UFOの話

池田町「スピナーズ・ファーム」

 

UFOを見たことがあると主張する人に会いました。UFO=Unidentified Flyng Object 未確認飛行物体のことです。

 

その人は言いました。

 

「私が高校生の頃ですから、20年前、1986年の夏のことでした。帯広市のグリーンパークで、彼氏と逆立ちをして遊んでいた時、公園の東側の住宅街の屋根の上に。突如、オレンジ色の丸い物体が現れ、すぐ消えました。私は、あ、あれは何だ!と叫びましたが、彼氏は見ておらず、全然信じてもらえませんでした。まさしく、未確認飛行物体でした。翌日の地元紙『十勝毎日新聞』にも『謎の飛行物体、現る』という記事が載り、見たのは私だけではなかった、と安心しました。そして、その2年後の夏、帯広市西15条の十勝川の堤防付近で、車の助手席に座っていたところ、雲の切れ間から、花火のような、オレンジと黄色の光がグルグル回っている母船を5分以上見ました。スピルバーク監督の『未知との遭遇』のようでした。それが2回目です。3回目は、こないだの8日の日曜日、十勝川温泉の白鳥飛来地の十勝川の畔で、オレンジ色で、まるで雲のようなひょろ長い物体が現れ、南の空へ移動して消えました」

 

私は言いました。

 

「嘘でしょう?怖くないから、大丈夫。もうすぐお迎えに来るから待っててね」

 

その人は言いました。

 

「UFOは、意識の高い、波動の高い人しか見ることができないのです」

 

「もう、わかりました」と私。

 

「イエス・キリストは金星から来ました。宇宙人です。肉体は地球で生まれましたが、魂は金星から来ているのです。金星は愛と調和の星で、精神性が高いのです。地球を救済にやってきました。キリスト教信者には金星の生まれが多いのです。人それぞれ、お役目があって、この地球に来たのです。昔の人は元々、スピリチュアルなのです。神話の世界は神様同士が戦っていました。しかし、神話の時代は終わりました。人間が創造主になって、自立する時代になりました。創造力に目覚めて、人が神になる時代になったのです。自分が想像した物が、引き寄せて創造につながるのです。今の時代に日本に生まれてきた人には、お役目があるのです。だから、運命を信頼して、天命を全うすることです。自分の神とつながるために瞑想が必要です。変なものとつながらないためにも、真の自分自身とつながるために、瞑想が必要です」

 

その人は、何かに憑依されたかのように、話し始めたら止まらなくなりました。

 

「はい、はい、もう分かりました。あなたは、病院に入った方がいいと思いますよ」と私。

 

「いえいえ、私は真面目です。今は大変革の時期です。21世紀になって、魚座から水瓶座の時代に入りました。生まれたときの星の位置から、その人が、今生、何のお役目で生まれてきたのか分かります。宇宙全体が1枚の織物のように動いています。それが神の意志です。宇宙の流れに誰も逆らえないのです。だから、過去に縛られないで、今を生きるしかないのです、何一つ、留まるモノはありません。地球の自転は変わっています。1日は24時間ですが、すさまじい勢いで昔より速くなっています。人は気づいていませんが…」

 

「わかりました。そこまでおっしゃるなら、私のブログに書いてしまいますよ。それでも構いませんか?」

「おまかせします」

現代フランス新聞事情

池田町 「スピナーズ・ファーム」

 

「新聞通信調査会報」1月号で、東洋大学名誉教授の広瀬英彦氏が、フランスの新聞界の最新事情を伝えています。

 

どこの国でも若者の活字離れ、新聞離れが広がっており、フランスもその例外ではないようです。

 

●まず朝刊高級紙の「フィガロ」(1826年創刊のフランス最古の新聞)は、1960年代後半が最盛期で50万部あったのが、最近では32万7000部まで落ち込んだ。

 

●夕刊高級紙の「ルモンド」。かつては一面に写真を使わない硬派の紙面作りで知られていたが、2002年から大胆なカラー化と写真の多用、より大きな活字で軟派路線に変更。しかし、2001年に40万部を超えていた部数も昨年は32万4000部にまで下降。

 

●代表的夕刊大衆紙「フランス・ソワール」(1944年創刊)は、1960年代から70年代にかけて100万部を超えていたが、創業者のピエール・ラザレフが72年に亡くなると、部数が下降線をたどり、2000年に11万5000部、2002年には6万7500部、昨年はついに4万5000部にまで激減。

 

ちなみに、昨年の日本の読売新聞は1016万部、朝日新聞が826万部、毎日新聞が393万部となっています。

読み手から書き手の時代

「出版年鑑」によると、2004年新刊書籍の出版発行点数の一位は、講談社の2191点だったそうです。

分かります。日本で一番の出版社だからです。しかし、二位は、新風舎の1847点。え?聞いたことがない出版社ですね。しかし、2005年は、約2700点を発行したので、講談社を超えてトップに躍り出るようです。

え?何故?と思ったところ、この出版社の大半は自費出版だったのです。初版の500部から800部までなら100万円から180万円。自費出版といっても、ちゃんと編集者も付き、装丁もプロ並。1冊1冊に流通用のバーコードも付くそうです。(以上10日付朝日新聞朝刊)

読者より、作家になりたい人が増えたということでしょうか。

発表の場が手軽になったということもあります。100万円なら、一生に一冊くらい本を出そうという人もいるはずです。

そういえば、ブログもそうでしたね。手軽な発表の場です。

ところで、中国で、中国人ジャーナリストの大人気のブログが、「反体制を助長する」ということで、中国政府の圧力で封鎖されるという事件があったそうです。その圧力に応じたのが、そのブログを運営していたマイクロソフト社。

私のブログは、そこまで人気も影響力もないので封鎖されることはないのですが、同じブロガーとして、実に嫌あな感じが致しました。

 

白鳥がいっぱい

今日は御託を並べずに素晴らしい写真を沢山お見せします。

白鳥がいっぱいです。

こんな身近に見られます。

十勝川温泉の十勝川の畔に、毎冬、何百キロの彼方のシベリアから渡って来ます。

しかし、心無い釣り人のせいで、ある白鳥が口に釣り糸を絡ませていました。(残念ながらこの写真はありません)何とか食事はできるようですが、かわいそうでした。

それでも、こんなに沢山、身近に白鳥を見られるところ、全国でも、あまりないでしょう。

あ、忘れるところでした。鴨さんも沢山、います。

アンデルセンの童話を思い出します。「11人の王子と白鳥」
あ、アンデルセンではなかったのかもしれません。魔法によって王子が白鳥に姿を変えられてしまい、美しいお姫さまが、王子を救う話だった、かどうか…。

失礼しました。結構、御託を並べてしまいました。

宮沢賢治『あたまの底のさびしい歌』

思わぬお年玉プレゼントが贈られてきました。

 

宮沢賢治の書簡を集めた『あたまの底のさびしい歌』(港の人)という本です。

 

畏友里舘勇治君が送ってくれたのです。港の人は、彼が鎌倉で経営する出版社です。さほど大きな出版社ではないので、年に数冊しか出版できませんが、極めて良心的な出版社で、売れる部数が少なくても良質の高い文芸書を世に出しています。

 

興味を持たれた方は、ホームページをご覧ください。 http://www.minatonohito.jp

 

宮沢賢治の詩や小説は、何冊か読んだことはありますが、手紙を読むのは、今回が初めてでした。

 

手紙といっても、小説のようなお話が随所に出てくるの、「この人は根っからの詩人なんだなあ」と思ってしまいました。もっとも、生前は、作品はほとんど売れることはなく、「残った書き置きは、世迷言だから、すべて焼却するように」と遺言したらしいのですが、友人たちが奔走して、出版にまでこぎつけます。「雨ニモ負ケズ」も手帖に走り書きされていたものでした。

 

1921年に友人の保阪嘉内へ宛てた手紙の中で、こんな文面があります。

 

「専門はくすぐったい。学者はおかしい。実業家とは何のことだ。まだまだまだ。」

 

この後、「しっかりやりましょう。」が実に21回も登場するのです。

 

思わず、1980年に公開されたジャック・ニコルソン主演の映画「シャイニング」(監督はスタンリー・キューブリック、スチーブン・キング原作)を思い出してしまいました。ニコルソン演じる作家が、雪に閉ざされたコロラドのホテルで執筆活動中に、頭がおかしくなり、「私には休息が必要だ」という同じ文章を、百枚近くタイプで打っているシーンです。

 

わずか37年の生涯でしたが、宮沢賢治という人は知れば知るほど分からなくなる作家です。また、彼の童話が読みたくなってきました。

ダン・ブラウン著「ダ・ヴィンチ・コード

大変遅ればせながら、ダン・ブラウンの世界的ベストセラー小説「ダ・ヴィンチ・コード」に嵌まってしまいました。 息もつかせぬほど一気に読ませます。

 

何がすごいかと言えば、謎解きの面白さにあるのでしょうが、作者の博学な学識に基づいた歴史のミステリーが知的興奮となって渦巻きます。

 

美術史学、宗教象徴学、暗号解読学、占星学、図表解釈学、聖書学、数学(フィボナッチ数列)、聖杯伝説、秘密結社(シオン修道会、フリーメイソン、オプス・デイ)…あらゆる知識の動員が必要とされ、「もっと、もっと知りたい」という人間の感性を刺激します。

 

もっとも、個人的には最後の犯人のオチがどうも三流の推理小説のようで、興醒めしてしまいましたが、映画を意識したような、章の展開は、見事です。

 

この小説で、一番驚かされたのは、マグダラのマリアです。

 

これから「ダ・ヴィンチ・コード」を読もうとしている方は、この先は読まない方がいいのですが、マグダラのマリアは、娼婦だったという説がこれまで幅をきかせていたのですが、この小説では、イエス・キリストの妻だったという説を全面に押し出しています。そして、マリアはイエスの死後、イエスとの間にできた子供サラとともに、フランスに逃れ、その子孫がメロヴィング王朝と姻戚関係を持つ、というのです。この史実は、シオン修道会などの秘密結社に脈々と受け継がれ、この小説の核となっています。

 

このようなことを書けば当然、敬虔なキリスト教信者から、作者に抗議や嫌がらせが殺到するはずです。現に、作者はかなりの中傷や脅迫も受けたようですが、全世界で1000万部近く売り上げているらしいですから、支持者もいることは確かでしょう。

 

内容があまりにも複雑なので、この本の解説本が何冊か出版され、本屋さんでも山積みになっていました。私も、サイモン・コックス「ダ・ヴィンチ・コードの謎を解く」を買ってしまいました。上記のキーワードがうまくまとめられていてとても参考になります。

 

それにしても、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」は不思議な絵です。中央のイエスの(画面の)左にいる弟子は、どうみても女性にしかみえず、彼女がマグダラのマリアだという説を信じたくなってしまいます。何しろ、ダ・ヴィンチ自身が、シオン修道会の総長だったというのですから。

 

「最後の晩餐」は、私もミラノ郊外のサンタ・マリア・デレ・グラーツィエ教会で実物を見たのですが、そこまで詳しく覚えていません。もっとちゃんと見ておけばよかったと思いました。

 

「ダ・ヴィンチ・コード」は監督ロン・ハワード、トム・ハンクス、オドレイ・トトゥ主演で映画化され、5月に公開されるようです。

 

絶対に見たい!

すばれるなあ~

今日、帯広は気温マイナス20度を記録しました。

占冠町ではマイナス39度だったそうです。

人生経験です。我はと思う方は、是非今、この時期に北海道に来てください。

ちなみに、今は何処にもホームレスの方には、一人もお目にかかることができませんでした。

ジョンコさんも、あまりにも寒いので、帽子を買ってもらいました!

あるものをみつめて

あるものをみつめてー。

或る物を見つめて、ではありません。

「在るものを見つめなさい」「自分に与えられている持っているものを見つめなさい」ということです。
私は、今日、教えられました。

人の不幸は、ないものを欲しがるところから始まります。

-お金がほしい。
-服がほしい。
-恋人がほしい。
-お家がほしい。

いずれも、そう簡単に手に入るものではありません。
ないものを欲しがるからです。

しかし、在るものを見つめたらどうでしょうか。

ー借家だけど、家がある。
-お金はないけど、健康に恵まれている。
-恋人はいないけど、友人がいる。
-何とか食べていける仕事がある。

何となく不平不満が消え、感謝の心が湧いてきます。
感謝の心が湧けば、自然と頭が垂れてきて、自分は生かされているという気持ちになります。

自分が生かされていると思えば、周囲と仲違いしている暇はなく、人のために何か役に立ちたいと思います。

人の役に立つと、相手から微笑みが返ってきます。

こうして、自然と幸福感に満たされます。

観念が限界を作る

もうすぐトリノ冬季五輪(2月10日-26日)です。

「氷の街」帯広はスケートの盛んな所です。長野五輪金メダリストの清水宏保選手をはじめ、十勝ではこれまで43人のオリンピック選手を輩出していますが、今回のトリノ五輪でも、スピードスケート代表20人のうち、半分の10人が十勝出身です。

清水選手は31歳になりましたが、今回めでたく4回目の五輪代表に選ばれました。

その清水選手の名言。

「固定観念がその人の限界を作る」

現在、スピードスケート男子500mの世界記録は、加藤条治選手の34秒30です。昨年11月に米国ソルトレークシティで開かれたW杯でマークしました。それまでは、清水選手の34秒32で、加藤選手と同じリンクで2001年3月に出したものでした。

人類は、34秒台の壁を破ることができるか?

清水選手は「33秒台は可能」と言い切っているのです。無理だと思えば、それが固定観念となり、限界を作って、実現不可能だ、と言っているのです。

これは、スポーツの世界だけに当てはまることではないのではないでしょうか。

普段の生活でも、仕事でも、最初から「駄目だ」と諦めてしまったら、何もできない、ということを示唆していると思います。

勿論、何かを実現するためには、準備と学習と不断の努力が必要であることは言うまでもありませんが、成功している人の十中八、九は「Big mouth」、つまり大口叩きです。自らにプレッシャーをかけて、思いを遂げています。

「良い、悪い」の話ではなく、なるほどと思ってしまいました。

道を究めた一流選手の発言には重みがあります。

そして誰もいなくなった 

国立社会保障・人口問題研究所の試算によると、出生率が現在の1・29のまま続けば、100年後の2100年に、人口は三分の一の4100万となり、2200年には、1000万人の大台を切って800万人となり、西暦3300年には、ついに日本人は一人もいなくなってしまうそうです。

「国際間の人口移動がない」という条件付なので、この通りにはならないと思いますが、決して脅しでも机上の空論でもないことは確かです。

西暦3300年といえば、今から1300年後のことです。未来は全く想像がつきませんが、過去に遡って、1300年前といえば、西暦700年。律令制度の鎮護国家の建設を目指して奈良に遷都する直前です。それほど目も眩むほど大昔ではありません。「100年後に地球はなくなる」という惑星物理学者もいますが、1300年後に日本という国家が存続している可能性も捨て去ることもできません。

SFの世界のように、技術革新が進み、ロボットやアンドロイドやサイボーグが人間に代わって人間を支配しているのかもしれませんが、最後の日本人は、いまわの際になって何と言うのでしょうかね?

案外、こんなことを言うかもしれません。

「お父ちゃん、お母ちゃん、ごめんなさい。まさか、わたしが最後の日本人になるなんて思ってもみなかった。ああ、あん時、無理して結婚しときゃよかった」