京都は今、永観堂と南禅寺の紅葉が見ごろです

南禅寺

だいぶ寒くなってきましたね、渓流斎さん。京洛先生です。

毎日、北関東の集合住宅から「新橋演舞場」にご出仕、ご出勤ご苦労様です。貴方が演舞場の舞台裏で、黒子として大活躍されているのは知る人ぞ知るです(笑)。

永観堂

舞台表で、汗をかく人もいれば、裏舞台でそれをスムーズに進行させるため汗をかく人がいればこそです。「籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草履を作る人」と古来から言われておりますが、世の中、表もあれば裏もあるのです(笑)。

そういう渓流斎さんに比べ、当方は最近、めっきり汗をかく機会が減り、運動不足です。それを解消するため、一日「1万歩」を目標に洛中、洛外を歩き回ることにしています。日々、朝晩の出勤は、そういう意味で、気分転換とメリハリをつけて、健康管理にもなっていると思いますね。

永観堂

そんな京都はそろそろ、紅葉の季節を迎えました。洛外は既に「見ごろ」になっていますが、京都市内の洛中はこれからです。あと1週間くらいすると何処も「見ごろ」になることでしょう。

そんな中、比較的、早くも見ごろになってきた「永観堂」と、色づきはじめた「南禅寺」をまわってきました。

永観堂

永観堂は、古今和歌集でも「秋は紅葉の永観堂」と言われる古くからの紅葉の名所です。

東山の山腹の傾斜地にあり、紅葉の色づきに最適な土地なのでしょう。平安貴族で歌人の藤原関雄が別荘にした場所に、西暦853年(仁寿3年)に、弘法大師の弟子の真紹僧都が、真言密教の道場に永観堂を建立したということです。

その後、鎌倉時代初期に当時の静遍僧都という人が、法然に帰依したため、お寺は真言宗から浄土宗になったわけです。

永観堂

永観堂で、有名なのが「見返り阿弥陀」(重文)で、紅葉の時季には本堂を拝観する見どころになっています。

しかし、写真のように境内の紅葉は、いつ見ても色鮮やかで、観光客が押しかけて、「凄い!見て見て、綺麗ね!」、「超!綺麗」と感激するのはよーく分かります。

永観堂

次に、永観堂から10分ほど、ぶらぶら歩きして着いたのが「南禅寺」です。

南禅寺

こちらは、まだ「色づく」程度で、本堂の紅葉もこれから「見ごろ」を迎えると思いますが、週末でしたので、紅葉見物の観光客でごった返していました。

南禅寺

以上、ご報告まで。

南禅寺

あ、序に、もう一つ、南禅寺らしい景色をお楽しみください。

南禅寺

おしまい。

追悼 山崎朋子先生

スペイン・コルドバ

私淑していたノンフィクション作家の山崎朋子先生が10月31日に亡くなられていたことが、昨日11月16日付毎日新聞朝刊で知りました。

ショックでしたね。亡くなられて半月も経って毎日新聞だけに訃報が掲載されたことと、当然、逸早く知っていなければならない私自身が、何も知らなかったという二重の面で。

そして、既に葬儀も親族で済まされたということでした。

山崎先生は、3年前に御主人である児童文化研究家の上笙一郎氏に先立たれ、都内で一人暮らしでしたが、入院については、よっぽど親しい人か親類の方ぐらいしか連絡されなかったのでしょう。

私は、山崎先生の御自宅には一度だけ伺ったことがあり、住所も電話番号も知っておりますが、まず電話には出られない。こちらから緊急に連絡を取りたい時は、FAXしかありませんでした。

大抵は山崎先生の方からこちらの携帯に電話を掛けて下さいました。年に数回、間隔が空いても半年に一回は律儀に電話を下さるのでした。その時は、大体、山崎先生が30分ぐらい一方的にお話しされ、「では、今度お会いしましょう」ということで、年に数回、銀座や神楽坂や自由ケ丘などでお会いしていたのです。

そう言えば、ジャーナリストの牧久氏と3人でお会いしたこともありました。

◇1995年以来、23年のお付き合い

私が山崎先生に初めてお会いしたのは1995年6月でした。この年は「戦後50年」で、その特別企画として、各界の著名人にお会いして戦後50年経った感想を聞くといったものでした。

私がインタビューを担当した方は、他に俳優の池部良さん(学徒出陣で、乗船した軍艦が米軍の奇襲で沈没し、数時間、流木に捕まって海上を漂流した壮絶な体験の持ち主)らがおりました。実は、作家部門は宇野千代さんを予定してましたが、御高齢ということで断られたため、山崎先生にお願いしたのでした。もし、あの時、宇野千代さんが承諾して下さっていたら、恐らく、山崎先生とお会いすることはなかったでしょう。

山崎先生の代表作は、からゆきさんの悲話を描いて大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した「サンダカン八番娼館」(筑摩書房)で、熊井啓監督により、田中絹代と栗原小巻主演で映画化もされましたが、私は、桜美林大学を創設したクリスチャンの清水安三の不撓不屈の生涯を描いた評伝「朝陽門外の虹」(岩波書店・2003年)の方をかっています。

これは、戦前の中国・北京郊外にあったスラム街で、少女たちに手に職をつけて自立できるように読み書きと手芸などを教育する学校を日本人である清水が、利他精神で設立しながら、敗戦後は無一文で帰国し、悪戦苦闘の末に東京郊外に今度は大学を創設する話です。

◇虐げられた人の味方

山崎先生のスタンスは処女作以来、常に、虐げられた人や弱者に対する同情と温かい思いやりの念が通奏低音のようにあり、この作品もそうでした。

私も人生で色々とあり、何回か引越しているうちに、どういうわけか、山崎先生と一緒に写った写真や、私が地方新聞などに書いた記事や書評が見当たらなくなってしまいました。

ただ、山崎先生は、文筆家ですから、私とやり取りしたかなりの量のハガキや手紙が辛うじて一部残っておりました。中身については、かなりプライベートなことが含まれているので茲では書けませんが、私の問題だけでなく、山崎先生の問題に私の方から助言するといった事案もありました。

もうあの特徴がある筆跡の手紙を頂くことができなくなると思うと哀しくなります。

この《渓流斎日乗》でも数回、山崎朋子先生のことを書いてありますので、一番下の「関連欄」を参照されるか、検索されれば出てくると思います。

◇最後に「先生」と呼ばさせて頂きます

実は、山崎先生は、「先生」と呼ばれることを嫌がってました。いや、それ以上に嫌ってました。「私はそんな偉くありませんから、『山崎さん』にして下さい」と釘を刺されました。

でも、彼女は戦後すぐの数年間、代用教員をしていた経験があり、教え子たちとの同窓会をいつも楽しみにして参加しているという話を何度も聞いてましたから、教え子さんたちからは「先生」と呼ばれていたはずです。

私の筆名の「朋之介」は、山崎朋子先生から一字拝借したもので、山崎先生も「あ、そんなことされるんですか」と一応認めて下さったのでした。

◇さようなら

若い時に大変な苦労をされた山崎先生は、私と会う時は、いつもお元気で、長い足の私と同じくらいの速足で、いつまでも少女のような可愛らしい声だったので、年相応には見えませんでした。

お別れする時に、いつもきちんと言っていた「さようなら」という少女のような声が今でも私の耳の奥に残っています。

でも、本当に「さようなら」になってしまったんですか。やっぱり悲しいですね。何で、山崎先生は、私のような凡人をいつも気に掛けて下さり、お声まで掛けて下さったのか今でも不思議です。

今は、掛け替えのない人を失ってしまった悲しみに打ちひしがれております。

レーザー体温計には吃驚しました

スペイン・コルドバ

私が目下、勤めさせていただいている会社は、有難いことに毎春、定期健康診断を実施してくれます。

それ以外に、年に何回か、歯科検診だの眼圧測定なんかもやってくれます。毎年、この時期になるとインフルエンザの注射も実施してくれます。

私は、もう随分昔ですが、インフルエンザに罹ったことがあり、3日3晩熱にうかされ、1週間も会社を休んだことがあり、これにすっかり懲りて、毎年、予防注射を受けるることにしています。

それなのに、昨年は、申し込みをすることを忘れてしまいました。理由は、今では「検診のお知らせ」などは、紙で回覧されず、社内LANの電子掲示板だけに掲載され、それを見ないで締め切りが過ぎてしまうと、もう受け付けてくれなくなるのです。

昨年、申し込みを忘れてしまいましたが、「まあ、大丈夫だろう」と軽く考えて、受付に行ったところ、「ワクチンが足りないので、申し込みした人に限る」と断られてしまいました。その代わり、社外の病院や診療所で接種した場合、全額ではなく、一部だけ補助するという話になりました。

社内で接種すれば、健康保険でタダで済んだのに、昨年は、社外で受けたので、確か5000円の注射代で、補助が3000円下りて、結局、2000円は個人負担になってしまいました。

という事案が昨年あったので、今年は、春先からインフルエンザの申し込みがないかどうか、目を皿のようにして、「電子掲示板」をチェックし、今年はうまくいき、昨日、予防接種を社内で、委託医療機関によって受けることができたのでした。

スペイン・コルドバ

何で、今日、わざわざ、この話を書いたのかといいますと、吃驚したことがあったからです。

それは、体温測定です。

インフルエンザ予防接種する前、色々と医者の問診があったり、その日の体調が良くないといけないので、体温を測ることがほぼ義務付けられております。

一昨年までは、例の体温計を脇にはさんで測りましたが、体温が確定するまで、なかなか「ピー」と反応してくれず、いつもイライラしておりました。

それが、今年は例の体温計がなかったのです。その代わり、担当の方が、手の平サイズの器具を患者(笑)の額にピッとレーザー光線のようなものを当てるだけで、体温が測れてしまうのです。時間はほんの数秒でした!

これには驚きましたね。どうやら、昨年から導入したらしいのですが、昨年は、ご説明した通り、社内で接種しなかったので、変更されたことを知らなかったのでした。

よく、国際空港に導入されている、重篤な熱病を持っていないかどうかを測るサーモグラフィーを利用したものと考えたらいいのでしょうか。

とにかく、便利になったものです。一昨日の11月14日に書いた「文明衰退論」と、少し矛盾しますが、「必要は発明の母」ではなくて、「便利は発明の母」ということなんでしょうかねえ。

ゴールデン・ステイト・キラー逮捕から色々と考えが及びました

スペイン・コルドバ

3年前に大病してからは、めっきり怖いものが苦手になりました。

ホラー映画なんかとんでもない。遊園地のお化け屋敷やジェットコースターなんて、何でお金を出して、長い列を並んで乗らなければならないのか、神経が知れたもんじゃない、と思うようになりました。殺人事件を扱ったミステリーも絶対読みません。

昔は、結構、好き好んで、見てたり、乗ったりしたもんですから、人間、変わるものです。

テレビもまずは、怖いものは見ませんが、一昨日、たまたま、つけていた民放テレビで米国で40年前に起きた未解決の連続殺人事件の犯人が、今年4月になって、40年ぶりに逮捕されたという番組をやっていて、思わず、長い長いCMの合間をぬって最後まで見てしまいました。

これは、私は全く知りませんでしたが、「ゴールデン・ステイト・キラー」事件と呼ばれ(ゴールデン・ステイトとは、1849年に金鉱が発見されてゴールドラッシュとなった米カリフォルニア州の別名)、1974年から86年にかけて、そのカリフォルニア州で起きた連続暴行強盗殺人事件のことです。13人が殺害され、50人が強姦され、120件の強盗が遭ったと言われながら、犯人は捕まらず、迷宮入りしておりました。

犯人は、他に色んな名称で呼ばれていて、ロサンゼルス出身のH君は「あ、East Area Rapist(東部の強姦魔)なら知っている。彼は捕まったんですかぁ」と驚いてました。

番組では、この事件に興味を持った一人の捜査官が定年間際になるまで執念で20年以上も追いかけ、最後は、実に革命的な捜査方法で、犯人を逮捕するという一部始終を再現ドラマ仕立てでやっておりました。

スペイン・コルドバ

犯人は、Joseph James DeAngelo ジョゼフ・ジェームス・デアンジェロ、72歳。何と、捜査当時は身内の警察官で、事件後もカリフォルニア州に住み続けておりました。それなのに、彼は、警察官の特権を利用して、無実の人間を犯人として偽装したり、自分自身はうまく立ち回ったりしたので、一度も容疑者として浮上していなかったのです。

革命的捜査方法とは、DNA鑑定です。まず、最初に「GEDマッチ」という、自分のDNAがどんな人と一致するのかが分かる米国では有名になったウエッブサイトに、犯人が現場に残したDNAを匿名で投稿します。すると、東海岸に住むある女性が見つかりました。

その女性を手掛かりにして、「家系図」の専門家を動員して、1800年も遡って(本当かなあ?)、何万、何十万という人間の家系図を作り、一人一人に犯人のDNAを一致させます。そんな気の遠くなるような作業を経て、やっと、たった一人、一致する者が見つかったのです。

それがデアンジェロでした。彼は、逮捕前は魚釣りに出かけるほど元気に歩き回っていたのに、裁判になると、急に車椅子に乗って、老年性の認知症を装って罪から逃れようとしておりました。(まだ、判決前なので、確かに、彼はまだ容疑者の段階ですが)。

ただ、一方で、その革命的DNA鑑定捜査については、「プライバシーの侵害」ということで大反対する市民もおりました。

この革命的DNA鑑定捜査で、他に迷宮入りしていた連続殺人事件の犯人が次々と逮捕されていったので、画期的手法だと感心したのですが、何でも、物事には二面性がありますね。確かに、このままでは、プライバシーはなくなってしまいます。

現に、日本では、今ではあらゆる所で、監視カメラが設置されていて、犯人逮捕に大活躍してますが、当然ながら、無辜の民でも、いつでも、当局から監視されているということになりますよね?

国民総背番号(ナンバー)制度の導入によって、個人資産も全て当局に筒抜けになってしまいました。

もう、後戻りできないでしょうね。皆さんも、この事態についてどう思われますか?

文明衰退論または劣化する現代人

スペイン・コルドバ メスキータ

昨日、この《渓流斎日乗》で「軽減税率などおやめになったら如何ですか?」という題で、かなりいい加減なフェイクニュースを書いたところ、早速、熱烈な読者の方から抗議の電報が届きました。

「書くならちゃんと調べましょう。新聞の軽減税率の件には明らかな間違いがあります。軽減税率が適用されるのは週2回以上発行の新聞を定期購読する場合だけで、電子版や一部売りには適用されません。よって、コンビニで買っても新聞店で買っても10%です」。

わ、わ、分かっておりますよ(笑)。ただ単に、針小棒大に事実を捻じ曲げただけで、貴人の仰る通りでござんす。でも、これだけ、フェイクニュースにも関わらず熱心にお読みになっているとは!大変励みになります。有難う御座いました。

スペイン・コルドバ メスキータ

さて、今日は最近、ふつふつと感じている取り止めのないことを書かせて頂きます。

ざっくばらんに言いますと、人類の文明は衰退しつつあるのではないかという大胆な感慨です。

人類の進歩のために、経済効率を図らなければならないことは十分に分かっております。そのために、電気洗濯機や電気掃除機などを発明して家事の負担を軽減したり、自動車や飛行機を発明して飛躍的に移動距離を伸ばすことに成功したりしました。

「必要は発明の母」とはよく言ったものです。

しかし、21世紀になり、これは先進国に限った話ではありますが、とかく、経済効率と便利さだけを追求しただけで、ついに行き詰まりに来ているのではないかと感じているのです。

例えば、最近最も注目されているAI(人工知能)とかロボットとか、自動運転なるものです。

運転手なしで、いつ事故や渋滞があるか分からない公道で、自動運転なんかそれほど必要なんですかねえ、なんて私なんか思ってしまいます。(トラクターを自動運転にして、農作業を軽減するという話なら分かります)

AIも確かに便利ですが、電気を付けたり、消したりするのも、テレビやクーラーの電源を入れたり消したりするのも、何も、AIに命じなくても、自分で立ち上がってすればいいだけの話で、運動にもなると思うんですけどね。

ロボットも、最近、中国でAI搭載のロボット・アナウンサーが登場して、ニュース原稿をよどみなく、間違うこともなく、疲れも知らずに読み上げたらしいのですが、はっきり言って、気持ち悪いですね。そこまで必要なんでしょうか?

何か、21世紀になって進化しているとみられる事柄が、逆に人類を退化させるのではないかと、私なんか危惧しているのです。

(おっ!今日は短くてよかった!)

軽減税率などおやめになったら如何ですか?

スペイン・コルドバ メスキータ

フェイクニュースをお知らせします。

フェイクニュースをお伝えします。

来年10月から消費税率を10%に引き上げますが、軽減税率もまた、同時に導入して8%に据え置きます。

仕組みは、非常に簡単です。

スペイン・コルドバ

コンビニで飲食料品を買った場合、軽減税率が適用されて8%でオッケーよぉ、ですが、コンビニ店内のイートインコーナーで食べた場合、「外食」扱いとなり、10%の消費税となります。コンビニ店外のベンチで食べた場合も同様に「外食」扱いとなり、10%となりますが、そのベンチに「飲食禁止」が明示されて、実際に客が飲食していない実態がある場合は8%でオッケーよぉ、となります。

でも、この「実態」なるものがあいまいなので、警察官が見た場合、と財務省の官僚役人が見た場合に分けて、罰則規定も含めて、警察官は15%、財務官僚は12%とすることに決めようかなあ、なんて、今、考えております。

もう一つ、「お持ち帰り」扱いで8%で飲食料品を買って、店外に出て、ベンチに座った場合、2%の追加料金を徴収しますが、ベンチに全部ではなく、半分だけお尻がかかっていた場合のみ、見逃す事案が全国で頻発するのではないかと推測されております。

勿論、店外で立ったまま、食べていたら、「はしたない」「日本人としていかがなものか」ということで、20%の追徴課税を科そうではないかという案が、さっき浮上しました。

◇お持ち帰りは5分54秒以内

「回転すし」はもっと簡単です。「お持ち帰り」と注文した場合、8%です。残った寿司を捨てるのが忍びないので、残った分を持ち帰った場合でも「外食」と判定され、10%が原則です。しかし、「お持ち帰り」と言っておきながら、待合所で隠れて食べていた事案は、警察官が発見した場合、罰金分を加えて15%を徴収します。一方、店内で「外食」しながら、途中で急に気が変わって、「お持ち帰り」に変更した場合、入店から5分54秒以内でしたら、お持ち帰り分のみ8%が適用される案を多数決で決議することになりました。

なお、この5分54秒というのは、大した意味がなく、口から出任せです。フェイクニュースですから、それぐらいの度量は許されることでしょう(笑)。

 スペイン・コルドバ メスキータ

さて、新聞です。これは、年に数回、ホテルオークラの高級日本料理「山里」などで、時の首相と会食されて懇親を深めていらっしゃる新聞社の偉い方々のおかげで、軽減税率が適用され、8%に据え置かれました。でも、コンビニなんかで、新聞を買ったりすると10%になるので、同じ新聞なのに、何で、新聞店で買うと8%、コンビニだと10%なの、と面倒くさくなるので、一層のこと、真ん中を取って、全部9%にしようじゃないか、と検討中なんだそうです。しかし、これではあまりにも中途半端なので、ガサネタではないかという情報の方が有力です。

最後に、8%と10%の税率が複雑に入り組むスーパーマーケットなどでは、今のシステムではとても処理できませんから、1店舗に付き100万円の出血赤字覚悟の大サービスで、システム更新をやらせて頂こうかと存じます。

非常に分かりやすいですね。これなら誰でも分かります。

スペイン・コルドバ

渓流斎さんは「とっても、分かりにくい。軽減税率など導入するくらいなら、やめちまえ。社会福祉のために消費税を値上げするというのなら、全て、均等に10%にするべきではないか。何が先進国の欧米に倣っただ。馬鹿らしい」と息巻いておりますが、あの人、全く影響力がない人ですからねえ。無視されることでしょう。

以上 フェイクニュースをお伝えしました。

世につれ歌につれ、流行語大賞はすぐ消えていく運命?

スペイン・コルドバ メスキータ

毎年恒例の「流行語大賞」の候補作30件が先日発表されました。

小生は、「ニュースを追う」てゆーか、「ニュースに追われる」最先端のメディアの仕事に従事しておきながら、知らない言葉があったことを、茲で正直に告白しておきます。(悔しい)

特に、「Tik Tok」なんて知りませんでしたね。トーシローさんの投稿動画アプリらしいいですけど、あたしゃ、意地でも見ませんね(笑)。

どうせ忘れられることでしょう。(失礼)

確かに「流行語」ですから、最近、その耐久年数は年々、幾何学級数的に減ってきました。

こないだテレビを見てましたら、1990年の流行語大賞だった「ファジイ」について、若い女子アナが「知らないですぅ」と答えたことには驚きましたね。まあ、そんなもんかもしれませんが…。

これでは、「モボ」「モガ」「ミルクホール」を知らないのは当然のことながら、ナウいヤングのアベックが行く「ゴーゴー喫茶」も「歌声喫茶」も全く何のことかさっぱり分からないでしょうね。

スペイン・コルドバ メスキータ

新聞を読んでいると、1964年の東京オリンピックも、1970年の大阪万国博覧会も「生まれる前のことなので知らない」という世代が増え、今さらながら、自分は随分と歳を取っちまったんだなあ、と暗澹たる思いをしてしまったわけです。

ですから、今日はこれでお終い(笑)。

「おつな寿司セミナー」の歴史

スペイン・コルドバ メスキータ

まあ、何と言いましょうか、昨晩は、ウマズイめんくい村の赤羽村長のお導きで、東京の最北にある某街で、むくつけき若人と言いたいところですが、少し薹が立った素敵な紳士5人が参集しまして、懇親会が開催されました。スウェーデンから一時帰国中のHさんを囲む会という名目でした。

最北の某街とは、作家城山三郎の小説「毎日が日曜日」の舞台となったところです。と言っても、分かんないでしょうね(笑)。

◇おつなの落ち武者たち

さて、むくつけき紳士の交際は、ここ30年、いや40年近くにわたります。2014年に解散した「おつな寿司セミナー」に参加していた人たちです。これは、寿司をつくる講習会ではありません(笑)。東京・渋谷にあった「おつな寿司」の2階で毎月一回、土曜日の夕方に色んな講師を無料で(帰りにお土産として持って帰ってもらう寿司のみの手弁当)お呼びして、その専門分野のお話を伺う勉強会めいた、どんちゃん騒ぎめいた、親睦会みたいなものでした。

昨晩は、元日経の浦田さんが「僕は一番最初に参加したんですよ」と、この会の成り立ちを教えてくれました。母体となったのが、1978年頃、東京都庁の記者クラブに詰めていた若い新聞社や通信社、テレビ局の記者たちが、会社の規模や社格を越えて横のつながりを重視して始めた「独身貴族の会」だというのです。中心人物は、最年長だった京洛先生。何かと理由をこじつけて、若い男女が休みの日にハイキングに行ったりして、「青い山脈」のように青春を謳歌したようです。

東京都庁は、今の新宿ではなく、有楽町にあった時代です。今の国際フォーラム、江戸時代は、土佐藩の上屋敷があった所です。記者クラブには格というか差別がありまして、大手マスコミは「有楽クラブ」、二流のマスコミは「鍛冶橋クラブ」に分かれていました。その垣根を越えて友情を育んだわけです。

当初は4~5人でしたが、それが「三・二会」に発展しました。ファション雑誌の編集者伊地知さんが初代会長、PR会社勤務の小柳さんに事務局役を務めてもらい、都庁記者クラブの記者だけでなく、スポーツ新聞の記者や出版社の編集者なども加わり、15人ぐらいの規模となりました。「三・二会」とは、当時、30代と20代だったからという単純な命名です。

◇誰が来るのか、何人来るのか、それが問題だ

渋谷のおつな寿司で、懇親会を開催するようになったのは1985年だったようです。(間違っていたら訂正します)主宰者の京洛先生の行きつけの店で、店主をたらしこんで(笑)、まんまと月に1回、2階を貸し切りにすることに成功しました。

何しろ、ネットもない、糸電話しかない時代。誰が来るのか分からない。危ない人が来るのかもしれない。そもそも、何人来るか分からない。何本ビールを飲むのか分からない。勝手に冷蔵庫を開けて栓を抜く輩も出て、いつ終わるかも分からない、怪しげな秘密結社のような会ですから、店主もよく貸してくれたものです(笑)。

母体の皆さんはマスコミ記者ですから、取材先で知り合った人たちを講師として呼ぶわけです。その講師たちは気に入れば、次回からは会員として参加するようになり、会員が友人のそのまた友人を呼んだりして、ミイラ取りがミイラになるような感じで色んな業種の人が増えていきました。

作家、画家、テレビ局の敏腕プロデューサーやNHKの専務理事、警察関係、刺青師、パチンコの釘師、大学の学長、著作権を管理する在日フランス人、字幕翻訳家、音楽評論家、出版社の編集長、大手広告会社重役、商社マン、銀行員…何ら会則もなく、会費もなし。どなたでも参加自由で、その場で会計をしてお終い。約30年間続きましたから、講師と会員を含めて1000人近くの人が何らかの形で関わったと思います。時代小説の大家となった加藤廣さんのように有名になった方もいますし、既に鬼籍に入られた方も多数おります。

私自身は、渋谷区神南のNHK放送センターの11階にあった「ラジオ・テレビ記者会」に所属していた1990年に京洛先生と知り合い、それからずっと参加してきました。その間、私も、自分自身が講師を務めたり、総計30人以上の方に講師をお願いしたりしました。渋谷のおつな寿司は、閉店したため、その後、会場は内幸町の日本プレスセンターに移りましたが、どこか、「身綺麗」になってしまい、渋谷時代のように、酔った勢いで大喧嘩する人や、管を巻く人もいなくなり、何か、紳士的になってしまい、程なくして解散してしまいました。

◇読売批判で顔向けできず

昨晩は、そのおつな寿司セミナーの「残党」が集まり、ああでもない、こうでもない談義でしたが、元読売新聞の鈴木嘉一氏は「せっかく、あれだけ色んな講師が来て、凄いメンバーが集まったわけだから、記録して後世に残すべきではないかなあ。それが主宰者の後藤さんの仕事です」と強調しておりました。

確かに、私が上記したこともあやふやな記憶に基づいて書いたものなので、正確ではありませんからね(苦笑)。

それにしても、昨晩は、最近、数々の著作を発表し続けている多忙な鈴木氏がお見えになるとは夢にも思っておりませんでした。この《渓流斎日乗》で、読売新聞のことを「御用新聞」だの、「安倍政権の政党機関紙」などと、さんざん批判というか悪態をついてきたので、「合わす顔」がなかったからでした。

でも、鈴木氏は「うん、でも、読売の経済面は良いと褒めてくれてたから、バランスが取れてますよ」と逆にお褒めに預かってしまいました(笑)。わー、何だあ、随分隅から隅まで、よく読まれていたんですねえ。驚きでした。

◇節操ないので宜しくお願い申し上げます

危ない、危ない。これからは注意して書いていかなければなりませんね。ですから、明らかな間違いや記憶違いが御座いましたら、ご連絡頂ければ、すぐ訂正致します。

私自身、信念やら信条やらもなく、優柔不断で、いい加減で、節操ありませんから、と皆様を煙に巻いておきまする(笑)。

極右政党が勢力拡大=いまだ統一されていない?東西ドイツ

スペイン・コルドバ メスキータ

今からちょうど29年前の1989年11月9日にベルリンの壁が崩壊し、翌90年10月3日に東西ドイツが統一されました。

めでたし、めでたし。多くの日本人はそう思っておりました。

何しろ、ドイツ人は勤勉で、メルセデス、ポルシェ等自動車の基幹産業があり、経済基盤は磐石で、欧州経済を牽引する「EUの雄」であります。共通通貨ユーロを創設して、「マルク安」の恩恵を受け、ドイツの独り勝ちの様相さえ呈しておりました。

ところが、先月10月の地方選挙で、メルケル首相率いるキリスト教民主同盟(CDU)が大敗を喫し、メルケルさんは、今年12月の党首選に出馬せず、2021年の任期満了をもって首相の職を退くことを表明しました。

◇極右政党の伸長

同地方選では、中道派が有権者の支持を失う一方、「反移民」を訴える極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」や左派「緑の党」が支持を伸ばしました。

特に、旧東ドイツでは極右のAfDが伸長しました。何故なのか?11月7日付ニューヨークタイムズが「いまだ統一されていない東西ドイツ」(意訳:原題は、 A nation still at odds)というタイトルで、その理由になるような話題を取り上げてくれました。日本の新聞ではなかなか読めません。

◇フランク・デーメル氏、57歳、職なし、地位なし、妻もなし

焦点が当てられたのは、日本人の誰も知らないチェコ国境に近いエベルスバッハという小さな町です。日本人なら知っているドレスデンの南東に位置しています。主人公はフランク・デーメル氏、57歳。29年前に、共産党政権に対して自由と民主主義を求めて街角でデモ行進していた彼は、今では極右政党の応援のために同じ街角に立っています。

「あれから、およそ30年の歳月が流れ、確かに自由と民主主義は手にいれたが、彼は何もかも失っていた。仕事も地位も祖国も、そして妻もー。妻は西側に出稼ぎに行って、二度と帰って来なかったのだ」ーという壮絶な話からこの記事は始まります。

デーメル氏は、東ドイツ出身のメルケル首相(生まれはハンブルク)のことを「裏切り者」と糾弾します。同首相は2015年に「移民政策」に転換して、100万人以上の移民を受け入れます。デーメル氏は「望んでもいやしないのに、我々旧東独人は、旧西独人、移民に後塵を排して三等国民になってしまった」と嘆くのです。エベルスバッハの基幹産業だった繊維工業は斜陽となり、1989年以降、人口は半減します。多くの学校が閉鎖され、鉄道サービスも縮小されます。エベルスバッハはその後、隣のノイゲルスドルフと市町村合併せざるを得なくなりました。

◇自立心旺盛な旧東独女性

ベルリンの壁崩壊以後、旧東独の人口は全体で10%減少します。その3分の2は女性でした。共産党政権の政策により、女性が自立できるよう、より高い教育を受けさせたり、職業訓練をしたため、旧東独では女性の方が男性より自立心が旺盛だったのです。

◇結婚できない!

その結果、旧東独でどうなったかといいますと、特に若い女性が西側に移住し、結婚適齢期の若い男女比の格差が広がりました。15年の統計では、旧東独の20~40歳全体で、男性10人に対して女性は9人ですが、小さな村になればなるほど人口格差は広がります。ポーランド国境に近いヴァイスケイセルは、5人の男性に対して女性は3人。グラウビッツという村は、4人の男性に対して女性は1人しかいないというのです。嗚呼、これでは結婚もできませんね。

◇治安悪化が極右支持に?

しかも、最近では職がない外国の不良移民から市民が恐喝されたり、殺害されたりする事件も起きたりして治安も悪化しているというのです。それが、デーメル氏のような市民を極右政党支持に駆り立てている要因になっていることは間違いないでしょう。ベルリンの壁崩壊以降、ドイツは、バラ色の世界が広がるかと思っていたのに、これでは逆行です。

何処の国も大変なんですね。日本の近未来にならなければいいと危惧しているのは私だけでしょうか。

奈良国博の「正倉院展」と興福寺は大賑わい

お久しぶりです、大和先生です。

先月10月27日から始まった奈良国立博物館の第70回「正倉院展」は、例年通り大変な賑わいです。

会期は今月12日までですが、おそらく今週末は、紅葉見物も重なりえらい混雑をすると思い、今日(7日)午後、会場を覗いてきましたが、10分程度並んでスイスイ入場できました。

それでもやはり館内はえらい混雑でしたね。

いつもながら、館内の写真撮影は出来ませんので、肝心の展示物は、NHKテレビの美術番組や「読売新聞」(特別協力)紙上でご覧になるとよいでしょう。いつもながら、陳列品で人気のあるのは色艶やかな宝物です。色のついた宝物の前は人だかりで、案内人が「後の方もご覧になるので、スムースに前に進んでください!」といくら言っても、じっと動かず、どうにもなりませんね。

逆に、地味な、文書類の展示品の前は人だかりは少なく、空いていて割とゆっくり見られました。大衆は「色物」に弱いことがよく分かります(笑)。

いくつか、注目されている宝物の中で、緑色に白い斑点、黄色の十字の文様の陶製の「磁鼓(じこ)」の前は、やはり人だかりが多かったですね。奈良時代に奈良で作られた「奈良三彩」と呼ばれる「鼓(つつみ)」です。当時、両側に革を張って使っていたと言われていますが、どんな音なのか聞きたくなりました。

また、朝鮮半島の民族楽器「新羅琴(しらぎこと)」も出ていました。こちらは、伽耶の国で作られた琴ですが、弦は12本、これまた、当時の貴族で、歌舞音曲の腕達者が優雅に奏でていたのだと思います。

平成最後の「正倉院展」ですが、今年は南倉(東大寺の儀式関係品)、中倉(役所の書類、武器など)、北倉(聖武天皇、光明皇后皇后の遺品)の三倉から、宝物56件が出展されています。

同じ奈良公園のそばの「興福寺」は10月7日から11日まで「中金堂落慶法要」が終わったところですが、こちらも特別公開されていて、平日ながら、拝観者で賑わっています。

藤原不比等が710年(和銅3年)に建立、その後7回も焼失、再建を繰り返してきましたが、江戸時代の文政2年(1819年)からは仮堂でしのいできて、今年10月、301年ぶりに再建されたわけです。

以上 大和先生でした。

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