マイナス金利と日銀総裁

プーシキン像 Copyright par Duc Matsuocha-gouverneur

申し遅れましたが、最近、松岡総裁秘蔵お隠れ百年に一度の御開帳写真集をお借りして、このブログに掲載させて頂いております。
松岡総裁におかれましては、全く本文と関係ないのにも関わらず、渓流斎の勝手で使わせて頂いていることを改めて感謝申し上げます。

アムール河 Copyright par Duc Matsuocha-gouverneur

さて、今朝の新聞の週刊誌の広告を見て吃驚。日銀の黒田総裁が、あのお年で(大変失礼!)、東京は豪邸街のシンボルである世田谷区の億ションを購入された、と報道されておりました。大体中身は想像つきますので、その週刊誌は買いませんでしたけど(また、失礼!)、今はマイナス金利ですから、住宅ローンの金利も想像を超えるほど異次元のレベルで下がったそうじゃありませんか。

黒田総裁も、この時期を見逃さず、早速、「買い」に入ったということなんでしょうね。

ん?何かおかしいですね。

そもそも、マイナス金利政策を決めたのは、黒田総裁じゃありませんか。マイナス金利になるからそれを見越して買ったわけではなく、マイナス金利にして買ったと疑われても仕方ありませんよね?

アジャパーですよ(古いギャグなので、知らないかもしれませんが)!何か、たとえが悪いですけど、胴元が都合の良いようにルールを変えて賭場を開いたような気がしてしょうがないのです。

 レーニン像 Copyright par Duc Matsuocha-gouverneur

いつぞや、このブログにコメントして下さった金融リテラシーの非常に高い名文家でもある「金満家」さんのお気に入りの経済評論家山崎元さんによりますと、日本の宝くじというものは、世界トップレベルのボッタクリギャンブルなんだそうですね。その理由は、還元率が約45%だから。つまり、宝くじを1万円分ずっと買い続けたら、平均で4500円ぐらいしか戻らない。また、つまりですが、最初から55%の5500円が「胴元」の懐に入る仕組みなんだそうです。

ちなみに、競馬の場合は、還元率は75%で、残りの25%が胴元である運営者側の懐に入る。つまり、馬券をずっと1万円買い続けたとしても、大体払戻金は7500円になる。損する分は、2500円ということになります。

宝くじの損失(5500円)と比べれば安いもんだと、山崎氏は言います。ちなみに、宝くじで損する部分は「無知の税金」と呼ばれるそうです。正しい知識があれば、失うことがないお金だからです。そもそも、まともな人なら宝くじは、買わないということです。

 アムール河 Copyright par Duc Matsuocha-gouverneur

そう言いながらも、山崎氏は競馬だけはやるそうです。その理由は、競馬は2500円で熱狂できる「教養娯楽費」だからだそうです。くだらない映画を観るより全然いい、と山崎氏は断言されていました。

でも、映画好きの私は、2500円があれば、映画を2本見ますね。

そりゃあ、くだらない映画も沢山ありますが、正直、私自身にギャンブル運があまりない、という理由(せい)かもしれません(苦笑)

【追記】今月の「新潮45」で、作家の加藤廣氏が連載中の「昭和からの伝言(9) 『角さん』との出会い」の中で、皆様御存知のTタイムズのGさんが「名編集者」として一番に清々しく登場しておりまする。ご興味のある方は是非。

「家族という病」

満月のハバロフスク Copyright par Duc Matsuocha-gouverneur

 昨年、大きな話題を呼んで大ベストセラーになった下重暁子著「家族という病」(幻冬舎新書)を読了しました。

 何で今頃?(笑)

 いや、実は、都内の図書館(この表現が実に微妙です)に借出の予約を昨年5月頃にしたところ、一昨日になってやっと9カ月ぶりに、貸出の許可が下りたので取りに行ったのです。予約していたことさえ忘れていました(笑)。

アムール河 Copyright par Duc Matsuocha-gouverneur

 2~3時間で読めました。

 もっと凄い話かと思いましたら、そして、恐らくご本人は否定されるでしょうが、下重さんの家族の来歴の話でした。

 下重さんのご尊父は、歴史探偵の半藤一利氏も太平洋戦争の最も罪深い戦犯の一人に挙げていた辻政信と陸軍士官学校で同期だったそうですね。戦後、公職追放に遭い、少女だった下重さんは、「あなたには毅然としていてほしかった」と生涯実父を恨み続けます。

 アムール河 Copyright par Duc Matsuocha-gouverneur

 下重さんは、略歴には書かれていませんでしたが、本文に「2・26事件」が起きた3カ月後に生まれた、と記述しておられますので、昭和11年(1936年)生まれでしょう。ということは、今年傘寿ということになります。

 私の世代ならギリギリ彼女のNHKのアナウンサー時代を知っています。まあ、今は飛ぶ鳥を落とす勢いの「女子アナ」の先駆けみたいな人かもしれません。(こんなことを書くと怒られるでしょうなあ)フリーアナウンサーになった後、文筆家としてエッセーやノンフィクションなどを量産されているようですが、申し訳ないですが、彼女の著作を読むのは、私は今回が初めてでした。

 ハバロフスク寺院 Copyright par Duc Matsuocha-gouverneur

 彼女は独身だとばかり思っていましたら、「つれあい」は、テレビ局の中東特派員を務めたことがあるジャーナリストで、お互いに干渉せず、「パートナー」として、資産は別々に管理して、生活費は折半して住んでいらっしゃるようです。

 と、この本には書かれていました。「つれあい」というのは、何で、つれあいのことを「主人」と呼ばなければいけないのかという彼女の信念と中山千夏さんの顰に倣ってそう呼ぶようです。ジェンダーの先駆者と書けば、また彼女は怒るでしょうね。

 「家族という病」の結論めいた話は、58ページにある「面白くないのは、家族のことしか話さない人。」と断言していることでしょう。
 下重さんにとっては、家族の話は実に不愉快なんでしょうね、きっと。それでいて、私自身はほとんど興味がないのに、母親に溺愛されたとか、この本で彼女の家族のことについて、散々読まされました。

 嗚呼、やっぱり、図書館で借りてよかった。

帝室技芸員とジャポニズム

ハバロフスク寺院 Copyright par Duc Matsuocha-gourveneur

 生きているだけで儲けものです。探してみれば、何か楽しいことがあるものです。

 最近はまったのは、札幌の雪祀り先生からご紹介された超絶技巧派の陶工真葛(宮川)香山ですね。

 このブログでも、2月24日付で書きましたが、彼の超絶倫技巧には本当におっ魂消ました(笑)。

 初代真葛香山は、帝室技芸員にも選出され、フィラデルフィア万国博覧会やパリ万博などに作品を出品して、大賞や金賞を獲得します。

 ちょうど、欧米ではジャポニズムが大ブームで、日本の職人芸に眼を瞠った欧米の金持ち階級がこぞって、日本の作品を求めたと言われています。
 
 帝室技芸員は、いわばジャポニズムの前衛みたいなものだったんですね。

ハバロフスク寺院 Copyright par Duc Matsuocha-gourveneur

 日本の職人芸といえば、今の時代も変わりません。先日、台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業によるシャープの買収(交渉中)が話題になりましたが、やはり、世界中の人は、日本の技術が喉から手が出るほど欲しいんでしょうね。

 米アップルも「ソニーに追いつけ、追い越せ」と頑張ってあそこまで大きくしました。

 半島や大陸の技術もかなりの日本人エンジニアが高額で雇われてブレインドレインされたことは、多くの人が証言しています。

 ま、これ以上書くと差し障りがあるかもしれませんので、やめておきます(笑)。

ハバロフスク軍事博物館 Copyright par Duc Matsuocha-gourveneur

 今、興味深く思っているのは、この「帝室技芸員」制度です。戦前、宮内大臣に任命された選考委員によって選ばれた芸術家のことで、任期は終身で年金がもらえました。明治23年から昭和19年まで、橋本雅邦、横山大観、富岡鉄斎、川合玉章らそうそうたる技巧派79人が選出されています。彼らは、ジャポニズムの盛り上がりの中、日本の美術工芸品を海外に売り込むための「お役目」を果たしたと言われます。

ハバロフスク軍事博物館 Copyright par Duc Matsuocha-gourveneur

 先日、テレビの「何でも鑑定団」で、加賀出身で、鉄打ち出し作品の鍛金工芸家山田宗美(1871~1916)という人の「狸置物」が出てきて、800万円もの鑑定結果が出て吃驚してしまいました。
 鉄打ち出し作品とは、一枚の鉄から気の遠くなるような忍耐力で、細かい部分まで裏打ちして作品を仕上げていくもの。銅の方が扱いやすいのですが、鉄は軽く打ってはビクともしない。しかし強く打ち過ぎると、ヒビが入ってしまう。この手加減が微妙で、山田宗美以外は、誰にもつくれないという代物なんだそうです。

 山田宗美は、あの帝室技芸員に内定されながら、過労が原因か、44歳の若さで亡くなってしまったので、選出されなかったとい逸話があります。
 

ポイント病

銀座「和らん」懐石ランチ1000円(7カ月ぶりに行ったら、女将さんから「久しぶりですね」と言われてしまいました)

 最近、すっかり、「ポイント病」になってしまいました。

 ポイント病とは聞き慣れない言葉だとは思いますが、私の造語です(笑)。とにかく、この世知辛い世の中で、小賢しく生きるために、ポイントカードを集めて、ポイントを増やして、そのポイントを使いたい症候群に襲われてしまったわけです。

 私の持っているクレジットカードは、JR東日本鉄道のSUICAと一緒になった「ビューカード」(年会費あり)です。ポイントが貯まると、400ポイント=1000円で、チャージができます。このカードがあれば、コンビニや本屋さんや自動販売機などでチャージ分がEdyカードとして使えるので大変便利です。

ハバロフスク街並み par Duc Matsuocha

 これに、ドラッグストアの「ウエルシア」やレンタルビデオの「蔦屋」などでよく使われるTポイントがあり、最近、「ヤフー・ジャパン」もその「Tカード」に提携参入して、一気にカード戦争が勃発しました。

 私はほかに、「ビックカメラ」や「ヤマダ電機」や「三省堂書店」や「伊東屋」といった個別のカードや「ローソン」の「ポンタカード」などを持っていましたが、これに加えて、今年に入って、携帯をiPhoneに換えたおかげで、「auウオレットカード」が転がり込んできました。

 前にもこのブログに書きましたが、古い携帯を下取りに出したら、このauカードに1万円ちょっとのポイントが振り込まれて、これを使って映画を「ただ」で観ることができました。これで、すっかりポイントに味をしめてしまいました。

 しかし、これで留まることはありませんでした。

ハバロフスク街並み par Duc Matsuocha

 ついに、宣伝に負けて「楽天カード」まで申し込んでしまったのです。何しろ、入会金も年会費もなしで、クレジット機能付きだったからです。しかも、宣伝では、今入会すると5000ポイント=5000円分の商品券が振り込まれるというのです。このポイントは、楽天市場などでしか使えないようですが、商品が5000円引きで買えることは魅力的です。

 しかも、送られたカードには、入会したら「もれなく2000ポイント差し上げます」とあるではありませんか。その他、何かクリックすると20ポイントやら50ポイントやらが手に入るというので、早速応募してみました。

 実際にポイントが付くのは、2~5営業日後というので、まだ、ポイントは付いていませんが、もしかしたら、7000ポイント以上付くことになるかもしれません。こんなことありえるのでしょうか?ーそれにしても、一体どんなカラクリになっているのでしょうか?

 また、しかもですよ。この楽天カードは、Edyカードの機能も付いていて、最初から500円もチャージされているというのです。これは、ネットではなくて、地上の(笑)コンビニなどで使えます。

ハバロフスク街並み par Duc Matsuocha

 本当に、全く、何もしていないのに、楽天の戦略とはいえ、こんなに「不労所得」をもらっていいのでしょうか。何か、カラクリや仕掛けがあるような気がしてしょうがないのです。

 そこで、どなたか、このカラクリをご存知の方、どうか、ご教授願えないでしょうか? 

真葛香山には本当にびっつらこいた

 「真葛香山展」パンフレット

 先日、札幌の雪祀り先生から久しぶりに電話がありまして、「今、東京は日本橋三越で、『吉兆庵美術館蒐集 真葛香山展』をやってますから、是非ご覧になってみたら如何ですか。小生は三越カードの会員で、無料で見られますから、東京にいれば観に行けたのに残念です。えっ?真葛香山を知らない?渓流斎先生は、文人墨客なんて自称されてるようですが、その看板が泣きますねえ。一般800円ですけど、安売りチケットでも見つけて観に行かれたらどうですか」と、挑発されるではありませんか(笑)。

 ハバロフスクの街頭 par Duc Matsouocha

 そう言われますと気になるものです。最近都心に出る機会も多くなり、新橋第一ビル内のチケットセンターをいくつか覗いたところ、最後の店にだけ、この展覧会のチケットがあったのです。しかも、250円!これはめっけもんだと軽い足取りで観に行きました。

ハバロフスクの街頭 par Duc Matsouocha
 

 そしたら、大した魂消たですよ。最初の写真に掲げたように、「超絶技巧」!壺に2匹の蟹が戯れているような作品ですが、まるで本物そっくり!そのリアリズムは、まるで、陶工界の伊藤若仲です。

 真葛香山(まくず・こうざん)の本名は、宮川虎之助(1842~1916)。代々、京都の楽焼陶工の家で、香山は、父楽長造(1797~1860)に陶器や磁器の製法を学び、父の急死で、数えの19歳で家督を継ぎます。

 明治3年になり、京都から横浜に移り住み、真葛窯を開設します。折からのジャポニズムのブームで、日本の陶磁器が欧米から関心の的になり、香山の作品もフィラデルフィアやパリなどでの万国博覧会に出品され、金賞や大賞を受賞しています。

 ハバロフスクの街頭 par Duc Matsouocha
 
 そして、何とですよ、あの泣く子も黙るロイコペの略称で知られるロイヤルコペンハーゲンは、この真葛香山の陶磁器に影響されて、窯づくりを始めたというのです。本当にびっつらこいてしまいました。これは、ネット情報にはなく、会場に足を運んで得られた情報です(笑)。

 真葛香山には実子がいなかったのか知りませんが、弟子の半之助が養子となり、2代目を継ぎます。これまた、養父に似て天賦の才を発揮します。そして、半之助の長男葛之輔が三代目を継ぎますが、昭和20年5月の横浜空襲で、真葛窯は崩壊し、三代目自身とその家族と従業員11人が亡くなったというのです。これもネット情報には出てきません(笑)。「横浜空襲」と会場の年表に書かれていましたが、これは、はっきり言って、米軍による民間人を巻き込む無差別殺戮ですよね?

 米国人は、明治から、あんなに愛した真葛焼の窯まで破壊するなんて、本当に酷いことをしたものです。

 ハバロフスクの街頭 par Duc Matsouocha

 四代目は、三代目の弟智之助が継ぎますが、六〇歳を過ぎて継承したせいか、振るわず、昭和34年で、真葛香山の名前は途絶えました。

ちなみに、初代真葛香山は、帝室技芸員に選出され、明治の三大名工の一人。京都の敬愛する大先輩、野々村仁斎や尾形乾山の作品をモチーフに取り入れたり、下絵画師に下村観山や川合玉堂らを採用したりしてます。

 今ちょうど、他に、東京・サントリー美術館で「没後100年 (初代)宮川香山展」をやっているのですね。ご興味のある方、もしくは、このブログで興味を持たれた方は、両展覧会に是非足を運ばれたら如何ですか?早く行かないと終わっちゃいますよ(笑)。

神話は史実のデフォルメか?

築地・海鮮丼 899円

 久しぶりに都心に出かけました。あまりにも久しぶりなので少し疲れました(笑)。

 さて、渓流斎は、ここ10年、近現代史ばかり研究してきましたが、日本の古代史もなかなか面白いことが分かりました。

 何しろ、矛盾した言い方ですが(笑)、分からないことだらけで、謎やミステリーがいっぱいだからです。

 例えば、いまだに、邪馬台国は畿内説、九州説は決着していませんよね?
 大和民族は、半島からの騎馬民族説なんかもありましたが、あれで証明されているのでしょうか?
「天照大御神=卑弥呼」説があるなんて、知らなかったので、本当に吃驚してしまいました。

 ほんの少しずつではありますが、「古事記」を読み始めています。成立以来さまざまな研究者がさまざまな研究成果を挙げられているので、私なんか出る幕は本当はありませんが、やはり、大和朝廷といいますか、天皇家の正統性、つまり、オーセンティシティを末代まで伝えようという目論みは否定できないと思います。

 天皇家以外は異端者として、「国譲り」の対象であったり、「征伐」の対象だったりします。

 古事記の中には、出雲風土記にみられる記述が多く散見されますが、私の大胆な推測では、出雲の豪族の方が先に有力な覇権で君臨していたのを、大和の豪族が後から来て、彼らを征服したのではないかと思えます。天照大御神の弟である須佐之男命や、須佐之男命の6代目大国主神の国譲りの物語はまさにそうです。出雲を滅ぼした大和の将軍は、常陸一宮(ひたち いちのみや)の鹿嶋神宮(建御雷神=タケミカズチノカミ)と下総一宮(しもふさ いちのみや)の香取神宮(経津主大神=フツヌシノオオカミ)にそれぞれ祀られます。

 その後、大和朝廷が統一されて、その間に、大伴氏、物部氏、蘇我氏…と次々と天皇家のライバルが失脚して中臣家だけが藤原家として生き残ります。そのため、この二家の正統性だけが強調され、蘇我氏などは端から悪者扱いです。本当は権力闘争に負けた豪族だったということでしょう。もっと、深く知りたくなりました。

 神話だからと言って、全くのフィクションから誕生したわけではなく、何らかの史実をデフォルメした感があります。だから、紀元前660年に即位し、127歳で崩御されたと言われる初代神武天皇も、年号や年齢はデフォルメされてはいますが、神武天皇に近い有力者が実在したのではないか、と思われます。古代天皇家の権威は、仁徳天皇陵を見ただけでも歴然としています。

 それに、伊耶那岐神は、黄泉国へ行った妻の伊耶那美神を探しに行きますが、伊耶那美神の「私を見てはいけません」という約束を伊耶那岐神が破って見てしまうという件(くだり)は、ギリシャ神話のオルフェウス物語とそっくりです。こんな偶然の一致はありえません。

 最近、神道に被れている渓流斎は、別に国粋主義者になったわけではありませんが、これは色々と好奇心と野次馬根性が復活した証であり、何と言っても、本人が一番喜んでいます(笑)。

満洲問題、語学不得意、アナログ人間

旧・満鉄新京支社 Copyright par Duc Matsuohca

 この「渓流斎ブログ」は、古代から現代まで、アカデミズムに拘らず、市井の方でも、歴史研究家の皆様方に門戸を開放しております。

 先日は、満洲研究の泰斗、松岡総裁からメールが届きまして、「最近の渓流斎ブログが物足りないと思ったら、以前と比べて、写真が少ないからなんでしょうね。今から、写真をお送りしますからお使いください」と仰るではありませんか。お馬さんが食べるほど、たくさん送ってくださいました(笑)。

 写真が少なくなったのは、以前にも書きましたが、写真アップの操作が簡単にできた「gooブログライター」が廃止されたためでした。写真は面倒くさい手続きをして、一枚一枚アップしなければならなくなったので、時間の無駄と思っていたのです。

 しかも、小生は、写真については、あまり拘りがないのです(笑)。ということで、松岡総裁からの写真をお借りしながら、本文の内容とは全く一致しない、チグハグな文章を書き連ねていきますので、覚悟してください(笑)。

 往時の満洲国協和会中央本部 Copyright par Duc Matsuohca

 さて、今日本で一番売れている月刊総合誌の今月号は、面白いですね。博多のどんたく先生のお勧めもあり、読んでみました。ただ、日本で一番有名な文学賞を受賞した作品は、途中まで読めましたが、ギブアップしてしまいました(苦笑)。

 最初の方に掲載されていた「2・26事件 娘の80年」は読まされました。今からちょうど80年前の1936年2月26日の青年将校によるクーデター事件で斬殺された渡辺錠太郎教育総監の娘で、「置かれた場所で咲きなさい」などがベストセラーになったノートルダム清心学園理事長の渡辺和子さんの対談です。

 一番興味深かった彼女の発言は「2.26事件は、私にとっては許しの対象から外れています。父を殺した憎しみではなく、事件のきっかけの一つである陸軍第一師団の満洲派遣への憤りです。事件の首謀者となった将校は『満洲に行って死ぬくらいなら国家革新運動をやるべきだと思った』と証言しています」という箇所でした。

 思わず、唸ってしまいました。

 協和会中央本部現況 Copyright par Duc Matsuohca

 昭和史研究の第一人者と、元外務省分析官で作家の対談も、やはり、読まされました。

 一番驚いたのは、外務省出身の作家が「陸軍士官学校出身者は語学ができる、というのは神話に過ぎない」といった発言でした。ちなみに、陸軍幼年学校~士官学校での外国語は、ドイツ語、フランス語、ロシア語で、英語はなかったそうですね。普通の中学出身者の方が英語ができたそうです。

 それでも、「三国同盟」締結に暗躍し、ドイツ大使も務めた大島浩陸軍中将(戦後A級戦犯)は、ドイツ語ができなかったという逸話には吃驚しました。これは、作家が外務省時代に、戦時下のベルリン大使館で勤務していた(あの有名な)吉野文六(昨年死去)から直接聞いたそうです。

 旧・満洲国司法部 Copyright par Duc Matsuohca

 フランスの人口学歴史学者のエマニュエル・トッドの「世界の敵はイスラム恐怖症だ」というインタビュー記事も面白かったですね。

 今、難民問題が中東欧州を中心に大きな問題になっていますが、極東の日本ではまだまだ肌感覚で沸騰点に達していないというのが現状です。トッド氏は、そもそも日本人は、異質なモノ、コト、ヒト、文化に対して敏感であることを指摘しています。

 「日本の社会はお互いのことを慮り、迷惑をかけないようにする。そういう意味では完成されたパーフェクトな世界だからです。フランスの場合は、そもそも国内が無秩序で、フランス人同士でも互いにいざこざが絶えません。つまり、外国から異質な人が入ってきたところで、そもそも失う『パーフェクトな状態』がないタフな社会です。同じことはアメリカにも言えるでしょう」

 さすが、作家ポール・ニザンの孫で、ソ連邦崩壊を予測した泰斗だけあって、鋭いですね。

 旧・関東軍総司令部 Copyright par Duc Matsuohca

 日本一の月刊誌には、ちょうど10年前の2006年にインサイダー取引法違反か何かで逮捕された超有名なMファンドのMさんが、10年ぶりにメディアに登場していました。

 何と言っても一番面白かったのは、あのジョージ・ソロスと並び称されるほどの「モノ言う」投資家がアナログ人間だったということです。株の取引きは、何と電話でやっていたというのです。今では、娘と一緒に日本で投資会社を運営していますが、デイトレーダーばりばりのコンピューター・ギークの娘さんは、取引は一刻一秒を争うだけに、優秀な娘さんから「もうお父さんは株の売買はやらないで」と止められているそうです。

 「事件」後、しばらく、シンガポールに隠遁し、株取引はやらず、ほとんど不動産投資をやっていたそうです。何千ものビルに投資したようです。そして、リーマン・ショックで世界の株が大幅に下落するのを目の当たりにして、有望株の大量買いに走り、資産を10倍ぐらい増やしたそうですよ。

 今でも、ポリエモンさんと仲良しで、二人で100億円ぐらいを元手に日本の株を買っているそうです。

 本当に読み応えがありました。

 さて、来週からちょっと忙しくなりそうで、これまでのように、毎日更新できるかどうか心もとないですが、そこんにきば、宜しゅう頼みまする。

 渓流斎朋之介

デビッド・ボウイと八幡巻

北野天満大自在天神宮

うまいめんこい村の白羽へこ作村長です。

京洛先生が、昨日、デビッド・ボウイに関する記事が19日付の地元の京都新聞に掲載されていたというので、送ってくださました。

ただ、著作権の関係で、転載できないのが残念です。今、京都新聞のHPを検索してみましたが、もう既に、消えていました。恐らく、過去記事は、有料会員のみが読めることになっているのでしょう。

その記事によると、先月69歳で亡くなったロック歌手デビッド・ボウイさんは、宝酒造(伏見区)のテレビCM撮影(北区西加茂の臨済宗南禅寺派「正伝寺」)で京都を訪れ、その空いた時間に、東山区の古川町商店街のうなぎ店「野田屋」にぶらりと寄って、八幡巻を買ったところを、写真で撮影され、その写真を店頭に飾っていたら、ボウイさんの死後、往年のファンが次々と押し寄せてきたという話でした。

もっとも、店主の田中秀穎さん(76)さんは「当時は誰なのかも分からなかった。後でとても有名な歌手だと聞いて、いただいた写真を飾ったら、お客さんが増えた」と言うぐらいですから、ちょっとピンボケ。

新聞記事の写真には、ボウイさんに応対する若かりし頃の店主も写っていますが、キャプションがいけない。

「デビッ ト ボゥイ」と汚い手書きで書いているんですからね。猫に小判、豚に真珠です(笑)・

ついでながら(笑)、京洛先生の「解説」は以下の通りです。

…「古川町商店街」というのは、蹴上、岡崎方面から三条通りを西に向かって南側の疎水沿いに東山通りに抜ける古くからある商店街です。京都を舞台にしたテレビドラマのロケにも使われる場所です。

此処に生前、デビッド・ボウイがぶらりとやってきて、商店街にある、川魚屋さんで「八幡巻(やわたまき)」を買った、というわけです。その時の写真を店に飾ったらお客が増えた、というのですから、これも「あやかり」ですね。

八幡巻は京都の八幡村(現在の八幡市)で生まれた郷土料理です。

昔から八幡はゴボウの産地で、味付けしたゴボウの軸に、地元で採れたウナギ、ドジョウを巻いてタレをつけて作ります。関西特有で、関東、坂東地域ではないでしょう(笑)。京都市内の川魚屋の店先に行けば、何処でも売っています。ボウイはおそらく珍しいので興味を持ったのでしょうね。

ボウイさんがCM撮影された「正伝寺」には、愚生も行ったことがありますが、比叡山を借景にした眺めは、ボウイさんならずとも、誰しも感動すると思いますね。

このお寺の廊下の天井には、伏見城落城の時に、血痕が残った廊下の板を用いた「血天井」が残されています。このことを住職や関係者がボウイさんに教えたかどうか定かではありませんが、同記事によると、ボウイは庭園を眺めて涙を浮かべていたというのは、そのことを思い出したのかもしれませんね。…

なるほど、そういうことでしたか。

小生は八幡巻はいまだかつて食べたことも見たこともありませんので、また、京都に行く機会があれば、、挑戦したいと思っています。

京都は、ビル・ゲイツやスティーブ・ジョッブズらがお忍びでしばしば訪れ、座禅を組んだりしていたと言われています。

最先端の荒波の中で、身体を張って勝負している人は、異人さんでも、古都京都に惹かれるのですね。

ちなみに、ジョブズらがお忍びで通っていた京都の寿司屋や蕎麦屋は、あまりにも高過ぎて店名は忘れてしまいました(笑)。

いや、悔しいから、調べたら、寿司屋は「すし岩」(下京区)、蕎麦屋は「晦庵 河道屋」(中京区)でした。いずれも、洛中にありますね(笑)。

「興農合作社・満鉄調査部事件の罪と罰」 発行へ

旧新京ヤマトホテル(甘粕正彦らが長期滞在していた)

 最近、以前と比べてあまり音沙汰がなくなった松岡総裁は、どうしておられるのかなあ、久しぶりにこちらから連絡でもしてみようかなあ、と思っていたところ、昨日、総裁直々からメールを頂きました。

 事情があって、某所で住み込んでおられて、情報は受信できても、発信しにくい状況だったようです。

 でも、メールの後半は、朗報でした。

 松岡総裁が、一昨年夏から筆を進めていた著書がほぼ完成し、某出版社から5月の連休明けにも発行される予定だというのです。

 松岡総裁とは、勿論、あの浩瀚な大著「松岡二十世とその時代」(日本経済評論社)を上梓された松岡將氏のことです。

 同氏は「とにかく、諦めずに前に進むことですね。この出版不況の際に、一応まともな本を、二冊上梓できるとはね。そして、二冊目の『罪と罰』が、いささかでも一冊目の『松岡二十世とその時代』のPRになればと思っています」と心の内を明かしておられました。

 一応、ご参考に送って頂いた目次だけでも掲載させて頂きます。本文もありますが、それはちょっと長すぎて…(笑)

 ま、本邦初公開のスクープとしてざっとご覧になって頂ければと思います。ただし、著者ご本人は、タイトルの変更を思案中で、今のところ、「本題:王道楽土の罪と罰 副題:満洲国衰退崩壊実録」が最有力候補のようです。

 ちなみに、小生と松岡氏とは2012年9月に「合作社・満鉄調査部事件」研究会(東京・目黒)で、面識を得ました。

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  興農合作社・満鉄調査部事件の罪と罰
 ――第二次世界大戦下、王道楽土満洲国での焚書坑儒劇――

序 章 なぜ興農合作社・満鉄調査部事件か
(一) わがふるさと満洲国の呼ぶ声
(二) 戦時体制期の満洲国を物語るものとしての興農合作社・満鉄調査部事件
(三) 興農合作社・満鉄調査部事件の理解のために
(四) 興農合作社・満鉄調査部事件の「罪と罰」序論

第二章 興農合作社・満鉄調査部事件をめぐる時代背景
Ⅰ はじめに
Ⅱ 満洲国の形成過程とその当初の国造り課題
Ⅲ 昭和十四(一九三九)年の夏――第二次世界大戦始まる
Ⅳ 満洲国協和会活動の活発化――『協和運動』の発刊など
Ⅴ 協和会中央本部実践部での「嘱託室」の設置――戦時化していく時代の流れの中で
Ⅵ 建国神廟の創建と祭祀府の設置――日満一体の具現化

第三章 興農合作社事件、一斉検挙に至る路 
Ⅰ 昭和十五年夏、協和会「嘱託室」にて(一)――鈴木小兵衛の協和会入り
Ⅱ 昭和十五年夏、協和会「嘱託室」にて(二)――平賀貞夫の東京警視庁による検挙
Ⅲ 昭和十一~十五年、賓江(北安)省綏化県にて――佐藤大四郎と大塚譲三郎
Ⅳ 昭和十六年初頭、協和会の組織改革・人員大整理――二位一体制と政府等への大量転出
Ⅴ 同じく昭和十六年初頭の日本では――急速に進む社会経済の統制化、戦時化
Ⅵ 昭和十六年四月、日ソ中立條約の締結――そして四年後のヤルタ対日秘密協定によって
Ⅶ 満洲の暑い夏――バルバロッサ作戦、北進論と南進論、そして関東軍特種演習
Ⅷ 急速に進むゾルゲ事件関係者の摘発――久津見、山名、田口なども

第四章 関東憲兵隊の「興農合作社事件(一・二八工作事件)」
Ⅰ 関東憲兵隊自身が記述する「一斉検挙に至る路」
Ⅱ 関東憲兵隊に好機到来か
Ⅲ 關憲作令第二九四號檢擧命令下る――関東憲兵隊のポイント・オブ・ノーリターン

第五章 興農合作社事件、始まる 
Ⅰ 昭和十六年十一月四日朝、満洲国協和会中央本部にて
Ⅱ 翌十一月五日夕刻、満洲国協和会中央本部にて
Ⅲ 興農合作社事件関係者の一斉検挙の概要

第六章 五十余名を一斉検挙してはみたけれど
Ⅰ 留置と取調べの状況
Ⅱ 関東憲兵隊に本当に欠けていたところのもの
Ⅲ 暫行懲治叛徒法問題
Ⅳ 満洲国最高検察庁次長人事の問題
Ⅴ とは言いつつもここ満洲国にあっては

第七章 一斉検挙者の事件送致のために――やっと整ってきた道筋
Ⅰ 総合法衙内の最高検察庁次長室にて
Ⅱ そして十二月八日午前七時の臨時ニュースで、大本営発表が
――帝国陸海軍は今八日未明 西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり
Ⅲ 昭和十六年十二月二十七日、治安維持法の公布・施行
Ⅳ 昭和十六年十二月三十日、鈴木小兵衛の熱海での検挙
Ⅴ 昭和十七年の年始、協和会中央本部総務部長室にて

第八章 盟邦日本の相次ぐ戦勝報道のなかで
Ⅰ 遅々として進まぬ事件送致
Ⅱ 秘密結社無名中核体五名の事件送致とその後
Ⅲ 治安維持法第五條に定める宣傳罪

第九章 昭和十七年春の新京で
Ⅰ 新京高等検察庁による中核体五名の起訴
Ⅱ 鈴木小兵衛の告発が満鉄調査部事件へと繋がっていった

第十章 昭和十七年夏の新京で
Ⅰ 満鉄調査部事件捜査の進捗――関東憲兵隊警務部に思想班の新設
Ⅱ 八月一日、憲兵司令部本部長加藤泊治郎陸軍憲兵少将、任関東憲兵隊司令官
Ⅲ 新京での昭和十七年夏の終わり――新京高等法院での中核体五名への無期徒刑判決

第十一章 昭和十七年の秋から冬に向かう新京で
Ⅰ 満洲国建国十週年記念行事
Ⅱ 九月十七日、関東憲兵隊命令下る
Ⅲ 九月二十一日、満鉄調査部事件第一次検挙
Ⅳ 第一次検挙のその後
第十二章 満洲国の終わりが始まっていった
――満鉄調査部事件に明け暮れた昭和十八年
Ⅰ 終わりの始まりの年の始め
Ⅱ 特急あじあ号の運行停止
Ⅲ 満鉄、九・二一事件第一次検挙者を解職――満鉄の自粛処置の第一歩

第十三章 終わりの始まりの年の春、首都新京で
Ⅰ 治安維持法第五條第一項「宣傳罪」判決
Ⅱ 「宣傳罪」違反処罰の法理構成
Ⅲ 現代版「焚書坑儒」としての治安維持法第五條第一項「宣傳罪」
Ⅳ 満鉄調査部事件第一次検挙者の事件送致開始
Ⅴ 同時期の太平洋戦争での相次ぐ悲報

第十四章 からっとした夏が到来した新京で
Ⅰ 関東憲兵隊の新司令官、大野廣一陸軍少将としては 
Ⅱ 七月十三日、九・二一事件第二次検挙命令下る
Ⅲ 満鉄による広範な自粛処置の実施
Ⅳ 憲兵司令官と関東憲兵隊司令官の更迭人事
Ⅴ 協和会中央本部総務部長、菅原達郎としては
Ⅵ その頃ユーラシア大陸の西の彼方では

第十五章 終わりの始まりの年はかくして暮れていく
Ⅰ 昭和十八年の秋の到来
Ⅱ 昭和十八年の秋から冬にかけての関東憲兵隊

第十六章 昭和十九年前半期
Ⅰ 昭和十九年の年明け
Ⅱ 早春の悲劇
Ⅲ 昭和十九年四月の新京
Ⅳ 師団単位となった関東軍の南方転用

第十七章 第二次世界大戦の帰趨を決定づけた昭和十九年六月
Ⅰ 昭和十九年六月、遂に連合国軍の反攻のための戦機が熟した
Ⅱ ノルマンディー上陸作戦とバグラチオン作戦――ヨーロッパの西と東で
Ⅲ 対日B29戦略爆撃の開始
Ⅳ 対日反転攻勢のとどめ――北マリアナ諸島制圧とB29発着基地化
Ⅴ 昭和十九年七月十八日、東條内閣総辞職
Ⅵ 参謀総長の交替

第十八章 満鉄調査部事件よ、何処へ行く――満洲国司法機関での法的処理
Ⅰ 満鉄調査部事件の送致及び起訴にあっての適用法條の問題
Ⅱ 満鉄調査部事件をめぐる情勢変化
Ⅲ 関東憲兵隊までもが事件への関心を喪失していく
Ⅳ 事件送致者三十六名中、二十名が個人犯罪としての刑事事件の被告となった

第十九章 昭和十九年の後半期――急坂を転げ落ちて行くが如くに
Ⅰ 昭和十九年夏、戦火はついに満洲国へも及んできた
Ⅱ 梅津参謀総長、「帝国陸軍対ソ作戦計画要領」を下達
Ⅲ 昭和十九年秋の新京
Ⅳ デジャブーとしての台湾沖航空戦
Ⅴ レイテ沖海戦と神風特別攻撃隊の悲劇、そしてレイテ島攻防戦
Ⅵ 日本本土へのマリアナ諸島からB29戦略爆撃の開始

第二十章 知らずして破局へと至る道を歩みつつ
Ⅰ 昭和二十年新春の新京
Ⅱ 満鉄調査部事件被告二十名たちと首都新京
Ⅲ 戦局の悪化がすすむ昭和二十年の正月
Ⅳ 昭和二十年二月――ヤルタ対日秘密協定の締結と硫黄島攻略戦の開始
Ⅴ 昭和二十年三月――満洲国における「新作戦計画大綱」の実施をめぐって

第二十一章 終末時計は刻々と時を刻む
――ベルリン陥落と満鉄調査部事件判決の同時進行
Ⅰ 昭和二十年四月――第二次世界大戦の東と西で
Ⅱ 満鉄調査部事件判決――治安維持法第五條第一項「宣傳罪」該当
Ⅲ 現代版「焚書坑儒」を生み出した治安維持法の「宣傳罪」
Ⅳ 満洲根こそぎ動員の開始

終 章 満洲国の崩壊と王道楽土幻想の終焉

「キャロル」は★★★

菅公

映画ちゅうものは、観る前に期待すればするほど、大きくその期待が膨れ上がって、少しでも意に沿わなかったりすると、がっかりしてしまうものですね。まあ、映画評論家さんらと違って、身銭を切って観ているので、これぐらいは、言わせてくださいな(笑)。

何しろ、この作品「キャロル」は、28日に発表される第88回アカデミー賞の主演女優賞と助演女優賞にノミネートされているんですからね。しかも、原作は、あの「太陽がいっぱい」のパトリシア・ハイスミス。当然、サスペンスを期待するじゃありませんか。

監督は、ジュリアン・ムーア主演の「エデンより彼方へ」(2002年)のトッド・へインズ。この人、アメリカの古き良き黄金時代である1950年代を描くのがよっぽど好きなようですね。ファッションや車や街角などを再現するのが実にうまい。センスがあります。

キャロル役は主演女優賞にノミネートされているケイト・ブランシェット。彼女はオーストラリア出身です。テレーズ役は、「ドラゴン・タトゥーの女」で鮮烈な印象のルーニー・マーラ。彼女は、アイルランド系米国人で、大富豪一族としても知られていますね。

二人の女性の禁断の愛が描かれておりますが、当時の社会通念や風紀常識では、とても容認されず、原作者のハイスミスも、スキャンダルになるのを恐れて、他の筆名で発表していたようです。

ブランシェットは、既に「ブルージャスミン」で主演女優賞を受賞している演技派。マーラは、既にこの作品でカンヌ国際映画賞で女優賞を受賞しています。これだけ、材料がそろえば、文句なしのはずが…。

自分が男のせいか、ちょっと、間延びしている感じで、最後近くの「どんでん返し」めいた場面で、やっと、一気にスクリーンの世界にのめりこめたという感じでした。

ブランシェットは、恐ろしく美しくて醜い両面を持っていました。マーラは、最初から最後まで、顔つきからスタイルまで、まるで、オードリー・ヘプバーンのように見えました。

ハイスミスの他の作品に見られるように、上流階級の実に胡散臭い俗臭をこれでもか、といった感じで描かれている点は面白かったですが…。登場する男たちの言い分に同情して、てこ入れするように分かってしまえば、この映画の世界に入っていけないかもしれませんね。

単なる大金持ちの有閑マダム(死語!)の火遊び映画に過ぎなくなってしまいますから。