勇気

ロンドン大学で哲学の上級講師を務めるグレイリング氏が、ガーディアン紙に寄稿したコラムから(拙訳)。

戦闘や冒険よりも、日常生活の方がもっと異常とも言うべき勇気が必要とされる。なぜなら、悲嘆、病気、失望、苦痛、競争、貧困、喪失、恐怖、心痛といった人生ではどうしてもありえてしまう、避けられないことが起きるからである。これらのすべては人ならその状況で誰しも味わうことであり、毎日、何十万人の人が体験していることだ。エベレストによじ登ることさえ簡単に思わせてしまうようなある種の忍耐と勇敢さが求められる。
(中略)
夜、苦痛で眠れなかったり、毎朝、悲嘆に暮れて目が覚めたり、それでも起き上がって、その人がベストを尽くして頑張り続けること。それこそが勇気そのものではないだろうか。

北海道は植民地か!?

昨日は、冗談半分で「帯広語」などと書いてしまいましたが、本当は、北海道は殆ど方言がなく、イントネーションも東京と変わらないのです。

そこを付け込んだ業者がいることを、今日の北海道新聞の記事で初めて知りました。

方言がないことをいいことに、本州の特に東京の大手企業が「コールセンター」を北海道に移転しているというのです。札幌市も「雇用促進」になるからといって、2000年度から総額2億8000万円の補助金をつぎ込んでいるそうです。

何が問題なのか。

その前に「コールセンター」とは何かを説明しなければなりませんね。要するに、簡単に言えば、苦情処理係りです。見知らぬ人間から、居丈高に、時には罵声や怒鳴り声を浴びなければならない、あの苦行です。信用だけが大切だが、苦情が多い食品メーカーや保険会社、クレジット会社などが特に必要としている部署です。
しかし、その本拠地を東京に置いていては、お金が掛かりすぎる。そこで目を付けたのが「人件費が安く、方言が少ない」北海道だったのです。道の補助金制度のおかげで、道内には現在44社のコールセンターがあるそうです。

例えば、Aさんが買ったチョコレートの一部が溶けていて不良品状態だった。文句を言うために、東京の電話番号を回すと、いつの間にか、そして全く知らぬ間に、電話は転送されていて札幌の人と話しをしていたというわけです。

問題なのは、そのコールセンターのひどい労働条件です。トイレにも気兼ねしていけない。給料が安く、出勤日も指定されるので、月収が10万円にも満たない人がいる。仕事にやりがいがあればまだ我慢できるが、いきなり理不尽にも怒鳴りつけられれば、離職したくなるのは当たり前でしょう。上司もあまりにも人が替わるので名前が覚えられず、ついに、オペレーターを番号で呼ぶそうなのです。これでは、鶏のブロイラー場ではありませんか。

大手企業のほとんどは「人件費が安いから北海道でやらせてるんだ」と開き直っているそうです。これでは、明治以来、「開拓」「殖産」の美名の下、実態は内地による植民地政策と殆ど変わらないのではありませんか。まあ、百年やそこらでは日本人の心性など変わるはずがないのでしょうが。

【昨日の答え】
①なした?(どうしたの?)
②ゴミ投げていいですか?(ゴミ捨てていいですか?)
③バスタッチ(バスターミナル)
④しゃごむ(座る)
⑤(病院で)こわいですか?(辛いですか?)

帯広語

帯広に住んで2年近く経ちました。
来てみて、意外にも日本語が通じるので驚いてしまいました(笑)。
それでも、最初はどうしても分からなかった帯広語があります。
もう慣れてしまいましたが、皆さんはこの中でいくつ分かるでしょうか?
ちなみに、外国語を習得するには、異性の友達を持つことが一番だということを確信しました。
私の場合、おねえちゃんたちでしたが、野人も含まれます。

それでは…。

①なした?
②ゴミ投げていいですか?
③バスタッチ
④しゃごむ
⑤(病院で)こわいですか?

さて、いくつ分かりましたか?
答えは明日…

女優・学者・斉藤とも子さん

女優の斉藤とも子さんが、母親の胎内で被爆した原爆小頭症の家族史をテーマにした修士論文を書いた話を某日、ラジオで聞きました。

名前は、音だけで聞いていたので、「サイトウトモコ」さんと言われても、漢字名が思いつかず、当然、顔を思い出せなかったのですが、後日、新聞に載った記事と写真で、昔よく学園ドラマに出ていた彼女だったということが分かったのです。

彼女は高校を中退していましたが、大検に合格し、三浪の末、38歳で東洋大社会学部に入学したそうです。もう44歳になっていました。新陳代謝の激しい芸能界ですから、若い人は知らないはずです。

彼女が原爆に関心を持ったのは、井上ひさし原作の舞台「父と暮らせば」(宮沢りえ主演で映画化されました)に出演したのがきっかけだったそうです。

偏見かもしれませんが、芸能関係の人がこれほどまで熱心に学問を研究する人は、皆無とは言いませんが、多くはないのではないでしょうか。何度も広島に行き、原爆小頭症の患者の家族を訪ね歩いて、聞き取り調査しながら、「本当は、患者としてそっとしておいて欲しいのではないか。こんなことをして、いいのだろうか」と煩悶したこともあったそうです。

いつか彼女の論文を読んでみたいです。

斉藤さん、あなたは偉い!(小松の親分の口調で)

ミャンマーで得度した日本人僧侶

今日は、ミャンマーで得度した日本人僧侶に会いに行きました。

この人はどういう人で何という名前かは茲では記しません。知る人ぞ知る人で、知らない人は知らないし、必要とする人は神のように崇めるでしょうが、必要としない人は、すれ違っても目に入らないか、素通りしてしまう人です。

その辺は、つまり、自分自身のことは、彼は十分すぎるくらい分かっているようでした。
「私は、よく新興宗教に間違えられます。そりゃあ、私どもの仏教は、まだたった2500年しか経ってませんからね」と、逆説的なことを言えば、
「私は教団を持たなければ、弟子もとりません。寺もなければ、定住する家もありません。私を必要とする人の元へ、世界中を駆け回っているだけなのです」と言います。

ですから、最初の講和の出だしは奇抜でした。神聖な御言葉が聞かれると思ったら、「私はホームレスです」。もちろん、半ばジョークですが…。

昨年末に大被害があったスマトラ沖地震では、世界中から支援物資が届きましたが、その殆どが一番困っている現地の人に行き渡ることがなく、食物は腐り果てていた、と彼は糾弾していました。
物資を運ぶにも、現地の小童役人が小遣い稼ぎに税金を掛けているそうなのです。

私も今回は、ユニセフの募金をしましたが、彼は「東京のユニセフの支部に行ってごらんなさい。建物のあまりにもの立派さに驚くでしょう。そんな支部でも、みんな、天下りの役人が居座っているのです。だから、皆さんが、1000円募金したとしても、何十円しか現地の人に行き届かないのです」と暴きます。

私は彼のことを、世間から隔離して生きて、瞑想に耽ってばかりいる人だと思っていたのですが、なかなかのジャーナリストでした。「最近、子供が親を殺したり、日本では悲惨な事件が多すぎる」と嘆いていました。

私は、彼と個人面談をして、こう言われました。

「私がアドバイスしなくても、もう自分で答えが分かっているじゃないか。自分ではどん底と思える今の境遇でも、本当は一番のチャンスなんだぞ。できないことを無理してやろうとするから悩むんだ。自分の嫌なことをやっているから、自分を生かしきれていないんだ。できることをやっていれば、いい。そうすれば、いいことが、後から木の葉のようについてくる」

この続きはまたいつか。

白樺

新しくC社の一眼レフの高級デジタルカメラを買いました。
今度のカメラは18㍉から200㍉までの望遠付きなので、色んなアングルから撮れるようになりました。

しかし、性能が良すぎて、800万画素の画像が取れてしまうので、1枚が4MBから6MBぐらいになってしまうのです。

このブログには残念ながら、1MBまでの画像しか掲載できません。

誠に残念です。

是非、掲載したいので、gooさん、どうにか改善してください。

チーズ国際会議

公開日時: 2005年6月23日 @ 20:13

今日は一日中、帯広市内で開かれたナチュラルチーズ国際交流会議を傍聴していました。
国際会議といっても、外国からはフランスを中心に欧州7カ国から59人が参加して、日本も関係者が100人くらいですから、本当に小さな会議です。言語はフランス語で、同時通訳者のレベルの高さには恐れ入ってしまいました。

一日中、傍聴していて、さぞかし、すごい話が聞けるだろうと期待していたのですが、残念ながらどれも「自慢話」の域を出ず、あまり、「食指」が動きませんでした。

昨年度の数字ですが、日本では約3万5千トンのナチュラルチーズが生産され、そのうち、帯広・十勝での生産が約60%を占めます。雪印など大手3社があるせいですが、地元のチーズ工房が盛んになったのは1980年代以降ですからそれほど歴史があるわけではありません。それでも、欧州以外でこの会議が開かれたのが、今回、帯広・十勝が初めてだというのですから、関係者の皆さんの努力には敬意を表したいと思います。(第1回大会が1991年開催で、今回は記念すべき第40回大会でした)

ちなみに、日本人は一人年間1・8キロのチーズを消費しますが、フランス人は何と25・9キロも食べます。日本人の実に14・4倍です。

ああ何か今晩はピザが食べたくなりました。

達観した人の意見

「精神世界」や宗教と言うと、抵抗感を持つ方も多いので、あまり使いたくないのですが、要するに「達観」した人の意見というのは妙に一致しているので、「何か共通項があるのではないか」と修行の足りない私なんか考えてしまいます。
「達観した人」とは別に宗教家でなくてもいいのです。倒産を経験した経営者でも、芸能人でも、普通の市民でも誰でもいいのです。有名無名は関係ありません。

例えば、
●人生の問題に正解はない。
だから、自分の選んだ道を進めばいい…。この言葉は、最初、5,6年前に作詞家のA氏が週刊誌での対談で言っていました。また、最近、ある精神世界系の人の著書で同じような文言を発見しました。

●答えは、自らが知っている。
これも、精神世界系のTさんが著書の中で何度も言っていました。それが、先日、精神科医のDさんが、新聞のコラムで次のようなことを書いていたのです。

「(精神科医として)人の話を聞いていると、ほとんどの場合、患者さんは自ら問題点に気づき、答えを見いだしていくことが多い」

どうですか。「達観した人」たちの意見は、大して変わらないでしょう?

ジェーン・グードル博士の逸話から

いい話を聞きました。

チンパンジーの世界的な研究家として知られるジェーン・グードル博士が、まだ研究を始めて間もない頃、アフリカのジャングルの奥深くに分け入って、いくら努力してもチンパンジーを見つけることができませんでした。「声はすれど、姿は見えず」状態が何ヶ月も続きました。

そこで半ば諦めたグードルさんは、ジャングルで不貞寝をする格好で横になってしまったのです。すると、どうでしょう。あれ程追い求めていたチンパンジーの方から好奇心を持って近づいてくるではありませんか。中には大切な食べ物であるドングリを持ってそっと手渡してくれました…。

この話を聞いて、友人の話を思い出しました。彼は新聞記者でしたが、上司と喧嘩をして挙句の果てには、「人が住む所ではない」北海道の激寒地に飛ばされました。そこでは、不慣れな営業マンに「宗旨替え」をさせられました。そこでは、誰一人知る人はいません。地縁、血縁、それに看板もありませんでした。最初はがむしゃらにニュースや本を売り歩きました。しかし、頑張れば頑張るほど空回りして相手は逃げてしまい、契約は1本も取れませんでした。そこで彼は、半ば諦めて、外に出歩くことはやめて、暗い顔をして狭い雨漏りのする事務所で一人、じっとしていました。もう精神的圧迫に耐えられませんでした。

すると、どうでしょう。今まで全く相手にしてくれなかったクライアントの方から徐々に電話が掛かってくるようになり、結局、大きな契約を取ることができたのです。

めでたし、めでたし。