この道半世紀以上…


 


 先日乗ったタクシーの運転手さんは、かなり年配だったので、「お仕事はもう何年くらいなさっているのですか?」と尋ねたら、「もう半世紀以上です。昭和十年生まれです」と言うではありませんか。驚いてしまいました。


 


今年73歳ということになります。まだまだ現役で頑張っておられるのです。館野さん(仮名)が、タクシーの運転手になったのは、昭和31年5月からというのです。今年で54年目です。


 「当時は、車は配給制で、ダットサン、今の日産車しかなかったですよ。商用車がほとんどで、自家用車を持っている人は、相当なお金持ちか、芸能人やスポーツ選手くらいでしたからね。道路は空いていましたよ」


 


 館野さんが、惜しいと思うのは、昔の江戸時代から続いていた地名が「行政改革」の名の下で、次々となくなっていったことだそうです。


 


 今の「西新橋1丁目の交差点だって、昔は田村町って言ってたんですからね。あの、忠臣蔵の浅野内匠頭が切腹した田村右京大夫の屋敷があったからです。神谷町辺りも、今、虎ノ門とか言ってるけど、虎ノ門なんて地名じゃなかった。江戸城の門だったんですよ。昔は西久保巴町とか葺出町とか言っていた。今、神谷町駅近くに葺出ビルなんてやっとその名残だけが残っている」


 


 「麻布だって、今の麻布十番とか有栖川宮公園あたりの元麻布だけが、そう言われていただけで、西麻布だのは、後からとって付けた名前です。箪笥町とか言っていた。箪笥職人が住んでいたんでしょうな」


 


 「あたしゃ、浅草の生まれですが、すっかり寂れてしまった。なぜか分かりますか?今のJRAの馬券売り場が建っている所、あすこは弁天池があったんです。池を埋め立てから、寂れたんですよ。人間は、水を求めて集まってくるんです。動物と一緒です。銀座だって、数寄屋橋だの三原橋だの、川があった名残の地名がついているくらいです。新宿の歌舞伎町なんか、最初から水がないところに繁華街を作るから無法地帯みたいになっちまうんです」


 


 館野さんの話は面白かったのですが、目的地に着いてしまいました。


もっと聞きたかったですね。

モノ・マガジン オンライン