元朝日新聞論説委員の隈元信一さん逝く、行年69歳

 元朝日新聞論説委員の畏友隈元信一さんが、10月17日午前6時7分、都内の病院で亡くなられました。行年69歳。10月23日が誕生日だということで、あと少しで70歳の誕生日を迎えるはずでした。2年前の2021年夏に発病し、余命3カ月から半年と医者から宣告されたようですが、激痛を乗り越えて、よくぞ闘病生活を耐え抜いたと思います。覚悟はしておりましたが、やはり、哀しいし、寂しい思いです。

 隈元さんは2017年に朝日新聞を退社後、放送評論が専門のフリージャーナリストとして活躍されていました。何冊か本を出版していますので、この渓流斎ブログでも何回か「本名」で登場させてもらっています。

 ・2017年12月18日付「【書評】「永六輔」を読んで」

 ・2022年2月16日付「激震の1990年代の放送界を振り返る=隈元信一著『探訪 ローカル番組の作り手たち』を読みながら」

 などです。それらの記事に私と彼との出会いや個人的な交流などを書いていますので、御面倒ながらそちらをご参照ください。

 また、会員でしか読めませんが、ネットの「論座」で13回に渡って闘病記を連載されていました。今、検索したら、ウイキペディアになるほどの「有名人」でした。

 大学の講師なども務めましたが、異様に行動力のあるジャーナリストで、日本全国だけでなく、アジア、特に韓国とインドネシアの演劇や音楽などの文化にも幅広く精通し、何年間か滞在していたこともありました。ですから、交際範囲が異様に広く、フェイスブックの「お友達」も1000人以上といいましたから、凄いの一言です。これは、以前のブログに書きましたが、彼が闘病入院中、有志の方が隈元さんの本(「探訪」)の出版基金募集を呼び掛けたところ、その年の2021年末の時点で361人の応募があったといいますから、彼の実質を伴った「人徳」が証明されたようなものでした。

私もよく行っていた王子のmam-and-pap bookstoreも閉店してしまい本当に本当に残念です

 隈元さんとは30年以上のお付き合いでしたが、大変お忙しい人だったので、それほど頻繁にお会いしていたわけではありません。でも、何年振りかに会っても、そのギャップやスパンを感じさせず、いつも気さくで親しみ深く接してくれました。小生を弟のように可愛がってくれた、と言っても良いでしょう。

 彼の取材での得意技は、あの奇人さんとも言うべき永六輔さんに非常に食い込んだように、一旦、この人だと思った取材相手は最後まで離さない粘り強さにあったと思います。まだ本や文章には書かれていない、多くの人から直接得たいわゆるヒューミント情報を多く持っていましたから、かなり説得力がありました。それでいて、彼の性格なのか、茲では書けない、かなりシビアというかシニカルな批判も多々ありました。ただ、持って生まれた洞察力は人より抜きんでいて、彼の想像や推測した通りに、物事や人事が進んでいく有り様を見て、舌を巻いたことが何度もありました。

 クマモッチャン、もうあの「隈元節」が聞けないと思うと、本当に残念で、心の底から悲しみが込み上げて来ます。御冥福をお祈り申し上げます。

【追記】

 このブログを読んだ満洲研究家の松岡將氏から早速メールを頂きました。5年前に隈元さんとは一度拙宅でお会いしたことがあったというのです。「まだお若いのに本当に残念です。ご冥福を祈るのみです」といった趣旨の内容でした。

 そうでした、そうでした。すっかり忘れておりました。隈元さんの東大の卒論のテーマが「満洲問題」だということを聞き、「それなら松岡さんを知らないと潜りだよ!」と言って、松岡氏のご自宅に押し掛けたのでした。この時、満洲国の総務庁次長だった古海忠之氏の御子息も参加しました。調べたら、渓流斎ブログ2018年4月9日付 「久しぶりの満洲懇話会」にその模様を詳しく書いておりました(笑)。

 この時、松岡氏から高価な「獺祭」を振る舞われました。いつもながら、本当に御迷惑をお掛けしました。

21歳の6割が読書しないという現実と将来は?

  10月16日付東京新聞夕刊に掲載された「読書せず 21歳6割 動画サイト普及一因?」という記事には驚かされました。何しろ、21歳の若者の6割は全く本を読まないというのですから、ビックリしました。

 文科省が13日に公表した2022年の「21世紀出生児縦断調査」で、2001年生まれの約2万2000人からの回答を分析した結果だそうで、「この1カ月に読んで紙の書籍(本)の数は?」との質問に「0冊」と答えたのは62.3%に上ったといいます。2011年(当時10歳)調査では、「1カ月0冊」は10.3%しかいなかったのに、この有様です。

 調査官は「SNSや動画投稿サイトの普及が一因」と指摘していますが、本を読まない人類が出現したということなのでしょう。だって、電車内を見渡してみても、車内で新聞や週刊誌、本を読んでいる人間はほとんど皆無です。たまーに見かけたとしても、その方は中年、いや初老以上の方で、私を含めていわゆる旧人類ばかりです。新人類はほぼ全員、スマホの画面に釘付けになっております。

銀座「築地のさかな屋」アジフライ定食1100円

 別に他人が何しようが構いませんけど、嫌でも眼に入ってきてしまう他人のスマホの画面は、ゲームやドラマや映画の動画か、旧ツイッターやLINEなどのSNS、通販サイトなどです。確かに本なんか読んでいる暇はありませんね。彼らはスマホで明け暮れて一日が終わり、スマホの動画で一生が終わる人生を送ることでしょう。ご苦労様です。

 私は旧人類ですから、やはり、紙の新聞や本や雑誌でなければ駄目ですねえ。特に私は、bookworm ですから、手近に本がなければ、禁断中毒症状を起こすほどです。大袈裟な!(笑)。

 だから、この渓流斎ブログも自分が読んで面白かった本の「読書感想文」めいた話で埋め尽くされていることは、皆様、御案内の通りです。

 でも、冷静に考えれば、若者たちが紙の本を読まなくなったとはいっても、スマホやパソコン等で電子の活字は読んでいることでしょう。頭脳が言語を介して理解するようになっている構図なら、活字はなくならず、読まざるを得ないからです。

 スマホやパソコンで長文の電子活字を読むのはキツくありませんか? 目が悪くなるし。。。そっか、だから「短文」が流行るでしょうね(笑)。

 これは暴論にはならないと思いますが、私は旧世代としてこの世に生まれてきて本当に良かったなあと思っています。今の世の中はあまりにも忙しないです。それに、電子活字なんか大嫌いです。何よりも紙媒体を好みます。私が子どもの頃は、テレビゲームなんかありませんから、野山を駆け回って遊んでいました。幸運な平和で牧歌的な時代に生まれ育って、こればっかしは、恩恵といいますか、運命ですから、感謝するしかありません。

獨協大初のプロ、ヤクルト並木選手と荒木大輔さんの話=新富町「煉瓦亭」御主人との初会話

 これだけ銀座、築地、新富町とランチで色んな店を徘徊しているというのに、店の御主人と顔馴染みになって話をするようなお店はそれほど多くはありません。5~6軒、いや3~4軒ぐらいではないでしょうか。

 昔の歌謡曲に「東京砂漠」といった曲があったように、大都会では、なるべくソッとしておいて、他人のプライバシーに立ち入らず、良い意味で見て見ぬふりをしてあげる、というのが習わしになっているからだと思います。

 1895年創業で、カツレツなどの発祥地として知られる銀座の洋食屋「煉瓦亭」から暖簾分けした新富町の「煉瓦亭」(創業1963年)には月に2回ぐらいは通う馴染みの店ですが、カウンター席の目の前で配膳する御主人と話を交わすことはほとんどありませんでした(注文しますからねえ。それぐらい言葉は交わします=笑)。

 それがひょんな拍子で本日はおしゃべりすることになったのです。カウンター席から目の上にある壁には日ハム時代の大谷翔平ら沢山の野球選手やラグビー選手のパネル写真が飾られています。それらを食事が来る前に見るとはなしに見ていたら、御主人の篠原さんが、「その右端の写真のヤクルトの並木って選手、獨協大学の後輩なんですよ。独協から初めてプロになったんですよ」と、嬉しそうに私に話しかけてきたのです。

銀座「シシリア」(京都新聞東京支社地下)

 最近のプロ野球には私は疎くなってしまいましたが、確かに、並木秀尊選手(24)は、2020年のドラフト会議でヤクルトから5巡目で指名された外野手でした。背番号は「0」。俊足でならし、大学3年秋に参加した日本代表候補合宿の50メートル走計測で、「サニブラウンに勝った男」と呼ばれた中央大学の五十幡亮汰の5秒42を上回る5秒32を記録したことから、「『サニブラウンに勝った男』に勝った男」の綽名が付き、並木選手は、写真の色紙にも「『サニブラウンに勝った男』に勝った男」とサインしていました(笑)。

 3年目の今年は、82試合に出場し、打率2割7分4厘、本塁打1を記録しています。とにかく、「煉瓦亭」の御主人としては「獨協大からの初めてのプロ野球選手」ということで嬉しくてたまらないのです。本人は「我々の時は、草野球程度でしたよ」と大いに謙遜してましたが、実際は、首都大学リーグの獨協大学野球部のショートの巧打者として頑張っていたようなので、後輩の活躍に目を細めるばかりでした。

銀座「シシリア」ハンバーグ定食980円 安くて美味しい老舗店です

 獨協大学と言えば、2年前に亡くなった私の親友の神林康君の出身大学で、一度、埼玉県草加市にある獨協大の文化祭に行ったことがありました。当時、(今も)人気女優のかたせ梨乃も同大学出身で、もしかして大学祭に来るかもしれないということで行ったのですが、結局会えず仕舞いでした(苦笑)。「煉瓦亭」の御主人は「昔は、獨協大の駅は東武伊勢崎線の『松原団地駅』でしたが、団地が老朽化して取り壊されたりしたので、今は『獨協大学前駅』に変わったんですよ」と教えてくれました。私が獨協大の文化祭に行ったのも半世紀近い昔ですから変わるはずです。

 そうそう、御主人は成城高校時代も野球部で、甲子園大会予選の東東京大会の準決勝か準々決勝で、当時、大人気スターの荒木大輔擁する早稲田実業高校に惜敗したそうです。そのパネル写真も飾っていました。

 新富町「煉瓦亭」の御主人は、テレビ東京の「アド街ック天国」にも出演していたので、「テレビに出てましたねえ」と冷やかすと、「もう60歳なのに、いやはや」と照れたような表情を浮かべていました。いやいや、私より年長に見えていたので、意外な若さに吃驚です。後で、荒木大輔(ヤクルトなど~野球解説者)さんの年齢を調べてみたら、1964年5月生まれの59歳。確かに、甲子園大会東京予選で、御主人が激突した同世代でした。

 あの荒木大輔が来年、還暦になるとは、私も年を取るはずです。

情報デトックスの薦め

 ネット時代になって、情報量が一体どれくらい増えたと思っているんだ?ーなぞと誰かに問いかけているわけでもなく、自分自身に聞いているわけですが、最近、加齢により情報処理能力が幾何学級数的に減退しているので、なお一層、自分に問いかけています。

 昔は、聖徳太子のように、ラジオを聴きながら勉強するとか、平気で出来たのに、今や、複数の音声を同時に理解することは不可能になりました。

 何しろ、今やフェイクニュースを始め、玉石混交の訳が分からないような情報が雨あられの如く、襲い掛かって来ます。これだけの情報に囲まれる時代は人類史上初めてではないでしょうか?

 脳処理能力の限界を感じませんか?

築地「海鮮 はしば」

 私が小さい頃は我が家にまだテレビがありませんでした。世間の情報収集はラジオと新聞と隣近所からの噂話だけでした。牧歌的時代だったと言えるかもしれません。今や、そのラジオも新聞も時代遅れになり、BS、CSのマルチチャンネルをものにしたテレビの時代かと思ったら、あっと言う間に、テレビもネットの後塵に拝してしまいました。

 速報性も情報量の多さも、最先端ではなく、既に流行遅れの音楽やファッションや昭和の映画までも、そして何よりもドル箱の広告も、テレビはもうネットには敵いません。ネットは時代や流行を超越し、資本主義の最大の「富の源泉」である広告を独占してしまいました!

 昔は、大スターやアイドルといえば、三船敏郎、アラン・ドロン、天地真理…と十数人程度(年齢がバレる!)、しっかり顔と名前が一致して覚えられたのに、今や、数百人、数千人、いや数万人いるかもしれません。とても覚えきれません。

 昔の人気スポーツは、プロ野球か相撲ぐらいしかなかったのに、今や、サッカーやラグビーどころか、よく分からない山登りのような競技やスケボーの競技まで五輪種目になって若者に大人気です。セパタクロー

 ニュースも既存の新聞社・通信社、出版社だけでなく、聞いたことがない専門ニュース・アプリが立ち上げられては消え、消えてはまた立ち上げられたりしています。

◇◇◇◇◇

 それで、何が言いたいのかと言いますと、「脳疲労」を感じた人は、テレビで宣伝しているような薬に頼ることなく、いわゆる「情報デトックス」をしたらどうか?というそのお薦めです。意図的にパソコンやスマホの電源を切ったり、アプリを削除したりして、情報を遮断することです。もう7~8年前から言われています。

築地「海鮮 はしば」 鮮魚丼1500円 量が多い!!

 「まず、《渓流斎日乗》は読まずに、お気に入りから削除すことだな」

 えっ? 貴方は誰ですか? 意地が悪いですねえ。まあ、的を射ておりますが。。。勘弁してくれい!

築地「シュマッツ」ジンジャーボーク定食1100円

 なるべく、更新していきますから、これからもどうぞ宜しくお願い申し上げます🙇

ゾルゲは「陸軍中野学校」出身みたいだった?=「新資料が語るゾルゲ事件」シリーズ第2弾、オーウェン・マシューズ著、鈴木規夫・加藤哲郎訳「ゾルゲ伝 スターリンのマスター・エージェント」(みすず書房)

 長年のこの渓流斎ブログの御愛読者の皆さまならよく御存知かと思いますが、私は、長年、「20世紀最大の国際スパイ事件」と呼ばれる「ゾルゲ事件」にはまってしまい、このブログでも散々書いて来ました。(そのほとんどの記事は、小生の不手際で消滅してしまいましたが)

 関連書籍もかなり読み込んできたので、偉そうですが、何でも知っているつもりになってしまいました。そのため、しばらくゾルゲ事件関係から離れていました。そしたら、解散した日露歴史研究センターを引き継ぐ格好で、加藤哲郎一橋大学名誉教授らが昨年、「尾崎=ゾルゲ研究会」を立ち上げ、ほぼ同時に、みすず書房から「新資料が語るゾルゲ事件」シリーズ全4巻の刊行が昨年10月から刊行開始されたこともあり、その潮流に巻き込まれる形で、またまた小生のゾルゲ事件に関する興味も再燃してしまったのでした。

浮間舟渡公園

 ちょっと余談ながら、私が最近、《渓流斎日乗》でゾルゲ事件に関してどんなことを書いていたかピックアップさせて頂きます。

①2018年4月22日 「解明されたゾルゲ事件の端緒ー日本共産党顧問真栄田(松本)三益の疑惑を追ってー」

②2019年11月12日 「新段階に入ったゾルゲ事件研究=思想検事『太田耐造関連文書』公開で」

③2020年7月27日 「『ゾルゲを助けた医者 安田徳太郎と〈悪人〉たち』はお薦めです」

④2021年3月19日 「スパイ・ゾルゲも歩いていた銀座=ドイツ料理店『ケテル』と『ローマイヤ』」

⑤2022年3月20日 「『日ソ情報戦とゾルゲ研究の新展開』=第41回諜報研究会を傍聴して」

⑥2022年11月8日 「ゾルゲは今でも生きている?=『尾崎=ゾルゲ研究会設立第一回研究会』に参加して来ました」

⑦2023年1月12日 「動かぬ証拠、生々しい真実=アンドレイ・フェシュン編、名越健郎、名越陽子訳『新資料が語るゾルゲ事件1 ゾルゲ・ファイル 1941-1945  赤軍情報本部機密文書』」

⑧2023年1月18日 「ゾルゲと尾崎は何故、異国ソ連のために諜報活動をしたのか?=フェシュン編『ゾルゲ・ファイル 1941-1945 赤軍情報本部機密文書』」

⑨2023年10月1日 「使い捨てにされたスパイ・ゾルゲ?=尾崎=ゾルゲ研究会の第3回研究会「オーウェン・マシューズ『ゾルゲ伝』をめぐって」

 皆さまにおかれましては、わざわざ再読して頂き、誠に有難う御座います。

浮間舟渡

 我ながら、結構書いていたんですね。そして今、「新資料が語るゾルゲ事件」シリーズ第2弾、オーウェン・マシューズ著、鈴木規夫・加藤哲郎訳「ゾルゲ伝 スターリンのマスター・エージェント」(みすず書房、6270円)をやっと読み始めています。この本、今年の5月10日に初版が出ておりますが、初版、じゃなかった諸般の事情で出版されてから5カ月遅れで読み始めております。

 いやあ、実に面白いですね。著者はジャーナリストですが、まるで推理作家のように文章がうまいのです(翻訳のせい?)。(例えば、100ページに出てくる「少なくとも1ダースほどの別名で知られていた、このピク(本名エフゲニー・コジェフニコフ)は不謹慎な冒険者が多いこの街で、詭計を働く一人滑稽歌劇(オペラ・ブッファ)で既に名を馳せていた。」といったような凝った書き方)

浮間舟渡

 先程、私はゾルゲ事件に関しては何でも知っているつもり、などと偉そうに書きましたが、加齢とともに記憶力も急降下し、失語症か何かのように固有名詞が出て来なくなりました。脳細胞は一日、10万個消滅するらしいですから、忘れてしまったことが多いのです。そのため、この本は随分新鮮な気持ちで読むことができます。また、この本を読んで、自分が間違って覚えていたことも分かりました。

 決定的な間違いは、私は、ゾルゲが所属していた「赤軍第4部」という諜報機関は、かの悪名高いKGBにつながる、と思い込んでいたのでした。スパイと言えば、世界中の誰もが知っているKGBですからね。(勿論、プーチン露大統領の出身)著者のマシューズ氏は、ソ連の諜報機関について、かなり念入りに調べ上げているので大変な勉強になりました。

 簡略すると、まず、冷戦時代に活躍したKGBは、戦時中(1934~46年)はNKVD(内務人民委員会)と呼ばれ、その前は秘密警察GPU(国家政治保安部)という組織でした。NKVDやGPUは、ゾルゲ事件関係の本には必ず出てきます。これらはもともと、レーニンがロシア革命を成し遂げた直後に、全ロシア臨時委員会(チェカ)として発足されました。

 次に、コミンテルン(共産主義インターナショナル、1919~43年)の中に諜報機関OMS(国際連絡部)が設立されます。ゾルゲはドイツ人ですから、当初はこのOMSに所属していました。

 最終的にゾルゲが所属して上海、東京で活動したのはGRU(赤軍参謀本部情報総局)傘下の労働者・農民赤軍参謀本部第4部(赤軍第4部)でした。ゾルゲは、この組織を設立したヤン・カルロヴィッチ・ベルジン(1889~1938年、48歳で粛清処刑)からスカウトされたわけです。

 私は、このソ連の三つの諜報機関の「親玉」は誰なのか、と考えてみたら、まずKGBは「警察」、OMSは「共産党」、赤軍第4部は「軍部」だということにハタと気が付きました。つまり、大日本帝国の組織に当てはめれば、KGBは「特高」、赤軍第4部は「陸軍中野学校」に当たるのではないかと思ったのです。OMSは、朝日新聞を下野した緒方竹虎も総裁を務めた内閣の「情報局」に当たるかもしれません。当たらずと雖も遠からずでしょう。

 ゾルゲは「陸軍中野学校」出身かと思うと、急に身近に感じでしまいますよね(笑)。もっとも、同じく死刑になった盟友尾崎秀実は、ゾルゲはコミンテルンのスパイだと最後まで信じ込んでいたようですから、尾崎は、ゾルゲが「情報局」の人間だと思い込んだことになります。この違いは大きいですね。尾崎は軍人嫌いでしたから、もし、ゾルゲが「陸軍中野学校」だと知ったら、あれほどまで情熱的にゾルゲに情報を提供しなかったかもしれない、と私なんか思ってしまいました。

 

 

裏切りで生き延びた人類の子孫

 昨日のブログ「もうウンザリじゃあ」の続きめいた話になりますが、人間は何で約束したことを反故にしたり、嘘をついたり、裏切ったり、寝返ったりするのか考えていたら、昨晩はよく眠れなくなってしまいました。

 そんな中で閃いたことは、そもそも、人類学的に言えば、人類は生き延びるためにいかなることでもしてきたわけで、それが手練手管であったり、面従腹背だったり、約束反故だったり、嘘つきだったり、裏切りだったり、寝返りだったりしたわけです。つまり、今生き延びている人間というものは、そういった生き延びた連中の子孫なので、裏切りやら約束反故はDNAに組み込まれているということなのです。

 嘘つきや約束反故なんて、平気の平ちゃらなわけですよ。何~とも思っていない。自分が嘘をついたことも約束を反故したことも全く自覚がないから、今日も涼しい顔をしています。

浮間舟渡

 その逆に、四角四面通り約束したことはキチンと守り抜き、劣勢不利と分かっていても裏切らず、主君に仕えていた家来なんぞは生き延びることが出来ず、滅亡していったわけです。今、その大抵の子孫も生き残っていないわけです。

 よく言えば、自己保身です。あれっ? これも、あまりいい意味では使われませんね(笑)。そんな自己保身のDNAが脳に組み込まれているからこそ、彼らは生き延びて、約束反故も裏切りも日常生活の一部になっているわけです。

王子「ニューヨークスタイルピザ」日替わりピザとサラダセット1000円

 そう考えて、やっと冷静さを取り戻すことが出来たとも言えず、怒りはまだ収まっていません。

 こういう時に限って、車に轢かれそうになるんですよね(苦笑)。先ほども、ランチの帰りに昭和通りの横断歩道を青信号になったので、渡ったら、赤信号を無視した「コカ・コーラ」の赤いトラックが突っ込んできて、あやうく轢かれそうになりました。

 実は同じ場所で昨日も青信号になった横断歩道を渡ろうとしたら轢かれそうになったのです。昨日は世田谷ナンバーのBMWでしたけどね。

 道路交通法違反の犯罪者と車の写真を撮って、このブログに掲載しようかと思いましたが、大人げないのでやめましたよ。

 でも、二日も続けて同じことが同じ場所で起きるなんて、何かあるんですかねえ? 呪われいるんですか?

 神さま、仏さま、どうか教えてください。

もうウンザリじゃあ

 会社の同僚の太田君が、11月1日付で急に地方支局に異例の転勤をすることになりました。彼の送別会どうしようか? 誰も言い出さないので、私が老骨に鞭を打って個別に聴いてみたら、呆れるほど多くの奴らが我が儘で嫌になってしまいました。

 まず、阪本君、「皆忙しいから、夜はやめてランチにしたら?」というのです。続いて、谷川君、「僕は鈴木君が出るなら出ませんよ」。さらに岩下君は「僕は最初から出ません。コロナは収束したかもしれませんが、インフルエンザが流行っているし…」と出たくない理由を5個ぐらい並べます。本心は太田君とはウマが合わないので最初から送別会に出たくないことがミエミエです。

 うーん、困った、困った。出来るだけ、多くの人が参加する送別会にしたいので、最大公約数狙いしかありません。となると、鈴木君を除く人に声を掛けて、夜ではなくランチにするしかありません。

浮間舟渡公園

 それで、やっと、主賓の太田君と小生以外では、谷川君と森本君と加納君が参加してくれることになりました。「ランチにしたら」と言った阪本君は、急に「谷川君から出るのなら、僕は出ない」と言い出したのです。何か、怪しい。阪本君は主賓の太田君とはかなり親しそうだったので、万難を排してでも参加すると思ったからです。結局、全部で5人になりました。

 私は、いつのまにか幹事になってしまったので、本日、会食会場となる築地のレストランに下見に行って来ました。昼間からビールも飲めますし、送別会にはピッタリでした。

 よし! パソコンで、簡単に送別会の日時、場所などを書いた「招待状」をつくって、参加者に配りました。そしたら、何と、谷川君がドタキャンするというのです。理由は、奥さんがコロナワクチンを打つことになり、飼っている犬の面倒をみなくてはならないので、その日は有給を取ることにしたというのです。それでは、日程を変更するよ、と提案すると、それでも「出ない」というのです。なあんだ、最初から出る気がなかったのかあ。おい、裏切者! 話が違うじゃないか! 君が言うから、鈴木君には声を掛けなかったし。酷い人間だなあ、彼に対する不信感が募りました…。

 そこで、「谷川君が出るなら出ない」と言っていた阪本君に「谷川君が不参加になったから、参加しませんか?」と声を掛けたら、「やっぱり出ない」との返事だったのです。えっ? おい、阪本君、君が、夜ではなくランチにしろと提案したんじゃなかったっけ? それなのに、万難を排してでも太田君の送別会に参加しないとはドウユコト? 仲が良さそうに見えたけどウワベだけだったのか? 本性は冷酷人間だったんですね。

 一番可哀想なのは主賓の太田君です。「もういいですよ。やめましょうか?」とまで言うのです。親睦会なので強制するわけにいきませんし、第一、そんな意志がない人に無理に参加してもらっても困ります。もしかして、誰も送別会のことを言い出さなかったのは、最初から参加する意志がなかったということだったのか?…

浮間舟渡公園

 今の若いサラリーマンは、先輩からの誘いでも飲み会は拒否するという話をよく聞きますけど、そういう時代なのでしょうか。でも、若くはない爺さんになっても、チームワークが乱れようが関係ない。「我が道を行く」という風潮になったということなのでしょう。これは、コロナ前、3年前だったら、とても考えられないことでしたけどね。送別会なら15人ぐらい集まりました。

 まあ、世知辛い世の中になったということなんでしょう。「健康のために酒を断っている」とか、そういう人が多くなりました。短い命ですから、せいぜい頑張って、どうかお幸せになってくださいな。

 

東京最古の居酒屋と言われる「神田みますや」に侵入しました

 本日は珍しく二日酔いです。

 東京で最古の居酒屋と言われる「神田みますや」に、死ぬ前にどうしても行きたくて、旧い友人と1カ月も前に一緒に行ってもらうことを約束して、昨晩やっと実現したのでした。

 神田みますや。明治38年(1905年)創業です。明治38年と言えば、「三八式歩兵銃」ですから、日露戦争が終結した年です。当時の神田司町は、どんな街だったのかよく知りませんけど、江戸中期以降、武家屋敷ではなく町家だったので、明治以降も商人と職人の街だったことでしょう。100年前の関東大震災では「みますや」の建物は焼失しましたが、昭和3年(1928年)に再建され、先の大戦での戦災は、「バケツリレー」で逃れることが出来たようです。だから今ある建物は風格があるんですね。

神田みますや

 昨晩は予約なしで行ったら、「満員」で断られてしまい、仕方ないので、その場で予約したら、「お二人さんが揃ってからご案内します」と言われてしまいました。旧友は30分ほど遅れるという話だったで、あっちゃまあ、としょげていたら、何てことはない、すぐ「隠れ座敷」の端っこに入れてくれました。

 まずはタコ酢、里芋、焼き鳥、魚フライ、コハダ、牛煮込みなど色々と肴を注文して一人でビールを飲みながら、人間観察していました。殆どのお客さんは予約客でしたが、中には勝手に座敷に座り込む輩もいて、店の人に「そこは予約席ですから」と注意されたりしてました。こちらは、座れただけでもラッキーだと身に染みました。

 やがて、旧友がやって来て、こっちが苦労して席を確保したというのに、「へーそー。俺は昔来た時、予約なしで簡単に入れたけどなあ」と馬耳東風でした。でも、彼は「日本酒博士」ですから、「貴」(山口)、「南部美人」(岩手)、「出羽桜」(山形)など、今まで知らなかった美味しい地酒を色々と注文してくれて、話も弾み、お蔭で、翌日の二日酔いと相成ったわけでした。

 ヒトは何故、酒を呑むのかー? 今読んでいる「運動脳」(サンマーク出版)の中で、著者のアンデシュ・ハンセン氏は「アルコールには、ストレス反応を即座に抑えつける強力な作用がある。実のところ、ストレスや不安を緩和するという点で、アルコールに匹敵する物質はないと言っていい。」とまで断言していたので、大いに納得してしまい、痛飲してしまいました(笑)。ただし、ハンセン氏は、アルコールには依存性があるので過度の飲酒には注意することは書き添えておりましたが。それに、痛飲には翌日にきつい二日酔いが待っていますからね。

神田

 いずれにせよ、死ぬまでに行きたかった東京・最古の居酒屋「神田みますや」で呑むことが出来、本望で御座いました。また次、行く機会があれば、今度はちゃんと予約して行くつもりです。

 みますやは、地下鉄の小川町駅か淡路町駅が一番近いのですが、私はJR神田駅から迷いつつ歩いて行きました。淡路町と言えば、昔、この辺りに「YMCA会館」があり、もう半世紀近い大昔ですが、今の会社の入社試験がここで行われたことを覚えております。今はもうこのYMCA会館は取り壊されてなくなってしまいましたが、この辺りの土地や風土に何か縁を感じていました。私がみますやに行きたかったのも、みますやが私を呼んでくれたような気がします。

 そんな個人的な理由なのに、わざわざ付き合ってくれた旧友には感謝です。彼は、IT通でもあるので、iPhoneのiCloudや容量ストレージなどについて、色々と教えてもらいました。そろそろ、5年ぶりにiPhoneを新機種に換えようと思っているので、参考になりました。

 

ストレスや不安障害を緩和したければ、運動しなさい=アンデシュ・ハンセン著「運動脳」

  自分でブログを書いておきながら、他人様のブログは読みません。が、たまあに、検索していたら、他人様のブログに当たることがあります。大変よく書けているのですが、驚きべきことに、写真ですが、本物のルノワールの絵画や歴史的著名人の肖像をそのまま張り付けられていたりします。もしくは、フルトヴェングラーのベートーヴェン交響曲第9番の貴重なフィルム動画を堂々と掲載してたりします。こうなると、書いているブログの内容も如何にも「本物」らしく見えますが、参考文献すら書かれていません。そういうブログに限って、書いている御本人は無名の市井の民だったりしますから、恐らく、ネット上にあった写真を無断で拝借されたんでしょう。著作権は大丈夫なのかなあ、と心配になります。

 私は経験上、ピカソやマチスともなると、新聞掲載に際して、会社が高額な著作権料を支払ったことがありますので、たとえ個人的ブログとはいえ、ネットから無断拝借することなんて怖くて出来ません。後で莫大な著作権料を請求されかねませんからね。

イタリアン食堂「築地のら」

 だから、私のブログの写真は、他愛のないランチの写真が多いのですが、変な景色とか風景も多いのです。なるべく、人間の写真は、載せません。後で、「肖像権」を主張されたりしたら困るので、御案内通り、ハッキリ写った人間写真は、掲載しないことにしております。

 だから、このブログは本物らしく見えないのかあ!

 本日は前書きが長くなりましたが、相変わらず、乱読しております。図書館に予約していた本が1年ぐらいしてやっと届いたからです。アンデシュ・ハンセン著、御舩由美子訳「運動脳」(サンマーク出版)です。実は、私はベストセラー本に関して、買わずに図書館で借りる主義なのです。余程面白かったら、後で購入します。ユヴァル・ノア・ハラリ著「サピエンス全史」(河出書房新社)なんかその例です。あまりにも面白かったので、ハラリ著「ホモ・デウス」、「21世紀の人類のための21の思考」まで次々と購入してしまいました。

 おっと、「運動脳」の話でした。世界的ベストセラーになるはずです。寝食を忘れて読みたくなるほど実に面白い本です。図書館から借りて、1日(数時間)でもう半分以上読んでしまいました。

 この本に書かれている精神科医の著者が主張することは、たった一言で言い表すことができます。

 ストレスや不安障害を緩和したければ、運動しなさい。

 運動とは、筋力トレーニングでも散歩でも何でも良いのですが、一番効果的な運動は、ウォーキングよりもランニングや水泳などちょっと負荷の掛かる有酸素運動です。その理由については、この本を読めば分かります。はい、お仕舞い。

 えっ?少しぐらい教えてほしいですか? 駄目ですねえ、ズルしちゃあ(笑)。でも、ちょっとだけ、引用しませう。

銀座

 古代、人類がサバンナに進出し以来、人類は絶えずライオンなどの捕食者から襲われないか、警戒しなければ生き延びることができなくなりました。その遺伝子が現代人にも受け継がれてストレスや不安を敏感に感じやすい体質になっているというのです。そんなストレスによる過剰反応を抑制する働きをするのが脳の海馬や前頭葉や扁桃体といった部位なのですが、それらの部位は強度のストレスによって萎縮してしまうことがあります。でも、前頭葉や扁桃体は運動によって鍛えることが出来、運動すればするほど、ストレスに強くなれる、というのです。

 著者はこの点について、身体を動かすことによって、心拍数や血圧が上がっても、それは不安やパニックの前触れではなく、良い気分をもたらしてくれるものだと運動が脳に教え込むことだ、と説明しています。

 このほか、長時間座りぱなしだと集中力が損なわれるだけでなく、不安やうつになりやすくなる。さらに認知機能も損なわれて頭の回転が遅くなる、と著者は主張しております。いずれも、「人体実験」や科学的根拠も含めて説明されていますから、日ごろからストレスや不安障害に悩まされている私なんか感服してしまうのです。そっかあ、運動すれば良いのかあ!と。

 御舩氏の翻訳も大変読みやすいです。

「ジャニーズ問題」について、ワシも考へた

 私は某マスコミで、もう20年以上昔の話ですが、10年近く芸能担当記者をしたことがありますので、今年一番のスキャンダルになっている「ジャニーズ問題」について、何か、一家言を持たないと言えばウソになります。ただ、あまりにも正直なことを書いて、このブログが炎上したくはないし、端(はな)からガーシー元議員のように目立ちたくもありません。あくまでも、低姿勢 keep low profile で、このブログも長く続けられたら、と思っているからです。

 最初にお断りしなければならないことは、事件の核心部分である故ジャニ―喜多川氏による10代の少年に対する性虐待の現場を見たわけではないのですが、当時、記者の間でも噂として広まっていたという事実があります。しかも、誰も糾弾しようと、取材しようとした芸能記者は皆無で、「芸能界とはそういうもの」という暗黙の了解が蔓延っていました。

 「芸能界とはそういうもの」とは、端的に言いますと、芸能プロダクションの「社長」さんの中には小指がなかったり、裏社会とのつながりを暗示するような「空気」もありました。日本の芸能史は、白拍子や角兵衛獅子や瞽女など差別された人たちによる伝統芸能から始まり、歌や踊りや芝居興行は、既に江戸時代には「地回りの顔役」がいて全国興行のシステムも確立していたという説もあります。これ以上書くと何かと差し障りがありますので、やめておきます(苦笑)。

 兎に角、芸能界は、その華やかさで目を奪われるため、その裏か内部で関わったか、取材したことがある人でないとなかなか実体が分からないと思います。ジャニーズ問題が大きくなって、「見て見ぬふりをしてきた」テレビ局のプロデューサーらがつるしあげになっている風潮に今はなっていますが、彼らは特別なことをしたわけではなく、同じ地位に就いた人なら誰でも、恐らく100人中100人、見て見ぬふりをしてジャニーズ事務所のタレントを使っていたはずです。経済団体のお偉方さんたちは、自分たちが火の粉を浴びたくないものだから、眼をむいて、「児童虐待」をアピールしながら、スポンサーからの撤退を次々と表明していますが、私から言わせれば同じ穴のムジナです。財界人のお偉方の人なら、ジャニー喜多川氏の噂を知らなかった、と言える人はいないんじゃないでしょうか。それぐらい噂は広まっていましたから。

 何しろ、私がジャニ―喜多川氏の「噂」を知ったのは、1970年代で、まだ私が中学生か高校生の頃でした。当時、人気絶頂だったフォーリーブスの北公次さんが週刊誌などで盛んに「暴露」していたのです。経団連の十倉雅和会長(73)も経済同友会の新浪剛史代表理事(64)も私と同世代ですから、知らなかったはずはないと思っています。

 そこで、一家言を持ちたいのですが、確かにジャニ―喜多川氏の蛮行は、事務所の新社長に就いた東山紀之氏が言うように「鬼畜の所業」であることは間違いありません。そういう意味で被害に遭われた方には一刻も早く救済の手を差し伸べてあげてもらいたいものです。ジャニ―喜多川氏は、人間の功罪で言えば、「罪」の方が遥かに大きかった人でした。

 しかし、「功」がゼロかと言えばそうではありません。彼しか持ちえない独特の美意識と観念が、「売れる」タレントを発掘する才能として開花したことは間違いないからです。彼がスターに育て上げたタレントは、5人や10人ではなく、何十人、何百人です。これと比例するかのように、性被害に遭った少年たちの数も5人や10人ではなく、何百人にも及びました。確かにおぞましい事件ではありますが、独特の美意識を持った彼だからこそ犯した罪であり、タレント発掘の能力とは表裏一体です。

 別に、ジャニ―喜多川氏の肩を持って肯定するわけではありませんが、彼だからこそ発掘できたタレント集団でした。彼のお蔭で世に出て、たっぷり恩恵を受けた人もいました。彼亡き後は、これまでのスターと比べると格が落ちるのではないかと思っています。

 何と言っても、日本の芸能界は「事務所」が力を持ちます。やれ、人気が出たということで「独立」したりすると、テレビ出演をほされたり、邪魔されたりすることは多くの人の耳に入っていると思います。だから、大スターになっても多くのスターは事務所を辞めないのです。「平成の小早川秀秋」と言われた木村拓哉さんもジャニーズ事務所を辞めなかったし、日本で一番売れていると言われる明石家さんまも吉本興業を辞めることなど一度も考えたことはないんじゃないでしょうか。

 逆に言うと、「何でこんなつまらないタレントが売れてるのか?」と思って、調べてみたら、必ずと言っていいぐらいそのタレントは、芸能界を牛耳っている大手事務所に所属しているのです。テレビ局というものは、長屋の大家さんみたいなもんで、空いた時間帯を番組制作会社や大手の芸能事務所に丸投げして売っているようなものなのです。だから、まさに媒体であり、権限も、思われているほどないのです。

 でも、芸能界について、あまり知り過ぎると、つまらなくなりますよ。むしろ、何も知らないで、キャーキャー言って騒いでいた方が幸せですよ。