角岡伸彦著「ピストルと荊冠」は深く深く考えさせられました

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 京都にお住まいの京洛先生からの「是非とも読むべき必読書ですよ」というお勧めで、角岡伸彦著「ピストルと荊冠」(講談社・2012年10月17日初版)を読了しました。

 元神戸新聞記者でノンフィクション作家の手によるもので、大変深く取材されて読みやすいのですが、とてつもない内容でした。

 部落解放同盟大阪府連合飛鳥支部長であり、広域暴力団山口組系柳川組傘下の金田組(金田三俊組長=別称サンズイさん)組員でもあった小西邦彦(1933~2007)という人物の評伝です。

 1970年代から2006年までの長きに渡って、同和対策の旗手として、時には強面の暴力団の印籠と名声をチラつかせて、行政(大阪市役所)と金づる(三和銀行)を利用して、不動産転がしと金貸し業と口利き、就職斡旋などで、一説には100億円をも「個人資産」として動かして、毎晩のように大阪一の繁華街北野新地で豪遊するなど、月に1000万円も散財し、その一方で、老人ホームを建てたり、障害を持った長男が生まれたことから、施設をつくったりする慈善運動家の一面も併せ持つ複雑怪奇な人物です。

 最後は、大阪の西中島駐車場の売り上げを横領したとして、逮捕(業務上横領と詐欺罪)され、一審で懲役6年の実刑判決を受け(いわゆる飛鳥会事件)、二審に控訴準備中に入院を余儀なくされ、74歳で病死。

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 私は、1986年から90年にかけて、仕事で大阪に住んでいたことがありましたが、恥ずかしながら、この小西邦彦さんなる人物は全く知りませんでした。まあ、知っていたら、やばいのかもしれませんけど…。

 この本で、一番驚いたことは、この方はかなり手広く不動産業をやっていたようですが、1985年に山口組の4代目竹中正久組長が、大阪府吹田市江坂の愛人が住むマンションで、ヒットマンによって暗殺されますが、このマンションの持ち主(名義)が何と、この小西さんだったんですね。その後、山口組内での内部抗争(中野会系による宅見勝若頭暗殺事件)の余波で、彼自身も命を狙われたりします。

 いずれにせよ、行政にしても大手銀行にしても、持ちつ持たれつの関係で、小西邦彦組員は部落解放同盟の一支部長ながら、スキャンダルもみ消しから、立ち退き処理、地上げなど何でもこなす心強い「紛争解決屋」(トラブルバスター)になっていたわけです。
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 例によって、換骨奪胎で引用です。

 ●飛鳥会事件の舞台となった西中島駐車場の売り上げは一日平均60万円。1年間で2億2000万円。諸経費を差し引いて、7500万円が小西の懐に入った。このうち、金田組には組長は亡くなった後も、年間2400万円上納せざるを得なかったが、それでも、年間5000万円余が小西の懐に入った。

 ●2006年5月8日、72歳の小西は、30代の愛人のマンションで、逮捕された。逮捕されるまでの18年間に駐車場の収益から少なくとも18億円を着服。掠め取った金のほとんどは、小西本人と家族が散財した。妻と二人の娘の1カ月のカード請求額が300万円から500万円に上った。妻は980万円もするカルチェの指輪を購入していた。大学生だった二女には650万円のベンツがプレゼントされた。

 ●健康保険証を違法で発行したとして逮捕された部落解放会館の館長は、小西の口利きで館長になった高校卒の市役所職員だった。本来なら、市幹部の課長級である館長には、高卒者はなかなかなれなかった。2006年の時点で、大坂市役所の全職員4万5000人中、課長級は1200人しかいない。3%前後の狭き門である。また、課長級以上で退職した場合、当時は天下り先を紹介された。

 ●検察の冒頭陳述は、警察の取り調べを参考に作成されている。小西はなぜ、部落解放運動に参加したのか、その動機について「暴力団構成員よりも金儲けがしやすく、絶大な権力が手に入るなどと考えて」という文章が入った供述調書にサインした。しかし、ありえない話だ。それでもなぜサインしたのか?それは、障害を持った息子を逮捕するぞという警察の脅しに乗ってしまったからだった。

 著者は「あとがき」の中で、「小西と同じ立場の部落出身者である私は、基本的に出身者の不祥事は取材・執筆したくなかった。いってみれば、”身内の恥”である。できれば目を背けたかった」と告白しております。

 それでも、この著書を世に送り出したことについては、「私は活字で小西邦彦の銅像を建てたつもりである。…小西は死んだ。だがその存在を私たちの記憶から消去してはならない。人間の欲深さと奥深さを再認識するためにも、この面妖な銅像を凝視する必要があるのではないか」とまで書いております。

 私もこの意見に賛同しまして、渓流斎ブログに記すことにしました。行政と銀行と暴力団との密接な関係。警察と検察の脅迫まがいの「作文」の実態などは、非常に、非常に勉強になりました。

ほとんどの人間は他人

伊太利亜フィレンツェ

【コメント】

「ガヤ」の意味が分かる人様

コメント有難う御座いました。誰方様か分かりませんが、何か、素人ではなく、その筋の通(笑)の方と思われます。ケチな野郎ですが、以後お見知りおきのほど、偏に宜しゅうお願い申し上げまする。

さて、今年は、ビートルズの名アルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」がリリースされて半世紀です。

本国イギリスでは、1967年6月1日に発売されておりますから、ちょうど50年も経ちます。

となると、このアルバムを同時代人として知っている方は、もう還暦を過ぎていることでしょう。

どういうわけか、私は知ってます。やったね、です(笑)。このアルバムは、ポピュラー音楽史の中で、ベスト10、いやベスト3に入る名盤で、これまでの音楽とは一線を画し、後世の音楽に多大な影響を与えました。

とは言っても、今日は音楽の話ではなくて、ピーター・ブレイクがデザインした超有名なこのアルバム・ジャケットのことです。

中央に、架空のサージェント…バンドのメンバーに扮したビートルズの4人が立ち、その周囲に色んな有名人が並んでいます。ボブ・ディラン、マリリン・モンロー、マーロン・ブランドのほか、マルクスやユングらもおります。ほかに、ジョン・レノンが来日の際にお土産として買った福助の人形やソニーの9型ポータブルテレビ…。

伊太利亜フィレンツェ

さて、これらの人たちが、どういった基準で選ばれたのか分かりませんが、4人の、特にジョン・レノンの意見が最も反映されているように思われます。

中に、バーナード・ショーやディラン・トーマス、オスカー・ワイルドといった彼に多大な影響を与えた作家や詩人が選ばれているからです。

それにしても、サージェントが世界に発表された時、ジョン・レノンはまだ26歳ですからね。ポール・マッカートニーとジョージ・ハリスンはともに24歳、リンゴ・スターは26歳です。この若さで歴史に残る大きな仕事を成し遂げたのですから、彼らは天才としか言いようがありません。

伊太利亜フィレンツェ

で、この中で、今日はオスカー・ワイルドを取り上げます。私自身は、このアルバム・ジャケットで初めてオスカー・ワイルドの顔を覚えたぐらいですから(笑)。

最近、どういうわけか、彼の作品は再評価されているようですね。

オスカー・ワイルド(1854~1900)は、ダブリン生まれのアイルランド人です。(当時は英国領。ジョンもポールもアイルランド系なので、惹かれたのかもしれません)オックスフォード大学を首席で卒業するほどの秀才でしたが、鼻につく芸術家気取りで相当変わり者だったようですね。

男色家で、最期はパリで、梅毒による脳髄膜炎で亡くなります。享年46。ペール・ラシェーズ墓地に葬られます。

代表作に「サロメ」「幸福な王子」「ドリアン・グレイの肖像」などがありますが、何と言っても、彼のアフォリズムが秀逸です。例えばー。

??「男の顔はその人の自伝であり、女の顔はその人の創作である」

??「男は愛する女の最初の男になる事を願い、女は愛する男の最後の女になる事を願う」

なんてのがあります。

日本の古い格言(笑)にある「女の顔は請求書、男の顔は領収書」てところでしょうか?(爆笑)

こんなのもあります。
??「外見で人を判断しない者は愚か者である」

これは名言です。

でも、私の好きな言葉は

??「自分らしくあれ。他の人の席はすでに埋まっているのだから」

です。アイルランド人らしい皮肉で凝り固まっています。この辺りが、ジョン・レノンの好むところだったのでしょう。

最後は、駄目押し。私から言わせれば最高傑作です。

??「ほとんどの人間は他人である。思考は誰かの借り物の意見であり、人生は人の物真似。そして情熱は引用である」

はい、引用させてもらいました!

安藤昇という人とその時代

東京・銀座 みゆき通りと並木通り交差点(1949年3月頃、安藤昇が封切洋画「哀愁」を見に出掛けた際〔恐らく銀座「並木座」だったのではないか?〕、台湾人の蔡とすれ違い口論となり、蔡によって、ジャックナイフで左?を切られ、新橋・十仁病院で30針を縫う大怪我を負った現場の現在)

名古屋にお住まいの海老普羅江先生からのお勧めで、大下英治著「激闘! 闇の帝王安藤昇」(さくら舎)を読了しました。講釈師、見てきたような…で、どこまでフィクションで、どこまでがノンフィクションか分かりませんでしたが、戦後闇市から昭和30年代にかけて、生命を賭けて、東京・渋谷のシマを守りきった当時愚連隊と呼ばれた若者たちの生態が解剖学のようにピンセットで分け入ったような描写で、生き生きと活写されておりました。

銀座・天国
この本のハイライトは、1958年の横井英樹銃撃事件でしょう。(現場は、東京・銀座8丁目の天麩羅「天国」裏手の第2千成ビル「東洋郵船」、実行犯は、千葉一弘後の住吉会相談役)この事件のお陰で、安藤昇は前橋刑務所に収監され、その間に、「東興業」、いわゆる安藤組の社長代行を務めていた花形敬が東声会により刺殺されます。花形敬は、力道山より強かったと言われるほど伝説の武闘派で、ジャーナリストの本田靖春が「疵」というタイトルで評伝を書いた人物です。

銀座8丁目10番ビル

その後、安藤組は、渋谷の縄張り争いで、錦政会(後の稲川会)三本杉一家と対立し、安藤組大幹部の西原健吾が東京・外苑前のレストラン外苑で、三本杉一家の中原隆によって、銃殺されます。この二つの事件がきっかけで、安藤昇は組の解散を決意し、昭和39年(1964年)12月9日、渋谷区千駄ヶ谷の区民会館で解散式を行うのです。

安藤昇はこの時、まだ38歳。この翌年、映画俳優に華麗なる転身を遂げるわけです。

東京・銀座 みゆき通りと並木通り交差点

私は、映画俳優の安藤昇しか知りませんでしたので、この本では色々と教えられました。以下、引用しますとー。

●安藤家は、小田原の北条早雲の侍大将安藤式部の末裔と言われ、安藤昇は大正15年5月24日、東京新宿の東大久保天神下生まれ。父親の栄次郎は早稲田大学商学部を出て、古河財閥のゴム会社に入社以来、実直な勤め人だった。

●安藤昇が、横井英樹襲撃事件の後、逃走している間、匿っていた人の一人が、当時、東映ニューフェイスとして売り出し中の女優山口洋子。後に銀座のクラブ「姫」のママとして名を馳せ、同時に、五木ひろしの「よこはま・たそがれ」、中条きよしの「うそ」などの作詞を手掛け、昭和60年に「老梅」「演歌の虫」で直木賞を受賞した。2014年、77歳で死去。

⚫︎女性にもてた安藤昇は、8回結婚し、7回離婚した。

●安藤組の大幹部志賀日出也(解散後、住吉会幹部)の父親は、戦後最大の高利貸しと謳われた森脇将光(石川達三「金環蝕」の中でもモデルとして登場。映画化の際、宇野重吉が演じた。これは必見!)の番頭をしていた。志賀の妻細木弘恵は、渋谷円山町のバー「娘茶屋」のママ細木ミツの長女。四女が六星占術で有名な細木数子氏。彼女は、新宿をシマにする小金井一家堀尾昌志総長の姐御として知られた。

●安藤昇は2015年12月16日に肺炎のため死去、享年89。16年2月28日に青山葬儀所で「お別れの会」が営まれ、発起人は、佐藤純彌、降旗康男、中島貞夫、梅宮辰夫、村上弘明、吉田達、三田佳子、岩城滉一、堀田真三、梶間俊一の各氏。

以上、歴史上の人物などについては、本文に沿って敬称略としました。

安藤昇は、海軍予科練に入り、特攻隊の一人に選ばれましたが、終戦で事無きを得ます。終戦後の米軍占領下の大混乱の時期に、国家も警察も機能せず、暴力装置に頼らなければ、生き抜けなかった時代背景がありました。

安藤組は、薬物売買や刺青を禁止したりして、他の暴力団とは一線を画す方針を取りました。

それでも安藤組解散後、多くの組員は既成組織に入り、幹部の一人三本菅啓二氏は、稲川会系の「大行社」の2代目会長となります。大行社は、住吉会系の「日本青年社」と並ぶ日本の右翼団体です。15年に山口組の分裂の余波で、三本菅会長が交代したらしいですが、この本にはそこまで触れられておりませんでした。

緊迫する朝鮮半島情勢

伊太利亜フィレンツェ

いやはや、本当に驚きました。腰を抜かすほど。まあ、朝鮮ウォチャーとしては、何年も前から予想していたことでしょうが、まさか、本当に実行するとは思いませんでした。

北朝鮮の最高指導者金正恩朝鮮労働党委員長の異母兄金正男氏が13日、マレーシアのクアラルンプール空港で暗殺された事件のことです。

まるでスパイ映画のような出来事です。

韓国の大手紙朝鮮日報系のテレビ朝鮮のスクープらしいのですが、北朝鮮の工作員と見られる女2人が、金正男氏を空港内で毒針で刺して殺害し、そのままタクシーで逃走したというのです。
伊太利亜フィレンツェ

享年45。

45歳と言えば、まさに男盛りと言いますか、バリバリ仕事を成し遂げる年頃です。

独裁体制を固めたい金正恩委員長が、自分の存在を脅かされるのではないかと異母兄の暗殺を工作員に命じたものとみられています。

まるで戦国時代ですね。

金委員長の義理の叔父で北朝鮮ナンバー2に当たる張成沢氏が2013年に処刑されたときも、ビビりましたが、腹違いとはいえ、自分の実兄まで殺害するとは…。何しろ、金委員長は既に100人以上の高級幹部を「国家反逆罪」の容疑で処刑したという情報もあり、もう何千人もの人民が餓死していると言われています。

これが、民主主義人民共和国の実体だとしたら、恐ろしい限りで、こういう隣国とどう付き合ったらいいのか、世界の叡智を集めて考える段階ではなくなっているのかもしれません。

何しろ、北朝鮮は日米首脳会談の真っ最中を狙って中距離ミサイルを日本海にまで飛ばして威嚇するぐらいですからね。
伊太利亜フィレンツェ

とはいえ、さりながら、我が国としては、少し冷静にならなければなりませんね。

こういう事態だからこそ。

北朝鮮の後ろ盾になっている中国も、抑えが効かない、歯止めが効かない状態になっているのかもしれません。

1950年に始まった朝鮮戦争も、まだ終わったわけではなく、未だに休戦状態です。

こんな大事な時に、お隣韓国では、大統領が弾劾され政治的に不安定な状態が続いています。

こういう時期だからこそ、情勢収集と冷静な分析と対策が必要とされます。

拉致問題もいまだに解決されていません。

ただ今回の金正男氏暗殺で一つだけ分かったことは、北朝鮮はまだ戦国時代を生きており、本気だということです。

60年ぶりのゴルフ外交

伊太利亜フィレンツェ

2月10日~12日の日米首脳会談。やれ「大成功だった」だの、「従属おべっかつかい外交」だのと専門家と称する人から一般の人まで、好き勝手放題の感想を並べたてて、喧しいったらありゃしませんか?

トランプ米大統領と安倍首相が二人っきりで、一体何を話し合ったのか、当人と通訳以外誰も分からないのに、周辺から漏れてくる情報をもとに、したり顔で得意気に喋っているだけではないでしょうか。

伊太利亜フィレンツェ

そういう私も、特別にツテがあるわけではありませんから、新聞の活字やテレビの活動写真を通じて知る範囲だけですが、何と言っても驚かされたのが、「冬のホワイトハウス」との異名を持つトランプ大統領のフロリダ州の別荘でしたね。

活動写真を見る限り、まるでヴェルサイユ宮殿みたいな豪華さでした。

何やらトランプさんは、この宮殿を9億円ばかしで手に入れたらしいですね。

ある信頼できるかできないか分からない情報によりますと、トランプさんは、もともと大富豪の持ち主だったこの宮殿を、大富豪が亡くなって未亡人が相続していたことに目を付けて、まず最初にこの宮殿の庭先の海岸を2億円で手に入れて、景観を隠して住みづらくして、本丸を手に入れたらしいですね。

あ、これは未確認情報ですから。あくまでも。

伊太利亜フィレンツェ

今回の日米首脳会談で、最も注目されたのが、ゴルフ外交でした。お二人さんは、何と27ホールも回ったそうですね。

ゴルフ外交には伝統がありまして、ちょうど60年前の1957年に安倍首相の祖父岸信介首相とアイゼンハワー米大統領(いずれも当時)が、ゴルフ外交をして親交を深めたことがあり、それ以来らしいですね。

このアイゼンハワー~岸ゴルフ外交は、ちゃんと米国立公文書館に記録と写真が保存されてまして、今ではネットで誰でも簡単に見ることができます。当時のマッカーサー駐日米大使(GHQダグラス・マッカーサー司令官の甥)が、裏で交渉役として活動した当時の極秘文書が今では公開されておりました。

さて、トランプさんが安倍さんを招待した御自身が所有するゴルフコースの入会金は5000万円、年会費200万円、プレー料金は1時間3万円なんだそうですね。

アメリカには18ホールを3000円以内で回れるパブリックコースが有象無象にありますから、破格的な価格です。

このプレー代について、安倍首相が払うと、回りに回ってトランプさんの懐に入り、これが米国憲法に抵触するとかしないとかで、結局、トランプさんの「奢り」ということで決着がついたそうです。

もっとも、安倍首相も昨年、ニューヨークにある次期大統領(当時)のトランプさんの豪華マンションを電撃訪問して、54万円もするゴルフのドライバーをお土産に持っていったという噂ですから、これでチャラになるのでしょうか?

でも、この54万円の出処は如何に?内閣機密費なんでしょうかね?となると、国民の血税となりますが、真相を御存知の方は教えて頂きたいものです。

人間は猿なのだ

伊太利亜フィレンツェ

今日は新聞休刊日なので手持ち無沙汰です。

だいたい、ブログは、新聞に目を通してから、その日何を書こうかなあ、と考えたりしますので、新聞がないと困ってしまいます。

本当は休んでもいいんですが、根が真面目なもんで、こちらも困ってしまいます(笑)。

で、駅についたら、今日も人身事故とかで電車が遅れてます。ゲッ、大混雑だあ~

鳥取あたりでは33年ぶりに大雪だそうで、日本海側はどこも雪で大変でしょう。一方、太平洋側は、小学校で習ったように、中央の山脈で雪こそ防がれますけど、酷い寒風、からっ風が吹き荒れ、凍てつく寒さです、

伊太利亜フィレンツェ

昨日なんか、何が哀しいのか、自転車に乗ったら、恐ろしい寒風で、自転車が漕げない!前に進まず、凄い運動になりました。

帰ってきたら、京都にお住まいの京洛先生から電話がありまして、ラジオで、ある大学の学長さんの面白い話を聞いたと言うのです。

その先生は、人間、物事を決めるのに引用ではなく、白紙で、直感で決めた方がいいというのです。

だから、統計や数字に頼る経済学や、心理学では駄目だというんですよね。(何で駄目なのか、また聞きなので詳細不明ですが…笑)

その方は、ゴリラ研究の世界的権威らしく、人間だったら大事件となって法廷で裁かれるようなこと、例えば、メスが他のオスと親密になったら、前のオスとの間にできた子供を殺してしまうといったようなケースがあるそうですね。

アメリカ南部の聖書原理主義者らは否定しますが、人間は猿から進化したのですから、猿が行うことは人間にも「遺伝」してもおかしくないという話になります。

ボス猿がハーレムをつくるとか、ボス猿の権威を利用して威張る猿とか、ボス猿に取り入って食べ物を差し出す猿とか、裏切り、密告などの情報戦や神経戦も巧みなようです。

伊太利亜フィレンツェ

人間も愚かな動物で、いつまで経っても争いごとはなくならず、嫉妬したり、妬んだり、威張りくさったり、他人を支配したりします。

でも、それらの行為は、猿にもあり、人間は猿なんだと思うと、何となく気が楽になれませんかねえ?

他人に期待したり、理想を持ったりするから、裏切られると気落ちしたり、立ち上がれなくなったり、いつまでも拘ったりするのです。

人間とは、密告と裏切りが得意の猿なんだと思うと気が晴れるような感じがします。

嗚呼、新聞休刊日だとこんなことしか書けへん。

共謀罪五つの疑問

 ハバロフスク・スーパーCopyright Par Duc Matsuocha gouverneur

現在、共謀罪が国会で審議中で、多勢に無勢でいずれ成立されるかもしれませんが、暴力団などの組織犯罪を取り締まるのだから、われわれ市民になーんにも関係ない、と言ってられないことを、もし知らない方がいらっしゃれば、認識を新たにしなければならないことを茲ではっきり申し上げておきます。

もっとも、安倍首相をはじめ政府自民党は、この法案を共謀罪なぞと呼ばず、口当たりの良い「テロ等準備罪」と呼んでいるので、最初から「共謀罪」と呼ぶとなると、疑念を抱く側としての態度を明確にすることになることも覚悟の上で、疑問を呈していきます。

【疑問1】政府自民党は、共謀罪をつくらなければ、世界187国・地域が締結している国際組織犯罪防止(TOC)条約を結べないと主張するが、共謀罪ではなく、犯罪活動への参加を罰する「参加罪」の法整備で済むのではないか?

【疑問2】取り締まり対象が、組織的犯罪集団、いわゆる暴力団などに限っているように政府自民党は主張するが、国体破壊行為者、反政府主義者、アナーキストとまでいかなくても、普通の一般市民やサラリーマン、団体職員、労働組合員にも及ぶのではないか?

 ハバロフスク・スーパー入口Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

【疑問3】共謀罪では、殺人罪などの既遂、殺人未遂罪などの未遂だけでなく、計画を準備した段階の「予備罪」まで範囲を広げるらしいが、心理学者や精神科医でさえも心の問題が分からないように、他人の頭の中まで覗けるわけがなく、何処まで、その準備段階を立証できるというのか?

【疑問4】準備罪でしょっぴこうとしても、頭の中まで覗けず、立証できないので、今後ますます当局による通信傍受、盗撮、尾行、密告等が強化されて、戦前の特高警察のようなものが復活するのではないか?

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【疑問5】それこそ、まさに戦前の治安維持法が復活して、個人の自由が奪われるのではないか?通信傍受、尾行対象も、政府に反抗的で、時の権力者にとって都合の悪い、それこそ渓流斎のような気に食わない人間だけに向けられるのではないか?

 ハバロフスク・スーパー・レジCopyright Par Duc Matsuocha gouverneur

政府の説明では、TOC条約に加盟していない国は、日本、イラン、南スーダン、ソマリアなど11カ国に過ぎず、このままでは2020年の東京五輪開催を控えて、とんでもない国際テロ犯罪が起きたらどうしてくるのか!と、反対者の意見を封じているようです。

確かに、それは一理あります。ただ、専門家によると、TOC条約はもともと、マフィアなどの犯罪組織によるマネーロンダリングなどを取り締まることが主目的で、政治や宗教などのテロを対象にしたものではないそうですね。

ということは、テロ対策だけに絞った「参加罪」としての条件を満たしてTOC条約を締結すればいいだけのことです。

ですから、私は監視や密告が跋扈する温床になりかねない共謀罪には断固として反対を表明したいのです。こんなブログでも対象にされたら、たまりませんが、弱流斎ごときが何をほざこうが、強者は1ミリたりとも微動だにせず、ですかね?

民教協スペシャル「祖父の日記」は

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第31回民教協スペシャル「祖父の日記」を見ましたが、こういう重厚で真面目なテレビ・ドキュメンタリーは派手な宣伝もされませんし、祝日とはいえ、午前10時からというゴールデンアワーからほど遠い閑散期に放送されますので、誰も知られず、誰にも見られないことだろうなあと思いつつ観ていました。

 第一、民教協なんて、誰も知らない。民族協和かと思いましたら(笑)、民間放送教育協会の略称で、設立が1967年といいますから、今年でちょうど50年。半世紀も経ってこれほど認知度の低いマスコミ団体も少ないんじゃないでしょうか。

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 とにかく、全国の民間放送の制作した番組の中で、毎年、賞を選んでいるようですが、この作品も最優秀賞か何かを獲得したかもしれませんが、詳細は分かりません(苦笑)。

「祖父の日記」 ←こちらのHPにも書いていないようです。 

 この番組は、いわゆる支那事変後、中国戦線に上等兵として召集された熊本放送の井上佳子ディレクターの祖父井上富廣さんの足跡を辿ったドキュメンタリーでした。

 祖父の富廣さんが残した日記や手紙や戦友からの手紙などから、富廣さんは昭和13年(1938年)6月に上海に衛生兵として上陸して、わずか47日後に戦死していたことが分かるのです。享年27。小作農として働いていた故郷熊本には若い妻と3歳の一人息子が残されます。

中国・哈爾濱 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 番組では、井上ディレクターが、祖父の足跡を辿って中国に渡り、当時中国兵だった人らにインタビューしたりします。最初は、自分の祖父が日本兵だったことをなかなか口に出して言えなかった井上さんも、最後に、当時、母親を日本兵に殺されたという人に告白します。

 当時3歳ぐらいだったその方は、貧しかったので母親の遺体は粗末な棺桶に入れられて山の中に埋葬されたものの、あまりにも幼くて母親の死を受け入れられず、その場に居座ったり、何度も埋葬された山に行ったりしたことなどを語り、日本兵の残虐さを訴えていました。

 それが、インタビューワーの井上さんの祖父が、日本兵で、現地で戦死したということを聞かされると、怒るどころか、あなたのお爺さんも大変だったんですね、とお互い戦争の犠牲者だったという風に労りの声を掛けるのです。

 これには胸が熱くなりましたね。久しぶりに民放で良い番組を見ました。

 でも、こういう良質な番組に限って、視聴率が取れず、従ってスポンサーも付かず、ほとんどお蔵入り状態になってしまうものなんですよね。特に民放となりますと、視聴率最優先で、どこのチャンネルも、似たようなお笑いタレントばかり。

 そもそも、民放自体が番組を制作していないことが現状です。大手放送キー局は特に、いわゆる番組制作会社に丸投げして、ただ時間帯を貸す大家さんのような賃貸業者に堕落してますからね。

 番組制作には相当な予算が必要なので仕方ないのかもしれませんが。

 今日も明日も、吉本興業かジャニーズか、バーニングか、サンミュージックか、ホリプロか研音か、アップフロントか、新栄プロか、芸映か廣済堂か田辺エージェンシーかアミューズか、まあその辺りのプロダクションが頑張っていらっしゃるようです。

最近では、民放どころか、受信料を徴収する公共放送NHKまでがそうなんですから(しかも、ラジオまで??)、免許事業者として如何なものかと存じる次第で御座います。

蓮沼門三~修養団~フジタ

伊太利亜フィレンツェ

名古屋にお住まいの海老普羅江先生が、蓮沼門三の掛け軸を某所から格安の値段で手に入れてご満悦です。

無慾恬淡な方ですから、その掛け軸を所縁のあるご友人に寄贈されたそうです。

何?蓮沼門三を知らない?

教養に溢れ博覧強記で知られる貴人が知らないとは、これは如何に…?

ま、御説明致しやんしょう。

蓮沼門三(はすぬま・もんぞう、1882~1980年)社会教育家。福島県喜多方市出身。東京府師範学校(東京学芸大学)在学中から社会教育団体「修養団」を設立し、機関誌「向上」を発刊した。愛と汗をスローガンとする「白色倫理運動」を展開し、戦後は東京青年文化会館の運営に参加した。1980年死去、享年98。著作に「明魂」など。

修養団を設立したのは、学生寮があまりにも汚いので、率先して掃除を始めた美化運動がきっかけだと言われております。掃除を通して、精神修養にまで高め、戦前は財界人から軍人、皇族まで大きな影響を与えた人だと言われております。

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第2代団長には、皆様よくご存知の平沼騏一郎が務めております。反「東大新人会」の急先鋒だった方しても知られておりますね。

「万死に値する」ほど今、非常に世間を騒がせている文科省ですが、修養団もかつて監督官庁が文科省だったせいか、二代続けて、文科省事務次官経験者が修養団の団長を務めております。

何で、文科省かと言いますと、修養団は宗教団体ではないからです。現在は、公益法人として認可され、監督官庁は内閣府みたいです。

伊太利亜フィレンツェ

修養団の本部は現在、東京・千駄ヶ谷駅前の一等地の高層ビル内にあります。

ネット情報ではありますが、ここは1926年に宮内省御領地だった所を、修養団に無償貸与されたそうです。真偽のほどは定かではありませんが。

現在、この高層ビルには、どういうわけか、建設会社大手のフジタが入居しております。

何でなんでしょうかね、海老普羅江先生?

八丁堀与力・同心組屋敷跡

与力・同心組屋敷跡

風来坊、渓流散人ですから、自分勝手にお庭と称している八丁堀を漫遊してきました。

与力・同心組屋敷跡を見たかったからです。

写真の看板にある通り、江戸町奉行配下の与力は知行200石、300~500坪もの広大な屋敷を与えられたと書いてありますね。小説やドラマで描かれている以上に、相当身分も高く、奉行が警察庁長官なら、与力は、まあ県警本部長クラスだったのでしょう。

同心は、知行30俵2人扶持、100坪の土地を与えられたといいますから、狭い長屋暮らしの庶民から見れば、相当の待遇です。

でも、暮らしはそれ程楽ではなく、土地の一部を貸して生活していたなぞと書いてありますね(笑)。

こういう情報は、ネットに出さず、足で稼ぐようにしなければなりませんね。

もちろん、江戸時代の風情も面影も一切合切、なあんにも残ってはいませんが、その土地に立って、一生懸命に想像力を働かせると、見えなかったものが見えてきそうです。

うな丼500円!

地下鉄八丁堀駅近くに行くと、何と「うな丼500円!」のお店があるんじゃありませんか。

今、うな丼といえども、安くても2000円ぐらいはします。そのため、渓流散人もここ何年も食していません。

500円なんて、その驚異的値段に、一体何処の鰻なんだろうと猜疑心ばかり先走ってしまい、遂に入店せず、写真だけ撮って来てまいりました(笑)。

八丁堀

江戸時代の八丁堀は、長屋が連なっていたのでしょうか?

日比谷でさえ、江戸時代に埋め立てられた土地ですから、八丁堀も埋め立て地だったんでしょうね。昔は、物資は道路よりも水路で運搬することが多かったので、もっと河川ばかり街中にあったことでしょう。

神社仏閣や火除け地などもあったでしょうが、歩いた範囲内にはその痕跡すら見つかりませんでした。

事前によく調べて来なかったせいです。自分が、うっかり八兵衛になったような気分でした。

【追記】

天下の築地「竹葉亭」にリサーチに行ってまいりました!鰻丼Aが2400円、鰻丼Bが2900円でした。

で、それが何か?