人間、この矛盾なる存在

久し振りの、という言葉も変ですが(笑)、遅ればせながら、夏休みで別荘で寛いでおります。

場所を書くと嫌味になりますので、書きません(笑)。

軽井沢、清里? まさか。

バンクーバー、メルボルン?うーん、どうでしょう…

えっ?別荘がないんですか?ルイス・ブニュエルのブルジョワーの嗜み、いや、ブルジョワーの秘かな愉しみですよ。

太陽がいっぱい!プールでカクテルを飲んでいます。

と、日記には書いておこう!

昨日は、この愛用のiPhoneのアプリをいくらクリックしても反応がなく、「とうとう壊れてしまったのか」と、銀座のアップルストアに修理の予約をしました。面倒臭い!2日先まで予約が満杯!スマホ中毒となると、とてもスマホなしでは生きてはゆけぬ。いかにも敗残者になった気分でした。

でも、まだ神に見放されたわけではありませんでした。再起動したりしているうちに、アプリをクリックするとちゃんと起動してくれたのです。

お蔭様で、予約をキャンセルすることができました。

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ところで、個人的なことながら、小生、2年前に大病して、後を追うようにして、ではなく、望外の悦びとも言うべき、その1年後に娑婆世界に這うようにして復帰したところ、すっかり周囲の景色が変わっておりました。

若い頃、というより、少年の頃から非常に親しかった友人が次々と離れていくのです。まるで、疫病神を除けるかのように。

こちらは、何度も「飲みに行こう」なぞと誘ったりするのですが、その度に、「体調が悪い」だの「家族の具合が悪い」だのとドタキャンするのです。

それでも以前までは、会う約束まではすることができたのですが、最近になって「そのうちに」ということになって、すっかりその気がないのです。こちらは、何があったのか分からず、彼に直接迷惑を掛けたつもりはないので心外なのですが、そろそろ、いくら親友でも諦めてこちらから身を引くべきかな、と思うようになりました。(ちなみに、彼はスマホどころか、パソコンもやりませんし、できません)

残念ですが仕方ないでしょう。第二の人生に入り、余分なものは断捨離しなければならない時期に入ったということでしょう。

それは、モノだけでなく、交友関係にも言えるかもしれません。

それなのに、つい3日ほど前から、あれほど蛇蝎の如く嫌っていた友人募集のような「顔本」、いやフェイスブックを始めるのですから、人間、どうも矛盾に満ちた生物だと認めざるを得ないですね。

私だけではないかもしれませんが…。

資本主義のたそがれ、または終焉

大連駅裏通り Copyright Par Duc de Matsuocha gouverneur

水野和夫、大澤真幸両氏による対談共著「資本主義という謎」(NHK出版新書)が、結局、著者らは何を言いたかったのか、と考えてみますと、今の時代、日本は「失われた20年」どころか、これからまあ、あと50年か100年は経済成長のない低迷、停滞、低空飛行が続いて、働けば働くほど貧乏になるワーキングプアの時代だというのが現実で、それを冷静に見つめろ。諦めるのではなく、最後は政治の力でどうにかしなければならないので、「百年の大計」を持ったしっかりとした政治家を選ぶべきではないかと、私なんか解釈しました。

営業利益を上げて経済成長を遂げていくというやり方は、もうこの新自由主義のグローバル化時代では、どんどん低賃金の労働力が「現物」だけでなく、ネットを通して入り込んでくるので、要するに人件費を低く抑えることで労働者に分配せずに、内部留保の形で営業利益を水増しさせていく手法が、今の先進諸国の資本主義の行き着いた形、姿ということになるのでしょう。

 大連駅裏通り Copyright Par Duc de Matsuocha gouverneur

この本に再三再四出てくる「利子率革命」というのは、恐らく水野氏の造語で、「長期金利が2%以下の時代」のことを指すようです。

リーマン・ショックとユーロ・ソブリン危機で、日本に加えて米英独仏の先進4カ国の10年国債利回りがそろって2.0%以下となり、世界の牽引車となるべき先進諸国は「長い16世紀」(1450年~1650年)以来の「長い21世紀」(1971年~)の利子率革命に入っているわけです。

水野氏はこう言います。「利子率革命、すなわち資本の低利潤化が長期化すると、過去の過剰資本に耐えられなくなって、具体的には働く人を貧しくすることでしか、資本を維持できなくなるのです」

「働けど 働けとども…」の石川啄木ですね。

また、こうも言います。

「資本主義は元来、貧乏人を相手にしないという本質を持っているようです。最初の資本家が誕生した12~13世紀のイタリアのフィレンツェで、資本家が競って読んでいた小冊子に『商業についての助言』があり、そこには『貧乏人と付き合うな。なぜなら、彼らに期待すべき何もないからだ』とあります」

大連駅裏通り Copyright Par Duc de Matsuocha gouverneur

また、水野氏は未来社会についても。こう予言しております。

「資本主義には利潤を極大化しようという意思があると思います。だから、短期でゼロ金利、長期で2%では、もう信用リスクぐらいしかない。そうすると、何処へ行っても利潤率が事実上ゼロということでしょうから、対処療法的にはこの30年間でなされたような『電子・金融空間』のようなものをつくるしかないかもしれない。
でも、それすら成立しないとなれば、資本主義はもう立ち行かなくなって、市場経済だけが残る。市場の交換によって利潤は発生しないという状況ですね。…しかし、資本主義が周辺をどんどん取り込んでいった段階で、みんなが豊かになることはありえなくなった。ということは、市場経済が残る保証だってありえないわけです」

うーん、偉い経済学者様の見立てですが、絶望的ですね。

このままいくと、年収が減るばかりでなく、年金も75歳まで出なくなる可能性もあり、若い世代も大変です。年収が増えなければ、結婚もできず、先進資本主義諸国は、どこもかしこも、ますます少子高齢化、超高齢社会となる寸法ですね。

これでは身も蓋もなくなります。水野氏らは最後に将来、人々の希望までもが奪われて、いずれ滅びるか、滅びないかは「政治の責任だ」と断言します。そして、彼はこう忠告します。

「21世紀の現在、非正規社員が3割を超え、年収200万円以下で働く人が給与所得者のうち23.7%、金融資産非保有世帯が26%という日本で、現在『民』は大切に扱われているとは全く思えません。新自由主義の人たちは、個々人の努力が足りないと非難し、貧乏になる自由があるとまで言います。『春秋左氏伝』によれば、亡国の道をひた走っていることになります」

中村京蔵丈の夕べ

昨日から、因果応報、真景累ヶ淵のためにフェイスブックを始め、この渓流斎ブログと連結させてみました。

吃驚仰天するほどアクセスが急増するかと思いましたら、アッというほどそれほど、あんまし変わらず。不徳の致すところでございました。。。

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扨て、昨晩は梨園の中でただお一人、お友達になって下さった京屋さんこと中村京蔵 舞踊の夕べに、新御徒町の大心堂雷おこし「古代」を手土産に携えて足を運んでみました。

会場は、渋谷駅西口の渋谷区文化綜合センター大和田伝承ホール(6階)。運の悪いことに開場の5時半前ごろから急激な集中ゲリラ豪雨に襲われてしまい、生まれて初めて行くところですから、狼狽えてしまいずぶ濡れ、スニーカーもグジュグジュで、水も滴るいい男になってしまいました(笑)。

会場は、収容人数120人ぐらいのこじんまりとした劇場で、役者さんの表情がオペラグラスなしでよく見えて、雰囲気も良かったです。

京蔵丈は、一般の大学を卒業して国立劇場の研修生となり、四世中村雀右衛門丈の直弟子になった方です。小生が演劇記者だった20年前に知り合い、その頃はまだ若手の部類でしたが、今では幹部クラスとして大活躍されてます。

専門は、という言い方も変ですが、女方ですが、テレビのCMなどでコンピュータソフトの「奉行」の勘定奉行役として出演されていますので、御存知の方も多いでしょう。

昨晩の演目は、「道行初音旅」(義太夫連中)(静御前:中村京蔵、忠信実は源九郎狐:市川新十郎)、「あなめ 小町変相」(五條珠實振付)(小町の亡魂:中村京蔵、旅の男:江添皓三郎)、「風流浮世床」(常盤津連中)(浮世床のお京:中村京蔵、永木の源太:五條珠實)の豪華三本立て。

 「道行初音旅」は、人形浄瑠璃「義経千本桜」(延享4年=1747年初演)四段目の道行で、台詞がない舞踊でしたから、人形浄瑠璃を見ている感じでした。京蔵さん、赤姫役が似合ってました。

 「あなめ」は、平成20年10月に青山の銕仙会能舞台での再演(五度目)らしいですが、私は9年前の舞台も見ておりました。今回は旅の男を現代人という設定に変え、まさに幽玄的な世界になっておりました。あなめ、とは小町の亡霊が「あな目痛し…」と泣いたとか。

 「風流浮世床」は、式亭三馬び「浮世床」などを元に杉昌郎作の世話物舞踊。杉氏は「化政期の味わいを第一に心掛け、新しがることは一切排した」と言いますから、本当に江戸の文化文政時代にタイムスリップしたような気分になりました。一瞬だけ、江戸っ子になれました(笑)。

 三階席(はありませんでしたが)では、プロらしき大向こうさんが、しきりに「亰屋」「きょーや」と掛け声をかけておりました。

 掛け声で思い出すのは、11年前に亡くなった演劇評論家の萩原雪夫先生の言葉です。例えば、尾上菊五郎の屋号は「音羽屋」ですが、「『おとわや』なんて掛け声をかけるのは野暮なんですよ。『おとーわ』、いや、『おたーわ』や『あたーや』の領域にまで行けば通か粋です」

 確かに、江戸っ子は、宵越しの金は持たなくても、野暮は嫌い、粋に生きていたんでしょうね。

ジョン・レノンは凄いけど小野洋子さんも凄い

トレヴィの泉

いやはや、情けないことに宗旨替え致しました。

 この半世紀、あれほど、「フェイスブックはやらない」と公言して参りましたが、ついに昨日から始めてしまいました。嗚呼、これで個人情報ダダ漏れです!

 渓流斎ブログをホームページ化するに当たりまして、IT青年実業家の松長会長からの強いお勧めがありまして、泣いて馬謖を斬って、参画することにしました。

何? 比喩が合ってない? ま、「兄の後を追うようにして」任侠団体に加入される方もおられますからいいでしょう。

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昨晩のNHKファミリーヒストリーはご覧になりましたか?「オノ・ヨーコの原点!」です。

小生は、ジョン・レノンのフリークですから、大体のことは知っておりました。ヨーコの父小野英輔が横浜正金銀行員でニューヨーク支店長などを務めたことや、母磯子が安田財閥の超お嬢様(創業者善次郎の孫)だったことは知っておりましたが、他にも「新事実」が沢山出てきて、ヨーコの息子ショーンも「オモシロイネ」と何度も日本語で言ってましたねえ。(ショーンが父親のジョンの年齢を超える41歳になっていたとは超驚き!)

ヨーコの曽祖父に当たる小野作十郎は柳河藩の藩士だったのですね。柳河藩10万9千石は立花氏で、小生の高田家の先祖の久留米(有馬)藩21万石とは元々、同じ領地でした。つまり、関ヶ原の合戦で石田三成を捕縛して功のあった田中吉政が与えられた32万石の領地でした。田中氏の二代目に後継がなかったため改易となり、立花氏と有馬氏に分割されたのです。

小野作十郎は、百石から十石に減俸されたという記録が残っていました。何かあったんでしょうね。十石というと足軽より上の程度です。ヨーコの従兄弟の小野有五北大名誉教授も「随分、貧乏だったんでしょうね」と話していました。

この作十郎の息子、ヨーコの祖父に当たる英二郎が凄い人で、苦学をして同志社大学から米国に留学して、ミシガン大学で経済学の博士号まで取得し、帰国後、同志社大学の教授を務めたり、興業銀行の総裁などを務めた人でした。

ヨーコの父英輔は東京帝大の数学科を出たのですが、父英二郎の強い勧めで不本意ながら銀行員になりましたが、銀行員にならなければ、ヨーコの母磯子と巡り会ったりしなかったかもしれません。

話が長くなるのでこの辺でやめますが、東京・九段下のフィリピン大使館は、もともと英輔と磯子の家族、ということはヨーコも住んでいた屋敷だったことは知りませんでした。英輔は戦前は男爵と呼ばれていたんですね。

まあ、ヨーコさんは下々の者とは違い、貴族階級の御令嬢だったわけです。

「731部隊の真実」エリート医学者の繋がり

ラオコーン

お盆が過ぎますと、急にテレビの世界から戦争ものの番組が消えてしまいます。

我が同胞は、喉元過ぎれば、熱さ忘れるのです。

そこで、13日夜に放送されたNHKスペシャル「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」を本日取り上げることにします。

私は、この731部隊については、森村誠一著「悪魔の飽食」で初めて知りました。出版された当時(1982年頃)は、あまりにもの残忍さに、「でっち上げのフィクション」という批判もあったりしましたが、この番組では実際に衛生兵として、マルタと呼ばれた中国人捕虜を処理したという元部隊の生々しい証言が明らかにされ、歴史的事実として向きあわざるを得ない、と納得させられます。

関東軍731石井細菌部隊については、米国側に全ての実験資料を手渡して尋問に応じる条件で、司法取引と呼ばれる手口で「無罪放免」となり、極東国際軍事裁判では取り上げられませんでした。

お陰で、真相が闇の中に葬られてしまったわけです。しかし、番組では、ハバロフスクでロシア人から尋問された軍医らの証言がテープとして残されていたことを発見し、それを公開しておりました。

人体実験で犠牲になった捕虜は3000人。チブスなどの細菌を注射されて病状を記録され、治癒すると別の実験に使われる。つまり、死ぬまで人体実験されるという証言には、本当に戦慄を覚えました。

タイトルに「エリート医学者」とあるように、731部隊に参加した軍医は、博士号を持った超エリートの医学者でした。部隊長の石井四郎が京大医学部出身として有名ですが、他に京大からは、細菌学の権威田部井和(たべい・かなう=戦後、京大教授)、凍傷の権威吉村寿人(同)ら11人が名を連ねました。

彼らの背後には戸田正三京大医学部長(戦後、金沢医大学長)がおり、軍部から大学運営予算が欲しいばかりに、強行に教え子を送り込んだといいます。

731部隊には東大医学部からも6人の学者が加わりましたが、それは、長与又郎東大総長と石井四郎と接点があり、番組では、長与が石井から要請されたのではないかと推測していました。

私は、この東大総長の長与又郎の名前を聞いて本当に吃驚仰天してしまいました。彼は、肥前大村藩漢方医から明治医学界の重鎮となった長与専斎の8人きょうだいの三男なのですから。

作家夏目漱石を解剖した医者としても有名です。

長与専斎は、華麗なる一族です。長男長与称吉(医者)の妻は後藤象二郎の娘で、次女は犬養毅の三男犬養健と結婚。孫は犬養康彦・元共同通信社長と先日亡くなった評論家の犬養道子。

四男岩永裕吉は、同盟通信社初代社長。

五男長与善郎は白樺派の有名作家。

石井細菌部隊が設立されたのは昭和11年だといいます。この年は、2.26事件が起きた年ですが、同盟通信社ができた年でもあります。聯合通信社が電報通信社を吸収合併する形で国策通信社として設立されました。

石井部隊に東大医学部出身者6人を送り込んだ長与又郎東大総長の実弟岩永裕吉は、今の目黒雅叙園に駅前一等地を売却して、その資金を元に聯合通信社をつくりました。

長与一族は、目黒白金辺りの広大な土地を所有していたと言われます。

石井部隊の話が、長与一族の話になってしまいました。

劣化した全ての日本人に告ぐ

盆栽美術館

「匿名希望」様、コメント有難う御座いました。よく「罪を憎んで人を憎まず」と言いますから、個人攻撃だけをしても仕方がないと思っています。牟田口廉也もその典型で、彼個人よりも、彼のような怪物を産んだ社会機構にも問題があったと確信してます。特権階級なら何でも許されるという風潮もそうです。

※※※※※

扨て、お盆休みが、昨日の京都の送り火で終わりました。

かつてのお盆休みというと、東京都心は、地方出身の皆々様方が郷里にお帰り遊ばされますので、電車も街中もガラガラ。私のようなd?racin?(デラシネ)にとっては、実に余裕を持って街を歩けて爽快な気分を味わえたものです。

しかし、今年の銀座は、異様な人混みでした。あれっ?地方出身者は今年は不況で、お墓詣りもできないのかと思ったら、そうじゃないです。人集りの殆どが外国人でした。

昨日発表された統計によると、7月の訪日外国人は268万人で、過去最高だったそうですね。道理で…。

もうほとんど、日本人の口に入ることができなくなった鰻の高級店「銀座 竹葉亭」に並んでいるのも、外国人ばかりでした。

観光客が多いのは京都はピカイチでしょう。京洛先生は、いつも余裕で市バスを利用しておりますが、最近は外国人客が増えて、ダイヤが非常に乱れて困っているそうです。

彼らはデカいボストンバッグを抱えて乗り込むので時間がかかる上、小銭がないので一万円札で払ったりするので、お釣りを出すのが大変ですからね。

昔の外国人観光客は、タクシーやハイヤーを利用し、市バスなんか乗りませんでしたからね。と、書くと進歩主義者から怒られますかね?

 京洛先生は情報通ですから「先日、日刊ゲンダイを読んでいたら東京圏も千葉市内の高浜小学校は生徒の半分は中国人だそうですね。千葉市内の分譲団地も5階建てで、エレベーターが無いので1階は値段は高く、上層の3、4、5階は安いそうです。高齢者は階段を上がるのが辛いからだそうです。そして東京圏の大規模のニュータウンでは、いろんな住宅問題が起こっているようですね。
 大手新聞、テレビは少しもそういう真実を報じず、芸能人のついた離れたやら、どうでも良い都会の上辺だけの情報だけ報じています」と溜息をついておりました。

日本人は劣化したんでしょうかね?

牟田口廉也という男

中国・世界遺産九寨溝 Copyright par Duc de MatsuokaSousumu

昨晩のNHKスペシャル「戦慄の記録 インパール作戦」には眩暈がするほど圧倒されました。

見逃した方は、再放送でもYouTubeでも御覧になるといいです。

最初から勝てるわけがない戦を無謀にも敢行し、戦後もぬくぬくと生き延びた牟田口廉也という男。

エリート街道真っしぐらの帝国陸軍官僚の典型的な男は、3万人という大量の部下を死なせながら反省の一つもしないで、敵の英国の将軍の回顧録に「牟田口将軍には苦しめられた」という部分だけを曲解して、「自分は敵を苦しめた。良くやった」と自画自賛して天寿を全うした男。

番組のキーパーソンは、斎藤博圀さんという当時、牟田口将軍の付人だった少尉です。23歳。彼は記録魔なのか、牟田口の一言一句までメモを残していました。

牟田口の無謀さは、最初から「兵站」という考えが頭からなく、食料などは敵を落とすだろうという希望的観測計画の3週間分だけ。あとは現地調達なんですからね。英国は空から溢れんばかりの物資を運んでいたのと大違いです。

斎藤少尉が驚きを持って記した牟田口の言葉の中に「5000人をやって(敵陣を)取る=インパールを攻略する」ということでした。

最初、斎藤少尉は、敵の英軍5000人を殲滅するのかと思ったら、日本の兵士5000人を犠牲にするということが分かり、震え上がりました。

進歩的な戦後民主主義者が大好きな「人権」などという言葉はありません。最初から、兵士は虫ケラ以下の扱いで「死んでこい」ですからね。しかも碌な武器や弾薬も与えず。

結局、5000人どころか3万人の兵士が死にました。NHKはよく調べたもので、驚くべきことに、その6割は停戦後のことで、アメーバ赤痢やマラリアによる病死か、餓死です。

当時から日本兵の死体が道路に打ち重なり「白骨街道」と呼ばれました。

斎藤少尉は、何と、戦後も生き延びることができ、今は車椅子ながら96歳の晩年を病院で暮らしていました。

彼が声を振り絞って泣きながら振り返っていました。「死んだ多くが兵隊で、将軍や下士官は生き残った」。

牟田口廉也は、前線近くまでは行きながら、休戦協定を結ぶと、白骨街道を見ることなく一目散に飛行機で逃げ帰りました。

将軍クラスともなると、個室を与えられ、炊事当番やら記録当番やら何人もの奴隷か召使いのような部下を抱えて、安全地帯で地図を見るのみで、地形も気象も兵站も考えることなく、ただただ「行け」と命令し、異議を唱える部下は「卑怯者、大和魂が足りない」と大声で叱咤して左遷させる。

軍人というより軍事官僚。生命が保障された特権階級というのが実体でした。

何故、牟田口廉也は戦後、東京裁判で断罪されなかったのか?

恐らく、米国相手でなく英国と戦った将軍で、しかも敗軍の将だったからではないでしょうか。

このように、戦前の陸士、海兵は、最高指揮官が責任を取る「武士」を養成したのではなく、精神論ばかり振りかざして碌な戦略も立てられないアンシャンレジームの貴族のような、いつも安全地帯にいる厚顔無恥な特権階級を養成していたことがよく分かります。

牟田口は若い時からそういう意識が信念として、養成されていたのですから、最後は「部下が無能だったから負けた」と広言し、3万人が死のうが反省する論理がハナからないのです。

それにしても、何とも厄介な信念だこと。

村上世彰という人物

滝の城址

昨日は久しぶりに体調崩しましたが、一日寝たら回復しました。まだ、若いです(笑)。

読了しました村上世彰著「生涯投資家」(文藝春秋)の中で、備忘録として残したいことを引用しときます。

●日本の株式市場の規模は約600兆円。米国の規模は2000兆円で日本の約3.5倍だが、両者とも上場企業の数は2000数百社と変わらない。

●日本の株式市場の比率は、外国人投資家30%、事業法人20%、信託銀行20%、個人20%、生保・損保5%、都銀・地銀5%。

●米国の比率は、個人・投資信託55%、年金15%、外国人投資家15%、ヘッジファンド5%、その他10%。

村上さんは、IRR(内部収益率)、MBO(マネジメントバイアウト)、MSCB(修正条項付新株予約権付社債)、ROE(収益力指標)など専門用語を駆使して、色んな提言をしておりますが、上記の数字を覚えておけば、この本を読んだ甲斐があったというものです。

そもそも、村上さんが2006年に逮捕された容疑は「インサイダー取引」でした。このことについて、本書でも詳しく触れられ「納得いかない」とご本人は弁じ、読者も確かに「この程度のことでインサイダー取引になるなんてかわいそう」という思いにさせられます。

しかし、彼は、容疑を掛けられた取引で幾ら儲けたのか、はっきり書きません。彼は、2億円払って保釈されたようですが、それ以上儲けていたということでしょう。

一部の報道では、彼が儲けたのはインサイダー取引史上最高額の30億円とありました。まあ、村上ファンドは4000億円以上の資金を運用していたといいますから、30億円など端金なんでしょうけどね。

恐らく、彼は、これらの金で保釈後、様々な分野に投資して、資産をさらにさらに膨らませたようです。飲食業、介護業…。中でも一番大きいのは不動産業です。彼はこの本の中で、日本国内は勿論のこと、海外ではシンガポール、インドネシア、ベトナムなど東南アジアを中心に、住宅数千戸を販売し、現在建築中などが一万戸、土地の広さが30万平方メートル、延べ床面積100万平方メートルの物件に投資している、と書いてます。

(ただ、彼は儲けるだけではなく、社会還元のために「村上財団」を設立して、東日本大震災では炊き出しを行ったり、かなり多くのボランティア活動をしていることも書かれていたことは、付け加えておくべきかもしれませんね。)

結論、「資本がなければ生涯どころから最初から投資家になれましぇん」

カーチス・ルメイという歴史に残る人物

終戦記念日が近いということで、昨日のNHKスペシャルは「本土空襲 全記録」をやってました。

アメリカ人は、昭和19年7月にサイパンを陥落させると、本土爆撃を本格化させて、日本がポツダム宣言受諾を発表した昭和20年8月15日までに、日本全国66都市を空襲爆撃して、日本人45万9564人を殺めました。

当初は、神に選ばれた正義の使者の如く、軍事工場や軍事施設のみの空爆でしたが、日が経つうちに「動くもの全て」が攻撃目標となり、市民を巻き込む無差別爆撃に方向転換されました。

爆撃目標もあからさまに、学校や病院、駅舎、鉄道、電車と変わり、女性や子どもを多く含む大量の民間人の犠牲者を産みました。

この有様を爆撃機の底部に装着したガンカメラと呼ばれるカラーの映写機が撮らえて、合理的科学的手法で全記録を保存しておりました。

これは、戦争犯罪ではないんでしょうかね?

アメリカの論理は、女、子どもでも竹槍を持って歯向かってくるから、準軍人扱いでした。これに対してアメリカ人はマシンガンを持ってますが、竹槍は、まるでマシンガンより怖ろしい武器だという見方です。国家総動員法で学生も勤労動員に駆り出されて軍事工場で働いてますから、アメリカに刃向かう敵でした。

本土空襲の最高司令官が、カーチス・ルメイ(1906~90年)という米陸軍航空隊少将でした。

彼については、消えてしまったかつての「渓流斎ブログ」に4~5回書きましたが、もう既になくなったので、何度書いてもいいでしょう。

ルメイは、東京大空襲だけでなく、全土66都市の空爆と、広島・長崎の原子爆弾投下をトルーマン大統領(民主党)の命令(または追認)で、各部隊に指令した最高指揮官でした。

それにしても、何でアメリカ人は、日本の軍事工場や軍事基地の在処を知っていたのでしょうか?

いやあそんなの朝飯前でした。既にスマホのグーグルマップで、日本の全ての地形と市町村を把握しており(そんな馬鹿な!)、人口動態も産業構造も、地産地消も分かっており、日本語ができる日系スパイをあらゆるところに潜り込ませていましたから、最初から全てお見通しで、知らないのは無能な大本営本人だけだったというわけです。

勿論、日本文化も趣味趣向も家元制度も忠臣蔵の仇討ちも熟知し、教育勅語も諳んじてました。

だから、日本の家屋は紙と木で出来たアメリカの邸宅から見れば笑ってしまう玩具みたいな長屋で、ガソリンをばら撒いて火を付ければ直ぐ燃えてしまうか弱いものだということを最初から知っていました。

カーチス・ルメイは、そんなガソリンを混ぜた「焼夷弾」と呼ばれる爆弾を開発し、昭和20年3月の東京大空襲では、10万人以上の無辜の民を焼き殺して英雄となり、勲章を沢山もらいました。日本人から「鬼畜ルメイ」と恐れられ、イギリスからも勲章をもらいました。

戦時中のニュース映画では「一人でも多くのジャップ(日本人に対する侮蔑語)を殺せ」と雄叫びをあげてました。最高司令官とはいえ、まだ38歳という若さですからね。怖いものなしです。戦後になれば、「私は、100万人のアメリカ人の若い兵士を救うために、ジャップを一刻も早く降伏させたかったからだ」と正当性を主張しました。アメリカ国内では、歴史に残る英雄として祝福されました。

悪いジャップを虐殺して、米国民の生命を救ってくれたからです。

ところが、あろうことか、驚くべきことに、被害者であるはずの日本は昭和39年12月、安倍晋三現首相の祖父岸信介の実弟佐藤栄作内閣が、ルメイ将軍が「航空自衛隊の育成に貢献した」として、彼に勲一等旭日大勲章を授与しました。

これは、ローマのカエサル暗殺よりも、フランス革命よりも、世界史に特筆すべき画期的な出来事です。

ローマに敗れたカルタゴも、アレクサンダー大王の軍門に下ったペルシャも、かつての敵に勲章を授与したりはしませんでした。

ルメイに殺戮された日本の無辜の市民はこれで二度も殺されたことになりました。

一度目は敵に、二度目は味方に。

「生涯投資家」を読み始めて

盆栽美術館

スマホ中毒なので、こうして1日も休ませてくれません。

まさに、スマホ依存症なのかもしれませんね。1日我慢できても、3日間、スマホをやらないことはとてもできません。 困ったもんです。

今、文藝春秋が送る話題騒然、沸騰の村上世彰著「生涯投資家」を読み始めましたが、なかなか面白いです。

あのインサイダー取引容疑で逮捕された「村上ファンド」の創業者の回顧談です。著者近影の写真を見て吃驚仰天。あの「物言う株主」として怖いもの知らずで、ブイブイ言わせていた超々やり手の投資家が、今では髪の毛は白くなりすっかり老人になっていました。

70歳代に見えましたが、ちょうど昨日8月11日が誕生日だったようで、まだ58歳の若さです。恐らく、あれから相当苦労と辛酸を舐めたことでしょう。

ま、本書を読むと、そのあらましが書かれています。悪く言えば、自己弁護の塊に見えなくもないのですが、単なる文章を読んだだけではありますが、想像していたような傲岸不遜ではなく、かなり謙虚で反省もしているようで、「コーポレートガバナンス」という自己の信念を最後まで曲げなかったということは大した人物だと思いました。

私は投資はズブの素人ですが、この本を読んで初めて投資家の世界が少し分かったような気がしました。

それは最終的には、人間同士の信頼関係なんですね。

村上氏はお世話になった人を沢山挙げています。一番影響を受けた人物が、「政商」と言われたオリックスの宮内義彦会長。(ああ、あたしも昔、ハワイで待ち伏せして捕まえて話を聞いたことがありました=笑)この他、最終的には迷惑を掛けてしまった福井俊彦・元日銀総裁、藤田田・日本マグドナルド社長、リクルート創業者の江副浩正、セゾングループの堤清二会長、元大本営陸軍参謀の瀬島龍三…といった錚々たる大御所です。

「なるほど、こういう人脈からトップシークレットの情報が取れるのか」と感心しましたが、結局、長続きした人もいれば、一度お話を聞いただけでその後はプッツリ切れてしまった人もいたと正直に書かれていました。

異色だったのが、小池百合子・現都知事です。著者が通産省官僚時代にエジプトで大型プロジェクトを手掛けた際、行きつけのカイロの日本食レストラン「なにわ」のオーナーから「娘がアナウンサーをやっているから会ってほしい」と言われ、日本でお目にかかった人が、今の都知事だったそうです。世の中確かに狭いですね(笑)。

著者は、台湾出身の父親に多大な影響を受けたことなど、出自についても書いていますが、どういうわけか、高校や大学名など一切触れないんですね。神戸の灘中・高校から東大法学部~通産省という超エリートコースだったため、書くのが気が引けたのでしょうか?

まあ、こんなことは彼にとっては瑣末な話なんでしょうね。

とにかく、著者は、投資が好きで好きでたまらないようで、何と小学校3年生で初めて株式投資を始めたというぐらいですから、うまいタイトルを付けたもんだと思いました。