クールベ展 

今日は、帯広美術館に「クールベ展」を見に行きました。

そう、印象派の先駆者、美術史でいえば「写実派」のギュスターヴ・クールベです。

オルナンのクールベの生家を改造した「クールベ美術館」所蔵作品が中心で、代表作の「オルナンの埋葬」や「まどろみ」「こんにちは、クールベさん」などはなかったのですが、いくつか発見がありました。

クールベは、1819年にスイス国境に近いフランス東部の小村オルナンの地主の家に生まれ、父親の法曹界に進んで活躍してほしいという願いに反発してパリに出て、独学で絵画を習得します。

彼の業績の特筆すべきことは、これまで、絵画といえば、歴史や神話や聖書に題材をとり、室内のアトリエに閉じこもって描くものだった芸術を、一般庶民を写実的に描き、キャンバスと絵の具を背中にしょって、戸外に写生に出かけていったという今からみれば当たり前のことを彼が始めたということです。

印象派の先駆者というのも、若き無名のモネを経済的に援助しただけではなく、その画風も、芸術家としての心構えも、まさしく印象派につながっていったのです。

今回の展覧会で初めて知ったのは、まだ、この時代でも、レンブラントやルーベンスのような「工房」があったということです。「巨匠」となったクールベを慕って、全国からクールベに弟子入りする画家が増え、クールベ自身は、最後の「点睛」を描いてサインを書くぐらいで、晩年は仕事を弟子たちに任せていたのです。

ケルビノ・パタ、フランソワ・ルイ=フランセ、アレクサンドル・ラパンらの弟子たちは、今ではすっかり忘れ去られてしまいましたが、今回、彼らの作品も目にすることが出来ました。

クールベは1877年に58歳で亡くなっていますが、スイスで亡命生活を送っていた時でした。1871年のあのパリ・コミューンにクールベも参加して、6ヶ月間も牢獄に入っていたのですね。芸術活動をしながらの政治運動は当時としてはかなりの勇気が必要としたことでしょう。

今回、1874年作の「シヨン城」がとっても気に入りました。
後で分かったのですが、この絵はクールベ展のパンフレットの表紙を飾っていました。要するに「目玉」だったのです。自分の鑑識眼に自信を持ってしまいました。

カミーユ・クロデール

彫刻家ロダンの弟子、カミーユ・クロデールについて、最近、興味を持っています。

映画「カミーユ」に、私の大好きなイザベル・アジャーニが主演しているので、早速、蔦屋でビデオを借りてきて見てみました。

恐らく、美術史をひっくり返すほどの発見かもしれませんが、ロダンより、カミーユの方が才能があったかもしれません。

私自身、30年以上昔に、フランス文学をかじったことがあり、ポール・クロデールについては、戦前日本のフランス大使として、6代目菊五郎や15代目市村羽佐衛門にも会って、日本の伝統芸術に関して理解と認識を持っている詩人だと、理解していましたが、彼がそのカミーユの実弟だということをすっかり忘れていました。

しかも、私の卒論のテーマに登場する作曲家ドビュッシーまで、映画に出てくるので、これはさすがに、「作り物」というわざとらしさを感じて白けてしまいましたが、20世紀初頭のパリの風俗が如実に再現されていて、また、パリに行きたいと思ってしまいました。

もしかしたら、私は、パリジャンの生まれ変わりじゃないか錯覚してしまった次第です。

佐山君への手紙

私の友人、佐山康彦君(仮名)は営業マンです。
仕事では、得意先から解約の通知が毎日のように押し寄せ、家庭でも妻と娘からすっかり見放され、家庭内別居状態です。
何もかも、すべてうまくいかず、人生のどん底の悲哀に浸りきっている時、彼はHさんから手紙をもらいました。

先日、私もそのHさんの手紙を、彼からちょっとみせてもらいました。

そこにはこう書かれていました。

「今日という日、一日を生き切ればいいのです。
結果は追わなくていいのです。
自分自身を認めてあげればいいのです。
周りを価値観の基準にするから悩むのです。
もう、社会だの、先生だの、親だのと、誰かのせいにできないでしょう?

会社があなたに何をしてくれましたか?
仕事は自分自身が納得するまでやりきればいいのです。

要するに、自分自身を幸せにするしかないのです。

せっかく生まれてきたのですから、人生を楽しむべきなのです。

佐山さんは、健康に恵まれ、大病して後遺症を抱えているわけではないでしょう?
矢沢永吉さんのように莫大な借金を抱えたわけでもないでしょう?

ないものねだりなのです。

自分自身にあるものを見つめてください。

佐山さんには才能があるのです。

それを信じて生きてください。

もし、佐山さんの悩みが今の「仕事」と「家庭」なら、その二つともなくなったら、悩みは解決しますか?

それをもう一度考えてください。

その二つともなくなっても、つまり、今の仕事と家庭を変えたとしても、また同じことの繰り返しでしょう。

要するに、人間は自分自身を幸せにする以外に責任を持たなくていいのです。

以上、多少、生意気なことを書いてしまいました。

この手紙を何回か、繰り返し読んでくだされば、少しはわたしの言いたいことを理解してくれるのではないでしょうか。

寒い季節がやってきました。お体を大切にしてください。」