世界経済は結局、哲学の問題 

 何か昨日書いたことで反響を呼んでいるようですね。

 

私はあくまでも「経済音痴」なのですが、自分なりに「どうなっているのか?」と疑問を抱いて答えを求めると、自ずからそういう情報を目にすることになることが分かりました。

例えば、昨日、日本が米ドル債をどれくらい買っているか、経済評論家ならすぐに答えることができるでしょうーと書きましたが、早稲田大学大学院の野口悠紀雄教授が「資本開国論」(ダイヤモンド社)の中で、明らかにしていました。

 

●2007年2月末の日本の外貨準備は9050億ドル。そのうち、7582億ドルが米国債で運用されている。

 

野口教授は、「米国債中心の資産運用は収益率が低いので、株式投資や直接投資を増加させることによって収益率を高めなければならない。なぜなら、日本の対外資産総額506兆円は、GNP(2004年度で506兆円)に匹敵し、運用利回りが数%上がるだけで、GNPの成長率がそれだけ上がることになる」と持論を展開しています。

それでは、日本が米国債から撤退したらどうなるか?

急激なドル安どころか、ドル崩壊になることは間違いないのです。だから、日本は米国債を売りたくても売ることができない。米国債は、アメリカの核の傘にいる日本にとって、安全保障に代わるコストみたいなものだから、という識者もいるのです。

 

お金というか紙幣は、考えてみれば「信用」だけが命で、「信用」だけに支えられているようなものです。信用という幻想が失われれば、忽ち、その信用は失墜ー暴落してしまう。経済の世界ながら、実に文学的、哲学的世界なのではないでしょうか。

 

世界が平和になり、戦争も核兵器もなくなれば、今のアメリカを中心にしたグローバリズムは崩壊することでしょう。怖ろしいですか?でも、日本はもう米国債を買わなくて済みます。その分、福祉や弱者救済に回すことができます。

 

あなたは、私のことを夢想家と言うかもしれません。

でも、私一人だけではありません。

いつか、あなたも私たちと一緒になって、世界が1つになればいいなあと思います。

あ、ジョン・レノンの言葉でした。