日本人と西洋人の言語獲得の違い

 

 

 

昨晩は、「○○肩」で、腕が上がらないどころか、ひどい激痛と呼吸困難に襲われてしまいました。まあ、年ですね。皆さんも気をつけてください。

こんなブログをやっている暇はないのですが、長年書きたいなあと思っているテーマがあります。「言語獲得における日本と西洋の違い」というものです。

日本語は、同音異義語が沢山あります。例えば、「せいかく」と言っても「正確」「性格」「精確」「政客」…と色々あって、文脈が語法などによって、日本人なら簡単に聞き分けます。ですが、日本語は「音」より「形」の方が意味的に重要だということになります。つまり、日本語は表音文字というより象形文字だということです。

「とものすけ」にしても「朋之介」「友乃助」「共之輔」…と色々書き方があり、こう書き表すことによって全くの別人だということが、目で見て瞬時に判断することができます。

日本語が「音」より「形」を重視するということで、それは日本の伝統芸能に特徴が如実に現れています。つまり「所作」です。様式美を重んじる文楽、能、歌舞伎がそうです。茶の湯や生け花も特に流派として重視します。

武道もそうですね。柔道、剣道、合気道…、スポーツという競技の前に「芸の道」という精神的なものを基本的に重んじます。

翻って、西洋はどうでしょうか。英語にしろフランス語にしろ、「言葉の意味は音の影にすぎない」というどなたか偉い学者さんが唱えたことを思い出します。要するに、「形」、つまり「綴り」にはさして意味がないのです。WhyにしてもWhatにしても、本来、「ホワイ」とか「ホワット」と読めません。「ワフイ」か「ウハット」のはずです。どうしてそうなったのかというと、元々、中世の英語では、ちゃんと「Hwy」「Hwat」とHとWを逆に綴っていたそうなのです。

つまり、英国人は、Hが先だろうと、Wが先だろうと、「形」はどうでもいいのです。「音」さえ、確かならそれでいいのです。

私が敬愛するある英語講師が「ネイティブの上司に、righteousの綴りを聞かれ、答えたら、その上司から、自分は全く違うスペリングだと思っていたよ、と言われ驚いた」といったことを書いていました。その上司は相当なインテリだったからです。このことから、欧米人は、普段大して、「綴り」を意識していない、という仮説が引き出せます。

日本には、以前「綴り方教室」があったくらいですから、「綴り」に関してはかなり神経を使います。第一、漢字という象形文字を使わなければ、「性格」なのか「正確」なのか意味が通じません。

そこで「日本人と西洋人の言語獲得の違い」です。恐らく、西洋人は耳から言葉を覚えるのでしょうね。日本人も確かにそうなのですが、文字の形も覚えなければならないので、目もかなり使うのです。

最初に「年」のことを書きましたが、年のせいか、人の名前がすぐ出てこなくなりました。一生懸命思い出そうとしますが、名前が出てきません。それでいて、その人の顔がはっきり出てくるのです。

これはどういう意味なのでしょうか。顔という形やイメージの記憶は薄れていないということではないでしょうか?欧米人は逆ですね。まず、ライチャスの音は覚えていても、righteousという形やイメージは出てこないはずです。

西洋人は「音」を重視するからこそ、クラシックやジャズやベンチャーズといったインストルメンタルの曲が好きだったり、流行したりする。日本人ではとてもできないような曲を作る…。

そんなことを考えながら、お正月を過していました。この「論文」は完成するかどうか分かりませんが、真似しないでくださいね(笑)。

昨日、近くの「氷川女体神社」に初詣に行って、おみくじを引いたら、何と「大吉」でした!

そこには、こう書かれていました。

「今年は運勢がいい年です。若い頃の苦悩を乗り越えて、自分の思うとおりの運を開くことができるでしょう。これもすべて、親の恩によるものです。親孝行を忘れずにしてください」

驚きです!