オンネトー

全くの我流で、ブログに「画像」添付という無謀な冒険をしています。多分やり方は間違っているでしょう。写真の大きさをもっと大きくしたいのですが、どうしたらいいのか、よくわかりません。

どなたか、ブログに詳しい方、画像の挿入の仕方を教えてください。また序でに、写真の大きさの変え方も。

この写真は、昨秋、阿寒湖近くのオンネトーに一人寂しく紅葉を見に行った時の1枚です。私が写したので、著作権は私にあります。
「そこんとこ、よろしく」ー。永ちゃんでした。

でも、「そこんとこ」って、一体どこなんでしょうね?

地主、間違い、痔主になった話

いやあ、タイトルだけ読んで戴いて、できれば、この先はもう読まないでください。恥ずかしい話なので…。

あれ?まだ読んでいるんですか?
やっぱり止めたくなったなあ…。良心のある方はこの先、読まないで下さい。

それ以外の方は続けてください。

はい。それ以外の方たちですね。

昨日の日曜日、帯広市の緑ヶ丘公園で市長さんも参加して花見がありました。本当は土曜日に開催される予定だったのですが、帯広に5月としては実に9年ぶりに雪が降って、順延されたのです。昨日も、もちろん、寒くて桜(そう例のエゾヤマザクラです)は、それほど咲いていませんでしたが、「花よりお酒」ということで、宴会になりました。北海道名物のジンギスカンです。こちらでは、肉を大量に注文すると、いわゆるバーべキューセットが貸し出しで付いてくるんですね。それが、付くのは当たり前で、付かないと「何を考えているんだ」と地元の人は怒るそうです。

ともかく、最初はビールから始まって、日本酒、十勝ワインとピッチが上がっていきました。気が付いたら4時間半も、ジンギスカンを焼きながらずっと立ちっ放しで飲んでいました。体に良いわけありませんね。万事休す。終わった頃、お尻が痛くてしょうがないのです。腫れていました。生まれて初めての経験です。どうしたらいいか分かりません。まあ、病院に行けばいいんですけどね。翌日、つまり、今日も痛みは治まりませんが、不思議なことに、仕事とか考え事とか、何かに熱中したりしている時は、全く痛みがありません。それで確信しました。「気のせいだ!」

でも、こんなこと書いていいんですかね?頃合いを見て削除しようかと思ってます。

佐賀のがばいばあちゃん

物事は常に多面体であって、時によって、人によって、気分によって、それぞれ物の見方や解釈が違う、ということは真理だと思っています。

堅い前触れで始めてしまいましたが、本来なら貧窮という人生の最下層の経験をすれば、やれ、社会が悪いだの、会社が悪いだのと言って抗議運動を起こすか、私はいかにも辛い体験をしました、とお涙頂戴式の文章を綴るかのどちらかを実行する人が大半でしょうが、そんな辛い経験を笑い飛ばしてしまう人も世の中にいるものだと妙に感心してしまいました。

漫才「B&B」のコンビの一人として、1980年代に一世を風靡した島田洋七さんの書いた「佐賀のがばいばあちゃん」(徳間書店)にはその典型的な話が出てきます。

理由があって、両親の住む広島から祖母の住む佐賀に預けられた島田少年は、優しいおばあさんの愛情に育まれて、そこに8年間も起居を供にします。しかし、おばあちゃんにも、お金がない。島田少年が「お腹がすいた」と訴えると「それは気のせいや」と交わされ、外に遊びに行くと、「腹が減るから外へ出るな」と窘められる。「それじゃあ、どうしたらいいの?」と聞くと、まだ午後4時半だというのに「もう寝ろ」と急かされる。しょうがないので、寝床に入ると、夜の11時ごろ、目を覚まし「やっぱり、お腹がすいた」と言うと、「それは夢だ」とピシャリ。意を決して眠り、翌朝目覚めて「お腹すいた」と訴えると、「昨日、食べたやろ。それよりさっさと学校にお行き!」。それで、やっと学校の給食にありつけるのでした。

普通なら、子供時代、いかに貧乏のどん底だったかと書くのが普通です。それを笑いと涙のペーソスに包んで、読者をホッとさせます。年内に映画化される、と聞いて「是非見に行きたい」と思いました。

楽園ベーカリー

公開日時: 2005年5月7日 @ 17:41

10年ほど前に東京から北海道に移住してきたBさんは、すべて国産の小麦と天然酵母を使ったこだわりのパン屋さんを帯広市内に開いています。

その名も「楽園ベーカリー」。店においてあったパンフレットには、そこまで拘る理由が書かれていました。例えば外国産の小麦の場合、長い時間の輸送に対応するために小麦を粉にしてから農薬がかけられるそうです。いわゆるポストハーベストですね。国産の小麦には独特の豊かな風味と繊細で奥深い味わいがあるそうです。

また、市販のパンには、パンを真っ白にするための漂白剤、少しの生地を大きく膨らませるための膨張剤、パンに弾力を与える柔軟剤、皮をパリッとさせる改良剤、香ばしい香りを付ける香料、その他、防腐剤、防カビ剤など、大量の添加物が使われているそうです。

そのパンフレットの最後にはこう書かれていました。
「楽園ベーカリーではもちろん添加物は一切使っていません。安心して毎日食べてください」

北海道の桜

北海道帯広にもやっと遅い春がやってきました。
5月7日に桜が開花宣言されるのです。
昨年、初めて春をこの地で迎え、周囲が「桜が咲いた!桜が咲いた!」と浮かれているものだから、「え?うそー!何処に?」にといった感じで周りを見渡しても桜は見当たりません。

それもそのはず。内地人の私にとって、桜といえば、即、ソメイヨシノのこと。残念ながら、ソメイヨシノは、函館辺りが「最北端」で、北海道の殆どでは見られないのです。(そういえば、今日は函館で桜が満開だそうです)

こちらで「桜」といえば、エゾヤマザクラのこと。内地でいえば、ソメイヨシノが終わって、申し訳なさそうに日陰で咲いている八重桜に近い感じです。道理で「桜」と気が付かなかったはずです。「桃の花」と思ったくらいですから。

ともかくとして、明日は帯広の桜が開花宣言します。生憎の大雨予報で桜見は明後日に順延されましたが、まあ、花より団子、いや花よりお酒になることでしょう。

昨日の「T牧場」について殆ど問い合わせがなかったので、正体をばらしてしまいます。「剣山(つるぎさん)どさんこ牧場」と言います。経営者は川原弘之さん。敷地は100haではなくて、120haでした。この広さがどれくらいか。分からない人にご説明すると、山あり谷あり小川ありの難所を馬でゆっくりトレッキングすれば、4~5時間は掛かる広さです。

ここでは、宿泊もできるようです。部屋数4、1泊2食で4000円。5月22日には流鏑馬大会もあります。帯広空港から送迎で片道40分で、2000円です。タクシーを使えば、6500円くらいかかるので金額は良心的だと思います。あ、ここの宣伝になってしまいましたね。

昨日、この牧場には、2人の若い人がいました。宿泊者なのか会員さんなのかお手伝いさんなのか、よくわかりませんでしたが、川原さんが、この二人に噛んで含んで話した「人生訓」が忘れませんでした。2人の若い人は、小野寺君という、将来牧場経営を夢見ている30歳の青年。もう一人は斎藤さんという、馬が好きで好きで堪らないといった感じの20歳代の女性。

御主人の川原さんは、牧場主になりたいという小野寺君に言いました。
「私は来年で70歳になるが、若い時は、牧場主になりたかったがお金がなかった。そんなこと当たり前なんです。道の職員をしていたけど、55歳で早期退職してやっと100万円で土地を買って、夢をかなえた。この辺りは、気候条件が過酷で離農する農家が多く、私が言い値で土地を買うと、『私の土地を買ってくれ』という農家が相次いで訪れてきた。生憎、その時、お金がなかったが、『お金は後でいい。借用書さえ書いてくれれば…』。ということで、次々と土地が増えていった。志があれば、必ず何とかなるものなんです。まずは志を持つことです。私の場合は、25歳で牧場主になる志を立てた。例えば、小野寺君、牧場主になりたかったら、まず、この人という牧場主に弟子入りして、その人の右腕になることです。牧場主から『こいつなら任せて大丈夫だ』という信頼を獲得すれば、後は独立できます。社長になる人は志が違います。私は若い人によく言うのです。『もし社長になりたかったら、毎日、3人の人に葉書を出しなさい』と。社長は一人で仕事はできません。周りの社員に仕事をしてもらって、自分は神輿の上にのっているようなものです。そのためには、一人でも多くの応援団を増やすことです」

トレッキングに初挑戦

北海道芽室町にある「T牧場」は、知る人ぞ知る国内有数の牧場で、敷地100ha、馬の数100頭。雄大な自然環境に恵まれて、馬たちはほぼ放し飼いの状態でした。

そこで、私は無謀にも生まれて初めてトレッキングに挑戦しました。値段は2時間以上6000円という安さ。ほかの牧場なら、人間の手で曳かれた平地の牧場の中、1周400mくらい、わずか5分程度で2000円も3000円も取る。東京近郊なら1時間で数万円取られるから、相場と比べてあまりにも安さにその道に詳しい人は驚くことでしょう。

しかし、残念ながら、ほとんど御主人のK氏の趣味みたいなものなので、トレッキングのできる人は1ヶ月に数人しかいない。つまり、よほどコネがあるか、よほどご主人がご機嫌がいい時に限るのです。

私の場合は、Hさんの紹介でその幸運に浴することができました。
長くなりそうなので、途中をカットすると、御主人のKさんは焦げ茶色の「バーディー」、Hさんは、どさんこの「テンリュウ」、私はアラブの「コータロー」でした。「コータロー」と「バーディー」は同じ群れ仲間なので仲がよかったのですが、「テンリュウ」は違う群れ出身なので、最初は蹴りあいの喧嘩をして大変でした。しかも、25歳になる「バーディー」は初めてのトレッキング。私も初めてのトレッキングなのに、Kさんはお構いなしに山超え、谷超えの連続です。バーディーは、川を渡ったことがないらしく、途中で1歩も進もうとしません。そりゃあ無理な話ですよね。途中、放し飼いの馬が逃げないように、電圧線が張っている狭い小道がありました。電圧線に少しでも触れると、馬は驚いて飛び上がります。クリストファー・リーブの事件もありますし、私も、馬に振り落とされないように必死でした。

結局、3時間半のトレッキングが終わった頃は、奥歯ガタガタ、膝頭は笑っていました。それでも、その爽快感ったらありませんでした。私の乗ったコータローは、本当に従順でした。途中で大好物の熊笹の小道を通った時、まさしく道草を食って気分転換をしていましたが、重かったでしょう。ご苦労様。下の写真はコータロー号です。

平松愛理

公開日時: 2005年5月3日

「売り物になるのなら買ってほしいくらいですよね…」。シンガーソングライターの平松愛理さんは悲しそうな表情を浮かべた。心無い人から「平松愛理は、病気を売り物にしている」と批判されて、それに答えたものだった。

平松さんは、このほど四年ぶりにアルバム「秋の虹」を発表して、見事「復活」を成し遂げた。相変わらず澄んだ透き通った歌声。「病気」のひとかけらも感じさせない前向きで、元気と勇気を与えてくれる歌詞。例えば、アトランダムに挙げてみると「自分で作る幸せだってある。だって想いは殺せない」(あなたのいた夏)、「明日は何度でもくる。自分を信じていきましょう」(哀しみは風に吹かれて)…といった感じなのだ。

平松さんは1964年、神戸市須磨区生まれ。お父さんは内科医。小さい頃からピアノを始め、学生時代からアマチュアバンドで活躍、92年には「部屋とYシャツと私」が100万枚の大ヒットとなり、「才色兼備」のシンガーソングライターとして一気に注目された。その後、結婚し、トントン拍子にいくかと思われたが、95年の阪神淡路大震災では神戸の生家が全壊。そして、数々の病魔に襲われ、子宮内膜症で子宮を摘出。2001年には乳がんの手術も受けた。

病気については、本人もライブの際に発表して休養宣言したり、自分のホームページでも公表したりしているが、それにしても、世の中にはひどいことを言う人がいるものだ。新潟中越地震では、多くの日本人がボランティアに駆けつけたり、義援金を送ったりしているというのに、「匿名」に隠れて平気で人を傷つけることを言う。その心根が全く理解できない。

平松さんは正直に語る。「前向きな詞を書くことで自分自身が癒され、痛みを忘れることができた」「詞の中の世界の私を現実の私と誤解してほしかった」―。どうですか?「平松愛理は病気を売り物にしている」と非難したアンポンタンに聞かせてやりたいですね。

八卦

時事通信社が発行する「世界週報」という雑誌は、国際情報誌ですが、ここにユニークなコラムが昨秋から毎週掲載されています。「ドクター観幾の占い学入門」というコーナーです。

占い?と馬鹿にするなかれ。これが実に奥が深く、示唆に富み、日本人の文化、慣習、言語、風習に溶け込んでいるか、唖然としてしまうほど詳述されているのです。いずれ、単行本化されると思うのですが、毎週、色んな話題を取り上げているので、お暇な方は立ち読みでもしてください。

膨大なことが書かれているので、一つだけ取り上げると、相撲で行司が「ハッケヨイ、残った、残った」と言いますが、この「ハッケヨイ」って何だと思いますか?これが、「八卦良い」ということだったのです。行司さんが、勝負の行方を占っていたんですね。

八卦というのは、「太極」という宇宙が「ビッグバン」で「陰」と「陽」の「両義」に分裂し、この両義が「陽陽」「陽陰」「陰陽」「陰陰」の4つに分裂し、さらにこの「四象」が「陽陽陽」「陽陽陰」…の順列組み合わせで8つの「卦」に分裂します。これを「八卦」(はっけ、もしくは、はっか)と呼びます。

この八卦を組み合わせて、64通りにそれぞれ意味を持たせて易を占います。これが「易経」です。易経は、古代中国の周の時代に考案されたもので、またの名を周易とも呼ばれます。中国の有名な高位高官の超難関任官試験「科挙」では「四書五経」が必須科目でしたが、『四書』は「論語」「孟子」「大学」「中庸」、『五経』は「易」「書」「詩」「礼」の5種の経典のことです。そう、五経の中の第一の科目として「易経」を学んでいたわけですね。

「易経」で古代の中国皇帝は、自然現象、人間関係、方位、徳目などを占っていたのですが、むしろ政治学、宇宙哲学・倫理として学んでいたのです。皇帝を補佐する高位高官の必須科目になるわけです。

今日はこの辺で止めておきます。

美瑛

テレビドラマ「北の国から」の舞台になった富良野の隣町、美瑛は、全国的には知名度は今ひとつですが、その美しい街並みと景色は富良野以上かもしれません。

JR美瑛駅前の商店街は、3年ほど前に約67億円も掛けて大改築されたそうです。どこかヨーロッパの小さな田舎町のようで、異国の地に足を踏み入れた感じでした。商店の屋根裏部屋に当たる所、人間で言えば、おでこの辺りに「1920」とか「1951」とか、その商店が創業した年代が刻まれています。新しく見える床屋さんが意外と古かったり、駅舎の隣に「2002」と刻まれた新しい建物が建っていたりして、本当に見飽きません。

駅前から車で南東へ10分ほど走らせると、もう田園地帯です。とはいえ、まだ芽も出ていない時期なので、何を植えているのかわかりませんでしたが…。「丘のまち 美瑛」というキャッチフレーズで観光を売り出している通り、なだらかな丘がずーと続き、その先に教会でもあれば、スイスか南フランスかトスカーナ地方と見紛うばかりの景色です。

この風景の素晴らしさを全国に知らしめたのが、風景写真の第一人者・前田真三さんというカメラマンです。東京・八王子出身で、商社マンだったのに、45歳にしてプロのカメラマンになった人です。美瑛には、「拓真館」という前田さんのフォトギャラリーもあります。私は美瑛に行って、初めて前田さんのことを知りました。

美瑛に行けない人は是非、前田さんの写真集でも見てください。心が洗われますよ。

前田さんには及びませんが、最後に私の写真を。