桜、サクラ、さくら
ベストセラー作家と称する輩が、雑誌で「憎っくき中国の漢文の授業を廃止せよ」と息巻いて、相変わらずの低脳ぶりを発揮しておられます。
実にアナクロニズムも甚だしい。戦時中に、鬼畜米英の「敵性英語」の授業を廃止し、野球の「セーフ」も「アウト」も禁止した冗談のような暗黒時代に導こうとしているのかしら。中国が嫌いなら、真逆に、中国の歴史や文化や言語を学ぶべきでしょう。批判するなら、それからです。
あの戦時中でさえ、極端に狭量に陥った偏狭ナショナリズムに異議を唱えた人がおりました。アジア主義者の宮島詠士(1867~1943)です。
山形県米沢出身の宮島詠士は、11歳で家族とともに上京し、勝海舟の門で学びます。その後、東京外国語大学で中国語を学び、大陸に渡り、書家として大成します。帰国後、東京で善隣書院という私塾を開校し、教育に生涯を捧げます。
この宮島詠士をやり込めてやろうと、面会した若き国粋主義者に木村東介(1901~92)がおります。血気盛んな若き東介は、国事行為に走った際に揉め事から、左腕を切り落とされていたといいます。
詠士との初対面で、東介が自分の「雲井塾塾長」の名刺と中野正剛(1886~1943)から預かっていた彼の名刺を渡すと、詠士から、その名刺を一緒にもみくちゃに握りつぶされてしまいます。
この話を東介から聞いた中野正剛は、詠士のことを「気狂い親父め」と、吐き捨てたと言われますが、東介は逆に、詠士から感化されて、偏狭な国粋主義を返上して、一介の古美術商に転向するわけです。
ここからが、本題です(笑)。
◇ジョン・レノン登場
木村東介は東京・湯島天神近くに古美術「羽黒洞」を開業します。それから40年近く経った1971年1月、丸い縁なし眼鏡を掛けた異人が東洋人の女性に伴われて、この羽黒洞を訪れます。
主人の木村東介が差し出す白隠や蕭白らの書画を見て、言い値で「オッケー」「オッケー」と頷きながらどんどん買っていきます。
この若者は一体何者なのか?
そして、この異人は、松尾芭蕉の有名な「古池や…」を見つけ、「これが欲しい。幾ら?」と隣の女性の通訳を介して尋ねてくるのです。
東介は「200万円」と即座に答えました。当時としては、眼の玉が飛び出るほど高額です。当然、諦めると思ったからです。
すると、その異人は、すかさず購入する意志を表明した上で、「どうか、日本人の宝物をロンドンに持って行ってしまうことを悲しまないでほしい。ロンドンに帰ったら、日本庭園も日本間もつくり、日本のお茶を飲みながら、これらの書画を鑑賞することを約束します」とまで言うではありませんか。
この客の2人は誰であろう。ジョン・レノンと小野洋子夫妻だったのです。そのことを東介は娘に聞かされましたが、「びいとるず」の名前を聞いたことがある程度で、ジョン・レノンの名前まで知らなかったわけです。
すっかり感動した主人の東介は、せっかく日本に来たのだから、華やかな歌舞伎でも見せてあげようと2人を歌舞伎座に招きます。
三階の一幕席でしたが、生憎、その時かかっていたのが、能に題材を取った非常に暗い悲しい話の「隅田川」でした。演じていたのが、六世歌右衛門(狂女)と十七世勘三郎(舟人)。清元は志寿太夫。
そこで、東介はさぞかしつまらないだろうと思って、「出ましょうか」と声をかけようとすると、言葉が分かるわけがないジョン・レノンが隅田川を見てポロポロと止めどもなく涙を流していたというのです。側にいた洋子さんが一生懸命にその涙を甲斐甲斐しく拭いていたそうです。
このときのジョン・レノンを見て、東介は「この人は、言葉が分からなくても魂で感じているんだな。とてつもない人だ」と悟ったそうです。
この後、東介は、ジョン・レノンにせがまれて、仲の良かった歌右衛門の楽屋に連れていき、紹介してあげたそうです。
これが縁で、翌年の歌右衛門らによるロンドン、ミュンヘンでの歌舞伎公演が実現したそうです。(松竹の永山武臣会長回想)
これらの話は、実は、皆さんご存知の京洛先生が若き頃の1981年、かの木村東介を東京の羽黒洞でインタビューしたことがあったことから、秘話として、こっそりと小生にご教授頂いたものだったのです。
ジョン・レノン・フリークを自称する渓流斎も全く知らなかったエピソードでした(苦笑)。
【追記】早速、京洛先生から追加情報がありました(笑)。
木村東介さんには「切り通し界隈」(博文館新社)や「不忍界隈」(大西書店)などの著作があります。
愚生は木村東介さん本人から「切り通し界隈」を恵与賜りましたが、色々、人生の滋味が溢れています。「不忍界隈」にはジョン・レノンとの話が出ています。
田中角栄内閣時代、歯にきぬ着せぬ言い方で、「木村元帥」「放言居士」の異名を持った木村武雄建設相(山形・米沢)は東介さんの実弟です。この人も、戦前、戦時中は「東方会」の中野正剛に師事し、戦争中は「大政翼賛会」に加わらず、「非推薦」で衆院議院に当選しました。「反東条」ですが、皆さん、今と違って、骨があります。
意外と知られていないでしょうが、三木武夫元首相(徳島)、二階堂進元官房長官(鹿児島)らも、皆、非推薦です。