【二都物語】京博で「海北友松展」 京都でしかやっておりません!

海北友松展 copyright par Kyoraku-sense

皆さま、こんにちは 京洛先生です。

 愚生はけふ、拙宅からほど近い京都国立博物館まで歩いて、開催中の「海北友松展」(主催・京博、毎日新聞社、NHK 5月21日まで)を覗いてきました。

 この展覧会の看板を見て、「え!ウミキタ・トモマツ」「それ、何!」「ウミトモ・キタマツ?」と言う人もいるかもしれません(笑)。

 読み方は「かいほう・ゆうしょう」ですが、この看板のような、字配りは、大衆を知らない似非インテリの「何でも大衆は知っている」という独断と偏見です(笑)。デザインなんかどうでも良いのです。縦書きにして、カッコの中に、漢字と同じように「かいほう・ゆうしょう」と平仮名で、大きく、読みやすくしないといけません。日本人は明治時代から「文盲」はいなくなり、識字率は99%で高い、と思っているのは、単純すぎます(笑)。

京博の桜 copyright par Kyoraku-sense

まあ、それはどうでも良いことですが、海北友松は、近江国浅井家の家臣海北家に生まれながら、桃山時代に狩野元信、永徳に師事して狩野派で絵を習い、その後、独自の画風を生み出した「これこそ戦国時代の巨匠」と、展覧会ではPRしています。

海北友松は、室町時代、足利12代将軍義晴の代の天文2年(1533年)に生まれ、 江戸時代の慶長19年(1615年)6月2日(この年、7月13日に元和元年と改元し、大坂夏の陣が勃発)に82歳で亡くなっていますから、当時としては長命です。

 実際に同展で、その作品を見ると、やはり、迫力がありますね。特に、「雲龍図」はどれも、龍とは、こんな凄い神獣で、人の顔にも似ていて、何とも言えない驚異を覚えました。作者の気迫ががみなぎっていて、えらい大作を描いたものだと感心して、長い時間、雲竜図を眺めておりました。

 この展覧会は、京博の「開館120周年記念イベント」です。ですから、残念ながら、東京では開催されませんが、今月23日(日)の朝9時からNHK教育テレビの「日曜美術館」(再放送は4月30日午後8時)で詳しく放送されるので、テレビで、どんな作家で、どんな作品か、ご覧になると良いでしょう。

 貴人も、海北友松の雲竜図をご覧になると「いやあ、この龍の睨み方は半端じゃありませんね」と感嘆されることでしょう。

綺麗ねえ… copyright par Kyoraku-sense

海北友松の雲龍図は、北野天満宮、建仁寺・霊洞院、勧修寺なども所蔵しており、この展覧会にもに出品されています。

 数年前、建仁寺の法堂の天井に、小泉淳作画伯が描いた「双龍」を、貴人と一緒に眺めて、貴人はかつての赴任地の帯広市の絡みもあってか、いたく感激していたのを、今も覚えています。

 しかし、それと、海北友松の雲竜図を見比べるのは酷な話ですが、分かりやすく喩えて言えば、海北友松が美空ひばりなら、小泉淳作は、島津亜矢か田川寿美みたいなものでしょう(大笑)。
 
 京博の庭の桜も満開でした。