今年の流行語大賞は「ちーがーうーだーろー!」?

小倉城趾からの展望

年末恒例の「流行語大賞」の候補作が昨日、発表されました。

30語の候補作は以下の通りです(50音順)。

アウフヘーベン/インスタ映え/うつヌケ/うんこ漢字ドリル/炎上○○/AIスピーカー/9.98(10秒の壁)/共謀罪/GINZA SIX/空前絶後の/けものフレンズ/35億/Jアラート/人生100年時代/睡眠負債/線状降水帯/忖度/ちーがーうーだーろー!/刀剣乱舞/働き方改革/ハンドスピナー/ひふみん/フェイクニュース/藤井フィーバー/プレミアムフライデー/ポスト真実/魔の2回生/○○ファースト/ユーチューバー/ワンオペ育児

小倉城趾=埼玉県比企郡

これでも、私は普段、マスコミの最先端の仕事をしておきながら、そして恥ずかしながら、知らない言葉があるのですよ、はい。

「けものフレンズ」「ハンドスピナー」「線状降水帯」「ワンオペ育児」…何なんしょ?意味は分からないことはないですけど、今年そんなに流行ったのかしら?

小倉城趾=埼玉県比企郡

やはり、今年の流行語大賞は、「忖度」あたりが、一番相応しい気がしますが、私が思い切って選ぶとしたら、

ちーがーうーだーろー!

でしょうね(笑)

中高一貫の超有名女子学園(桜蔭)から東京大学〜官僚という絵に描いたようなエリートコースから国会議員に転身された豊田真由子さんによる暴言、暴行。

彼女、こないだの総選挙では落選してしまいましたが、是非とも、流行語大賞を獲得して、今年の授賞式にも出席していただいて、受賞スピーチで叫んでほしいのです。

ちーがーうーだーろー!

会津藩の悲劇―筆舌に尽くしがたい

小倉城跡登山道=埼玉県比企郡

◇閲覧数が1日2400を突破!?

あんれまあ、驚きです。

今年9月1日からgooブログから思い切って独立して、世界最小双方向性メディア「渓流斎日乗」を立ち上げましたが、これまで閲覧数は1日50~80程度が続いていたのに、今日の閲覧数はいきなり2400を超えてます。

一体、世の中どうなってしまっているんでしょうか?

小倉城跡=埼玉県比企郡

◇会津藩を病的に忌み嫌った木戸孝允

しかも、昨日の「薩長史観の正体」には、史上3人目のコメントまで頂きました。赤羽彦作村長さま、有難う御座いました。

彦作村長は、福島は会津ご出身と漏れ伺っております。

この武田鏡村著「薩長史観の正体」(東洋経済新報社)には、薩長新政府による、幕僚として徳川に誠心誠意を尽くした会津藩への筆舌に尽くしがたい「処分」を明記しております。

会津藩士を病的に恐れ、忌み嫌った長州の木戸孝允による会津藩士と家族への極めて重い懲罰のことです。明治2年、新政府から会津23万石は没収され、家族らはペンペン草も生えない不毛の地と言われた極寒・下北半島の斗南藩3万石に強制移住させられたのです。

会津藩といえば、幕末の白虎隊の悲劇はつとに有名ですが、これは教科書に載せてもいいくらい酷いお話です。

小倉城跡=埼玉県比企郡

◇酷過ぎる懲罰

武田氏は、この本の中で、薩長閥の中で会津藩出身者として白眼視されながら、陸軍大将にまで登りつめた柴五郎の体験談を掲載しています。

「柴家は300石の家禄であったが、斗南では藩からわずかな米が支給されるだけで、到底足りない。…馬に食べさせる雑穀など食べられるものは何でも口にした。…塩漬けにした野良犬を20日間も食べ続けたこともあった。最初は喉を通らなかったが、父親から『武士は戦場で何でも食べるものだ。会津の武士が餓死したとなれば、薩長の下郎どもに笑われるぞ』と言われて我慢して口にした。住まいの小屋に畳はなく、板敷きに稾を積んで筵を敷いた。破れた障子には、米俵を縄で縛って風を防ぐ。陸奥湾から吹き付ける寒風で、炉辺でも食べ物は凍りつく。炉辺で稾に潜って寝るが、五郎は熱病にかかって40日も立つことができず、髪の毛が抜けて、一時はどうなるか分からない状態になった。…」

これは、あんまりですね。英傑桂小五郎に対する印象も随分変わってしまいました。

「正倉院展」見聞記

奈良・東大寺 Copyright par Saidaiji sensei

奈良の西大寺先生です。

◇宝物10件が初出陳

昨日は「正倉院展(〜13日まで)」を見てきました。パリからこちらに戻ってから、毎年見て来ていますが、今年の陳列58件の宝物のうち10件は、初出陳でした。

ご案内のように写真厳禁で撮れませんので「こうだ!ああだ!」と言えませんが、初出陳のうち、蠟ミツバチの巣から作った「﨟蜜(ろうみつ)」は興味を持って見てきました。

奈良公園 Copyright par Saidaiji sensei

◇薬品を工芸に使う

「正倉院展」で検索すれば写真が出てくると思いますが、今年の目玉の出陳品は、羊木﨟纈屏風(ひつぎろうけちびょうぶ)などに使われた宝物の薬品です。この薬品を使って、屏風の模様を描く材料に使われていたそうです。

1〜2センチ程度の形状で、お餅というか円盤のような形をしていました。トウヨウミツバチの巣を溶かし圧搾してつくるということです。
中国の古代の医書にも記されていて、正倉院でも「種々薬帳」に記載されていて、古代、薬を工芸の目的に使っていたのです。

このほか、緑色ガラスの「緑瑠璃十二曲長坏(みどり るりの じゅうにきょく ちょうはい)」は色鮮やかで、人だかりが多く、ちらっと見ることしかできませんでした。ウサギの模様が描かれているのですが、「ちらっと」ですから、よく確かめられませんでした(笑)。

奈良公園 Copyright par Saidaiji sensei

◇三軒茶屋ガルーダ博士の講釈聴きたい

「伎楽面 迦楼羅(ぎがくめん かるら)」も、初出陳で、中国・江南地方が源流と言われる「仮面舞踊劇」に使われたお面です。古代インドのガルーダ(霊鳥)に由来するという事で、三軒茶屋のガルーダ博士の講釈を伺いたいところでした。

京博の「国宝」も長蛇の列ですが、「正倉院展」も舞員御礼。入場制限がありそうなので、混雑しない時間はないかと調べてみたら、「平日の昼食時12時から1時半が空いている」という事でした。
確かに12時過ぎに行きましたが、スイスイ入場出来ましたね(笑)。
帰途、「東大寺」の大仏さんも久しぶりに見てきましたが、東大寺、奈良公園の紅葉はこれからでした。

「薩長史観の正体」

今年は大政奉還(1867年)からちょうど150年(先月、その舞台の京都・二条城に行ってきました)。そして、来年は明治維新150年。

長州にルーツを持つと言われる安倍首相のことですから、来年は、国家主宰の盛大な国事記念式典を行うことでしょう。

◇前政権を全否定しアウフヘーベン

しかし、我々は、司馬遼太郎の小説やその他多くの「幕末もの」と言われる歴史小説で、独断と偏見に凝り固まってしまっていることを多くの人は知りません。

そんな中、9月21日に東洋経済新報社から初版が発売された武田鏡村著「歴史の偽装を暴き、真実を取り戻す 薩長史観の正体」は、実にエグイ本です。(経済専門出版社がよくぞこういう本を出版したものです)

これまで明治政府というより、薩長革命政権によって流布された「歴史的事実」が検証され、バサバサと反証が試みられているからです。

いつの時代でも、どこの国でも、新しく政権に就いた権力者たちは、とにかく、前政権を全否定して、小池さんの大好きなアウフヘーベンして、後世の人間をだまくらかさなければならないことは、古今東西共通のお話です。

とにかく、「封建主義は前近代的で悪い」「徳川も幕臣どもも皆な無能だった」「徳川方に全く正義はなかった」「徳川政権が続けば、日本は欧米列強の植民地になっていた」…などと、薩長政権は、それがまるで「歴史的必然」だったのかのように吹聴してきました。

青山城跡入口登山道=埼玉県比企郡

それが、この本によると、まるで逆なんですね。

◇薩長史観とは何か?

そもそも「薩長史観」とは何か?この本から引用します。

「明治政治がその成立を正当化するために創り上げた歴史である。それは薩摩や長州が幕末から明治維新にかけて行った策謀・謀反・反逆・暴虐・殺戮・略奪・強姦など、ありとあらゆる犯罪行為を隠蔽するために創られた『欺瞞』に満ちた歴史観である」

うおー、凄い。凄過ぎる言い方です。

著者の武田氏は1947年新潟県生まれで、新潟大学を卒業後、在野で歴史を研究し、通説に囚われない実証的な史実研究をされている方で、「藩主 なるほど人物事典」など著書も多数あるようですが、私自身は彼の著作を購入して読むのは今回が初めてでした。

彼にかかると、久坂玄瑞、高杉晋作、桂小五郎(木戸孝允)、伊藤俊輔(博文)、山県狂介(有朋)、品川弥二郎らを輩出した松下村塾の大教育者で、長州が生んだあまりにも偉大過ぎて言葉が出ない吉田松陰でさえ、「激情に駆られて変節して、暴力革命を礼賛するテロの扇動家であった」と一刀両断なんですからね。

大日山=埼玉県比企郡

◇西郷隆盛は無定見な武闘派?

せめて、大南州と尊敬され、明治の元勲ながら靖国神社にも祀られていない西郷隆盛ぐら褒めても良さそうなものですが、武田氏にかかると、「西郷隆盛は、僧侶を殺して、江戸市中を騒擾化させ、同調者を見殺しにした無定見な武闘派の策略家だ」となっております。

まあ、本当の策略家でしたら、あんな無謀な西南戦争なんか起こさなかったと思いますけどね。。。

一方、薩長史観によって、重罪人扱いされた幕臣の小栗上野介忠順(ただまさ)については、「日本の近代化の基礎をつくった大先駆者で、暴虐な薩長の体質を看破した憂国の士であった」と、歴史的再評価を主張しています。

小栗は、薩長に対して、駿河湾に浮かべた軍艦開陽丸から砲撃するなど「徹底抗戦」を主張したのにもかかわらず、「最後の将軍」徳川慶喜は、逆賊となることを恐れて聞き入れず、大坂から「敵前逃亡」して江戸に逃げ帰ってしまったことが、徳川幕府崩壊の最大の要因でした。

もし、慶喜が小栗の意見を採用していたら勝ち目がなかったと、長州の軍事指導者で後に靖国神社前に大きな銅像が建てられた大村益次郎(村田蔵六)は述懐したらしいですが、まさに、あの幕末の大混乱の中、本当にどうなっていたか分からなかったのです。

◇坂本龍馬は薩摩に暗殺された?

もう一つ。ちょうど150年前に京都で暗殺された坂本龍馬と中岡慎太郎。下手人は幕府直属の見廻組の佐々木只三郎らということで、既に歴史的決着がついていたのかと思っておりましたが、武田氏は「龍馬は、大政奉還による『新国家』を推進したために薩摩によって暗殺された可能性が高い」というのです。

うーん、まだまだ謎の部分が多いようです。

ともかく、この本は時の権力者たちが、発禁本にしたがるもので、世が世なら、読めないでしょね。

青山城址~小倉城址~菅谷館跡~稲荷塚古墳

国指定史跡 小倉城趾

トランプ米大統領夫妻と安倍首相夫妻は昨晩、「渓流斎日乗」が予告した通り、東京・銀座のミシュランも推薦する超高級鉄板焼料理「うかい亭」で会食しましたね。

えっ?具体的な店名は書いてなかった?そりゃ、そうでしょう(笑)。「体制護持」「党広報機関紙」ですから、そこまで書きませんよ(笑)。

で、トランプ大統領と安倍首相は昼間は、埼玉県の名門で3年後の東京五輪会場にもなる霞が関カンツリー倶楽部でゴルフをなさってました。

私たちは、ちょうどその頃、好天に恵まれて、そのゴルフ場近くの山城にエッチラホッチラ登っておりました。

都内に本部がある「山城歩き同好会」に私も参加させてもらい、全部で6人が中世の城跡を散策しました。

東武東上線の終点小川町駅(これがかなり遠かった)から、バスで愛宕公園下まで(220円)行き、そこで迷っていたら、シトロエンに乗った地元の優しいおじさんが、わざわざ登山道の入り口まで案内してくれたのです。お名前も伺いませんでしたが、この方のおかげで、幸先良いスタートが切れました。

どうも有り難うございました。

昼なお暗い細くてきつい檜と杉の山道を辿って最初に着いた所が青山(割谷)城跡でした。詳細は上の看板をご参照ください(笑)。

室町時代から南北朝時代の15世紀、城主は不明ですが、関東管領扇谷(おおぎがやつ)上杉氏の家臣上田氏が有力と言われてます。

ここからまた、30分ほど狭い急な山道を歩いてやっとのことで辿り着いた所が、今回のハイライトの一つ、小倉(おぐら)城趾です。こちらも城主は不明で、戦国時代の後北条氏の家臣の遠山氏とも上田氏とも言われています。

ここは「国指定の史跡」として登録されていますから、絶対に一見の価値ありますね。とにかく素晴らしい。苦労して登ってきた甲斐がありました。

何でこんな山奥に城が建てられたのか不思議ですが、敵から逃れて下界を探訪するのにちょうどよかったのでしょう。また、城下を流れる槻川(つきがわ)から物資を運んだり、武蔵国原産の板碑の石材を運搬したりしていたらしいです。

ここは、中世から水運業が盛んだったようです。

この小倉城の特徴が上写真のような石の平積みです。まあ、石垣ですが、いかにも中世の城らしく、武蔵国の城で見られる平積み石はここだけだそうです。

この後、ハイキングコースにもなっている嵐山町の嵐山渓谷道を散策しました。

ここは、日比谷公園や明治神宮などを設計した本多静六博士が、京都の嵐山(あらしやま)に似ているということで、武蔵嵐山(らんざん)と名付けたらしく、大正時代あたりから観光資源になったようです。

東武東上線「武蔵嵐山」駅に近付くと、国道254線近くに「菅谷館跡」があります。ここは鎌倉時代の源頼朝の右腕と言われた畠山重忠の城跡だったそうです。

本郭のほかに、二の郭、三の郭、南郭、西郭などがあり、規模は小倉城より広い。実に立派な城跡です。

ここには県立嵐山史跡博物館もあります。

詳細は→ 菅谷館跡

室町末期から戦国時代は、山内上杉氏の内紛などで戦場になりました。

畠山重忠像

鎌倉武将畠山重忠は、埼玉県深谷市畠山出身なんだそうですが、意外にも埼玉県北部は、鎌倉武将を多く輩出しているんですね。

平家物語などに登場し、歌舞伎の題材にもなった熊谷直実の熊谷市出身が一番有名かもしれませんけど、木曽義仲は、源義賢の次男で、生まれは現在の埼玉県比企郡嵐山町の大蔵館だったというのです。父義賢が兄義朝(頼朝、義経の父)と対立して、義朝の長男義平に討たれ、義仲は信濃国木曽谷に逃れたことから、木曽義仲と呼ばれるようになったんですね。

時代が下って、関東管領扇谷上杉氏の家臣で、河越城、江戸城を築城した太田道灌は、小川町のずっと先の越生町出身と言われております。

「山城歩き同好会」の最後の締めは、これまた武蔵嵐山駅に近い「稲荷塚古墳」でした。

古代にこの地に古墳をつくるほどの有力な豪族が住んでいたわけで、古代から中世、近世と脈々と歴史が続いてきたことが分かります。

特に、一番初めに出てきた小川町は、重要文化財にも指定されている「細川紙」と呼ばれる和紙が有名ですが、これは、1300年前に渡来した高麗の人たちの製造技術が伝わってきたものだそうです。

詳細は→ 細川紙

恐らく、高麗人たちは、技能職人として、また土地の有力者として政治的発言権も持っていたのかもしれません。

万歩計を見ると、この日に歩いたのは、2万5000歩以上にも及びました。意外と知らなかった歴史散歩ができ、昨日は少し疲れましたが、非常に有意義な時間を過ごすことができました。

「国難突破」でゴルフ三昧

東久留米市・浄牧院

「国難突破」でゴルフ三昧

一流選手も嫌々参加

泣く子と地頭には勝てぬ

長いものには巻かれろ

東久留米市・浄牧院

「ナチスの手口を学んだらどうか」と副総理

今度は「北朝鮮のおかげ」と本音がポロリ

「501」買っちゃいました

金持ち喧嘩せず

世の中、金持ちしか発言できず

今日は帝国、明日はオークラ

今日は吉兆、明日は次郎

御安心を

長くとも人生せいぜい100年ちよつと

紀元前2500年のクフ王は大ピラミッドを残すも

人類の文明、せめて1万年

恐竜時代は6500万年前

アンモナイトは3億年前

小さい小さい

地球誕生46億年

宇宙誕生137億年

宇宙の歴史から見るとあまりにも小さい霊長類よ

お前たちは一体これから何処に行くというのか?

「ブレードランナー2049」★★★

久し振りに映画を観てきました。

SF映画史上の名作、もしくは金字塔とまで言われた「ブレードランナー」(リドリー・スコット監督、フィリップ・K・ディック原作)の続編「ブレードランナー2049」です。

前作は1982年公開と言いますから、あれから実に35年も経ってしまったとは!それほど「SF好き」とは言えない小生ですが、「ブレードランナーを知らないなんてもぐりだね…」なぞという輩の挑発に乗ってその当時、観に行きましたが、よく分かりませんでした。

第一、35年も経っているので内容も忘れました(笑)。何か、渋谷の交差点や猥雑な場末の盛場を思わせるような場所が出てきたり、ビルの高い所に立体的な広告が出てきたりして、遠い未来の世界を暗示させるものがありました。

でも、驚いたことに、あの前作の舞台は2019年だったんですね!再来年じゃありませんか。まあ、当時から見れば、37年後の遠い遠い先の未来の話でしたが、恐るべきは時間の経つ速さです。

東京

今回(ヴィルヌーヴ監督)は、前作から30年後の2049年のロサンゼルスが舞台になっていました。2049年なんかも、あっという間に来るのかもしれませんよ(笑)。あなたは生きておられますか?

映画の解説には「30年前に行方不明となったブレードランナーのリック・デッカードを捜す物語。前作の主人公デッカードを演じたハリソン・フォードが同役で出演し、「ラ・ラ・ランド」のライアン・ゴズリングがデッカードを捜す“K”を演じる」とありましたが、観てもあんましよく分からない映画でした。

ブレードランナーそのもの自体は、ロサンゼルス市警の一員として人造人間のレプリカントを抹殺をする役目のようですけど、何でそんなことするのかもよく分からない。悪役のレプリカント製造会社の若い社長さんも変なコンタクトレンズを入れて、思いっ切り悪そうに見せても、ハリウッド映画悪役のワンパターンの域を出ることができず、何を企んでいるのか。。。世界征服なのか、そんなことして楽しいのか。とにかく、どの登場人物にも思い入れが湧かず。途中で我慢できず、思い切り低く腰を屈めてスクリーンを横切ってトイレに行ってしまいました。そのせいで筋が分からなくなったのかしら?(笑)

まあ、映画はエンターテイメントですから、つべこべ言わずに30年後の近未来のSF世界を楽しめばいい、てなところでしょうか。

日本のソニー映画のせいか、 「うどん」や「カラオケ」など、やたらと日本語が出てきましたね。また、ソニーやコカコーラなんかも広告に登場してちゃっかり宣撫活動に勤しんでました。それに、飛び切り若くて美人の女の子も登場してくれて、娯楽映画としてのお役目を十分果たしてくれたようです。

トランプ大統領の会食場所は?

お料理の原稿を読んでいたら、急にお肉がモリモリ食べたくなってしまい、「豚肩ロース鉄板焼き」+コーヒー(1080円)=東銀座

明後日5日に来日するトランプ米大統領の当日夜の会食場所が昨日分かりました。

スクープですけど、さすがに国家元首のセキュリティに関わる話なので、茲で詳しくは書けませんね(笑)。でも、東京・銀座辺りにあるお店ということぐらいなら書けると思います。拙者の職場の近くなので、驚いてしまいました。

今、神奈川県座間市で9人もの方が殺害されたSNSがらみの事件が大きな騒動になっていますが、最近、ネット上でのプライバシーの問題などもクローズアップされています。

一昨日も、都内某所で、京都から坂東に下ってきた京洛先生を囲む会が行われ、20人ぐらいの方が参加しましたが、その場で、「渓流斎さん、書かないで下さいね」「書いたらどうなるか分かってますよね?」「プライバシー侵害という問題も起きますよ」…てなことで、どなたがお見えになったのか、お名前すら書けなくなりました。

嫌な世の中になったものです。

まあ、書いてしまうと「友達をなくす」ということでしょうか。私が歩くと、モーゼのように、人垣が真っ二つに割れて裂け、皆が皆、私を避けていることが今回よーく分かりました(笑)。

前菜サラダ

先日も敏腕相川記者が「納沙布岬にいます。今すぐ来てください」との無理難題の実話のメールをこの場で御紹介したところ、すぐに、ご本人から「間違っていますよ。タイトル→すぐに来てください 本文→これから納沙布岬に行くので、現地で待っていてください♪」ですよ。「早く誤報体質を直して、真っ当なジャーナリストに生まれ変わってください」などと余計なことまで書き加えて下さいました。御苦労さまのこったです(笑)。

確かに大量殺人事件なんかが起きると、世の中、善人ばかりで成り立っているわけではないことがよく分かります。でも、あまり暗い面ばかり見ていると、生きる希望も勇気も楽しさもなくなってしまいませんか?

それに、世の中にはプライバシーを披露して生活している有名人も沢山いますからね。(個人的に興味ありませんが)

※※※※※

ところで、今朝(3日)の朝日新聞朝刊で、産経新聞がウェブ版のコラムの見出しに「日本を貶める日本人をあぶりだせ」(10月19日)と付けたことから、「排他的な言説を拡散している」と批判しております。

確かに戦前の「非国民」「国賊」探しに芸風が似ていますね。

この記事の中で、編集者の早川タダノリさんが「『非国民狩り』を提起していて、もはや報道ではなく憎悪扇動ビラ」とツイッターに投稿している文面を紹介してました。

「憎悪扇動ビラ」とはうまいこと言いますね(笑)。産経新聞も公称部数がわずか150万部にまで落ちたらしく、月間9000万ビューを誇る無料ネットのページヴューを増やすために、ネトウヨに阿ねいたわざと過激な見出しにした可能性もあります。

亀井伸孝愛知県立大学教授も「異なる者に対して攻撃をそそのかす言説をまき散らす団体に、ジャーナリズムを名乗る資格はない」とツイートしたようです。

まあ、ジャーナリズムの定義も色々ありますが、私に言わせりゃ、世間一般の人が思うほど、ジャーナリズムは高尚で立派なものではないということですね。

そもそも、私がジャーナリストと自称しているのも「胡散臭い人」「日和見主義者」「誤報体質」という意味も含んで使っているわけですから(笑)。

最高のものを味わうということ

先日、NHK古典芸能鑑賞会に行って、文楽の三味線の芸術院会員・人間国宝の鶴澤清治にえらい感動して、「他の三味線が聴けなくなってしまった」との感想を書きました。

そのお話を京都にお住まいの京洛先生にしたところ、「そりゃ、そうですよ。当然の話ですよ。何でも、音楽でも美術でも、食べ物でもお酒でも最高のものを知らなければならないのです。だから、毎日、回転寿司ばかり食べていては駄目なのですよ。たまには奮発して銀座の久兵衛やすきやばし次郎なんかに行って、最高の味を味わなければならないのです。最高のものを知らなければ、何も分からないのです。最高のものを知らなければ、本質というものが分からないのです」と何度も繰り返して仰るではありませんか。

まあ、それはそうでしょうが、先立つものがなければ何も始まりませんが(笑)。

とはいえ、昨日、新富町の「うおがし銘茶」(創業昭和6年)という御茶屋さんから「試飲会」があるという御手紙を頂いたので、昼休みを利用して出掛けてみることにしました。

築地小劇場跡

場所は、新劇の日本の歴史をつくった築地小劇場跡近くにある築地の「茶の実倶楽部」というところでした。

実はあまり期待していなかったのですが、「たまには、独り離れて暮らす老母に何か贈り物でもしなければ」と思っていたので、「参考になるかな」と出掛けてみたのです。

写真にある通り、御茶菓子までつけてくれました。「茶遊会」と称する試飲会では「501」「502」「503」という3種類の蔵出し茶を出してくれました。なんじゃい、まるで、諜報秘密機関の「007」みたいじゃないか、と内心吹き出しそうになりました。

私は「御茶なんか何を飲んだって一緒だろう」という浅はかさがありました。

しかし、最初に501を飲み、次に502、503と飲むとあまりにもの味の違いに「まいった」と言わざるを得ませんでした。

「501」が抜群にうまいのです。これが、京洛先生が指南するところの「最高のものを味わいなさい」ということか、と思いましたねえ。試飲会で比べてみて、初めて味の違いが分かったわけです。

鶴澤清治以外の三味線が聴けなくなったように、こんなに旨い御茶を飲むと、今度は舌が肥えて他の御茶が飲めなくなってしまう心配が起きました。

【業務連絡】《渓流斎日乗》プラットフォーム完成

パリ・ルーブル美術館

早くも11月1日。今年も残り少なくなってきました。9月1日に独立独歩で、《渓流斎日乗》を新しく立ち上げて丸2カ月にして、やっとプラットフォームが完成しました。

IT青年実業家の松長会長による不眠不休の突貫工事のおかげです。ホームページのトップ画面にあるジャンル別の五大「カテゴリー」が決定し、その下に中カテゴリー、小カテゴリーと手繰り寄せることができます。

例えば、大カテゴリー「芸術評」→中カテゴリー「演劇」→小カテゴリー「歌舞伎」といった具合で、過去記事に遡ることができます。

何しろ、2005年からの現在まで12年間分の記事(ただし、08年から15年間分までの7年間分は消滅)がありますから、まだ全て整理できておりません。終わるのに数年かかるかもしれませんが…(笑)。

パリ・モンパルナス「ドーム」

せっかく、この《渓流斎日乗》を「世界最小の双方向性メディア」(登録商標思案中)と銘打っておりますから、皆様からの情報をお待ちしております。

ただし、なにぶん一人でやっておりすから難しいご注文は御勘弁ください。

先日、業界紙の敏腕相川記者から、何の脈絡もなく、急に「納沙布岬にいます。今すぐ来てください」なんていうメールが飛び込んで来ました(実話)が、そりゃあ、流石に無理でしょう(笑)。

《渓流斎日乗》に取り上げてもらいたい情報がありましたら、ホームページの一番下にある「お問い合わせ」か、コメントにお寄せください。

貴方もスクープ記者になれるかもしれませんよ。

宜しゅう頼みます。