庚申塚とは

 丙申

 「松の内」とは1月15日までだと、私は思っていたのですが、地方によって異なり、関東地方は7日まで、関西地方は15日まで、その他、10日までという地方もあるようです。松の内は、勿論、これで正月気分が終わり、正月飾りが片付けられる伝統ですね。

 今年は、申年です。正確に言いますと、「丙申」(ひのえさる)です。これは、十干十二支(じっかんじゅうにし)の一つで、十干の「干」は木の幹が語源で、「甲(こう)」「乙(おつ)」「丙(へい)」「丁(てい)」「戊(ぼ)」「己(き)」「庚(こう)」「辛(しん)」「壬(じん)」「癸(き)」の十個の漢字で表します。この十干を五行の「木(き)」「火(ひ)」「土(つち)」「金(か)」「水(みず)」に当て嵌めて、それに陽を表す「兄(え)」と陰を表す「弟(と)」を順番に組み合わせると「六十干支」となります。

 だから、六十年経つと、生まれた年と同じ組み合わせとなり、「還暦」となり、赤ちゃん還りということで、赤いチャンチャンコを着たりするのですね。

 いやあ、皆様、よくご存知のことを書いてしまい、申し訳ない。

 そういう私も知らなかったことを次に書きますから、ご安心ください。

 青面金剛

 この十干十二支から、「甲子園」(「きのえね」の年にできた)や「壬申(じんしん)の乱」(「みずのえ」の年)が命名されたことは知っておりましたが、恥ずかしながら、「庚申塚」という意味・由来は最近まで知らなかったのです。

 「庚申塚」は、私が大学生時代に通っていた都電荒川線(いわゆる、チンチン電車)の途中駅に、「庚申塚」と「新庚申塚」駅があったので、馴染み深いものがありました。しかし、深く意味を知ろうとも思いませんでした。

 「庚申」とは、もちろん、「かのえさる」の年、月、日のことですね。
 そして、「庚申塚」とは、三猿か青面金剛(しょうめんこんごう)を刻んだ庚申供養の塔のことだなんだそうです。村の鎮守様として、旅人の安全祈願として崇められたのではないかと思われます。

 たまたま、ウチの近くにも庚申塚があり、青面金剛が刻まれていました。江戸後期の文化文政の古い時代のものでした。

 看板には「庚申待ち」のことも書かれ、そこには「庚申の夜になると、人の腹の中にある三匹の虫が抜け出して昇天し、天帝にその人の罪科を告げ、命が奪われるというので、寝ないで過ごした」とありました。

 これを読んで「へー」と思ってしまいましたね。昔の人はこのようなことを伝統行事としてやっていたのでしょう。

 皆さんも、他に、十干十二支にまつわることでご存知の方はコメントしてくださいね。