凄い会社の話 第125刷

桂林の夜いずれも劣らぬ Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 通勤電車の中ではスマホでブログを書いているため、ほとんど読書の時間が取れず、昨日、やっと永栄潔(ながえ・きよし)著「ブンヤ暮らし 三十六年 回想の朝日新聞」(草思社)を読了しました。初版は2015年4月3日になってますから、とっくに話題になって、話題になり尽くして、もうそろ忘れてしまった頃かもしれませんが、私は、昨年はこの世におらず未読でした。でも、実に楽しく、と言ったら怒られるでしょうが、他人事(ひとごと)として面白く拝読させて頂きました。

 どういうわけか、この本の中に登場する何人かの人物とは直接謦咳に接したことがありますから、「ふふん、なるほどねえ」と感心して読みました。

 朝日新聞という一企業内のコップの中の嵐みたいな逸話が満載されておりますが、マスメディアということで、その社会的、そして歴史的影響力は、どのいかなる私企業の中でも甚大で、この会社抜きにはエリート大学入試やエリート企業の入社試験も受けられないか、とにかく森羅万象の世界を語れないか、それほど巨大ですから、社内で働いていらっしゃる方々の中には、ご自分が、世界を、政治を、経済を動かしていると勘違いされているように振る舞っておられる方もおられて、鼻白む思いをすること、再三でした(笑)。

 著者は経済部記者や「週刊朝日」副編などを務められた元新聞記者さんですが、どうも、文章が荒れていて、主語がなかったり、場所が後から書かれていたりして、私が石川啄木のような校正係だったら、ちょっと「てにをは」を直したいぐらいでしたが、それでも、全体の印象を損なうものはありませんでしたから、単なるケチを付けただけです(笑)。

 「ここまで書いてしまって、大丈夫なの?」と読者が恐れてしまうほど、実名や実際の事案がボンボン出てきます。本人は時効だと思っておられるかもしれませんが、書かれた本人の中にはまだ健在の方が沢山おりますからね。

桂林の夜いずれも劣らぬ Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 最初に書きたいことは、著者が、朝日新聞を代表する、いや戦後の日本のジャーナリズムを代表する朝日新聞の主筆まで昇り務めた大変著名で、誰も知らない人はいない若宮啓文氏や船橋洋一氏を、一刀両断で、独善的で強権的でどうしようもない我儘で、我田引水的行為をするフザケタ野郎だった、と弾劾していることでした。

 いいんですかねえ?あそこまで書いて。まあ、私は、このお二人とは住む世界が違うのでお会いしたことはないのですが、署名記事を拝読した限りでは、大変、大所高所から視野の広い高邁な精神を発揮されて、日本の良心を代表されるような方々かと思っておりました。ただ、船橋氏など、写真を拝見すると、ほとんどふんぞり返っていて、俺様より偉い人間がこの世にいるのか!といったオーラを発しているような暴君的性格がチラチラ見えて、著者の永栄さんが書かれているように、本当に嫌な奴なんだろうなあ、と納得させられるものを持った人である、と確信してしまいましたよ。(あくまでも個人の印象です)

 本当は、彼とは別に接点もないし、相手にしたくないほど、どうでもいいんですけど(笑)、どんな会社組織でも、嫌な奴ほど偉くなって昇進するという「渓流斎の法則」は共通して当てはまるものなんですね(笑)。

美女の曲芸 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur
 どうせ、忘れてしまうことでしょうから、備忘録として、面白かったことを乱列してみましょう。

■P178 著者が経済記者時代に、ソニーの盛田昭夫社長宅を「夜回り」した際、良子夫人から「ブンヤ?まあ、失礼な。宅は、お巡りとブンヤは(家の中に)入れません。それが家訓ですので」と言われたので、著者は間髪入れず、「ひょっとして、盛田夫人で…」と聞き返すと、「そうよ。誰だと思ったの?」と言われ、「お手伝いさんかと」と応えた場面。(その後どうなったのか、ご想像つきますよね?明治時代から昭和にかけて、ブンヤは、かっぱらいと犬殺しと同列扱いで、訪問すれば、「裏に回れ」と言われ、嫁の来てはないと言われたそうな)

■P136 著者が富山支局勤務時代、剣岳の遭難事故で救出された青年が、富山空港で救急車に乗せられて搬送される現場を取材。青年の生死を確かめようと救急車内に眼を凝らすと、そこには、涼しい顔で座っていたライバルの毎日新聞のK記者が消防服姿で、なりすましており、視線が合った。心臓が飛び出すほどびっくりした。(記者さんって、こんな変装までするとは、まるで漫画の世界。大いに笑った)

■P203 著者は、夜回りを禁止されていた天下の三菱商事の田部文一郎会長の茅ヶ崎の1000坪もありそうな自宅を、敢えて夜回りする。屈強な男が二匹のシェパードを連れて巡回していた。再三のアポの末、やっとのことで会長に会えて「それにしても会長のお宅は大豪邸ですね。巡回のシェパードは二匹ですか?」と開口一番伺うと、田部会長は「なにい、来たのか。よし、終わりだ。帰れ!出ていけ!すぐ出ていけ!」。(お二人ともお会いしたことはないが、このシーン、映画のように目に浮かぶようで面白い)

■P206 経済部の冨岡隆夫部長に、某商社の新任広報部長がお会いしたいというので、著者が取り次いだところ、冨岡部長は「お前なあ、朝日を舐めとんのと違うか?なんで朝日の経済部長が二流商社の部長に会わんといかんねん!そいつに言うたれ、朝日の経済部長は常務以上やないと会わんのやと」。(なるほど、天下の朝日新聞とはこういう会社か。ちなみに朝日新聞の発祥地は大阪でんやがな)

■P321 小中高の全歴史教科書38冊(当時)の記述を念入りに調べたところ、日露戦争に費やした戦費の対国家予算比は、3年~10年分など13通りあった。福沢諭吉の「学問ノススメ」の販売部数も約70万部から340万部までさまざま。教科書に登場する人物は全部で1358人だが、全ての教科書に登場するのはたった14人だけだった。(へ~、これは凄い話。末代に伝えねば)

 とにかく、「不肖」と「阿Q」を自称する著者の永栄さんは、この本を出版することで、36年間の鬱憤を一気に吐き出したようで、「意趣返し」に大成功したのではないでしょうか?

 こうして、人気ブロガーの渓流斎がフォローするぐらいですからね(爆笑)!