天からのメッセージ パート3 

今日は、あまり書くことがないので、またまた、東京に住む友人が受けた天からのメッセージについて書きます。

友人はここ一週間、メッセージが降りてこなかったそうですが、一昨日と昨日、立て続けに発信を感じたそうです。

一昨日は、「自信を持ちなさい」でした。

それは、明け方でした。これまでは、眠りに着くか着かないうちに、感じていたのですが、最近では、目が覚める明け方にメッセージを受けることが多くなったそうです。

彼は、思わず聞き返しました。
「自信を持つとはどういうことですか?」

すると、天はこう答えました。
「自信を持つとは、文字通り、自分を信じるということです」

昨日のメッセージは、簡易明瞭でした。

「焦らない」
でした。

友人には、環境の変化が差し迫っているようです。

映画「有頂天ホテル」は不合格

音更町鈴蘭公園

三谷幸喜監督の映画「有頂天ホテル」見ました。

天才・三谷の話題作ということで、期待して見たのですが、感想は「残念賞」でした。

やはり、彼は舞台作家の域を全く出ていませんでした。

天は二物を与えずと言いますが、やはり、彼の才能は舞台止まりでした。映像は不合格です。

「有頂天ホテル」は、学芸会でした。舞台演技のわざとらしさばかり目立って、喜劇だというのに、全く笑えませんでした。むしろ、怒ってしまいました。例えば、川平慈英の演技。例えば、西田敏行。例えば、唐沢寿明。例えば、YOU。例えば、香取慎吾。非常に臭い芝居で、ワザとらしく、鳥肌が立つくらい白々しいのです。

これが、舞台なら、まだ許せるのですが、映像で、そんな演技をしてしまっては身もふたもありません。

唯一の救いは、例えば、松たか子の自然な演技です。主人公の役所行司も、芸達者だけに、ほんの少しだけ許せます。

戸田恵子は、半分の人は許せるかな、といった感じです。

これが、三谷君の限界でしょう。

喜劇で人を怒らせてしまっては、お仕舞いでしょう。

森の哲人、危機一髪

このブログで何度でも紹介している森の哲人のおじじが、何と2度も生死の境目に遭ったそうです。昨日、送られてきた「森の子どもの村つうしん」3月15号で初めて知りました。

最初は、1月14日。あの帯広で懇話会を行った後の帰り。糠平温泉を過ぎた急カーブで、ワゴン車と接触する交通事故を起こしてしまった。無傷で済んだのは不幸中の幸いでした。先方の不注意のようですが、あと30センチずれていたら大事故で、あの世に行っていたかもしれない、とおじじは振り返ります。

2度目は、1月21日。仕事部屋にしている自分で建てた掘っ立て小屋と隣のおばばの工房が全焼してしまったそうです。偶然、早朝4時半に目覚めて、ストーブの火が移ったのか、部屋の隅が燃えているのに気がついたのです。音や匂いで目覚めたわけではなかったそうです。熟睡していて、あと、30分遅く目が覚めていたら「ゾッとする」とおじじは書いていました。
預金通帳はギリギリ持ち出したものの、おじじの大切な資料や住所録などはすべて燃えてしまったそうです。

「森の子どもの村つうしん」を読みたい方、おじじに励ましのお手紙を書きたい方は、以下まで問い合わせてください。

〒099-5613
北海道紋別郡滝上町滝西

℡&fax 015829-4153

郵便振替口座 02860-1-11123 ひまわり文庫

不安解消法

質問
「毎日、生きているだけで不安でしょうがありません。何か解決できる道はあるのでしょうか」

回答
「不安や恐れは過去から来るもので、今にあるものではないことを再認識することが一番大切です。不安や怖れは、今にはないのです。だからこそ、自分自身が今、ここにいることを知ることです。今ここにしかいないことを知ることです。オリンピックの選手が素晴らしいレースや演技をするのは、「今」「ここに」自分自身のすべての精神を集中するからです。
例えば、100ある力のうち、20を未来に、20を過去に意識を集中したりすると、今に60しか力を発揮することができません。
何よりも、生きていく上で、集中とリラックスが必要です。
自分が一番リラックスするためには何をするのか、本人が一番よく知っているはずです。
そこからずれないこと。そうすれば、自ずと、成功と幸せが舞い込んできます」

私は放っておけないタイプなのか?

音更町鈴蘭公園

夜、仕事が終わって、軽い運動をしようと、初めて帯広市民体育館に行って見ました。1回160円で使い放題です。

しかし、この年になると、もう体は言うことを聞いてくれません。ウンテーをやっても、一歩も進めません。体が曲がらず、走るとすぐゼイゼイと息が切れる始末。バスケットボールをしても、ジャンプができず、籠に玉が入りましぇん。

そういう状態で、ふと入り込んだウエートトレーニングの部屋。機械の操作をわけも分からず一人でやっていたところ、その部屋の主みたいなおじさんが私に近寄ってきて「これは、こういう風にやるんだよ」とご親切にも丁寧に教えてくれました。

興が乗ったおじさんはそのうち「もっと、脇をしめて」「そうじゃなくて、腕は直角に…」と、こちらが頼んでもいないのに、真顔で、一切の冗談も通じないような感じで、眼鏡の奥の瞳をキラリと光らせて導いてくれました。怒っているわけではありませんが、ニコリともしません。まるで、修行僧のようでした。

「はい、わかりました、先生。こんな感じでいいでしょうか?」。私は笑いをかみ殺しながら、只管、低姿勢に初対面のこのおじさんに頭を下げました。

それにしても、50男を指導したり、指図したりする有様は本当に滑稽です。

こちらも、普段は教えられる立場ではないのですが、若作りなので、どうも放っておけないタイプに見えたのでしょうか。後で、自分で大笑いしてしまいました。

そういえば、昔、韓国の釜山に行った時、地下鉄に乗って座っていたら、急に前の座席に座っていたおじさんが、私の顔をじーーーーと見つめて、韓国語で何か話しかけてきました。

隣の通訳の人に通訳してもらったところ、「あなたの目が素晴らしい。大物になるタイプだ。将来、どでかい仕事をする人だ」と言っているとのことでした。そのおじさんも50がらみのどこにでもいそうな至極真面目な感じの人でした。何かに取りつかれたとか、頭がおかしいというような感じではありませんでした。

やっぱり、私は放っておけないタイプなのでしょうか?

物はいらない

音更町鈴蘭公園

 

事情があって、目下、身辺整理をしております。すると、もうあまり使わなくなった不用の物が出てくるわ、出てくるわ…。

 

「これはお金になる」と喜び勇んで、リサイクルショップに持ち込んだのが、ゴルフクラブとシューズ。もう20年前の代物だが、当時、16万円はしたはずだし、「しめしめ3千円也かな」と皮算用。あとは、一万円で買った絨毯と、あとはノーブランドのバッグと傘3本。すべて合わせて7千円!と踏んでみました。

 

「これで美味しい中華料理のフルコースでも食べよう」とワクワクしながら、待つこと30分。そう、この店にはひっきりなしにお客さんが物を売りに来るので、売る人が長蛇の列を作っていました。

 

あと、今回初めて知ったのですが、PSEマークという経済産業省が管理しているマークがあって、このマークがないと、来月4月1日から中古の家電製品などを売ったり買ったりできなくなるそうです。PSEは、Product Safety, Electrical Appliance and Materials の略。もう3年前から施行されているようですが、私は地元の十勝毎日新聞に載っていた記事で初めて知りました。知らなかったのは私だけではなく、あるリサイクルショップのオーナーでさえ、「そんな法律は知らなかった。ウチにあるものはすべてガラクタになってしまう」という嘆かわしいコメントが載っていました。

 

さて、先程の話の続きです。取らぬ狸の皮算用とは、よく言ったもので、結局、何1つも引き取ってもらえませんでした。

 

結局、後生大事に持っていたものは、ゴミだったと分かったのです。大笑いです。

 

今のご時世ですから、後日こちらかお金を払って、引き取ってもらうしかありません!

 

今日の経験で得た教訓ー。

 

1、物は買った瞬間、金銭的価値はゼロになる。(物の価値は精神的なものだったのです)

 

2、過去にしばられてはいけない。すぐ手放さなければならない。

 

3、物はいらない。

 

以上

現実は自分が作る

プライベートな話なので、あまり詳しく書けませんが、名前は小嶋悟君と仮名にします。

小嶋君は、ある地方紙の新聞記者です。しかし、ある事がきっかけで、軽い鬱症状になってしまいました。

新聞の署名記事を読むと彼はなかなか優秀な記者だということが分かります。

身長は185センチくらい、体重も80キロ以上あると思われます。かなり大柄です。しかし、見かけとは違って、かなり傷つきやすい繊細な心の持ち主です。

ご存知の通り、新聞記者の仕事はかなりハードです。時間も不規則ですし、獲物(ニュース)を得るためには、まさしく火の中水の中に飛び込むほどの勇気が必要とされます。当然、かなり、ストレスがあります。新聞記者も人間です。くつろげる安心できる家庭があれば、リラックスできて、また明日も頑張ろうという気になります。

しかし、小嶋君の場合、仕事のストレスと同時に家庭内不和を招いてしまったのです。彼の一方的な見方からすると、「奥さんに理解がない」ということでした。奥さんとは同い年で、8年間の付き合いの末、1年半前にゴールインしたのですが、結婚して初めてお互いに価値観が違うということが分かったというのです。小嶋君の父親は獣医で、ほとんど休みがなく不規則な生活を送っていましたが、奥さんの父親は大学教授で、午後5時過ぎれば、かなり自由時間を持つことができる立場の人でした。

結局、彼は会社を3ヶ月間休職し、勤務評定も5段階の最低ランクの「E」を付けられてしまいました。

そこで、私は、このブログに散々書いてきたことを彼に話し始めました。

カエサルも言ったように、「人は見たいものしか見ない」んですよ。例えば、この通りにはサラ金の看板で溢れていますが、お金に困っていなければ、そんな看板に気づかない。お金に困っている人は、気になってしょうがない。

だから、現実は自分が思ったとおりに作ってしまう。自分は駄目だと思えば、駄目な人間になるし、自分は運がなくて不幸だと思えば、不幸になる。問題は自分が作っているのであって、見方や考え方や意識を変えれば、問題も問題でなくなってくる。

そのようなことを、彼に話したのです。

すると、彼は子供のように、目頭を熱くして、滂沱の涙を流すのです。

「それでいいんだよ。自分を許すことです。もう突っ張ることはないんだよ。僕にも経験があるから君の気持ちが十分分かるよ」

彼にそう言いましたが、結局自分にも言い聞かせている感じでした。

このブログも何か人のために役立った気がしたのでした。

右を向いて歩こう

ある人から聞いた話ですが、左を向きながら考えることは、過去を振り返ることになるそうです。

左が過去なら、右は将来です。右を見ながら物を考えることは、将来を見据えることになるそうです。

そういえば、これまで半世紀生きてきて、何かを考えたり、人にインタビューした際に何かを思い出したりした時、決まって左を向いていました。まあ、忘れたことを思い出したりしたわけですから、左を向いて思い出すのは自然だったのかもしれません。

これから、過去の栄光(?)を捨てて、未来に向かって生きようと決心しました。

早速、何か考えようとした時、右を向こうとしたのですが、骨が固まっていて、首を右に傾けるだけでも苦痛です。左向きは楽々できるのですが…。

長年の習慣がそうさせるのでしょうね。

これから右を向いて歩くことにしました。

「月のつぶやき」

 

脳に障害を持って生まれた日木流奈(ひき・るな)君の著作「月のつぶやき」を読んでいます。

 

10歳になるかならないかの若さで人生を悟ってしまった感じで、末恐ろしい才能を感じます。まさに、ジャン・コクトーの言うアンファン・テリブルです。

 

この本の中に次のような一節があります。

 

「あなたはまず、自分自身の今の状態が全て完璧であることを知るのです。

 

たくさんの出来事、たくさんの思いを経て今のあなたができたのですから。

 

そこに言い訳や正当化や評価を持たせず、ただすべてを受け入れるのです。

 

すべてはそこから始まる気がします。

 

自分が特別だと思ったり、何か役割があるという使命感に燃えたりしても、何の役にも立たない自己満足であることを知らなければなりません。

 

使命感なども持たなくても、みんなその役目を十分に果たしているのですから」

 

うーん、どこかで聞いたような話でした。。。

因果応報 

人は自分の思い通りには動きません。だから、他人をどうこう説得しても無駄です。それがたとえ家族であっても。

「話し合えばわかる」ことなど万に一つしかありません。

人を動かしたかったら、自分が変わるしかありません。見方や考え方を変えるだけでもいいのです。

すると、不思議と相手も変わるのです。

しかし、実は相手が変わったというのは、そう見えるだけなのです。頑固な相手は何一つ変わっていません。

でも、それでいいのです。自分の考え方を変えることによって、相手に対する思いやりも生まれ、相手に対する不満も怒りもどうでもよくなってしまうのです。

だから、人を怨めば、7倍になって跳ね返ってきます。人は自分のことをよく思っていない人に対して、どうして無償の愛を注ぐことができるでしょうか。

人を呪えば、相手からも数倍の力で呪われるのです。あなたが正当だと思っている恨みでさえも、相手にとっては、単なる嫌がらせか独りよがりな言いがかりとしか捉えないわけですから、その卑劣さに対して、相手も応酬する権利があるからです。

嫌な相手でも、1つくらい長所があるはずです。

そのたった1つの長所に神経を集中して好意を持ってください。

すると、不思議と相手からも好意が100倍になって返ってきます。