江戸五色不動尊巡り(下)

目黒不動尊

前回の続きです。

【五色不動】
・目黄不動尊(最勝寺・江戸川区平井)⇒奥州道
・目赤不動尊(南谷寺・文京区本駒込)⇒上州道
・目白不動尊(金乗院・豊島区高田)⇒中山道
・目青不動尊(教学院・世田谷区太子堂)⇒甲州道
・目黒不動尊(瀧泉寺・目黒区下目黒)⇒東海道

でしたね。それでは一つずつ辿って行きましょう。

1番【目黄不動尊】

上記のように、現在の目黄不動尊=天台宗最勝寺は、東京都江戸川区平井(総武本線平井駅)にあります。もう一つ、台東区三ノ輪の天台宗永久寺にも目黄不動尊があります。「本家本元」争いをしているわけではないようですが、目黄不動尊は、明治以降に出来たという説もあり、私もよく分かりません。

でも、上記写真の縁起によると、最勝寺は貞観2年(860年)に、慈覚大師円仁(794~864年)が墨田区の本所で開山したようです。

最勝寺

古代中世から寺社仏閣は、荒川掘削や震災、火事など色々な理由で、度々移転するか、させられているようで、江戸川区平井には、他に天台宗の成就寺、浄土真宗の善通寺、日蓮宗の大法寺などが移転してきて、さながら寺町となっています。成就寺には、清元延寿太夫や越知ニ楽(兵学)らの墓もありました。

最勝寺

一説では、家康が鷹狩りした際に、本所にあった最勝寺に立ち寄り、そこで見たお不動様を「目黄不動尊とせよ」と仰せつけられたとか。

最勝寺は、程よい広さと言いますか、目黄不動尊に参拝するにはちょうど良い寺かもしれません。

目黄不動尊

目黄不動尊は、1メートル27センチで、江戸川区の文化財に指定されております。

2番【目赤不動尊】
目赤不動尊

文京区本駒込の天台宗南谷寺(なんこくじ)にあります。上記の縁起を読んで頂ければ、解説することは一つもありませんが、もともと動坂(本駒込)にあった伊賀国の赤目不動尊を、三代将軍家光が、「これからは目赤不動尊とせよ」と命じたらしいですね。

目赤不動尊

目赤不動尊、本来の赤目不動尊は1尺2寸(50センチ)程度の大きさだったらしいので、今の目赤不動尊がいつ頃鎮座されたのかよく分かりません。また、境内も恐らく、江戸時代はもっともっと広かったと思われますが、猫の額ほどの狭さとなっておりました。

目赤不動尊

本駒込もいわゆる寺町で、南谷寺の近くには、十一面観音像で有名な浄土宗定泉寺や、武蔵野市吉祥寺の方が有名な曹洞宗吉祥寺があります。

今回、時間がなくて残念ながら吉祥寺にはお参りできませんでしたが、吉祥寺に関する面白い逸話があります。もともと、吉祥寺は駿河台にありました。それが、例の江戸市中100万人の人口のうち10万人も犠牲になった明暦の大火で被災し、寺の焼失は免れたものの、門前の住人は焼け出されて、武蔵野に移住し、そこで開発した新田に吉祥寺村という地名を付けたそうです。だから、武蔵野市にお寺はないのに、吉祥寺の地名が現代にも残っているわけです。

目赤不動尊

駿河台の吉祥寺は、その後、焼失して、今の本駒込に移転します。そして、もう一つ面白い逸話は、駿河台吉祥寺境内に文禄元年(1592年)に寺子屋に近い「学寮」が設立されたことです。吉祥寺が本駒込に移転されると、それは「栴檀林」と命名され、これが、「曹洞宗大学」などと名称を変えて、現在の駒澤大学とつながるというのです。

ですから、駒澤大学は今年、創立425年と言ってますから、世界でも最も古い大学の一つと言えるでしょう。

3番【目白不動尊】
目白不動尊

目白不動尊は、豊島区高田の真言宗豊山派の金乗寺にあります。JR目白駅からだと歩くと30分ぐらいかなという感じです。バスに乗っていたので、推測というより感覚に近いですけど(笑)。

でも、正直、ここが一番がっかりしました。境内は狭いし、不動尊も秘仏らしくよく見えませんでしたから。

寺の周囲は超高級マンションなどなどが立ち並ぶ高級住宅街でしたから、時代を経るごとに境内の敷地が狭くなっていったと想像します。

金乗寺も、文京区関口から移転してきたようです。

倶利伽羅不動庚申塔

境内にある「倶利伽羅不動庚申塔」(くりからふどう こうしんとう)が大変有名で、寛文6年(1666年)に建てられたそうです。不動明王の法形(ほうぎょう)を現しているらしい。

目白不動尊

がっかりしましたが、五色不動尊の中で、金乗院だけは一番立派な「しおり」をくださいました。

4番【目青不動尊】
目青不動尊

目青不動尊は、世田谷区太子堂の天台宗最勝寺教学院にあります。

山本さんがお住まいの三軒茶屋の駅の直ぐ近くにありますが、ここに目青不動尊が鎮座されていたとは全く知りませんでした。境内に入ると喧騒から遠ざかり、罰当たりな言い方かもしれませんが、なかなか雰囲気のある静かなお寺でした。

目青不動尊

縁起にありますように、教学院は応長元年(1311年)、玄応大和尚により江戸城内の紅葉山に創建され、その後、度々移転してから慶長9年(1604年)、青山南町に移転し、明治42年に現在の三軒茶屋に移ったようです。

目青不動尊

目青不動尊は、もともと麻布谷町にあった正善寺の本尊でしたが、廃寺となり、教学院に遷されたということです。

像は、慈覚大師円仁の作と言われ、1メートル余。青銅製で、五色不動尊の中で、唯一、牙歯がないそうです。

大久保家歴代の墓碑

境内には相州小田原城主大久保家の歴代の墓もありました。

5番【目黒不動尊】
目黒不動尊

目黒不動尊は、目黒区下目黒の瀧泉寺にあります。

ここは凄い。今まで巡った不動尊の欠点を全て帳消しにしてくれました。

目黒不動尊

何しろ、熊本市と千葉県成田市と並ぶ「日本の三大不動尊」の一つと言われていますから、ここだけは、境内の広さと言い、趣といい、誰に見せても恥ずかしくありません(笑)。

目黒不動尊

逸話では、江戸時代、目黒一帯は、丘陵や滝や川などの自然に恵まれ、風光明媚で、旅籠屋や飯屋などもあり、江戸の庶民の遠足、いわば小旅行地だったらしいですね。富くじも幕府から認められていたとか。

富くじは1本3両(3万円)。やはり、高いので、長屋の連中が何人か集めて共同で買っていたらしい。当たりは千両(1000万円)だったそうな。

目黒不動尊

三代将軍家光も鷹狩りで、8回も目黒を訪れたという記録があるらしい。となると「目黒のさんま」とは、家光公の話だったのかしら?

大日如来

瀧泉寺には大日如来様も鎮座しておりました。

【追記】

五色不動尊は、最寄駅からでも結構距離がありましたので、バスツアーで一挙に廻ってしまうことは正解でした。

江戸時代、五色不動尊がある本所=墨田区(目黄)、動坂=文京区本駒込(目赤)、関口=文京区(目白)、青山南町=港区南青山(目青)、下目黒=目黒区(目黒)を歩いたとしても、3日もかからなかったでしょう。

バスツアーには、お昼に亀戸大根の老舗(明治38年創業)「升本」の定食(1980円ぐらいか)が付き、ガイドさんの説明もあり、これで7980円なら安かったかもしれません。

御朱印は一件300円でしたが、私はもう何も収集する趣味も意志もなくなりましたので、御賽銭をして、思い出だけを残しました。