ジョン・レノン「PEACE BED」

誰も遊んでくんないので、一人で、六本木ヒルズにまで遠征し、ジョン・レノンの映画「PEACE BED」を見に行ってきました。

ビートルズ・フリークを自称していますからね。見ないと話になりません。

TOHO CINEMASは、わずか、123席の小劇場が6個くらいある映画館でした。初めて行きました。月曜の昼間なので、さすがに空いていました。土日も仕事をしなければならない職業ですが、平日休めるので、「役得」「です。

「PEACE BED」は、原題を訳すと「アメリカ合衆国VSジョン・レノン」。決闘みたいなタイトルですが、こちらの方が映画の内容に近いです。何しろ、戦争をやっている国に対して、公然と「戦争するな」と反政府活動をするのですから。元FBIの捜査官が、当時を回想して「アメリカ人の若者がレコードを買ってくれるから、儲けているのに、アメリカにまで来て非合法活動するなんてもってのほかだ」と発言していました。

今は私も年取ったせいなのか、この体制維持派の発言も分かりますね。ジョンは目の上のタンコブでした。

当局は、徹底的にジョンをマークします。尾行、電話盗聴…挙句の果てには、過去の麻薬使用の前科をタテに、ビザを再発行せず、国外追放を画策します。

私は当時、高校生か大学生くらいでしたので、同時代人として、同時進行としてニュースに接してきましたが、このように映画化されて、過去の歴史のように扱われると、やはり感慨深いものがあります。もう30年以上昔の話ですからね!

面白かったのは、FBIかCIAの元捜査官が「ミック・ジャガーなら単なる不良の金持ちだが、ジョン・レノンは危険人物だ」と発言していたことです。ニューヨーク定住を決めたジョンは、ボビー・シールズやアンジェラ・デイヴイスといった当時、当局のブラックリストに載っていた極左活動家と親交を持ち、ヴェトナム戦争反対などのデモに積極的に参加します。

極左活動家といっても、まだ、生きているんですね。昔を回想してインタビューされていましたから。当然かもしれませんが…。今、米国は戦時体制なのですが、活動家による「イラク戦争反対」のデモなどのニュースは聞きません。大学生も保守的になったのか、ITで金儲けするのに必死なのか、あの60年代、70年代に盛り上がった反体制運動はほとんど聞こえてきません。

そういう時代だったのでしょうか。ニール・ヤングの「オハイオ」も、オハイオ州立か市立大学のデモで警官に射殺された学生のことを歌っていました。バッフィー・セントメリーの歌ったテーマソングで有名になった「いちご白書」も学生運動の話でした。
政治の季節だったのでしょうね。

とにかく、ジョン・レノンは信念の人でした。革命といっても、暴力には大反対でした。ガンジーの無抵抗主義の影響があったようです。「レボルーション」も「平和を我らに」もかなり政治的なアジテーションの意味が込められていたんですね。この映画で再確認しました。

ニューヨーク・タイムズの敏腕の女性記者から「あなたはアイドルだったのに、何で今、こんな政治活動するの?」と聞かれたジョンは「君はあの『ア・ハードデイズ・ナイト』の頃の僕のことを言っているのかもしれないが、今の僕は、もう違う。もう29歳になったしね。政治運動だろうが何だろうが、もう黙ってみてられないんだよ」と答える場面が出てきます。

29歳だなんて!何と老成した人だったのだろう。もっとも、わずか40年の生涯でしかなかったから、かなり生き急いだということは確かだと思います。

「ベッド・イン・ピース」や「」バッギズム」など、当時、私は子供で、何であんな気が違ったことをやるのか、ジョンのことを理解できなかったのですが、今では、よく分かります。

映画の中で胸にバッジを付けたジョンがいました。そこには「Not insane」と書かれていました。

もちろん、その意味は「気が狂っていないからね」。映画を見て、このバッジに気づいた人は、かなりの「通」です。今度会ったら、私が表彰します!

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チャプリンと5・15事件


 いわゆる「5・15事件」は、昭和7年(1932年)の5月15日、時の犬養毅政権に不満を持つ陸海軍の青年将校が「昭和維新」断行を目指して、首相、政友会本部、日銀、警視庁などを襲撃した事件ですが、当時、たまたま来日していた喜劇王チャプリンも危うく難に巻き込まれるところだった、という話は有名です。


 当日の首相の歓迎会には出席せず、相撲観戦に行ったおかげで、難を逃れたというのが「定説」でした。


 


 が、どうやら、チャプリンそのものも、標的の対象だったようですね。日本チャプリン協会の大野裕之会長の書いた「チャプリン暗殺 5・15事件で誰よりも狙われた男」(メディアファクトリー)にその詳細が描かれているようですが、私はまだ読んでいません。


 


 当時、チャプリンの秘書を務めていた日本人の高野虎市氏が、チャプリン来日1ヶ月前から事前に訪日して日程を調整し、不穏な空気を察知し、元陸軍少将の作家、櫻井忠温(ただよし)氏に相談。櫻井氏の手紙には「最近の日本は騒がしいので、お気をつけてください。お早めに日本に来られたほうがいいと思います。東京でまず宮城に行くように」といった手紙が残っています。


 


これによって、5月14日に神戸港に到着したチャプリンは、京都・大阪には寄らずに東京に直行し、その夜、ホテルに行く前に、まず二重橋に立ち寄り、高野の指示で皇居で一礼したそうなのです。


 


 首相のレセプションをドタキャンしたのも、難を避けるため「計画的」だったのかもしれません。


 


 日本人秘書の機転がなければ、あのチャップリンも大事件に巻き込まれていたのかもしれないのですね。


 


 


 


 

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岡田監督を応援します

この度、オシム監督が急に脳梗塞で倒れたため、サッカー日本代表の監督として岡田武史氏が9年ぶりに再登板することになりました。

昨日、日本サッカー協会理事会で正式に承認されましたが、岡田氏の今後の活躍には注目していきたいと思っています。サッカーは肉体で戦うスポーツですが、監督指導者は結局は肉体より、頭を使う。戦術面が最も大事ではありますが、もう少し平たく言うと選手にモチベーションを与える「精神論」が重要なのです。監督として堅固な哲学を持っていなければなりません。岡田氏は、その意味で、かなり、修養を積んできたように見受けられるからです。

面白かったのは、昨日の会見で、岡田氏が、オシム監督が倒れる1週間前にJリーグの3チームから監督就任の要請があったが、断ったというエピソードを明らかにしたことです。当分、講演活動をしながら、環境問題をテーマにボランティア活動していくつもりだった、というのです。また、ここ1年半ほど、サッカーから離れていて、Jリーグの試合もあまり見ていなかったというのです。

岡田氏には、物事を根本から見つめ直してみようという修行僧に近い心因性を持っているようです。

その岡田氏が、「ここ10年で、人間がすっかり変わった」と言っています。私もそれはすごく感じています。

小津安二郎の「東京物語」は、昭和28年の作品ですが、「こんな日本人が普通だったのか?」と思われるほど、言葉遣いも丁寧で、皆、慎み深く、謙虚で、自分の身の丈の範囲で一生懸命に生きる日本人が出てきます。

今は、そういう日本人は消滅したとは言いませんが、かなり少なくなりました。公共マナーも悪いし、自分の権利ばかり主張するクレーマーや、給食費を払わないお金持ちの親もいるし、録に挨拶もできない人間も増えました。世の中、ギスギスしてきたと感じるのは私だけではないでしょう。どうして、こんなになってしまったんでしょうかね?

この10年の劇的変化は、インターネットの影響でしょうか。新聞の読者が減っているだけでなく、テレビの視聴率も下がっています。ニュースはネットから得る若者が増えてきました。ネットを使えば、時空を超えて、「大英博物館」 http://www.britishmuseum.org/#でも「MOMA」 http://www.moma.org/でも「ルーヴル美術館」http://www.louvre.fr/llv/musee/alaune.jsp?bmLocale=ja_JPにでも簡単に「行く」ことができるようになりました。

携帯やパソコンによって、「個」が確立したものだと極解して、自ら神のように振舞う人間が増えてきたからなのしょうか?

「高学歴ワーキングプア」

公開日時: 2007年12月7日 @ 10:20

最近、やたらと大学院の肩書きの人が増えたなあ、と思ったら、世の中とんでもないことが起きていたんですね。

水月昭道『高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院』によると、1985年に約7万人だった大学院生が、たった20年余りで3倍以上の約26万人にまで増えたそうです。20年前でさえ、「オーバードクター」と陰口を叩かれ、なかなか就職口が見つからなかったのに、今の時代が、そんなに甘いわけありません。

畏れていた通り、博士号を取得しても、大学の非常勤講師だけではとても食べていけず、コンビニのアルバイトなどで月15万円の生活費を稼ぐのが精一杯。居酒屋や塾講師のバイトを掛け持ちをしたり、パチスロのプロになった博士もいるそうです。

そもそも、「大学教授」の肩書きを得るために、昔から「超狭き門」であることには今でも変わらず、嫌な教授の靴までなめなければならないと言われるほどですから、今の若者にそこまでできるかどうか。

ただ、恐ろしいことは、このような事態に陥ったのは、文科省と東大法学部が結託して、将来の少子化を見込んで、少なくなる「パイ」をめぐって、その「既得権」を失うまいと執念を燃やす彼らの秘策がこの「大学院生大量生産」の理由だった、という水月氏の指摘は妙に納得してしまいます。

水月氏は、昔、オーバードクターと言っていた彼ら彼女らのことを「野良博士」と命名しています。「おだてられながら学費を払わされ続けてきた院生は、期限が来ると、ペットの犬が捨てられるように放り出される。野良になるしかない」というのです。

確かに企業側も「頭でっかち」の人間を採るより、上司の言うことを「ハイハイ」と言って、言うことをきく人間の方が使いやすいし、そういう人間を積極的に採用することでしょう。

野良博士は、おだてられて二階に昇ったら梯子を外されていたという感覚なんでしょうね。全く、やる気もなく、学業も職業訓練も放棄したNEETと野良博士が結局は、同じ境遇だとしたら何と世の中皮肉なんでしょう。

紅葉 Autumn Leaves Viewing


今朝は五時半起床。
出勤前に、日比谷公園を散策しました。

今が紅葉シーズンの真っ盛りです。

私の東京で一番大好きな紅葉スポットは、外苑前の銀杏並木ですが、日比谷公園も捨てがたいですね。

今、都内のあちこちで、リッツカールトンだの新々御三家と言われるホテルが続々と建っていますが、やはり、何といっても帝国ホテルがナンバーワンでしょうね。銀座に近いし、劇場や映画館が側にあるし、何しろ、日比谷公園が目の前にありますからね。

ところで、昨日の続きですが、ほんのわずかながら、自分にも予知能力があるということが分かりました。

競馬の予想を当てるとか、そんな実用的なものには役立ちそうにはありませんが、私も、次に起こることがフッと浮かんでくることがあるのです。かなり、鮮明な映像で、文字なんかもはっきりと読めます。

今日もその通りのことが起きましたが、別に驚きませんでした。これまで、普通に経験してきたので、不思議に思わなかったからです。

それと、私には人の心が読める読心術があるようです。

相手が嫌っていると、手に取るように分かりますし、好意を持ってくれる人も、その気持ちが分かります。何を考えているのかも読めます。これまで、あまり相手に聞き返したことはなかったのですが、「こういうことを考えていたんでしょう?」と聞いたら、「その通り。でも何で分かったの?」と聞くに違いありません。

その程度なら、俺にもある?

それなら、その通りなのでしょう。

何か、オカルトチックになってしまいましたね。

予知能力

このブログを再開して日が経ちますが、何となく、調子が出ませんね。

何か世の中、すっかり変わったような感じです。何せ、岩窟王か誰かのように無実の罪で幽閉されて、久しぶりに娑婆に出てきたような気分ですから。

昨日、年末恒例の紅白歌合戦の出場者が決まりましたが、「AKB48」だの「しょこたん」だの馬場俊英だの、今回の目玉になる人たちのこと、まったく知りませんでした。もう、流行についていけないという感じですね。

いまだに、デイブ・クラーク・ファイブやゾンビーズなんかを聞いて感動しているくらいですから。

さて、このブログは、どんな人が読まれているのか知りませんが、恐らく不特定多数の人が読まれているのでしょうが、今日は、「特定少数」の人に向かって書きます。
特に、こういう話が好きな四国に住むT君向けです。

私の姪っ子のことです。

どうやら、「予知能力」があるというのです。

本人から直接、聞いたわけではありません。私の兄弟姉妹に当たる彼女の両親から聞いたのです。

彼女は、最近就職したばかりの、まあ、普通のOLです。

どういう予知能力かというと、次に起きることが目の前にパッと現れるというのです。

過日、自転車に乗っていると、ふと、前から自転車が急に横切ってきて、衝突してしまい、自分自身が血だらけになっているシーンが浮かんできたそうです。

「これは、ヤバイ」と思って、速度を落として注意していたら、やはり、物影から、自転車が飛び出して来て、ぶつかりそうになったそうです。それほど、スピードを出していなかったので、急ブレーキをかけて、難を逃れました。

もう1つ。テレビを見ていたら、例の秋田の児童連続殺害事件の犯人、畠山鈴香被告らが出てきました。そのうち、レポーターが「殺された米山豪憲君は、大きくなったら、夢がありました」と語り始めました。そしたら、姪っ子は「大工さん!」と叫んだそうです。

その後、テレビのレポーターは「そうです。ここで、大工さんになる夢があったのです」と言ったのです。

まあ、話はそれだけです。

残念ながら、私には、そんな能力は全く備わっていませんが、私自身、そういう予知能力というものは、否定しないタイプなのです。今度、姪っ子に会ったら、もっと詳しい話を聞きたいなあ、と思っています。

怖い話 ロシア選挙

 

 

 

ロシアの下院選挙で、プーチン大統領が率いる「統一ロシア」が450議席の9割近く確保したそうですね。

 

誠に恐ろしい現象です。内実は、選挙と言っても名ばかりで、政府系企業の傘下に入っているテレビは、ニュースで95%も与党側やプーチンの「宣伝」報道に終始し、大統領の任命制で選ばれている地方の知事らは、与党への得票を義務付けられ、得票率が低ければ、解任という恐怖に晒される。各企業も「統一ロシア」に投票しなければ、事業免許を取り消すと通告され、企業は従業員に同党への投票を強制したー。それが実態だったようです。

 

日本でこんなことが起きたらどうなるでしょうかね。

 

もっとも、こんなことをブログに書けば、ロシアでは逮捕されかねないでしょうね。

ロシアの男性の平均寿命は、50歳代でしたっけ?

皆さん、日本に生まれてよかったですね。

防衛省収賄事件

 

 

 

この二週間、世間では色んな事件やニュースがありましたが、やはり、最も大きかったのは、防衛省前事務次官の守屋氏の収賄容疑による逮捕でしょう。

全く言語道断の話なのですが、ゴルフ接待などの遊興費で500万円というのは、どこか金額が少なすぎます。五,六年に渡る話なので、年間100万円程度の賄賂だとしたら、月に10万円にも満たない。守屋氏逮捕もどこかスケープゴートの臭いがしないでもありません。もちろん、守屋氏の顔相はかなりの悪相で、とんでもない男であることは確かなのですが…。彼を知っているK君は「捕まってざまあ見ろですよ」と言っていたくらいですから、相当なワルなのでしょう。

 

しかし、巨悪は捕まらず、枕を高くして寝ています。特に怪しいのは、戦前どころか、明治時代から軍需産業として、時の権力者と結託しているM社です。特に「キャラメルからミサイルまで」と言われているM商事なんかは桁違いの接待攻勢をかけているはずです。

防衛のトップを経験した大物政治家K氏もN氏も捕まっていませんが、やはり、怪しい。守屋氏とは桁違いのお金を懐に入れているんじゃないかと疑っています。

これらは想像の域を出ていませんが…。

お久しぶりです

お約束通り、渓流斎日乗を2週間ぶりに再開致します。

おまちどおさまでした。え、待っていない?これは、失礼致しました。

正直に書きますと、この2週間、何をしていたかと申しますと、試験勉強をしておりました。24時間、暇がある時は、すべての時間を勉強に費やしておりました。好きな本は読めませんでした。映画も見ません。もちろん、テレビなんかも見ません。(横目でチラチラ以外は)

パソコンは、メールのチェックで見ました。序に、このページを開きました。ほとんど、スパムメールというか、不届きなコメントやトラックバックを削除するためでした。

そして、序にアクセス数を見ると、それが、あまり変わらないんですよね。(笑)休筆しても、しなくても、変わらない。これは、何を意味するんでしょうか?

まあ、今は、試験が終わったばかりなので、まだ、現実感を取り戻していません。まだ、下界に戻っていないという感じです。

明日から本格的に再開するかどうか、まあ、ブログを書かないことが習慣になってしまったので、どうなるでしょうか?