アメリカ帝国の崩壊 

 私は「経済音痴」を自認しておりますが、昨今の経済報道を目にする度に、さすがに危機感を募らせています。

 

「異様な原油高」と、「基軸通貨のドルの世界的信用低下」のことです。

 

例のサブプライム問題は、1929年の世界金融恐慌に匹敵するのではないでしょうか?

 

先日も米最大手銀行のシティ・グループだけで、1兆9000億円以上の不良債権を抱えているというニュースがありましたが、この倒産寸前の銀行を買い支えたのが、オイルマネーで潤っている中東の政府系投資会社だというのです。新興の中国も米国債などを買うことによって、支えましたが、何と言っても、我が国、日本が、世界で一番、アメリカという国家を買い支えているのではないでしょうか。「経済アナリスト」なら、その数字がパッと出てくるでしょうけど…。

 

今までの世界経済がどうやって巡回していたかといえば、アメリカ人の旺盛な消費意欲を発端にしていたんですね。つまり、お金もないのに、アメリカ人は、土地や建物を担保にして、世界中の株や債権を買ったり、高価なSUVやプレジャーボートを何台も所有したり、ブランド品を買ったり、広大な敷地にプールを作ったりする。原材料や製品を作るのは中国やアフリカや日本。アメリカ人は、これら高級ブランド品をドルで支払いますが、召使の日本人はせっせとドルの米国債を買ってくれるので、アメリカにはお金がちゃんと戻ってくる。このドルでアメリカ人はまた大好きなお買い物をするといった具合です。

 

何てことはない。朝貢貿易じゃありませんか!

 

しかし、サブプライム問題が発生し、不動産価格が暴落(5%以上とも)し、100万軒以上の不動産が差し押さえられ、もう不動産が担保にならないとなると、ローンやクレジットも組めない。アメリカの消費意欲が減退し、ドルの信頼度も下落したというわけです。戦後のブレトン・ウッズ体制で、アメリカは基軸通貨をポンドから奪い取ったと言われていますが、わずか、60年でそのドルも崩壊しようとしています。

 

中国もせっせとアメリカ向けに玩具や衣料品や電気器具なんかを作って輸出して、GDPも二桁成長率を遂げていますが、アメリカ人の消費意欲が減退すれば、ガクンと輸出も落ちる。他人事ではないのです。今、経済特区と名を馳せた深せんも不動産の暴落が始まったようです。

 

何か、あの憎たらしいほど強かった巨人のアメリカ帝国が崩壊するようです。歴史の節目を感じるのは私だけではないのではないでしょうか。

「茶々」と「ナショナル・トレジャー」

今日はお休みで、銀座で映画を2本も見てきてしまいました。お正月から働いてきたので、まあ、それぐらい許してください。

実は、今年から日本アカデミー賞協会会員になったため、割かし、映画はスムーズに見られるようになったのです。ただし、お断りしておきますが、会員になったからといっても、ちゃんと入会費と会費は払っております。映画館で見られると言っても、初日や日曜祭日は駄目です。指定の映画館でしか見られませんし、満員の場合は入場を断られるという制約があります。

それでも、ある人物(複数)のご厚情に縋って、何とか会員になることができました。やはり、賞の選考をしたかったのが一番大きい理由ですかね。

でも、会員として映画を鑑賞するとなると、どうも粗捜しばかりやってしまい、純粋に楽しむことが難しくなってしまいました。一番恐れていたことですが…。

今日見たのは、豊臣秀吉の側室、淀の君の生涯を描いた「茶々」と、ニコラス・ケイジ主演の「ナショナル・トレジャー2」です。

「茶々」が60点、「ナショナル・トレジャー」が70点といったところでしょうか。

「茶々」の主演の淀君は和央ようか。この人、宝塚の雪組、宙組の男役2番手の頃、舞台でよく拝見していたのですが、やはり、宝塚男役の演技になっていました。声も地声なのか、野太く、とても姫らしくない。ミスキャストじゃないでしょうか。秀頼にしても、どう計算しても、秀吉はその頃、遠征中で、秀吉の子としては考えられず、「不義の子」であるという説が有力なのに、その辺は全く触れられていません。脚本のミスではないでしょうか。ただ、茶々を格好良く見せたいがためのエンターテインメントだとしたら、それでいいのかもしれませんが。

ただし、大坂城の燃え盛るシーンや、内部の調度品、屏風など、CGを使っていたにせよ、舞台セットには見るべきものがありました。

ケチばかり付けてしまいましたが、私なんか二度ほど不覚にもホロリとさせられる場面がありました。

「ナショナル・トレジャー リンカーン暗殺者の日記」は冒険活劇ともいうべき作品ですが、私は、どうも、主演のニコラス・ケイジに魅力を感じず、これまで、彼の主演作は一本も見てこなかったんですよねえ。ストーリー展開に難があるなんて、こましゃくれた事を言ってしまえば、身も蓋もないのですが、ただ2時間、ジェットコースターに乗った気分で、場面の中に入り込みたいのなら、それで楽しめる作品だと思います。「全世界を揺るがす陰謀」と言われても、どこに陰謀があるのか最後までわかりませんでしたが…。

女性を尊敬します

 私の情報収集の7割以上は、新聞です。あとはラジオ、雑誌、口コミ…の順ですか。

最近、印象的だった記事を抜粋します。皆さんもどこかで読んだことがあるでしょうから、出典は明記しません。換骨奪胎。かっこ内は私見です。

●アメリカでは、医療保険制度は民間が主体で、公的保険は一部に限られているため、全米人口の16%、つまり約4700万人が無保険者だ。

その逆に、全米のわずか1%の富裕層が全米の富の22%を保有している。

(うわー、大変な国なのですね。でも、他人事じゃありません。アメリカがくしゃみをすれば、日本は風邪を引きます。正月早々、NYの原油、1バレルが史上初めて100ドルを超え、NY株式は256ドルも急落し、おかげで日本の株式も756円も下げました。気の早い経済評論家は、早くもドルの崩壊とアメリカ帝国主義、つまりはグローバリズムの崩壊を予測しています。夢物語ではなく、現実味を帯びてきました)

●米国に比べ、ヨーロッパのEUが元気がいい。日本のデフレと円安のおかげで、ロンドンでは、地下鉄の初乗りが4ポンド(950円)、外食の平均価格が39ポンド(9300円)。

(えー、ウッソ~って感じです。ランチに9300円も出せますかあ?ロンドンには行きたくないなあ!)

●ロンドン在住のパキスタン系作家・歴史家のタリク・アリ氏

「暗殺されたベナジル・ブッド氏が2回目の首相の座に就いたとき、彼女と夫の腐敗は最悪だった。パキスタンがアフガニスタンに介入し、タリバン政権樹立に動いたのも彼女が首相の時だ。その彼女の遺志で、夫と19歳の息子がパキスタン人民党(PPP)を率いるという。政党の私物化。中世の封建制でもあるまいし、グロテスクとしか言いようがない。そんな政党を欧米は改革志向で近代的で民主的だと言ってきた。」

http://www.nikkei.co.jp/kaigai/asia/20071230D2M3001H30.html

 

(いくら、亡命・反体制作家の発言にしても、ウーンとうならされる発言。確かに、下院立候補の年齢に達していない未成年を後継総裁にするのはおかしいと私も思っていました。暗殺されたブッド氏もそれを本当に望んだのか分かりませんが、彼女に対する見方も少し変わりました。物事にはいつも二面性があり、良い悪いだけで判断していれば、真相から遠ざかるといういい例かもしれませんね)

●タレントの友近さん

「私が知る限り、女性は男性より断然エロいんです。特定の男性、愛しい人の前で淫乱なら、ある意味誇らしい。」

(へー、そうだったんですか。もっと早く知っておけばよかったですね(笑)、もう手遅れですか?そういえば、七代目市川団十郎が定めた歌舞伎十八番に「嫐」があります。読めますか?これで「うわなり」と読みます。私は見たことがありませんが、甲賀三郎が妾と逢引していると、本妻の嫉妬の妄念が娘と三郎と妾に取り憑くという話です。女性は怖い!なんて、私は絶対に言いませんからね。谷崎潤一郎並みに女性を尊敬しております。嘘ではありません。本当です!)

日本人と西洋人の言語獲得の違い

 

 

 

昨晩は、「○○肩」で、腕が上がらないどころか、ひどい激痛と呼吸困難に襲われてしまいました。まあ、年ですね。皆さんも気をつけてください。

こんなブログをやっている暇はないのですが、長年書きたいなあと思っているテーマがあります。「言語獲得における日本と西洋の違い」というものです。

日本語は、同音異義語が沢山あります。例えば、「せいかく」と言っても「正確」「性格」「精確」「政客」…と色々あって、文脈が語法などによって、日本人なら簡単に聞き分けます。ですが、日本語は「音」より「形」の方が意味的に重要だということになります。つまり、日本語は表音文字というより象形文字だということです。

「とものすけ」にしても「朋之介」「友乃助」「共之輔」…と色々書き方があり、こう書き表すことによって全くの別人だということが、目で見て瞬時に判断することができます。

日本語が「音」より「形」を重視するということで、それは日本の伝統芸能に特徴が如実に現れています。つまり「所作」です。様式美を重んじる文楽、能、歌舞伎がそうです。茶の湯や生け花も特に流派として重視します。

武道もそうですね。柔道、剣道、合気道…、スポーツという競技の前に「芸の道」という精神的なものを基本的に重んじます。

翻って、西洋はどうでしょうか。英語にしろフランス語にしろ、「言葉の意味は音の影にすぎない」というどなたか偉い学者さんが唱えたことを思い出します。要するに、「形」、つまり「綴り」にはさして意味がないのです。WhyにしてもWhatにしても、本来、「ホワイ」とか「ホワット」と読めません。「ワフイ」か「ウハット」のはずです。どうしてそうなったのかというと、元々、中世の英語では、ちゃんと「Hwy」「Hwat」とHとWを逆に綴っていたそうなのです。

つまり、英国人は、Hが先だろうと、Wが先だろうと、「形」はどうでもいいのです。「音」さえ、確かならそれでいいのです。

私が敬愛するある英語講師が「ネイティブの上司に、righteousの綴りを聞かれ、答えたら、その上司から、自分は全く違うスペリングだと思っていたよ、と言われ驚いた」といったことを書いていました。その上司は相当なインテリだったからです。このことから、欧米人は、普段大して、「綴り」を意識していない、という仮説が引き出せます。

日本には、以前「綴り方教室」があったくらいですから、「綴り」に関してはかなり神経を使います。第一、漢字という象形文字を使わなければ、「性格」なのか「正確」なのか意味が通じません。

そこで「日本人と西洋人の言語獲得の違い」です。恐らく、西洋人は耳から言葉を覚えるのでしょうね。日本人も確かにそうなのですが、文字の形も覚えなければならないので、目もかなり使うのです。

最初に「年」のことを書きましたが、年のせいか、人の名前がすぐ出てこなくなりました。一生懸命思い出そうとしますが、名前が出てきません。それでいて、その人の顔がはっきり出てくるのです。

これはどういう意味なのでしょうか。顔という形やイメージの記憶は薄れていないということではないでしょうか?欧米人は逆ですね。まず、ライチャスの音は覚えていても、righteousという形やイメージは出てこないはずです。

西洋人は「音」を重視するからこそ、クラシックやジャズやベンチャーズといったインストルメンタルの曲が好きだったり、流行したりする。日本人ではとてもできないような曲を作る…。

そんなことを考えながら、お正月を過していました。この「論文」は完成するかどうか分かりませんが、真似しないでくださいね(笑)。

昨日、近くの「氷川女体神社」に初詣に行って、おみくじを引いたら、何と「大吉」でした!

そこには、こう書かれていました。

「今年は運勢がいい年です。若い頃の苦悩を乗り越えて、自分の思うとおりの運を開くことができるでしょう。これもすべて、親の恩によるものです。親孝行を忘れずにしてください」

驚きです!

素顔のイチロー

 写真と本文は全く合っていません(笑)

 

先日、「テレビは見るに値しない」と散々悪口を書いたのですが、昨日のNHKの「イチローの素顔」は本当に久しぶりに見るに値する番組でした。

米大リーグ、シアトル・マリナーズのイチローといえば、マスコミ嫌いで有名で、記者のインタビューにも後ろ向きでボソボソと答え、顔見知りでない記者の質問には答えず、顔見知りでも底の浅い質問は無視するという噂を聞いたことがあります。ニュースでは、人間的に悟りを開いているヤンキースの松井は、ちょくちょく登場するのに、イチローは活躍してもほとんどニュースに出てきません。恐らくインタビューを拒否しているわけで、その噂を裏打ちする感じでした。

しかし、この番組で、イチローというより鈴木一朗という一人の人間の素顔が初めて白日の下に晒されたような感じで、なぜ、マスコミ嫌いになったのかということも手に取るように分かりました。

イチローのような超天才になると、我々のような凡人にとっては縁も所縁もない超人で、全く考えが及びもつかない人物とみなしてきたのですが、ある面では、一人の傷つきやすい青年であり、日々訓練を怠らない努力の塊であることを知り、ほんの少し共感してしまいました。

メモをしたわけではないので、正確ではないのですが、イチローはこんなことを言っていました。

「自分の弱さを人に絶対に知られたくないので、自分の弱さを必死で隠そうとした」

 

「広いアメリカで、何年経っても時差には慣れることができない。眠れないと精神的ダメージが大きいので、睡眠薬を飲んでいます」

 

「人一倍、プレッシャーを感じる方です。これまで、そのプレッシャーに押しつぶされそうで、闘ってきましたが、今年(2007年)から、そのプレッシャーを楽しむくらい受け入れることにしたのです。ヒット数が150本くらいになると、『さあ、来たぞ、来たぞ』といった感じです」

イチローの日々の生活といったら、哲学者カントのように規則正しい生活です。何時に家を出て、何時に球場に着いて、何時にトレーニングを始めて、何時に試合に臨む…。

7年間、昼食は奥さんの弓子さんが作る全く同じカレーライスを食べる、という所には少し変質狂的な性格があるんじゃないかと思えるくらい驚いてしまいました。毎日、毎日、同じ味のカレーですよ。そして、「カツカレーなんて邪道で、考えられない」なんて自信満々に発言しているのです。野球では、修行僧のようなイチローでも、野球以外のことはどこか淡白に見えてきました。

試合で遠征に行っても、試合が終われば飲み歩くことはなく、ホテルにこもって、持参した足裏マッサージ器を使って疲れを癒しながら、雑誌のページをめくっていました。これが普通だそうです。信じられませんでしたね。天下の大リーグ・スターといえば、ベーブ・ルースやジョー・ディマージオの例を出すまでもなく、私生活は本当に華やかでした。

ですから、仕事が終わると、座禅を組むようなライフスタイルで、自分を律する、あまりにも日本人的な振る舞いに、いつしか、彼に共感してしまいました。

何しろ彼の口から出た目標は「50歳になって、4割を打つこと」なんだそうですから、今は非現実的に思えても、イチローならもしかしたらやれるのではないかと思えてしまいました。

もう1つ。野球を人生に例える人も多いのですが、打率3割を打つ打者は一流選手ですが、イチローのように3割5分も打てば、超一流です。でも、超一流選手でも、6割5分は失敗しているのです。ということは、人生でも、7割失敗しても大成功と言ってもいいのではないでしょうか。

私の場合、これまでの人生、失敗の連続でしたが、それでも、まだ7割も失敗していない気がします。

イチローさんのように、まだまだ、色々と挑戦しなければならないと思いました。

運命の分かれ道

年末年始、一人もアクセスがないと思っていたら、結構いらっしゃるんですね。コメントもくださる方もいらして、少し、驚きです。

昨日の続きですが、また、シンクロニシティがありました。少し音信のなかった懐かしい人から年賀状が届きました。私は、賀状を頂ければ返事を書く主義なので、慌てて、返事を書いていたのでした。その時、また、ラジオがついていました。

すると、DJの女性が、「お正月休みで、ゆったり過ごしている方もいらっしゃるでしょうし、今、慌てて年賀状の返事を書かれている方もいらっしゃるでしょうね」と言うではありませんか!

見られているのかと思い、ドキッとしてしまいました。

さて、年初から不景気な話で恐縮ですが、最近、どうも、肩が痛くてしょうがありません。当たり前かもしれませんよね。会社でパソコンを使い、バイトでパソコンを使い、ブログでパソコンを使い…で、ほとんど運動しなければ、どこか体にガタがくるのは当たり前ですよね。

健康問題は、政治家や権力者は隠したがりますが、私はその両方ではないので、書いてしまいましたが、本当に、ブログを休止したいくらい、ちょっと辛いんですけど、まあ、読んで下さる方がいらっしゃるので、続けます。

正月早々、北アルプスの槍ヶ岳の麓で雪崩に巻き込まれて4人の登山者が亡くなる事故がありました。同じ近くのテントにいて、助かった人もいると聞いて、何が人の運命を左右するか分からないものだなあ、と本当に不思議な気持ちになりました。

シンクロニシティ

 函館でした!

新年明けましておめでとうございます!

え?こんなお正月に私のブログにアクセスして頂いているんですか?

いや、いや、、俺は5日に見ているよー。あ、そうですか。そういうことでしたか…。でも、正月に態々アクセスしてご覧なってくださっている方もいらっしゃるんですよね。感謝申し上げます。

今日は、お正月らしく(?)不思議な体験を…。

ユングの言ういわゆるシンクロニシティです。

昨日、ラジオを聴きながら新聞を読んでいたら、ラジオで「上野のアメ横では、お正月の買い物客でごったがえしています…」というニュースを放送するほぼ同時に、私は新聞でそのニュースを読んでいたのです。

え?という感じでした。

なぜなら、その直前に、「明治神宮では310万人の初詣客が予想されます」という記事を読んでいるのと同時に、ラジオでも同じニュースをやっていたのです。

2回続くと驚きますよね。何か偶然じゃないような気がしませんか?

まさに、シンクロニシティという奴ですよ。

もう、すっかり足を洗いましたが、パチスロにはまっていた頃、「777」のラッキーナンバーが並ぶ直前に、その出目が出る数字が出てきて、もうすぐラッキーナンバーが揃うぞという予感めいた「空気」になります。

最近、理由も証拠もないのですが、そんな「空気」が流れてきているような感じがしているのです。

つまり、何か、自分の思ったことがそのまま実現するような…もちろん錯覚かもしれません。

思ったことが実現するといっても、そんな大それたことではないのです。散歩していて、アイスクリームを食べたいなあと思ったら、目の前に偶然、ハーゲンダッツのお店があったりするようなことです。あと、30分後に自分は携帯で某所に電話しているイメージが思い浮かびます。すると、やはり、30分後に携帯で電話していたりするのです。

これは、笑い話ですよね。これからやることは自分で決めて、自分でやることなのですから。

でも、私の場合は、自分がそういう行為をしていることが第三者の目で見えてくるのです。

正月早々、ちょっと脱線した話で失礼しました。

今年も宜しくお願いします!