「部落史がかわる」

公開日;2008年1月19日

ここ数ヶ月読んだ本の中で、最も感動したものに、上杉聰著「部落史がかわる」(三一書房)があります。1997年初版の新刊本ですが、神保町でたまたま偶然に見つけ、思わず買ってしまったのです。そこには、私が全く知らなかった、誤解していたことを含めて是正する事柄がふんだんに書かれていました。

本当に興味深く、教えられることが大きかったでした。この名著を茲に翻案する力は私にはないのですが、差別される人々の根幹に関わる歴史的背景や起源が史料を元に説明され、目を見開かせられます。(同書は、同和問題を教える教職員向けに易しく書かれたようです)

例えば、こんなことが書かれています。

ちょうど「延喜式」が編纂された時代に漢学者・三善清行(のちの参議)は、醍醐天皇に提出した「意見封事十二箇条」(914年)で次のように述べています。

…諸国の百姓・課役をのがれ、祖調をのがるる者、私に自ら髪を落とし、みだりに法服を着る。…

要するに、僧侶の格好をすることで、課役や税金を納めない輩が出没している世の風潮を著者が批判しているのです。それでは、この「延喜式」の時代はどういう時代だったのでしょうか?

それは、古代の律令制が崩壊し、班田収受を通して、祖・傭・調の税を徴収することや、兵役・労役を課すことが困難になった時代なのです。奴婢と呼ばれる奴隷(そう、日本の古代には奴隷制度があったのです!)が解放される時代でもあったのです。為政者は、この体制秩序崩壊の不安を「穢れ」などの宗教的観念を肥大させることによって乗り切ろうとしたのです。

つまり、差別の起源は江戸時代ではなく、中世にあったのです。

(奴隷制度は、古代の公奴婢にあったのでした。日本に奴隷制度があったという認識は私にはあまりなかったので勉強になりました)

為政者は、河原に住む人々に「清目」として、清掃作業を課します。

芸能もそうです。猿回しや獅子舞、神楽舞をはじめ、日本の伝統芸能の核ともいうべき能樂を大成した観阿弥、世阿弥親子も差別された出自だったのです。

作庭もそうです。いくら、天龍寺の庭園が夢窓疎石国師によって作られたと歴史的事実が伝えられたとしても、夢窓国師が実際、自らの手で大石を運んだり、池を掘ったわけではありません。差別された河原者たちが、駆り集められて実際の作業にあたったのです。

さらに、医療や産婆の職に携わる人もある地域では「藤内=とうない」と呼ばれ、差別の対象となったのです。(現代ではステータスと収入が高い医者が差別の対象だったとは知りませんでした)

占術師、陰陽師、イタコといった人たちも「巫=みこ、かんなぎ」と呼ばれ、差別されました。

こうして、為政者は、人間の死体を処理(葬儀、葬送、墓堀)する人たち(非人)(隠亡=おんぼう)や動物の死体を処理したり皮革を加工したりする人たち(穢多)を隔離します。刑を執行する人たちもそうでした。

このように差別された人々は「穢れ」職業から離れる人(例えば、茶道の茶筅を独占的に作る職を与えられた人たちもいたそうです)もいましたが、住居と職業を差別することによって、近世ー近代に入っても差別され続けるのです。

要するに、このように差別は為政者の都合で発生したのです。こうして、差別の起源は京都にあり、全国に広がっていったことも著者は暴いていくのです。

いやあ、感服しました。非常にタッチイな話なのですが、為政者の都合で長年差別され続けた人たちの労苦を思うと、非常に感慨深いものがあります。

「アース」

 話題の映画「アース」を見てきました。すごーく期待していたので、ほんの少し、がっかりしましたね。いや、自分では何もできないくせに、ないものねだりに過ぎないのですが、正直、物足りなかったのです。だから、79点。

 

何が物足りなかったか、というと、ディズニー映画のように、「動物万歳!」の視点で撮られており、肉食動物が狩りをするにしても、襲ったところで、お仕舞いにしています。子供たちにあまり残酷なシーンは見せたくないという配慮なのかもしれませんが、自然の過酷さが伝わってきません。

 

でも、内容は本当に素晴らしいのですよ。北極から南極に至るまで、地球に棲む動植物が精一杯生き抜く姿勢が描かれています。ヒトは登場しません。主人公はホッキョクグマであったり、アフリカゾウであったり、鯨だったり、サイベリアのタンドラ(つまり、日本語ではシベリアのツンドラ)だったり、壮大な瀑布だったりします。

地球温暖化の影響で、北極の氷が解け、2030年までに、ホッキョクグマは絶滅すると警告しています。お腹を空かして体重が半分にまで落ちこんだホッキョクグマが、やっとセイウチの集団を見つけますが、狩りをする体力も残っておらず、結局、餓死してしまうところまで映されています。

 

映像は素晴らしいの一言で、誰もが「どうやって撮ったのだろう」と疑問を持つに違いありません。空から撮ったことは分かりますが、ヘリコプターなら、もっと映像がぶれるはずです。鳥が空を飛んで眺めているように、映像は「なめらか」なのです。

この地球は人間だけのものではない、ということをこの映画は伝えたかったのでしょうか?

深く考えさせられる映画でもあります。

「続・三丁目の夕日」

 芥川賞に「乳と卵」の川上未映子さん(31)、直木賞に「私の男」の桜庭一樹さん(36)が受賞されました。おめでとうございます。特に、川上さんはシンガーソングライターで、アルバムを3枚も出しましたが、全く売れず、作家生活わずか9ヶ月で受賞したというのですから、ラッキーガールですね。父親が定職につかず、貧しかったという報道もあります。

 

たまたま、偶然、昨日、映画「続・三丁目の夕日」を見ました。作家の茶川さんが、芥川賞を受賞するかどうかという話だったのです。いやあ、涙が何度も出てくるほど感動しました。甘いですが90点をつけちゃいます。

 

東京タワーが完成した昭和33年から東京五輪が開催される昭和39年の間の出来事のようです。まだ、首都高速もできていません。銀座の数寄屋橋は埋め立てられておらず、橋の下に川が流れていました。もちろん、CGなのでしょうが、本当によくできていました。人物造形もしっかりしており、映像で感動させる要素に欠かせない「子供」と「動物」と「家族愛」が全面的に押し出されていました。

 

昭和三十年代にあんなに芥川賞の発表が騒がれていたのかなあ、と思いましたが、石原慎太郎が「太陽の季節」で芥川賞を取ったのが昭和31年ですから、全くなきにしもあらずでしょう。あそこまで、騒いでいたかは疑問ですが。

 

私のような昭和三十年代を知る者にとってはノスタルジーを感じて感動が倍増してしまうのですが、私の隣の隣りの席に座っていた20歳代と思われる若い女性からもすすり泣きの声が聞こえてきたくらいですから、万人を感動させる要素をこの映画は持っていると思われます。

 

皆さんにもお奨めです。

江戸城跡散策


 


またまた写真と本文が全く合っていないので、クレームがつきそうですが、先日、東京駅から和田倉門、桔梗門、本丸跡あたりを散策しました。都心の雑踏の中で、唯一「江戸」を感じる場所で、と同時の徳川の権力の膨大さを感じる所です。ほんの少し歩いただけで、疲れちゃいましたからね。

あの壮大な石垣を積んだ職人や作業に借り出された労働者たちはどれくらいいただろうかと考えただけで、目が回りそうです。和田倉門にしろ、桔梗門にしろ、そこには番兵というか門番が居て、人生のすべてをそこで費やして終わったんだろうなあ、と思うと、我々現代人は旅行や住居の移動の自由があって幸せだなあ、と感じました。

なぜ、散策したのかと申しますと、法政大学の田中優子教授が、江戸城のことを東京新聞(2007年12月15日)に書いていたからです。


換骨奪胎して引用するとー。

『見どころは天守閣だろう。天守閣は高さ44メートル、地下1階、地上5階の高層ビルだった。1657年に明暦の大火で焼けてしまうと、もう不要だということになって再建しなかったのは偉い。


城は戦争のためにあるのだから、不戦の体制を作り上げた江戸幕府にとって、天守閣はなるほど不要なのである。


また、明暦の大火前から江戸幕府は森林伐採の制限を打ち出し、1666年には「山川掟」を発令する。大規模開発、土木工事の時代がついに終わったのだった。天守閣を再建しなかったのは、そのような方針転換も関係している。日本の環境対策の始まりであった。


不戦と環境、それが江戸城跡を歩く時のキーワードだろう。間違っても「天守閣を再建すべき」などと思わないことだ。』


 


私なんぞは、戊辰戦争のあおりとゴタゴタで天守閣は消失したと思っていましたからね。大いに恥じながら、歴史を学ばなければいけないと再確認して歩いていたのです。


 

リクリス ユナイテッドアローズ

アメリカンドリームの嘘

 

 

 

「アメリカンドリーム」とか「サクセス・ストーリー」とかよく言われていますが、残念ながら、他人様の成功譚は、ほとんど役に立たないんですよね。

 

よく、「一夜にして1億円儲ける投資方法」はあるか、などと議論されますが、もっとも手っ取り早く、稼ぐ方法は、「一夜にして1億円儲ける投資方法」のコンサルタントになるか、同名の本を書くか、なんですよ。

 

要するに、そんなうまい話が世の中にあるわけがないということです。(ネット上にはそんな話ばかり氾濫しているようですが…)

 

と、同時に、世の中に「解答」がないということです。正解がないのです。逆に言えば、何をやっても自由なのです。身も蓋もない言い方をすれば、「ヒトは失敗する自由がある」ということです。

もっと、言えば、ヒトは失敗からしか教訓を学べないということなのです。

これは、私の人生経験から導き出したassumptionなのです。

昨日、NHKラジオで、「鎌田実のいのちの対話」をやっていました。ゲストは、北海道旭川動物園の小菅正夫園長と、海洋写真家の中村征夫さんでした。

「動物は命をつなぐために生きている」と悟ったという小菅園長は、動物たちが自由に動き回ることができる「行動展示」を提唱して、爆発的な旭川動物園ブームを呼び起こした人として知られています。

面白かったのは、動物の雄は、麒麟にしろ、鹿にしろ、基本的に育児をしないのですが、狼の場合は別なのだそうです。狼は、動物界では稀に見る「一夫一婦制」で、非常に雄と雌の絆が深い。例えば、雄は死ぬと雌は食が細くなり、やがて、後を追うようにして亡くなってしまう。

ヒトはどうでしょうかね?夫が死ぬと、奥さんは逆に生き生きして、何年も長く生きていくのが普通ではないでしょうか?(笑)逆に、妻に先立たれた夫は急激に落ち込んでしまいます。あんな偉大だった評論家の江藤淳、作家の城山三郎さんなんかも、奥さんに先立たれてからは意外にも脆いものでしたよね。

写真家の中村征夫さんは、1993年7月に北海道奥利尻島で地震と津波に遭い、九死に一生を得た経験を話していました。当時、中村さんは海岸からわずか30メートルしか離れていない民宿にいて、死者202人、不明28人という大惨事に遭いながら奇跡的に生き残ったのです。

中村さんは、民宿のおかみさんから「逃げてー」という叫び声を聞いて、慌てて、何も持たずに山の方に向かって逃げたというのです。おかげで、すべてカメラ機材を消失しました。

中村さんは、これをきっかけにカメラマンを辞めようかと思ったそうです。しかし、これまで、海の素晴らしさばかりを撮ってきましたが、これからは、海の怖さ、自然破壊の実態などといった現実にも目を向けて取り組もうと決心して、プロの写真家として再開したというのです。

こういう話こそ、生意気な言い方ですが、実りのある話というか、そこらの成功譚にはない、学ぶべきものが沢山あると思い、ご紹介いたしました。

白豪主義オーストラリアと反捕鯨 

 

 

 

捕鯨をめぐって、「推進派」の日本と「反対派」のオーストラリアの間で、過激な論争に発展してユーチューブで火花が散っているという記事を読み、早速覗いて見ました。

 

詳しい経緯やら、きっかけは知りません。恐らく、オーストアラリア人の誰かが日本の捕鯨を非難して、動画サイトに投稿したところ、

 

http://jp.youtube.com/watch?v=nmsANKUfmPk&NR=1

 

 

 

今度は、日本人の誰かが、オーストラリアの白豪主義(人種差別)とカンガルーやディンゴなどの希少動物を駆除している実態を告発する動画を投稿したら、80万件以上のアクセスがあったということです。

 

http://jp.youtube.com/watch?v=oKOTzmjNFjM&feature=related

 

 

 

こういうことにはキリがありませんが、これに対して、オーストラリア人と思われる人から、日本の「人種差別」を扱ったテーマで動画を投稿しています。

 

http://jp.youtube.com/watch?v=MPSlBHHUmb4

 

 

 

私は日本人なので、当事者として、私のコメントは偏っていますので、態々茲に書くことはしません。あまり、火に油を注ぎたくありませんからねえ。

 

単なる動画サイトと言ってしまえば、怒られますが、こういう風に、動画サイトが政治的プロパガンダとして使われているとは知りませんでした。(これまで、ユーチューブは、音楽とかお笑いのサイトしか見ていませんでしたから)

我がオーディオ・ビジュアル遍歴

 公開日時: 2008年1月13日

先日、DVD再生機を買ったため、私のこれまでのオーディオ・ビジュアル(AV)遍歴に思いを馳せてしまいました。私たちの世代ほど、色んな機器やソフトに遭遇した世代はないと断言できます。

 

まず、小さい頃、家にSPと蓄音機があったのです。夭折した祖父が音楽の先生だったため、当時の人にしては結構、クラシックの名盤を持っていたようです。でも、私が覚えている範囲では、家にあったのは、童謡です。「かわいい、かわいいお魚屋さん」とか「青い目をしたお人形」なんて曲があったような気がします。78回転のSPは、落とすとパリンと簡単に割れてしまい、引越しで蓄音機とも処分してしまったんじゃないでしょうか。

 

小学生の頃は、ソノシートでした。「忍者部隊月光」だの「忍者サスケ」だの「鉄人28号」だのといったソノシートを買ってもらいました。少年向けの月刊漫画誌「冒険王」や「少年」などに付録としてソノシートが付いていたと思います。

その頃、兄がよくビートルズのレコードを借りてきました。ということは家にレコードプレーヤーがあったということなのでしょうね。覚えているのは、本当に、雑なスピーカーが1つ内蔵された小さなプレーヤーです。ビートルズのレコードで覚えているのは、4曲ぐらい入っているEP盤です。四人が大きなバネみたいなものを持っているジャケットで、当時日本の何処にも売っていなかったピンクのボタンダウンのシャツを着ていて、「格好いいなあ」と思いました。「ミッシェル」「ガール」「一人ぼっちのあいつ」などが入っていました。1965年のラバーソウルの頃ですが、当時はとてもLPなど高くて手に入りませんでした。

私が生まれて初めて買ったシングル盤はビートルズではなく、どういうわけかビージーズの「ジョーク」です。400円だったことは覚えていますが、B面の曲は覚えていないんですよね。もちろん、レコード自体もどっかにいってしまいました。

兄がビートルズ派だったのに対し、姉はローリング・ストーンズ派でした。「ビッグ・ヒッツ」というベスト盤を借りてきたのか買ったのか持っていました。おかげで、ビートルズもストーンズも初期の頃からほとんど聴くことができたのです。

初めて父がステレオを買ったのは1969年でした。ソニーのインテグラという奴です。その時に初めてビートルズのLPを買ってもらいました。ビートルズはまだ現役だったので新譜です。そう「アビイロード」です。それからはビートルズに狂って、LPを買い集め、高校生の頃にはほとんど彼らのLPを買い揃えました。もうビートルズは解散してしまい、レッドツェッペリンやイエスやT-REXなどにも夢中になりましたけど、長くなるので後日また。

AVの話でした。テープレコーダーもソニーのオープンリールのものが小学生の頃にあり、カセットテープに変わったのがいつか覚えていません。しばらく、LPとカセットの幸せの時代が続きましたが、1980年代の後半になって、段々CDに席捲され、91年か92年にせっかく集めたLP、シングルはすべて中古屋さんに売ってしまいました。ビートルズの貴重な海賊盤もあり、私には宝物で百枚ぐらいあったのですが、全部で1万円にしかなりませんでした。1枚百円だったとは!

MDを買ったのは結構遅く、1998年から99年くらいじゃなかったでしょうか。これで、カセットは次第に消えました。

これで充分かと思ったら、iPodが出てきました。これは語学の勉強のために、2006年に買いました。遅いでしょう?そして、今年のDVDです。家庭用のDVD機器が1996年に出たということですから、これまた遅い!

ところで、もう、最近の若者たちはCDだのMDだのといったパッケージものは買わないそうですね。iPodなどにダウンロードするんですよ。昔はレコードジャケットにその芸術性と憧れと希望があったものです。「サージェント」のジャケットがその代表です。ジャズもそうです。コルトレーンもマイルスも名盤と言われるLPにはジャケットには味がありました。ジャケットに憧れてLPを買ったものです。

今週の英経済誌「エコノミスト」によると、、EMIの重役が、最近の若者の音楽の嗜好と動向を知りたくて、10代の若者をロンドンの本社に招待したそうです。話を聞き、終わってから、「お礼に君たちの好きなCDを、何でも好きなだけ自由に持っていっていいですよ」と若者たちに呼びかけたそうです。それなのに、CDを持ち帰った若者は一人もいなかった!というエピソードを紹介しています。これが2006年の話なのです。今、CDの売り上げが驚愕するほど落ちているという話です。

えー!信じられません。私の場合は、好きなアーティストならすべてのCDを集めたいくらいなのですが、今の若者は「いいとこ取り」で、アーティストに拘らず、いい曲だけをダウンロードするようなのですね。

へーと思ってしまいました。

もう、MDも古臭い媒体になりつつあり、今、ICレコーダーといって、ステレオで585時間も録音できるような機器が登場しています。据え置きのテレビ録画機もDVDなんてもう面倒臭いものは使わずハードディスクに直接入れてしまう。いやあ、もう、すごい進歩というか進化です。

こうして、見ていくと、SP-ソノシートーLP-オープンリールーカセットーMD-VHS-DVDーICレコーダーと、すべて、「互換性」がないので、その度に次々と買わされて、欺瞞というか、騙されたような気になります。

だって、もう、SPもソノシートもLPもテープもVHSも用済みになってしまったからです!

しかし、「内需拡大」に貢献するわけですし、日本経済の発展にもつながります。後ろ向きにならず、「長生きしてよかった」と思うことにしています。

この道半世紀以上…


 


 先日乗ったタクシーの運転手さんは、かなり年配だったので、「お仕事はもう何年くらいなさっているのですか?」と尋ねたら、「もう半世紀以上です。昭和十年生まれです」と言うではありませんか。驚いてしまいました。


 


今年73歳ということになります。まだまだ現役で頑張っておられるのです。館野さん(仮名)が、タクシーの運転手になったのは、昭和31年5月からというのです。今年で54年目です。


 「当時は、車は配給制で、ダットサン、今の日産車しかなかったですよ。商用車がほとんどで、自家用車を持っている人は、相当なお金持ちか、芸能人やスポーツ選手くらいでしたからね。道路は空いていましたよ」


 


 館野さんが、惜しいと思うのは、昔の江戸時代から続いていた地名が「行政改革」の名の下で、次々となくなっていったことだそうです。


 


 今の「西新橋1丁目の交差点だって、昔は田村町って言ってたんですからね。あの、忠臣蔵の浅野内匠頭が切腹した田村右京大夫の屋敷があったからです。神谷町辺りも、今、虎ノ門とか言ってるけど、虎ノ門なんて地名じゃなかった。江戸城の門だったんですよ。昔は西久保巴町とか葺出町とか言っていた。今、神谷町駅近くに葺出ビルなんてやっとその名残だけが残っている」


 


 「麻布だって、今の麻布十番とか有栖川宮公園あたりの元麻布だけが、そう言われていただけで、西麻布だのは、後からとって付けた名前です。箪笥町とか言っていた。箪笥職人が住んでいたんでしょうな」


 


 「あたしゃ、浅草の生まれですが、すっかり寂れてしまった。なぜか分かりますか?今のJRAの馬券売り場が建っている所、あすこは弁天池があったんです。池を埋め立てから、寂れたんですよ。人間は、水を求めて集まってくるんです。動物と一緒です。銀座だって、数寄屋橋だの三原橋だの、川があった名残の地名がついているくらいです。新宿の歌舞伎町なんか、最初から水がないところに繁華街を作るから無法地帯みたいになっちまうんです」


 


 館野さんの話は面白かったのですが、目的地に着いてしまいました。


もっと聞きたかったですね。

モノ・マガジン オンライン

ついに買ってしまいました!

 

自他ともにビートルズ・フリークを任ずる私なのですが、ついにDVDプレーヤーを買ってしまいました。

某量販店で、ビートルズの「アンソロジー」5枚組セットが、定価1万5750円のところを、何と半額以下の6980円で売っていたのです。「アンソロジー」はVHSのビデオは持っていたのですが(というより、私のビートルズ・フリークを知っているアメリカに住む今村君が態々贈ってくれたのです)、DVDには「スタッフ編集秘話」などのおまけが付いているので、いつか買いたいなあ、と思っていたのです。

半額以下ですよ!これは、買うしかありません。

でも、ソフトは買っても、専用再生機は持っていません。そこで、小さな8型の画面のポータブルのDVD再生機も、思い切って買ってしまいました。

ポータブルにしたのは、英語の字幕を出して、語学の勉強を兼ねてやろうという魂胆があったからです。

買うときは、本当に清水の舞台から飛び降りる感じでした(大袈裟~)が、買ってよかったです。

特に、ビートルズの連中の英語の発音は聴き取りにくく、字幕を見て、「ああ、そうだったのか」と分かることがしばしばだからです。彼らは、リバプール出身なので、訛りがひどいのです。リバプールは、ロンドンの北東に位置し、列車で2時間半くらいかかるので、日本でいえば、リバプールは仙台と考えていいのではないしょうか。

ジョン・レノンもリバプール訛りを認めています。あるインタビューで「ロンドンでは、grassのことを、グラ~スなんて気取って発音するけど、俺たちはストレートにグラスって言うんだよ」なんて、発言していましたが、やはり、ジョンが一番、聴きとりにくいですね。次はジョージ・ハリスン。ポール・マッカトニーとリンゴ・スターは割りと分かりやすい発音をしてくれます。

これで(生きる)楽しみが1つ増えました。今、古い映画ならDVDのソフトがわずか500円で買えますからね。素晴らしいことです。チャップリンはすべて集めたいし、007シリーズも欲しいし、ゴッド・ファーザーも欲しいし、ヒッチコックもヴィスコンティも欲しい…。困ってしまいますね。

でも、今、一番欲しいのは、ルネ・クレマン監督の「太陽がいっぱい」(1960年)です。この映画には、人生の絶頂と転落と悲哀と人間の傲慢さと嫉妬と愛と裏切りと勇気と冒険と経済と観光と…何かすべてが織り込まれているようで、何度見ても飽きないのです。劇場とテレビで50回以上は見ています。

ああ、止まらなくなりそうなので、今日はこの辺で。

世界経済は結局、哲学の問題 

 何か昨日書いたことで反響を呼んでいるようですね。

 

私はあくまでも「経済音痴」なのですが、自分なりに「どうなっているのか?」と疑問を抱いて答えを求めると、自ずからそういう情報を目にすることになることが分かりました。

例えば、昨日、日本が米ドル債をどれくらい買っているか、経済評論家ならすぐに答えることができるでしょうーと書きましたが、早稲田大学大学院の野口悠紀雄教授が「資本開国論」(ダイヤモンド社)の中で、明らかにしていました。

 

●2007年2月末の日本の外貨準備は9050億ドル。そのうち、7582億ドルが米国債で運用されている。

 

野口教授は、「米国債中心の資産運用は収益率が低いので、株式投資や直接投資を増加させることによって収益率を高めなければならない。なぜなら、日本の対外資産総額506兆円は、GNP(2004年度で506兆円)に匹敵し、運用利回りが数%上がるだけで、GNPの成長率がそれだけ上がることになる」と持論を展開しています。

それでは、日本が米国債から撤退したらどうなるか?

急激なドル安どころか、ドル崩壊になることは間違いないのです。だから、日本は米国債を売りたくても売ることができない。米国債は、アメリカの核の傘にいる日本にとって、安全保障に代わるコストみたいなものだから、という識者もいるのです。

 

お金というか紙幣は、考えてみれば「信用」だけが命で、「信用」だけに支えられているようなものです。信用という幻想が失われれば、忽ち、その信用は失墜ー暴落してしまう。経済の世界ながら、実に文学的、哲学的世界なのではないでしょうか。

 

世界が平和になり、戦争も核兵器もなくなれば、今のアメリカを中心にしたグローバリズムは崩壊することでしょう。怖ろしいですか?でも、日本はもう米国債を買わなくて済みます。その分、福祉や弱者救済に回すことができます。

 

あなたは、私のことを夢想家と言うかもしれません。

でも、私一人だけではありません。

いつか、あなたも私たちと一緒になって、世界が1つになればいいなあと思います。

あ、ジョン・レノンの言葉でした。