江戸五色不動尊巡り(上)

明治38年創業 亀戸大根の老舗「升本」 予約なしでは入れないとか 大根ステーキは超格別、しかし…

5月24日(水)、お休みを頂いて「江戸五色不動尊巡り」のバスツアーに参加してきました。36人の参加者の平均年齢は75歳かなあ…(笑)。5分の4が女性と圧倒的。教養のない下衆男は、文楽の助成金を減らしたりするから、これで日本の伝統文化も安心だあぁ…

目白不動尊

 御説明するまでもないでしょうが、不動尊とは不動明王の尊称で、大日如来がお姿を変えて悪を討ち払うためにこの世に現れた化身のことです。如来とは、悟りを開いたお釈迦様のことです。ちなみに、このブログでよく登場する赤坂不動尊は暗号なので違います。

目黒不動尊 独鈷の滝

 そして、五色不動尊とは、陰陽五行説などの影響で、目の色の違いで、五つに分かれます。すなわち

 【五色不動】とは

・目黄不動尊、目赤不動尊、目白不動尊、目青不動尊、目黒不動尊

 このうち、目白と目黒は、現代でも東京の地名や駅名に残っていますから馴染みが深いことでしょう。

三代将軍家光の頃、慈眼大師天海大僧正の発案などもあって、江戸5カ所に五色不動が建立されたといいます。

大日如来(目黒不動尊)

しかし、「五色には 二色足りない江戸不動」という川柳があるぐらいですから、実は、目白、目赤、目黒の三色は確かにあったものの、目黄と目青は、明治以降につくられたものだ、という説もあります。目黄不動は、他に2カ所あるという説もあります。

とはいえ、江戸庶民の信仰の対象となったことは事実であり、私は、各寺の掲げる「縁起」とガイドさんの説明をもとに、これからお話を展開していくつもりです。

名所江戸百景

まず、これらの五カ所の不動尊は出鱈目につくられたわけではなく、江戸五街道に合わせて置かれたといいます。五街道というと、本来なら、東海道、中山道、甲州街道、日光街道、奥州街道のことを指しますが、上の五色不動は以下の街道沿いにあったと思われます。

【五色不動】の場所

・目黄不動尊(最勝寺・江戸川区平井)⇒奥州道
・目赤不動尊(南谷寺・文京区本駒込)⇒上州道
・目白不動尊(金乗院・豊島区高田)⇒中山道
・目青不動尊(教学院・世田谷区太子堂)⇒甲州道
・目黒不動尊(瀧泉寺・目黒区下目黒)⇒東海道

イラストで地図を書けないのが実に残念ですが、バスツアーは、この通り、上から順番に北から南へ降りてきた感じで廻りました。

バスだと半日、いや早足なら数時間で全部の五色不動尊をお参りできますが、江戸時代は徒歩ですから、3日かかったそうです。

蛙さん(目黒不動尊)

しかし、この話は眉唾ものです。なぜなら、目黄不動尊のある最勝寺は、大正2年に移転したもので、もともと墨田区本所にあったそうです。目白不動尊は、文京区関口にあったようです。目青不動尊の教学院も、かつては江戸城内紅葉山に創建されたそうです(となると、庶民がお参りできないじゃん=笑)。

あっ?堅いことは抜きにしますか?私の今回のお参りの最大の目的は、長い間患った病気平癒の御礼でしたからね。
それでは、各寺の縁起と私の印象記については次回また―。