「私は私 ガユーナ・セアロの至道録」

池田町

 

「私は私 ガユーナ・セアロ至道録」を読んでいます。 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-form/503-8476322-6834359

問答形式になっているので大変読みやすいです。

それにしても人間というものは、何と悩み多き生物なのでしょうかね。

私も悩みのない人間に会ったことはないのですが、人間一人では何も解決できません。

心を打ち明ける人間が、一人でもいれば、その人は本当に幸せだと思います。

それでも、解決できなければ、この本を開けば、何かしらの光明が開けるのではないかと思います。

宗教とか宗派とか気になる人は別に読まなくてもいいと思います。必要のない人は必要がないのですから。

この本で私が気に入ったところをちょっと、引用します。(リライトしてます)

(問)健康で穏やかな人生をまっとうするにはどうしたらいいのですか?

(答)まず、自分自身のことで、絶対に怒ったり、悲しんだりしてはいけません。皆、自分自身のことで苦しんだり、怨んだりしているが、それは、どこかで「自分を評価してほしい」とか「自分のことを人にはこう思ってほしい」とか「人に善く思われたい」という思いが強いからなのだ。それを捨ててごらん。心が穏やかになるよ。評価というものは、自分自身が自分に対してしなさい。人に求めるものではなく、「自分はこれでいい」というのなら、人からの評価なんていらないはずだ。そうしてごらん。常に心が穏やかになるよ。

セアロ様へ。無断拝借なので怒られかもしれませんが、一度お会いしたことがあり、写真も撮らさせていただいたということで、お許しください。

羊さんには癒されっぱなし

 

2ヶ月ぶりに、池田町のスピナーズファーム・タナカ http://www12.plala.or.jp/spinner/top.htm に行ってきました。サフォークの子羊が生まれたというので、楽しみにして行ったのですが、生憎、今日は日曜日だというのに休みでした。子羊さんだけは、どこか暖かい所に大切にしまっていたのでしょう。どこにも見当たりませんでした。

 

仕方がないので、牧場をウロウロして、何枚か写真を撮ってきました。

 

餌がないのに、人間に慣れている羊たちは、柵の近くに行くと向こうから寄ってきます。

 

臆病なくせに、好奇心は旺盛です。名前は知りませんが、耳に付けられた鑑札番号の27番は特に好奇心が旺盛だったのですが、最近、めっきり年を取って、以前ほど、喜び勇んで近寄ってくることはなくなりました。それにしても、羊の生命は何と短く、はかないのでしょう。

 

去年会った「27番」は、人間でいえば20歳そこそこといった感じでした。でも、1年経った今は、目の下がすっかりたるんで、どす黒い涙のような皺ができ、どうみても50歳面(づら)です。逆に、去年生まれた「1番」は、本当にちびっ子で、人間を見ると、ピーピー鳴きながら、逃げ回っていたのに、今では堂々たる体格で、もう20年も羊をやっているような貫禄です。

 

羊さんは、何も話しませんが、側にいるだけで癒されます。犬のように人間に媚びたりせず、猫のように人間に一定の距離を置いてマイペースのふりをしたりしません。

 

羊さんは、犬猫のように吼えたり、鳴いたりせず、じっと、人間の話に耳を傾けてくれます。目の瞳は棒状になっています。そんな瞳で、淡々と見つめてくれるのです、同情するのでもなく、感動するのでもなく、わざとらしさがどこにもありません。

 

このスピナーズファーム・タナカの何頭かは、本州の老人ホームに引き取られると聞きました。もちろん、ペットとしてです。

 

人間関係に疲れた人は、絶対、羊が効くと思います。私も羊さんには癒されっぱなしです。

天からのメッセージ パート3 

今日は、あまり書くことがないので、またまた、東京に住む友人が受けた天からのメッセージについて書きます。

友人はここ一週間、メッセージが降りてこなかったそうですが、一昨日と昨日、立て続けに発信を感じたそうです。

一昨日は、「自信を持ちなさい」でした。

それは、明け方でした。これまでは、眠りに着くか着かないうちに、感じていたのですが、最近では、目が覚める明け方にメッセージを受けることが多くなったそうです。

彼は、思わず聞き返しました。
「自信を持つとはどういうことですか?」

すると、天はこう答えました。
「自信を持つとは、文字通り、自分を信じるということです」

昨日のメッセージは、簡易明瞭でした。

「焦らない」
でした。

友人には、環境の変化が差し迫っているようです。

不安解消法

質問
「毎日、生きているだけで不安でしょうがありません。何か解決できる道はあるのでしょうか」

回答
「不安や恐れは過去から来るもので、今にあるものではないことを再認識することが一番大切です。不安や怖れは、今にはないのです。だからこそ、自分自身が今、ここにいることを知ることです。今ここにしかいないことを知ることです。オリンピックの選手が素晴らしいレースや演技をするのは、「今」「ここに」自分自身のすべての精神を集中するからです。
例えば、100ある力のうち、20を未来に、20を過去に意識を集中したりすると、今に60しか力を発揮することができません。
何よりも、生きていく上で、集中とリラックスが必要です。
自分が一番リラックスするためには何をするのか、本人が一番よく知っているはずです。
そこからずれないこと。そうすれば、自ずと、成功と幸せが舞い込んできます」

私は放っておけないタイプなのか?

音更町鈴蘭公園

夜、仕事が終わって、軽い運動をしようと、初めて帯広市民体育館に行って見ました。1回160円で使い放題です。

しかし、この年になると、もう体は言うことを聞いてくれません。ウンテーをやっても、一歩も進めません。体が曲がらず、走るとすぐゼイゼイと息が切れる始末。バスケットボールをしても、ジャンプができず、籠に玉が入りましぇん。

そういう状態で、ふと入り込んだウエートトレーニングの部屋。機械の操作をわけも分からず一人でやっていたところ、その部屋の主みたいなおじさんが私に近寄ってきて「これは、こういう風にやるんだよ」とご親切にも丁寧に教えてくれました。

興が乗ったおじさんはそのうち「もっと、脇をしめて」「そうじゃなくて、腕は直角に…」と、こちらが頼んでもいないのに、真顔で、一切の冗談も通じないような感じで、眼鏡の奥の瞳をキラリと光らせて導いてくれました。怒っているわけではありませんが、ニコリともしません。まるで、修行僧のようでした。

「はい、わかりました、先生。こんな感じでいいでしょうか?」。私は笑いをかみ殺しながら、只管、低姿勢に初対面のこのおじさんに頭を下げました。

それにしても、50男を指導したり、指図したりする有様は本当に滑稽です。

こちらも、普段は教えられる立場ではないのですが、若作りなので、どうも放っておけないタイプに見えたのでしょうか。後で、自分で大笑いしてしまいました。

そういえば、昔、韓国の釜山に行った時、地下鉄に乗って座っていたら、急に前の座席に座っていたおじさんが、私の顔をじーーーーと見つめて、韓国語で何か話しかけてきました。

隣の通訳の人に通訳してもらったところ、「あなたの目が素晴らしい。大物になるタイプだ。将来、どでかい仕事をする人だ」と言っているとのことでした。そのおじさんも50がらみのどこにでもいそうな至極真面目な感じの人でした。何かに取りつかれたとか、頭がおかしいというような感じではありませんでした。

やっぱり、私は放っておけないタイプなのでしょうか?

現実は自分が作る

プライベートな話なので、あまり詳しく書けませんが、名前は小嶋悟君と仮名にします。

小嶋君は、ある地方紙の新聞記者です。しかし、ある事がきっかけで、軽い鬱症状になってしまいました。

新聞の署名記事を読むと彼はなかなか優秀な記者だということが分かります。

身長は185センチくらい、体重も80キロ以上あると思われます。かなり大柄です。しかし、見かけとは違って、かなり傷つきやすい繊細な心の持ち主です。

ご存知の通り、新聞記者の仕事はかなりハードです。時間も不規則ですし、獲物(ニュース)を得るためには、まさしく火の中水の中に飛び込むほどの勇気が必要とされます。当然、かなり、ストレスがあります。新聞記者も人間です。くつろげる安心できる家庭があれば、リラックスできて、また明日も頑張ろうという気になります。

しかし、小嶋君の場合、仕事のストレスと同時に家庭内不和を招いてしまったのです。彼の一方的な見方からすると、「奥さんに理解がない」ということでした。奥さんとは同い年で、8年間の付き合いの末、1年半前にゴールインしたのですが、結婚して初めてお互いに価値観が違うということが分かったというのです。小嶋君の父親は獣医で、ほとんど休みがなく不規則な生活を送っていましたが、奥さんの父親は大学教授で、午後5時過ぎれば、かなり自由時間を持つことができる立場の人でした。

結局、彼は会社を3ヶ月間休職し、勤務評定も5段階の最低ランクの「E」を付けられてしまいました。

そこで、私は、このブログに散々書いてきたことを彼に話し始めました。

カエサルも言ったように、「人は見たいものしか見ない」んですよ。例えば、この通りにはサラ金の看板で溢れていますが、お金に困っていなければ、そんな看板に気づかない。お金に困っている人は、気になってしょうがない。

だから、現実は自分が思ったとおりに作ってしまう。自分は駄目だと思えば、駄目な人間になるし、自分は運がなくて不幸だと思えば、不幸になる。問題は自分が作っているのであって、見方や考え方や意識を変えれば、問題も問題でなくなってくる。

そのようなことを、彼に話したのです。

すると、彼は子供のように、目頭を熱くして、滂沱の涙を流すのです。

「それでいいんだよ。自分を許すことです。もう突っ張ることはないんだよ。僕にも経験があるから君の気持ちが十分分かるよ」

彼にそう言いましたが、結局自分にも言い聞かせている感じでした。

このブログも何か人のために役立った気がしたのでした。

右を向いて歩こう

ある人から聞いた話ですが、左を向きながら考えることは、過去を振り返ることになるそうです。

左が過去なら、右は将来です。右を見ながら物を考えることは、将来を見据えることになるそうです。

そういえば、これまで半世紀生きてきて、何かを考えたり、人にインタビューした際に何かを思い出したりした時、決まって左を向いていました。まあ、忘れたことを思い出したりしたわけですから、左を向いて思い出すのは自然だったのかもしれません。

これから、過去の栄光(?)を捨てて、未来に向かって生きようと決心しました。

早速、何か考えようとした時、右を向こうとしたのですが、骨が固まっていて、首を右に傾けるだけでも苦痛です。左向きは楽々できるのですが…。

長年の習慣がそうさせるのでしょうね。

これから右を向いて歩くことにしました。

「月のつぶやき」

 

脳に障害を持って生まれた日木流奈(ひき・るな)君の著作「月のつぶやき」を読んでいます。

 

10歳になるかならないかの若さで人生を悟ってしまった感じで、末恐ろしい才能を感じます。まさに、ジャン・コクトーの言うアンファン・テリブルです。

 

この本の中に次のような一節があります。

 

「あなたはまず、自分自身の今の状態が全て完璧であることを知るのです。

 

たくさんの出来事、たくさんの思いを経て今のあなたができたのですから。

 

そこに言い訳や正当化や評価を持たせず、ただすべてを受け入れるのです。

 

すべてはそこから始まる気がします。

 

自分が特別だと思ったり、何か役割があるという使命感に燃えたりしても、何の役にも立たない自己満足であることを知らなければなりません。

 

使命感なども持たなくても、みんなその役目を十分に果たしているのですから」

 

うーん、どこかで聞いたような話でした。。。

因果応報 

人は自分の思い通りには動きません。だから、他人をどうこう説得しても無駄です。それがたとえ家族であっても。

「話し合えばわかる」ことなど万に一つしかありません。

人を動かしたかったら、自分が変わるしかありません。見方や考え方を変えるだけでもいいのです。

すると、不思議と相手も変わるのです。

しかし、実は相手が変わったというのは、そう見えるだけなのです。頑固な相手は何一つ変わっていません。

でも、それでいいのです。自分の考え方を変えることによって、相手に対する思いやりも生まれ、相手に対する不満も怒りもどうでもよくなってしまうのです。

だから、人を怨めば、7倍になって跳ね返ってきます。人は自分のことをよく思っていない人に対して、どうして無償の愛を注ぐことができるでしょうか。

人を呪えば、相手からも数倍の力で呪われるのです。あなたが正当だと思っている恨みでさえも、相手にとっては、単なる嫌がらせか独りよがりな言いがかりとしか捉えないわけですから、その卑劣さに対して、相手も応酬する権利があるからです。

嫌な相手でも、1つくらい長所があるはずです。

そのたった1つの長所に神経を集中して好意を持ってください。

すると、不思議と相手からも好意が100倍になって返ってきます。

見方を変えると問題がなくなる

解剖学者というより今やベストセラー作家の養老孟司さんがNHKのスタジオパークに出ていました。

私も先日読んだ「超バカの壁」に書かれていたことと同じようなことを話していたので可笑しかったのですが、印象に残ったことを書きます。

それはひと言「見方を変えると、問題が問題でなくなる」ということでした。

養老さんによると、仕事とは、世の中のため、世間様のため。だからお勤めという。彼も解剖が仕事だったが、正直、辛かったそうです。「誰が好きでやりますか?」。最初は自分に合った仕事ではない、と思っていたそうですが、そのうち、「自分が変わればいい」「折り合いがつけばいい」と考え方、見方を変えたそうです。

解剖という自分のしている仕事は何の役に立つのかー。「ああでもない、こうでもない」と自分自身に問いかけていくしかなかったそうです。

そのうち、「仕事はこっち(自分)のためにあるのではなく、向こう(世間)のためにある」。そう見方を変えることによって、「自分に合っていない仕事を続けるべきかどうか」という迷いを克服したそうです。

「見方を変えると問題が問題でなくなる」

皆さんの抱えている色んな問題も、見方を変えれば、問題でなくなるかもしれませんね。