「終わった人」は終わっていなかった人というお話

真夏の夜の夢 Copyright par Duc de Matsuoka

心に浮かぶよしなしごとを書き連ねて半世紀。一昨日の9月8日(金)、東京駅前の新丸ビルにある高級居酒屋「神田新八」で、小学校〜中学校時代の同級生だった三由君と石田君と3人で10年ぶりぐらいに懇親会を開き、昔話と病気自慢の話で花が咲きました。

お店の女の子に勧められるまま、高級魚と「森伊蔵」や「佐藤」とか「魔王」とか注文していたら、あとで眼の玉が飛び出るほどの金額を請求されてしまいました(笑)。

「男は過去の自分に用がある。女は未来の自分に忙しい」という格言があるらしいですが、男の方が案外女々しくて過去の自分に未練があるようです。

「ああしておけばよかった」「あの時、こうしておけば今頃、出世して日々の暮らしに困っていなかったはず」云々…。

とはいえ、あたしの場合は、大病したせいか、もう過去のことに拘りがないんですよね。三由君の場合も、小生よりもっと重い病気で9カ月も入院して会社も休職して散々苦労したので、今を生きる有り難みを感じているようでした。

桃源郷  Copyright par Duc de Matsuoka

彼は、子どもの頃から頭がよかったので記憶力は抜群でした。私が中学に入って、不良の友達と付き合うようになって、ボウリング場やビリヤード場に出入りしたり、タバコを吹いて(当時は吸うこと知らず=笑)、警察に補導されたりして、散々遊んで成績が急降下したこともよく覚えてました。

「タカちゃん(私の子どもの頃の愛称)は、学年でトップクラスだったのにね。平田典子は東京都で1番か2番で特別だったけど、俺とか、石田とか、バチローとか、高橋とか、須田とか、その隙にスイスイと成績上げていったなあ」などと、一応、過去の私を持ち上げてくれました(笑)。

東京都下の田舎の公立中学校でしたが、公務員住宅という団地から通って来る子弟(あたしもそうじゃん)もおり、東京都内でもトップクラスの子どもが多かったようです。考えてみれば、親が大蔵省や外務省や法務省などの役人だったわけですから、大人になれば、その理由は納得できます。

それにしても、思い出してみても、自分の中学生時代は、頭の中に蜘蛛の巣が張った状態で、勉強に手がつかず、おかしな行動ばかりしていました。

それでいて、つまらない自尊心があったので、自分より遥かにできなかった周囲の生徒からドンドン追い越されてしまい、挫折心の塊のような人間になってしまいました。

恐らく、今の捻くれ者の性格は、中学校時代に養われたんでしょうね(笑)。

陽朔 Copyright par Duc de Matsuoka

ということで、2〜3日前から内館牧子著「終わった人」(講談社)を読んでます。2015年9月16日初版。当時、かなり話題のベストセラーとなり、「終わった人」も流行語となり、私もよく使わせてもらってます(笑)。

小説を読むなんて、20年ぶりぐらいです。20年ほど前から、「他人の書く作り物や妄想に付き合っている暇はない」と偉そうに傲岸不遜な人間となり、読むものは、歴史や社会科学やノンフィクションに転向したためでした。

「終わった人」は、脚本家かドラマ作家が書くような小説で(そのままズバリじゃん)、読者が飽きそうになると、色恋ものを入れたり、登場人物が急死したり、現実ではあり得ないことのオンパレード。まるで、テレビドラマを見ている感じでした。

主人公の田代壮介は、盛岡市出身で、名門県立南部高校から東大法学部に入学し、1972年に同校卒業後、国内トップのメガバンク万邦銀行に入行したエリートして設定。49歳で関連会社に出向を命じられ、その会社で専務取締役となり63歳で定年退職して、それからの話がああだこうだと独白調で書かれ、投げだしたくなると、波乱が出てきて、最後まで読ませてしまうのはベテラン作家の力量ってことなんでしょうね。

結局、「終わった人」だと思っていたら、まだまだ、煩悩もあり、最後は、「終わってない人」じゃん、と思わせる小説かもしれません。

あ、批判ばかし並べましたが、IT企業のミャンマー進出の話や熟年離婚の話やら、色々タイムリーな話を盛り込み、あとがきによると、専門家にもかなり取材して書いたようで、ま、よく出来た小説でした。と、付け加えておきます。

築地「かつ平」から空爆を逃れた戦前の街並みへ

築地「かつ平」

東京は銀座と築地と新富町辺りは私のシマなので顔役(笑)として、老舗店舗から細い路地まで知り尽くしていたつもりでしたが、まだまだ修行が足りませんでした。

築地本願寺の裏手に当たる築地6丁目に、池波正太郎がこよなく愛したトンカツ屋「かつ平」があるというので、ランチを食べに行ってきました。

午後1時過ぎだというのに超満員。初めて行くので、壁に貼ってあった「ロースカツランチ」1150円を注文してみました。

待つこと13分。出てきたのはかなり大きめのロースカツ。あとから分かったのですが、ロースカツは脂身が多く、ヒレカツ(1050円)はそれ程でもないということでした。

なるほど、やはり、ロースカツは白身の脂がそのままでしたから、後からちょっと胃がもたれてしまいました。

今度はヒレカツにしてみようかしら。

池波正太郎先生がおススメする店は、銀座の「煉瓦亭」とか「資生堂パーラー」とか、ちょっと高めのお店が多かったのですが、ここは庶民的と言えるかもしれません。

 

この築地本願寺の裏手の6丁目、7丁目辺りは米軍による空襲爆撃を逃れたため、こうして、古い戦前の建物が残っており、一瞬、タイムスリップしたような感じに襲われます。

何故、この辺り、空襲がなかったかといいますと、隣の明石町に聖路加病院があったため、戦後、米軍が占領した時に戦傷者らの治療のために残すべく爆撃を避けたと言われてます。

繁華街の銀座は空襲に遭いましたが、その隣の日比谷界隈にはGHQの置かれた第一生命本社や東京宝塚歌劇場(占領時は、兵士の慰安のためのアニー・パイル劇場に)があったため、態と爆撃せずに残しておいたわけです。

かつての敵国は、日本全土にどんな建物があり、何処に軍事工場があり、何処に学校や病院があるか全て把握した上で、精密機械のように空爆していたことが分かります。

果たして日本は、そこまで把握して、戦後世界をどう築くかまで構想を持って戦争を始めたのか甚だ疑問です。情報戦では最初から負けていたわけです。

服部さんの謎が解けた! 名前のルーツ

桂林 Copyright par Duc de MatsuokaSousumu

御縁があって、よく東京都心の半蔵門会館に行くのですが、ここに来る度に「半蔵門は諸説あるけど、服部半蔵から付けられたんだな」「服部という名前は、何で『はっとり』と読むだろ?『ふくべ』としか読めないのに…」と頭に引っ掛かっていました。

小学校の時にも服部さんがいたので、読み方には抵抗はなかったのですが、何故なのか半世紀以上、自分で調べることなく頭の片隅で引っ掛かっていました(笑)

桂林 Copyright par Duc de MatsuokaSousumu

それが昨晩のNHKの番組「日本人のおなまえ」で、初めて謎が解けました。この番組はたまに見るのですが、本当に眼から鱗が落ちます(笑)。

服部という名前は、もともと機織部(はたおりべ)で、これが訛って(?)はっとりになったんだそうです。

部というのは職業を表す言葉で、古墳時代は日本人の9割ぐらいは、この部が付いていたといいますから、驚きです。

例えば、矢作部(矢を作る職業)、犬養部(宮中を警護する犬を飼う職業)、長谷部(雄略天皇=若長谷王=の身の回りの世話をする)などです。

時代が下って、日本人の名前は「唐風」の二文字が良い、ということで矢作部は矢部に、犬養部は犬養に、(長谷部はそのまんまじゃん)になったそうです。

部が取れたのは、地方豪族が勢力を伸ばしたからという説もありました。

これで、機織部が訛って服部になった理由が少し分かった気がしました。服部の服は衣服のことですから、漢字を当てたのでしょう。機織部は、庶民も着るような服の製作者でしたが、綾部は絹の高級な貴族向けの服を作っていたので、格が上だったのかもしれません。

桂林 Copyright par Duc de MatsuokaSousumu

「日本人のおなまえ」の司会者は毀誉褒貶のある方ですが、内容は面白いです。それなのに、知らない方も多く、先日、半蔵門会館で懇談した佐藤さんも「見たことがない」というので、「佐藤さんは、藤原一族で、左衛門尉の藤原という意味ですよ。伊藤は、伊勢の藤原、加藤は、加賀の藤原、後藤は備後の藤原から来ているのですよ」と番組からの受けおりの話をしたら吃驚されてました。

こんな話をしたら、女の子にモテますよ(爆笑)。

領収書がすべて!だがやな

浜松城

(昨日の続き)

今、税務署に来てます。どんな裁可が下されるのか、この歳になっでドキドキです(笑)。

今朝の新聞で、「遺伝の法則の『優性』『劣性』は今後使わない」という記事が印象的でした。

日本遺伝学会が用語を改訂したらしいのですが、例えば、これまで、「色覚異常」とか「色盲」とか言っていたものを、今後は「色覚多様性」と言い換えるそうですね。

以前にも何回か書きましたが、私の亡父は「色盲」でした。戦争末期に帝国陸軍に志願して、航空隊に配属されましたが、色盲のお陰でパイロットになれず、整備兵となりました。

しかし、万事塞翁が馬。パイロットになっていたら、特攻隊になって散華していたかもしれません。となると、私もこの世に生まれて来なかったし、こんなブログを書いてることはなかったでしょう。

今は、こうして「父は色覚多様性だった」と胸を張って言えますね。

浜松城

そうこうしているうちに、税務署でのマルサ捜査(?)は終わりました。

意外や意外!

私自身、サラリーマン生活を何十年間も続けて、確定申告など一度もやったことがなかったのですか、結論を先に書きますと、経費として控除されるので、「領収書がすべて」だということが分かりました。

とはいえ、私は領収書なんかすぐ捨ててしまいます。よほど大きい買い物をした時は別ですが。

ということで、「原稿料」としての税金を取られるなら、経費として本代やセミナー代やらも入るはずです。しかし、それはもうない。あ、そうだ!iPad を買っていた!これで原稿書いたり、調べものしたりする。ダメモトで、このiPad 代を経費として申告してみました。たまたま領収書が残ってましたからね(笑)。

そしたら、驚き。経費として認められ、何とわずかですが、還付金まで出たのです。この他、前年分もあり、こちらは一つも領収書がないので、まるまる10%の地方税を取られました。今後、延滞金を払わなけらばならない可能性もありますが、生まれて初めての納税交渉は、痛み分けか、あたしの勝ちでしょうかね?(笑)

【教訓】

•給与以外に、20万円以上の雑収入があると、確定申告しなければなりません。

•その際、経費として認められれば、逆に還付金がありますから、領収書は必ずこまめに取っておくこと。

•医療費は、長期療養費還付等を差し引いて10万円以上あれば控除があることを覚えておいてください。

追徴課税の恐怖

気賀のお姫様(本文とは関係ありません)

民進党の前原代表の船出を見てますと、役員人事でゴタゴタがあり、「嗚呼、こんなんじゃ駄目だなぁ」と暗澹たる思いです。

何しろ幹事長に内定していた山尾元政務調査会長とやら。突然、その内定が白紙になった理由は「週刊誌に男性スキャンダルを書かれそうだから」というもの。次元が低いですね。

まあ、党を後ろ足で砂を蹴って出て行った細野氏を始め、民進党には異性スキャンダルには伝統がありますからね。あれっ?皮肉に聞こえましたか?

この民進党の前原代表は「消費税増税」を公言してますから、自民党だろうが、民進党だろうが、誰が首相になろうが所詮同じ。2年後の2019年10月からの10%は確実になりました。

民進党のスキャンダルで、産経と読売が大喜びです。とはいえ、反体制派のフリをしている朝日も、財務省の役人に折伏された著名編集委員さんとやらが、消費税増税の旗振り役として盛んに財政危機を煽って紙面に展開してます。

産経と読売がやるなら分かりますけど、朝日のやり口は汚ないなあ。個人的感想ですけど(笑)。

消費税10%ともなると、私のようなお金持ちは、100万円のキュウリを買うと10万円もの消費税を支払わなければなりません。これは大きい。

先日ニュースになりましたが、消費が全く伸びず、景気回復観がないのは、個人の所得が伸びず、企業の「内部留保」とやらが、昨年は史上最高の400兆円もあったから、らしいですね。これは当たってますよ。

少しでも、馬車馬のように働く社員に還元すれば、消費も伸びるはずですけどね。

※※※※※

ところで、先日、私のところに、市の税務課と名乗る者から急に手紙を寄越して、「御相談があるので、9月×日×時に来てください」と呼びつけられてしまいました。

どうやら、昨年「原稿料」収入が年間30万円ほどあり、市税と県税と合わせて10%の税金を納めていない、と断罪するのです。

ひょっえー、です。

原稿料は、源泉徴収で10%取られてますから、税金はそれで十分だと思ってましたのは、赤坂の夜はふけてです。(古い!ちなみに、若い読者のために、浅はかだった、という意味です)

税務課の説明では、年間20万円以上の原稿料収入があると、サラリーマンでも確定申告しなくてはならないそうな。

あたしの場合は、一昨年の分もあるので、「追徴課税」も取られそう。

嗚呼、もう勘弁してくれい!卓袱台をひっくり返したくなりました。

宝登山神社ご参拝(続 長瀞紀行)

宝登山神社本殿

9月3日(日)午後3時、埼玉県立自然博物館を後にして、宝登山(ほどさん)神社を目指して歩きました。

約2キロの旅程。結構歩きました(笑)。その途中で、名古屋にお住まいの篠田さんから急に電話がありました。

「渓流斎さん、北朝鮮が水爆実験やったの御存知ですか?」

「えっ?今、あたしは長瀞にいるもんで知りませんでした」

「そんなことだろうと思ってましたよ。3時半から記者会見があるようですよ」

「はあ、貴重な情報有難う御座いました」

宝登山神社二の鳥居

途中に踏切がありましたが、大変幸運なことに観光用のSL機関車を見ることができました。

というわけで、程なくして宝登山神社に着きました。

社伝によると、創建は景行天皇41年(西暦111年)というとてもとても古い神社でした。神武天皇らを祀っておりますが、特に防火守護の神様を祀っており、その御利益があるらしいです。

日本武尊を祀る祠

というのは、記紀にも書かれておりますが、景行天皇の皇子日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の際、この辺りに立ち寄り、山頂に向かっていると巨犬が出てきて道案内をしたといいます。

その途中で猛火に遭い、日本武尊が難儀をしていると、巨犬が猛火の中に飛び込んで火を消し止め、そのおかげで、日本武尊は無事頂上へ登ることができたそうです。

この山は「火止(ほど)山」と呼ばれるようになり、時代が下って「宝登山」となったそうです。

また、巨犬は大山祇神の神犬であったことから、防火守護のため火産霊神として社殿が建てられ、このような立派な宝登山神社となったそうです。

宝登山神社本殿

本殿にはこのように、中国の「二十四孝」を題材に取った見事な彫刻を見ることができます。

関東首都圏の神社仏閣を紹介する松長会長主宰の「猫の足あと」には、どういうわけか、この宝登山神社について詳細情報がなかったので、僭越ながら、「渓流斎日乗」に紹介させて頂いた次第です。

家に帰って、北朝鮮の核実験のことが気になっていたので、ラジオの夕方のNHKニュースを聴いたところ、トップニュースは、「タッキー&翼さん、活動を一時休止」でした。

以上

長瀞紀行

御縁がありまして、埼玉県秩父の長瀞に行って参りました。20年振りぐらいでしょうか。

好天に恵まれ、観光客でごった返しておりました。

秩父鉄道長瀞駅から岩畳方面に行く商店街は、ご覧の通り東京の原宿か、夏の軽井沢状態でした。

東京から2時間ぐらいなので、年間270万人以上の観光客が訪れるらしいですね。

8月のNHKの「ブラタモリ」でこの長瀞が取り上げられたせいで、また知名度を上げ、全国から観光客のオンパレード。名物の天然カキ氷だけでなく、大衆食堂も外で行列をなし、何分も何時間も待たされている感じでした。

やはり、何と言ってもNHKの影響力は絶大。全国中継ですからね。新聞もネットも負けますね。

この長瀞は川下りで有名ですが、本来は「日本の地質学発祥の地」なのです。

有名な岩畳も約20万年前の地層が隆起してできたものなんだそうです。長瀞には世界的にも珍しい紅簾石片岩なども簡単に見られますが、私のその方面には暗いので詳しくは説明できません(笑)。

もし、ご興味ある方は、埼玉県立自然の博物館に行かれたらいいと思います。

何しろ、地球の歴史は43億年。歴史学が相手にする人間(現生人類)なんてたかだか1万年程度ですからね。そして、日本人は2000年前すらはっきりと詳しく分かってません。

それに比べ、地質学となると10万年、100万年前など子ども時代で、何億年の単位の歴史を相手にするんですから桁が違います。

5億年ほど前のカンブリア紀に生物がいたのですから全く気が遠くなり、人間の悩みなどちっぽけなもんだと改悛したくなりますよ。

子どもの時にこの博物館を訪れたら、どんなにか楽しかっただろうなあ、と思いました。

日本人の死生観とは?

京都にお住まいの京洛先生は神出鬼没で、月曜日に東京に出て来られ私を含め何人かの親しい方々と懇談行脚されたかと思ったら、いつの間にか盛岡にまで足を伸ばし、盛岡市内の「聖寿寺(しょうじゅじ)」にまで行かれたようでした。

この聖寿寺は、盛岡藩主(南部氏)の菩提寺なのですが、諸般の事情で無住となり、京都は建仁寺僧堂で 修行されていた禅僧が住職になって赴任されたので、顔の広い京洛先生のことですから、そのご住職を訪ねに行かれたのでした。

何しろ、南部藩の菩提寺ですよ。「盛岡五山」の筆頭格に当たる由緒ある古刹なのに、無住になってしまうのですから、他の名の知られていない地方の寂れた寺は、況やをやです。

こういう話は何処の大手マスコミもネットも取り上げないので、ここまで地方(いや都心もそうでしょうが)の有名無名の神社仏閣が荒廃してしまったことを知る人は少ないことでしょう。

京洛先生曰くー。

…聖寿寺は「妙心寺派」のお寺ですが、お坊さんがいないので、本山の妙心寺から、同じ「臨済宗」の別派ですが、建仁寺の本山に「誰か適当な人材がいないか」との懇請があり、「それなら私が行きましょう」と高橋英玄住職が引き受けられたわけです。

同老師は貴人よりも若いですが、お釈迦様の戒律を守って妻帯していません、明治の廃仏毀釈、神仏分離令などによって、仏教界が如何にそれまでに比べて俗化してしまったのか、具体的な話を伺いました。

この背景には、明治維新後、神道を「国教」にしようという事もあり、アウトロー的な僧侶を管理する流れも生まれ、それまで「妻帯、肉食禁止」とともに、お寺の「世襲」は否定されていたのが、事実上容認されてしまった、という事ですね。「世襲」によって、お寺の私有財産化に拍車がかかり、「独身で一代限り」だったのが、妻帯、子供への継承になるわけです。

折口信夫が神道、神職の事務化を批判していますが、仏教界もそれと同じです。むしろ、英玄老師によると、かつての仏教界はむしろそういう事には神道以上に厳しかったそうなのですが…

なるほど。現代宗教の在り方、日本人の死生観は、他人事ではなく誰も逃れることはできません。

 この話を聞いて私も考えさせられました。

映画「関ケ原」は★★☆

今話題沸騰の映画「関ケ原」を観てきました。

どうしたものか、TOHOシネマズ日劇が来年で「店仕舞い」してしまうらしく、「それは大変だ」と思い、遠路遥々、東京・有楽町の日劇で観ることにしました。(恐らく、日比谷に新しくデッカい東宝のビルができるので、映画館はそこに移転するのでしょう。業界は東宝の一人勝ちですからね)

日劇といえば、李香蘭の帰国公演で観客が切符を求めて劇場を3周も囲むほど超満員だったことを思い起こします。あ、歴史の教科書に書いてあっただけですけどね。

 で、肝心の映画ですが、大いに期待し過ぎてコンを詰めて観たせいか、残念ながら期待値には達しませんでした。国民的作家司馬遼太郎の原作をそのまま、原田真人監督が脚本、映像化したせいなのか、関ケ原という天下分け目の歴史的戦いが、司馬遼の物語になってしまった感があり、台詞も聴き取りにくかったです。

あの複雑な人間関係ですから、ある程度の予備知識がないと恐らく理解できないと思いました。

司馬遼太郎の原作はもう40年ぐらい昔に読んだのですっかり忘れてしまいましたが、あんなに沢山のくのいちが出てきたかなあ、訝しく思いました。雇用対策、若い客寄せ戦略…?

合戦シーンは、ほとんどCGを使ってないと思われ、かなりのエキストラも出演して迫力があったので、評価できるのはそれぐらいですかね(苦‏笑)。

歴史にイフはなく、結果は分かってます。あくまでも義を尊ぶ石田三成(岡田准一)の目を通した関ケ原ですから、アンチ家康(役所広司)にはお勧めです。(それにしても、役所の増量ぶりは、ロバート・デニーロも吃驚)

点数は辛口ですが、映画評論家さんのように招待で観ているわけではないので、ご勘弁を。

サッカーW杯、日本代表おめでとう!

She’s a rainbow

昨晩のサッカーW杯最終予選、オーストラリア戦(さいたまスタジアム)、御覧になりましたか?

やりました。日本は来年のロシア大会本戦出場劵を獲得できました。6大会連続出場とはいえ、これまで、最終予選の初戦で敗れた国が本戦出場したことがなく、日本は予選でデカイ豪州には一度も勝ったことがなかったといいますから、本当によくやってくれました。

これでも私は、1980年から84年にかけてサッカー記者でした。当時はまだプロはなく、日本リーグの時代で試合の観客数は指で数えられる程ガラガラでした。

釜本の引退試合を取材したり、当時の日本代表のエースストライカーでドイツのプロチームに電撃移籍した尾崎に会いにビーレフェルトまで行ったことがあります。独占インタビュー記事は、「サッカーダイジェスト」誌に掲載されました!

だから、サッカー観戦はプロとして鍛えられたので、一家言の持ち主になってしまいました(笑)。

試合は選手が行うものですから、監督の采配4割、選手6割が普通だと思っておりましたが、昨日の豪州戦は、ハリルホジッチ監督の采配6割、選手4割と逆転しました。

思い切って若手をスタメンで使い、本田、香川、岡崎といったベテランの大スターを外しました。そして、その若手の21歳の井手口と22歳の浅野が大車輪の活躍で健闘したのですから、監督の采配はドンピシャリでした。

私は特に、井手口に注目しました。今回の日本代表登録選手23人中16人もが海外のチーム所属なのに、井手口はガンバ大阪所属で、代表戦これがわずか3試合目です。それなのに、セットプレーは全て彼に任せられ、運動量も半端でなく、ドリブル突破力もあり、豪州戦の2点目は、相手DF陣のプレッシャーによく耐えて、マラドーナを思い起こさせるような鮮やかなミドルシュートでした。

正直、私は井手口のことをよく知りませんでしたが、福岡市出身なんですね。応援に熱が入りそうです。

一方、勝負の世界は厳しく、いくら実績があるスター選手でも、試合に使ってもらえなければお話になりません。

監督も負ければ解雇が待ってますし、選手も伸るか反るかの勝負に懸けているからこそ、感動させてくれるのですね。

最近は、北朝鮮のミサイル発射などあまりいいニュースがなかったので、久し振りの朗報でした。