100歳の精神科医が見つけた心の匙加減とは?

寿能城跡

最近は、電車の中でスマホばかりやっているため、読書の時間が疎かになってしまっておりまする(笑)。

書く方と読む方をどちらを優先するかー。どうも、最近は書き残しておきたい事項の方が多く、読むことよりも優先してしまいます。

それでも、最近読了したのが、 高橋幸枝著「100歳の精神科医が見つけた こころの匙加減」(飛鳥新社)です。タイトルの通り、百歳の現役精神科医が書いた本です。

100歳超の大先輩に聖路加病院の日野原さんという大御所がおられますから、あまり目立ちませんが、百歳の現役医師なんて本当に凄いことです。

寿能城主潮田忠之の墓

簡単に著者の略歴に触れますと、1916年11月2日新潟県生まれ。県立高田高等女学校を卒業後、海軍省でタイピストとして勤務。退職して中国に渡り、北京で日本人牧師の秘書。この牧師の勧めで27歳で医師を目指し、帰国。福島県立女子医学専門学校に合格して念願の医師になった人です。1966年に神奈川県秦野市に秦野病院を開設して、院長に就任して今も現役の精神科医として頑張っています。

この本は、著作としては何冊目なのか分かりませんが、自分の経歴や普段のお仕事で患者さんらと接触した感想や、自分自身の老いの問題などを随筆としてまとめたものです。

例えば、こんな調子です。

大宮公園

●人間とは暇があるからさまざまなことを考えてしまうのです。
「悩みがある」ということは、言い換えると「悩むほどの時間に恵まれている」という状態に他なりません。

●他人を気にし過ぎると結局損をします。

●80代でも新しい趣味は始められますよ。

●幸せに生きるためには、周りと仲良くすること。

●「誰かに喜んでもらえた」と感じたとき、人は充実感を感じるようにできています。

●見返りは期待せずに、誰かの幸せをひたすら乞い願う。ちょっと大袈裟に思われるかもしれませんが、そんな姿勢で過ごせることこそ、人として本当に幸せなことです。(著者の実弟高橋由喜雄氏は農水省の官僚を途中でやめて、秦野病院の事務長になった人。目の不調で65歳で事務長を辞め、回復してから市営駐輪場の自転車整理の仕事を続けました)

氷川神社

普通のOL(?)だった高橋さんが、医者を目指すことになったのは、中国で出会った日本人の牧師の勧めによるものだった、ということを経歴で触れました。

本文でも、その日本人の牧師は清水安三先生という名前だけ書いていますが、この人がどういう人なのか一行も書いていません。知らない人は知らないでしょう。高橋さんの人生で最も影響を与えた人のはずなのに、一言だけでも付け加えたらよかったのに、と少し残念に思いました。

私は、山崎朋子著「朝陽門外の虹」(岩波書店、2003年初版)を読んでいたので、清水安三のことを知っていました。この方は、北京のスラム街で、娼婦にならざるを得なかった貧しい少女らのために手に職が付くように女学校をつくった人でした。日本の敗戦で無一文になって帰国しながら、再起を図って、桜美林学園を創設した人です。

あれっ? よく読むと、最後の著者の略歴の中に、「1953年に東京都町田市の桜美林学園内に診療所を開設」とだけ書いてありましたね。これは恐らく、いや、必ず、清水安三先生からの依頼だったはずです。