根津
昨日は、久しぶりにおつなセミナーに参加しました。ゲストは、中国近現代史と日中関係がご専門の水谷尚子さん。テーマは「彷徨えるウイグル人~東トルキスタン独立運動・人権運動組織と主要活動家」でした。
このテーマに関しては、私は全く門外漢で、こんなに多難な流血事件が中国の新疆ウイグル地区であったことを知りませんでした。日本では、この方面の専門家が少なく、ほとんど報道されることがないからかもしれません。「チベット問題」に関しては、ダライ・ラマのような精神的支柱がいたり、ハリウッド俳優のリチャード・ギアらが独立運動に関心を持っているので、かなりの頻度で報道され、世界中でも注目されていますが、「ウイグルの独立問題」については、ほとんどの日本人は知らないのではないでしょうか。
水谷さんは、この問題を月刊誌「諸君」(文藝春秋)で何度も取り上げ、今後も、何回か執筆される予定です。この問題の最も信頼のおける専門家の一人であると言っていいでしょう。
彼女の不満は、東トルキスタン(ウイグル人は自分の国をそう呼ぶ)に関連する記事や論考が、レベルが低く、直接取材しないで、インターネットで流れている「偽の情報」を丸写しにしているケースが多いということです。人名さえまともに表記できていないというのです。例えば、天安門事件で有名になった学生運動のリーダーであるウー・アル・カイシはウイグル人ですが、その名前は中国読みで、本来は「ウルケシ」と表記するのが正しいそうです。
もともと、遊牧民だったウイグル人は、国家を形成する観念が低く、18世紀に清朝の乾隆帝の時代に征服されて、中国の領土になったのが始まり。1933年に東トルキスタンイスラム共和国、44年に東トルキスタン共和国として独立するものの、短命に終わってしまいます。49年に同共和国の首脳陣が「飛行機事故」で死亡(実際は、ソ連のスターリンの指示でモスクワKGB刑務所で殺害されたという説が有力)してから、亡命政府設立さえ不可能になり、結局、中国共産党軍による侵攻で、55年の新疆ウイグル自治区の設置に至ります。これ以降、90年のバレン郷事件、97年のイリ事件など独立運動が展開されます。
ウイグル人は現在、800万人ほどいると言われています。その新疆ウイグル自治区には、北京政府の意向で、漢民族の移殖が始まり、1950年に約30万人だった漢民族の人口は、99年に687万人に膨れ上がり、政府公共機関の要職は漢人によって占められ、肥沃な土地は、ウイグル人は追い出されて、漢人が居座ってしまったという話です。しかも、同化政策によって、ウイグル語が禁止され、教育も中国語だけになったようです。
もともと、ウイグル人は、コーカサス系で、顔立ちもインド・ヨーロッパ系に近く、中国とは言葉も文化も風習も全く違います。また彼らはゆるやかなイスラム教を信奉しています。今まで、バラバラだった独立運動も2004年になって、やっと「世界ウイグル会議」(総本部=ミュンヘン)が設立されましたが、参加しているのも独立運動派の8割で、前途多難なようです。
私も、これからはもう少し、この「ウイグル問題」について関心を持とうと思いました。