福島原発は未だに制御されていない

伊太利亜フィレンツェ・ウフィツィ美術館

福島第一原発2号機が、メルトダウンしていたことは今ではやっと情報公開により常識となっております。

しかし、6年前に事故が起きた当初は、隠匿されて「メルトダウンなんかしていない。大した被害はない」といった嘘の情報がばら撒かれていました。

昨年から今年にかけて、欧米では「嘘ニュース」とか「ポスト・トゥルース」などという言葉が大流行していますが、我が日本ではもっと以前から流行っていたわけです。

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特に、時の安倍首相は、オリンピックを東京で開催したいがために、「福島は、アンダー・コントロールだ」と嘘の情報を世界に発信しました。

昨日、東京電力が公開した福島原発の炉心写真を見ても、メルトダウンし、とてもコントロールされている状態ではないことがはっきりしていました。

制御の利かない暴れ馬のようです。

福島原発を廃炉までするには、あと少なくとも40年か50年か、いやそれ以上掛かるそうで、流石の安倍さんもそれまで生きてないでしょう。

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福島から、神奈川や千葉に避難してきた人たちも、学校で、あまりにも日本らしい陰湿なイジメ、というより恐喝か強盗ともいうべき犯罪に遭っていたことが最近になって漸く、明らかになってきました。

「放射能がうつる」などと、日本的幼稚性を発揮して、金銭まで巻き上げ、あろうことか、学校も教育委員会も事実を把握していながら、見て見ぬ振りをしていたとは、何をか況んや、です。

そんなニュースに触れると、日本人であることが恥ずかしくなるくらいです。

トランプ大統領は、悪徳保安官?

伊太利亜フィレンツェ・ウフィツィ美術館

アメリカのトランプ大統領が、シリア、イラク、リビアなど中東・アフリカ7カ国からの入国を一時的に禁止する大統領令を署名したおかげで、米国内では大混乱をきたしていると、大々的に報道されています。

米国内の空港では、入国を拒否された家族や会社や関係者と見られる人々の抗議デモがありました。

テキサス・レンジャーズで活躍しているダルビッシュ投手の父親は、イラン人なので、息子の応援にも行けないかもしれない、と地元ダラスのメディアは報じています。

それにしても…。

メキシコ国境に壁をつくる、などといった公約は、大統領選挙のための単なるパフォーマンスだと世界中の多くの人は見ていましたが、冗談でも見せかけでも何でもなく、本気で着々と進めています。

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今日発売の「週刊現代」の見出しを見て、思わず苦笑してしまいました。

トランプ大統領について、「こいつ、本物のバカかもしれない」なぞと書いているんですからね。彼が日本語を読めたら、名誉毀損で訴えるかもしれませんねえ。

いやはや、世知辛い世の中になってきたものです。

伊太利亜フィレンツェ・ウフィツィ美術館

トランプさんは、明白にバカではないでしょうが、事実誤認が激しいところがある人だということは、日本人の多くが思っています。

例えば、彼は日米自動車貿易の不均衡を主張されておられますが、現状は日本から米国への輸出は2.5%の関税を掛けられているのに、米国車の日本への輸出関税はゼロなのです。

トランプ大統領が不平等だと主張するのなら、日本からの米国輸出関税をゼロにするべきでしょうね。

今の安倍政権は、属国意識が強くて頼りないので、不平等条約を改定した実績を持つ井上馨卿か陸奥宗光卿の登場をお願いしますか?

そして、彼は米軍の駐留経費は、各国全額負担しろ、と迫っておりますが、既に日本は駐留経費の74.5%も負担しているのです。同じ、敗戦国のドイツなんか、わずか32.6%だというのに…。

日本の右派識者でさえ、「これ以上負担すれば、米軍は日本の傭兵になってしまう」と指摘するぐらいですからね。

私は、トランプ大統領がバカだなどとは言いません。商才に長けた頭のキレる人でしょう。しかし、思い込みが激しい過剰な自信家であり、西部劇に登場する悪徳保安官に見えます。

大統領と言えば、かつては尊敬の対象だったのに、トランプさんの品に欠ける軽さのおかげで、すっかり格が落ちて、今では軽蔑の対象になってしまった感じがします。

※注=渓流斎ブログは2016年6月13日に書いた「あめりかは王政復古」で、秋の大統領選で、「トランプ大統領」になることを早くも予言しておりました!

「満洲新京~長春今昔」のフィルム鑑賞会

 旅順 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 昨日は、いつも渓流斎ブログで使う写真でお世話になっております松岡將氏(「松岡二十世とその時代」などの著者)の御邸宅にお呼ばれしまして、「満洲新京~長春今昔」のフィルム鑑賞会に参加してきました。

 そもそも、この会は、松岡氏が長年、お金と時間をかけて、御子息の世界的スーパーコンピューターの権威である博士からの手助けを得ることなく(というか、実は、足手まといとなることから、助言さえもらうこと能はず?)、独力で全337枚ものjpgを駆使して、他人様にも鑑賞に耐え得る資料を地道の努力で作成することができたというので、それでは、宝の持ち腐れになるのも何なんですから、何人かの有志を集めて鑑賞会でも開きましょうか、と私が言い出したことがきっかけでした。

 ですから、私のように満洲といえば、「餃子の満洲」に行ったぐらいで、満洲生まれでも育ちでも何でもない人間ながら(実際は3年前に一度だけ満洲の地に足を踏み入れ、新幹線「和諧号」にも乗ってきました!)、呼びかけ人の特権から鑑賞会の参加切符を手にしたわけです。

 昨日は、私も入れて5人も参加されましたが、私を除く全員が、満洲生まれか、満洲の小学校や中学校に通った方々ばかりでした。皆さん、子供時代に返ったように感激されておりました。(参加された方々のお名前は控えることにしますが、いずれもご尊父が満州国で重職を務めた方々です)

 旅順港 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 時間に遅れてはいけないと思い、少し早めに家を出たので、約束の待ち合わせ場所を確かめてから、初めて来た高級住宅街を散策してみました。ニューヨークのトランプタワーのような豪華なマンションもあり、凄い所だなあ、と思って約束場所に戻って、皆で連れ立って、松岡氏邸を目指したところ、何と、そのトランプタワーがご自宅だったので、吃驚してしまいました。

 もっとも、松岡氏の弁によりますと、このマンションの所有主は、トランプ政権に入閣できるような大変優秀な御令嬢のものらしいですが、ホテルのような豪華さには圧倒されてしまいました。

 居間が映写室に早変わりし、「スライドショー」は、満洲の首都だった新京と戦後の長春の昔と今を比較して、ああだった、こうだったという弁士松岡氏の弁舌が冴えて、大変見応えがあるものでした。

 氏の努力の賜物で、グーグルアースとやらも引っ張ってきて、昔、松岡氏が通った新京の桜木小学校は、今でも小学校か中学校らしいのですが、2、3年前から校庭を拡張して、Jリーグの公式試合でも開催できそうな緑の芝を満々と蓄えた広大なサッカー場ができている様を衛星写真で映し出していました。

 黒河 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 満洲は、関東軍による傀儡政権と言われ、新京駅前から南北を縦断するメインストリート付近には関東軍総司令部など壮大で、天守閣のような異様な公共建物が陸続と建設されました。

 勿論、批判や汚点はありますが、田舎の農村だった長春を首都機能設備を持つ都市として、インフラの道路、水道、電力、電話電信、行政、司法施設、警察署から、住宅、病院、学校、監獄!まで計画的に建設したのは、かの大日本帝国だったことは間違いありません。

 モノの本によりますと、戦前の日本本土では普及していなかったスチームによる床暖房設備を備えた住宅が満州には既にあったらしいですね。

 新生中国になって、彼らは勿論、「偽満洲」と断罪して、戦前の日本の「侵略」を非難する教育を展開しましたが、全面否定しているのにも関わらず、かつての関東軍総司令部が、今では吉林省人民委員会の省庁になっていたり、かつての満洲銀行をそのまま人民銀行として使ったりしているのです。

 まあ、「有効活用」という言い方もできるかもしれませんが、それこそ、満洲で生まれ育って引き揚げた日本人としては、今でも「満洲とは何だったのか」と思うようです。映像を見て、私もその気持ちが分かるような気がしました。

 鑑賞会の後、近くの有名な焼き鳥「ニューれば屋」で懇親会を開催しました。戦後ながら、旧満洲生まれの「レコードチャイナ」の八牧社長さんも参加されて、皆さんとは初対面とはいえ「満洲仲間」ということで、すぐ打ち解けて、話が弾みました。
 八牧氏は、「週刊金曜日」などのメディアからも取材を受け、最近大変ご活躍されているようですが、今後も満洲仲間との交流を一層深められたら、私のような一介の仲介者としてはこの上のない喜びです。 

バルザックはノンフィクション作家だった

伊太利亜フィレンツェ

月末になると、データ通信量が不足して、たちまち、「ギガ漂流人」と成り果てます。

ギガ漂流人とは、契約しているデータ通信量が不足しているため、外部のWiFiを求めて彷徨い歩く誠にブザマな、人様には見せられない状態のことです(笑)。

貧乏なので、家では、使い放題の光通信と契約していないからです。

まず、パソコン用では、モバイルワンのWiFiのルーターを契約していまして、今月は3GBで1188円。これは、動画の映画1本観ただけで、2週間ほどで使い果たして、その後、パソコンでブログに写真さえアップできなくなりました。酷すぎる…。

iPHONEとiPAD用は、auで1カ月3GBを契約したところ、これまた3週間も持たず、使い切ってしまい、新たに1GBを1000円で追加購入したほどです。

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そこで、最近は大抵のレストランやコーヒーショップでは専用WiFi回線を引いていくれているので、昼休みなんかにそこに行って、使わせてもらい、昨日なんかは、築地のタリーズで、コーヒー代320円で30分も粘って、アプリのアップデートをさせてもらいました(笑)。

そう言えば、2013年にベトナムのホーチミンに旅行した際、日系の上島珈琲が経営しているコーヒーショップを見つけ、そこで、WiFiのパスワードを教えてもらって、使わせてもらったことを思い出しましたね。

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遅ればせながら、今、バルザックの「ゴリオ爺さん」を小説としてではなく、経済書として読んでいると以前書きましたが、本当に面白いですね。夢中になってしまいます。こんな感銘を受けた小説は、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を読んで以来だと思います。(カラマーゾフの「大審問官」のようなヴォートランの長広舌が出てきます)

1819年。19世紀のパリの場末の下宿と華やかな社交界が舞台になっていますが、当時流行しているファッションから文学、音楽、特にオペラの話題が、当時の人気歌手も実名でふんだんに出てきます。

パリのイタリア座で上演されているロッシーニの「セルビアの理髪師」も出てきますが、何気なく、書斎にあった吉崎道夫著「立体 クラッシック音楽」(朝日出版社)を手に取ってみたら、40作品ほどの歌劇を作曲したイタリア人の天才ロッシーニは、1824年から36年ごろまで、パリのイタリア劇場の音楽監督を務めていたことが分かりました。つまり、バルザックが「ゴリオ爺さん」を執筆していた1834~35年は、ロッシーニはパリに滞在していた時期であり、「セルビアの理髪師」は1816年、ローマのアルジェンティナ劇場で初演されていますから、時代的に矛盾がなく符号しているわけです。(ちなみに、ピアノの詩人ショパン1810~49も画家ドラクロワ1798~63もバルザックとは同時代人です)

社交界でゴシップとして話題になった1812年に実際に起きたモラン夫人のラグロー氏殺人未遂事件なども出てきます。

なるほど、バルザックの書く小説は、フィクションというより、ノンフィクションに近かかったんですね。

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雨宮敬次郎か、岩谷松平か?

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宝塚をつくった小林一三、東武鉄道をつくった根津嘉一郎らは、今の山梨県出身。いわゆる「甲州財閥」の一角を占めていることは皆さんもよくご存知のことと思います。

しかし、雨宮敬次郎となると、京都の京洛先生のようによほどの通ではなければ、今では知る人も少ないことでしょう。

この方、「投機界の魔王」と呼ばれた人です。何と言っても、魔王ですからね。コワ~。江戸時代の弘化3年(1846)生まれ。明治維新後の新国家を建設する中、鉄道や電力などのインフラ事業に投資して、巨万の富を得た甲州財閥を代表する人です。

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あるネット情報によりますと、この雨宮敬次郎の別邸が、かつてホテルニュージャパンがあった東京・永田町にあり、敷地内には動物園もあった、という記述を見て驚いてしまいました。

まあ、ネット情報ですから、「偽ニュース」かもしれませんけどね(笑)。

横井英樹が買収したホテルニュージャパンが火災の大惨事に遭ったのが、1982年なのでもう35年も経つので、このいわく付きのホテルについては、若い人は知らないかもしれません。今では、この敷地は外資系プルデンシャル保険の手に渡り、森ビルの開発でプルデンシャルタワーが建っています。

ホテルニュージャパンの別地下には、ニューラテンクォーターという昭和30年代から50年代にかけてかなり有名なナイトクラブがありました。ここで、あの力道山が暴力団員に刺されたことでも知られています。ロバート・ホワイティング著「東京アンダーワールド」にも出てきますね。

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で、このホテルニュージャパンの前に何があったかと言いますと、昭和11年の2・26事件でも有名になった日本料亭「幸楽」があったことは、近現代史に興味のある方の間では常識です。

今でも写真だけが残っていますが、目黒・雅叙園のような大広間のある超高級料亭でした。

その幸楽の前に何があったかと思ったら、投機界の魔王こと雨宮敬次郎の別邸があったというわけです。

しかし、他のネット情報によると、ここには、雨宮敬次郎ではなく、岩谷松平(いわや・まつへい)の別邸があった、と記しているものを発見しました。

岩谷松平と言っても、今では忘れられてしまった人物ですが、「煙草王」と呼ばれた明治の大富豪です。

政府が専売制度にする前に、奇抜な宣伝で「天狗煙草」というタバコを売り出して、それこそ巨万の富を手にした大富豪です。今の東京・銀座の松屋デパートの敷地に天狗煙草の本社があったといいますから、どれほど繁盛していたか想像つくことでしょう。

この岩谷松平の別邸が、幸楽ができる前の敷地にあったとしても何ら不思議ではありません。

 雨宮敬次郎か、岩谷松平か?

真実は一つなんですが、米国でトランプ大統領が登場して以来、世の中には、真実は二つもあるらしいので、両方なのか?

識者の方には是非ともご教授願いたいものです。

と、書いても、どなたも投稿してくんないんですからに~

米墨戦争がターニングポイント

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昨晩、バルザック関係で久し振りに世界史の年表を見ていたところ、面白いことを発見しました。

まさに、バルザックが生きていた時代。1848年はフランスで、第二共和制につながる「二月革命」が起きた年として、歴史に刻まれております。

ちょうど、その同じ年、海の向こうの新大陸では、米墨戦争が終結した年だったんですね。

テキサスが、アメリカ合衆国の28番目の州として併合されたメキシコが、1846年に米国に宣戦布告し、米墨戦争は始まります。戦争は、終始米国優位に進み、1848年、米国は勝利を収めます。

この戦争によってメキシコは領土の半分を失い、米国はカリフォルニア州、アリゾナ州など南西部をメキシコから奪取するのです。

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ついでながら、ルイ14世からその名を付けられたルイジアナ州は、もともとフランス領でしたが、1803年にナポレオンによって米国に売却されます。

同様にフロリダ州も、もともとスペイン領土でした。

あ、「もともと」というのは、間違いでした。史実を正確に記せば、もともとは、ネイティヴ・アメリカンの土地を欧州人が、略奪、剥奪、占領、植民地化したものでした。

昨日、トランプ米大統領が、冗談かと思っていたメキシコ国境に「万里の長城」を建設するという大統領令に署名しました。

世界史年表を見ていると、1846~48年の米墨戦争が、エポックメイキングだということが分かります。

まさに、20世紀的史観から見ると、これは19世紀帝国主義・植民地主義が復活したような悪夢を見ているような感じです。

ゴリオ爺さん、嗚呼、偉大なるバルザック

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世界的なベストセラーとなったトマ・ピケティの「21世紀の資本」の中で、オノレ・ド・バルザックの小説「ゴリオ爺さん」が、盛んに引用されていました。

単なる小説と馬鹿にする勿れ。

舞台は、バルザック本人がちょうど20歳の誕生日を迎えた1819年のパリです。 マダム・ヴォケーが営む賄い付き下宿で当時の最先端の様々な風俗が活写されます。1834年9月から翌35年1月にかけて執筆されました。時にバルザック35歳。

ちなみに、1819年はフランスでは、皇帝ナポレオンの失脚を経た王政復古(ルイ18世)の時代で、七月革命(1830年)も、二月革命(1848年)もまだ先の話。日本は文政2年。

何とも、古典の名作と言われるだけに、そんじょそこらの小説とは桁が違い違い過ぎます。フィクションとはいえ、恐ろしいほどの取材力で、当時実際にあった流行りのレストランや洋品店、下宿代、パン一斤の値段、銀食器の値段…など微に入り細に入り書き留められ、登場人物の心理描写といったら、あまりにもリアル。

伊太利亜フィレンツェ

なるほど、200年後の経済学者が惚れ込んで引用するはずです。

実は、私も、この小説をフィクションとしてではなく、経済書として読み始めております。

実は、と再び書きますが、無謀にも、いきなり、身の程知らずにも、最初は、原書から挑戦してみました。

しかしながら、とてもとても恥ずかしいことに、サッパリ理解できない。まるで外国語のようです。あ、そうでした、外国語でした(笑)。

1ページ読むのに1週間もかかり、それでも、薄ぼんやりとしか、意味がこのウスノロの頭の中に入ってきません。

遂に、諦めて、アンチョコを買うことにしました。アンチョコなんて、懐かしい言葉ですね。今でも使うのかしら?

伊太利亜フィレンツェ

それは、平岡篤頼早大教授訳の文庫版です。奥付を見ると、1972年4月30日、初版発行です。そして、2015年1月30日で41刷も売れておりますから、日本人も捨てたもんじゃないですね。

初版は、もう今から45年も昔なので、翻訳が少し古い感じがしますが、あの難解なフランス語をよくぞここまで日本語に置き換えたものぞと、感服しました。

正直言いますと、日本語で読んでも分かりにくい難解な部分もありますから、これを端から原書で読むなんて無謀だったんですね。

いずれにせよ、1日50杯もコーヒーを飲みながら、量産に次ぐ量産のライティング・マシーンと化しながらも、最期は力尽きて、借金まみれで僅か51年で生涯を終えてしまうこの大作家の作品を遅ればせながら、まるで同時代人になったつもりで、経済書として読んでいる今日この頃です。

本を読みながら、パリのラスパイユ通りに佇むバルザック像を思い出します。200年間近く、世界中の読者から未だに愛読される理由が、今更ながら分かったような気がします。

バルザックは、ヤバイ!

禅宗講話を拝聴して

伊太利亜フィレンツェ

昨日は、ご縁が御座いまして、臨済宗妙心寺派の若き住職さまの講話を拝聴して参りました。

私も人間ですからね。悩みは尽きませんから。

諸行無常、解脱、悟り、生老病死といった基本的な仏教用語の解説などは、皆さんの方がよくご存知でしょうから、今日は、私自身が知らなかった、もしくは、興味深かったことを書いてみます。

まず、驚いたのは、今は「小乗仏教」とは言わないんだそうですね。「上座部仏教」とか言うんだそうです。理由は、ポリティカルコレクトらしいのですが、深い理由は分かりません。小乗は差別用語ではないか、とクレームがあったのでしょう。

それでいて、中国や朝鮮、日本に伝わった「大乗仏教」は、今でもそのまま使われているそうなのでよく分かりません。

仏教には、色んな宗派があることはご案内の通りです。

大雑把に言いますと、(1)飛鳥時代「南都六宗」(2)平安時代「天台宗・真言宗」(3)平安末期・鎌倉時代「浄土宗」「禅宗」と分かれるのではないでしょうか。

もともと、権力者、貴族支配者階級の宗教だったものが、時代を経るに従って庶民に普及していきます。

禅宗の代表的な宗派が、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗となりますが、今回知った最も興味深かったことは、禅宗は、それほど(比較的に)経典を重視しないということでした。(勿論、「無門関」「碧眼録」「臨済録」などの仏典はあります)

つまり、日蓮宗などは、特に法華経を重視し、その一字一句を重要視しますが、禅宗は、(誤解を恐れずに言えば)文字よりも実践を重視するということです。

実践とは、ご案内の通り、座禅のことです。そして、公案と呼ばれる禅問答です。

このほか、本来、仏教者は托鉢や布施で生活し、労働はしなかったのを、時代を経たり、外国に渡って考え方が変わって、するようになり、それが作務と呼ばれるものです。これも、実践に入ります。

ですから、禅宗の場合、それほど仏事でお経をあげない。あげるとすれば、般若心経ぐらいだというのです。

同じ仏教でもこれほど違うのかと思わせます。

伊太利亜フィレンツェ

禅宗でも、臨済宗と曹洞宗の違いも面白かったです。

よく和尚さんが、怒ったり、気合を入れたりするとき「喝!」と言いますね。これは、臨済宗から来たそうです。

臨済宗は、厳しくて男性的。一方の曹洞宗は、柔和で女性的。

臨済宗は、厳し過ぎたせいか、あまり全国的に広がらず、柔和な曹洞宗は青森や秋田など東北まで布教が広がったそうです。

なるほどねえ、です。

あと、僧侶の服装で、見慣れていて分からなかったのですが、前にエプロンのように掛けているのが、禅宗では絡子(らくす)と呼ぶそうです。これは、何かと思いましたら、これこそが僧侶を象徴する袈裟なんだそうですね。

お坊さんが着ている黒染めの和服が袈裟かと思って勘違いしてました。

正式の袈裟は、オーバーコートのようなものだったらしいのですが、色々と作業する際にやりにくいので、簡略されてああなったそうです。

ですから、若いお坊さんは、絡子の働きについては、あまりよく知りませんでした。

最後に、京都にお住まいの京洛先生か教わった「妙心寺の○○顔…、建仁寺の○○顔…」がどうしても思い出せませんでした。

宜しゅうたのんます。

「この世界の片隅に」★★★★★

伊太利亜ヴェニス

男はさすらい。得てして、家に居ては落ち着けないものです。何から何まで、真っ暗闇の世の中じゃありませんか。

メリケン波止場で、しばし、羽根を休めることにして、久しぶりの避難場所として、映画館に行って参りました。週末の図書館は、老人と受験生でごった返して居場所もありませんからね。

で、何を観たかといいますと、ちょっと古くはなりましたが、今現在もロードショーロングラン上映中で、何と、あの白黒戦争で有名な2016年度キネマ旬報年間最優秀作品賞を獲得した「この世界の片隅に」でした。

アニメなのに、それがアニメだということさえ忘れさせてしまうほど、よくできた作品でした。

伊太利亜ヴェニス

舞台は、広島。昭和8年から21年ぐらいにかけて、広島市郊外と、主人公のすずが嫁入りした呉市です。

時代が時代ですから、大日本帝國が、次第に戦争の泥沼にはまっていく世の中です。

しかし、それはあくまでも、書き割りの背景画のようで、主体は、庶民の何気ない日常と家族愛が描かれます。

広島ですから、勿論、原爆投下もあります。海軍の軍港として栄えた呉市には、戦艦大和や武蔵などが寄港し、大変な賑わいを見せておりましたが、それ故、情報戦略に長けた米軍に目を付けられて、散々爆撃に遭います。

それなのに、それら悲惨さ、酷たらしさ、不条理を特別に声高に叫びもせず、糾弾すらせず、淡々と物語は進みます。

物が不足し、配給制となり、庶民は不便を強いられますが、戦争は、こうして、何気ない日常生活の中で、淡々と進行し、気がついたら取り返しがつかないという、却って恐ろしい人間の性(さが)をこの作品は教えてくれます。

脚本がいい。無駄を省き、余計な説明がなく、実に自然で、漫画の原作がそうなっているのか知りませんが、並々ならぬ才能を感じます。

原作者も戦後生まれなのに、よくあそこまで時代考証を調べ尽くし、当時の街並みを再現したものです。特に、「原爆ドーム」となる前のチェコ人の建築家ヤン・レッツェルが設計した「広島県産業奨励館」がよく描かれていました。

こういう映画が、今の日本で受け入れられ、あの殊更有名なキネマ旬報の年間最優秀作品賞に選ばれるなんて、まだまだ、日本も捨てたもんじゃない、と思いました。

メリケン国に花札大統領が就任

伊太利亜ヴェニス

睦月二十日、海の向こうのメリケン国では、とうとう、花札大統領が第45代君主として就任しました。

 浦賀で居座る黒船のペルリ提督の通詞から齎された密書によりますと、花札大統領は、選挙期間中と相も変らぬ暴言で敵対者をねじ伏せて黙らせてから、「今後、予の世から、メリケンを鎖国とする」「人民保険もやめる」「万里の長城をつくる」「貧乏人は麦を喰え」と、高らかに宣言しました。(確か、もともと、メリケン国は、麦でつくったぶれっどとかいうものを食していたはずだが…)

 花札大統領が就任する前は、佐久間象山ら世の識者たちは、「一体どんな世界になるのか想像もつかない」と戦々恐々としておりましたが、なーんてこたあない。昨年のゲチスバーグでの選挙演説と一字一句も変わらない政策を実行しようとしているだけで、今後も簡単に予測がつくことが、この就任演説で証明されました。

 それより、瓦版の連中は、為政者の話よりも、飲み食いや着る物の話が大好きで、早速、大統領夫人のお召しになっている着物は、メリケン国の仕立て屋がつくった上から下まで鮮やかな海の藍色で統一され、さすがに花札大統領が「メリケン鎖国」を宣伝したものですから、夫人も大好きなミラノやパリの仕立て屋服が着られなくてなって残念である、と着色絵入りで大々的に報じておりました。

伊太利亜ヴェニス

 花札大統領は、商売人(あきんど)出身で、政治経験は全くないそうです。

 商売人ですから、何事も損得勘定で物事を判断し、憲法より優先します。

 花札大統領は、「取引」と言う言葉が大好きですが、鎖国ですから、自分の国だけを保護するために、異国との通商は禁止し、すべて朝貢貿易とすることにしました。

 朝貢貿易といえば、昔、我々がお隣の随の国と取引させられたときと全く同じです。我々幕府も、これから、メリケン国のモノが欲しいときは、色目といいますか、賂(まいない)といいますか、本来の価格よりも3割か4割も上乗せして買わないと、売ってもらえないということになるようです。その逆もまた然り。

 本来の価格は、毎日、大坂の堂島で取引されるコメの相場で決まります。

伊太利亜ヴェニス

 昨年は、エゲレス王国が、エウロパ連合からの離脱を宣言しまして、世界をあ、と言わせしめ、先ごろ、五月首相も「わが王国も鎖国するぜよ」と、どういうわけか土佐弁で宣言されておりました。何でだろう…?

 テロ組織を鎮圧中の見廻組佐々木只三郎からの書状では、今、京の巷(ちまた)では、お上(かみ)が大政を奉還するのではないかという噂でもちきりなんだそうです。

 銭形の親分、今年は面白くなりまっせ。