女房関白の時代 

ローマ

公開日時: 2007年3月11日 @ 09:56

大手メーカー勤務のAさんは、早い帰宅だったので、奥さんに「これから帰ります」とメールを打ちました。

奥さんから帰ってきた返事は

「牛乳、レタス、マヨネーズ」の3文字のみ。

「買ってきてください」とも「帰りがけに、スーパーでも」とも何とも書いていません。わずか、3つの単語のみ。

かつて、高度成長期のモーレツサラリーマンのお父さんは、家に帰れば、奥さんに対して、

「フロ、めし、寝る」

の3つの単語のみで用を済ませていました。

その逆を彷彿とさせますね。

本来、男より、女の方が強いのではないでしょうか。

だからこそ、わざと、か弱く見せて、男の庇護を求めるふりをする…。

結婚式で「角隠し」をするのも、その名残なのかもしれません。昔の人は偉い。

作家のYさんも「女性というのは、本当に、恐ろしいですよ…。その点、わたし、女で、女に生まれて本当によかったと思います。女は怖いですよ…」としみじみ話されていたことを思い出します。

こういうことを書くと、必ず、女性の方から抗議が殺到します。しかし、怖いので、コメントは削除しませんので。

他力本願

ローマ

2月23日に46歳の若さで急逝した哲学者の池田晶子さんは、どうやら他力本願の人だったようですね。

携帯電話を持たず、インターネットもメールもしない。テレビは、見るとしたら、ニュースと天気予報程度。ひたすら、自己の人生を思索の時間に当てていたようです。

その結果、会得した最期で最大の人生訓は、

「生きるも死ぬも、全て他力によるものである」

という他力本願思想。

確かに、人間、生まれてきたのも偶然。死ぬのも偶然。結婚するのも偶然。(人は、赤い糸で結ばれた運命と言いまするが。)子供が生まれるのも偶然。あー、その繰り返し。

「人生は、自分の人生だと思うから不自由なのである」

うーん、確かにそうですね。人生は、仏教で言う「求不得苦」です。何一つ、自分の思い通りになることはありません。何1つ。

「人生というものを、生まれてから死ぬまでの一定の期間と限定して、しかも、それを自分の権利だと主張することが、現代人の人生観である」

「これはあまりにも貧しい」

ということで、彼女は、他力こそ本願、と主張するのです。

確かに「自分の人生だから不自由だ」という言葉は、キラリと光り、勇気付けられます。

だが、その一方では…

努力もやめて、すべて天に任せて、気楽に生きる。どうせ、自分の人生など思い通りにいかないのだから、あがくだけで、無駄。さのよいよい。

「他力本願」にそういう臭いも感じます。

恥を知れ!

ローマ

公開日時: 2007年3月9日 @ 10:55

今、ニュースで一番気になって、心を痛めているのは、全国で、色々な「金目」の資材などが次々と窃盗されている事件です。

銅線や鉄パイプをはじめ、お寺の釣鐘やガードレール、マンホール、公園の滑り台まで持ち去っている人がいます。

一体、誰が何の目的でこんなことをするのでしょうか?

もちろん、転売するためでしょう。

本当に困ったことです。私が今住む所でも、新聞の地域版に鋼管や銅線の盗難事件が片隅に載っているぐらいですから、全国で一体どれくらいの件数が起きているのか、想像もつきません。

日本人はもう少し倫理観を持った「恥を知る」民族ではなかったでしょうか?

「武士は喰わねど高楊枝」「痩せ我慢」…

こういう時に限って、教育の問題を掲げる人がいますが、恐らく、盗賊たちは、もうとうが立った確信犯の大人たちでしょうから、矯正のしようがないでしょう。

転売されているとしたら、盗品を受け入れる「組織」があるということです。全く、腐ってます。

憤りだけで、名案が浮かびません。

渡辺淳一著「鈍感力」

ローマ

公開日時: 2007年3月8日 @ 10:08

渡辺淳一著「鈍感力」が売れているようですね。発売1ヶ月余で、36万部突破とか。驚異的な数字です。どうやら、現職以上に今も人気の高い小泉前首相が「この本はいい」と言ったとかで、売れ行きに拍車を掛けたようです。

宣伝のキャッチコピーを見ると、「鈍感力」とは、「へこたれない鈍さこそ、現代を生き抜く力。雑音は気にしない。嫌なことはすぐ忘れる。許す度量…」などとあります。

どこかで聞いて事がありますよね。昔から、人生、成功の秘訣として「運・鈍・根」が大切だと言われています。

運は運勢、鈍は鈍感力、根は根気…。ほら、ありましたね。

「嫌なことはすぐ忘れる」というのも、どこか「老人力」に通じます。

「許す度量」なんて、まさに昨日書いた「論語」で孔子が唱えた「恕」ではありませんか。

こういった類書、関連本の類には枚挙が遑がないことでしょう。

では、なぜこの本は売れているのでしょうか?

渡辺淳一だからです。

誰も無名の人が書いたものなんて読もうとはしません。

推理小説界の大御所、森村誠一氏も、若い頃、全く売れなかった時代、「作家にとって、名前がないということ(つまり、有名ではないという意味)は罪だと思いました」と語っていたほどです。

有名になった作家には、読者がついていきます。「限りなき透明に近いブルー」でデビューした村上龍氏は、いまだにベストセラー作品を書き続けていますが、「それは、デビュー作が100万部も売れたから。その100万人の読者がついてきているのです」という話を出版社の編集者から聞いたことがあります。

このように、出版界でも、売れている作家というのはわずかなのです。作家だけて食べていけるのは、全体の2割もいないのではないでしょうか。

芸能事務所でも、売れているタレントの2割が事務所の総売上の8割以上を稼ぐという「法則」を聞いたことがあります。

ところが、国税庁の05年の統計によると、株式売却などで稼いだ所得として確定申告した約2兆6千億円の約半分は、申告人数(約31万人)で1%にも満たない高額所得者(総所得2億円以上)の約2千人だったというのです。

要するに、売れる人はますます売れて、お金持ちの人はますますお金持ちに。ワーキングプアは、ますます貧しく。

そういうことなんすかねえ。

Roma

子貢(しこう)問いて曰く、一言(いちげん)にして以って終身(しゅうしん)之(これ)を行う可(べ)き者有りや、と。

子曰く、其れ恕か。

己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ、と。

(十五の24)

弟子の子貢が尋ねました。「生涯で行なうべきことを、一言で言い表すことができるでしょうか」

先生は答えました。「それは、『恕』だね。自分がしてほしくないことは、他人にもしないことだよ」

『恕』とは…

三省堂「新漢和辞典」によると

一、思いやりの心。情け。哀れみ。他人の気持ちを推し量って同情すること。

二、許すこと。気の毒に思って同情すること。大目に見ること。

なかなか、できないことです。

人はどうしても「アイツだけは、許せない」と思ってしまいます。だから、法律や裁判があるのです。

生涯をかけて心に誓う言葉が「恕」とは…

なかなか含蓄があります。

左が本心?

ローマにて

いやあ、ブログとはいえ、毎日書き続けるということは、なかなか、大変なものがあります。

素直に「大変です」とは書かずに、「大変なものがあります」と書きましたが、この「もの」とは何なんでしょうか?

考えると夜も眠れません。

今日は、気軽なことを書きます。

人間の顔の右と左は左右対照になっていないことは、ご存知だと思います。

某女優さんも、「私は右側しか写しちゃだめよ」という人もいるそうです。

ある説によりますと、「右」は作った顔、「左」は本来の顔だそうです。

利き腕にもよりますが、世間的に普通と言われている右利きの人の場合、「右」は後天的、「左」は先天的なので、手相で運勢を占うときは、先天的な「左」の方を見るのです。

顔も同じ。

そういえば、人を説得したり、何か物を買ってもらうための営業したり、取材したりする場合、大抵、相手に対して右側を向けていませんか?

決して左側の顔を向けて、交渉していないはずです(特に、サウスポーの人でない場合)

このブログを読んだ人は、早速、鏡で自分の顔をのぞいてみてください。左右対称ではないはずです。

驚きますよー。

川内康範氏、森進一氏を訴える

ローマ

最近、芸能ニュースが目白押しですね。

歌手の宇多田ヒカルと映像作家の紀里谷和明の夫婦が離婚(3月2日、4年半の結婚生活に終止符)

タレントの飯島愛が引退…

しかし、一番、私が興味を持ったのは、「月光仮面」の作者としても知られる作詞家の川内康範氏(87)が歌手森進一氏(59)に対して、自作の「おふくろさん」な唄わないように楽曲の著作権を管理するJASRAC(日本音楽著作権協会)に訴えていたというニュースです。

森氏が川内氏には無断で「おふくろさん」のイントロ前にせりふを足していたことが発覚して、問題がこじれて、泥仕合になっていった経緯は、毎朝、ワイドショーとスポーツ新聞でチェックしている人にとっては、旧聞に属する話でしょうが…。

川内氏は、「私は何があっても、森とは妥協できません。卑しい心の森には、私のすべての作品を歌うことは禁止するとの申告をジャスラックに届けてあります」と宣言したそうです。

どうして、ここまで、こじれてしまったのでしょうか?

私は、やはり、森氏に仁義が欠けていたからだと思います。

「国策捜査」で刑に服した佐藤優氏は、ロシア専門の元外務省分析官でしたが、ソ連崩壊前後の人間模様を見た経験からこう確信を持ったそうです。

「盟友を裏切る人間は決して幸せな一生を送ることができない」

フェアトレード 

ローマ

旧聞に属しますが、2月のヴァレンタインデー。

もてもてだった若い頃は、トラック1台分のチョコレートがドサリと贈られてきたものです。まあ、こういう罪のない嘘は、許容範囲で許されたし。

それが、年を取るにつれ、年々、その数が幾何学級数的に下降線を辿り、正直、今年はSさんから1つだけ、戴きました。

そのチョコレートは、フェアトレード商品というものでした。

フェアトレードカンパニーというのは、その時、初めて知ったのですが、発展途上国の人々が、ものをつくることを通じて自立を果たすことができるように、現地のNGOや共同組合と連携して、消費者との橋渡しをする会社なのだそうです。まさしく、利益還元。

その商品は、チョコレートだけではなく、衣類、アクセサリー、小物、インテリア、食品と多岐にわたっています。

カタログやネットによる通信販売を行っています。

最近、そのネットのアドレスが分かりました。

http://www.peopletree.co.jp/index.html

そこには、こんなことが書かれています。(無断転載、換骨奪胎)

フェアトレードとは、貧困のない公正な社会をつくるための、お互いの敬意に基づいた貿易のパートナーシップです。アジアやアフリカ、中南米などの農村地域や都市のスラムなどに暮らす人々に仕事の機会を提供することで、貧しい人々が自らの力で暮らしを向上させることを支援しています。小規模農家や手工芸職人に継続的な仕事をつくり、農薬や化学肥料に頼らない自然農法や、生産地で採れる自然素材と伝統技術を活かした生産によって、持続可能な社会を目指しています。

1995年1月に環境保護と途上国支援を目的としたビジネスの実践と波及を目指して設立され、サフィア・ミニーという女性が代表のようです。
会社形態なので、利潤追求が目的なのですが、これまでとは少し違った環境に配慮した持続可能の社会を目指した団体のようです。
今後も注目してみたいと思っています。

達観の境地

ローマ

2日に亡くなった三菱総研特別顧問の牧野昇氏のインターネットについての名言。

「ほとんどが公開情報です。あれは、電子版チラシ広告みたいなものです」

●うーん、その通りかもしれない…

1917年生まれの作家伊藤桂一氏の箴言。

20年前

「70代は黄金の時代です」

10年前

「人生は80代からはじまります」

そして、90歳を目前に控えた今年

「別に声を大にして何も言うことはない。訥訥として語っていても、人は耳を傾けてくれる」

「私は人生を何事も前向きにしか考えない。肯定してゆくのである」

●参りました…これぞ達観の境地!

都会の孤独

ローマ

公開日時: 2007年3月2日 @ 09:16

インターネットカフェなるものに行ってきました。

平日の午後なのに超満員。やっと1席確保できました。

30分250円。この安さが、都会の若者を誘蛾灯のように引き寄せるのでしょう。3時間980円。ナイトパック(午後11時~午前6時)1500円なんてものもあります。

お金のない若者が、ここを宿泊地として仕事に出かけるという記事を読みましたが、狭苦しくて、隣りの煙草が臭くて、とてもくつろげる空間ではありませんでした。

ただ、コーヒーやジュースは飲み放題。漫画や週刊誌も読み放題。もちろん、インターネットもし放題。

周囲を見渡すと20代か30代が大半。女性もちらほら。案内書には英語も付記されているので、外国人も多いことでしょう。

もちろん、お互いに会話はありません。禁止されているのかも?

お互いに無関心を装っています。