高村薫「空海」を読んで

お肉売ります Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 推理小説の大家高村薫さんが、宗教には無縁だったのに、神戸淡路大震災を体験し、 「空海」(新潮社)に挑戦されたということで、読んでみました。これは、地方新聞に連載されていたものを2015年9月に書籍化したもので、もう少し推理小説家らしい大胆な分析と推理と空想があってもよかったような気がしましたが(偉そうですね)、大変教えられるところが多かったです。

 空海(774~835、享年60or61)の私生活はほとんど分かっていないそうですが、1200年もの大昔の話だからと言って人間の本質は変わることはないので、研究から逃げるわけにはいかないでしょう。

 私自身は、真言宗の信者ではないのですが、空海という偉大な高僧については大変興味があります。とはいっても、空海の難解な著作を読んだこともなく、司馬遼さんの「空海の風景」ぐらいしか読んでいませんが…。

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 空海は、讃岐の国の善通寺に誕生したというのが通説です。父親は地元の豪族佐伯直田公(さえき あたい たぎみ)で、佐伯善通(さえき・よしみち)ではないかという伝承もあります。空海さんの本名が、佐伯善長(よしなが)だったりしたら、凡俗の私のような人間にとって、空海さんだけは神格化があまり相応しい人物に見えないのではないかと、勝手に思っているので親しみが湧きます。

空海が、歴史上にはっきりと現れるは、803年頃に留学僧になるために慌ただしく得度して官度僧になったときです。もう30歳を過ぎていました。それまで、大学に通って、修行していましたが、詳しいことは分かっていないそうです。804年の藤原葛野麻呂大使率いる遣唐使船に乗り込み、漂流の苦難の末、唐の都長安にまで辿りつきます。

 そこで、空海は、インド密教の継承者である青龍寺の恵果から、「胎蔵界」と「金剛界」の両部密教の灌頂を受けた上、「阿闍梨」位の灌頂まで受けます。つまり、数多の世界各国から来た留学僧と地元の優秀な唐の弟子僧の中から選ばれて、密教の唯一正統の継承者としての地位を獲得します。恵果にとって、空海は初対面の異国の僧にも関わらず、「あなたが来ることを知り、長い間待っていた。お会いできて大変うれしい」と語ったそうです。

 高村さんは、「運命」と書かれていますが、最新科学が発達した21世紀の現代でも証明できない奇跡なのでしょうね。

 とにかく、空海はあまりにも天才過ぎて、彼以外、真言密教の神髄を会得できず、弟子にまで継承できなかったことが、その後のこの宗教展開に影響受けていく様が、この本には分かりやすく書かれています。

 538年(という説が最有力ですが)、日本に仏教が取り入れられて、「鎮護国家」の思想の根っ子となりましたが、あくまでも律令制度の頂点に君臨する皇族、貴族、豪族のための宗教であって、一般衆生までには行き届きませんでした。

 仏教も、念仏口称さえすれば、阿弥陀様のいらっしゃる浄土世界に行ける、と庶民にも分かりやすく説いたのが法然房源空であり、このほか、親鸞、栄西、道元、日蓮、一遍らいわゆる鎌倉新仏教の開祖と呼ばれる高僧はすべて、空海真言宗の高野山ではなく、最澄天台宗の比叡山で修行して、自己の宗教を確立しています。

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 私は不勉強で知らなかったのですが、916年、高野山の座主無空が、空海が唐で書写した経文などを集めた「三十帖冊子」を京都の東寺(教王護国寺)長者の観賢(かんげん)から返還を再三再四、求められたにも関わらず、この冊子と宝物を持ち出して弟子たちと奔放してしまいます。つまり、高野山は、空海入滅後、わずか80年で無人になって荒廃してしまうのです。

 真言宗がその後、日本全土に普及するのは、難解な真言密教を通してではなく、空海を「弘法大師」としていわゆる偶像化して平易な現世利益を広めた多くの無名の「高野聖」なしには語れない、という説には大いに納得してしまいました。

 天台宗の開祖最澄と、真言宗の開祖空海はともに唐留学僧のライバルで、最澄は途中で、密教を修得することなく帰国したため、密教を空海に教えを請いますが、空海は拒んだようですね。

 最澄も空海も、朝廷に取り入れられるように奔走し、最澄は延暦寺を、空海は東寺(教王護国寺)を朝廷から下賜され、両者は「鎮護国家」のために、加持祈祷や邪気払いや病気平癒など超人的霊能力で神秘的な宗教行事を皇族、貴族らに、下賜を受けた見返りで授けたことでしょう。

 当時、数多いた無名の留学僧に過ぎなかった最澄も空海も、朝廷に対して手紙攻勢などで何とか取り入れられようと工作した、と書けば、陰謀臭いので、工夫をしたのではないか?-このように書けば、あまりにも無智な推論で冒涜だ、と宗教者からの反論があるかもしれませんね…。

 空海は、本当に謎に満ちた人で、1000年経とうが、2000年経とうが、1万年経とうが、理解することは難しいでしょう。空前絶後の大、大、天才で、誰にもできない霊的体験を言語化したことは確かです。

 大衆には「弘法大師」として親しみを持って愛され、日本中至る所に大師の足跡伝説がありますが、これらはあくまでも伝説で、空海本人が訪れた所は限られているというのが、著者の説ですが、私もそう思います。

 ただ、弘法大師の諡号(しごう)がおくられたのは、最澄や円仁らと比べてもかなり遅く、実に死後87年目のことで、著者の高村さんは「意外なことに、空海の名声は比較的早い時期に一時下火になってしまったと考える」とまで書いております。

 この大師号というのも不思議で、大師といえば、日本人なら誰でも知っているのがこの「弘法大師」ですが、空海はこの弘法大師、一つしかおくられていません。以前にも書きましたが法然房源空は、円光大師をはじめ、今上天皇による法爾大師に至るまで8回もおくられてるのです。

 その一方で、臨済宗開祖の栄西は、開祖者として唯一と言っていいぐらい、大師号をおくられていないようです。(国師はおくられております)道元、日蓮、一遍らは言わずもがなで、黄檗宗の隠元も1972年に華光大師の号がおくられています。

相国寺と伊藤若冲

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  こんにちは 京洛先生です。
  姓は京洛、名は先生。お久しゅうございまする。

  関東、お江戸も、ようやく梅雨明けだそうですが、洛中は一足先に梅雨明け宣言しております。今日も昼間は、ムッとくる、盆地特有の蒸し暑さで閉口していました。

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 そんな中、ある重大な使命を帯びまして、地元の区役所まで出かけてきました。
 同区役所周辺は、その昔、足利尊氏が室町幕府(花の御所)を開いたその跡地周辺に当たります。今は、この一角に同志社大学のキャンパスが占めています。
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 また、三代将軍足利義満が開基のご存知、京都五山の一つ「相国寺」(萬年山相國承天禅寺(まんねんざん しょうこくじょうてんぜんじ)もすぐそばにあります。
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 そう言えば、皆衆は、以前、お江戸は南青山の相国寺東京別院で高名なる有馬頼底老師に参禅されましたね。

 そこで、今日は区役所の帰途、ぶらりと相国寺に立ち寄ってみることにしました。ちょうど、山門を入った放生池にはこのように綺麗な蓮の花が咲いていまして、後先も何も考えることなく、無謀ながら、浴衣の裾をたくし上げて、パチパチと写真を撮ってきて参りました。

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 また、相国寺に付属する「承天閣美術館」では、今や飛ぶ鳥を落とす勢いの「伊藤若冲展」(12月4日まで開催)が開かれていて、これものぞいてきました。若冲の作品は相国寺にも多く所蔵されていますが、実は、境内には若冲のお墓もあります。

 展覧会は、残念ながら撮影禁止なのでご覧いただけませんが、「月夜芭蕉」を描いた鹿苑寺の旧大書院障壁画には圧倒されましたね。モノクロのはずが、月夜に色がついているように見えます。

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 えっ?何で、伊藤若冲のお墓が相国寺にあるのですかって?

 カッ、カッ、カッ(笑)、若冲さんみたいな有名人になりますと、いろんなところに墓地があるものなのですよ。

 「承天閣美術館」は冷房がよくきいていて絨毯も厚く、おまけに人が少なくて極楽でした。

 今度、皆衆が上洛の際は、ご案内進ぜましょう。

ポケモンGOの神髄

Notre Dame de Paris

相模原市で、戦後最悪の大量殺戮事件があったというのにマスコミの報道は腰が引けています。

遥々、京都にお住まいの京洛先生から電話がありまして、「何で大手マスコミは報道しないんですかね? 国有放送会長の命令に従って、お上の言うことだけ書けばいいってなもんじゃありませんよ。ゲリラであるはずの週刊誌も、結局のところ、エスタブリッシュメントですから、異質な者が出てきようとすると、選挙妨害だろうが何だろうと排除する。唯一頑張っているのは、『日刊ゲンダイ』ぐらいですよ。あそこだけは、きちんと報道してます」と、長時間憤慨されておりました。

そこで、最近、スマホとコンビニの台頭のおかげで、すっかり販売部数が落ちてしまった日刊ゲンダイを買って読んでみました。昔は、帰りの電車に乗れば周囲に数人夕刊紙を読んでいる人がいたものですが、私のほかに誰もいませんでした。皆んなポケモンGOをやってます(笑)。

確かに、日刊ゲンダイだけ、犯人の出身大学や両親の職業まで書いてますね。大手メディアが報じないのは、何か理由があるんでしょうね、きっと。オサエとかガサイレとかウラトリとか色んな方策で。

◇ポケモンGOは悪魔の囁き?

さて、また、そのポケモンGOの話ですが、7月から異動になった職場の隣席のおじさまが、何と、年甲斐もなく(笑)、このポケモンGOに大夢中で、今やセミプロ並みです(笑)。

私自身、このゲームのやり方や楽しみ方がサッパリ分かりませんでしたが、このおじさまの教えで、その神髄(笑)が分かりました。やはり、ゲームにはチュートリアルが必要です。

このおじさまは、20年前にポケモンの任天堂ゲームが流行した時に、お子さんと一緒に取り組んでいたので、私と違って全くプリオキュペーションがありません!それに、好奇心もまだまだ旺盛なので、かなりのステップに到達していました。

彼曰く、ポケモンGOとは、昔流行った「たまごっち」みたいなもんだというのです。このゲームも、卵を孵化してモンスターを育てたり、「養分」を与えてモンスターを強くして、戦って、さらに飛躍できたりするのです。

つまり、「少年ジャンプ」か何かの漫画雑誌の「勇気」「友情」「冒険」だったか、それみたいな趣旨のテーマがいっぱい詰まっているので、子供たちが夢中になるわけです。

その一方で、おじさん、おばさん連中が、ハマるのは、「ダイエット」になるからです。モンスターを探したり、強くなる武器を手に入れるためには、そのようなスポットに行かなければなりません。そして、このポケモンGOには、歩くキロ数が設定でき、その分歩くと、ご褒美が貰えるシステムになっているようなのです。

そこまで到達できれば、もうセミプロ級です。なるほど、これなら、老若男女が嵌るはずです。私もカラクリを見破り、上機嫌ですよ(笑)。

付け加えますと、危険な「歩きスマホ』でポケモンGOをする輩は、全くのトーシローさんだけです。セミプロなら、歩いている時は、スマホは垂直に下に向けて、画面は見ません。モンスターが現れたりすると、バイブレーションで震えるので、安全な所に身を寄せて、立ち止まってモンスターを退治すればいいのです。(ただし、電池の消耗が激しいですよ。)

でも、日本人はせっかちですから、「歩きスマホ」も、「ながら運転」もなくならないでしょうね。自分自身と他人様が痛い目に遭わない限り!

私もそのうち熱りが醒めるでしょうからやめますよ。何しろ、ポケモンGOを始めたのも、このブログのネタづくりのため(偉い!)でしたから(笑)。

ポケモンGO論争

銀座「歓」のランチいわしたたき丼1000円、えらあえ時間掛かっとったけんど、うめえかつた

昨日の朝は、出勤途中、乗ってる電車が人身事故に遭遇してしまい、1時間近く車内に閉じ込められてしまいました。

冷房も止められて、車掌さんから「窓を開けて下さい」とアナウンスがありました。

これだけ狭い空間に超満員で身動きできず、長く閉じ込められますと、閉所恐怖症といいますか、エコノミー症候群みたいな感じで、気分が悪くなってしまいました。

理由が何にせよ、事故を起こして一般市民に迷惑を掛けた加害者は、普通の精神状態ではなかったのでしょう。同情とまではいきませんが、もしかしたら、そのhe or she は、生真面目な人だったのかなあ、と想像したりしました。

人生をあまり生真面目に考え過ぎても、どうにもならないことはどうにもならないので、クダラナイことにでも現を抜かしていれば、あっという間に時間が過ぎて、70歳、80歳になりますから、心配することはありませんよ、とその人には声をかけたいぐらいでした。

今、世界中でスマホゲーム「ポケモンGO」が大ブームのようです。よく知らないのに偉そうに書きますが、ポケモンはもともと日本のオリジナルで、任天堂がゲームにして20年ほど前に世界中で大ヒットしたそうですが、今回のスマホゲームを開発した会社はアメリカの会社で、ポケモンの原作者や任天堂に入ってくる著作権は3割から4割程度と聞きます。(そのせいで、急上昇した任天堂の株も下落しました)

要するに6割ぐらいの収益が、ガッポガッポとアメリカの会社に流れていくそうなのです。上手くできてますねえ…。

そして、この「ポケモンGO」を巡って、著名人が大論争を展開しています。

火を付けたのは有名漫画家さんで「ポケモンGOなんかやると馬鹿になる。やってる奴は軽蔑しますね」と発言。確かにまともな尤もな意見です。

これに対して、著名漫画家と同棲して、自分がフリーメーソンの会員であることを公表している世界的に有名な整形外科医は「そんな目くじらを立てなくてもいい。楽しめばいい。軽蔑することもないんじゃないの?」と反論しております。

お二人は、還暦前後の御老人の皆様です。このように、「ポケモンGO」は今、若い人だけでなく、高齢者の間でも話題沸騰です。私も電車の中の隣席で「ポケモンGO」をやっている60代半ばとおぼしき老婆(失礼!)を発見しました(笑)。

ということで、自称「素敵なおじさま」の私も、仕方なく(何でぇ~?)「ポケモンGO」をやってます。(電車内や歩きながらはやりません!)自宅のある田舎では、それほど何とかスポットは見当たらなかったのに、職場のある天下の帝都銀座は、世界的な観光地のせいか、スポットだらけです。

ネット上には、もう早くも「ポケモンGO」攻略法の指南が溢れていて、私のようなド素人までもが知っている「ピカチュウ」の確保の仕方まで載っていました。

私は、もう既に、その最初の3匹のモンスターを確保してしまったので、もうピカチュウ獲得は、当分無理です。

「早く言ってよ~!」てな感じです(笑)。

日本人は劣化して馬鹿になったと言われます。こんなスマホゲームばかり歩きながらやっていては、そりゃそうなりますよ。誤解を恐れずに言えば、ポケモンGOに熱中して、テレビでアホなお笑い番組ばかり見続けてさえいれば、せめて時間的に、他人様に迷惑を掛けるような事件事故を起こすような考えにまで及ばなくて済むということだけかもしれません。

こんなこと書くと炎上するかな?

でも、今日は珍しく電車は順調に動いています。

恥を知らない

帝都日比谷公園

「戦後最悪」の大量殺人事件が、神奈川県相模原市の障害者施設で起きました。
亡くなられた被害者は19人以上で、まだかなりの方が、重体のようです。

抵抗ができない弱者を無差別に殺害するとは、26歳の犯人の動機が分からないとはいえ、全く理解できませんね。重罰を受けてほしいですが、弁護士は、心神耗弱だのかんのと言って減刑を求めることでせう。遺族としては、たまったものじゃありません。

何しろ、犯人は、事前に大島理森衆院議長に、大量殺人を予告する自筆の犯行声明をわざわざ手渡しに永田町まで行ったそうじゃありませんか。

犯行現場は、今年2月まで犯人が勤務していた施設で、本人は、施設内で何か揉め事を起こしたとかで、退職前後に大麻を吸引していたことも発覚しています。

これから、どんどん事実が明らかになっていくでしょうが、両親は教師で、その両親が異様にも一戸建ての住宅から出てしまったという報道もありました。無職の犯人は、一人住まいで高級自動車を乗り回していたようですが、生活費の原資は何処からきたのか不思議です。

えっ?また、人身事故?

今年で何回目の遭遇だろう?

あと、一時間動かない?

困るしかないすね。(電車内で書いているため)

【映画コラム】「トランボ」

カルガモかも

【映画コラム】
赤狩り旋風時代の米映画界の内幕を描く
=「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」=

◇赤狩りって何?

「レッド・パージ? マッカーシズム? 何ですか、それ?」―。東京・南青山のしゃれたカフェバーで、若い女性らと飲んでいた際、たまたま映画「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」の話になり、筆者が「赤狩り旋風」の話をしたところ、そう聞かれて、逆に驚いてしまった。

その女性は、英会話がネイティブ並みで、ある国際機関に勤めるキャリアウーマン。そんなインテリ女性が、レッド・パージもマッカーシズムも知らないとは…、思わず耳を疑ってしまったわけだ。

言うまでもなく、レッド・パージとは、第2次世界大戦で戦勝国となった米国とソ連が覇権争いを巡って「東西冷戦」状態となり、その米ソ二大国による代理戦争とも言うべき朝鮮戦争を控えた1940年代後半に、米国で、ソ連に通じているという疑惑のあった共産党員らを公職から追放した運動を指す。GHQ(連合国総司令部)による占領下にあった日本も例外ではなく、レッド・パージ=赤狩り旋風が、政財官の広範囲で巻き起こった。

マッカーシズムとは、米国で赤狩り運動の先頭に立ったマッカーシー上院議員から来ていることも言うまでもないだろう。

◇「ローマの休日」の原案者

映画「トランボ」は、その赤狩り旋風の最中に起きたハリウッド映画界の内幕を描いた作品だ。非米活動委員会によって告発された映画人の中で、最も有名な人物は、監督兼俳優兼脚本家兼音楽家でもあったチャールズ・チャップリンかもしれないが、この映画の主人公ダルトン・トランボ(ブライアン・クランストン)は、ハリウッドで最初に告発されてブラックリストに掲載された「ハリウッド・テン」と呼ばれる10人のうちの1人だ。日本ではあまり有名ではないが、オードリー・ヘップバーンを世界的に有名にした出世作「ローマの休日」の原案者だと言えば、その大物ぶりは分かるかもしれない。

トランボは、議会での証言を拒否したため議会侮辱罪で投獄され、出獄後も仲間からの裏切りなどで映画界から追放されるが、生活のために偽名、変名を使って、大量の脚本を量産する。この中で、友人の脚本家イアン・マクレラン・ハンター名で書いたのが「ローマの休日」(53年)であり、ロバート・リッチの偽名で書いたのが「黒い牡牛」(56年)であり、両作は何と、米アカデミー賞原案賞まで受賞してしまう。

その間、トランボは生活のために、内容は二の次のB級映画専門の独立プロのボス、フランク・キング(ジョン・グッドマン)と契約し、バスタブに漬かりながら、酒と煙草で原稿を量産する姿が痛ましい。思春期の子供を抱える家庭内不和や、赤狩り追放に命を懸けているコラムニストのヘッダ・ホッパー(ヘレン・ミレン)や、米国を代表するハリウッドの大スタージョン・ウエインらとの確執にも悩まされるが、作品全体が告発調になっていないところがいい。

◇名作「ジョニーは戦場に行った」も

監督は、コメディー「オースティン・パワーズ」シリーズで知られるジェイ・ローチ。酷い獄中生活や信頼していた俳優からの裏切りなども描かれるが、史実を淡々と描写し、わざとらしくなく、重々しくないところが、かえって見どころになっている。

その後、トランボは、俳優カーク・ダクラスらからの要請で、ローマ帝国時代の奴隷剣闘士を描いた「スパルタカス」(60年)を実名で発表して、映画界復帰を果たす。実は、「ローマの休日」の原題の「Roman Holiday」は、ローマ帝国の貴族たちが、休日に剣闘士らの殺し合いを見て楽しんだことから、「人の犠牲の上で味わう楽しみ」というのが本来の意味だが、トランボが「スパルタカス」で、名誉回復するとは、偶然の一致にしては出来過ぎた話かもしれない。

その後、トランボは76年に70歳で亡くなるまで、仕事を続けるが、晩年の作品として1本挙げるとしたら「ジョニーは戦場に行った」(71年)だろう。この作品は、第一次大戦で手足を失う重傷を受けた志願兵ジョニーを描いた名作で、トランボが39年、33歳の時に書いた「ジョニーは銃を取った」が原作。第2次大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争と戦争が起きるたびに「反戦作品」だとの脅迫を受けて絶版になったという。トランボ65歳にして自らメガホンを取って映画化したこの作品は、カンヌ国際映画祭特別審査員特別グランプリなどを受賞するが、その事実を後から知った筆者も驚いたものだ。

映画の中で、赤狩りに遭う前のトランボの大邸宅の敷地内に湖があり、馬も飼う優雅なブルジョア生活が描かれる半面、平等に賃金が分配されない労働者たちへのトランボの憤り、同情心、社会への不満なども描かれる。かなり矛盾している。

とはいえ、名作「ジョニーは戦場に行った」を世に送り出した背景には、こうした常に権力に屈せず、弱者に対する温かい目を失わないトランボの信念があったことを、この映画で教えられた。(了)

都知事選とポケモン

Hibiyha

来る都知事選は、権力ポストを得るためには、いかなる女の武器を使いかねないと噂されていたあのいやあなおばあさまが当選するとかで、非都民としては、どうせ選挙権がないので、野次馬になるしかありません(笑)。

今回の都知事選には、過去最多の21人が立候補しているそうですね。かつて、元米国紙記者を売り物にして、毎日メディアに登場して、ブイブイ言わせていたおじさんも、すっかり陰に隠れてしまいました。

朝ラジオをつけると、都知事選立候補者の演説をやっているので、朝の仕度をしながら聴いていても、これまた面白いです。

まず、立候補者の顔が見えないし、名前を連呼されても、どうせ泡沫ですから、すぐシャボン玉のように消えてしまうので、誰も覚えようともしない(笑)。

となると、当然、演説も過激になります。よくぞ、国有放送局の電波に乗ったものだと感心する人も出ていました。

その人は、「NHKをどげんかせんといかん」とか何とか言った党総裁で、元NHK職員。その人によると、薬物疑惑、電車内痴漢、金品横領、協会内不倫と最近のNHK職員による事件が多発しているので、NHKをぶっ潰すことを公約に掲げていたのです。何と言っても、NHKの正規職員は、な、な、何と、平均1800万円もの年収があるとか。

これが、都政と何の関係があるのか、私にはよく分かりませんが、出処は、他人様の税金、じゃなかった、視聴料金ですから、貰い過ぎですよね?

もう一人は、元英国放送局の職員だったとかという人で、公約は、横田飛行場の都への返還。

横田飛行場は現在、戦勝国米軍の管理下にありますが、広さは東京ドーム158個分だそうで、新宿からわずか30分という近さだそうです。「観光立国」を目指す日本にとって、今の羽田、成田の二つでは足りず、第三の国際飛行場が必要だと主張しておりました。東京より人口が半分のニューヨークでさえ、既に国際飛行場が三つあるというのです。

その40代前半の方は、自分は、反米ではなく、脱米。中国が覇権大国として台頭してきた今、米国一辺倒では危ない、といったような政治的信条も開陳してました。

失礼ながら、何処の大手メディアも泡沫候補の主張には触れないでしょうから、渓流斎ブログは、敢えて火中の栗を拾ってみました。

◇ポケモンは、監視社会の産物か?

昨年大変お世話になった片岡様のお陰で、知的?好奇心も復活しまして、素敵なおじさまは、今世間で大評判のポケモンとやらをスマホにダウンロードして、挑戦してみました。

そしたら、大手メディアが報じる「事実」と、私個人が体験した「事実」が、如何に乖離しているか、まざまざと見せつけられました。

まず、私は、ど田舎に住んでおりますが、わざわざ、観光スポットや都会や聖地とやらに出掛けなくても、モンスターはあちこちに出現します。私の自宅にもいましたよ(笑)。

ですから、歩きスマホなんかしなくても、居ながらにして、モンスターを捕まえることができました。

それより、実に驚愕したことは、地元に住んでいる人でもほとんど知られていない寂れた無名の神社や祠までが、得点ポイントの拠点となって、写真入りで出てきたことです!

えっ?何これ?有名な観光スポットなら分かりますよ?それが、こんな田舎の誰も知られていない何でもない所まで、写真付きで網の目のようにカバーされているとは…?!

もう世界中何処に行っても逃げられない。ジョージ・オーウェルのような監視社会が既に蔓延ってしまっていたという現実に、あたしは衝撃を受けたわけですよ。

怖い社会になったもんです。

「トランボ」は★★★★★ ダイアン・レインは良かった

哈爾濱の朝食はトウモロコシと牛乳 Copyright par Admiral Matsuocha

7月17日付の渓流斎ブログ「『父・伊藤律』と映画『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』」でも少し触れましたが、その話題の映画「トランボ」を観てきました。

いやあ、なかなか良かったです。最後の方で、こちらは少しウルルと来てしまっているのに、出口付近で、「ぴあ」と称する人たちに囲まれて、「『トランボ』の感想を聞いています!」と迫ってくるではありませんか。

私は、帽子を深く被って一人で感動に浸っていましたので、すぐにその場から逃れたかったのですが、「せめて、点数だけでも」と、まるで、テレビリポーター(死語)のように縋ってくるので、「ひ、ひ、ひゃくてんです」と答えておきました(笑)。

 中国最北観光地五大連池 アヒルも元気な朝 Copyright par Admiral Matsuocha

まあ、それだけ、いい映画だったということです。

私が「手引き」として信頼している日本経済新聞金曜日夕刊最終面の映画評欄では、「トランボ」は星が四つでしたので、「そこまで名作じゃないのかな?」とあまり期待しないで観たのですが、逆に、期待しなかったおかげで、なかなか感動的な映画でした。

同じ時間帯に近現代史関係のセミナーが、中野であったので、どちらに行こうか、悩むほど迷ったのですが、結局映画にしたのが正解でした。

映画館はまた、私の大嫌いな狭過ぎる東京・日比谷のシャンテシネマズでしかやっておらず、仕方がないので、また、ネットでチケットで予約しようとしたところ「残席わずか」と表示されていたので、大慌てで、購入して行きました。映画館に着くとやはり、長蛇の列で、満員御礼でした。
ロバは良き友 Copyright par Admiral Matsuocha

素晴らしい映画だったので、内容や感想や批評めいたことは、他で書くことにしました。ボツになったら、という条件で、いつか渓流斎ブログに掲載しませう(笑)。

ですから、他では書けないことを一つだけ、ここに書くことにします。

1940年代後半からの赤狩り旋風で、ハリウッドから追放された実在の映画関係者を描いた作品です。

主人公は、「ローマの休日」を匿名で脚本を執筆して、アカデミー賞原案賞を受賞するダルトン・トランボ(ブライアン・クランストン)です。

このトランボを陰日向で支える奥さんクレオ役の女優さん、「何処かで見たことあるなあ。いい女優さんだなあ」と思いましたが、名前が思い出せません。

そこで、後で、帰りの電車の中で、スマホで映画のHPを見て調べたところ、何とダイアン・レインだったのですね。私はかつて、横浜で、今村君と観たコッポラ監督の「コットン・クラブ」で、18~19歳の彼女が主演していたことを鮮明に覚えています。若い頃の彼女は、日本でも大人気で、何本かCMに引っ張りだこでした。

でも、そのことは置いといて、最近読んだ「日活不良監督伝 だんびら一代 藤浦敦」(洋泉社)の最初の方に、このダイアン・レインが出てくるのです。彼女は、コメントにも頂いた”伴野朗監督作品”映画「落陽」の主演女優だったのです。

「不良監督」といいますか、この映画の総合プロデューサーだった藤浦敦さんは、「落陽」に主演したダイアン・レインのエージェントに100万ドル支払ったのに、ダイアン個人に直接聞いたら、ギャラは35万ドル(当時のレートで5000万円)しかなかったことを暴露していたのです。これで、エージェントが65%も手数料と称して抜く映画界の実態が分かりますねえ。

この話を読んでいたので、トランボの奥さんクレオ役がダイアン・レインだと分かって、何という「偶然の一致」だと思いました。もっとも、本当は、そんなものは存在せず、全て「必然」なのだと確信していますが。

「トランボ」に出演したダイアン・レインはこの時、50歳。とても、いい年の取り方をしていると思いました。「落陽」に主演した後の彼女の人生は知る由もありませんし、あまりそこまで興味もありませんが、映画界の荒波にもまれて、内面で知性と教養を磨いたという感じでした。

ポケモンとは何者だ?

奥会津 parめんくい村赤羽彦作村長

昨日から、我らが日本國でも、「ポケモンGO」なるもののスマホでの配信が解禁されて、大騒ぎです。

わしらは、「素敵なおじさま」世代なので、ポケモンなるものが何者なのかさっぱり分かりません。正確には、分かろうとしないのかもしれませぬ(笑)。

20年ほど昔に、社員番号第一号様の電気紙芝居局で、ピカチューとかの光線が、見ている子どもさんたちに悪影響を与えるとか何とかで、これまた大騒ぎしたことがあり、ポケモンとは、そのピカチューのことでせうか?

まあ、こんな◯◯なことを言っていては、誰にも相手にされないでせうが、ま、い、か、って感じです。

それに、あちしは、全く、電子ゲームなるものは、やりませんからね。

何で今、大人たちまで、大騒ぎしているかといいますと、早めに解禁した米国では、軍事機密や原発関係などの立ち入り禁止区域に、モンスター探しで彷徨く輩がいて、大問題になったとか、歩きスマホで、車に轢かれそうになったとかいう事案が続出したからです。

昨日解禁された我が日本國でも、早速、歩きスマホや、地震で崩れ落ちて立ち入り禁止区域に指定された熊本城に入り込んだりした輩がいたらしく、ネタ探しで齷齪しているメディアに情報を提供しているようなもんでした。

私も、知ったかぶりばかりするのも嫌なので、昨晩、そのポケモンとやらのアプリをダウンロードしようかと思いましたら、変なニュースを聞いて保留しております。

その悪いニュースとは、「位置情報」を使って、ポケモンのアプリをダウンロードした人間の自宅や本名や学校まで分かるらしく、それをネットに掲示して、晒されているというのです。それが、匿名を使っても、何でもすぐバレてしまうそうです。

ほんまかいな、です。

ちゅうことで、私もまだ生きているうちに晒し者になりたくありませんから、保留しているわけです。

でも、このブログのために(笑)、挑戦してみようかしら?

若き永六輔

Italie

先日亡くなった大橋巨泉の奥さんは、彼の盟友だった永六輔が亡くなったことを、「ショックが大きすぎる」ということで、知らせなかったそうですね。

お互い、テレビの草創期に放送作家として鎬を削った仲でした。

その永六輔さんは晩年は、人格者として崇められておりましたが、若い頃はかなり傲岸不遜だったようです。そりゃそうでしょう。「上を向いて歩こう」「明日がある」「こんにちは赤ちゃん」等々、大ヒットした作詞家として飛ぶ鳥を落とす勢いです。印税でがっぽり桁違いのお金が入ってきて生活に全く困らないので若い頃は、我が儘言いたい放題だったのかもしれません。

その永六輔さんが若き頃、日活撮影所に行って、夜中の三時まで、ああだ、こうだ、と指図をしまくったそうです。当然、あいつは何様だ。生意気な奴だとスタッフの反感を買い、永さんが一服するために、外に出た瞬間、何者かに暗幕を頭から被せられて、殴る蹴るの暴行でボコボコにされたそうです。

結局、犯人は、分からず仕舞い。永さんも警察に被害届けを出したかどうか分かりません。そんな武勇伝があったこと事態、闇から闇に葬られてしまうものですが、元日活の映画監督藤浦敦さんは「だんびら一代」の中でしっかり、証言しているのですからですね。

この本にはエピソードが満載です。藤浦敦さんの祖父周吉が一代で東京中央青果を興して、東京市中の台所の野菜果物の源流、根っ子である卸売業界を牛耳って巨万の富を築いたことは、以前、この渓流斎ブログにも書きました。

金がある所は、匂いで分かるんでしょうね。遥々異国から、せびり、いや間違い、支援を求める外国人もいました。中国革命の父孫文もその一人です。

周吉の息子富太郎も表に出ないようにしたので、無名でしたが、政財界官界学界それでええん界にまで莫大な支援をします。いちいち個人名は挙げませんが、右翼暴力団関係は勿論、左翼は共産党までポンとお金を出していたことを、富太郎の息子である藤浦敦さんは暴露しています。

日本共産党の某幹部が自宅に来て、「赤旗まつり」のチケットを富太郎にまとめ買いしてもらって嬉々としている姿を藤浦敦さんは、この本の中で活写してました。

一番驚いたのは、日活の株式の40%も藤浦家が握っていたということです。ですから、伴野朗原作監督作品の「落陽」の興行面で25億円の赤字を出しても「俺の金を自分で使って何が悪い?」と開き直っていられるのです。

日活倒産の原因を「落陽」興行の失敗として押し付けられた藤浦敦さんは「『落陽』の損失など全体の10%程度。ゴルフ場やホテルなど本業以外の経営多角化が倒産の原因だ」と、理路整然と説明するのです。

私が少年の頃、映画の世界で、誰が一番偉いのか、と不思議に思っていました。莫大なギャラが貰える主演俳優かな、と思っていたら、もう30も過ぎた頃に「渓流斎くんは甘いね。『黒澤明監督作品』というぐらいだから、監督が一番偉いんだよ。作品は監督のものだからね」と言われて、それ以来、監督が一番凄いと思い、偉そうに、溝口だの、衣笠だのと言っていました。

そしたら、この本を読んだら、小説家あがりの伴野朗監督なんて、パシリ以下のそのまた下扱い。彼は、下積みの助監督の経験もないから、基本のキも知らない。藤浦敦ゼネラルプロデューサーは、伴野監督に大金を握らせて、途中から、もう撮影現場に来なくていいよ、と指示したそうです。

「伴野は頭のいい奴だから、一切口を割らなかったよ。小説家は小説を書いていればいいんだよ」と、口止めした藤浦敦さんは涼しい顔です。

クレジットの「伴野朗監督」だけで、宣伝になることは分かった上での話です。

ということで、映画の世界で、一番偉いのは、監督ではなく、ヒト(人事権)、モノ(作品)、カネ(製作費)を全て握っているゼネラルプロデューサーだということになりますね(笑)。

◇クレージーキャッツの源流

フランキー堺が、日活映画の専属俳優になってしまい、彼がリーダーとして結成したコミック・バンド「シティー・スリッカーズ」(「粋な都会人」という意味。1950年代にこんな洒落た名前を付けるとは!)は、開店休業状態になります。

その取り残されたメンバーが新たに結成したバンドが、「クレージーキャッツ」だったんですね。谷啓、植木等、桜井センリの面々です。

知らなかったなあ…。