我々は何処から来たのか?我々は何者か? 我々は何処へ行くのか? 第5刷

鮎塩焼(二乃宮)

元株式仲買人で後期印象派を代表する画家ポール・ゴーギャン(1848~1903、享年54)の晩年の作品にタヒチで描かれた有名な「我々は何処から来たのか?我々は何者か? 我々は何処へ行くのか?」(1898)があります。

我々は何処へ行くのか?ーについては、誰にも分かりませんが、最初と次の問い掛けの「我々は何処から来たのか?我々は何者か? 」については、最新の科学のおかげで、かなりのことが分かってきました。

いわゆる現代人は、ホモ・サピエンス=現生人類と呼ばれ、20万年前にアフリカ大陸で生まれました。クロマニヨン人、ジャワ原人、北京原人とは違って、かなり進化したヒト科の哺乳類で、脳は、現代人とほぼ変わらない機能を持っていたと言われます。

何かが起きたと思いますが、現生人類は、6万年前にアフリカから大移動を開始します。今の北はヨーロッパ、シベリア、東は中東、インド、中国を通り、南方は、東南アジアに移動します。そして、小さな日本列島には、3万8000年前から2万6000年前にかけて、南は東南アジアから沖縄を通って、西からは中国、朝鮮半島、そして対馬を通って、北からは、シベリアから樺太を通ってやって来て、混血して日本人のルーツになったということが分かってきました。

現代人は皆んな、アフリカ人だったというのが定説として確立したようです。ダーウィンの進化論が正しければ、アフリカ大陸に留まった現生人類は、黒人のままだったのが、北欧に行ったホモ・サピエンスは、長身で金髪碧眼の白人になり、アジアに行った現生人類は、黄色人種になったということでしょうか。その辺りの最新科学については、詳らかではありません(苦笑)。

北南米には、モンゴル、シベリア辺りから、当時陸続きだったアリューシャン列島を渡って来たのでしょうね。

宇宙誕生が138億年前、地球誕生が46億年前、生命誕生が38億年前、原人類の誕生が700万年前と言われてますから、日本人のルーツが3万年前程度というと、つい最近のような気がします。

これで、我々は何処から来て、我々は何者なのか、ひとまず分かりました。では、我々は何処へ行くのか?ーということが、課題に残っています。しかし、人生体験を積むと、ある程度、推測はできます。

私は、最近、物事に偶然はない、と確信するようになりました。すべて、因果応報です。現代人、日本人として生まれてきたことは、偶然ではなく、必然であり、人との出会いも偶然ではなく、必然だと考えるようになりました。

アダム・スミスの謂う「見えざる手」はないのです。

無知を晒け出す厚顔

ラジオを聴いていたら、古代シリアを研究している女性考古学者をゲストに呼んだ雑誌編集長が、急に「(古代シリアと)オスマン・トルコとの関係は?」と、自分の持っているあらゆる知識を動員して質問するのです。

女性考古学者は、ラジオなので顔は見えませんが、一瞬、?然とした表情をしたことでしょう。

人類最古の都市を築いた紀元前3000年頃のメソポタミア文明シリアと、確かにシリアを支配下に置いたとはいえ、13~20世紀に版図を拡大したオスマン帝国と一体、時代的に直接何の関係があるのでしょうか?

エジプトやシュメール文化やヒッタイトとの関係を聴くべきでしょう。

何でも知ったかぶりをする編集長には、もっと、勉強してから、インタビューしなさい、と声を掛けたくなりました。

天変地異の証なのか?

蜻蛉大群

昨晩6時ごろのことですが、自宅近くの大空に蜻蛉の大群が無数、南東から北西に向かって飛んでいきました。

異様な光景を目の当たりにしました。

証拠として、iPhoneカメラを使って撮影しておきましたが、あまりにも小さくて、この写真でお分かりなれるかどうか…。

何か、天変地異でもあるんでしょうか?

第一、上空20メートル以上の高さです。こんな高く蜻蛉さんは飛ぶのでしょうか。その数は、ざっと数十万。ゲルマン民族の大移動は、30分以上も続きました。

これは、日本のローカルに起きた取るに足らない出来事なので、ニュースにもならず、注目する人もそれほどいません。

蜻蛉さんは、何の目的で、何故あれ程の大群を率いて、何処に行こうとしたのか?

今もって不思議。