柏崎地震その後

 京都・祇園「小森」

 

大地震の被害に遭った柏崎の加納さんから電話を戴きました。まさに、報道の通りの大惨事で、水道はやっと通じたものの、ガスはまだで、おかげで火が使えず、いまだに柏崎小学校で避難生活が続いているということでした。火が使えないということは、食事(料理)とお風呂に困るということです。

 

加納さんは、柏崎の駅前通りの商店街で、古書店を営んでいます。五年前にご主人を亡くされましたが、ご主人は、非常に真面目で慎重な方だったので、家は鉄骨に建て替えておりました。おかげで、震度6強の激震に辛うじて耐えることができましたが、商品である本が滅茶苦茶になってしまいました。

 

加納さんによると、宮城県からボランティアの方が来てくださって、乱雑になった本を片付けるのを手伝ってくれたそうです。加納さんは、本当に有り難い、と話していました。

 

加納さんのご主人は、いわゆる地元の郷土史家で、生田万(いくた・よろず)の研究家でした。上州館林藩士だった生田万(1801-37)は、平田篤胤門下の国学者で、天保の飢饉の際、大坂の大塩平八郎の乱に刺激されて、柏崎で、乱を起こして死んだ人です。そう言えば、大塩平八郎の乱を平定したのは、渡辺崋山の友人、鷹見泉石でしたね。世に言う「生田万の乱」については、私も詳細は知りません。もっと加納さんのご主人というより、私から見れば、友人だった加納君のお父さんに話しを聞いておけばよかったなあと思っています。

 

ほとんど柏崎に暮らしていた加納さんは、70歳代だと思いますが、「こんな大きな地震は初めて」と話していました。よっぽど、ひどかったのだと思います。まずは、無事であったことに一安心しましたが、色々とこれからも大変だと思いますので、事あるごとに連絡を取っていこうと思っています。

安倍さんは退陣すべきだ

 京都・祇園「天周」(天麩羅)

 

昨日の参院選で、やはり、自民党は大敗しましたね。歴史的大惨敗と言っていいでしょう。改選前の64議席から37議席へと27議席も減らし、ついに参院第一党の座から滑り落ちました。与党も過半数も大きく割り込みました。参院議長のポストは民主党に譲らざるをえません。これは、1955年の自民党結党以来初めてだそうです。

 

それなのに、安倍晋三首相は、「続投」を表明し、党も承認したことから、総理総裁の権力の座にしがみつくようです。「参院選挙は政権選択選挙ではない」という論法を駆使して居直るつもりです。ところが、今回の選挙で国民が安倍政権に「ノー」の判断を下したのです。これでは、民意を反映していません。

 

私のような人間が何を言おうが、犬の遠吠え、暖簾に腕押し、蟷螂の斧なので大勢に全く影響がないのですが、これでは、民主主義国家ではないと思います。

 

大人が責任を取らない様子を見て、子供たちはどう思うでしょうか?

 

安倍さんは武士ではないので、腹を切れとは言いませんが、敗れたのに恋々と権力にしがみつく様は誠に見苦しいですね。まだ若いのですから、今回は一旦辞任して、今後の起死回生を期して、再チャレンジすればいいのではないでしょうか。あなたは、まだ一度も国政選挙で国民の信任を得たわけではなく、前任者のおこぼれをもらっているだけなのですから。

あーこんなことを書いても、全くの犬の遠吠えですね。

隅田川花火

調布先生のお誘いで、隅田川花火を見に行ってきました。場所は、業平橋にある東都新聞の大岩さんのご自宅の屋上。

この屋上は、30人以上が車座になって、花火を鑑賞できるスペースがあるのです。もう十年以上前から誘われていたのですが、どういうわけか、仕事等と重なって行く事ができなかったのです。今回、初めて参加することになりました。大岩さんによると、12年前から始めたそうです。

 

 

何しろ初めてなので、場所が分からず、調布先生と、待ち合わせしました。先生がご指定された所が、浅草観音さまの雷門前の交番。ご覧の如く、人人人で溢れ返り、まず、地下鉄に乗るだけで、一苦労で、駅を降りても歩くことができません。100メートル歩くのに20分もかかりました。

 

 

 

大岩邸に着くと、もう大人から子供まで30人以上の人が集まっていました。顔見知りの人もいましたが、ほとんど、初対面の人ばかり。缶ビール、ワイン、焼酎、越之寒梅で、もうみんな既にできあがっていますから、皆さん御無礼講で、和気藹々でした。「インド式数学」を編集した小西さんが、天下の朝日新聞に取材されて、名前入りで取材されていました。帯広でお世話になった業界紙の笈河記者とも久しぶりに再会して、またまた内部情報を聞きました。彼の側にぴったり寄り添って、楽しそうに会話する妙齢な女性がいるので、彼女が席をはずした時に「どなた?」と聞いたら「僕も知らない」と言うので、笑ってしまいました。笈河記者は、若い時に、東都新聞でアルバイトをしていて、そこで大岩さんと知り合い、12年前からこの隅田川花火鑑賞会のお手伝いをしてきたそうなのです。

 

 

 

肝腎の花火ですが、うーん、期待したのとは違い、あまり大したことなかったでしたね。(怒られるかな?)

帯広の勝毎花火の方が迫力ありました。もう少し身近で見られましたし、音も迫力も違いました。

帯広の全人口(17万人)の倍近くの人が集まるので、かなり混んでいましたが、東京と比べるとかわいいもんでしたね。

 

 

何しろ、隅田川花火では98万人の人が集まったそうです。息が詰まるような殺人的な大混雑でした。

花火を見に行ったのか、人を見に行ったのか、わからなくなりました。

そういえば、随分、外人さんを見かけました。観光客というより、定住している感じで、着物姿だったりするのです。時代は変わりました。

悪相選挙

  京都・菅原道真公生誕地

 

明日はいよいよ、参院選の投開票ですね。期日前投票も1千万近いのでは、という予想もあるので、今回ほど注目されている選挙も近年、稀に見るかもしれません。

 

私は、政治学者でも評論家でもないので、単なる当てずっぽなのですが、大方の世論調査が示す通り、自民党は惨敗するでしょうね。まさか、選挙区で30議席を切ることはないでしょうが、30台前半かもしれません。私も自民党に入れるつもりはありませんが、かと言って、是非入れたいという政党もない、典型的な無党派です。が、旗幟鮮明にすると、宗教団体には入れるつもりもありません。

 

民主党も、今の代表は、最も自民党の象徴的な人がなっているし、党員も労働委員会幹部出身者からバリバリの右翼まで、自民党以上にバラバラです。本当に政権を担当できるか疑問符を持ちますが、あまり文句ばかり言っていると、誰もいなくなってしまうでしょう。

 

この時期になると、やたらと政治家候補さんがマスコミに登場します。新聞にも、顔写真と名前の広告を出していますが、いったいいくら掛かるのでしょうかね。選挙にお金がかかるはずです。金持ちしか立候補できないはずです。そういえば、選挙権もないのに立候補したテレ朝元アナウンサーは、当然、落選するでしょうね。300万円の供託金は自腹を切っているのでしょうか。自民党が担ぎ上げたので、自民党が払うのでしょうか。政治の世界には秘密が多すぎるので、庶民には考えが及びつかないことばかりです。

 

それにしても、何と悪相が多いことか(失礼)!

むしゃくしゃしてます

  京都・清水寺

 

どうも最近、むしゃくしゃすることが多いですね。若い時のように、癇癪を爆発することはない、というか、できなくなりましたが、(つまり、私の場合、捕まったら、かなり高度の確率で新聞に載ってしまいます)周囲の人間のマナーの悪さに本当に辟易しています。

 

駅で、不注意にしろ、足を踏んでも、謝らない。若い女が肩をいからしてぶつかってくる。車内で、大声で携帯電話で話す若者…。

若者だけじゃありません。昨日は、30代の主婦が30分も延々と車内で、携帯を使ってサイドビジネスを始めるので閉口してしまいました。顧客から受けたオーダーとして、チーズを営業所に注文しているのです。何でチーズかと分かったかといいますと、「カマンベール」だの「レアスライス」だのと言っているからです。

 

ラジオを付けると、参院選に立候補した輩が、公職選挙法にのっとって、好き勝手放題にほざいているのです。「日本核武装すべきだ」「北方領土を武力でも奪還せよ」「私は、唯一神だ。イエスの生まれ変わりだ」…。

 

国民もそこまでアホ…いや失礼…知的水準が幾何学級数的に下降しているわけではないですから、彼らは選ばれることはないのでしょうが、他人事ながら、心配なのは、供託金です。一定の票を獲得しなければ、国庫に没収されてしまうのです。いくらかご存知でしたか?

 

何と、300万円ですって!

 

逆に言えば、300万円あれば、好き勝手放題を国民に向かって言えるわけです。あなた様も。

シンクロ二シィティ


今日、お昼にあるレストランに入りました。ランチを注文したら、特大のアイスコーヒー(関西では冷コーですね)が付いてきました。コーヒーはコップになみなみとつがれて溢れんばかりでした。

そして、注文のランチがきました。私は普段、よっぽど格式ばった会食は別ですが、気取ってナプキンなんか膝にかけたりしません。

しかし、今日はどういうわけか、目の前にあった紙ナプキンを膝にかけてみようと思いました。そして、何気なく、よそ見しながらアイスコーヒーに手を伸ばして、ストローで飲もうとした瞬間、液体が私の膝にこぼれてきたのです。

もちろん、ナプキンのおかげで、実害がなくセーフ!あまりにも偶然というか、シンクロ二シィティに驚いてしまったのです。

何かお天道様に見られている感じでした。何か、自分が守られているような気がしたのでした。

田中森一著「反転」のつづき

(つづき)

公開日時: 2007年7月24日 

 それにしても、宅見若頭にしろ、許永中氏にしろ、世間ではヤクザと呼ばれる人たちが、田中氏にかかると、こうも義理人情に堅く、人間的魅力に溢れてしまうとは驚きでした。

 「バブル紳士」と呼ばれた人たちも本当に個性的でした。悪徳地上げ屋として悪名を轟かせた不動産業「末野興産」社長の末野謙一氏は、小学校もろくに出ていなくて、ダンプカーの運転手から成り上がったと書かれています。異様な吝嗇で、バブル崩壊の時に貯金が2000億円もあったといいます。彼が派手にお金を使ったのは、ピンキーこと今陽子に約7000万円のマンションをプレゼントしたぐらいだと、田中氏は書いています。

 田中氏が一番印象に残ったバブル紳士は、前述した5えんやグループの中岡信栄社長で、人に金をあげるのが趣味みたいな人間だったようです。新聞記者には20万円、田中氏のような弁護士には100万円も会うごとに渡していたといいます。田中氏は、一日に三回ぐらい会うので、一日300万円くらいもらっていたようです。竹下氏や安倍氏のような大物政治家には桁外れのお金だったといいます。

 

 こういう噂を聞きつけて、芸能人ら有名人も群れをなして「たかり」に来たそうで、京唄子や横山ノックが、一度に300万円から500万円、多いときには1千万円もらっていたと明記されています。ホテルのボーイも一回5万円ももらえるので、用もないのに、何度も部屋に来たそうです。

 

「5えんや」というのは中岡社長が裸一貫から、1本5円の焼き鳥屋から始めて、バブル期にはホテルや、ゴルフ場、ノンバンク経営まで手を広げて一代で巨万の富を築いたといわれます。しかし、その元をたどれば、北海道拓殖銀行系のノンバンクからの借り入れでした。結局、グループはバブル崩壊後の1993年に倒産し、3000億円が焦げ付き、これが拓銀の破綻につながるわけです。

 

 他人に対して数百億円もの大金を気前良く配った中岡氏は、結局「拓銀をつぶした男」として歴史に名前を残すのです。

田中森一著「反転」

  奈良にて

公開日時: 2007年7月24日

 元敏腕検事で、弁護士に転じてからは闇社会の人間に通じて悪名を轟かせた田中森一氏の書いた「反転 闇社会の守護神と呼ばれて」(幻冬舎)には、圧倒されました。幻冬舎らしく、新聞で恥ずかしくなるくらい派手な広告を打っていたので、ちょっと、引いてしまったのですが、読んでよかったです。

 その内容は、あまりにも凄まじくて、脳天にハンマーを降ろされたような衝撃を受けました。これから、裁判員制度が始まることですし、国民の一人として、この本を読むことには意義があると思います。

 私は、この本を読んだ後の感想は、鉱脈を探り当てたような感じでした。「やったあー」という感じです。

第一、「ここまで書いても大丈夫なのだろうか」と、心配になりました。 もっとも、田中氏自身は、石橋産業事件をめぐる詐欺容疑で東京地検に逮捕、起訴されて、現在最高裁に上告中の身なのです。つまり、被告人なわけです。この本では、自分の無実と潔白を主張する弁明が盛り込まれていますので、全面的に信用できないかもしれません。しかし、ここまで裏も表も洗いざらい、自分の非も含めて、白日の下にさらした自叙伝というのはこれまでなかったのではないでしょうか。

 彼に貼られたレッテルは「ヤメ検の悪徳弁護士」でした。何しろ、彼が関わった「黒い人脈」も、暴力団山口組5代目組長の渡辺芳則氏、同若頭の宅見勝氏をはじめ、イトマン事件で主役を張った伊藤寿永光、許永中の両氏、仕手筋「コスモポリタン」総帥の池田保次氏…といった裏社会の大物ばかりなのです。また、彼は自民党清和会(現町村派)の顧問弁護士も務め、現総理の父親である安倍晋太郎氏や竹下登氏ら政界の重鎮と深いつながりを持ったのです。安倍氏は、いろんな所から接待を受けたり、「五えんやグループ」の総帥、中岡信栄氏が定宿にしていた東京のホテル・オークラのスイートルームで、牛乳風呂に入ることが大好きだったことなども暴露されています。

 田中氏は戦時中に、長崎県平戸の貧しい漁村の長男として生まれました。8人きょうだいの4番目です。上の三人は姉で、最初の男の子ということで、父親は漁業の跡継ぎとして大いに期待します。もちろん、「猟師に学問なんかいらない」という考えの持ち主です。一度、田中氏は中学生の時に、出版社をだまくらかして参考書を手に入れます。お金が全くない極貧の家庭に育ったので、「平戸の中学教師ですが、参考のために一冊見本を送ってください」と東京の出版社に手紙を書いて、うまく手に入れたのです。しかし、その参考書も父親に見つかって、便所に捨てられてしまうのです。

 それでも、母親の後押しもあり、苦学して定時制高校から岡山大学に進学し、在学中に司法試験に一発で合格します。見事、検事となり、撚糸工連事件や平和相互銀行事件、三菱重工CB事件などを手掛けて、敏腕検事の名をほしいままにした後、弁護士に転進します。時はあたかもバブル全盛の時代に入り、1カ月に1千万円以上の顧問料を得て、7億円でヘリコプターまで購入し、「空飛ぶ弁護士」と、やっかみ半分で渾名されます。怪しげなバブル紳士と付き合い、個人的な株取引で40億円もの巨万の富を手にし、東京の銀座や大阪キタの新地などで桁違いの豪遊をする一方、バブル崩壊でほぼ同額の財産を無くしてしまうのです。

 その間、暴力団関係者の弁護で名をあげて評判を呼び、挙句の果ては、古巣の検察からにらまれ、田中氏からみれば、根も葉もない詐欺の容疑をでっち上げられて、逮捕されてしまうのです

 自分の潔白を信じていた田中氏は、かつて被疑者から恐れられていた鬼検事の面影はどこにもなく、子供のように泣きじゃくり、中村天風の自己啓発の著書に、まるで神や仏にすがるようにのめりこんでいったことを、赤裸々に告白しているのです。思わず同情してしまいました。

 しかし、この本のハイライトは、何と言っても彼自身が検事として、また弁護士として、実際にかかわった事件の経緯と背景が実名入りで詳述されていることでしょう。イトマン事件、光進事件、リクルート事件など戦後の重大経済事件の裏事情まで踏み込んで暴かれています。当人しか知らないことなので当たり前かもしれませんが、読んでいて、私は何度も何度も唖然としましたね。「こんなこと書いてしまって、大丈夫なんだろうか?」

(つづく)

日々是悪日

  奈良・興福寺

 

今日、私が働かせてもらっている会社のコンピューターのシステムがダウンし、数時間、仕事になりませんでした。

今、銀行でも商社でも鉄道でも航空関係でもどこでもコンピューターなしでは、仕事になりません。。

本当に恐ろしい世の中になりました。

 

こんなにコンピューターばかりに頼っていてはどうなるかと心配しています。何と言っても、マイクロソフトに世界が支配されているので、マイクロソフトが、「もうXPなんてもうやめた。何のメンテナンスもしないよ」と言えば、パソコンなんかただの無用の長物になってしまうのです。

 

私は、どうも物事を弊害から見てしまうのですが、第一に、コンピューターのおかげで、ひどくひどく視力が低下してしまいました。視力どころか、頭脳の働きまで、低下している感じです。感じではなく、漢字が出てこないのです。先日、試験で、「退屈」を「怠屈」と書いてしまい、思いっきり点数を引かれてしまいました。

 

子供たちも、携帯依存症で、読み書きソロバンが、今の若いもんはできない、と大人たちが嘆いています。

若い時に漢字を忘れてしまっては、年を取ってから、どうなってしまうのでしょうか?

今の子供たちは、生まれたときから、パソコンが世帯に普及していました。

 

これから、SF作家が描くような世界が本当にやってくるのでしょうか。

アンドロイドは電気羊の夢を見るのでしょうか?

奈良再発見

 奈良公園の鹿さん

 

ここ一週間は、地に足が着かない風来坊生活でしたので、奈良の旅行の話が中途半端になっていました。

 

 運慶・快慶の阿吽像

 

とは言っても、特段のことはなく、普通の御のぼりさんのコースでした。

 

 東大寺

 

私はとにかく、大仏さまのお顔を拝顔できれば、それで満足でしたから、とにかく、そこに連れて行ってもらうことにしました。

しかし、残念なことに、フラッシュの関係で、大仏さまを撮ったことは撮ったのですが、真っ暗で写っていませんでした。

 

 二月堂

 

東大寺のすぐ近くの二月堂に寄り、そこの茶店に行ったら、お店番の若い男女が二人とも、中国人だったということは既に書きました。

 

この二月堂には寄進した人たちの名前と金額を記した碑がありました。

「1000円」。何だ、たったの千円か、と思う勿れ。戦前の1000円ですから、今の数百万円でしょうか。第一、今の1000円だったら、寄進者の名前入りの碑なんて建ててくれません。

 

奥の方に、最近できたばかりの寄進者の碑がありました。

な、な、何と!「1億円」と書いてありました。

 

 

 春日大社

 

春日大社で、調布先生が二年ぶりに御札納めの業をされました。

私は、由緒あるこの神社で、おみくじを引いたところ、見事「大吉」が出ました。

神主さん(というか売ってくださった人)が「あまり、いいおみくじじゃなかったら、どこかに結んでおいてください。よかったら、お持ち帰りになってもいいですよ」とアドバイスしてくれたので、持って帰ることにしました。

 

 興福寺の五重塔