スタンドプレー政治にはうんざり

伊太利亜ヴェニス

何かねえ、ですよ。

2020年の東京オリンピックのボート・カヌー会場は、震災復興の目論見で、東京都は宮城県登米市の「長沼ボート場」で開催することを表明して、まさに、実現するという雰囲気でしたが、結局は、四者会談とやらで、波の影響が大いに心配され、莫大な建設費のかかる東京臨海部の「海の森水上競技場」に決定したのですか。。。

あれだけ、大騒ぎして、被災地の皆様に夢と希望を与えておきながら、大山鳴動鼠一匹ですか…。

何かねえ、ですよ。

四者協議に登場してきた面々は、いずれもブラウン管(古い!)で面が割れた、いや失礼、顔が知られた人ばかりです。

IOCの部長さんとか言われる若い人物は、日本に物見遊山で来られたことで大喜びしているのか、にやけていて、いかにも腰が軽そうです(笑)。

もう一つ。

あれだけ「再稼働反対」を公約にして当選した鹿児島県知事は、結局、九州電力の川内原発の再稼働を容認するみたいじゃありませんか。

県知事も、ブラウン管出身で顔を売った人物でした。

顔が知られた、ということは有名な、ということで、政治家に立候補して票を獲得するのに格段の優位性を発揮することは自明の理です。

しかし、有名=信頼の置ける、能力がある、と勘違いをしている世間の人間があまりにも多すぎます。

政治家が、公約でも口約束でもいいですが、それらを反故にして、芸能人のようにスタンドプレーやパフォーマンスばかりしていては呆れるばかりです。

今回のケースを見ても、庶民は根拠のない夢や希望は持つな、ということが証明されたようなものですよ。

いい加減に目を覚ませよ、有権者たち!

ジョージ没後15年

伊太利亜ローマ・パンテオン 「ラファエロ」

先程、ラジオを聴いていたら、ビートルズの「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」がかかり、「あれっ?何でかな?」と思ったら、今日11月29日(日本時間30日)はジョージの命日だと教えてくれました。

いやあ、すっかり忘れていました。2001年ですから、もう15年も昔です。時間の経つのは早過ぎます。

享年58ですから、日本で言えば、まだ定年退職もしていない若さです。早かったんだなあ、と今更思います。

ジョージの死因は、肺がんでした。彼は若い頃からかなりのヘヴィースモーカーでしたからね。

亡くなったのは、米ロサンゼルスで、病院とも友人宅とも言われてます。何しろオリヴィア夫人が亡くなった場所どころか、何処で埋葬されたのかさえも公表しておりません。

私は、掃苔趣味があるので、お墓が分かれば、お詣りに行きたいと思っているのですが、私が生きている間は、実現することはないでしょうから、せめて、今日は一日中、ジョージ・ハリスンの曲を聴いて供養したいと思ってます。

またまた、とてもマニアックな話ですが、ビートルズがレコードデビューする前、リバプールのキャバーンクラブで演奏していた頃、リードギタリストのジョージがかなりリードヴォーカルを担当していたことが、初期の録音で分かります。

「ヤング・ブラッド」「クライング・ウェイティング・ホーピング」「シーク・オブ・アラビー」「スリー・クール・キャッツ」などです。

まるで、初期のメインヴォーカルは、ジョージ・ハリスンだったかのようです。

先日も書きました1962年1月1日のデッカ・オーディションでも三分の一以上はリードヴォーカルを担当していました。中でも、「テイク・ケア・オブ、マイ・ベイビー」のヴォーカルが非常に光っていましたが、これまた、ヴォーカルはジョージでした。

この曲は、あのメロディーメイカー、ジェリー・ゴーフィ&キャロル・キングのコンビで作詞作曲、ボビー・ヴィーが唄い、1961年9月18日から連続2週、全米ビルボード・チャートで1位になりました。

つまり、9月のヒット曲をすぐカバーしていたわけですね。

こうしてビートルズは当時、全米の最新ヒットを常にキャッチして、最新の音楽を取り入れていたことが分かります。

「青い山脈」で、若かりし頃の池部良さんを観る

伊太利亜ヴェニス

まだ少し風邪が治り切らず、ウダウダとした週末を過ごしてしまいました。

で、昭和24年に公開されて大ヒットした映画「青い山脈」を見てしまいました。

今更ながらです(笑)。映画史に残る名作と言われ、よく知ってはおりましたが、実際に観るのは今回が初めてでした。

当時のベストセラー作家石坂洋次郎原作。監督は、巨匠今井正。

昭和24年と言えば、いまだに日本は米軍の占領下にありました。映画ですから、いまだにGHQのG2による検閲が続いていたと思われます。

そういう訳ではないでしょうが、台詞の中にやたらと、古い価値観を「封建的」だのと一刀両断し、戦争が終わったのだから、これからは「民主的」に話し合いで決めましょう、といった言葉が頻繁します。

今の映画ではもうまずあり得ないでしょう。

主役を一人挙げるとすれば、英語の島崎雪子先生役の原節子となるでしょうが、校医沼田玉雄先生役の龍崎一郎、高校生金谷六助役の池部良、女子高生寺沢新子役の杉葉子、それに芸者梅太郎役の木暮実千子らがしっかりと脇を固めています。

殆どの俳優が故人となった中、当時抜群のプロポーションで水着姿を披露した新子役の杉葉子さんは昭和3年生まれで、現在、米国でご健在のようです。

私は、戦後50年に当たる1995年に、俳優の池部良さんにお会いしたことがあります。場所は、当時池部さんがお住まいの自宅近くの目黒のホテルでした。

もう今では大変有名な話ですが、池部さんは、戦争中、南方に派遣される途中、乗っていた輸送船が米軍の潜水艦により撃沈され、10時間も海上で漂流し、生と死の紙一重の壮絶な体験をしておられます。

復員したのも、終戦の翌年で、この映画「青い山脈」では、18歳の高校生役でしたが、「当時はもう30歳を過ぎていましたが、これまでの遅れを取り戻そうと必死でした」とお話しされていたことが今でも私の耳の奥底に残っています。

独裁者カストロ死す=ワシントン・ポスト紙が報じる

寺院 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

キューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長が25日に亡くなりました。享年90。

もう10年前から議長職を実弟ラウル氏に譲り、政界からも引退していたので、超メガトン級の影響はもうないでしょうが、それでも、一つの時代が終わったという感じがします。

カストロは、少なくとも1980年代末からの一連のベルリンの壁崩壊、ソ連邦崩壊という大事件が起きるまでは、世界の希望の星でありえた時期がありました。

それは、ほぼ鎖国状態で、キューバ国内の実態が海外にあまり伝わってこなかったから、という背景もあったでしょう。

 軍事博物館 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

私も、2000年に生まれて初めてキューバを旅行で訪れて驚きました。その当時、世界的に「ブエナ・ビスタ・ソーシャル・クラブ」(ヴィム・ベンダース監督、ライ・クーダ主演)というキューバの老ミュージシャンの復活をテーマに取り上げた音楽ドキュメンタリーが大流行して、私も大変な感銘を受けて、どうしてもキューバに行きたくなってしまったからです。

しかも、キューバは、私も好きで主要作品の殆どを読破した作家ヘミングウェイが活躍したところです。かつての邸宅兼書斎も公開されているということで、是非この目で見てみたかったからです。

そして、実際に行ってみて驚いたことは、社会主義革命を実現したキューバは、さぞかし、自由はともかくも、平等で、福祉がしっかり行き届いていて、街には生活に困った人が溢れていることはまずないだろう、と事前に確信していたのに、それが見事に裏切られたことでした。

世界中、格差拡大社会で、何処に行ってもホームレスや、物乞いがおりますが、キューバでは、それが子供たちだったことに衝撃を受けたのです。

いわゆる、ストリートチルドレンです。

また、白人と黒人との間で、公然と差別があり、黒人は、スポーツや医学など、よっぽど他人から秀でた才能がない限り、一般人は、「鑑識」みたいなものの常時着用が義務付けられ、驚くべきことに、許可のない地域外の移動は禁じられていたのです。

私が現地で知り合った黒人青年は、ハバナから1キロぐらいしか離れていない旧市街にでさえ移動できず、私と一緒に乗ったタクシーから降りることができませんでした。

キューバは、人類の理想のパラダイスだとばかり思っていたのに、実体は、行ってみなければ分からないと確信しました。

わずか、1週間の滞在でも、高額なビザ申請料金を在日大使館で請求されたことについて不思議に思ったことも事実でした。

 寺院 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

26日付のワシントン・ポスト(電子版)の見出しは、「Cuban dictator, a spiritual beacon to the world’s political far left, dies at 90」でした。

意訳しますと、「キューバの独裁者、世界の極左政治家の精神的支柱、90歳で死す」となりますね。

それにしても、あまりにもあからさまな凄い見出しですが、今や、すっかり極右化した日本では、「カストロ?誰それ?」「えっー?あのゲバラとも関係あったの?」てな感じかもしれませんね(笑)。

隠れトランプ、世論調査はもう時代遅れ、建前だらけの世界

新京・宮廷府  Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 11月8日に行われた米大統領選では、ドナルド・トランプ氏が勝利しましたが、得票数ではヒラリー・クリントン氏の方が上回っていたことは、当初から指摘されておりました。

 日本人には分かりにくい米国の選挙制度で、8日の選挙戦は、正確に言いますと、「選挙人」を選ぶ選挙で、その獲得総数でトランプ氏が上回り、来年の大統領就任を確定したわけです。

 ちなみに、米メディアの数字を挙げますと、10日時点ですが、得票数はクリントン氏が5933万票で、トランプ氏は5916万票。選挙人の獲得ではトランプ氏が289人、クリントン氏は218人でした。

 新京  Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur
 
 ということは、事前の米マスコミ調査で、「クリント氏確実」の報道をし続けたのは、まるっきりの絵空事の誤報道でもなく、そして、トランプ氏勝利を予想ができなかったことは、マスコミの怠慢でも敗北でもなかったようですね。

 事前の世論調査で、米マスコミは無作為に数百人から数万人のサンプルに、電話をかけまくりますが(ただしコンピュータが)、どうやら、その回答率がわずか1割以下だったそうです。

 これは、電話調査が固定電話でしか法律上、活用できないせいで、米世帯の48%が携帯電話しか所有しておらず、固定電話を持っていないという事情があったのです。(全く関係ないですが、渓流斎も、固定電話の契約は破棄しました!)
しかも、世論調査に応じる真面目な人は、1970年代は約80%だったのに、現在は8%しかいなくなってしまったそうなのです。

 そして、また、しかも、ですが、応じる人の中には、「隠れトランプ」がいて、正直に自分が投票する候補者の名前を答える人が減ってきたという要因もあるようです。

 つまりは、米国人も「建前」と「本音」を使い分けるようになったというわけですね(笑)。

 いや、米国人だけではないでしょう。

 EU離脱を決定した英国人もそうでしょう。

 しかし、何と言っても、「本音・建前」の本家本元は、日本です。
 
 建前は、美しき日本の伝統として綿々と受け継げられております(笑)。
 新京 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 「週刊新潮」の今週号を読みました。亡くなった俳優の高倉健さんの養女と言われる女性が、亡くなる数年前に慌てて養子縁組して、健さんの遺産をほとんど相続し、健さんの他の遺族親戚を寄せ付けず、自宅も改修したとか、色々な噂が飛んでいたので、楽しみにしていたのですが、酷いの一言。その養女について、名前を書かないし、出身や履歴も書かないし、遺産相続額もはっきり書きません。まるで、新聞のような、伝統芸の「建前」を地で行っている感じなのです(笑)。

 しかし、これでは「木戸銭返せ!」てな感じですよ。 

 噂では、養女が独り占めにしたと言われる健さんの遺産は40億円とも言われ、北朝鮮と繋がりが深い某宗教団体とも浅からぬ関係があるというではありませんか。

 あの本音至上主義の斎藤十一が創刊した週刊誌なんですから、もっと、本音でグイグイ迫ってほしいのに、何と言う為体なんでしょ。

それとも、何か裏があるのかしら?詳しい方は、コメントお願いします…。

「レッキング・クルーのいい仕事」読了

京都・南禅寺 by Kyoraku sensei

昨日は、都心で54年ぶりに11月に雪が降ったということで、54年前は1962年か…と考え、自他ともにビートルズ・フリークと認める私としましては、当然の如く、と言いますか、全く予期せぬ形で、ビートルズがデビューした「ラブ・ミー・ドゥー」の話にまで展開してしまったわけです。何しろ、電車の中で、スマホで記憶で書いておりますからね(笑)。

しかしながら、実は、昨日は、ケント・ハートマン著、加瀬俊訳の「レッキング・クルーのいい仕事」(2012年11月25日初版)を祝日の23日に読破しましたので、そのことを取り上げるつもりだったのです。話が横道にそれてしまったので(笑)、今日は本題に入ります。

1960~70年代に多感な年を過ごした私としましては、異様に面白くて、貪るように読んでしまいました。何しろ、初めて知る事実ばかりで、「本当?」「そうだったのかあ」と長年のアポリアが解けたような気分でした。

以前にも書きましたが、レッキング・クルーとは、スタジオ・ミュージシャン(サイドマン)のことで、レコーディングする際に、バックで演奏するプロの音楽集団のことです。ほとんど、コネで集まった、その場限りの、口約束みたいな、緩やかな集団なので、特別にリーダーがいたわけでもなく、皆が皆、独立したプロの演奏家でした。

その中でも、あえて、リーダー的存在と言えば、ドラムスのハル・ベリーを筆者のハートマンは挙げています。初期のフィル・スペクターがプロデュースするタレントから、大物フランク・シナトラの「夜のストレンジャー」、フィフス・ディメンション(元々、ヴァーサタイルズとしてデビュー)の「輝く星座」、それに70年代のカーペンターズまで、ほとんど全てのヒット曲で彼がドラムを叩いていたと言っても過言ではないほどです。

英国のビートルズに対抗して米国でつくられたアイドル・グループ「ザ・モンキーズ」や、60年代の全米ナンバーワン・バンドだったビーチ・ボーイズの影武者として演奏していたのが、このレッキング・クルーだった、と以前にも書きましたが、彼らは、当時、レコードにクレジットされることがなかったので、ファンも噂では知っていても、実体は知られていなかったのです。(モンキーズの「恋の終列車」冒頭の有名なギターリフは、ルイ・シェルトン)

80年代になると、ミュージシャンは自分たちで必ず演奏してレコーディングするというスタンスになったため、レッキング・クルーのお役目は歴史的にも終えてしまいます。ですから、この本は大変史料的価値が高いので

この本で、私が一番感心した人物は、作者のハートマンがこの本を書くきっかけになったという全く同じミュージシャンで、ラリー・ネクテル(1940~2009、心臓発作で他界。享年69)という人でした。この人、何が凄いのかと言いますと、ビーチ・ボーイズの「グッド・バイブレーション」ではハモンド・オルガンを演奏し、ドアーズの「ハートに火をつけて」では、フェンダー・ベースを弾いていたというのです。まさに、天才です。

そして、もっと、おっ魂消たことは、1970年にリリースされたサイモン&ガーファンクルの超有名な「明日に架ける橋」で、ピアノを演奏していたのが、このネクテルだったというのです。私はてっきり、ポール・サイモンがピアノを弾いていたとばかり思っていましたから、本当に吃驚してしまいました。

ネクテルは、サイモンから「ゴスペル調の曲に仕上げてくれ。しかも、白人のゴスペルではなく、黒人のゴスペル調で」という細かい注文を受けて、その場で、一時間ばかり即興で試行錯誤しているうちに、E♭の音階で弾いた曲が最もサイモンのお気に入りとなり、採用されることになったというのです。

ネクテルは、その後、70年代に、私も大好きなボーカル・ロック・バンド「ブレッド」に第2期メンバーとして参加し、「二人の架け橋」「ギターマン」「イフ」などのヒット曲量産にも貢献するのです。ギター、ベース、キーボード何でもござい、です。

レッキング・クルーは確かにテクニッシャン揃いのプロ集団ですが、裏方のサイドマンから独立して、表舞台に立って成功したのは、このネクテルとグレン・キャンベルとレオン・ラッセル(元々、ラッセル・ブリッジ)ぐらいです。

私のように60~70年代好きのファンにとって、この本で出てくる逸話は、知らなかったことばかりで、本当に面白かったです。

リタ・クーリッジとレオン・ラッセルがかつての恋人同士だったことも初めて知りました。レオンと別れたリタは、ドラマーのジム・ゴードンと付き合い始めますが、ジムの薬物中毒とアル中のおかげで暴行を受けて、また破局します。

このジム・ゴードン(1945~)という才能に溢れた天才ドラマーは、21歳にして、ビーチ・ボーイズの「ペット・サウンズ」のセッションにも数曲参加し、デレク&ザ・ドミノス=エリック・クラプトンのメンバーとして、アルバム「いとしのレイラ」レコーディングにも参加します。この表題曲の「いとしのレイラ」(クラプトンの親友ジョージ・ハリズンの妻パティへの隠れた求愛曲としても有名)では、ゴードンが作曲したピアノ曲を、最終章に無理矢理挿入したおかげで、このヒット曲のクレジットが「クラプトン=ゴードン」と明記されたのでした。

彼は、スタジオ・ミュージシャンとして引っ張りだこになり、解散したビートルズのジョージ・ハリスンのソロ・デビューアルバム「オール・シングズ・マスト・パス」やジョン・レノンの「イマジン」などのレコーディングに参加するほどの栄誉と名声も得ました。

しかし、若い頃からのアル中と薬物中毒の度合いが増長し、70年代後半には統合失調症も患い、ついには自分の母親を撲殺する大事件まで起こしてしまい、現在も収監中だとこの本には書かれておりました。

いずれにせよ、ヒット曲が生まれる縁の下では、こうしたプロ技能集団が支えていたとは…!いい勉強になりました。紅一点のキャロル・ケイも、ギタリストからベーシストに転向し、ビーチ・ボーイズの「ペット・サウンズ」のライナーノーツ(英文)を読んだら、しっかり彼女の名前がクレジットされていました。彼女はビーチ・ボーイズだったんですね。写真を見ても実に美人で格好良い!

この本の存在を教えてくれた松ちゃんには改めて感謝申し上げます。

この本に出てくる曲を知らない人でも、今はユーチューブがありますから、無料でその古い曲が聴けますから、参照しながら読めばいいと思います。便利な世の中になったものです。

【追記】実際レッキング・クルーが演奏していた名曲の数々!
1962年 クリスタルズ「ヒーズ・ア・レベル」
1963年 ビーチ・ボーイズ「サーフィンUSA」
ロネッツ「ビー・マイ・ベイビー」
1964年 ジャン&ディーン「パサデナのお婆ちゃん」
ディーン・マーチン「誰かが誰かを愛している」
1965年 ザ・バーズ「ミスター・タンブリンマン」
ママス&パパス「夢のカリフォルニア」
1966年 ビーチ・ボーイズ「グッド・バイブレーション」
ナンシー・シナトラ「憎いあなた」(原題は「ブーツは歩くために」)
1967年 スコット・マッケンジー「花のサンフランシスコ」
ゲイリー・パケット&ユニオン・ギャップ「ウーマン・ウーマン」
1968年 サイモン&ガーファンクル「ミセス・ロビンソン」
モンキーズ「素敵なバレリー」
1969年 フィフス・ディメンション「輝く星座」
サイモン&ガーファンクル「ボクサー」
1970年 カーペンターズ「遥かなる影」Close to you
パートリッジ・ファミリー「悲しき初恋」
1971年 カーペンターズ「雨の日と月曜日は」
ハミルトン、ジョー・フランク&レイノルズ「恋のかけひき」
1972年 カーペンターズ「パーティング・イーチ・アザー」
アルバート・ハモンド「カリフォルニアの青い空」
1973年 カーペンターズ「イエスタディ・ワンスモア」
1974年 バーブラ・ストライサンド「追憶」
1975年 グレン・キャンベル「ラインストーン・カウボーイ」
キャプテン&テニール「愛ある限り」

ビートルズのデビュー曲

京都・永観堂 by Kyoraku sensei (紅葉写真拝受賜り候)

関東地方は11月には珍しく雪が降り積もりました。

何やら、54年ぶりなんだそうですね。

54年前というと、1962年です。
1962年と言えば、ビートルズがデビューした年です。同年10月5日にデビューシングル「ラヴ・ミー・ドゥー」がリリースされました。

当時日本では全く話題になっていません。日本発売はその2年後です。

ということで、以下はビートルズ・フリークによるマニアックな話です。

1962年1月1日。日本ではお正月のお屠蘇気分でリラックスしている頃、リバプールの田舎町からロンドンに出てきた4人の若者が、デッカレコードのオーディションに臨みます。

メンバーは、ジョン、ポール、ジョージのほか、当時正式メンバーだったドラムスのピート・ベストです。このオーディションは録音され、今でも、ユーチューブで無料で試聴することができます。

其処には、多くのコメントが寄せられていますが、やはり、ピートのドラミングが全く合っていなくて、ビートに欠けています。デッカは、そのせいなのか、この四人組のバンドを落選させ、後に「世紀の大失敗」という汚名を歴史に刻んでしまいます。(これに懲りたデッカは、後にローリング・ストーンズと契約します)

そして、ビートルズは、マネジャーのブライアン・エプシュタインの奮闘で、6月6日にEMI傘下のパーロフォンという小さなレコード会社のオーディションに漕ぎ着け、漸くレコード・デビュー契約を果たすのです。

この際、やはり、プロデューサーのジョージ・マーチンは、ドラマーのピートが気に入らなかったのか、結局、同年8月に、ローリー・ストームとハリケーンズのメンバーで、リバプール一番のドラマーと評判だったリンゴ・スターを引き抜いて新生ビートルズを誕生させます。

その新メンバーによるデビュー曲「ラヴ・ミー・ドゥー」は9月4日に録音されます。それでも、ジョージ・マーチンは気に入らなかったのか、その一週間後の11日に、スタジオ・ミュージシャンのアンディ・ホワイトにドラムスを担当させ、リンゴはタンバリンしかやらさせてもらいませんでした。

9月4日に録音された「ラヴ・ミー・ドゥー」は、そのままシングル盤として発売されましたが、どういうわけか、翌年4月に発売されたアルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」に収録された「ラヴ・ミー・ドゥー」は、アンディ・ホワイトのドラムスの方が採用されました。

非常にマニアックな話でした(笑)。

ということで、ビートルズの「ラヴ・ミー・ドゥー」には3ヴァージョンあり、現在、ピート・ベスト版は「アンソロジー1」で、リンゴ版は「ビートルズ・パスト・マスターズvol.1」で、アンディ・ホワイト版は「プリーズ・プリーズ・ミー」で聴くことができます。

満洲今昔物語アルバム vol.2

【コメント】
 どなた様か分かりませんが、またまたコメント有難う御座いました。

 小生は、どうも一昨日辺りから鼻風邪を引いてしまったようでして、今日は学校をズル休みしました。

 あ、祝日でしたね(笑)。

 ということで、動作の遅いイカレタ古いパソコンと孤軍奮闘しながら、松岡総裁のライフワークである「満洲今昔物語アルバム」を転載させて頂くことに致しました。

 11月13日付の前回(キャプションが変わってまっせ)同様、著作権は全て、松岡氏に帰属致します。

 ご説明するまでもなく、場所は、満洲(現中国東北部)の首都新京(現長春)です。

大同広場(現人民広場)の現況(西側半分は、昔日と変わらず)

昭和9~10年頃の大同広場の西側(南端の首都警察庁のみ完成し、満洲電電や満洲中央銀行はまだ未着工)

満洲電電や満洲中央銀行が姿を現し、大同広場も体裁が整ってきた。

満洲中央銀行の「昔」

満洲中央銀行の「今」

満洲中央銀行の「今」

満洲電電の「昔」

満洲電電の「昔」

満洲電電の「今」

満洲電電の「今」

首都警察庁の「昔」(首長)

首都警察庁の「昔」(首長)

首都警察庁の「今」(短首)

首都警察庁の「今」(短首)
大同大街の現況

子どもよりペットの方が多い日本

佐久間象山塾跡

今朝は、早朝、福島を震源とする地震で目が覚めました。

震度5弱だそうですが、関東地方も結構揺れましたね。

福島原発第3号機の冷却装置が停止したそうで、心配です。

東日本大震災から5年経ち、喉元過ぎて忘れるころです。そんな中で、福島の震災から避難して横浜に転校した子どもさんに、非情な悪戯やいじめ、というより、「賠償金出ているんだろう?」と言って、金品を強奪する犯罪が発覚して、何ともまあ、何も変わっていない日本人の心因性に呆れるばかりです。

最近の日本人で目立つのが、サイコパスです。平気でウソをついても、良心の呵責も罪の意識も全くなし。20万円拾えば、ネコババしても平気でしょう。

私の周囲にもサイコパスはいましたから、よく分かります。

◇子どもよりペット

2016年もあっという間に、もう直ぐ終わりですか。

最近のニュースでビックリしたことは、今、日本では空前のペットブームだそうで、何と、人間の子どもの数より、ペットの数の方が多いそうですね。

今年5月の時点の日本の子ども(15歳未満)の数は、1605万人(5年連続の減少)。一方、犬は992万匹、猫は,987万匹で、合計1979万匹なんですからね。驚くばかりです。

【追記】

このブログには、「リアルタイム解析」機能がついています。

たった今、電車の中で、スマホで書いて発信したところ、もう13件もアクセスがあり、この記事もすかさず読まれているのですからね。

たった今、送信したばかりですよ!

ビックリしたなあ、もう。

優待パスは神様の思し召し

見つけた!

昨日は正倉院御物展、今日は文楽と関西ライフを満喫されておられる京都にお住まいの京洛先生から御下問が御座いました。

「最近、ブログではロードーショー公開映画を取り上げていませんね。あまり、御覧になっていないようですが、どうされましたか?今、東京でしたら、日比谷のシャンテでやっている映画『手紙は憶えている』は必見の価値がありますよ」

「はあ、ちよつと、色々ありまして…。フランス革命で没落しましてね…。その映画、そんな面白いのでしたら、半年経ったらレンタルで借りてみましょうか」

「あらあら、そんな寂しいことを言っちゃだめですよ。濁流斎か、清流斎か、渓流斎か知りませんが、何でも、すぐ行動に移す!何でも新鮮な時期に見ないとダメなんです。売れ残りの一昨日のパンを『安いから!』と言って齧っているのは悲劇ですよ。
1カ月前の新聞を読んで、『米国大統領選挙はどうなるのかなあ、やはり、クリントンかなあ…?』と言ってるような話ですよ(笑)」

「はあ…」

「今は毎日、築地市場に通い、新鮮なネタを扱っている仕事なんですからね。古い缶詰を食べていちゃあ、話になりませんね。
やはり、市場にいるのですから、高級魚の頭やヒレだけでも、役得で手に入るです。うまく情報を手に入れる工夫をしないと、加須に毎日、常駐しているのと同じになりますよ(笑)」

「はあ…」

「お勧めの映画は、目的はいろいろあっても、探訪精神が画面に充満しています。私立探偵みたいなもので、人間、探訪精神がなくなったらお終いです。人間、最初は、頭から腐っていきますからね」

「はあ…」

「小生はこれから大阪に『文楽』を見に行きます。人形浄瑠璃の『勧進帳』を見るためです。好奇心をなくすとボケが始まりますからね(笑)。入場料2400円は二等席ですが、ボケ防止の治療・防止薬になりますよ」

「はあ…」

「それはそうと、京都市は、70歳になると、高齢者優待で、市バスや市地下鉄などがパスで無料になることを御存知でしたか?」

「いえ、知りませんでした」

「毎年、介護保険料が8万円差し引かれるのですよ。市バスに乗れる程、外出できて、元気なお年寄りを増やして、医療費も削減するというのが目的なのです」

「へー、そういうことだったんですか」

「ただし、パスが有効なのは、京都府は京都市ぐらいです。宇治では無理です」

「嗚呼、それじゃあ、宇治出身の『京都嫌い』の井上先生なら、怒りはらひまへんかえ?」

「何を気持ち悪い下手な京ことばを使ってるですか!確か、東京都も優待パスがあるはずです。周辺の埼玉県や千葉県や神奈川県は、あるかどうか…。多分ないかもしれませんね。東京都のパスは、都営地下鉄も都バスも都電も何でも乗れますからね。梨馬さんなんか、遠回りしてでも、都営地下鉄を使っていると言ってますからね。世の中、そんなもんですよ。たとえ、最高学府を出て超一流企業に勤めても、退職して年金生活ともなれば、誰でも苦しくなるものですよ。渓流斎さんは、年金生活などまだまだ、先の話だと鷹揚に構えてますが、アッという間に年は経ちますよ」

「はあ…」

「それではお元気で」