「ブラタモリ」に感謝状 第4刷

「変面」の場 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 籾井会長のところの番組「ブラタモリ」が、国土交通省国土地理院から「功労者感謝状」をスタッフに贈られたそうな。

 渓流斎も毎週のように(毎週と書けないのは、しばしば、つまらないスポーツ番組で潰されて見られないことがあるので)、珍しく拝見しております。小生のような歴史好きにはたまらないのですが、確かにこの番組を見ますと、河岸段丘や坂や埋立地など「地理」にも詳しくなり、面白いです。

 現代でこそ、昔の面影さえなくなった場所でも、城跡や道が古代、中世、近世と変わらず残ったりしていて、大変興味深いのです。確かに、「江戸切絵図」と現代の地図を見比べても、ほとんどの道路は変わっていないんですよね。湿地で川社会だった江戸も、明治以降、川はかなり埋め立てられ、水路だった屋上は、今の首都高速が走ったりしていて、本当に勉強になります。

 あの江戸名所の東海道五十三次の「日本橋」の真上に、無粋にも首都高が走ったのは、地権者のいない水路だったので、高速道路を簡単につくれたからだったんですね。

「変面」の場 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 あと、面白かったのは、京都の「嵐山」特集で、ここを切り拓いたのは、渡来人で倭朝廷の重職も務めた新羅系の秦(はた)氏だったことです。嵐山に秦氏の古墳といいますか、地下墳墓がありまして、普段は立ち入り禁止区域ですが、番組のため特別許可で撮影されていました。こういう風に、秦氏の墳墓を実際見てみるだけで、古代は、平安京が遷都するまで、京都は秦氏の土地で葛野(かどの)と呼ばれていたことが証明されたようで、感激してしまいました。

 今の太秦(うずまさ)寺を創建した秦河勝(はたのかわかつ)が、聖徳太子と深い関係にあったことは、以前にも、この渓流斎ブログで書きました。

華やかなフィナーレ Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 国土地理院からの感謝状は、番組スタッフに贈られたようですが、時折、番組の中で写るスタッフを見ると、5,6人じゃすみませんね。カメラマン、音声、ディレクター、AD数人、チーフプロデューサー、AP、編集スタッフらを入れると、50人ぐらいになるんじゃないでしょうか。

 ドキュメンタリータッチで撮っているので、台本もないようにみえますが、実際は、少しはあるに違いなく、タモリの地理や石岩や地層など智識が半端じゃないくらい詳しいのですが、かなり、事前に勉強しているに違いありません。陰の努力を全く見せず、苦労や挫折を全く表に出さないところが、タレントとしてのタモリの凄いところでしょう。

 昨晩は、「伊勢」特集で、私は、何で伊勢神宮が20年置きに「式年遷宮」を行うのか、勉強不足で知らなかったのですが、初めて分かりましたよ。また、江戸時代に何であれほど「お伊勢参り」が盛んになったのかも分かりました。その陰に、宿場も運営し、全国にお伊勢さんの御札を売り歩いて、参拝を勧誘して回った御師(おんし)という存在が欠かせなかったんですね。江戸時代には600軒以上あった御師も、今は、伊勢の山田にたった一軒だけ残っていました。

 もっと詳しく書くと長くなってしまうので、この辺で(笑)。