『薬指の標本』

渋谷のユーロスペースで上映中の「薬指の標本」http://www.kusuriyubi-movie.com/index.htmlを見てきました。芥川賞作家の小川洋子の原作をフランス人の監督ディアーヌ・ベルトランが映画化したということで、是が非でも見なければならないという気がして、本当は「子供の街、渋谷」にはあまり行きたくなかったのですが、暇な合間を縫って出かけてきました。

それにしても最近の小川洋子の活躍は目覚しいですね。読売文学賞を受賞した「博士の異常な数式」が映画化、舞台化されて話題になり、「ミーナの行進」が今年の谷崎賞を受賞。目下、日本人作家として諸外国語に翻訳されるのは村上春樹に次いで多いらしく、米週刊誌「ニューヨーカー」に翻訳が載った日本人作家としても、大江健三郎、村上春樹に続いて三人目というのですから、もう世界的作家の仲間入りです。

そんな彼女の作品をフランス人が映画化するということで興味が沸かないわけにはいきません。

で、見た感想はどうだったかと言いますと、フランス語で bizarre  という単語がありますが、それに近いです。「奇妙な」という意味です。

主人公のイリスを演じるオルガ・キュリレンコはウクライナ人のモデルで、これが女優としてデビュー作だそうです。辺見エミリと伊東美咲を足して2で割ったような可憐な女優です。確かに原作に忠実に映像化されたのでしょうが、彼女の魅力を表現したいがために映画化したのではないかと勘ぐりたくなるくらい彼女の官能的な肢体がスクリーンに乱舞されます。そして、標本技術士役のマルク・バルベの変態性愛者スレスレのミステリアスな雰囲気は、見ている者を催眠術にでもかかったような気にさせます。

ストーリーは、まずはありえないような話です。どこかの港町(ハンブルグで撮影されたようです)が舞台で、安ホテルに船員と部屋を時間差で共有したり、わざわざ離れ小島のような所にあるラボに船で通勤したり(なんで主人公は近くにアパートでも借りないのでしょう?)…まあ、内容については、これから映画を見る人のために内緒にしておきます。

ただ、最後の終わり方が、「わけの分からない」ヨーロッパ映画らしく、「すべて、あとは鑑賞者の想像力におまかせします」といった感じで、それが、さっき言ったbizarre という言葉に集約されるのです。そこが、ストーリーがはっきりしているハリウッド映画との違いです。

そのせいか、わずか144人しか収容できないミニシアターで上映されているのでしょう。平日の昼間だったせいか、お客さんも10数人しかいませんでした。

でも、こういう映画って、「あれは何を言いたかったのだろう?」と引っかかって、あとあと残るんですよね。最後に付け足すと、この映画の不可解な不条理な世界にマッチしたベス・ギボンスの音楽が素晴らしかった、ということです。

 

ポンペイ写真館

神殿か行政府?

壁画 雨ざらし状態でよく残っているものです

 T君  ガイドさんが「広いから、ちゃんと付いて来なければ迷って化石になってしまいますよ」と冗談を言っていたので、「彼はもう化石になっています」と返しておきました

腹にベルトを巻いているので奴隷と言われています イオウガスか何かの影響で苦しみながら息絶えているようです

ポンペイの道路 手前が水が溜まった時に横断する歩行者用の飛び石 馬車の轍も見えました

居酒屋「金時」

クロネコヤマトの宅急便

神殿?

ナポリ出身の日本語堪能ガイドさんとパン屋さんの竃

天候に恵まれました

すべての道はローマに通じる

水やワインを入れたと思われる甕

結構、高台にあるのです

ポンペイ遺跡で放し飼いになっている野良犬 非常に賢くてもって帰りたいほどでした

再訪したいナポリ、ポンペイ

ナポリのストライキ

ナポリ湾

フィレンツェからユーロスターに乗って、ナポリhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%9D%E3%83%AAに行きました。500キロ、約3時間30分の列車の旅です。

窓外には、イタリアらしい田園、ブドウ畑、牧舎などが見えました。でも、北海道の景色の方が雄大で素晴らしい、というのが正直な感想です。

カプリ島

夜ナポリに着いて、驚きました。新聞記者と市バスのストライキとかで、道路はカオス状態です。あんな車の渋滞は、東京にもないくらいです。4車線のところを6台くらいの車が、押し合いへし合いしているのです。よく交通事故にならないものかと思いました。人口100万人で、超過密状態は社会問題になっているそうです。

ナポリはピザの発祥地。アラブ圏のパンの一種ピタがナポリに伝わり、ピッツァになったそうです。

しかし、スパゲティのナポリタンは、どうやらまるっきり関係ないようです。日本にも留学したこともあるナポリ出身のガイドさんが「何で、ケチャップなんか使うのよ。生トマト使うなら分かるけど。絶対に、ナポリではケチャップは使わない」と断言していました。

青の洞窟

10月6日(金)に、ジェット船でカプリ島に行きました。『青の洞窟』を見るのが主目的でした。晴天で夏のような暑さでしたが、高潮の影響で、結局、青の洞窟は見ることができませんでした。ご覧のように、本当に小さな洞窟で、小さなボーとに乗り換えて、仰向けにならないと入れない狭い所ですが、洞窟の中は案外広いようです。

良心的な旅行会社は、青の洞窟を見ることが出来なかったので、1000円返却してくれました。

カプリ島でも、またケーブルカーのストライキをやっていました。

おかげで、行き場を失った観光客が、そこかしこに溢れていました。

また、カプリ島は、高級リゾートとして知られ、芸能人の別荘もあるそうです。

イタリア人は格好いい

ジェット船でナポリに戻り、バスでポンペイhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%82%A4にまで行きました。約1時間。

ポンペイ

紀元79年8月24日午後1時、ヴェスヴィオ火山が噴火して、火山灰の下に埋もれた古代遺跡です。

そのまま、忘れ去られていましたが、1748年に再発見され、250年以上経った今でも発掘作業が続けられている、というからすごいです。

とにかく広大です。当時2万3千人くらい住んでいたそうですからね。

驚くべきことは、日本ではまだ弥生時代で、やじりで動物を追いかけていた頃、パン屋さんがあり、ワイン醸造所があり、円形闘技場あり、大浴場あり、かなりの高度の文明を享受していことです。映画「ベンハー」に出てくるような馬車に乗っていたようで、道路が綺麗に完備されていました。馬車の轍さえ残っているのです。大雨になった時、道路は川になってしまうので、川を渡れるように飛び石が備わっていたりしていました。

ポンペイの壁画で有名なアレクサンダー大王とペルシャのダリウス3世の「イッソスの戦い」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AD%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E5%A4%A7%E7%8E%8Bを見たかったのですが、ナポリの考古学歴史博物館にあるらしく、そこは、ツアーの日程に組み込まれていなかったので、見られませんでした。残念。再訪したくなりました。

北品川の「金時」

この写真のどこかに筆者がいます

昨晩は、後藤先生のお導きで北品川の「金時」という創業70年という老舗居酒屋で痛飲しました。

酩酊してしまい、年のせいか、会合で何を食べたのか、何を話したのか、さっぱり覚えていません。とにかく、ビールと焼酎をガバガバと飲み、気がついたら二日酔いで目が醒めたといった有様です。

参加したのは、テレビ東京建物の浦本さん、辰巳出版の大西さん、東京新聞の大石さん、東商の清水さん、日経BP社の大豆生田さん、共同通信の村上さん、東京スポーツの佐藤さん、電通の大沼さん、東洋経済の福井さん、新聞協会の吉澤さん、週刊新潮の安河内さん、それに私と後藤さんの実に13人も集まりました。

これだけいると、席が離れていてほとんど話をする機会がなかった人ばかりでしたが、何となく阿吽の呼吸で、皆言いたい放題で、私なんか話した内容を全く覚えていないくらいですから。

この店は、後藤さんが、BS-iの番組「吉田類の酒場放浪記」を見て、思い立って決めたそうです。ちょっと、都心から離れ、京浜急行「北品川」駅から歩いても、道がくねくねして分かりにくいのですが、随分、人が集まったものです。誰かが「後藤さんの人徳だね」と話していました。

この店の女将、長谷川いつ子さんがなかなかのやり手で、普通のネクタイを、さっと蝶ネクタイに結び変えてしまう早業を披露して、皆をあっと言わせていました。浅草出身で、北品川には「都落ちしてきました」なんて言ってました。

品川は、言わずと知れた宿場町ですから、昔は大いに繁盛したのでしょう。「金時」の前の狭い道路が、旧東海道だったらしく、どこかに弥次さん喜多さんが出てきそうな雰囲気。この辺りは遊郭で、置屋もあったとか。古い街並みも残っており、昼間に散策するのもいい所かもしれません。

何を食べたか思い出しました。お刺身と枝豆とこの店の名物の「肉豆腐」でした。これは美味でした。締めて5千円。

メディチ家のこと

イタリア旅行から帰国してちょうど一週間経つのに、まだ、時差ボケです。翌日からすぐ仕事で、日曜日は、試験だったせいかもしれません。

老人力がついたおかげです。

4日目の10月5日はフィレンツェに行きました。

ウフィッツィ美術館で、長年の夢だったボティチェリの「春」と「ヴィーナスの誕生」を見ることができました。写真を撮ることができなかったのが残念です。

ガイドさんの説明によると、この有名な2枚の絵は、メディチ家のある新婚夫婦の寝室に飾られていたそうです。

メディチ家に関しては、ルネッサンスのパトロンとして歴史に名前を残したことぐらいしか知りませんでしたが、現地に行って色々と勉強になりました。

ミケランジェロ広場

まず、メディチ家は金融業で莫大な財産を築いて、トスカーナ大公にまで上り詰めた家柄ですが、元々は、小さな薬局を営んでいたそうです。このメディチが語源になって、医学のメディスンになったそうなのです。

ダヴィデ像

このメディチ家は、「王族」を生んだだけでなく、17世紀から18世紀にかけて、二人もローマ教皇(クレメンス7世とレオ10世)を輩出しているのです。

また、フランスの王后にも2人、政略結婚で、嫁ぎ、アンリ2世の王妃になったカトリーヌは特に、メディチ家の料理をフランスに伝え、これが基になって、現在のフランス料理に発展したそうなのです。

ドゥオモ

ナイフとフォークをフランスに伝えたのも、メディチ家の料理人だったそうです。

これは、知りませんでしたね。

フランス料理も「世界の三大料理」と威張っていても、元を糺せば、メディチ家の料理だったわけなんですね。

沈みゆくヴェネツィア

ゴンドラ

沈みゆく広場

颯爽としたヴェネツィアっ子

観光客の群集

ヴェネツィアのサンマルコ寺院広場に着くと、「アクア・マルタ」といって、高潮が押し寄せて、広場が水浸しでした。

15~17世紀に栄華を誇ったこの水の都も、現代では、観光以外にこれといった産業もなく、堪りかねた市当局が20年ほど前に、石油コンビナートなどの工場を誘致した結果、地下水の汲み上げによる地盤沈下が起きしてしまったそうです。

まさに、沈みゆくヴェネツィアです。

鳩も多かった…

人口と同じ6万人の観光客が毎日押し寄せるそうで、人間の重みで、なおまた、地盤沈下が進むのではないかと心配しています。ヴェネツィアの中心街から、お金持ちはとっくに郊外に逃げており、中心部にいるヴェネツィアっ子は、観光客相手の関係者ぐらいといった有様です。

ここで、有名なベネチアングラスの工房を見学しました。

若いイタリア人が、「寄ってらっしゃい、見てらっしゃい」と、日本語で盛んに売り込んでいるのです。

「落としても割れない」と言って、デモンストレーションをしていましたが、ワイングラスのセットが何と2000ユーロもするのです。催眠術にかかった日本人観光客は買っていましたが。

女優さんみたい!

ヴェネツィア刺繍の店見学もコースに入っていました。

すべて「手作り」なので、30センチ×30センチの大きさでも三カ月は悠にかかり、値段も40万円と目の玉が飛び出るほどでした。

ヴェネツィアングラス工房

ところで、イタリアの最高級ワインをご存知ですか?

ブルネッロ・ディ・モンタリチーノという銘柄で、ヴェネツィア・サミットでも各国首脳に出されたそうです。

日本のレストランで飲むと1万5千円は取られるそうです。

それを私は、現地で半額以下で購入することに成功しました。

ヴェネツィアの夜に飲んだキャンティ・クラシコも美味しかったです。

自分のために他人を利用しない生き方

ヴェニス

T君と私は30年来の友人である。「俺」「おまえ」の仲で、お互いに包み隠し事をすることなく、遠慮することなく、つかず離れず付き合ってきた、という感じでした。

今回の旅行で、彼とは、色々と事務的なことを含めて、色々とやり取りしなければなりませんでした。

ヴェニス

互いに遠く離れていて、仕事の関係もあって、メールでのやり取りが一番楽でした。

しかし、彼は私のメールにあまり返事をくれませんでした。3回出して、やっと、1回返事が来る感じでした。あまり来ないので、同じメールを続けて3回送ったこともありました。それなのに、彼から来る返事は「はい」といったひと言二言しかありません。「随分、薄情なやつだなあ」と思ったものでした。

ヴェニス

それが、彼に会って、そういう風に思った自分が随分倣岸だったと言うことが分かったのです。

先にも書きましたが、彼と再会した時、そのあまりにもの変わりように、息が止まるほどでした。実際、動作が、本人の意思に反して、遅延状態を呈していました。

「はい」とたった2文字をメールで打つのに、どんなに時間がかかっていたことでしょう。

自らの傲慢さに、恥じ入りたくなりました。

サンマルコ寺院広場

とはいえ、彼は別にふさぎこんでいたわけではありません。旅行中、随分、快活で「こんなに笑ったのは何年ぶりかなあ」と上機嫌でした。

また、バスの中で自由席でしたが、「俺が座った所が『特等席』」などと言って、得意がっていました。

これは、名言だと思います。

素晴らしい人生訓でありませんか。

サンマルコ寺院広場

時に、彼は非常に真面目な面持ちでこんなことを言うのです。

「柄谷行人が、カントの『純粋理性批判』を引用して言ってたけど、『自分のために人を利用しない生き方』を提唱していいた。でも、やつらは口先だけ。言っているだけ。実際、何もやっていないんだよ。口だけ、カントも柄谷行人も。だから、俺は決めたんだよ。親兄弟だろうが、連れ合いだろうが、親友だろうが、自分のために、利用しない生き方をしてみせよう、とね」

【自分のために、他人を利用しない生き方】

旅行中、私はこの命題にずっと悩まされることになるのです。

 

物欲のない修行僧

ヴェニス

そんなT君の様子を見て、さりげなく、目立たないように、援助の手を差し伸べてくれたのが、添乗員の村山さんでした。

ミラノ、ヴェニス、フィレンツェ、ナポリ、ポンペイ、ローマと廻りましたが、現地ガイドがいる時は、自ら、一番後ろに回って、我々が迷子にならないように見張ってくれたり、我々だけに特別にエレベーターに乗せてくれたり、はたまた、長い距離では、タクシーまで用意してくれたのです。

感謝しても感謝しきれません。

ミラノ・スカラ座

ところで、団体のツアーは本当に格安です。しかし、その裏にはカラクリがあります。

休憩所として、土産物店と提携して、団体客に物を買わせるシステムになっているのです。別に買わなくてもいいのですが、団体客は皆、私も含めて、催眠術にかかったように、何らかのものを、不必要でも買ってしまうのです。

このシステムを考えた人は本当に天才だと思います。

欧州では特に、トイレに行くのにもお金が掛かります。気軽に入っていけないのです。駅でも公衆トイレでも大体、50セント(75円)ぐらい入口で取られます。そういう慣例(ローマ帝国時代の発明だそうです)を逆手にとって、「トイレ休憩」の時間を土産物店訪問(実際、ここでは無料でトイレが借りられます)に当てる旅程を旅行代理店が組んでいるのです。このシステムには、本当に感心してしまいました。

私なんか、騙されて、色々と買ってしまいましたが、T君は、一切、モノを買わなかったのです。T君とは、30年の付き合いです。少しは、想像できたのですが、これほどまで禁欲的になれるとは思いませんでした。

そもそも、今回のイタリア旅行に私が彼を誘ったのは、彼が「もう、僕には夢も希望もないんだよ」とメールで伝えてきたからでした。「それじゃあ、死ぬ前にナポリでも見ようか」と思ったわけです。

しかし、これほどまで、物欲がなくなったとは想像もつきませんでした。修行僧という言い方は大袈裟ではなかったのです。

私は、毎日、水(1ユーロから2ユーロ)を買ったり、食事の際、ビールやワイン(5ユーロから10ユーロ)を注文しましたが、彼は、ほとんど注文しませんでした。もちろん、土産物屋に入っても、何も買わずに出てきました。

 

ミラノ・レオナルド・ダ・ヴィンチ像

彼がお金を使ったのは、物乞いの人に幾ばくかの小銭を渡したぐらいでした。

それは、こちらがイライラするくらい時間をかけてじっくり彼らと話し込んで、お金を渡していました。

「別に彼らが、物乞いのフリをして、家に帰れば豪邸に住んでいても構わないんだよ」と彼は言いました。

「それより、彼らの目だよ。物乞いで訴える乳飲み子を抱えた若い母親と、僕らと全く同じ目をしているんだよ。それが嘘でも別に構わないんだよ」

T君については、まだまだ書きたいことがあるので、続きはまた明日。

 

T君のこと

今回の旅行の最大の目的は、T君との旧交を温めることでした。

T君は、昨春、大病を患って、生死の境を彷徨いました。一命を取り留めたものの、以前とは少し、不可逆級数的に運動能力が下降してしまいました。

行政用語で言うと、継続的に日常、社会生活で相当な制限を受ける状態になってしまったのです。

T君は、このブログを読んでいますが、「好きに書けばいいじゃないか」と言ってくれたので、彼のことを抜きにしてこの旅行が語れないので、書いています。

正直に書くと、日暮里駅のスカイライナーで待ち合わせた時、あまりにもの変わりように驚いてしまいました。

体重が43キロだということですから、以前よりも20キロも痩せていたわけです。あまり食事をせず、3日間断食したことがある、というのです。頭もまるめ、まるで修行僧のようでした。

普通の人の歩く速さの3分の1ぐらいなので、団体には遅れ気味で、ついていけません。

私は、少し後悔してしまいました。

最終日の10月8日、ローマで自由時間があり、彼と二人で行動しましたが、何と、混雑にまぎれて、はぐれてしまったのです。あの時は本当に焦りました。

 

 

 

イタリア人は意外と質素

ミラノ

ラテン系のイタリア人は仕事より遊び好きで、フェラーリに乗り、グッチ、プラダ、アルマーニと世界に誇る自国のブランドを身に付けて人生を謳歌している印象が強かったのですが、実際、行ってみると、彼らの生活事態は意外に質素だということが分かりました。(ホームステイしたわけではありませんが)

最近、イタリアで「1000ユーロ世代」という本がベストセラーになったらしく、この本は、30代の平均月収が1000ユーロといったことが書かれているらしいのです。1ユーロは目下、150円なので、月収15万円ということになります。これは、日本人の平均月収の半分以下なのです。それなのに、ガソリンが1リットル1ユーロ数十セント、約180円もします。イタリアは日本のように鉄道や地下鉄が発達しているわけではないので、車は必需品です。日本では、だいたい1リットル140円くらいですから、かなり生活も厳しさを伴うわけです。

そういえば、今回の旅行では、やたらとデモとストが多かったのですが、労働者の権利として、イタリア国内では毎月のように行われているそうです。デモやストをやってガス抜きしなければ、やってられない、ということでしょうか。

要するに、グッチだのフェラガモだのトラサルディーなど、高級ブランド品を買えるのは、米国や日本などの金持ちということになのです。

サンタマリア・デレ・グラッツェ教会

それにしても、日本人はイタリア好きです。全国各都市と姉妹都市を締結しています。

ミラノ

首都ローマは東京と、ファッションの街ミラノは大阪と、ナポリは鹿児島市と締結しています。

ミラノでは、青と赤のレジメンタルのネクタイを買いました。18ユーロ(2700円)でした。安物です。

ウインドーショッピングしたところ、イタリアでもアルマーニのネクタイは74ユーロ(1万1100円)もしてましたから。