羽生善治の決断力 

久しぶりに、赤線を引きながら本を読んでいます。

羽生善治著『決断力』(角川)

言わずと知れた将棋界の天才「7冠王」です。

私自身、将棋は小学校の時に遊びでやっただけで、全くの素人です。負けるのが悔しくて、遊びで指すのさえもやめてしまいました(笑)。

勝負の世界の非情さについていけなかったというのが正直なところです。

ところが、人間生きていれば、勝負なんかしなくても、様々な困難が押し寄せてきて、岐路に立たされます。正直言って、生きているだけで本当にシンドイ毎日を送らざるを得ない時期もやってきます。

今がその時期のせいか、彼の書く文章が妙に心に残って感動するのです。私より一回り以上若い年少の方なのに、私より多くの人生経験を積んで達観されているようにさえ見えるのです。

例えば「はじめに」で羽生氏は「名人」という称号がいかにすごいか書いています。

日本の将棋界に初めて名人が誕生したのは、1612年(慶長12年)。以来400年近くで、この名人の地位を得た者は、僅かに25人しかいない。

羽生氏はその「名人」の座にわずか23歳で就く。

「将棋は自分との孤独な戦いである。追い込まれた状況からいかに抜け出すか。
追い込まれるということはどういうことか、でも、人間は本当に追い詰められた経験をしなければダメだということもわかった。逆にいうと、追い詰められた場所にこそ、大きな飛躍があるのだ」

私は、この本を将棋の本としてではなく、「人生訓」として読み始めました。(つづく)

如是我聞①怖れ

私は斯くの如く聞きました。

怖れとは、幻です。

怖れとは、勝手に自分で作っているものなのです。
「こうなったら、こうなる」「こうすれば、こうなる」と自分がこれまで捉われていた過去の体験を反映しているのです。
つまり、過去に執着しているだけなのです。
怖れとは、過去、もしくは未来に捉われている時のものであって、人は皆、今、茲に、生きていさえすれば、愛され、許され、導かれているのです。

今しかない、と言われれば、人は必ず幸せになれるのです。
つまり、怖れとは、まだ手放していない過去の体験にすぎないのです。
過去の体験の中で悲しかったことを感じきっていないから、また、怖れとしてやってくる。怖れを引き寄せてしまうのです。その繰り返しです。
それは、中途半端に、怖れや悲しみを「感じない」ことによって、自分を守り、壁を作ってきたのです。
しかし、もう、その繰り返しは止めた方がいいのです。

いつまでたっても、怖れは消えません。

だから、怖れは幻であると認識して、そこから逃げようとはしないで、怖れを感じきって、突き抜けるのです。そしたら、怖れは、雲のような幻だと気づいて、消えていきます。

人は、今を生き切れば、怖れている暇もないはずです。

「信長の棺」の加藤廣さんの出版記念会

今日は、あの小泉首相も絶賛した「信長の棺」を書いた加藤廣さんの出版記念パーティーに行ってきました。(東京・内幸町のプレスセンター)

60人くらい集まりましたかね。驚いたことに、小泉さんからも祝電が届きました。「内閣総理大臣」ではなく「自由民主党総裁 小泉純一郎」としてです。噂では、小泉さんは、「内閣総理大臣」の名刺も持たないそうです。悪用されたくないからだそうで、面会して名刺をもらった人には、帰り際に、相手の名刺をお返しするそうです。自分の名刺を出さないからです。

小泉さんとは、6年前に一度会ったことがあります。もちろん、無任相の時です。その時は名刺をもらいましたが、「衆議院議員」という肩書きでした。

おっと、加藤さんの出版記念パーティーの話でした。

司会者は、目下、IT企業に買収されかかっている放送局の部長さん。彼は、何の前触れもなく、私に挨拶の指名をしてくるのです。何も考えていなかったので、北海道でも、話題になって結構売れていること。飛行機で東京に来た際、隣の席の人が,『信長の棺』を呼んでいたこと、などを話しました。急には無理ですよね。

加藤さんは75歳です。遅咲きも遅咲きですが、小学校から作家を目指していたそうです。旧制六中、現在の都立新宿高校から東京大学法学部を卒業し、「生活のために」銀行員から経済コンサルタントに転じて成功した人ですが、やはり、小説家の夢を捨てませんでした。

『信長の棺』は、20年前に構想し、最初の書き出しと、最後の締めを思いつくのに、10年も試行錯誤し、それが決まったら、中身はすらすらと3年くらいで書いたそうです。あ、まだ読んでいない方は、面白さは分からないですね。

現在、ハードカバーの単行本は1万部売れれば「成功」なんだそうですが、『信長の棺』は目下、16万5千部も売れているそうです。「今年の話題作」になることは間違いないでしょう。

加藤さんは、来年3月にも第2弾の小説を発表するそうです。今度は、豊臣秀吉の話だそうです。まだ他に、明智光秀に関する本も出すようで「これから、直木賞を目指したい」と話していました。

何しろ、75歳にしての作家デビューです。私も加藤さんから勇気と希望をもらって、帰路に着きました。

日垣隆長女「世間のウソ」

空港の本屋さんで、立ち読みしていたら、面白そうだったので、つい買ってしまいました。
日垣隆「世間のウソ」(新潮選書)

要するに世間の常識を疑え、といった趣旨の話が満載されています。

例えば「宝くじのウソ」。1999年以降、1等の当選確率が、250万本の1から、1000万本に1へとこっそり、4分の1にも切り下げられたというのです。

つまり、1等が当たる確率は、0.0000001だというのです。

2004年の1年間で交通事故で保険金を請求するほどの被害者が117万人。人口1億2628万人とすると、0.0092651の確率。ということは、交通事故で死んだり、大怪我をしたりする方が、宝くじに当たるより、9万2651倍も高いというのです。

宝くじは、総務省の管轄。1万円を賭けて負ける平均額が、米国のルーレットが800円ぐらいなのに対して、日本の宝くじは5200円だそうです。何という搾取!
鋭い分析です。
これで、宝くじを買う気がなくなってしまいました。

他にも「『値段』をめぐるウソ」「『制度』をめぐるウソ」など収録してます。
彼の文体というか、文章に下品なところがありますが、読むと目から鱗が落ちました。

親切な文房具屋さん 

[米軍基地問題] 稲嶺知事が不満表明 普天間移設「相いれない」 – goo ニュース

会議のため、東京に出てきています。

銀座で買い物をしました。来年用の手帳のリフィルが欲しかったのです。

「KNOXBRAIN」という「高級」手帳です。3年前にこの店で買ったので、他にリフィルを売っている所を知らなかったのです。

すると、お目当てのリフィルだけが、売り切れていました。
「来週なら入荷するんですが」と店員。

「いや、実は北海道に住んでいて、今、会議で東京に来たもので…。来週なら無理ですね」と私。

「それなら、在庫を切らしていたこちらの手違いということで、送料無料でお送りしますよ」と、信じられないことを言ってくれたのです。

リフィルは840円です。100円分の割引券があったので、わずか740円でした。
それでも、わざわざ北海道にまで宅急便で送ってくれるというのです。

いまどき本当に珍しい話なので、この文房具店の名前を公開します。

銀座2丁目の「伊東屋」です。

どなたもご存知でしたね。

被害者意識 

最近、見知らぬ多くの方から「コメント」を寄せられるようになりました。
一人一人にお答えできませんが、本当に有難う御座います。「もう少し、続けてみろ」という励ましと勝手に受け止めさせて戴きます。

しかし、先日、ある信頼する人から面と向かって「渓流斎さんのブログは、被害者意識で書かれていますね」と核心を衝かれてしまいました。

まさに、その通りだったからです。前回の「脱脂粉乳」にしても、楽天によるTBS株買収の話にしても、視点は「被害者」です。このブログ全体が、確かに被害者の意識が通奏低音のように流れているようです。自分で書いていて、他人事になってしまうのは、自分でも意識していなかったからです。深層心理というか、潜在意識で書いていたのでしょう。

「どうしたらいいのですか?」と私は尋ねました。すると、Hさんは「被害者も加害者もいない、ということを理解することです。被害者意識を感じたら、それをすぐ手放すことです」とアドバイスしてくれました。

まあ、本当に難しい問題です。

前にも書きましたが、私が影響を受けた夏目漱石にも太宰治にも「被害者意識」が120%流れています。彼らの影響から脱しなければなりません。

もちろん、今後、加害者や強者や権力者の眼で書くつもりはありませんが、被害者意識が被害妄想にならないように、自重して書き続けたいと思います。

エゾリスさん

今日は、本当に偶然に、野性のエゾリスに出会うことができました。

帯広市の隣町の音更町というところです。音更と書いて、「おとふけ」と読みます。

場所は、内緒にしてください。そうでないと、多くの人が殺到して「野性」ではなくなってしまうからです。

ここには、セミプロのカメラマンがはっていました。

その中の一人のおじさんは、わざわざ札幌から来ていたのです。車で片道4時間半は掛かります。それだけの「価値」があるからです。そのおじさんは、大変、饒舌でした。

「お客さんは、ラッキーだね。ちょうど、今の季節が一番なんですよ。今しか、見られないんですよ。エゾリスは、チョウセンマツボックリの実を食べに、丁度今頃、10月下旬に地上に降りてきます。でも、普段は、あの通りの木の上に巣を作って、下に降りてこようとはしません。何故だか、わかりますか?」

「野良猫が2匹いるからです。リスといっても、猫にとっては、ねずみにしかみえないのでしょう。ここには、春先、9匹いましたが、今、5匹しかいません。4匹は食べられてしまったのです。だから、彼らが、下に降りてくるのは命がけなのです。すばしっこいでしょ?彼らは命がけなんですよ」

ということで、私は、ビギナーズラックで、全く偶然に、この貴重なエゾリスの動いている姿を捉えることができました。

しかし、正直に告白すると、ここに掲載された2枚が「ベストショット」で、全部で20枚以上撮ったのに、ほとんどが使い物にならなかったのです。

動物写真って、何と難しいのか、分かりました。

この写真は、自分でもうまく撮れたと思います。動物じゃないので、一発で撮れたからです。今日は「動物写真家」を本当に尊敬しました。

米国産牛肉輸入再開を疑う 

 公開日時: 2005年10月24日 @ 12:32

BSE問題で揺れた米国産牛肉が年内にも「政治的決着」で再開されそうです。

聞いた話で、自分の目で確かめていないのですが、ニューヨークにある有名な大手のファストフード店には「当店は、アメリカ産の牛肉を使っていません。すべて豪州産です」という掲示が貼られているそうです。

自国で消費できないような危ない商品を外国に売りつけるつもりなのでしょうか?

以前、ジャーナリストのエリック・シュローサーの書いた『ファストフードが世界を食いつくす』(草思社)を読んで、アメリカの牛肉解体現場が微に入り細にわたって描かれていましたが、とても清潔とはいえない環境でした。

今、ふと「脱脂粉乳」のことを思い出したました。

我々の世代は、学校給食では、とても、全国の子供たち全員が牛乳を飲める国家予算がなかったらしく、小学生の頃、牛乳もどきの「脱脂粉乳」を飲まされました。

今「もどき」と書いたように、牛乳とは似ても似つかぬもので、栄養も何もなかったと思います。何しろ、アメリカでは豚でさえ見向きもしなかったので、「政治的決着」で、飢えた日本人のために輸出したという話ですから。

今回の(アメリカ側から見て)牛肉輸出再開は、根幹の発想に同じものが流れていると確信しています。

日本はなぜ戦争に負けたのか?

 月刊「文芸春秋」11月号が、「日本敗れたり あの戦争になぜ負けたのか」を特集しています。半藤一利(作家)、保阪正康(ノンフィクション作家)、中西輝政(京大教授)、福田和也(文芸評論家・慶大教授)、加藤陽子(東大助教授)、戸高一成(大和ミュージアム館長)の6氏が徹底的に討論して、総括しています。

 印象に残った箇所を換骨奪胎で引用します。

●太平洋戦争に関する限り、侵略戦争ではなく、「自存自衛」のための防衛戦争だった。

●海軍はミッドウェーをはじめ、損害戦果については、一緒に戦っていた陸軍にさえ、本当のことを教えていなかった。お人好しのところがある陸軍はそのまま信じて作戦を何度か変更した。この行為は国賊ものだ。

●陸軍参謀本部は、物量作戦を重視していたにも関わらず、実際の戦争では補給を無視した。特に太平洋の島々では補給が途絶えれば、部隊の大半は病死か餓死してしまう。実際、昭和19年以降、二百万近くの兵隊が命を落とした。餓死は、全戦死者の70%を占めた。

●軍令部総長の永野修身と山本五十六連合艦隊司令長官は、開戦前から一度もとっくり話をしたことがない。日本海軍の戦略・戦術の総本山の責任者と、それを実行する連合艦隊の司令長官とが何の打ち合わせもしない理由は何か。「お互いに嫌いだから」。感情論だけだった。

●周囲の反対を押し切ってインパール作戦を敢行した牟田口廉也・中将は、前線から離れた「ビルマの軽井沢」と呼ばれた地域で、ひたすら「前進あるのみ」と命令を出していた。しかも、作戦の失敗を部下の師団長らに押し付け、自分は責任を問われぬまま生き延びた。

●軍部の上層部は戦闘の図面を引いて指示を出しているだけで、直接殺傷の体験はないから、本当の戦争を知らなかった。

 あれから60年。果たして日本人のエートス(心因性)は変わったのでしょうか?何万人もの部下を見殺しにして、自分だけは責任は取らず、ぬくぬくと生き延びた人間が如何に多かったことか。将軍といわれた人たちの集団が、信じられないような俗人的な価値基準で行動していたのか、後世の人間は忘れてはならないと思いました。