「アビイ・ロード」の証拠写真=40年前の若き私

1979年7月19日(木) ロンドン

この横断歩道を渡っている青年は、40年前の私です。

単なる横断歩道ではありませんよ。ビートルズの4人が歩いたロンドンのアビイ・ロードです。

1979年7月19日(木) ロンドン

 昨日は、ビートルズがレコーディングとして使った「EMIスタジオ」と書きましたが、写真で見ると、「EMI アビイ・ロード・スタジオ」でしたね。

 ビートルズが解散して10年も経っていなかったのですが、世界中から観光客が押し寄せるほどでもなかったでした。

 確か、一部のマニアを除いて、ビートルズ人気は下火でした。

1979年7月19日(木) ロンドン

 はい、証拠写真です。

 押し入れの奥からアルバム写真を見つけて引っ張り出してきました。

 右隣は、同じツアーだった久保君だったと思いますが、何しろ40年も昔のことで忘れてしまいました。この写真を写してから一度も会っていません。

1979年7月19日(木) ロンドン

これは、ロンドンのリージェントパーク近くのポール・マッカートニーの邸宅の門前です。修繕工事をしていました。

こうして、外国人観光客が勝手に近くで写真を撮れた時代でしたね(笑)。

1979年7月20日(金) ロンドンのホステル「インターナショナル学生センター」1泊2300円

 大学4年の夏休みに1カ月間、欧州を旅行しましたが、結局、一緒に写っている今村哲郎君がずっと付き合ってくれました。

 先程のアビイ・ロードの写真を始め、私が写っている写真は、ほとんど彼が撮影してくれました。

1979年7月22日(日) リヴァプール ジョン・レノンが住んでいた家 

 ビートルズの生誕地リヴァプールにも行き、ジョン・レノンが少年時代にミミ伯母さんと住んでいた自宅にも行きました。勿論、当時は別の人が住んでいたのですが、「せっかく来たんだから」と、呼び鈴を鳴らして、住人に話を聞いてしまいました。

 奥さんは「今は(ジョンは)ここにいませんよ。13年前に引っ越しました」と困り顔でした。

 今はそんな勇気はありませんけど。

 13年前というと1966年のこと。また、1979年のこの時はまだジョン・レノンは生きていたんだ!

1979年8月7日(火) ローマ 左からサンティーナ、イザベーラ、ドナテーラさん

 わが生涯、人生で一番、もてた時でした。

 こんな写真を公開するなんて、我ながらかなりの露出狂です(笑)。

 もう40年も大昔なので、今は全く面影もなく、「別人28号」ですから、写っている人も他人みたいなもんです。

 アルバム写真も、本人が死ねばゴミとして捨てられ、永遠に消え去るわけですから、「ま、いっか」てな感じですよ(笑)。

「アビイ・ロード」50周年記念盤に関する私的考察

 僕が生まれて初めて買ったLPレコードは、ビートルズの「アビイ・ロード」です。今からちょうど50年前の1969年10月21日。今はなき、東京郊外のひばりが丘の「ひばり堂」というレコード店でした。価格は2500円、だったと思います。

 今の価格では5000円ぐらいの感覚です。まだティーンエージャーだった僕にとって、2500円はかなり高額。お小遣いを貯めていたか、父親に買ってもらったか忘れましたが、後者の可能性が高い。当時、我が家では、初めてのセパレート・ステレオ、ソニーのインテグラを買ったばかりで、レコード収集に勤しんでおりました。当時、庶民にとって高嶺の花だったこのステレオ機器は、安月給の父親が、近くの「十一屋」という漬物屋工場で、重い樽運びをするアルバイトして買ったもので、過労で倒れて救急車で運ばれたことを覚えています。

 まあ、そんな個人的な思い出は置いといて、その「アビイ・ロード」の「50周年記念エディッション」CD(2枚組=3960円)が発売されたということで、やっと昨日、東京・銀座の山野楽器で買って来ました。LPレコードは、何万、何十万回も擦り切れるほど聴いて、針が飛んでしまうほどになったので、とうの昔に処分してしまいました。1987年に発売されたCDは当然持っていましたが、2枚組の50周年記念盤にはマニア向けのトラックが収録されているので、フリークとしては買わないわけにはいきません(笑)。

 今さらの話ではありますが、アルバムのタイトルになった「アビイ・ロード」は、ロンドンにあるビートルズがレコーディングする「 EMIスタジオ 」の建物入り口前を走る道路で、4人が歩く横断歩道は世界的な観光名所になりました。私も若き頃、1979年8月にここを訪れ、写真を撮って来ました。写真が残っていたら、貼り付けましょう(笑)。(このアルバム・ジャケットから「ポール死亡説」が生まれましたが、長くなるので茲では触れません。)

ビートルズ「アビイ・ロード」

 LPレコードはA面とB面があり、A面には「カム・トゥゲザー」や「サムシング」(両方ともポールのベースラインが秀逸で、「サムシング」のリードはエリック・クラプトンが弾いているのではないか、と当初噂された)などシングルカットされた名曲ぞろい。B面は、クラシックのように、後半に前半のモチーフが再現されたり、カデンツァみたいな曲もあり、一日に何回聴いても飽きませんでした。高校時代からバンドを組み、この難しい「B面(コピー)をやろう」ということで、コピーのために、また何万回聴き直したか分かりません。

 それでいて、歌詞は何度聴いても理解できませんでした(苦笑)。特に「カム・トゥゲザー」は、ジョンが韻を踏むための単語を並べたせいか、今でもさっぱり分かりません。「ユー・ネヴァー・ギヴ・ミー・ユア・マネー」の中に出てくるstep on the gas が「ガスの上に乗る」ではなく、「アクセルを踏む」ということ、「ミーン・ミスター・マスタード」に出てくるgo-getter が「やり手」という意味だと分かったのは、聴き始めてから30年以上経ってからでした。

  「ユー・ネヴァー・ギヴ・ミー・ユア・マネー」 が終わって、「サン・キング」に入る直前に鈴虫が鳴く声のような音が聴こえます。アルバムを買ったばかりの時はちょうど秋だったので、外で本当に虫が鳴いていると錯覚した覚えがあります。

 「アビイ・ロード」にまつわる話となると、一晩かかってしまいますが、最後に付け加えておかなければならないのは、この「50周年エディッション」が49年252日ぶりに全英アルバムチャートで1位に復帰したというニュースです。(英国では1969年9月26日にリリースされ、アルバム・チャートでは17週連続で1位、米ビルボードのアルバム・チャートでは11週連続で1位を獲得)今では、音楽の聴き方がネット配信時代になり、レコードが売れなくなったとはいえ、信じられませんね。

 このCDのリーフレットによると、ビートルズの4人が勢ぞろいするのは、「アビイ・ロード」のマスター・テープ編集をするために行われた1969年8月20日夜のセッションが最後だったといいます。ビートルズは、翌1970年に解散し、アルバム「レット・イット・ビー」が発売されますが、このレコーディングは1969年1月に行われたものでした。事実上、「アビイ・ロード」がビートルズ最期のアルバムとなり、この時、ジョン・レノン28歳、ポール・マッカートニー27歳、ジョージ・ハリスン26歳、リンゴ・スター29歳という若さでした。髭を生やして随分お爺さんに見えましたが、まだ全員20代だったんですね。

 20代にして既に歴史の残る偉業を成し遂げた彼らは、まさに天才でした。

【後記】

 50周年記念盤をじっくり聴いてみましたが、駄目ですね。がっかりしました。

 ジョージ・マーチンの息子のジャイルズらがリミックスしてますが、昔のオリジナルを台無しにしています。特に、「ユー・ネヴァ・ギヴ・ミー・ユア・マネー」は、1969年発売のオリジナル盤では、ポールのヴォーカルが、右から中央、左へと移って行き、「ステレオ」としての醍醐味を感じたものでした。これは、何も手を入れていない1987年発売のCD盤でも踏襲されましたが、50周年記念盤では、ポールのヴォーカルを中央で固定してしまって、本当に興醒めです。また、無駄なリードとして音源を落としていたギターのフレーズを大きく復活して、余計な音に感じます。

 いやあ、もうこの50周年記念盤は、愛聴しないでしょう。ポールはともかく、ジョン・レノンがこんなリミックスを聴いたら、絶対怒るでしょう。

埼玉選管は何をやっているのだ!

WST National Gallery Copyright par Duc de Maysuoqua

埼玉県にお住まいの白羽先生が怒っていました。

10月27日(日)に参議院補欠選挙があるのですが、17日現在でも、いまだに「投票所入場券」が自宅に送られて来ないというのです。

というのは、11日(木)から期日前投票が行われるという「選挙公報」が来て初めて分かったというのです。それなら、11日(木)には投票所入場券が届いていなければなりませんよね(告示は10日)。

白羽先生は、埼玉県選挙管理委員会に「どうなっているのか」問い合わせをしようと、電話番号確認のため、ホームページを探したところ、そこにネットで問い合わせする欄があたので、質問状を送りました。午前9時半ごろです。回答はなかなか来ません。やっと来たのはその日の午後5時15分だったというのです。

 その回答は「御心配をおかけして申し訳ありません」とまずは謝罪で始まっていながら「お問い合わせの投票所入場券は市区町村が配送を行っております。大変恐縮ですが、お住まいの市区町村にお問い合わせください」とあったというのです。

 「馬鹿にするんでねえだあ!二度手間じゃねえかあ!!」と、白羽先生は怒りで手が震えたそうです。

 白羽先生はマスコミ関係の不規則な仕事で、日曜出勤が多く、選挙は大抵「期日前投票」をしているので、怒りに油が注いだ格好になりました。

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 しかも、この今回の埼玉参院補選は、全国的にも注目されているのです。 NHKから国民を守る党党首の立花孝志氏(52)と無所属で前埼玉県知事の上田清司氏(71)との一騎打ちになっているからです。

 N国党首の立花氏は、何かと話題が多い方で、参議院議員を辞職しての出馬です(立花氏の代わりにN国党比例名簿で次点だった新人の浜田聡氏が繰り上げ当選。立花氏の補選出馬は、N国党議員を増やす魂胆も)。 同氏は9月、世界的な人口増への対応で「虐殺」に言及し、東京都中央区議への脅迫容疑で書類送検されるなど言動が物議を醸しています。

 なるほど、これなら如何に補欠選挙といえども、どうしても投票所に行きたくなりますね。

 埼玉選管は何をやってるのだ。しっかりせい!

 

映画「真実」は★★★

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

台風19号の影響で東日本で甚大な被害を受けているので、この3連休は、城歩きなどは自粛しましたが、映画を観に行ってしまいました。

  カンヌ映画祭で「万引き家族」がパルムドールを受賞した是枝裕和監督の最新作「真実」です。フランスの大女優カトリーヌ・ドヌーブ主演という話題作なので、観に行ったわけです。

 大変期待して行ったので、ちょっと厳しい採点になっています。ドヌーブ演じる大女優ファビエンヌが自伝を出版し、ニューヨークに住む脚本家の娘リュミエール( ジュリエット・ビノシュ )が、テレビ俳優の夫ハンク(イーサン・ホークス)と娘と一緒にお祝いに駆けつけますが、自伝に書かれていることは嘘だらけで、娘が憤慨する…といった内容は、結構明かされているので、私も書いちゃいました(笑)。

 この映画自体の主人公が映画俳優で、映画を撮影する場面が何回も出てきて、その出演映画作品がきっかけで、母と娘が和解するような方向になっていく、といったちょっとした仕掛けがマトリョーシカの「入れ子」のようになっていて、大女優ファビエンヌがドヌーブに重なって、何が何だかよく分からなくなってしまいます。名匠フランソワ・トリュフォー監督の「アメリカの夜」(1974年日本公開)という作品も、舞台が映画スタジオで、俳優が俳優役を演じるわけの分からない作品でしたから、この映画を思い出しました。

 「真実」は、日本人が撮った作品で、言葉はフランス語と英語(ビノシュは見事な英語使いでした)という今の時代ならではの作品ですが、全く違和感がなかった、と同時に、日本人ならでは、といった特徴もあまり見受けられませんでしたね。つまり、「万引き家族」のようなエグさやアクの強さ、良い意味でのいやらしさがないんですね、「真実」には。

 グローバリズムの悪影響でしょうか(笑)。ベネチア映画祭でグランプリを逃したのも、しょうがないなあ、と思いました。

 つまり、是枝監督は「万引き家族」では、年金詐欺、擬似家族といった極めて日本的(ドメスティック)な問題を普遍的な問題に昇華して、世界から共感を得たのに対して、「真実」は最初から普遍的な問題が露わになってしまった感があり、それが逆に共感にまで昇華しなかったのではないか。そう思ったわけです。

台風19号の猛威と横浜カジノ誘致の裏側

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「今まで経験したことがない」「数十年ぶりの大雨」「命を守る行動を取るようにしてください」ー。これを書いているのは10月12日(日)午後2時頃ですが、昨日の11日(土)に伊豆半島に上陸して、東北地方まで縦断した台風19号は、東日本に甚大な被害を及ぼしました。

 今回は堤防の決壊などで多くの川が氾濫しましたので、これから、さらなる被害状況が徐々に明らかになっていくことでしょう。 氾濫した川は、島崎藤村が叙情的に詩(うた)いあげた長野県の千曲川、それに私も「山城歩き」で側を歩いた埼玉県の都幾川や富裕層が住まう東京と川崎の多摩川などでした。

 昔は「地震、雷、火事、親父」と言われてましたが、親父の権威は急降下して地底深くに潜り、今は「地震、台風、雷、火事、洪水、土砂崩れ、雪崩」ということになるんじゃないでしょうか。

 被害に遭われた皆様には御見舞い申し上げます。

 私は、激しい雨で夜は眠りにくかったですが、幸いなことに、自宅周辺での被害がなく、断水も停電もありませんでした。

 テレビを見てたら、宇都宮市内の道路が冠水していたので少し心配になりました。今週末に(そう言えば)生まれて初めて宇都宮に出掛けて、地元の栗原先生に宇都宮城などを案内して頂く予定でしたから。また、来月行く予定の唐沢山城のある栃木県佐野市も今回、川が氾濫して、低地は水浸しになっていました。改めて、御見舞い申し上げます。

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 さて、「毎日一日も欠かさない執筆」が建て前のこのブログ「渓流斎日乗」ですが、もうそんなことを言ってられなくなりました。日々、仕事でのパソコン作業とスマホ中毒で眼精疲労で眼痛が酷くなってきたからです。

 特に先週末に、パソコンのWindows10のアップグレードがあるとかで、自宅に光ケーブルも無制限Wi-Fiもないため、ある喫茶店(のWi-Fi)でチャレンジしたところ、3時間以上も掛かってしまいました。お蔭で、眼痛が酷くなり、視力も一気に落ちた感じになりました。

 この喫茶店は名古屋発祥の超人気店で、週末は超満員で、店内にパソコンを持ち込む若者も多く、そのせいか、「お一人様、2時間制」という時間制限までやりやがって、時間が過ぎると、肩を叩かれます。私は仕方ないので、飲みたくもない珈琲を2杯も注文しましたよ。1杯450円、フィッシュフライバーガー480円で、計1380円也。

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 嗚呼、せっかくブログを再開したというのに、あまり個人的なことばかり書いていてはいけませんね(笑)。

 京洛先生のお薦めで、10日発売の月刊「文藝春秋」11月号で、「ハマのドン」と言われる著名な藤木幸夫氏の「菅官房長官、カジノは筋悪だよ」を読みました。

 あれほど、カジノに大賛成だった藤木氏が、何で急に、大反対に回ったのか、これを読んで、よく分かりました。ギャンブル依存症の怖さを痛感したことと、同氏は、米国筋からの圧力があったのではないか、と推測しています。

 米国筋とは、トランプ米大統領の選挙資金として2000万米ドル(約22億円)を用立てした「カジノの帝王」こと「ラスベガス・サンズ」社のシェルドン・アデルソン会長のことです。当選したばかりのトランプ氏にいち早く面会したい安倍首相が、ソフトバンクの孫正義会長を通して、アデルソン会長に仲介してもらったそうです。その恩返しとして、アデルソン会長⇒トランプ大統領⇒安倍首相⇒菅官房長⇒林・横浜市長の流れで、横浜市が「カジノ都市」として立候補するように、陰に陽に圧力があったのではないか、というのが藤木氏の見立てでした。

 このほか、同誌では、「新天皇・雅子皇后『65人の証言』」が特集され、この中で、皆様ご存知の八牧浩行氏の「証言」も掲載されておりました。御同慶の至りで御座います。

「他人を見たら泥棒と思え」の世界

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 (昨日の続き)

 昨日は、あのようなブログ(「他人は変えられない」)を書いた後になって、やっと、弱者を蔑(ないがし)ろにする出世欲の強い自己保身の塊の男から返信メールが来ました。

「至らぬことがあれば、遺憾に存じます」

 何じゃ、こりゃあ? まるで政治家の国会答弁じゃないですか!

 この「至らぬことがあれば」の「あれば」が曲者です。本心は、至らぬことがあったとは、少しも思っていない。「あれば」は、よしんば仮に、という話です。あるとしても百億万分の一ぐらい。あったとしても知ったことはない。あくまでも、俺は何も悪いことはしていない、という主張です。

 この「遺憾」も謝罪になっていない。あくまでも他人事。百歩譲っても、「わーるいねえ、わーるいねえ」といった感じで、言い方も小松政夫風。反省も何にもしていないのです。

赤坂不動さんの好きな「義を見て為ざるは勇無きなり」の精神で思い切って、上申書を提出しても、本人は、今後の自分の出世に害が及ばぬよう、穏便に済ませたいだけですから、もう何をしても始まりませんね。暖簾に腕押しでした。

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 さて、先日は、偽メールに見事騙されてしまいました。アフリカの某国の御夫人で、これから日本に夫婦2人で行くので1週間、通訳ガイドしてほしい、といった英文での依頼です。ガイド料は、1週間で9000ユーロを予定している、といったものでした。

 私はその料金の多寡をよく確かめず、単に1週間という長期の期間は無理なので、真面目にお断りの返信を送ったのでした。そしたら、このメールは私以外に2人の日本人の通訳ガイドにも、同じ文面が送られていて、そのうちの1人から先ほど、「アフリカ人と称する人からメールが届いたと思いますが、それは詐欺メールです。私は8月20日にも同じようなメールが届き、今回が2度目です。御存知だったかもしれませんが、一応連絡を差し上げました。気をつけてくださいませ」と私に連絡をくださったのです。

 驚きました。同時に、わざわざ連絡してくださった面識の全くないMさんには感謝のメールを返信しておきました。

 詐欺グループの目的は分かりませんが、このままいけば、振り込みをするからという理由で、銀行口座を聞かれたり、何やかやと交渉してくることでしょう。

 詐欺も国際的になりました。しかも、メールという実に簡単な手段で。他にも毎日のように、「高額賞金が当選した」だの、「子どもが大病にかかり手術代が必要だ」だの、「亡命資金のための寄付をしてほしい」だのといったメールが飛び込んできます。そういう疑惑メールは、すぐ見破れますが、今回の「通訳依頼」メールには見事、騙されてしまいました。そうそう、いつぞやは、「Apple ID 変更」のお知らせには、まんまと引っ掛かるところでした。Apple のロゴや電話番号は本物と同じでしたが、メールアドレスが、変でした。Appleの Aの文字も入っていない、何か怪しげな、架空のメールアドレスでした。

 こういうメールは私だけに来るのかと思ったら、周囲にも結構、いることはいるんですね。とはいえ、このままでは「他人(ひと)を見たら泥棒と思え」の世界を地で行くしかない世の中になってきました。

 受信メールには、今後、細心の注意を払うことにしますが、随分せちがない世の中になったものです。

 

 

 

他人は変えられない

 浄土宗廓信寺

 私自身は、天才でも秀才でもなく、お金持ちでも富裕層でもない、単なる迷える凡夫ではありますが、世の中には自己保身が強く、自己の出世のために汲々としている人間を見ると怒りさえ覚えます。

 それが「社会の木鐸」と呼ばれ、裁判官のように関西電力の幹部を批判しているようなマスコミの人間となると尚更です。自分の出世のためなら、平気で嘘をつき、人を裏切り、逃げ隠れする卑怯な行為をしても何とも思っていません。

 先日、ラジオを聴いていたら、日本のジャズ界の至宝北村英治さんが見事なクラリネットのライブ演奏を聴かせてくれました。今年満90歳だというのに、失礼ながら全く音色は衰えていません。

 司会者が長生きの秘訣を聞いたところ、彼は「嫌な奴と付き合わないことかなあ」と即、答えていたので納得してしまいました(笑)。でも、仕事上、嫌な人間と付き合わざるを得ない人も多いはず。接客業となると相当大変です。アーティストだから、長生きできるのかもしれません。

 北村さんによると、ジャズ界にも嫌な奴がいるらしいですね。驚いたことに、大変著名なベニー・グッドマンやスタン・ゲッツなんかも非常に「嫌な人」らしく、北村氏も「いくら演奏が素晴らしくても、個人的には付き合いたくないなあ」と本音を漏らしていました。そう言えば、ジャズ・マンは個性的な人が多く、カルテットやクインテットを組んでも長続きするケースは少ないですよね。

浄土宗廓信寺  法然上人

 ということで、ここ2~3日は、人間関係で不愉快な日々が続きましたが、相手は梃子でも動くわけがなく、考え方も行いも変えるわけがなく、結局、こっちが変わるしかないんですよね。

 自然災害と同じです。いくら科学や技術が進歩しても、人間が台風の進路を変えたり、噴火を止めたりすることは不可能でしょう。

 そう言えば、人間も自然の一部でした。自然を変えられないと同じように、他人も変えられないのです。そう考えたら、スッキリしました。

新宿駅は尾張犬山藩成瀬家の下屋敷だった=「古地図で歩く江戸・東京」

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 「特別展 サムライ」を観に行った江戸東京博物館のミュージアムショップで、面白そうな本を見つけたので買ってきました。

 「江戸楽」編集部著「古地図で歩く江戸・東京」(メイツ出版)です。まさに、江戸時代の古地図と現代の地図が比較して見開きで掲載され、お勧め散歩コースまでついているのです。

 でも、私自身、江戸城も、八丁堀も、浅草も、ほとんど一度は散策したところが多く、既に教養と雑学知識も増えてしまっていますから、それほど新発見はありませんでした。

 というのは、ちょっと傲慢なので、この本を通して私自身が初めて知ったことを書き連ねていくことにしましょう。

 ●巣鴨にある「とげぬき地蔵」として知られる高岩寺。もともとは、慶長元年(1596年)に湯島に創建され、約60年後に下谷屏風坂(上野の現在、岩倉高校があるところ)に移転して、それから明治24年(1891年)、巣鴨に移っていったというのです。(この本にはそこまで詳しく書かれていませんでしたので、補足しておきました)

 江戸時代は、火事が多かったでしたから、寺院の移転も結構多くあったということでしょう。高岩寺は正式名称は曹洞宗萬頂山高岩寺です。曹洞宗だったんですね。

●現在、新宿御苑がある広大な敷地は、信州高遠藩の内藤家の下屋敷があったことはよく知られておりますが、さて、現在、新宿駅があるところは、江戸時代は何だったでしょうか?-何と、国宝になっている犬山城の城主尾張犬山藩成瀬家の下屋敷があったというのです。成瀬家は、組下の鉄砲隊・根来組を内藤新宿に配備していたそうです。

●「青山」の地名は、徳川家康から宅地を与えられた老中青山忠成が、美濃郡上藩の下屋敷を構えたことからそう呼ばれるようになったことは御存知だと思いますが、神保町は、御存知でしたか?-神保長治という旗本が住んでいたことから付けられたんですね。明治以降は多くの学校だけでなく、感染症患者を受け入れる神保院が建てられたそうです。

●市ヶ谷の防衛省の敷地は、御三家、尾張徳川藩の上屋敷だったんですね。邸内には「楽々園」と呼ばれる広大な庭園があったそうです。

以上

「久留米藩士江戸勤番長屋」は忍藩の尾崎石城さんの世界とそっくり=特別展「サムライ 天下太平を支えた人びと」

 10月だというのに気温30度の中、半袖姿で、東京・両国の江戸東京博物館で開催中(11月4日まで)の「特別展 士 サムライ 天下太平を支えた人びと」を観に行って来ました。 

 当初は全く観に行く予定はなかったのですが、「久留米藩士江戸勤番長屋絵巻」の展示が10月6日で終わってしまう、という告知を新聞で見つけたからでした。(それ以降は会期まで複製を展示)

 久留米藩というのは、個人的ながら私の髙田家の先祖の出身藩です。御舟手方御水主組頭だった髙田家は「五石六斗白太二人」という「三石一斗」の足軽よりほんの少しだけ身分が上の下級武士でしたが、武士の端くれです。江戸時代の武士階級の人口は、全体のわずか7%だったと言われていますから、下級武士とはいえ、立派なお侍です(笑)。(ちなみに、下級武士とは五〇石未満の武士ですから、五石六斗程度ではかなりの下級武士です。もともと髙田家は、どうも「卒族」だったのが、幕末辺りに「新士族」になったらしいのです。御舟手方の「旧士族」は、船頭で、これも大中小と御船頭並の四階級に分かれており、一人しかいない大船頭でもわずか十石一斗三升、白太四人扶持。下級武士でも御舟手方はそれほど高くない石高だったようです)

 狭い世界ですから、もしかして、この 「久留米藩士江戸勤番長屋絵巻」 に描かれた武士と、私の先祖は面識があったかもしれません。そう思うと見逃すわけには行きませんでした。

ふだんは買わない図録まで思い切って買ってしまいました。2343円

 会場に着いたら、いきなり通せんぼされました。荷物検査です。「ワールドカップ・ラグビーをやっているもので」と、汚い警備員服を着た係のおばさんは、済まなそうに理由を説明してましたが、豊田市なら分かりますが、両国なんかで、ラグビーやっていないでしょ!

 頭にきたのは、帰りの出口でも再度、荷物検査をさせられたことです。「さっき、入り口でやったじゃないか」と抗議すると、「まあ、入り口は入り口でして…、むにゃむにゃ…」といった感じでした。人を犯人扱いしやがって!

 入場料も1100円とチト高い。65歳以上になると半額ぐらいになるようでしたが、あたしはまだそこまで年は取っていませんでした。

 特別展は、同館の学芸員の皆さん方が知恵を集めて収集してきた「江戸の風俗画や古写真、古記録、手紙、道具類などサムライの日常を伝える資料およそ200点」が展示されていました。

 恐らく、 ほとんどの人のお目当ては、「幕末の三舟」と言われた勝海舟、高橋泥舟、山岡鉄舟の3人の記録や衣装、免許皆伝書などだったことでしょうが、私のお目当ては、最初に書いた通り、「久留米藩士江戸勤番長屋絵巻」でした。本物を観ることができて、打ち震えるほど感動しました。…あ、大袈裟でした。

「久留米藩江戸勤番長屋絵巻」。右上はTシャツや布バッグにプリントされて販売されてました。

  「江戸勤番」というのは、諸大名が参勤交代で江戸での定期的な居住を幕府から義務付けられていましたが、江戸にある大名屋敷に暮らす江戸詰めの家臣たちのことを指します。これには大名が地元からの参府から帰国までの行動を伴にする武士(単身赴任者が多かった)もいれば、一定期間、江戸に滞在して、屋敷の管理や幕府、諸大名との折衝などに当たる武士(定府=じょうふ=といって、妻帯が許された)もいて、いずれも、大名屋敷内の御長屋(勤番長屋)で起居していたといいます。

 この「久留米藩士江戸勤番長屋絵巻」は、かつて江戸勤番を体験した久留米有馬藩の家臣たちが、明治になって昔日を懐かしみ、同僚だった元御用絵師の三谷勝波に描かせたものです。序文は、元目付の戸田熊次郎。天保10年(1839年)前後の、三田赤羽根橋(現東京都港区三田)にあった久留米藩上屋敷に居住した藩士の日常の暮らしぶりが描かれています。

 この中で、「高原乙次郎の部屋にて暴飲の図」では、酒に酔った藩士たちが戸板をひっくり返したり、妙な踊りを踊っていたりしています。説明文にはこんなことが書かれていました。

 藩主有馬頼徳(ありま・よりのり)は帰国の間近に突如幕府から増上寺火の番を命じられる。このため、勤番士の帰国も延期、鬱屈冷めやらず暴飲乱交行の次第となった。天保10年4月5日の出来事。

 武士とはいえ、いかにも人間的な、です。

どうですか。それにしても、真面目に職務を遂行している姿よりも、酒盛りをしている場面が多く描かれていますね(笑)。私が今年7月19日の渓流斎ブログで取り上げた「謹慎中の武士が町人と僧侶と一緒にどんちゃん騒ぎ」の中で、大好きな忍藩の下級武士尾崎石城さんの描く酒盛りの世界とそっくりじゃあ、ありませんか!

悪名高き経産省と業界との癒着

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 岐阜の高山先生です。

 日本は「情報格差」が大きいと言われていますが、おそらく貴人の視野にも入っていないでしょう。

 一昨日から「競輪」のシステムに大障害が起こり、10月3日(金)、4日(土)の2日間、競輪が開催中止され、今日以降も開催が出来るかどうか、復旧のメドもたっていない状況です。

 スポーツ新聞各紙は、出走表が掲載できないので「お断り」を載せていますが、一般紙は勿論、テレビの低俗なワイドショウも全く取り上げていません。

 主催者の「JKA(公益財団法人)」の責任は大きいですが、この「JKA」は、競輪、オートレスを運営している経済産業省所管の団体で、霞が関の天下り組織なのです。

 JKAは「オッズデータの提供が出来なくなり、番組編成などの入力処理もできない。原因不明で、開発メーカーが今、調査している」としていますが、競輪の売り上げが、ここへきて急激に落ち込んでいます。近年は、開催地の自治体が続出しているだけに、これはその組織存在に大きな痛手になりそうです。

 恐らく、開発システムを委託した業者の手抜きがシステムダウンの原因だと思いますが、「JKA」とシステム委託業者との受発注にも、不明朗な関係や癒着があると疑われても仕方ないことでしょう。

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 福井県高浜町の森山栄治元助役が、関西電力会長以下20人へ贈与した巨額な賄賂もそうですが、経産省関連に、こういう不祥事は頻繁に起こっています。経産省と業者との腐れ縁は、こうした「原発ビジネス」に象徴されるように構造的にあるからです。

 業界は天下りを受けることで、利権を得る構造は、そう簡単に断ち切れるものではありませんね。そこに政治家も関わるわけです。今回の関電シンジケート事件では、安倍晋三首相の大のお気に入り、地元福井県選出の稲田朋美元防衛相、現自民党幹事長代行が、高浜町の森山元助役が取締役を務めていた警備会社から2013年までに計36万円の寄付金を受け取っていた事実も判明しました。

 しかも、今や「これが見えぬか!」と安倍首相の印籠を振りかざして、首相官邸で大権勢をふるっているのが、この悪名高き経産省出身の今井尚哉首相補佐官(安倍家と今井家は親戚)なのです。「選良」の国会議員よりも政治力があり、霞が関の官僚も人事での制裁を恐れて、今井補佐官のご機嫌を伺わないとどうにもこうにもならないわけです。

 これは、永田町で取材している政治部記者の間では常識ですが、大手マスコミはどこも書きませんね。渓流斎ブログも、知っていて書かないでしょう?(笑)

 「競輪の開催中止など、たいした問題じゃない」と考える人は、エスタブリッシュメントか似非エスタブリッシュメントなのです。

 こんないい加減なシステムを「公共財団法人」が採用していて、何が「カジノ誘致」ですか!競輪ファンしかこの事実を知らないというのは、いつもながら、いかに、問題ある事実や情報が、ごく一部にしか伝わっていないということの証左なのです。

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 そもそも、日本人の金持ちは、日本国内でカジノなんかやりませんよ。マネーロンダリングを兼ねてラスベガスやマカオに行くわけですから。「個人番号カード」で税務署に筒抜けの国内で誰がやりますか。

 だから、日本の賭博は、貧困層によって支えられているのです。麻雀もパチンコも、競輪も競馬も競艇も、現場に行けば、そりゃあ、1%ぐらいは貴賓席でふんぞり返っている大金持ちがいても、99%は貧民ですよ。

 つまり、日本の賭博業界は、貧困層によって支えられているわけです。一攫千金を夢見る庶民のささやかな楽しみであるわけです。だから、毎回「オケラ」になっても、彼らは死ぬまで賭博(ギャンブル)をやり続けるのです。