奇跡優勝レスターのオーナー 第5刷

渓流が滝となって Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 サッカーの日本代表岡崎慎司が所属するレスター・シティが、イングランド・プレミアリーグで、今季、奇跡的な初優勝を遂げました。(5月2日)。同胞日本人としては、我が事のように嬉しい限りです。

 何事も賭け事が大好きな英国のブックメーカーは、レスター優勝のオッズを5001倍としたそうですね。おかげで、約16億円の支払いが余儀なくされているとか。ネッシーの怪物出現が501倍といいますから、ようやく2部リーグから這い上がってきたレスターの優勝はまずは、ネッシーの出現より、「ありえない」という観測だったことは、至極当然でしょう。嗚呼、僕も賭けておけばよかった。日本からは、できないのかなあ(笑)。

渓流がだんだん大きくなっていく Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur
 レスターの創立は1884年。日本の年号で言うと、明治17年ですよ。黒岩涙香の「萬朝報」さえまだ創刊されていません!(創刊は明治25年)。チーム創立132年目にしての初優勝。まさしく奇跡的な大番狂わせな優勝と言って間違いありません。

 何しろ、レスターの選手年俸総額は約75億円でリーグ20チーム中17位ということです。リーグトップの名門チェルシーは約334億円と言いますから、桁違いの低さです(笑)。レスターの選手の中で、移籍金の最高が岡崎で約11億円と言われていますから、岡崎はチームの要だったのですね。こんな弱小チームが優勝するなんて、「判官贔屓」の日本人としてはたまらないんでしょうね。

やがて山紫水明の湖に Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 でも、私は、チームの戦術や勝因よりも、このチームのオーナーでタイ人の実業家ヴィチャイ・スリヴァッダナプラバ氏の方が興味あります(笑)。

 彼が6年前にレスターを買収したときの価額は4000万ポンド(約62億円)だったそうです。

 レスター優勝のご褒美に選手にはそれぞれ500万円以上もする独ベンツBクラスの電気自動車をプレゼントしたそうです。太っ腹です。

 このスリヴァダナプラナ氏、何をなさっている方かと思いましたら、タイの大手免税店「キングパワー」を経営されているようです。グループの年商は、68億バーツ(約207億円)、ご本人は3100億円の資産をお持ちとか。米フォーブス誌によると、タイの長者番付で第9位。サッカークラブを買うための100億円ぐらい、何でもないんですね。

 タイ人の英国サーカークラブのオーナーといえば、元首相のタクシンさんが有名でした。マンチェスター・シティーのオーナーを2007~08年だけ務めました。不幸にも母国で汚職罪に問われ、今も海外在留を余儀なくされているようですが、彼はもともと、携帯電話サービスで莫大な利益を挙げた実業家でした。

タクシンさんは、華人系として有名ですが、スリヴァダナプラナさんも顔立ちから、恐らく華人系の方ではないでしょうか。言うまでもなく、華人系とは、華僑のことです。

タイにも大財閥があり、一昨年に日本の伊藤忠と資本提携したコングロマリットCP(チャロン・ポカパン)グループも華人系です。

目黒と岩永裕吉

 渓流と滝が混在して Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

さて、お約束通り、記憶回復発掘プロジェクトの連載を始めなければなりませんね。第一弾は「目黒と岩永裕吉」でした。

しかし、どうしても、思い出せないことが出てきました(失笑)。ミッシングリングです。そもそも、この目黒に興味を持ったのは、10年ほど前に仕事で知り合った女性Aさんがきっかけでした。今ではAさんとは音信不通で、連絡先も分からないので、確かめようもないのですが、そのAさんが、といいますか、A家はもともと(とはいえ明治以降ですが)、目黒に住んでいて、目黒駅周辺から白金辺りの土地はほとんどA家筋が所有していたというのです。

そこで、色々と調べたり、文献を漁ったりしましたら、世間でネームヴァリューでは恐らく一番知られている人物として、白樺派の作家、長与善郎が出てきました。

しかし、世間ではあまり知られていませんが、もっと遥かに凄いのは、日本の医学の礎をつくった善郎の父である長与専斎です。肥前大村藩の代々漢方医を務める家系に天保年間に生まれ、大坂の緒方洪庵の適塾で、福沢諭吉の次の塾頭に抜擢された秀才肌で、その後、文部省医務局長、内務省衛生局長などを歴任します。(英語のhygieneの訳語を「衛生」にしたのはこの専斎と言われます)

そしてまた、専斎の息子たちも凄い。長男稱吉も医師で、男爵。二男程三は実業界に進み、日本輸出絹連合会組長。三男又郎は病理学者で東京帝国大学総長(夏目漱石の主治医)、男爵。四男は母方の岩永家に養子に行った裕吉で、同盟通信社の初代社長。そして、白樺派の作家善郎は五男というわけです。

瑠璃色に澄み渡る池 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

前述しましたように、長与家筋は、目黒周辺の土地をほとんど所有していたらしく、四男岩永裕吉は、省線目黒駅に近い超一等地を目黒雅叙園に売却して、その資金で、米国のAP通信社を手本にした国際通信社「聯合」を創設しました。この文献出典は忘れましたが(笑)。

「目黒と岩永裕吉」に興味を持ったきっかけはAさんだったと先に申し述べましたが、Aさんは、苗字が長与でも岩永でもありませんでした。

むしろ、「祖母から5・15事件で暗殺された元首相の犬養毅の血筋を引く、と聞いたことがあります」と、Aさんは、はっきり言うのでした。「祖母はもの凄くプライドが高くて、戦前の祖父も男爵か何かの爵位を持っていたらしく、病院の待合室でも公共施設でもどこでも、『下々の者たちと一緒にいたくない』と言って、プイと帰ってしまうことが多かった」と逸話を明かしてくれました。

そのAさんの言う、長与家と犬養家とのつながりが分からなくて、「ミッシングリング」だったのですが、何てことはない。今では簡単に調べられるのですね。

つまり、こういうことです。
至る所に渓流が Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

長与専斎の長男稱吉の妻は、幕末土佐藩士で有名な後藤象二郎の娘延子。(後藤象二郎の娘早苗子は、三菱財閥の岩崎弥之助と結婚しており、岩崎家とのつながりも深い)この夫妻の長女美代子は駐米大使斎藤博と結婚。次女仲子は、犬養毅の息子健(ゾルゲ事件の尾崎秀実と親友で連座して起訴されるも無罪。戦後、法相となり造船疑獄事件で指揮権を発動した)と結婚していたのですね。(健と仲子との間の長女が評論家犬養道子、長男が元共同通信社社長犬養康彦)

また、長与専斎の娘保子は松方正義の長男巌と結婚しております。

このように、長与家筋なんて、薄く書いてしまいましたが、後藤家、犬養家、松方家、斎藤家、岩崎家など華麗なる一族と姻戚関係があり、これらの一族が、明治政府から目黒村一帯の国有地の払い下げを受けた可能性は十分ありますが、あくまでも推測で、証拠となる文献に行きあたっておりません。単に、長与一族は大村出身で、もともと目黒に住んでいたわけではないという理由からに過ぎませんが…。

落語の世界では、目黒といえば、サンマですが、遠い昔、グルメの調布先生に連れて行ってもらった目黒駅に近いとんかつ屋「とんき」の味が忘れられませんねえ。ほんの少し値が張りますが、ピカイチでした。とんかつの発祥地上野の御三家と勝負できます。

記憶回復発掘プロジェクト第1弾、と言いたいところですが… edition 10

九寨溝(きゅうさいこう)入口 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

いよいよ、5月10日に、注目の「パナマ文書」の内容の一部が全世界で公表されます。楽しみですね。

でも、世紀の大スクープかと思っていましたら、例の伊藤博敏さんの「黒幕」に、しっかりと出ているんですね。1990年代に四大大手証券(野村、大和、日興、山一)による損失補填=利益供与事件が大問題になり、社長さんが引責辞任するほどでした。

この中で、今は、影も形もなくなった日興証券が、パナマのペーパーカンパニーを通して、税金逃れしていたことが発覚したことを、伊藤さんは、はっきりと書いております。今に始まったことじゃなかったんですね。

さて、渓流斎ブログも長い間、書き続けておりますが、私の手違いといいますか、思い違いで、10年近く続けていた前のバージョンが消えて無くなってしまったことは、以前にも何度か書きました。

あのバージョンでは、実に多くのことを書き連ねて、自分の備忘録にもなっていたので、この世から永久に消えて亡くなってしまっては、勿体ない気がします。(渓流斎ブログを「怪文書」と断罪した古石さんのように、ざまあみろ、と悦んでいる人もいるようですが…)

そこで、可能な限り記憶の糸を辿って、残しておきたいことを復刻してみようと考えるようになりました。勿論、一字一句同じになるわけではなく、これだけは、思い出しておきたいことを、暇を見て、徐々に復活させてみたいのです。本来、渓流斎ブログは、一度書いたことは、書かないことを鉄則としておりましたが(何で?)、消えて亡くなってしまった分は例外でしょう(笑)。

まずは滝のお出迎え Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

とはいえ、同じテーマながら、結局は、新たな書き下ろしになると思います。

第一弾は、目黒の岩永裕吉の話です。あとは、画家岸田劉生の父で、東京日日新聞の主筆も務めた岸田吟香、画家鏑木清方の父で、東京日日新聞の創刊者の一人、条野採菊、「蝮の周六」と恐れられた黒岩涙香の「萬朝報」、その萬朝報の記者だった幸徳秋水が、日露戦争に反対して退社し、新たに創刊した「平民新聞」にスキャンダルを連載した妖婦下田歌子、その歌子に信頼された「日本のラスプーチン」と呼ばれた「隠田(今の東京・原宿)の行者」こと飯野吉三郎、函館の長谷川四兄弟(「丹下左膳」の海太郎=林不忘、画家の?二郎、満洲の濬、作家の四郎)などなどです。

では、第一弾を始めましょうか、と思いましたら、紙数が尽きた、というのは言い訳で、疲れてしまいましたので、また、明日(笑)。

素養と教養の問題 8th edition

城壁は延々と Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 皆様には、この渓流斎ブログで、伊藤博敏著「黒幕」(小学館)を読めば、世の中の仕組みが分かりますよ、と5月3日付で書きました。

 すると、博多のどんたく先生から電話がありまして、「いやあ、あの本は分かる人が読めば分かるでしょうが、素養がない人ではさっぱり分からないでしょう。何しろ、許永中ですら何と読むのか分からない人がいるくらいですよ。渓流斎さんのように、『政界ジープ』と見ただけで、すぐゾルゲ事件やGHQを連想できるのなら、まだしも、普通の人はそこまで連想が働きません。教養といいますか、素養といいますか、この本を一冊読む前に、田中森一の「反転 闇社会の守護神と呼ばれて」や溝口敦の「食肉の帝王」などを読んでいなければいけないし、朝堂院大覚さんの名前を見て、すぐマイケル・ジャクソンのことを思い出さなければなりません。

 そんなことできる人、何人いますか?いわんや、大津市の義仲寺に何で『室町将軍』と呼ばれた三浦義一や日本浪漫派の文芸評論家保田與重郎の墓があるのか、知っている人は少ないでしょう。

 東洋文庫をつくったのは三菱財閥ですが、学術的にその基礎をつくったのが、芥川龍之介と第一高等学校の同級生で友人だった石田幹之助という東洋歴史学者です。彼は芥川に『杜子春』や『蜘蛛の糸』などのネタ本を紹介していたことなど、今は誰も知らないでしょう。芥川の友人と言えば、恒藤恭や菊地寛、松岡譲、久米正雄らは知っていても、石田幹之助を知らなければ潜りですね(笑)。

 とにかく、一つの名前を見ただけで、パッと色んな事象や名称が10個ぐらい思いつかないと駄目なんですよ。

 今は、スマホで、パッと検索できて、その時は分かったような気にはなりますけど、そういう平べったい知識は、すぐ忘れてしまうものですよ」

城壁より城外を望む Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 うーん、凄い説法でした。その通りかもしれませんね。渓流斎ブログの読者の中にはなかなか手ごわい人がおられますので、緊張しますね(笑)。

 さて、突然話題を変えますが、今、Babymetalというヘビーメタル・バンドが英国の音楽誌のチャートにランクインするなど、欧米で絶大なる人気を博しているようです。79歳の若大将までぞっこんで、「あんな凄いバンドは久しぶり。年齢なんか関係ない」と入れ込んでますので、私もユーチューブで見てみました。

 まあ、吃驚しましたね。操り人形のような(失礼!)16,7歳の日本人の女の子3人が歌って踊って、バックにテクニッシャンの「神様バンド」という日本人男性4人が控えていて、サウンド的、音楽的に新機軸を繰り出したようで、熱烈なファンのサポートが半端じゃありません。

裏城門 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 しかも、観客はほとんど欧米の白人系の人で、ベビーメタルは日本語で歌っているのに、そんなのお構いなしです!

 漫画やアニメやフィギュアなど日本のポップカルチャーが欧米やアジアで大人気であることは知っていましたが、ここまで、ブームになっていたとは知りませんでした。

 もし、ご興味ある方は、ご自分で検索してみてください。

 とはいえ、世代が違うのか、私自身は、どうもよく分からないといいますか、ついていけませんね。美少女戦士セーラームーンを意識したような振り付けで、オタッキーな若者には、国籍にかかわらず、たまらないんでしょうけど、私のような素敵なおじちゃま世代にはどうも物足りないんですよね。

 何かなあ?と考えていたら、思い出しました。2014年春に公開された映画「インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌」という作品です。この映画は、ボブ・ディランがメジャーデビューする直前の1961年ごろのアメリカの音楽シーンが描かれていて、主人公のフォーク歌手ルーウィンが色んな所で、オーディションを受けます。

 しかし、ことごとく落ちてしまいます。その中で、オーディションのプロデューサーかデイレクターか分かりませんが、こう言い放ちます。

 「おまえさんは、うまいけど、金の匂いがしないなあ」

 恐らく、スターになれる華がないということを言いたかったんでしょうけど、上手いことを言うなあ、と心の底に残っていました。

恐らく、こんなことを書けば、誤解されて炎上してしまうかもしれませんが、ベビーメタルを見ても、素敵なおじちゃま世代は、どうもお金の匂いがしないんですよね。

 それは、守銭奴のようにガツガツしていないということになるかもしれませんし、何となく、ニュートラルな中性的なものすら感じてしまうからです。

 ですから、件のプロデューサーのような悪意はありません。

Don’t get me wrong!

二都物語 京都の展覧会はガラガラ 19th edition

 
 臨済禅師1150年、白隠禅師250年遠諱記念「~心をかたちに~『禅』」展 Copyright par Kyoraku-sennsei

 連休のど真ん中。今日は久しぶりに、京都の話題です。堀川三条西入る「三条商店会」の洋食レストラン「力」の女将さんも、この渓流斎ブログを熱心に読んでくださっていらっしゃるらしいので、偶には、べんちゃらしないといけませんね(笑)。

 とは言っても、いつもの通り、京洛先生からのお手紙からです―。

 …連休は如何お過ごしですか。東京は、上野の「若冲展」が大賑わいだそうで、火事と喧嘩は江戸の華、と言いますが、帝都の皆さんは、今、「若冲!若冲!」で大騒ぎのようですね。

 昔の日本人も、今の日本人も、たいした違いはありません。あるように言うのは、理屈をこねる似非インテリです(笑)。

 若冲の生誕300年なんてのも、数年前までは、誰も知らないことだったと思います(笑)。若冲が生まれた、京都の「錦(にしき)」も、その遺徳を、あやかろうと「若冲生誕300年」の垂れ幕が下っています。…

 あれあれ、いわゆる一つの「便乗商法」ですか?

 …ひと昔、ふた昔前までは、東西約400メートルの長さの、狭い錦小路には、魚屋、八百屋など生鮮食料品店が、ひしめく商店街でしたが、今は漬物屋、飲食店などが中心になり、市場の雰囲気から、観光客相手の単なるお土産屋に衣替えしています。錦で店を持っていた幼馴染が「なんで、餅つきをするような店が錦なんや、あほらし!」と悲憤慷慨していましたが、行ってみるとわかりますが、外国人の観光客が店先に出してある試食品を食べまくり、その汁などが、通行人に付いたり、まあ、マナー、作法の悪さは目につきますね。…

 何か、目に浮かぶようですね。幼馴染さんの悲憤慷慨はよく分かります。

 …東京は築地の魚市場が今年11月に愈々、豊洲に移転しますが、今の「築地」は、京都の「錦」と同様、これからは、観光客相手の”疑似市場”街に変身すると思いますね(笑)。同時に外国人観光客の問題も浮上するでしょう。

 このGWには、最後の「築地市場まつり」が開かれているようですが、これまた、「おっ!何かやっているそうだ」、「ひょっとしたら安いものがあるかもしれない」と、次々、人が集まるわけです(笑)。そこに、マスコミがまた、「有名落語家がやってくる!」と喧伝するのですから、GWという事もあって相乗効果満点です。…

 IT族がよく使いたがる、シナジー効果ですね(笑)。京都からでも、帝都の様子が手に取るように分かるようですねえ。

臨済禅師1150年、白隠禅師250年遠諱記念「~心をかたちに~『禅』」展 Copyright par Kyoraku-sensei

…こちらでは今、京都国立博物館で、臨済禅師1150年、白隠禅師250年遠諱記念「~心をかたちに~『禅』」展を開催しています。

 GWのさなかですから、上野の若冲展のように大勢の来場者で入場制限でもあるかと思って、見に出かけましたが、3日の祝日なのに、スイスイ入場でき、国宝、重文多数をじっくり拝めました。

 京都にはGW最中はいつも以上に観光客が押し寄せているのですから、「禅展」にも、ついでに京博に立ち寄ると思ったのですが、予想は外れました。…

 あら、帝都とは全然違うんですね。

 …やはり「若冲」に比べ、禅展は抹香の匂いがするのですかね?(笑)。やはり、臨済、白隠禅師と言ってもチンプンカンプン、一般向けではないのですね。

 主催の日本経済新聞は、紙面で力を入れて色々紹介記事を載せていますが、金儲けしか、眼中にない読者ばかりですから、文化程度も知れたものかもしれません(笑)。同時に、NHKと日経の動員力、媒体力の差を感じてしまいました(大笑)。

 ちなみに、この「禅展」は、東京・上野の東京国立博物館でも、今秋10月18日~11月27日まで開催されますが、結果は京都と同じかもしれませんね(爆笑)。…

 鋭いご指摘ですね。

 小生も、「若冲展」を見に行った会場で、「鳳凰ってホントにいるんだ?」と、親娘が大きな声で会話しているのが耳に入って、思わず、「鳳凰は想像上の鳥ですよ。英語でフェニックス。宇治の平等院鳳凰堂も有名ですね」と、お節介にも応えてしまいました(笑)。

 余計なお世話でしたが、親娘さんは感心してました(笑)。

黒幕とリテラシー 6th edition

城壁は延々と Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 伊藤博敏著「黒幕 巨大企業とマスコミがすがった『裏社会の案内人』」(小学館)を遅ればせながら読んでおりますが、その凄まじい内容に思わず震撼してしまいました。

 いやそこまで言っては大袈裟ですが、それぐらい感心しながら読みました。

 かの京洛先生は「世間の連中は、世の中のことが分かっていない。選挙権年齢も18歳に引き下げるのではなく、30歳まで引き上げるべきだ!」と口癖のように仰っておりますが、確かに、世の中の人は、世間のことが分かっていない。ま、逆ですがどっちも同じでしょう(笑)。

 では、「世の中のことが分かる」とはどういうことか?ーそれは社会の仕組みが分かるということで、人間社会がどういう構造になっていて、どういう利権があって、どういう理念で人間の行動を駆り立てているか、を知ることではないでせうか。

 結局、日本社会は狭い村社会ですから、最後は損得抜きの浪花節、魚心あれば水心、義理人情の世界で物事が決まっていくようです。これは、欧米社会でもアジア、アフリカ社会でも同じようなもので、全く知らない他人を相手にせず、ファミリーを大事にするということになりますかね。

 ファミリーとは、勿論、血縁があっても、なくても、堅い結束を誓い合った扶助団体とも言えます。

城壁より城外を望む Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 日本では、バブル経済真っ只中の1980年代後半から、そのバブル崩壊後の2000年代にかけて、数多くの「経済事件」が頻発しました。

 平和相銀事件、リクルート事件、共和汚職事件、山一証券倒産、イトマン事件、東京佐川急便事件、金丸脱税事件…。かくいう私も、その同時代を生きながら、頭の中では全く整理できておらず、事件の核心について、ほとんど知ることはありませんでした。

 この本を読むまでは。

 「黒幕」は、これらの事件のほぼ全てに関わった「現代産業情報」という月2回発行の情報誌を発行していた石原俊介という人物にスポットを当てて、経済事件の裏を探るというノンフィクションです。

 石原俊介氏とは何者か?-彼は、政・官・財・報・暴の全てに睨みがきいて、その情報の分析と正確性に定評があり、マスコミからも政治家からも官僚からも、企業からも、反社会勢力からも頼りにされた男、と言えばいいかもしれません。

 この「黒幕」の著者伊藤氏は「日本を経済成長させた政官財のトライアングルは、政治家は官僚に強く、官僚は財界人に強く、財界人は政治家に強く、逆に官僚は政治家に弱く、財界人は官僚に弱く、政治家は財界人に弱いという三すくみの中でバランスを保ち、それを報道機関が監視するという構図で成り立つ。そこに、純然たる暴力団だけでなく、総会屋、地上げ屋、仕手筋、小売り金融など暴力団の威圧をバックにする勢力が日本社会にあり、彼らの存在抜きに社会構造も事件の背景を語れない」とズバリ書いております。

裏城門 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 確かに、これは一つの社会の見方ではありますが、ここまで具体的に裏金や贈収賄の額まで詳らかにされると、信ぜざるを得ないという感じになります。

 ここには、バブル紳士から彼らを利用する政治家や官僚、裏で立ち回る反社会勢力まで登場する魑魅魍魎の世界…へたなドラマや映画を見るより、ずっと面白いことは確かです。懐かしい大蔵省の接待事件も出てきます。

驚くべきことに、あのゾルゲ事件をスッパ抜いた総会屋誌のルーツとも言うべき、戦後間もなく創刊された「政界ジープ」まで登場します。手法は、途切れることなく、口伝で脈々と受け継がれるのです。

本当に正しいものは、目に見えないし、モノにも書かれない。

日本の藝は、剣術にしろ、忍術にしろ、もともと、師匠から弟子に口伝で伝えられたものでした。

 不思議なことに、これらの事件は、まっすぐ一本の糸で繋がっているようにも見えます。そして、遙かに複雑にしているのは、正義の味方であるはずの検察当局も功名心に駆られて、証拠品を偽造したり、不祥事を働いたりするので、何が何だか分からなくなるのです。

 その後の日本は、商法や民法の改正で総会屋は淘汰されて、株主総会に入りこめなくなり、暴対法や暴排条例で、反社会勢力も押さえ込まれるようになり、石原氏のような人も用済みになっていきます。そういう意味でも、石原氏の亡くなった2013年以降の日本は今後どうなっていくのか、現代人のリテラシーが試されている気がします。

そういう意味で、この伊藤氏の「黒幕」は、裏社会と表社会を仲介した「兜町の石原」という黒幕を世間に知らしめ、啓蒙したことで、金字塔を打ち立てました。

この本では、政治家から裏社会まで、あらゆるタブーに挑戦しておりますが、惜しむらくは、日本を表から支配している、ある組織団体については、知らないはずがないのに、筆誅を加えていないことです。石原氏の力が及ばなかったところかもしれまさんが、それだけは物足りなかったことを付加しておきます。

若冲展には大した魂消た 5th edition

これから城壁に上る Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 ゴールデンウイークの真只中に無謀にも、東京・上野公園内の東京都美術館で開催されている「生誕300年記念 若冲展」(約80点展示)を観に行ってきました。

 (例によって、著作権の関係で若冲さんの写真は掲載できません。いつもながら、松岡総裁の写真でお楽しみくだされ)

 伊藤若冲(1716~1800年)、江戸時代の18世紀後半に京都で活躍した謎の大天才絵師。裕福な青物問屋の長男として生まれて、23歳で家督を継ぎ、40歳で次弟に家督を譲って、画業に専念しますが、基礎は学んでもその後はほぼ独学だったらしく、その独自の手法についてはいまだ解明されていないそうです。

 何しろ、驚くべきことに19世紀のフランスのクロード・モネらによって始まる印象派の点描画法などは、その前から既に、若冲が100年前から確立していたというのですからね。

 こんな大天才が身近にいたのにも関わらず、その後ほとんど顧みられることなく、私も含めて、世間で再評価が始まったのが、わずか16年前の2000年。「没後200年記念」として京都国立博物館で「若冲展」が開催されて以降です。

 大変話題になりましたから、私も、是非観に行きたかったのですが、結局、観ておりません。その後、何かの展覧会で、1、2点を垣間見たことがありましたが、今回のような大展示会は初めてです。

 その前に、日本人より、ずっと昔に、この若冲に魅せられてコレクションを始めた米国人がいたんですね。ジョー・プライスさんというエンジニア。父親の会社の本社ビルを建築する際に、日本の帝国ホテルも設計したあのフランク・ロイド・ライトの仲介役になり、1953年、日本美術蒐集が趣味だったライトと一緒にニューヨーク市内の古美術商を回っていたとき、若冲の「葡萄図」(今展でも出品)を一目見て気に入り、その後、当時ではあまり評価されていなかった若冲を中心に、収集を始めたといいます。

 プライスの奥さんは、通訳だった日本人の悦子さんで、今は財団をつくって広く公開しています。2013年には東日本大震災の復興を願ってコレクションが仙台美術館などで巡回公開されたことは記憶に新しいですね。

 城壁を歩く Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 印象派の100年も昔に独自の画法を生み出していた日本人の天才を、最初に米国人が発見していたなんて、色んな見方や御意見があるでしょうが、私は、作品が散逸しなくてよかったと思います。感謝しなくてはいけませんね。

 さて、肝心の展覧会ですが、バックに天下のNHKさんが控えているせいか、そして、そのNHKさんが硬質な番宣、つまり番組宣伝放送番組を次々とオンエアしてくれるもんですから、開催前から大評判で、日本中、世界中から押しかけたと思われる人、人、人、人…でした。

 残念なことに、この天下の大NHKの膨大な影響力を全く知らないのが、灯台下暗し、本家本元のNHK会長さんなのですから、何が哀しくて、あんなつまらない人物を頭として抱いているのか不思議です。

 まずは、入場するまで70分から90分待ち。そして、やっと中に入ることができても、作品の前には、三重、四重どころか、五重、六重、いやいや、七重、八重もトグロを巻き、人いきれで卒倒しそうになります(苦笑)。

 幸いにも、私は六尺の長身ですから、遠くからでも拝見できますが、小さい方は大変でしょうね。

 城壁角の望楼 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 この展覧会で、何と言っても、宮内庁(三の丸尚蔵館)御所蔵の「釈迦三尊像と動植綵絵」33点が出色でした。特に、鳥から動物、魚、貝、植物などありとあらゆる自然の動植物(変な言い方ですね=笑)が細密に描かれている作品は圧巻で、まさしく圧倒されて、何度も絵の前を(遠くからですが)ウロウロしました(笑)。この33点だけを見に来るだけでも十分価値ありです。全ての作品に集中していては途中で疲れ果ててしまうでしょうから、このコーナーまで余力を残しておきましょう。

 江戸時代ですから、若冲さんは恐らく、本物の虎や象を見ていないでしょう。これまた、恐らくですが、長崎の出島から色んな文物が流れてきて、京都では普段見られない動植物でも、西洋の図版画などで参照できたのではないでしょうか。それに、若冲さんは、大変高価な絵の具を使っているらしいですね。

とにかく、卒倒するほど根気がいる細かい作業を成し遂げた人です。やはり、若冲さんの描く鶏はピカイチですね。絵画だけで、言葉をほとんど残すことがなかった彼は、ただ一言、「千載 具眼の徒を俟つ」と認(したた)めたと言われています。「1000年後には私の絵を評価してくれる人が現れるだろう」といった意味ですが、「いえいえ、若冲さん、1000年も掛かりません。200年で十分でしたよ」とお伝えしたいです。

証券アナリストの株価予想はサルと変わらない? nineth edition

ただ今城門に到着 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur
 橘玲著「臆病者のための億万長者入門」をやっと読了しました。

 途中でかなり週刊誌の「読書」に熱中しましたので(笑)、単行本の方は少し疎かになってしまいました。

 著者の橘さんは、今、毎月のようにベストセラーを出されている作家で、新聞の下に名前をよくお見かけします。
 でも、本名は非公表で、自身の公式でも全く略歴を公開しておりません。

 あるサイトによりますと、橘さんは、早稲田大学~○○系の出版社の編集者を経て、フィクションもノンフィクションも書く作家に華麗なる転身を図られたようです。かなり経済、特に株式や金融ものの著作が多いのに、意外にも出身は、政経学部ではなくて、文学部でしたので、「金融リテラシー」については、かなり独学されたようです。そのせいか、既成の学術理論には染まっていない気がします。

 城門より城内を Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 この本も独学の成果の一つでしょう。

 「宝くじとは『愚か者に課せられた税金』」だの、「保険商品は宝くじより割の悪いギャンブル」だの「ウマイ話はどこにもない」だの、「金融機関が熱心に勧めるうまそうな話はすべて無視する」といったことは、既に、私も影響を受けた経済評論家の山崎元氏という正統に帝大経済学部で学んだ人と、不思議にもほぼ同じでした。まあ、山崎氏は恐らく、正統派というより、異端でしょうけど、この著書にも啓発される点が多かったです。

 ただ、第5章「『マイホーム』という不動産投資」の中で、マイホームは、「持ち家」より「賃貸」の方がお得と説きながらも、第6章「アベノミクスと日本の未来」になると、リタイアした60代のポートフォリオの不動産資産が40%占めていると、あたかも当然のように、「賃貸」ではなく、「持ち家」が前提になっている論理展開なので、面食らってしまいます。

 まあ、週刊誌と月刊誌に連載していたのをまとめたらしいので、矛盾していてもしょうがないか、という感じはしますが、このままでは、理論的に破綻しています。

 城門内に入ってすぐ Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 それでも、記憶すべきことを、また換骨奪胎で引用させて頂きます。

・ほとんどの人は、株価が上がったり下がったりするのは理由があると考えている。因果論はものすごく分かりやすいから、私たちは原因と結果を結びつけようとしている。だが、株価の変動には理由がない。

(メデイアや評論家が分析する原油安なんて、関係ないということかなあ)

・過去の株価予想を検証してみると、高給取りの証券アナリストの成績はサルと変わらない。この”不都合な真実”は半世紀前から繰り返し証明されているが、それでも彼らの仕事がなくならないのは、金融業がある種の娯楽産業で、競馬や競輪に予想屋が必要なのと同じだ。

(ひょえー、これは、凄い大胆な理論!でも、抗議する人は、それこそ、「高級取り」を認めたことになってしまうから、誰も抗議なんかしないでしょうね)

・金融リテラシーの高い人は、「誰も未来を知ることはできない」という真理を前提に資産運用を考える。このときに重要なのは、どんな経済変動にも耐えられるよう十分に資産を分散しておくことだ。

(これは、人生も同じでせう。小生も、まさか、あんなことが起きるとは想像だにしなかった)

・有利な投資話があったとしても、あなたのところに来るまにプロたちがおいしいところを全部持って行ってしまっている。直感的に「得だ」と思う話は、すべて胡散臭いと考えて間違いない。

 (まあ、こう引用しても、騙される人は後を絶たないことでしょう。そういう私も…。)