「三密」は本来、仏教用語

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 まだ6月だというのに、都心の真昼の気温31度。それなのに、マスクをしなければならないというこの暑苦しさ。私もアベノマスクではなく、50枚3300円で道端で売っていた紙マスクをして頑張っています。こんなんで、予防になるのかしらと疑いながら。

 新型コロナの感染拡大で、「三密」なる標語キャンペーンが安倍政権の下で展開されています。ご案内の通り、「密閉」「密集」「密接」の三つの密を回避せよ、との指令です。

厚労省のHPより

 私の会社では、緊急事態宣言が解除されても、この政府方針に従って、職場内でのマスク適宜着用のほか、原稿チェックで読み合わせする際に飛沫が飛ばないよう「フェイス・シールド」まで配布されました。(見苦しいので、フェイスシールド姿の写真を掲載できないのが残念です)

 加えて、職場以外では、この「三密」の恐れのある飲食店や施設の利用自粛要請がありました。~感染した場合、本人だけでなく濃厚接触者も自宅待機となるなど、社内だけでなく、取引先、取材先、家族にも大きな影響を及ぼす恐れがあります~との警告付きです。

 別に、もうこの年で、キャバクラやホストクラブに行く気も欲望もなくなってしまったのでいいんですが、先日約束した居酒屋懇親会はキャンセルせざるを得なくなってしまいました。その店は地下の密閉空間で、マスクをかけて呑むわけにはいかないので、密接した濃厚接触になってしまうからです。家庭内での最高権力者による駄目だしも決定打になりました。すみません。関係者の皆様にはご迷惑をお掛け致しました。

 で、三密ですが、本来は仏教用語だったことが昨日16日付の東京新聞朝刊で知りました。勿論、「密閉」「密集」「密接」ではなく、「身密(しんみつ)」「口密(くみつ)」「意密(いみつ)」のことで、真言宗の教えです。身密は正しい行い、口密は正しい言葉、意密は正しい心のことで、こちらは避けるのではなく、人として是が非でも行うべきことです。私なんか、邪(よこしま)な心で、ついつい、世の中の不条理を嘆き、悪態ばかりついてしまうので、この三密は心に銘記しておかなければなりません。

 その一方で、同紙によると、回避すべき三密の別の言葉として「集近閉」なる略語がネット上で広まっているらしいですね。(私は、この「ネット上」という逃げ言葉を安易に使う新聞やテレビは大嫌いですが…。)

 「密集」「接近」「密閉」を略して「集近閉」になると思われますが、読み方が「しゅうきんぺい」。何処かの大国の最高指導者と同じ発音じゃありませんか。集近閉を回避する?これでは、大国では即、逮捕されかねませんよ。おお、桑原、桑原。でも、「しゅうきんぺい」は日本語読みですからね(笑)。あちらはシージンピンさん。大丈夫だあ!

沖縄問題に関しては無力感しか味わえず=金平茂紀著「新・ワジワジー通信」を読んで

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 沖縄にお住まいの上里さんから、また沢山の資料や本が送られてきました。この中に、金平茂紀著「新・ワジワジー通信」(沖縄タイムス社、2019年4月25日初版)がありました。「『沖縄問題』を忘れないでほしい」とのメッセージなのでしょう。(上里さんにはいつもお世話になっております。いつぞや送って頂いたビートルズのロゴの入ったコーヒーカップは今でも愛用しています)

 金平氏は、TBSのキャスターで、ジャーナリストの最高の名誉でもあるボーン・上田賞を受賞した人であることは皆さん御存知の通り。でも、これほど長く、そして深く「沖縄問題」に関わってきたことを知る人は少ないかもしれません。同書は、毎月1回のペースで地元紙の沖縄タイムスに連載したコラム(2015年1月~18年10月終了)をまとめたものです。

 この間に、普天間基地の辺野古移設問題、大阪府警機動隊員によるデモ参加者に対する「土人」発言、墜落事故が多発し騒音の激しいオスプレイ配備など次々と沖縄県民に問題が降りかかります。2015年6月には、作家百田尚樹氏の「沖縄2紙(琉球新報と沖縄タイムスのこと)はつぶさないといけない」発言もありました(本人の弁明では、あれはオフレコ発言で、真意は、自分と歴史認識が違う沖縄2紙は誰も読者が読まなくなり、つぶれてほしい、という趣旨だったらしい。けれど、自分の意にそぐわないから言論封鎖するというのは、同じ言論人として恥ずかしくないだろうか?)

 金平氏は怒ります。沖縄県民に対する差別意識をー。そして、怒ります。国土面積が全国の0.6%しかない沖縄県内に、全国の70%の在日米軍専用施設・区域が集中していることを-。また、芥川賞作家目取真俊氏が、大浦湾でカヌーに乗って、辺野古への新基地建設を反対する海上抗議活動を行っていた際、待ち構えたかのような不当拘束も「不条理」だと嘆きます。NHKの報道姿勢も批判します。

 まさに枚挙にいとまがない不条理の連続に、読んでいて胃酸が逆流してくるような感じで、正直、読み進めていくことが嫌になってきます。つい数年前に起きたことなので、沖縄県民は忘れはしないでしょうが、本土のほとんどの人々は忘れてしまっていることでしょう。(2018年8月に翁長雄志県知事が病気で急逝したことも)

 2004年8月に米海兵隊のヘリコプターが沖縄国際大学に墜落する事故が起きた際、米軍は事故現場を一方的に封鎖し、沖縄の警察、消防、行政、大学、それに報道関係者を一切、締め出す挙に出ます。その光景を見た沖縄在住の米国人の政治学者ダグラス・ラミス氏がこうつぶやきます(2015年公開の映画「沖縄 うりずんの雨」より)

 「18歳か19歳のガキンチョたちが、海兵隊の軍服を着て、自分たちより年上の報道陣に向かって大声で命令し、勝手に外国の領土に入り込んで人に命令する権威を持っているかのように振る舞っている。…子どもだ。すごい光景だ。同じことを日本の本土やドイツ、イタリア、英国でもやるかどうか分からない。…やらないと思う。でも、沖縄なら確実にやる」

 この後、筆者の金平氏は「世界史的に言うと、これは『植民地』でよく見られた光景だ」と補足します。沖縄もそして日本も米国の植民地ではないか、と言っているわけです。

 日本の外務省の公式ホームページに「日米地位協定Q&A」なるサイトがあり、問5として「在日米軍の基地はアメリカの領土で治外法権なのですか」というのがあります。その答えが以下の通りです。

 米軍の施設・区域は、日本の領域であり、日本政府が米国に対しその使用を許しているものですので、アメリカの領域ではありません。したがって、米軍の施設・区域内でも日本の法令は適用されています。その結果、例えば米軍施設・区域内で日本の業者が建設工事等を行う場合には、国内法に基づいた届出・許可等が必要となります。

 へー、そうだったんですか。でも、沖縄国際大学は、米軍の施設ではなく、日本の私立大学ですから、民間の施設です。つまり、民間の施設でさえ、日本の警察、消防、行政、大学関係者が事故現場に入れず、米軍の海兵隊によって締め出されることが当然の如く行われたのですよ。

 本土の片隅に棲息している日本人の一人として、沖縄問題について関心を持ち、声を挙げることしかできませんが、結局、大きな権力の前では無力感を味わうことしかできません。嗚呼…

「歎異抄」を読む=邪道に興味を持つ救いようのない悪人である私

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 私は長年、ジャーナリズムの世界にいるので、職業病なのか、何でも斜に構えて物事を搦め手から見る傾向があります。当事者ではないからです。何か話題になるようなことが起きれば取材しますが、いつも第三者ですから、それらの事象は醒めた目で見なければなりません。何でもそうです。政治の世界は当然ながら、普通の人が楽しんでいるスポーツや芸能の世界まで正面から観察しません。いつも、これは何か裏があるな、と猜疑心の目を持って見ます。だから楽しめません(笑)。娯楽にもなりません。

 宗教の世界もそうです。教祖や開祖の教義よりも、分派した経緯やイザコザや争いの方に興味を持ってしまいます。実に邪道です。罰当たりです。分かっています。

 先日、「もっと古典を読もう」と一念発起し、親鸞の直弟子・唯円が書いたと言われる「歎異抄」を再読しました。若い頃読んだ時、よく理解できなかったのですが、ここ数年、柳宗悦「南無阿弥陀仏」や法然「選択本願念仏集」等を読んできたので、何とか読むことができました。「歎異抄」は、親鸞の「善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」の悪人正機説が有名ですが、阿弥陀仏の大慈悲を絶対視する(とまでは言ってませんが)「他力本願」を重視した書と言えるでしょう。歎異抄とは、師・親鸞亡き後、異説が蔓延る世を嘆く、という意味です。親鸞聖人がお伝えしたかった本当のことを会得してほしい、といったことを意図した書です。

 「歎異抄」は、昔買った中央公論社の「日本の名著」に収録されている石田瑞麿・東海大教授による現代語訳を読んだので、数時間で読めました。それで満足していたら、ネット上で実に精細に「歎異抄」を分析して原文と現代語訳を対比したサイトを偶然発見しました。驚いたことに、このサイトでは、石田瑞麿も含み、梅原猛、五木寛之、阿満利麿、倉田百三、暁烏敏、松原泰道、紀野一義、野間宏ら錚々たる宗教学者や作家といった各氏の現代語訳や解釈の誤りを指摘して、「親鸞聖人の書き残されたものとは合わない」とまで言うのです。そして、「歎異抄の正しい解説は、ほとんどの学者ができません」「最も正確で、分かりやすい解説書」はこの本しかない、とばかりに、新聞でよく広告を見かけるある一冊の本がアマゾンの宣伝付きで紹介されていました。

法然上人

 確かに、このサイトは分かりやすく、明解な解説で読み応え十分です。例えば、「摂取不捨の利益」を「絶対の幸福」と訳すあたりは「凄いなあ」と感心しますが、その解釈が正しいのか、また、過去の碩学の解釈がこのサイトが指摘している通りに大間違いなのか、私自身は無学で判断できません。京都A寺の御住職さまならすぐ分かるかもしれませんが、私はただ、「これは宗教論争なのかなあ」と思ったり、「ある本を売るための宣伝サイトなのかな」と思ったりします。

 そして、何よりも、こうした解釈の違いこそが、弟子による分派や新教団設立などが生まれていくのではないかと、罰当たりの不逞の輩である私なんか思ってしまいます。

 例えば、親鸞は自らは生涯を法然の弟子として過ごし、新しく教団を設立する意思はなかったと言われています(親鸞は、法然190人の門弟の中の86番目の弟子だったと言われます。そのせいか、もしくは、故意なのか、作為的なのか、寺内大吉の名著「念仏ひじり三国志―法然をめぐる人々」に親鸞はほとんど登場しません)。浄土真宗(という教団)をつくったのは、京都で親鸞の最期を看取った末娘の恵信尼の孫の覚如だと言われてます。ところが、これは本願寺派の話で、他にも東国の門徒を中心にして教団が継承された高田門徒(専修寺派)や荒木門徒など他にも沢山の分派があるのです。

 浄土真宗といえば、中興の祖・蓮如がすぐ思い浮かび、西本願寺と東本願寺、それに築地本願寺と有名な寺院が多く、本派本流だと思っていました。そしたら、特に真宗高田派は、15世紀に加賀の守護富樫氏の内紛の際に、本願寺派と敵対し、同じ宗派なのに、その後も度々、相争ったりしています。私の学生時代の畏友T氏は、この真宗高田派の名門中学校に通いましたが、仏教の授業では「とにもかくにも親鸞聖人様。本願寺派のことは扱いはするが、ただ『そっちもある』みたいな冷淡さだった」というのです。これには私のような素人は「へー」と、腰を抜かすほど驚いてしまいましたね。高田派は、浄土真宗とは言わず、正式には単に真宗とだけいうことも後で知りました。

 このように、神聖な宗教に対してさえも、ブンヤの私は、例えば、浄土真宗の信者(門徒)数は国内最大、その理由は何故かなどといった邪道な逸話ばかりに興味を持ってしまいます。

 ついでながら、最近、もう一つ、驚いたことは、日本の仏教の祖ともいうべき天台宗の開祖最澄(767~822年)が近江出身(今の大津市坂本本町生まれ)だということは知っていましたが、宗教学者の塩入良道・大正大学教授によると、最澄は、後漢の王族の帰化人の子孫と伝える三津首百枝(みつの おびと ももえ)の子息だというのです。となると、最澄=三津広野は渡来人(の子孫)だったということになります。

 嗚呼、普通の人なら京都の清水寺が何宗で、金閣寺が何宗なのか、融通念仏宗と天台宗との違いは何なのか、なんて気にしないでしょう。私のように、こんな邪道ばかり探っていては、地獄に堕ちることでしょうね。地蔵菩薩さまに救いを求めるしかありません。

 

思想検事がいた時代なら渓流斎はアウト

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《渓流斎日乗》なる詭激(きげき)思想を孕(はら)む危険分子は、機宜(きぎ)を逸せず禍(か)を未然に防遏(ぼうあつ)するの要ありー。

 先月、満洲研究家の松岡先生とLINEでやり取りしていた際、2人の共通の知人である荻野富士夫・小樽商科大学教授(現在名誉教授)の書かれた「思想検事」(岩波新書・2000年9月20日)は、小生だけが未読だったので、私は「いつか読まなければならないと思ってます」と返事をしておきました。もう20年も昔の本です。今では古典的名著になっているのか、立花隆著「天皇と東大」の膨大な参考文献の1冊としても挙げられていました。

 20年前の本ですから、古書で探すしかありません。やっとネットで見つけたら、送料を入れたら当時の定価(660円)の2倍の値段になってしまいました。そうまでもしても、手に入れたかった本でした。(A社では最高1万2800円もの値が付いていました!)

 先程、やっと読了したところですが、明治末からアジア太平洋戦争中にかけて、検察権力が肥大化していく様子が手に取るように分かりました。昭和初期の異様な軍部の台頭と軌を一にするかのような司法省の増長ぶりです。いや、逆に言えば、軍部だけが突出していたわけではなく、司法も行政も立法も、そして庶民の隣組や自警団に至るまで一緒になって挙国一致で国体護持の戦時体制を築き挙げてきたということになります。国家総動員法や大政翼賛会など政治面だけみていてはこの時代は分かりません。最終的には司法の検事、判事が臣民を支配していたことが分かります。その最たるものが「思想検事」で「皇国史観」にも染まり、それが判断基準でした。

 検察や裁判官は神さまではありません。権力当局者は、かなり自分で匙加減ができる恣意的なものだったことが分かります。これは過去の終わった話ではなく、現代への警鐘として捉えるべきでしょう。

「黒川高検検事長事件」が起きたばかりの現代ですから、検察の歴史を知らなければなりません。

 でも、正直、この本は決して読み易い本ではありません。ある程度の歴史的時代背景や、大逆事件、森戸事件、三・一五事件、四・一六事件、小林多喜二虐殺事件、ゾルゲ事件、それに横浜事件などについての予備知識がない人は、読み進む上で難儀するかもしれません。なぜなら、この本は、それら事件の内容については詳しく触れず、司法省内の機構改革や思想検察を創設する上で中心になった小山松吉、塩野季彦、平田勲、池田克、太田耐造、井本台吉ら主要人物について多く紙数が費やされているからです。

 読み易くないというもう一つの要因は、本書で度々引用されている「思想研究資料」「思想実務家合同議事録」など戦前の司法省の公文書では、現在では全く使われないかなり難しい漢語が使われているせいなのかもしれません。しかし、慣れ親しむと、私なんか読んでいて心地良くなり、この記事に最初に書いたような「創作語」がスラスラ作れるようになりました(笑)。

 「思想検察」の萌芽とも言うべき「思想部」が司法省刑事部内にできたのは1927(昭和2)年6月のこと(池田克書記官以下4人の属官)でした。泣く子も黙る特高こと特別高等課が警視庁に設置されたのが1911(明治44)年8月ですから、16年も遅れています。それが、1937年に思想部が発展的解消して刑事局5課(共産主義、労働運動など左翼と海軍を担当)となり、38年に刑事局6課(国家主義などの右翼と類似宗教、陸軍を担当)が新設されると、検察は、裁判官にまで影響力を行使して「思想判事」として養成し、捜査権を持つ特高警察に対しては優位性を発揮しようと目論見ます。司法省対内務省警保局との戦いです。これは、まるで、陸軍と警察との大規模な対立を引き起こした「ゴーストップ事件」(1933年)を思い起こさせます。

 司法省刑事局6課が担当する類似宗教とは、今で言う新興宗教のことです。これまで、不敬罪などで大本教などを弾圧してきましたが、治安維持法を改正して、国体に反するような反戦思想などを持つ新興宗教に対しても、思想検察が堂々と踏み込むことができるようになったのです。キリスト教系の宗教団体や今の創価学会などもありましたが、ひとのみち教や灯台社なども「安寧秩序を乱す詭激思想」として関係者は起訴されました。あまり聞き慣れないひとのみち教は、今のPL教団、灯台社は、今のエホバの証人でした。

新橋の料亭「花蝶」

 先程、戦前の思想検事をつくった主要人物を挙げましたが、塩野季彦については、山本祐司著「東京地検特捜部」(角川文庫)に出てきたあの思想・公安検察の派閥のドンとして暗躍した人物です。そして最後に書いた井本台吉は戦前、思想課長などを歴任し、戦後は、検事総長にまで昇り詰めた人で、1968年の日通事件の際の「花蝶事件」の主役だった人物でしたね。

 中でも「中興の祖」というべきか、思想検察の完成者とも言うべき人物は太田耐造でしょう。彼は、刑事局6課長として1941年3月の治安維持法の大改正(条文数を7条から65条へ大幅増加)を主導した立役者でした。

 太田耐造は、20世紀最大のスパイ事件といわれるゾルゲ事件に関する膨大な資料も保存していて、国立国会図書館憲政資料室に所蔵されるほど昭和史を語る上で欠かせない人物です。現在、荻野・小樽商科大学名誉教授教授も推薦している「ゾルゲ事件史料集成――太田耐造関係文書」(加藤哲郎一橋大名誉教授編集・解説)も不二出版から刊行中です。

 思想検事は戦後、GHQにより公職追放となりますが、間もなく、「公安検事」として復活します。

《渓流斎日乗》なる詭激思想を孕む危険分子は、機宜を逸せず禍を未然に防遏するの要ありー。

 扨て扨て、このブログは書き続けられるのでしょうか?

代わりはナンボでもいます

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 渡部健(わたなべ・けん)です。よく間違われますが、今、話題沸騰中の渡部建(わたべ・けん)さんではありません。健康の健です。

 コロナ禍の中、世間の皆様には久しぶりに明るい話題を提供してしまいました。特に、15歳も年下の超美人女優と結婚したことから、もてない男たちからの羨望、やっかみ、誹謗中傷、糾弾は、相当なものがありましたが、今回のスキャンダルで、彼らからの皮肉を込めた嘲笑と拍手喝采にはかなり堪えました。

 カイロ大学ではなく、神奈川大学首席卒業を自称していますからね。インテリの皆様からは付け焼き刃のグルメぶりを見抜かれて、それが、単なる、若いお姉ちゃんとお付き合いする方便に過ぎないことまで見破られてしまいました。今回、コロナ禍なのにお持ち帰りまでしまったことで、馬脚をあらわしてしまったわけです。不徳の致すところであり、大変猛省しております。

 それにしても、日本人というのは、他人の不幸は蜜の味で、スキャンダルが大好きですね。おかげで、テレビもラジオもレギュラー番組からの降板を余儀なくされてしまいました。芸能界は弱肉強食の世界ですから、これをチャンスに次々とライバルが後釜を狙っています。一部、相方の「小島だよ」君が代演してくれるのは有難いのですが、他の奴が起用されるのは我慢できません。

 しかし、ディレクターさんからは「余人に代えがたい」なんて言われ続けていましたが、嘘偽りだったんですね。代わりのものなんか、他にもナンボでもいます。あれだけテレビに出まくっていたみのもんたさんの代わりに、今、有吉弘行さんと坂上忍さんが後釜に居座っております。広域任侠団体との交際が発覚して芸能界引退に追い込まれた島田紳助さんの後名跡には、今田耕司さんが襲名し、見事にお株を奪っております。皆、あんな人気者だったみのさんや紳助さんのことを忘れてしまっています。

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 そう、大変失礼ながら、代わりはナンボでもおらすのです。実際、「余人に代えがたい」と閣議決定までして定年延長した東京高検の黒川弘務検事長(当時)でさえ、賭け麻雀という偉業を成し遂げて破門(本当は辞任)に追い込まれましたが、林眞琴・名古屋高検検事長(62)が後任として就任しました。林検事長は7月にも検事総長のポストが予想されています。

 さてはさて、御しやすい黒川高検検事長の検事総長就任を隠密に図りながら、本人の「オウンゴール」で果たせなかった安倍晋三首相は「任命責任を痛感している」「さまざまな批判を国民から頂いている。真摯に反省し、職責を全うしたい」などと、口先ばかりの弁解に終始しています。

 でも、さすがに、今回は国民の堪忍袋の緒が切れたようです。後手後手のコロナ対策、時代遅れのアベノマスク、申請してもなかなか降りない一律10万円と、持続化給付金のよく分からないトンネル法人への業務委託問題等々、問題が山積しながら、来週17日で国会を閉じようとしています。毎日新聞の調査では、安倍内閣支持率が、危険水域の30%を切りました。そうなると、代わりはナンボでもいるのです。石破茂さん、岸田文雄さん辺りが意欲を示しておられるようですが、ちょっとインパクトに欠けますね。毎日マスクを代えて、局長や副知事会見で済ましていいような些末な発表事項までテレビに出まくって、露出度を高めて再選を狙っている「カイロ大学首席卒業」の小池百合子都知事の手口を見習ったらいいのではないかと思います。

アベノマスク、やっと届きました

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このブログはほぼ毎日更新していますが、たまに更新できない日もあります。正直、どうしても書けなかったり、一応、書いてはみるのですが、自分で満足できることが書けずにボツにしてしまったりするからです。

 今日もそんな日になると思って帰宅したら、何と、自宅にアベノマスクが届いていました。

 東京の高級住宅街にお住まいの皆様は、既に、もう1カ月近く前に届いた、と漏れ聞いていたのですが、こちらはやっとですよ。首都圏とはいえ、通勤には1時間20分も掛かる「陸の孤島」みたいな所に住んでいますから、致し方ありませんけれど。

 でも、もう初夏ですからね。こんな小さな暑苦しいマスク、掛ける気にもなりません。こんなマスク、テレビに映る為政者で掛けているのは1人ぐらいじゃないでしょうか。勿論、転売禁止ですから、どこかに仕舞っておいて、この秋か初冬の「第2波」に備えるしかありませんね。

 そうそう、「10万円の一律給付金」もやっと申請書が届き、昨日8日(月)郵送申請しました。しかし、ニュースで言ってましたが、実際に給付されるまで、早くて4日、だいたい16日間ぐらい掛かるというではありませんか。まあ、6月下旬まで振り込まれていなければ、裏の手を使いますか?(笑)。

 それにしても、何でこんな対応が遅いんでしょうかね。また、持続化給付金の支給業務も、経産省が「サービスデザイン推進協議会」とかいうトンネル会社みたいな一般社団法人に委託したりして、まだまだ実態は解明されていません。

 これでは安倍政権の支持率が軒並み下がるはずです。

入院中のGさんに贈る花の写真=名声求めず慎み深くあれよかし

躑躅

 私は、スマートフォンの「位置情報」はオフにしています。ウイルス警告アプリが「位置情報がオフになっています」と、何度も何度も警告してきますが、そのままにしています。位置情報はマップを使う際、重宝ですが、それ以外でいつでも「オン」にしている人の無防備ぶりは信じられません。

 それほど自分のプライバシーには敏感になっているのに、ブログにプライベートなことを書くことがあります。矛盾していますね(苦笑)。だって、ブログだもん(はかまみつお)。

 そこで、本日は個人的な話をー。

 5年前の私の入院中の際に大変お世話になった旧友のGさんに今日、久しぶりに連絡を取ったら、ご本人が先週から入院していたというので吃驚してしまいました。詳細は書けませんが、自宅で転倒したとかで足を骨折し、しばらく掛かるということでした。このご時勢ですから、家族との面会やお見舞いも叶わず、必要な物や荷物は、家族が病院の1階のロビーにまで運べるだけ。あとは看護師さんが病室に持って来てくれるそうです。

 新型コロナ禍のせいで、今はオチオチ、病気もケガもできませんね。

紫陽花

 そう言えば、会社の後輩の高齢の母親は養護施設にいて、もう何カ月も面会できないそうです。高齢者が感染すると重篤になるといいますからね。

 コロナは人を引き裂きます。

 新型コロナは、「濃厚接触」による感染が多いと言われているのに、東京の人たちは、わざわざ「3密」のホストクラブやキャバクラに行って、お金を払って、ウイルスに感染してきます。ご苦労様です。だって、人間なんだもん、ですか?

 私は、他人のプライバシーを業者に販売して商行為を展開しているフェイスブック(FB)は嫌いだ、といつも公言していますが、このブログを発信する手段として仕方なくFBを使っています。でも、そのFBのおかげで、卒業以来40年も会っていない学生時代の友人たちと少しずつ繋がっています。

 40年も経っていますから、若い人から見れば、ギリシャ・ローマ時代か、化石時代みたいなもんでしょうが、皆、それぞれ、山あり谷ありの人生だったようです。

 事業に失敗して破産した人。慢性病で仕事を辞めざるを得なかった人。大した出世もできないまま精神科に入院して人生を棒に振った人。離婚した人。愛する奥様に先立たれた人…。うーん、これでは、山がなくて、谷ばかりですね(苦笑)

 まあ、40年間もブランクがありますから、その間の事情について何も知らないのは当たり前です。でも、改めて知ると、それまで知らずにいたことが申し訳なく思ったりします。

 逆に言えば、昔だったら知らずに済んだのに、プライバシーを転売するFBのおかげで知ることができた、とも言えるかもしれません。キツイ皮肉ですか?

 私はこの40年、ずっとマスコミ業界の片隅で棲息してきたので、色んな有名人とお会いしたり、表に出ない裏の社会を見てきたりしました。でも、失礼ながら、有名人だからと言って、その人が一点の曇りもない人格者かと言えば、疑問符がつくことがあり、普通の人と変わらない所があります。よく有名な学者や作家や評論家に原稿を書いてもらいましたが、「えっ?この程度の人だったの?」と文章の拙さに驚いた経験もあります。

 こんなことを書いて、自分でも何を伝えたいのか分からなくなってきましたが(笑)、こうして私の周囲にいる近しい人たちが、世間では無名でも、色んな禍いに襲われながら、本当に一生懸命に生きていて、名声を求めず慎み深いということを伝えたかったのかもしれません。

 テレビでは、「リモート」になっても、タレントさんやコメンテーターさんたちが名声を求めて「出演」していますが、そこまでしてテレビに出て有名になりたいのかなあ、と思ってしまいます。有名になって、CMに出て、お金を稼ぐのが目的なのかもしれませんが、それなら、そういった商業主義には染まりたくない、と反発したくなります。そんな顔は見たくありません。共同正犯になりたくもない。

 今日はまとまりのない話になりましたが、入院しているGさんもこのブログの愛読者で、「この前の花の写真がよかった」というものですから、今日は散歩中に見かけた美しい花の写真を掲載するために、こんな個人的なブログを書いたようなものです。

 Gさん、お見舞いにも行けず、大変失礼致します。外出できないことでしょうから、せめて、綺麗な花の写真でも眺めて心を癒してください。(花の名前を知らずゴメンナサイ)

新型コロナウイルスの正体を知りたい人のための入門書

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 私は、生まれながらにして 根が真面目なもんですから、水谷哲也著「新型コロナウイルス 脅威を制する正しい知識」(東京化学同人、2020年5月19日初版)が今話題になっているという情報を察知し、早速購入し、読了しました。1964年生まれの水谷氏は北大で獣医学の博士号を取得し、現在、東京農工大付属国際家畜感染症防疫研究教育センター長。

 ネットで注文したら、プライムとか小賢しい割り増し料金を払っていないのに(A社じゃありませんよ)、何と翌日届き、2日ほどで読んでしまいました。

 本書は、素人にも分かりやすく、「新型コロナウイルス」とは何者なのか説明してくれます。巷では色々な情報が溢れすぎて、何を信じたらいいのか分からない状況ですが、筆者は、「正しく怖がる」ためにも、できるだけ正確な正しい知識を身に着けてもらいたい、と平易に書かれた啓蒙書として提供してくれます。

 平易とは言っても、nsp(non-structural protein=非耕造タンパク質)だの 、nsp12(ポリメラーゼ=複製タンパク質)だの、干渉現象だの専門用語がバシバシ出てきますが、それは致し方ないこと。最低限の知的武装手段として覚えるしかありません(笑)。

 読者を、一般や生徒、学生を想定して書かれ、ウイルスの変異や検査、ワクチン、治療薬について、などほとんど網羅されています。日々刻刻と状況が変化しているため、情報は刷新しなければならないので、本書だけでは古びてしまうという難点がありますが(ただし、水谷教授のネットでは日々情報が更新されているようです)ポイントはしっかり抑えています。(予防に関しては、マスクと手洗いとアルコール消毒と「3密」回避という地道な努力しかないようです。)

 ただ、ちょっと残念だったことは、これだけニュースで毎日報道されているPCR検査とは何なのか、それらの原理や仕組みについては専門的概念で事細かく詳述されているのに、そもそもPCRとは何の略なのかさえ説明がなかったことでした。自分で調べたら、PCRとは polymerase chain reaction(ポリメラーゼ連鎖反応)の略で、性病や淋病などの検査にも使われていたらしいですね。

 国際ウイルス命名委員会によると、新型コロナウイルスの正確な名称は、SARS-CoV-2というそうです。SARS(サーズ=重症急性呼吸器症候群)は2002年に中国・広東省で初めて感染者が確認され、翌年にかけて猛威を振るった(感染者8098人、死者774人、致死率9.4%)コロナウイルス(Cov)のことで、このあと発生したMERS(マーズ=中東呼吸器症候群)でも、日本人の感染者が出なかったせいか、今では日本人には忘れられてしまったウイルスです。しかし、今回の新型コロナは、ニドウイルス目ーコロナウイルス科ーコロナウイルス亜科ーベータコロナウイルス属で、SARSと全く同じ「属」に属しているのです。ですから、SARSのことが分かれば、新型コロナの正体も治療法も予防もワクチンも分かるというわけで、日々、研究者たちは開発に努力しているわけです。そして、筆者の水谷氏は「感染源はコウモリで間違いありません」と断言しております。コウモリは、中国では高級食材として使われ、東南アジアやアフリカなどでも食べる習慣があるそうです。コウモリを捕獲したり、肉をさばいたり、市場で売られたりした際にウイルスに感染する機会があるというのです。

 ウイルスの歴史を遡ると、コロナウイルスの祖先は約1万年前に誕生したと言われますが、ストレスがあると口の周りにブツブツができるヘルペスウイルスは、約4億年前に誕生し、インフルエンザウイルスは約1億年前に誕生したといいます。46億年の地球の歴史の中で、ウイルスという生物は、我々、人類、霊長類より遥かに大先輩だったわけです(昆虫までウイルスに感染するとは!)。コロナウイルスが1万年前に発生したとしたら、紀元前8000年で、この頃、シュメール文明やクレタ文明が栄え、人類が野生動物を家畜化した時期です。野生動物との濃厚接触が感染に至らしめたことは間違いないことでしょう。

 水谷氏は「新型コロナが終息しても、何年か後に新たな感染症が必ず出現する」と強調しています。その通りでしょう。ウイルスは全て撲滅できないので、共存共生していくしかないのでしょう。

 新型コロナウイルスに関して、漠然とした不安を持っている人にとっては、敵の正体を知る上でも、本書は良い治療薬になるんじゃないかと思います。

神社の正体に迫る=祇園祭ができないとは…

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 コロナ禍でも、真面目な私は読書に勤しみ、普段と変わらない生活を続けていますが、映画館や美術館に行けなかったり、好きな城巡りや寺社仏閣巡りができなかったりしたことは、さすがに堪えましたね。

 「足腰がしっかりしている時に」色々と巡りたいと思ったら、ちょうど、緊急事態宣言が発令された4月に「ぎっくり腰」ならぬ「ぎっくり脚」をやって、しばらく歩行困難になってしまったことから、「足腰がしっかりした時期」を通り過ぎてしまいました。

 今はほぼ治りましたが、嗚呼、情けない。

 仕方ないので、本の中で仮想巡りをすることにしました。先日読了した新谷尚紀監修・古川順弘著「神社に秘められた日本史の謎」(宝島新書、2020年5月23日初版)は非常に勉強になりました。

 自分ではある程度の知識はあるつもりでしたが、この本を読むと、今まで、ほとんど何も知らずに神社をお参りをしていたことが分かりました。

 本書は「神社のルーツはどこにあるのか?」に始まり、「戦後の神社はどう変わったか?」まで全部の52の設問に対して、最新の資料や学説で答えてくれる形式になってます。

 少なくとも大抵の神社というものは、皇祖神である天照大神をお祀りしているものだと思いましたら、「実際にアマテアラスを天皇家で祀ったことは、奈良時代になるまでなかったと考えられる」(神話学者・松前健氏)というので驚きました。

 でも、「古事記」(712年)も「日本書紀」(720年)も奈良時代に成立したものであり、「天皇」という名称は天武天皇(?~686年)からと言われていますから(それまでは「大王」と言われた)、出雲大社をはじめ、色々な豪族(恐らく「王」のような存在)の始祖が祀られた多くの神社が創建されています。

 実は、これら豪族の氏神を祀った神社にはどういうものがあるか知りたくて、この本を購入したようなものでした。ありました、ありました。

 藤原氏の春日大社(奈良市)は誰でも知っていることでしょうが、蘇我氏は奈良県橿原市にある宗我都比古(そがつひこ)神社でした。物部氏は、石上(いそのかみ)神宮(奈良県天理市)、大伴氏は、住吉大伴神社(京都市)、息長(おきなが)氏は、山津照(やまつてる)神社(滋賀県米原市)でした。一度、お参りしてみたいですね。

 渡来人の秦氏は松尾大社(京都市)、東漢(やまとのあや)氏は於美阿志(おみあし)神社(奈良県明日香村)でした。

 有名な宗像神社(福岡県宗像市)は宗像氏、私も行ったことがある赤城神社(前橋市)は毛野(けの)氏のそれぞれ地元の豪族の神社だったんですね。キリがないのでこの辺にしておきますが。

  古代、朝廷は神祇官が奉幣する伊勢神宮を頂点にして、その下に官幣社(神祇官から班弊に与る573社)と国弊社(地方の国司から幣帛=へいはく=を受ける2288社)=以上が式内社2861=とその他の神社に分ける社格制度を設けます。それが、現在も神社の「社格」につながっています。

高野山の根本大塔

 巻末には「主な神社の種類と信仰」が掲載されていますが、意外に多かったのが八幡信仰(八幡神社、八幡宮)でした。応神天皇、神功皇后らを祭神とした大分県の宇佐八幡宮が発祥で、平安時代に京都に勧請された石清水八幡宮が創建され、鎌倉時代には源頼朝により鶴岡八幡宮が創建され武神と崇められたことが大きいでしょう。神社本庁に登録されている全国の神社数は7817。知らなかったことは、鎌倉の鶴岡八幡宮には、真言宗高野山の根本大塔によく似た大塔があったことでした。明治の廃仏毀釈で、ぶっ壊されてしまったということですから、本当に残念です。

 全国に約3万あるという稲荷神社は、奈良時代創建と伝わる京都の伏見稲荷大社の神霊を勧請した形をとっています。私も2年ほど前に京洛先生のお導きで伏見稲荷をお参りしましたが、あの鳥居の長い長い行列(?)がインスタ映えするとかで、中国人の観光客だらけでした。コロナ禍となり、今は昔ですね。

 でも、この伏見稲荷大社を創建したのが、渡来人の秦氏だったと聞くと、なるほど、と思ってしまいます。秦氏は、朝鮮半島の百済系とも新羅系とも言われ、秦の始皇帝の末裔とも言われたりしていますから、中国、韓国人観光客らも惹かれるものがあるのかもしれません。また、伏見稲荷を奉斎した氏族として、ほかに荷田氏がいて、代々、伏見稲荷の社家(しゃけ)を務めているといいます。荷田氏といえば、江戸時代の国学者・荷田春満(かだのあずまろ)がすぐ思い浮かびますが、やはり伏見稲荷の神官だったんですね。彼は賀茂真淵のお師匠さんです。

 比叡山延暦寺に日吉大社があるように、かつては神仏習合が当たり前だったこと。そして、菅原道真の天満宮や徳川家康の日光東照宮など他にも書きたいことがいっぱいあるのですが、最後に京都の八坂神社のことだけ書きます。八坂神社は、明治の廃仏毀釈の前は、祇園社感神院と呼ばれ、疫病除けの神である牛頭天王(ごずてんのう)を祀っていました。牛頭天王は、仏教と陰陽道、神道などが複雑に習合した神で、怨霊の慰撫と防疫を願う祇園御霊会は、祇園祭のルーツだと言われています。それが、新型コロナの影響で、今年の祇園祭の開催の中止が早々と決まってしまいました。こんなこと、牛頭天王様も想像できなかったことでしょうね。

廣済堂の筆頭株主に麻生グループ=そして「一般社団法人サービスデザイン推進協議会」訪問記

築地本願寺

 「古典に学べ」「日本のルーツを求めて」…だなんて、相変わらず、随分暢気な寝言や、極楽ばかり言っておられる方がいらはりますなあー。

 昨晩、久しぶりに京都にお住まいの京洛先生から電話がありましたが、御歳を召されたのか、随分、皮肉っぽくなりました。「それ、ワイのことやないけ!」と思わず、突っ込みたくなりました(笑)。しかも、「人伝てに聞いた話ですが、渓流斎とやら、昔は、文藝評論、美術評論、音楽評論、歌舞伎評論等々で、ブイブイいわせていたらしいですが、今や、すっかり任侠評論家ですね」と断言される始末。

 確かに、その筋関係をネット検索すると、「アサヒ芸能」「週刊実話」に続き、《渓流斎日乗》なるものが上位にヒットし、「こんなこと書いた渓流斎って、一体何者なんだ!」と私自身も叫びたくなりました。

  それはさておき、京洛先生が電話で御教授してくださった「本題」は、麻生太郎副総理兼財務・金融相の一族企業である「株式会社麻生」が廣済堂の株式を買い占めて、20%の筆頭株主に躍り出たという話でした。

 廣済堂はかつては銀座にビルがありましたが、今の本社は芝浦にあるようです。グループ関連企業として、出版社や印刷会社、不動産会社などがあります。そして、意外と知られていないことは、葬祭・火葬事業を手掛ける「東京博善」を子会社に持っているため超優良企業だということです。東京博善は、東京人なら必ずお世話になる落合斎場、桐ヶ谷斎場、代々幡斎場など都内の主要斎場をほぼ寡占状態で直営しています。廣済堂は、政財界のフィクサーと言われた創業者の櫻井文雄氏が2004年に死去してからは、バブル期の清算で、ゴルフ場などを売却するなど経営縮小を余儀なくされましたが、麻生グループは資産価値として東京博善に目を付けたと言われています。

 知りませんでしたね。かつて、廣済堂は、芸能事務所も運営しており、その筋との関係が取り沙汰されたこともありましたが、今は、時代は変わって麻生グループですか…。そんな話をしたところ、京洛先生は「駄目ですね。本当に。今ごろ何を言ってるんですか。任侠評論家も情報不足ですね。だから、杉野さんから何も分かっていない、と言われるんですよ」と駄目押しをするのです。(杉野さんって誰?)

 悔しいので調べてみたら、この件に関しては、5月に文春や日刊ゲンダイで既に大きく報じられておりました。

 なあんだ、最近の話ではありませんか。

 さて、昨日は、よく実体が分からない持続化給付金の請負人「一般社団法人サービスデザイン推進協議会」のことを書きました。乗りかかった船なので、この法人の東京・築地の事務所を見てきました。東京の銀座を中心に、日比谷、新橋、築地辺りは私の「シマ」というか、縄張りですからね(笑)。

 それは、築地本願寺にほど近い晴海通り沿いの雑居ビルにありました。1階にはペルシャ絨毯の店が入っていました。

「一般社団法人サービスデザイン推進協議会」が入居しているビル

 何と言いますか、郵便受けにしても、とても何百万人もの人の事務を処理できる事務所とはとても見えず、人影もほとんどありませんでした。

 郵便受けに貼られた名称もおざなりで、貼られたテープもいい加減。こんな法人に政府は第2次補正予算から再度850億円も追加委託するらしいんですからね。

 監視カメラに追跡監視されながら、写真を撮ったので、もう私はブラックリストに掲載されたことでしょう。写真、勝手に使ったら駄目ですよ(笑)。