チェルノブイリ汚染大地20年

朝日新聞一面で昨日から連載されている「チェルノブイリ汚染大地20年」には大変考えさせられます。

 

第1回の昨日は、金髪の美しい少女のようなあどけなさの残る女性たちの写真。キャプションには「子どもの時に甲状腺の摘出手術を受け、医師を目指す学生たち」とある。よく見ると、全員タートルネックなど首筋が隠れる服を着ています。手術跡はほとんど残っていないらしいですが、傷ついた乙女心が見え隠れするようです。

 

原発事故は1986年4月26日に起きました。放射線の被曝で約50人が死亡し、約4000人の子供が甲状腺がんを発病し、がんによる将来の死亡者は約9000人と推定される大事故なのに、20年前に横浜に住んでいた私は、事故が起きた当日は、それほど大規模な事故だったと認識していませんでした。事故が起きて2週間とか、1ヶ月とか随分時間が経ってからニュースが伝わってきたような記憶があります。

 

当時はソビエト連邦という秘密のヴェールに包まれた国家が支配していたせいかもしれません。情報管制がひかれたのでしょうか。

 

原発事故は1年や2年で解決しないという恐ろしさがあります。今日の紙面によると、事故後に応急で原子炉に覆った鉄板とコンクリートでできた「石棺」は耐用年数が過ぎつつあり、第二の石棺の建設を4年後に完成を目指しているそうです。石棺から約250㍍離れた場所でも、放射線量は東京の100倍。セシウムの放射能が千分の一になるのに、300年かかるそうです。

 

300年ですよ!

 

「第二の石棺」の耐用年数は約100年だそうです。

 

人類は本当に恐ろしい文明の利器を作ってしまったものです。

一日27時間

十勝川の白鳥

昨晩は後藤喜兵衛さんの呼びかけで、新橋の「くまもと」で懇談会。またまた痛飲してしまいました。

集まったのは、産業カウンセラーの中村文夫さん(福沢諭吉のやしゃ孫)、旅行代理店ホープツアーの栗原麟太郎社長、テレビ東京天王洲スタジオの浦本紘社長、宇宙航空研究開発機構(JAXA)を退職されて郷里別府の社会福祉法人「太陽の家」に転職される早田愛一郎さん、東京商工会議所の清水康能副参事、辰巳出版取締役の大西真一さん、帝京大学教授の松岡秀雄工学博士、共同通信経済部記者の村上久仁子さん、日本メディアークの中村隆二社長、東京スポーツ編集企画室の佐藤祐二室長、電通企業倫理部主管の大沼伯史さん。

利害関係のある職場を離れた異業種交流で、たあいの話をしただけですが、皆々、日頃の鬱憤を晴らすいい機会になったようです。

でも、「おまえはいつも飲んでばかりいるな」と指摘されれば、抗弁できませんね。

それにしても、北海道にいた時と比べ、圧倒的に時間的に追われています。「なぜかなあ」と考えたら、帯広に住んでいた時は、自宅から事務所まで歩いて数分でしたから、通勤時間は往復10分程度でした。

しかし、今は、埼玉県の自宅から銀座の会社まで往復3時間ぐらい掛かります。要するに、北海道では3時間も得していたわけで、一日27時間くらいの生活をしていたのです。

自分自身、妙に納得してしまいました。

桜、さくら、サクラ

北海道は桜はまだでしょうね。

ガンと脳梗塞の二重苦に襲われた辺見庸氏が昨日の東京新聞のエッセイに「来年の桜はもう見られないかもしれない」と寂しいことを書いていました。
辺見氏は、現在最も信頼の置ける力量のある作家の一人です。彼の代表作である「もの喰う人々」の中で、確か、放射能に汚染された食べ物でも一緒に食べたような記述がありました。(十年以上昔の記憶なので…)あれが、病気の原因の一因だったのでしょうか。

一刻も早い回復を祈っています。

自称シティーボーイ

帯広市長選

中札内村

驚きましたね。帯広市長選。全国紙に結果だけ載っていたのですが、結果は現職の砂川敏文市長=無現、自民推薦、公明支持=が、前・十勝毎日新聞社東京支社次長の目黒精一氏=無新、民主推薦、社民支持=と婦人団体役員の杉野智美氏=無新、共産推薦=を破って三選を果たしました。

砂川氏の獲得票は 3万3、317票(45・8%)

目黒氏は       3万2,316票(44・5%)

杉野氏は          6,503票(8・9%)

砂川氏と目黒氏の差はわずか1、001票だったのです!

大接戦だったのですね。砂川氏も薄氷の勝利どころではありません。紙一重でした。昨晩は全国13の市長選がありましたが、これほどの大接戦はありませんでした。

このブログも最近、帯広十勝の方も見てくださっているので、あまりいい加減なことは書けませんが、目黒氏陣営に鈴木宗男氏が肩入れしたのでしょうね。目黒氏は、十勝毎日新聞の出身ですから、「勝っても負けても大変」と勝毎の某幹部は嘆いていましたが、本当に大変だったでしょうね。もし、目黒氏が当選しようものなら「勝毎と目黒氏との不正関係を暴く」と公言する地元マスコミもいたぐらいですから、しばらくは熾火がくすぶり続けるでしょう。

それにしても都会と違って地方の場合、1票の重みが全然違います。私は、単なるディレッタントで、政治に関心がないタイプでしたが、久々に注目してしまいました。

上士幌町の花粉避難ツアー

上士幌町ナイタイ高原

最近、目がかゆく、くしゃみも止まらない。花粉症が再発したのです。もう四月も半ばだというのに…。街中ではまだマスクをしている人も目立ちます。以前は、3月の下旬になれば、治っていたのですが、東京の空気はよほどひどく汚染されているのでしょうね。

北海道に住んでいる時は、一度も花粉症になりませんでした。帯広は「人間の住む所ではない」と言われて左遷されたのですが、実際住んでみると、天国みたいな所でした。むしろ、東京の方が「人間の住む所ではない」のではないでしょうか。

北海道十勝支庁管内の上士幌町では、竹中貢町長が音頭をとって、昨年から「花粉症リトリート(避難)ツアー」を旅行代理店とタイアップして始めました。定年退職(予定)者にも呼びかけたところ、何組かの家族も移住を決意したようです。「花粉症リトリートツアー」に関しては何度か記事にしたのですが、その度に、竹中町長から直々に電話を戴きました。町長さんなのに偉ぶった所が全くなく、とても気さくな方でした。竹中町長さん、お元気ですか?本当に、上士幌町に避難したいくらいです。ビルに囲まれた東京で仕事をしていると、あの広大な空と大地の北海道が懐かしくなります。高村光太郎の奥さん智恵子が「東京に空はない」と言った言葉が、気が触れた人の単なる誇張に過ぎないと頭で考えていたのですが、経験者として断言できます。

東京には空がない。

そういえば、今日は帯広市長選です。当然ながら、東京のマスコミは全く報道していません。前触れ記事も全くないので、北海道以外の人はほとんど今日が帯広市長選であることは知らないでしょう。現職の砂川敏文市長が三選を目指し、対抗馬として十勝毎日新聞社の東京支社次長だった目黒精一氏が立ちました。事実上、この二人の一騎打ちと言っていいでしょう。

砂川氏には自民・公明が推薦し、地元選出の中川昭一農水大臣がバックにいます。一方の目黒氏は民主の推薦を取り付けました。砂川氏が優勢ですが、中川氏と「永遠のライバル」である新党大地代表の鈴木宗男代議士が目黒氏に肩入れすれば、どちらに転ぶか分からないと言われていました。その後、私は帯広を離れてしまったので、全く情報がありません。

十勝毎日新聞は毎日一面で候補者の一挙手一投足が報道されているでしょう。

情報とは何なのか、と考えてしまいますね。

 

「漱石という生き方」

公開日時: 2006年4月15日 @ 14:13

昨晩は尊敬するN先輩と銀座の「炭家」で痛飲して午前様となってしまいました。

家に辿りついたら、またまた尊敬する秋山さんから本が届いていました。

「漱石という生き方」(トランスビュー)というタイトルです。

同出版社のホームページhttp://www.transview.co.jp/books/4901510398/top.htmにアクセスすると、本書について

 

「最も多くの自筆原稿に触れ、画期的な最新版『漱石全集』(1993年刊行開始)を編纂した元岩波書店編集者が、全作品はもとより、書簡・日記・談話などに残されたわずかな痕跡の意味を掘り起こし、漱石が考えたこと、表現しようとしたことの本質に迫る」とあります。

 

そうです。秋山さんとは『漱石全集』が刊行しはじめた1993年に取材でお会いしました。その後、年賀状を毎年やり取りする間柄でしたが、もう13年も交流が続いてきました。私は「漱石の大ファン」を自称していますので、それを知ってか、秋山さんは、漱石全集の別冊や地図なども送ってくださりました。

 

この度、待望の著書を出されたということで、私にもわざわざ送ってくださったのです。

 

まだ目を通していないのですが、これから楽しみです。

 

読了後、またお伝えしたいと思います。

自分で答えが分かっている

 

昨年6月にミャンマーで得度した日本人高僧と会った時に、以下のようなことを言われました。

 

まさしく禅問答でしたので、その時は深く理解出来ませんでしたが、1年近く経って、何となく分かるような気がしました。

 

●既に自分で答えが分かっている。

 

●自分ができないことを無理してやることはない。

 

●今、自分の嫌なことをやっているから、自分を生かしきれていない。

●できることをやっていけば、後から木の葉のようについてくる。これから自分の好きなことをやればいい。

 

ざっと、こんなところでした。

 

しかし、正直、まだまだ自分で答えが分かっていないのです。

 

分かった時が悟った時でしょうから、当分先の話でしょう。

初めて訪れてくださった方への言い訳

 

転勤異動通知を出したところ、早速、何人かの方から電話を戴いたり、メールを戴いたりしました。

 

有り難いことです。恐縮してしまいました。

 

仕事の関係で通知を出さなければならない人は何千人といるのですが、結局三百人ほどにしぼりました。親戚友人知人から、帯広十勝でお世話に自治体の首長さん、社長さん、所長さん、マスコミ関係、俳優、芸能関係、作家、評論家、アナリストといった人たちです。かなり著名な方もいらっしゃいます。

 

異動通知の最後にこのブログのアドレスも載せました。恐らく、早速ご覧になった方もいらっしゃるかもしれません。がっかりした方もいるでしょうね。言い訳がましいですが、このブログは私の単なる個人的な「絵日記」です。日々感じていることを綴っているすにすぎません。そもそも、ブログをやろうとしたのも帯広での一人暮らしで、手遊びで始めたに過ぎません。それがいつの間にか習慣になってしまったのです。

 

「コメント(1)」のマル括弧の番号のところをクリックして戴ければ、コメントを書くことができます。

 

どうか、皆さんも「渓流斎日乗」にご参加ください。

銀座は変わった

東京に戻って理由もなく焦っています。

あんな保守的だった銀座の街もすっかり様相が変わっていました。

エルメスだのグッチだのセリーヌだのプラダだのやたらと外国ブランドの店が表通りに目立っています。

その逆に銀座らしからぬドラッグストアのチェーンストアも進出し、以前は新宿や渋谷などにしか見られなかったキャッチセールスの若者も堂々と闊歩しています。

街行く人も外国人がやたらと多くなりました。まるでニューヨークの五番街かパリのサントノレ通りのようです。

自分の魂はこんな所にいるべきではないという感覚です。銀座でも好んで裏路地の萎びた居酒屋に足が向いてしまいます。東京生まれの東京育ちなのに、人の多さには辟易してしまいます。

自分が何を焦っているのかよく分かりませんが、時代に取り残された感覚に近いのです。ワンセグも地デジもブルーレイディスクもi Podさえもついていけません。

テレビも見なくなったので、タレントと名前も一致しません。

おじさんの繰言にしか聞こえないかもしれませんが、大地にしっかり根付いて生活している北海道で出会った人たちの顔がしきりと思い浮かびます。

もちろん、牛さんや馬さんや羊さんたちもです。昔は田舎臭いと馬鹿にしていたのに随分変わったものです。満天の星、そぼ降る雪も懐かしい。まるでホームシックにかかったみたいです。