楽しい記憶に書き換える

交通事故か何かの後遺症で、一度眠るとその日の記憶がすべて抜け落ちてしまう「高次脳機能障害」と呼ばれる記憶障害を持った大学生(佐藤隆太)が、学生プロレスに情熱を燃やす映画「ガチボーイ」が評判を呼んでいるそうです。

私は、粗筋から言って、当初は「荒唐無稽」に感じたのですが、日本では、約30万人の人が記憶障害で苦しんでおり、実際、競輪選手で、事故に遭って記憶障害となり、身障者競輪選手になった人がいて、「頭の中の記憶は消えても、肉体を酷使したたための筋肉の痛みなどは翌日になっても残っている。だから、この映画を見て、自分と重ねて納得した」と話していました。

プロレスによって自分の体を痛めつけるという話は、決して、現実離れした荒唐無稽の話ではなかったんですね。失礼しました。

ところで、今朝の新聞に面白いことが載っていました。

「お酒で憂さは晴れません」という記事です。東京大学の松木則夫教授(薬品作用学)がラットを使った実験で、その細かい内容は省きますが、「恐怖記憶」を素面(しらふ)のラットと酔ったラットとを比べた結果、酔ったラットの方が強かったそうなのです。

つまり、思い出した恐怖記憶が、アルコールによって強められたと考えられるというのです。

お酒で、余計に憂さが強まってしまうということなんでしょうね!

松木教授の「嫌なことを忘れる奥の手は、記憶がおぼろげなうちに、楽しい記憶で上書きしてしまうこと」というコメントも載っていました。

お酒に頼ってちゃいけないんですね。

過ぎてみれば、思い出は皆、美しく輝くものです。

漫画を映画化した「3丁目の夕日」が大ヒットしました。高度成長期の昭和30年代が舞台です。確かに、今より生きがいを感じられたかもしれませんが、貧乏ゆえ嫌なことも沢山あったはずです。

それでも、楽しい記憶で上書きすれば、すべてが明るくばら色に輝くのです。

私も最近、嫌なことが続いているので、楽しい記憶を呼び起こすことにします。

【箴言】

喜びが喜びを連れて来る

楽しみが楽しみを連れて来る

ついにネットが雑誌を超える!

電通の調べ(20日発表)によると、昨年2007年の日本の広告費で、ネット広告がついに雑誌を抜きました。

これは、大事件です。

インターネット広告は前年比24・4%増の6003億円。

雑誌は、前年比4%減の4585億円。

ちなみに、テレビは0・9%減の1兆9981億円。新聞が5.2%減の9462億円。ラジオが4・2%減の1671億円。

先日、O氏の送別会で、オンラインのビジネス誌に勤めるO君と話す機会があり、聞いて見ると、本当にネットの世界ではすごいことが起きているのですね。これなら、ネット広告が雑誌広告を抜くはずです。

なぜかというと、ネットには紙雑誌やテレビの視聴率のような「あいまいさ」がないというのです。

「オンラインの雑誌」の場合は、読者の個人情報が登録され、性別、住所、氏名、年齢、職業はもちろん、年収、趣味趣向までわかってしまうので、誰がどの記事をどれくらい時間をかけて見ているかすぐわかってしまうというのです。

これは、広告主にとっては有り難い情報です。どにに何を売りたいかについては、その筋をターゲットにして広告を張ればいいからです。

私は、パソコンには全く疎いのですが、グーグルには、誰がそのサイトを見ているのか探知する能力があるのですね。

世界地図が出てきて、まずどこの国で何人見ているかすぐ分かります。これを見て、ビックリしてしまいました。また、どんな検索語を使って、そのサイトに辿り着いたか、順位が付くのです。例えば、何でもいいのですが、私のこのサイトに辿り着く場合、「渓流斎」が1位、「朋之介」が2位、「へんなおじさん」が3位…といった具合です。

O君によると、この機能を逆手にとって、グーグルなどは、「言葉」を売っているというのです。これはどういうことかと言うと、誰でも検索エンジンで最初に出てくる言葉をとりあえず、クリックするものですよね。よって、検索の順番というのは非常に大切なのです。誰も、100番目にある言葉をわざわざ捜して検索したりしません。(研究者なら別ですが)

そこで、検索の1番目に載りたい会社は、グーグルにお金を払って、載せてもらうのです。以前は「消費者金融会社」が数万から数十万円(一日か、1カ月か聞きそびれました)を払っていたそうですが、今ではグレーゾーンの廃止によって、消費者金融も減益となり、代わって、多重債務解消を引き受ける会社の名前の取引が活況を呈しているそうなのです。

私の知っている若い友人も、まず本は読まない。新聞も読まない。テレビもそれほど見ず、ネットにどっぷり浸かって、ニュースも仕事もゲームも音楽も買い物もほとんどパソコンに依存しているというのです。読書は若い時の習慣の産物ですから、恐らく一生、本も新聞も読まないことでしょうね。

明日を担う若者がこうなのですから、これからどんな時代になるのか、おじさんは想像もできません。

子供にはお金がかかりますよ

 

 

このブログは、驚くほど意外な名士の方に読まれているらしく、「読んでいますよ」と時々、声を掛けられたりしまして、顔から火が出るほど恐縮してしまうことがあります。

 

毎日、宮澤賢治ではありませんが「世迷言(よまいごと)」を書いております。ただ、これだけ注目されると、固有名詞を書いてしまうと、その方にご迷惑をお掛けしてしまう事態も発生してしまうこともあり、これが、なかなか、隔靴掻痒の感があります。

一昨日の晩には、来月、名古屋に転勤するOさんの送別会を、池尻大橋の「つくしのこ」で盛大に開かれましたが、やはり、どういう人が集まったのか書きたいのですが、「僕の名前は出さないでくださいね」とおっしゃる方もいて、残念ながら書けないんですよね。15人くらい集まったので、全員と話をすることは無理でした。ただ馬鹿騒ぎをしただけで、Oさんも「私の送別会にかこつけて、ただ飲み会をやりたいだけだったのでしょう」と挨拶していたくらいですが。

「つくしのこ」は、全国の日本酒を取り揃え、その道の通なら知っている隠れ家です。お料理も定評で、ここのママさんが、オレンジページから「料理本」を出版していました。

 

ところで、先日、年長の友人のお嬢さんが、1年間の浪人の末、第一志望の美術大学に合格しました。将来、インテリアデザイナーになりたいそうです。

「おめでとうございます。よかったじゃないですか」と言っても、友人は浮かない顔です。

「うーん、すごいお金がかかるんだよ。年間の学費諸経費が1年目で約212万円も掛かるんだよ。既に、滑り止めの大学にもお金を納めちゃったから、『入学辞退届』を出すけど、入学金の30万円は帰ってこないんだよ。随分高くつく保証金だよね。どうにかならないものかなあ」

 

「まあ、今のご時世、仕方がないんじゃないですか」と私。

 

「そうは言っても、上の娘は薬学部に通っていて、同じくらいかかっているんだよ。まるで、ウオーキング・プアを二人養っているようなものさ。これじゃあ、嫌な会社も辞められないし、離婚もできないなあ…」

 

「それは、言い過ぎでしょう。自分で蒔いた種なんですから、花が咲くまで、大事に育てなければいけませんよ」

 

「うまいこと言うねえ。座布団一枚!」

 

そんな会話をしました。

 

他人事のようですが、子供って、随分お金がかかるんですね。

2・26事件はやはりすごい事件でした


 


今日は、2・26事件の日。昭和11年、1936年のことですから、72年前のことです。70歳代後半以上の方にとっては、つい昨日のような出来事だったでしょう。


 


先日、毎日新聞の岩見隆夫氏のコラム「近聞遠見」に麻生太郎元外務大臣と「2・26事件」の因縁について書かれていました。


 


麻生氏といえば、吉田茂の孫として有名ですが、明治の元勲・大久保利通の次男、牧野伸顕伯爵のひ孫でもあったんですね。私は知りませんでした。


 


牧野伯爵は、湯河原の光風荘で静養中に青年将校・河野陸軍大尉らに襲撃されました。護衛官の皆川巡査が命を張って応戦したおかげで、牧野伯爵一家は、逃げることができ、生き延びることができました。そこには、麻生元外務大臣の母親に当たる伯爵の孫の和子さんもいたのです。もしものことが起きていたら、麻生氏はこの世に存在しなかったわけです。


 


そりゃあ、麻生氏にとっては、2・26事件は他人事ではありませんよね。光風荘の入り口に、麻生氏が揮毫した「史跡 二・二六事件 光風荘 麻生太郎書」という石柱が建っているそうです。


 


先日、この2・26事件を題材にした工藤美代子著「昭和維新の朝」を読んだばかりだったので、私も、何か、非常に興味を持ってこの記事を読みました。


 

「昭和維新の朝」

公開日;2008年2月25日

作家の加藤廣さんが「必読の書」だというので、読み始めたら面白すぎて、途中で何度、落涙したか分かりませんでした。

 

2・26事件を扱った工藤美代子さんの「昭和維新の朝」(日本経済新聞社)です。先日、やっと読了しました。

奇しくも、明日は「2・26事件」です。今からでも遅くはないので、是非この本を読んでみてください。

私は戦後民主主義教育を受けたので、「2・26」イコール「悪」という印象を受けてきました。血迷った青年将校たちの自分勝手な革命ごっこといった程度の認識が大半を占めていました。昭和天皇も彼らを「反乱軍」と決め付け、民間人である北一輝、西田税らも処刑されました。

しかし、なぜゆえに、彼ら青年将校たちが「昭和維新」を敢行しなければならなかったのか。そこまでに至る経緯を無視しては、何も語れません。この本にはそのあたりの経緯が実に事細かく描かれているのです。

正直、私は歌人の斎藤史さんのことは知っていましたが、この本の主人公である斎藤瀏氏のことは知りませんでした。日露戦争で活躍し、昭和3年の「済南事件」で「責任」を取らされて退役予備将校となった軍人で歌人としても名をなした人でした。

歴史というのは、その勝者、敗者から描き方が全く違ってしまうものなのですね。特に、この済南事件は、日本人のある学者でさえ「大した事件ではない」と見てきたような風に書いていますが、当事者である斎藤瀏氏にとっては、軍人として、誠意をもって、国際法の範囲で対処してきたので、忸怩たる思いがあったことでしょう。そのあたりの無念さを工藤さんは見事に代弁しています。

私は、「2・26事件」関係の本は、以前、学術書を読もうとして、あまりにも人物関係の複雑についていけず、途中で挫折した経験があります。(今は大分予備知識も増えたので読めますが)

でも、この、工藤さんの本は人間が、大河小説のように生き生きと描かれ、学術書では「悪人」のように描かれていた栗原安秀などは非常に魅力的に描かれていました。この本で、やっと、青年将校たちの「気持ち」が少しは分かった気がしました。

ロス疑惑の三浦容疑者逮捕

いわゆる「ロス疑惑」の三浦和義容疑者がサイパンで逮捕されましたね。本当に驚いてしまいました。

三浦容疑者の元妻一美さんが銃撃されたのは1981年。もう27年も昔のことです。

週刊文春で「疑惑の銃弾」として連載されたのが、1984年で、その当時の洪水のような報道合戦は今でも忘れませんが、何しろ、もう四半世紀以上昔の話なので、当時のことをよく知る人はもう30代以上なのです。

 

光陰矢のごとしです。

 

何で今さら逮捕されたのか、まだ分かりませんが、どうやら共犯の銃撃犯が逮捕されたか、新しい証拠が見つかったかのようです。日本では最高裁で、無罪判決され、この事件は終わったと思っていましたが、米国には殺人犯には時効がないというのが今回初めて知りました。

三浦容疑者はマスコミに書かれた記事を巡って、500件以上名誉毀損などで告訴しているそうです。

自分は絶対に無実だという自信があるのでしょう。ですから、今回、米国による拘束は、不当逮捕になるのかもしれませんが、真相が究明されれば、亡くなった遺族の皆さんにとっては素晴らしいことだと思います。

姪っ子の結婚式

 

 

 

今日は、私の姪っ子の結婚式が東京・池袋の「自由学園 明日館」で行われ、小生も列席しました。

 

身内のことを言うのも何ですが、素晴らしい結婚式でしたね。私も結婚式には本当に久しぶり、十何年ぶりに参列しました。

挙式は、宗教色がないのです。神前でも仏前でも、教会式でもなく「人前結婚式」と言われるもので、列席者全員の前で結婚の誓約をするのです。こういう結婚式は初めてでした。

仲人も立てていないので、スピーチもたった二人と簡素でしたが、内容が濃く、とても好感の持てるものでした。

ここまで二人は相当な準備を積んできたと察せられました。苦労の跡を伺わせないところがまた素晴らしかったです。

明日館というのは、帝国ホテルも設計した米国の建築家フランク・ロイド・ライトの設計によるもので、国の需要文化財にも指定されているそうです。天井の高いとても渋い歴史的建造物です。

 

池袋という都心にありながら、非常に静かな落ち着いた所で、近くに「婦人の友社」もありました。今、適当に書きますが、確か、明治の文豪・国木田独歩が創立した出版社ではなかったのではないでしょうか。

 

 

 

池袋西口から7分ほどの所にあり、これまた、私の記憶で書きますが、戦前に画家たちが集まって一大芸術村となった「池袋モンパルナス」もこの辺りではなかったのではないでしょうか。

 

戦前は、自由学園の教室として使われたらしく、控え室などは黒板も残っていました。

 

料理もフランス料理で、フォアグラやキャビアもあり、私は二つ星ぐらいあげていいくらいの味でした。

 

これから結婚される方はお奨めです(笑)。

 

真冬だというのに、非常に天候に恵まれてポカポカ陽気でした。二人の日頃の行いがよかったのでしょう。姪っ子の旦那さんも真面目で優秀で誠実そうで、一目見て気に入りました。

 

二人の末永き幸せをお祈り致します。

「ラスト、コーション」の映画評

名匠アン・リー監督の映画「ラスト、コーション」の私の映画評がネットにアップされましたので、もしご興味がある方は覗いてみてください。

この映画については、以前にも少し触れましたが、これは正式(?)なものです。

ちょっと、厳しく書きすぎたので、二水君から「襲撃があるかもしれないぞ」と脅迫(笑)されたのですが、その時は「逃げの(桂)小五郎」で地球の果てまで逃げましょう(笑)。

例によって、記事はスクロールして下の方にあります。

http://www.recordchina.co.jp/group/g15893.html

キューバのカストロ氏の引退は何を意味するのか?


 


 キューバのカストロ氏が19日に国家評議会議長と軍最高司令官の職からの引退を表明しました。


 一昨年から病気療養中だった同氏は81歳。


 1959年のキューバ革命以来、約半世紀にわたって独裁的指導者として君臨してきましたが、ついに城を明け渡すことになったのです。ついにその時が来たのですね。


 しかし、共産党中央委員会第一書記と閣僚評議会議長(首相)の職については、どうするのか言及していなかったので、専門家によると、小平のように院政を引くのではないかという観測があります。


 


 私は2000年6月に、キューバ音楽の「ブエナヴィスタ・ソシャル・クラブ」に憧れて、ハバナに行ったことがありました。驚きました。社会主義とは名ばかりで、ストリートチルドレンが街にあふれ、観光客とみると、物乞いに寄ってきました。黒人(恐らく奴隷の子孫とネイティブ)と白人(スペイン系)との差別が依然として濃厚で、現地で知り合ったカルロス君は黒人で、ハバナ市外からの移動は厳しく取り締まられるというのです。彼は、ヘミングウエイの「老人と海」の舞台になった海岸にまで、案内してくれたのですが、「警察に見つかると捕まる」と言って、タクシーから出てこなかったのです。


ひどく失望したことを覚えています。

 カストロと言えば、とてつもなく大柄な人だそうですね。キューバ革命後、日本人の民間人として割合早くカストロに会ったという元船員の話によると、手が異様に大きく、日本人の小さな手では握っても手が回らず、万力のような力だったというのです。「あれだけ、デカくなければ、革命なんかできないんだなあ」と言うのが、その元船員の感想です。


 

 カストロ氏は、若い頃は一流の野球選手で、米大リーグからもスカウトがあったらしいです。


 「もし、カストロが大リーグに行っていたら、キューバ革命なんか起きなかったのに…」というのが米国人や亡命キューバ人の間で流行っているジョークだそうです。

Renee先生 

昨晩は、Renee Bennet先生を囲んで、銀座の北海道料理店で開かれた合格祝賀会に参加しました。全部で7人も参加しました。

集まった仲間は、先生から英語の面接試験対策でお世話になりました。

 

先生は、都内の高校で9年間、英語を教えていましたが、今年度で辞められて、夏には地元のオーストラリアに帰国するそうです。

 

今もセミプロの写真家として活動していますが、帰国して本格的なプロを目指すそうです。

今時、カラー作品ではない白黒の風景画を専門にしています。白黒の方が芸術性が高い作品が撮れるからだそうです。

もし、ご興味がある方は、以下のウエッブサイトにアクセスしてください。

http://www.senren.org/

語学仲間の皆さんは、修士号や博士号を持っていらしたり、会社の代表をなさっていたりして優秀な方ばかりでした。色々とご教授に預かり、刺激的な方たちばかりです。

皆さん、とても忙しい方々ばかりなので、そうめったに会えないでしょうが、また再会できたらと思っています。