線路は続くよ何処までも
◼︎昨晩は、学生時代の旧友戸田君と、あたしのシマである銀座日比谷界隈で本当に久しぶりに会いました。もっとも、小生はまだ酒が飲めないので、ノンアルコール。二次会は、あんみつで、まるで女子会でした(笑)。
待ち合わせ場所は、「君の名は」の数寄屋橋の畔だったのですが、ちょうど向こうから歩いてくる戸田君とバッタリ遭遇して、声をかけてみました。すると、彼は、一瞬怯んだような慄いたような表情を浮かべて、踵を返して逃げようとしました。
「おいおい、俺だよ」。あたしは彼の首根っこを抑えて逃げないように捕まえました。そしたら、「なあんだ」とやっと安心した様子で、この世に戻ってきました。「いやあ、分からなかったよ」。それほど、人相が変わったんですかね。40年来の友人が識別できないほど、あたしも老けたんでしょうかね?
◼︎まあ、我々の年代ともなると、誰でも不可避的事案を幾何学級数的に体験しなければならないことが主な話題でした。彼の会社も、昨年から今年にかけてマスコミ、てゆーか、物言う株主たちによって、散々叩かれていたので、彼も相当苦労したようです。
◼︎彼とは、仕事のことでも私生活のことでも、何でも話せる数少ない友人の一人なのですが、それ以外でも、小生が、「古事記」や「日本書紀」などの古代史に最近興味をもっていることも知っていて、「じゃあ、『竹内文書』のことも知ってるよね?」と挑発(笑)するのです。
◼︎ついでながら、彼はあたしなんかと違って、知性と教養に満ち溢れた絵に描いたような容貌の持ち主です。何でもよく知っています。
◼︎「竹内文書」?あたしゃ、知りませんでしたね。初めて聞きました。教えてもらったところでは、これは、「たけうちぶんしょ」とも「たけのうちもんじょ」とも読むらしく、古代に五代の天皇に仕えた「古事記」にも「日本書紀」にも登場する武内宿禰の子孫と称する竹内巨麿(きよまろ)が、昭和初期に公開した先祖代々伝わってきた文書のことだそうです。
◼︎「古事記」などで、初代天皇とされる神武天皇より遥か昔に遡って、何十代にもわたって天皇家が続いていた極秘文書です。今は便利ですから、色々と調べると出てきますが、この文書は、竹内巨麿が開いた新興宗教(略して天津教)の経典にもなっているようです。
◼︎そして、昭和初期に、この天津教は、二度にわたって、内務省特高課により、「不敬罪」として弾圧されるのです。私は、明治末から昭和初期にかけての新興宗教弾圧事件として、出口王仁三郎の大本教はよく知っておりましたが、浅はかにもこの天津教については全く知りませんでした。
◼︎ただし、この文書には、モーゼもイエス・キリストも日本に来て、天皇に従っていたなどという説を取ったりしており、まるで「ジンギスカン=源義経」説のような眉に唾を塗りたくなるような壮大な話で、学者の中には、「偽書」と断定する人も少なくないようです。(そもそも、戦前の御札にもなった武内宿禰の実在性を否定する学者の方が今では多数派です)
◼︎とはいえ、チラッとこの竹内文書を拝見すると、相当「古事記」「日本書紀」を読み込んだことは確かで、並大抵ではない頭脳の持ち主が執筆(もしくは、創作)したことは確かです。古代史は面白い。何か、ますますのめり込みそうです(笑)。