中川昭一氏と鈴木宗男氏

昨日の鈴木宗男さんに続いて、今日は中川昭一農水相に会いました。

お会いしたと言っても、彼を囲んで20人ぐらい同席していたので、私の顔と名前が一致しているとは思えませんでしたが…。

よく知られていることですが、鈴木宗男さんは、中川昭一氏の父親の中川一郎氏の秘書を長らく務めていました。昭和58年に一郎氏が、不可解な死を遂げてから、「後継者」を巡って、息子の昭一氏と凄まじい闘争を繰り広げたことは、今でも語り継がれています。

結局、宗男さんが帯広から隣の釧路に選挙区を「鞍替え」することで、二人は両立しました。

その後の「宗男バッシング」や、昭一氏の閣僚歴については飛ばします。

ここでは、間近に見た二人の違いについて書きたいと思います。

まさに、「月とスッポン」「水と油」「表と裏」。どちらがどっち、という意味で例を挙げたのではなく、二人はまさに容姿から育ちから性格に至るまで正反対であることを伝えたかったのです。

昭一氏の父親は、十勝の広尾町の出身ですが、昭一氏は東京生まれの東京育ちで、麻布から東大法学部ー興銀ー国会議員とエリートコースを絵に描いたように渡り歩いた人です。

方や、宗男氏は、足寄町出身で、拓大出身。父親の協(かのう)さんが、彼の学費を捻出するために、一番良い馬を売った話は、有名です。

宗男さんは、人間的な、あまりにも人間的な人です。極めて俗人的な人で、辛酸を嘗めて、地べたから這い上がってきた感じがします。義理人情に厚い人です。57歳にもなれば、達観したり、諦めたり、普通はするのですが、彼に限って、まだまだ、ギラギラとした野心を持っています。「もうそこまで、でしゃばらなくてもいいんじゃないか」と端から見て思うのですが、彼は疲れを知りません。全国を飛び歩いています。そして、憎めないところがあります。

昭一さんは、とっつきにくい感じの人です。本当に信頼する人しか心を打ち明けないタイプで、いつも鎧兜をかぶっています。相手に隙を見せることはありません。理路整然とした話し方をしますが、結局、面白くないのです。事務的というか、心を打ったり、琴線に触れるような言葉を発することはありません。人はそれを都会的エレガンスと呼ぶかもしれませんが、冷たい感じがします。それに、地元の人の一部は、昭一さんのことを快く思っていません。「選挙の時にだけやってくる東京の人」と捉えています。

ここまで、書いて、自分でも、もう詰まらなくなりました。

私という人間は、どうも政治的人間には興味をもてないようです。