでした。英国人の音楽評論家のピーター・バラカンさんも、長年日本に住んでいるせいか、もうイギリス人というより日本人顔です。人間って環境の動物なんですね。

あ、ヨガとは全然違う話になってしまいました。

最初は、オウムの人がいるんじゃないかと、緊張してたのですが、結局、もう私は骨も体も硬くなってしまったので、全くついていけずに、周囲の笑いものになっていただけでした。入門コースだというのに、難易度が高いポーズだったのです。

それでも、ストレッチングをしたような気分で、肩こりが取れたような感じになりました。来週、もう一回だけ、ヨガ教室に行ってみます。

クールベ展 

今日は、帯広美術館に「クールベ展」を見に行きました。

そう、印象派の先駆者、美術史でいえば「写実派」のギュスターヴ・クールベです。

オルナンのクールベの生家を改造した「クールベ美術館」所蔵作品が中心で、代表作の「オルナンの埋葬」や「まどろみ」「こんにちは、クールベさん」などはなかったのですが、いくつか発見がありました。

クールベは、1819年にスイス国境に近いフランス東部の小村オルナンの地主の家に生まれ、父親の法曹界に進んで活躍してほしいという願いに反発してパリに出て、独学で絵画を習得します。

彼の業績の特筆すべきことは、これまで、絵画といえば、歴史や神話や聖書に題材をとり、室内のアトリエに閉じこもって描くものだった芸術を、一般庶民を写実的に描き、キャンバスと絵の具を背中にしょって、戸外に写生に出かけていったという今からみれば当たり前のことを彼が始めたということです。

印象派の先駆者というのも、若き無名のモネを経済的に援助しただけではなく、その画風も、芸術家としての心構えも、まさしく印象派につながっていったのです。

今回の展覧会で初めて知ったのは、まだ、この時代でも、レンブラントやルーベンスのような「工房」があったということです。「巨匠」となったクールベを慕って、全国からクールベに弟子入りする画家が増え、クールベ自身は、最後の「点睛」を描いてサインを書くぐらいで、晩年は仕事を弟子たちに任せていたのです。

ケルビノ・パタ、フランソワ・ルイ=フランセ、アレクサンドル・ラパンらの弟子たちは、今ではすっかり忘れ去られてしまいましたが、今回、彼らの作品も目にすることが出来ました。

クールベは1877年に58歳で亡くなっていますが、スイスで亡命生活を送っていた時でした。1871年のあのパリ・コミューンにクールベも参加して、6ヶ月間も牢獄に入っていたのですね。芸術活動をしながらの政治運動は当時としてはかなりの勇気が必要としたことでしょう。

今回、1874年作の「シヨン城」がとっても気に入りました。
後で分かったのですが、この絵はクールベ展のパンフレットの表紙を飾っていました。要するに「目玉」だったのです。自分の鑑識眼に自信を持ってしまいました。

カミーユ・クロデール

彫刻家ロダンの弟子、カミーユ・クロデールについて、最近、興味を持っています。

映画「カミーユ」に、私の大好きなイザベル・アジャーニが主演しているので、早速、蔦屋でビデオを借りてきて見てみました。

恐らく、美術史をひっくり返すほどの発見かもしれませんが、ロダンより、カミーユの方が才能があったかもしれません。

私自身、30年以上昔に、フランス文学をかじったことがあり、ポール・クロデールについては、戦前日本のフランス大使として、6代目菊五郎や15代目市村羽佐衛門にも会って、日本の伝統芸術に関して理解と認識を持っている詩人だと、理解していましたが、彼がそのカミーユの実弟だということをすっかり忘れていました。

しかも、私の卒論のテーマに登場する作曲家ドビュッシーまで、映画に出てくるので、これはさすがに、「作り物」というわざとらしさを感じて白けてしまいましたが、20世紀初頭のパリの風俗が如実に再現されていて、また、パリに行きたいと思ってしまいました。

もしかしたら、私は、パリジャンの生まれ変わりじゃないか錯覚してしまった次第です。

佐山君への手紙

私の友人、佐山康彦君(仮名)は営業マンです。
仕事では、得意先から解約の通知が毎日のように押し寄せ、家庭でも妻と娘からすっかり見放され、家庭内別居状態です。
何もかも、すべてうまくいかず、人生のどん底の悲哀に浸りきっている時、彼はHさんから手紙をもらいました。

先日、私もそのHさんの手紙を、彼からちょっとみせてもらいました。

そこにはこう書かれていました。

「今日という日、一日を生き切ればいいのです。
結果は追わなくていいのです。
自分自身を認めてあげればいいのです。
周りを価値観の基準にするから悩むのです。
もう、社会だの、先生だの、親だのと、誰かのせいにできないでしょう?

会社があなたに何をしてくれましたか?
仕事は自分自身が納得するまでやりきればいいのです。

要するに、自分自身を幸せにするしかないのです。

せっかく生まれてきたのですから、人生を楽しむべきなのです。

佐山さんは、健康に恵まれ、大病して後遺症を抱えているわけではないでしょう?
矢沢永吉さんのように莫大な借金を抱えたわけでもないでしょう?

ないものねだりなのです。

自分自身にあるものを見つめてください。

佐山さんには才能があるのです。

それを信じて生きてください。

もし、佐山さんの悩みが今の「仕事」と「家庭」なら、その二つともなくなったら、悩みは解決しますか?

それをもう一度考えてください。

その二つともなくなっても、つまり、今の仕事と家庭を変えたとしても、また同じことの繰り返しでしょう。

要するに、人間は自分自身を幸せにする以外に責任を持たなくていいのです。

以上、多少、生意気なことを書いてしまいました。

この手紙を何回か、繰り返し読んでくだされば、少しはわたしの言いたいことを理解してくれるのではないでしょうか。

寒い季節がやってきました。お体を大切にしてください。」

松井守男画伯

最近、気になっている画家がいます。
日本人でありながら、フランスに定住し、ついにレジョンヌ・ド・ヌール勲章までも受章した松井守男画伯です。

たまたま、テレビで彼の活躍を知りました。(今年5月に放送されたNHK教育「課外授業 ようこそ先輩」と11月に放送されたNTV系「金のA様×銀のB様」)

現在、フランスのコルシカ島に住み、最も有名な日本人らしいのです。アラブの大富豪がわざわざ自家用のジェット旅客機で、彼の絵を買いにコルシカ島までやってくるというから只者ではありません。

レジョンヌ・ド・ヌール章とはナポレオン・ボナパルトによって1802年に創設されたもので、軍人や文化・科学・産業・商業・クリエーション等の分野における民間人の「卓越した功績」を表彰する事を目的とした勲章です。

日本人画家では、1932年の鹿子木孟郎、1956年の荻須高徳、1957年の藤田嗣治、1996年の平山郁夫に続き、松井守男画伯(2003年)は5人目です。

それほどすごい画家なのに、今年5月まで、全く知りませんでした。

松井画伯は、類稀な才能ゆえに、周囲の妬み、反感をかって、12年間も引き篭もって、新境地を開いた経験があります。

彼の作品を見たい人は、検索エンジンで彼のホームページを探してください。
非常に立派なHPがあります。
あまり立派すぎて、何も付け足すことはありません。
ちょっと白けちゃいますが…。

女児遺棄事件

公開日時: 2005年11月28日 @ 19:45

22日に広島市で起きた女児殺人遺棄事件。一週間近く経つというのに、まだ何一つ解決の糸口が見つかっていません。本当に残念です。

北海道から遠く離れた広島の事件でしたが、地元紙が、亡くなった木下あいりちゃん(7歳)が、昨年3月まで、帯広市に住んでいたと報じていたので、この事件が急に身近に感じてしまいました。

あいりちゃんのお父さんの健一氏(38)が、陸上自衛隊員で、当時、帯広市の第5師団(現在、旅団)に勤務していたのです。もしかしたら、スーパーかどこかで、あいりちゃん一家とすれ違ったことがあったのかもしれません。

あいりちゃんは、当時、帯広市内の幼稚園の年少と年中組に通っていたそうです。写真で見る限り、とてもかわいく愛らしい。広島に住んで1年半ですから、犯人は、誘拐目的ではなく、まさしく、通りすがりの、いきずりの、犯行ということになります。

もう少し帯広に住んでいれば、あんな事件に巻き込まれずにすんだかもしれないと考えると、本当に、哀れでかわいそうです。早く犯人が捕まってほしい、と当たり前のことしか思い浮かんできません。