偽装事件は官民グルだ!

 帯広

 

北海道苫小牧市の食品加工卸会社「ミートホープ」(田中稔社長)の偽装工作には、唖然としました。いくら北海道ファンの私でも、とても見逃すことができない、許せないことです。

 

当初は「羊頭狗肉」、いや、牛と偽って、豚や鳥肉を混ぜて偽装した事実を否定していた田中社長ですが、出てくるわ、出てくるわ、悪行が白日の下に晒されてきました。

 

驚きなのは、「牛肉ミンチ」「国産」などと表示しておきながら、ウサギの肉を混ぜたり、ブラジル産の鶏肉を学校給食用に出荷したりしていたことです。

 

「ミートホープ」は卸会社なので、世間の表には出てきませんが、このように学校給食用に使われたり、今朝の新聞にもたくさんの「お詫び広告」が出ていましたが、生協や味の素の冷凍食品などの原料にたくさん使用されていて、かなりの人が被害を受けたのではないでしょうか。

 

元工場長が、1年以上前に、苫小牧市の農林水産省北海道農政事務所に偽の牛ミンチを、「証拠品」を持って告発したのに、当局はあいまいにして放置し、挙句の果てには、事務所は「道庁に報告した」、道庁は「受理した記録はない」などと反発したり、今度は、責任のたらい回し合戦です。もう、こうなっては官民グルの無責任は構造的で救いようがないのではないかと呆れてしまいます。

 

根本的原因は、「安かろう、悪かろう」的な経済原理主義です。学校給食でも、千歳市の担当者は「指定入札で他業者より50万円ほど安かったから採用した」と話しています。こうなっては、ミートホープも「企業努力」します。ミンチに100%ビーフを使っていては、採算が取れるわけがない。リストラして、人件費を下げてもまだまだ追いつかない。仕方がないが、少し他の肉を混ぜても分からないだろう。誰でも思いつくようなことを次々と繰り出します。最初、少しは罪悪感があったでしょうが、何年も何十年も見逃されると、感覚が麻痺してきます。「偽装は7~8年前から」という田中社長の言い訳を誰が信じることができるでしょうか。

 

まあ、こういった事件もほとぼりが醒めたら世間は忘れることでしょう。何しろ、日本人は過去のことは「水に流す」、大勢順応主義の民族ですから。

 

大勢順応主義 

 上士幌町


 


加藤周一著「日本文化における時間と空間」(岩波書店)をやっと読み終えました。


 


 私なりに会得した同書を貫くキーワードは「大勢順応主義」だと思います。日本人は、過去は「水に流し」、「長いものは巻かれろ」精神で、面従復背で、「尊王攘夷」なら「尊王攘夷」、「開国」なら「開国」で「ええじゃないか」と唯々諾々と従ってきたというのです。先の戦争でも、結局、大衆までもが「米英撃滅」「八紘一宇」精神に邁進し、焼夷弾が降ろうが、原爆が投下されようが、竹槍で抗戦しようとしました。


 


 1936年、陸軍の「皇道派」による軍事クーデターの失敗を巧みに利用した「統制派」が、盧溝橋、上海、南京と中国との戦争拡大に突入します。この大勢に抵抗したのは、1936年に「粛軍演説」を行い、1940年に対中国攻撃を批判して衆議院から除名された斎藤隆夫ただ一人だったのですが、今、この斎藤の名前を知っている人は果たしているでしょうか。


 


戦後は戦後で、「平和主義」「保護貿易」が大勢を占めたかと思えば、今度は「市場開放」、「規制緩和」が大勢となります。集団の成立の行動様式に現れた現在中心主義が跋扈するのです。


 


 加藤氏は、「これらは日本文化の固有のものではない」と断りながら、結論的にこう述べます。


 


日本人は「過去を忘れ、失策を思い煩わず、現在の大勢に従って急場をしのぐ伝統文化があると思わざるを得ない」


 


 今、政界(自民党安倍政権)で、官界(社会保険庁)で、財界(コムスン)で、社会(温泉施設爆破事件、牛ミンチ偽装)で、起きている無責任の体質は、皮肉にも、これら日本人の伝統文化が如実に現れているのかもしれません。


 


 


 

人真似小猿

 渋谷

最近、日本でも大学の助教授を「准教授」と呼ぶようになりました。マスコミがそう呼ぶのを決めたのではなく、今年の4月から、大学当局というか文部科学省が通達したのです。准教授は、アメリカのassociate professor の訳なのですから、アメリカの真似です。そう呼ぶようにアメリカが言ってきたのでしょうか?

 

そう言えば、財界ではもう何年も前から、会長や社長と並行して最高経営責任者(CEO)などとしゃれて言うようになりました。しゃれて?どうせまた、真似なのでしょうけど…。

 

もうすぐ始まる裁判員制度もアメリカの陪審員制度の真似というか、強制なのかもしれません。

 

お遊びのスポーツでもありました。日本のプロ野球のセ・パ交流戦です。まさにこれは大リーグの真似ですね。

 

小津安二郎の映画の世界が、日本人の原点とか日本的というと、もう笑われるかもしれませんが、今の日本にはもう小津的日本人は一人もいません。ないものねだり。喜んでいる方々もたくさんいるでしょうが…。

達観の境地

 十勝岳

 

会社の先輩の水川雅紀さん(仮名)と昨日、昼食を一緒にして色々とお話を伺いました。

 

水川さんは、大学の先輩でもあり、私より6歳年長です。でも、童顔でほとんど白髪もないので、私より6歳以上若く見えます。そんな先輩が、大病を患ったのは、昨年の春先。生死を彷徨うほどの大病で、約1ヶ月間の入院で、まさに九死に一生を得て、この世に生還を果たしたという感じでした。

 

病名は「急性大動脈乖離」。石原裕次郎やドリフターズの加藤茶とほぼ同じ病名です。ある日、突然という感じではなく、何か徐々に徐々に体調が思わしくなくなり、救急車で運ばれた時は全く歩けない状態だったそうです。下半身に血の巡りが悪くなり、医者が脚の脈を取ったところ、脚の脈がなかったそうです。

 

約1ヶ月間は、絶対安静の状態で、手術をすると、何か、鉛のような金属を埋め込まなければならなかったそうですが、そこまでしなくても回復してきたので、退院したそうです。しかし、今でも「いつ再発してもおかしくない」時限爆弾を抱えているようなものです。

 

原因を考えても、仕事のストレス以外はあまり考えられないそうです。健康には一応気を使い、食事にも気を使っていた。強いて挙げるとすると、、倒れる前は、よく、焼酎を原酒のまま飲んでいた。それぐらいだったそうです。

 

この世に生還して1年余り。私が「人生観は変わりましたか」と質問すると「変わったなんてもんじゃないよ」と先輩は答えました。「ああ、このまま死んじゃうんじゃないかなあ、と思ったけど、もう少しだけ、生きてみたい。何をしたいというわけじゃないんだけどね。別に何か書いてみたいということでもない。とにかく、細々と、でいいから、生きてみたい。そう思ったんだよ」

 

先輩は、特に宗教や信仰を持っているわけではなく、言葉を巧みにして表現するようなタイプではありませんが、「達観の境地かな」と言いました。私が「路傍に咲く花が一段と可憐に見えたりするんじゃないですか」と言うと「そうそう、その通りなんだよ。うまいことを言うねえ」と声のトーンを上げました。

 

「いつも、家の近くで散歩していた所で、入院前は通り過ぎていた『おせんべい屋』さんがあってね。そこでは80代のお爺さんとお婆さんが店を切り盛りしているんだけど、そこで、色んなおしゃべりをしたりしてね…。細々と生きるということがこんな素晴らしいことなのか初めて気がついたよ」

 

「そうなると、会社の人事とか出世なんかには興味なくなるんじゃないですか」と私。

 

「そう、まったーく、どうでもいい。出世したからと言ってどうなの?ウチの会社の人を見ても、出世しても可哀想なくらい惨めでしょう?人間、生きるということは、そんなもんじゃないということに気付いたんだよ」と、先輩は自信満々の表情でした。

 

これこそ、まさに「達観の境地」です。

私などのように修行の足りない人間は、毎日、焦ったり、後悔したり、地団駄を踏んだり、恨んだり、羨んだりしてばっかりなので、まだそんな境地にまで至りませんが、非常に腑に落ちる話ではありました。

カムチャッカ熊 

 帯広

 

カムチャッカ半島に棲息するカムチャッカ熊は、平均体重500キログラムもある超巨大グマです。なぜ、こんな大きな熊がいるのか、NHKの「ダーウインが来た!」と解明していました。

 

原因は火山だそうです。火山のおかげで、プランクトンの好きなリンが散布され、プランクトンが大量に発生し、このプランクトンを目当てに何十種類ものサケやマスが何十万匹も押し寄せてくる。これらを、熊さんたちが、何の苦もなく手づかみで食べられるので、食物の心配がない。疲れた時に、温泉に入ることができ、火山で地熱が高いので、餌にもなる植物もよく育ち、冬眠期間も普通の熊の半年ではなく、3,4ヶ月で済んでしまうというのです。

 

面白かったのは、熊は子供ができると、雄は家族から離れて、雌と子供たちは雄から隠れて棲むようになる。雌は子供がいる限り、発情しないので、雄は時々、子供を襲うことさえあるというのです。嗚呼、熊も人間と同じなんだなと思いました。(え?)

 

そういえば、写真家の星野道夫さんが襲われたのもこのカムチャッカ熊だったはずです。

 

やくざと日本民族と靖国史観 


今、何冊か並行して本を読んでいます。

溝口敦著「カネと暴力と五代目山口組」(竹書房)は読了しました。でも、内容については、インターネットを通して、世界中に配信できるかなあ、といったものです。ネガティブな意味ではなく、大変勉強になりましたので、ご興味がある方は読んでくださいという言い方しかできません。雑誌に連載された記事の寄せ集めで、さすがに、論旨の重複や不統一が見られ、いかんせん、情報が古びてしまったものもあります。それでも、総会屋関係の人脈組織関係は、非常に参考になりました。
五代目渡辺会長が、宅見若頭の傀儡政権で、そのために、反発した中野会が、宅見若頭を暗殺したという説には大変説得力がありました。

加藤周一氏の「日本文化における時間と空間」(岩波書店)は、途中で挫折しそうです。「羊の歌」「日本文学史序説」など、加藤氏の著作は、まあまあ読んでいるとは思いますが、この本は異様に難しい。硬くなったコッペパンのように、なかなか咀嚼できません。何となく、まだ途中ですが、分かったのは、日本人は「今」「ここ」を重視する民族で、ユダヤ欧米人のように、時間的概念としての「初め」も「終わり」もその概念がない。歴史観がまるで違う、といったものです。だから、日本人はすぐ「水に流す」とかいう言い方ができるというのです。

イスラエルという国家がパレスチナに存在するのは、何千年も昔にあったという時間の延長の概念に意義と存在証明があります。

日本という国家は、歴史上、蒙古とアメリカと露西亜にしか「侵略」された経験がないので、簡単に過去のことを水に流すことができるのでしょう。

いやあ、これ以上書くと、炎上してしまうので止めておきます。

もう1冊は、小島敦著「靖国史観」(ちくま新書)です。これも、なかなかエグイ本です。著者は、最高学府で、いわば国民の税金で最高の教育を受けた母校の助教授(正確には准教授ですか)になったというのに、庶民を上から見下ろして、学問のない人間に対しては徹底的に誹謗して、人を喰ったような言い方をするのが、鼻につきますが、概ね論旨は痛快で、もやもやしていた視界が晴れるようで、爽快感があります。

著者は、司馬遼太郎をはじめ、明治維新を全面的に肯定する歴史観は中立的ではない、と批判し、そのために「国体の本義」や「国体明徴運動」などについて詳細し、歴史的に分析しているのです。

国体というのは、国民体育大会の略称ではないのだよ、お馬鹿さん。と著者は露骨に書いていますが、それは、おいといて、国体という言葉と定義を発明したのは中国人ではなく、日本人だったということを初めて、本書を通じて、お馬鹿さんの私は知りました。水戸藩の正志斎こと会沢安(あいざわ・やすし)です。

この国体の護持ということが、以前書いたポツダム宣言受諾の折に問題になり、その前に、美濃部達吉の「天皇機関説」問題などがあったり、様々な政治問題のキーワードになるわけです。もちろん、今でも続く「靖国問題」もそうです。

正直に書けば、実に面白い本です。真の歴史家を自認している著者の論理には説得力があります。「反司馬遼史観」に立つことにした私にとっても、力強い味方になってくれそうです。

この本については、また、読了後、書くつもりです。

ハンドパワー

 帯広

 

四国に住む浜松輝彦氏(仮名)からメールが来ました。「朋之介さん、実は私には超能力があるのですよ」

 

何のことかと、思いました。予知能力?透視能力?それとも、忍者のような雲隠れの術?色々考えてみましたが、よく分かりませんでした。それから、何日か経って、また彼からメールが来ました。

 

「朋之介さんの書いていることに驚きました。実は、私もハンドパワーの能力を持っているのです」

 

「なあんだ」と、私は思いました。別に、驚きません。まだ、目の前で見たことはありませんが、否定はしません。目の前で見せてくれれば信じでもいいのですが…。そのことを伝えました。「別に驚きませんよ」。

そしたら、浜松氏はがっかりした様子でした。「なあんだ、もっと驚いてくれると思ったのですが…」

 

聖書で書かれているいわゆるイエス・キリストの奇蹟は、今で言うハンドパワーのことだと私は思っています。新約のマタイによる福音書には「らい病を患っている人をいやす」「百人隊長の僕をいやす」「多くの病人をいやす」(8章)、「中風の人をいやす」「二人の盲人をいやす」(9章)、「手の萎えた人をいやす」(12章)、」「大勢の病人をいやす」(15章)など、たくさんの病人をいやす様が描かれています。聖書記者がイエスの超人ぶりを強調したかったからでしょう。

 

しかし、これらの話は、文学的比喩とか、誇張とか、伝説とかではなく、実際に、人々の目の前でイエスがハンドパワーを使って、病人を癒したのではないかと私は思っています。

 

ということは、何もイエスだけ特殊に与えられた才能ではないのではないかと思っているのです。ハンドパワーの超能力を持つ人は、今の日本でも数万人はいるのではないかと私は勝手に推測しています。

 

ただし、そういう能力があるからといって、誰もがイエスになれるわけではありません。「逆も然り」は成り立たないのです。あと、2千年経っても、この地球上にイエスのような人間は現れないと私は確信しています。

おめでとう!「港の人」創立10周年

 帯広

 

畏友里舘勇治君が創業した出版社「港の人」が今年、創立10周年を迎えました。「ああ、あれから十年も経ったのか」と感慨に耽ります。途中で投げ出したり、挫折することなく、出版不況と言われる中でよくここまで続けてきたものだと本当に感心してしまいます。

 

たとえが変ですが「港の人」は、有名な見城徹氏の「幻冬舎」とは全く対極にある出版社です。創業者で編集責任者でチーフプロデューサーでもある見城氏は強烈な個性の持ち主で、文壇だけでなく政財界から芸能界にまで顔が広く、ベストセラーを立て続けに出版し、日本人なら知らない人はいない大出版社に育て上げました。社名の幻冬舎も大作家の五木寛之氏に付けてもらったくらいです。

 

片や「港の人」は、全く出版社らしくない名前で、詩人の北村太郎の詩集から「勝手に名前を取った」と里舘君は言います。ですから「『港の人社』ではない」と断言しますが、知らない人からみれば、何の会社か、人間なのか分かりませんよね(失礼)。出す本も幻冬舎が派手な広告と芸能人の告白本などでミリオンセラーを立て続けに記録するなら、港の人の出版部数は極めて少なく、万人が知っている書物があるわけではない。本社も鎌倉にあるので、地方の小出版と言ってもいいでしょう。

 

里舘君は、いわゆるギラギラした金儲け主義の起業家とは程遠く、外面は気弱そうで、「独立しても大丈夫かなあ」といった感じの人でした。しかし、あに諮らんや。内面に秘めた情熱は超人の域に達し、気骨の精神の塊でした。文学や詩に対する造詣と鑑識眼だけは人に譲れぬ信念を持つ人でした。「港の人」の出版方針に二つの柱があり、一つは、日本語、社会福祉、児童文化、教育などの学術図書。もう一つが詩集、エッセイ、評伝、芸術などの人文書になっていますが、まさに彼の信念の種子を現実化したものを次々と世に問うてきました。

 

流行とは全く無縁で、まさに地を這うような愚直なやり方で自分の信念の具現化だけに邁進してきたのです。この10年、本当に凄まじい逆風と大雪が降ったことでしょう。しかし、彼は倒れませんでした。今、ふと、彼は柳のような男だなあ、と思いました。強風に晒されても、風の吹くまま大きく揺れ動きながら、それでも決してポキッと折れない。出版界でも売らんかな主義の蔓延る中、あくまでも小部数でも質の高い良書を出版しようと努力してきた里舘君の信念には本当に頭が下がります。

 

この文章に興味を持った方は、是非「港の人」のホームページhttp://www.minatonohito.jp/index_main.htmlを覗いてみてください。そして、興味がある本が見つかれば注文していただければなあ、と思います。

 

 

追記…この文章は、里舘君には内緒で勝手に書いています。もしこの事実を知ったら「褒めすぎですよ。やめてくださいよ」と笑いながら許してくれると思いますが…。

安倍政権に反対宣言

 帯広

 

今日はちょっと、微妙な政治的な問題を考えます。

 

月刊「現代」7月号で、立花隆氏が「私の護憲論」を発表しています。東京新聞の「大波小波」でも取り上げられていたので、是非読まなければならないと思っていました。

最近、盛んに安倍首相が「戦後レジームからの脱却」を口を酸っぱくして発言していますが、立花氏はそのアンチテーゼとして論考を進めています。副題が「戦後レジーム否定論への徹底抗戦宣言」となっています。この論文は次号にも続きますが、今回の論点、つまり立花氏が一番言いたかったことは、以下のことだと思います。(換骨奪胎しています)

 

「政治とは、一国の社会が全体として持つ経済的、資源的、人的リソース(資源)をどう配分していくかを決定するプロセスのことである。戦前の日本は、全予算の半分が軍事的リソースに投入されていった。しかし、戦後はその軍の崩壊によって、リソースはすべて民生に注入することができるようになった。アメリカは、軍産複合なくして発展してこなかった。しかし、日本は軍産複合体を存在させずに経済発展を遂げたという意味で日本の成長モデルは世界に誇れるのではないか。それは、『戦争放棄』の憲法第9条の戦後レジームがあったからこそ可能なのだ」

 

立花氏は、この論考を進めるにあたって、日本国憲法の成立の過程を検証します。GHQにより「押し付けられた」というのが定説になっていますが、それでも、日本人の手によって、国民投票する機会もあったし、国会で審議する機会もあった。それなのに、当時の為政者たちが、唯々諾々と敗戦国として受け入れた。これでは「押し付けられた」という歴史的事実が一人歩きして、今後禍根を残すので、国民投票に諮るべきだと主張したのはただ一人、東大学長だった南原繁だけだったということを明らかにしています。

 

戦後レジームを云々するには、「ポツダム宣言」を知らなければならない、と立花氏はズバリ指摘してますが、本当に勉強になりましたね。面白かったのは、日本人は終戦記念日は8月15日だと思っているのですが、それは、国内向けにポツダム宣言を受諾する天皇の玉音放送があった日だけで、依然、諸外国では、15日以降も激戦が続いていた。国際法の本当の終戦は、9月2日で、戦艦ミズーリ号で日本が降伏文書に署名した日である、ということも説明され、私なんかも「なるほどなあ」と思いました。

 

今朝の朝日新聞の朝刊で、評論家の岸田秀氏も「安倍改憲は『自主』なのか 米に隷属する現状直視を」というタイトルで寄稿していました。要するに「日本は戦争に負けて、アメリカに隷属する属国になった。だから、改憲といっても事実上、米国の許容範囲内でしかできない。今の9条の歯止めをはずせば、自衛隊員はアメリカが勝手に決めた戦争で世界のどこかの最前線に送られる消耗品になりかねない」と指摘しているのです。

 

北方領土はなぜ返還されずに、ロシアの「占領」のまま続いているのか。返還する気がさらさらないプーチン大統領の理由は明快です。「第2次世界大戦の結果、ロシア人の血を犠牲にして獲得したからだ」。これは、日本がもし、先の戦争に勝っていたか、負けを宣言しなかったら、日本が朝鮮も台湾も満洲もそのまま日本の領土として保持していた時に使う同じような理由づけでしょう。領土というのは、戦争の産物だという歴史的事実を再認識させられるのです。

 

6月10日付の東京新聞の一面トップで「日本兵遺骨 51体集中」というタイトルで「インドネシア・ニューギニア島北西部のビアク島で、旧日本軍兵士の遺骨が大量に野ざらしになっているのが、確認された」事実を報道しています。ビアク島では、日本側は陸海軍計約1万2800人のうち1万2000人以上が戦死したといわれます。そのほとんどが60年以上経っても、「帰還」を果たすことができず、遺骨が野ざらしになっているというのです。インドネシア領西部は治安状況などを理由に、戦後20余年しかたっていないのに「遺骨収集は概ね終了した」と、日本の国家は終結宣言してしまうのです。海外で没した旧日本軍兵士は約240万人いますが、このうち約124万柱しか帰還を果たしていないというのです。私が興味を持つフィリピンのレイテ島の激戦では、約8万人が戦死(生存率3%)しましたが、帰還した遺骨は1万5千柱のみなのです。

 

何と言う冷たい国家なのでしょうか。仕方なく徴兵で戦場に送られた兵士が飢えで喘いで死に瀕している時に、好きで偉ぶりたくて軍人になった将校連中は、そそくさとチャーター便で帰国しているのです。何が靖国神社だと思ってしまいますね。戦後もぬくぬくと生き抜いた偉い軍人だけを祭っているのではないかと疑りたくなります。

 

ピラミッド社会の日本人の心因性などそう変わるものではありません。戦争になれば、日本人は国家の名の下でまた同じようなことをするのです。だから、私は、改憲をして戦争国家に逆戻りさせようとする安倍晋三を全く信用できないのです。

夫婦の極意 

 中札内村

 

昨日は、新井満ごときのことで、心を煩わせてしまったので、お口直しに、昨晩、ラジオで聴いた武田鉄矢の語録を。

 

●わたしの周りで、うまくいっている幸せな夫婦は一組もいない。結婚してよかった、という奴も一人もいないんだよ。

●わたしも結婚して、34,5年になるが、いまだに女房のことが分からない。朝機嫌がいいと思ったら、昼にはもう不機嫌なんだからね。

●でも、「分かった」ら、おしまいだね。夫婦なんて、分からないからいいんだよ。お互いに分かったときは、それは別れる時なんだよ。

 

ふーん、なるほどねえ…