家族、使用人、敵

今読んでいる本の中で、本当に懐かしいフレーズに出会いました。

当時、外務大臣で渦中のど真ん中にいた田中真紀子氏の発言です。

「世の中には、家族、使用人と敵しかいない」

彼女の思想を超えて哲学の領域に達しているので抗弁できませんが、すごい言葉ですね。

もう一度繰り返します。

「世の中には、家族、使用人と敵しかいない」

もう「歴史的な」な言葉になったので言いますが、恥ずかしくないのかなあ。

天の声

風采のあがらない保険のセールスマンが呟きました。
「あーあー、今日も解約かあ。今月でもう3件目だ。営業目標成績も先月で45%の赤字だし、もう、駄目だあ…」

その時、天から声が聞こえてきました。
「駄目だと思ったら、駄目なのです。駄目ではないと思えば、駄目ではないのです」

セールスマンは言い返しました。
「そんな…。気持ち次第かもしれないけれど、そう考えたって、営業成績があがるわけではないでしょう?」

天の声は言いました。
「営業成績があがるわけがないと思えば、あがるわけがないのです。これは真理でも法則でも何でもありません。成功した人は、間違いなく、そんなネガティブな考えを持った人は一人もいません。少なくとも、駄目だと諦めず、営業成績をあげようと努力します」

セールスマンは驚いて聞きました。
「あなたは一体誰なのですか?」

「…」
もう天からの声は聞こえなくなりました。

自分の思いと人生

「人生は自分の思い通りにならない」と言う人がいます。

方や「自分の思った通りに人生はなっている」と確信している人がいます。

「思い通りにならない」からと言って自暴自棄になる人がいます。

「思い通りになりすぎる」と言って出家する人もいます。

どちらが正しいのでしょうか?

実は両方とも真実なのです。

真理という言い方もできます。

逆に言えば、真理とはそう言うものなのです。

人は自分が見たいと思うことしか見ないので、他人が入る隙間がないのです。

説得しても無理なのです。

「話せば分かる」ことはないのです。

だからこそ、そこにお互いの信頼と尊重が生まれます。

親子でも兄弟でも夫婦でも友人でも仕事関係でも、お互いに信頼と尊重がなければ長続きしません。

日々、自戒しております。

心と身体

正直、ここ数年、自分の感情のたたずまいに振り回されています。

もちろん、楽しいことも沢山あります。

しかし、残念ながら、毎朝、目が覚めた時、何とも言えぬ感情に支配されます。

それは一口ではいえませんが、不安と恐怖と焦燥と後悔と瞋恚と怨嗟と絶望が入り混じったもので、その症状は心痛、不快、発汗、痙攣といった形で現れます。

告白することは、弱さではないと思っているので、今、現象を淡々と叙述しましたが、最近、すごい文章を発見しました。

ゴリラ学者の山極寿一氏の「ゴリラ」(東京大学出版会)に書かれています。
ちなみに、彼の名前は10数年前に出版された立花隆氏の「サル学の現在」で知りました。なんで、人は猿の研究なんかをするのか、と不思議でしたが、結局、人間とは何かを研究する学問だということがその本で初めて分かりました。

彼は言います。「現代人の身体には心の歴史の百倍におよぶ体験が刻印されている。心が身体を思うがままに操れるわけがない」-と。

考えてもみれば、人類の歴史は500万年前から進化したと言っても、文明を築いたのはたかだか1万年前くらい。心の問題を扱う心理学など百年かそこらしか経っていません。何百万年もヒトは、感情を言葉に表されないどころか、思考の範疇で敷衍することさえできませんでした。感情をそのまま身体で受け止め、吐き出すしか、術がなかったのでしょう。

心で身体をどうにかしようなんて、土台無理な話だったのです。心や感情に重きを置くことはほどほどにした方が良さそうです。
これからはもう、心や感情には振り回されず、身体に聞いてみますか。

親子鴨のお通り


今朝、帯広川縁を散歩していたら、鴨の親子に遭遇しました。

親は周囲を警戒しているようでした。

4匹いた小鴨のうち、1匹だけは、悪戯盛りで、勝手に道草を食べていて、皆に置いてきぼりされそうになって、慌てて、まだ飛べないのに、羽を広げて、集団を追いかけていました。

その仕草がたまらなくかわいかったです。

フジ子・ヘミング 「人生はうまく行かない方が当たり前」

公開日時: 2005年7月2日

ピアニストのフジ子・ヘミング。正直、7,8年ほど前に彼女が一世風靡した時、どうも好きになれず「食わず嫌い」でした。
しかし、帯広に来て、ある人から熱心に薦められて、聴いているうちに、つい、のめり込んでしまいました。

4,5冊、彼女に関する本が出てますが、特に『運命の力』(TBSブリタニカ)がいいです。音楽家として致命的ともいわれる聴覚を失っても、希望を失わずに艱難辛苦と闘って、ピアニストとして成功を収める姿が本人のイラストと写真付きで克明に描かれています。

「人生はうまく行かない方が当たり前」「運命はいつか必ずやってくる」-。彼女の言葉に重みがあります。そのせいか、彼女の弾くピアノにも普通のエリートの天才ピアニストとは違った重みが感じられます。 すっかり有名になった「ラ・カンパネラ」にしろ、偶然の産物ではなく、リストの魂が彼女の頭上に舞い降りたかのような必然性すら感じるのです。

思考の現実化

最近、自分の思ったことが現実化する場面が多い気がします。
例えば、「あの人、今どうしているのかなあ」と思ったりすると、街中でその人と10ヶ月ぶりぐらいでバッタリ会ったりするのです。

本当に、日常生活の中の細かいことが多いのですが、「アイスクリームが食べたいなあ」と思っていたら、買ってきてくれていたり、「この道を行くと、やばいかなあ」と思っていると、車が急にスピードを上げて曲がってきたりするのです。

いわゆる思考が現実化するということなのでしょうか?

こうなっては、なるべく悪い不吉なことは考えないように、物事を「いい方にいい方に」考えた方が良さそうです。

昔は、何でもかんでも否定的に考えていました。
「仲良きことは美しい哉 実篤八十歳」なんていう色紙をみると、腹が立ってしょうがなかったのですが、武者小路はやはり素晴らしい人格者だったことがこの年になってやっと分かりました。

これからは「明るく前向きに」をモットーにします。