「古事記」を読む(1) 第108刷

「静の山紫水明・陽朔」朝のすなどり Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 豪傑君 ついに、「古事記」を読破しました!
 南海先生 嘘でしょ?
 豪傑君 いえ、本当です。
 南海先生 本当?
 豪傑君 ま、本当です。
 南海先生 何か、怪しい…。
 豪傑君 まあ、限りなく本当です(笑)。
 南海先生 ほら、やっぱり、嘘じゃん。
 豪傑君 嘘ではありません。
 南海先生 じゃ何なのさ?
 豪傑君 はい、じゃあ言いますよ。現代語訳で読んだのです。
 南海先生 なあんだ!
 豪傑君 なあんだ、と言われても、現代語訳でもそれなりに苦労して読んだのです。これでも。ただ、ほんの少しだけ、前知識があったおかげで読破できました。この前知識がなければ、恐らく、途中で挫折していたでしょう…。
 南海先生 ほう…。
 洋行紳士 まあ、まあ、お二人さん。ここは、ちょっと、お二人とも、少し落ち着いて。南海先生も、そう、茶化さないで、たまには豪傑君の話でも聞いてあげようではありませんか。
 豪傑君 はい、有難う御座います。それでは、茲に感想めいたことを短く述べさせていただきたいと存じます。

静の山紫水明 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 恐らく、現代文壇(という名称は死語にはなりましたが)の日本を代表する作家で、最も権威のある現存作家と言っても過言ではない池澤夏樹訳です。何と、彼の御尊父福永武彦も「古事記」の現代語訳に挑んでいるのですね。池澤先生は、全30巻の日本文学全集の「個人編集」責任者として、自ら第一巻の「古事記」訳で先鞭をつけています。(2014年12月初版)

 言うまでもなく、「古事記」は日本最古の文学です。第四十代天武天皇が稗田阿礼(ひえだのあれ、柳田国男らの説では女性だったとか!)に暗唱させていた「帝紀」と「旧辞」を、太安万侶(おおのやすまろ)が712年(和銅5年)に、第四十三代元明天皇(第三十八代天智天皇第四皇女。天武天皇の皇子・草壁皇子<母は後の第四十一代持統天皇>の妃。和同開珎の鋳造、710年の平城京遷都もこの天皇の事蹟)の代に完成させたものです。712年といえば、唐の玄宗皇帝の時代で、唐の全盛時代をつくりながら、晩年は楊貴妃を寵愛して、安禄山の変など内乱を招きます。

 「古事記」は、変体漢文で書かれ、神代の物語の「上巻」、神武天皇から第十五代応神天皇までの「中巻」、第十六代仁徳天皇から第三十三代推古天皇までの「下巻」に分かれています。太安万侶は、女帝である元明天皇の臣下で、正五位上勲五等の朝臣(あそみ)。

 上巻、中巻には、日本人なら誰でも知っている伊耶那岐(イザナギ)、伊耶那美(イザナミ)の国造りの物語や、天照大御神の天の岩屋戸の物語、八岐大蛇の伝説、天孫降臨、大国主神の国譲りの物語。それに、倭建命(ヤマトタケルのミコト)の冒険などが出てきます。(P.204の註によりますと、「古事記」で誕生から死までの生涯を語られる者は、ヤマトタケルしかいないそうです)

 倭健命が、能煩野(のぼの=伊勢国鈴鹿あたり)で、郷里を思って詠んだ歌…

 倭は 国のまほろば
 たたなづく 青垣
 山隠(ごも)れる 倭しうるはし

 は、やはり日本人の心の琴線に触れますね。

 池澤先生は、文学者ですから、文学者としての冷徹な眼で分析し、端から、古事記は神話だから、架空の話で、科学的にもあり得ない、史実にも程遠いというスタンスで見られているようです。確かに、天照大御神の孫で降臨した瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の皇子の火遠理命(ホオリのミコト、後の山佐知毘古=ヤマサチビコ、神武天皇の祖父)は、享年583。初代神武天皇(神倭伊波礼毘古命=カムヤマトイハレビコのミコト)の享年が137。第十代崇神天皇(御真木入日子印恵命=ミマキ・イリヒコ・イニヱのミコト)の享年が168、となれば、やはり物理的にもありえない長寿ぶりで、単なる創作、と片付けてしまうかもしれません。

 しかし、神話だからと言って、全くの架空で、根も葉もない根拠のない出鱈目だとは私は思えません。火のないところに煙は立ちません。デフォルメはしていても、何らかの史実も元に、長年の間に口伝で子から孫へ、さらにその孫へと伝えられていったのでしょう。

 だから、黄泉の国に行った伊耶那美の姿を、「見てはいけない」という約束を破って見てしまった伊耶那岐が、醜く姿形を変えた伊耶那美に追いかけられる話は、ギリシャ神話のオルフェウスの物語とほとんど同じです。これは、偶然の一致ではなく、遥か彼方から歳月をかけて、色んな国の神話が日本列島にも伝わってきたのではないか、という学説に私も賛同してしまいます。

静の山紫水明・陽朔 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

勿論、池澤先生は文学者ですから、文学者としての日本語の語源に関する興味や洞察には比類なきものがあります。

 例えば、「神武東征」で道案内したと言われる八咫烏(やたがらす)は、大きなカラスのことですが、今では日本サッカー協会のシンボルとして使われ、ということは日本代表のユニフォームのエンブレムとしても使われています。この八咫(やた)は、本来は「や・あた」で「あた」は親指と中指を広げた長さの単位だといいます。132ページ。親指と中指の間は、昔の人は20センチだとすると、その8倍だと160センチの人間並みの大ガラスということになります!

(つづく)

世界一のパン、世界一のパン職人 第6刷

絶景 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

恐らく日本で、いや世界で一番値が張るパンを食しました。

美味いといえば、美味い。漢字で書けば、旨い、という書き方の方が近いかもしれません。

普通の食パンのように見える「パン・ドゥミ」は、まず、パンそのものが、「原色」のような匂いです。(詩的ですねえ~♪)発酵した小麦そのものの香りがします。

味は、これまで一度も食べたことがないパンの味。何か、ブレンドされていて、カラス麦のようなものも混合されている感じです。

とにかく、バターもジャムも何も付けなくても、主食ではなくて、おかずのように食べられます(笑)。

1斤1188円也!!そんじょそこらのスパーで安い食パンを見つければ220円ぐらいでも買えますから、何と5倍もの値段です!!

ちょっと高過ぎるんじゃないですか?-というのはまだ早いです。

絶景 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

何しろ、パン作りに懸ける手間暇が半端じゃないのです。

下拵えに数時間、第一次発酵に掛ける時間は低温で10数時間、その後、捏ねたり、成型にしたりして、再び発酵させて、原型をつくり、特殊の石窯か何かで焼き上げているそうです。まあ、最低でも1~2日かけて手作業でつくるようですから、工場で、流れ作業で大量生産される大衆向きのパンと比べられること自体、次元が違うといった感じです。

えっ?どこのパン屋さんか、ですって?

うーん、このブログでは宣伝料をもらっていなので、アクセス数が莫大で、人気の渓流斎ブログに書く必要はないのですが(爆笑)、熱心な皆さんに「話のタネ」としてお教えしませう。

パン屋さんの名前は、「シニフィアンシニフィエ」と言います。これでピンと来た方は、学生時代に言語学を齧った方でしょう。そう、スイスの言語学者フェルディナン・ド・ソシュールの有名な造語です。懐かしいですね、記号論は。私も、共時的、通時的、ラング、パロールなんていう難解な専門用語に悩まされたものです。(この話は、またいつかしたいです)

ソシュールによりますと、言語とは記号=シーニュの体系であり、シニフィエとは、その記号の表す概念のこと。またの名を所記。シニフィアンとは、言語記号の表現すること。またの名を能記、と呼びます。

まあ、こんな説明で分かった方は、大したもんです。天才です。もし分からなければ、これから言語学を学んでみようという気がしませんか?(笑)このあと、構造主義に進み、ロラン・バルト、レヴィ=ストロース、チョムスキーを読破してみませんか?

さて、このパン屋さんのご主人志賀さんは、ソシュールが大好きなのか、フランスで修行されたのかどうか分かりませんが、パン作りに関しましては一家言の持ち主で、確固たる哲学を持ち、パン職人の間では神様扱いだそうです(推測)。もしかしたら、世界一のパン職人かもしれません。本も沢山出しておられるようです。

お店は、何と、皆さんよくご存知のガルーダ博士こと山本さんのお住まいのご近所なのです。

デパートにも支店を出されているようですが、遠くて行けない、すぐにでも食べてみたいと思う方は、ネット通販もやっております。(高くて腰を抜かすぜえ=笑)

どこですかって?

そこまで、ご興味を持って、是非一生に一度、口にしてみたいと思われるのなら、自分で調べてみてくださいな。

渓流斎ブログはコマーシャルじゃありませんからね(笑)。と言いつつ、もし、挑戦された方は、コメントください。「なあんだ、渓流斎はどうかしてる。どんな味覚持っとるんや」でも構いません(笑)。

行蔵は我に存す 第20刷

銀座に浜松餃子とはな?

慰みに、「宇都宮餃子と浜松餃子」のことを書きましたら、早速、栗林提督から、油断も隙も…とコメント頂きました。

誠に有難う御座いました。

個人的なメールながら、栗林提督様によりますと、「台湾料理」の看板を掲げるお店でも、大陸から安い賃金の農民工を引き連れてやってきた一攫千金を狙う輩がいるそうです。「中国料理」の看板にすると、食材は農薬や抗生物質漬けの野菜や肉を使っているんじゃないかと怪しまれるので、安心感を与える「台湾料理」の看板を掲げて偽装しているとか。

へー、ホンマでっか?と思わず聞き返したくなります。まあ、中には、そういう輩もいるのかもしれませんが。

さて、話は変わって、またまた愚生は、逆境に恵まれることになりました。有り難迷惑ですが、考えてみれば、子供の時から、逆境の中で生きてきて、その度に乗り越えてきましたからね。今回もどうにかなるでしょう。

そんな時に、またまた栗林提督から、以下の言葉を贈って頂きました。

「古より路に当たる者、古今一世の人物にあらざれば、衆賢の批評に当たる者あらず。計らずも拙老先年の行為に於いて、御議論数百言御指摘、実に慙愧に堪えず、御深志忝く存じ候。行蔵は我に存す。毀誉は他人の主張、我に与らず我に関せずと存じ候。各人へ御示し御座候とも毛頭異存これなく候。御差し越しの御草稿は拝受いたしたく、御許容下さるべく候也。  福沢先生  安芳」

福沢諭吉が書いた「痩せ我慢の説」に対する勝海舟の返書です。この中の「行蔵は我に存す。毀誉は他人の主張、我に与らず我に関せずと存じ候。」という部分が有名です。

行蔵とは、出処、進退のこと。表立った行動と陰徳を積むという意味もあります。

要するに、自分の行動は自らの信念に基づくもので、褒めたり貶したりすることは、他人様のすること。自分は関知しない、といったような意味になります。「痩せ我慢の説」を福沢諭吉が創刊した「時事新報」を通して、世間に公表しても構わないよ、と勝海舟は、福沢諭吉の手紙に返事を書いたのです。(もっと複雑な話ですが、詳細略)

さすが、栗林提督です。今、心理学者のアドラーの本がベストセラーになって日本でも知られるようになりましたが、アドラーについては、そのずっと以前から、渓流斎にご教授して頂いた提督です。知性と教養に満ち溢れています。

それでは、福沢諭吉は「痩せ我慢の説」の中で、勝海舟をどのように批判したのでしょうか?

簡単に言いますと、勝海舟が徳川幕府側の代表として、官軍代表の西郷隆盛と会談し、一戦交えることなく、江戸城を「無血開城」することに合意したことに関して、「何で、やらなかったんだ。痩せ我慢でもいいから、負けると分かっていてもいいから」と批判したわけです。福沢はご案内の通り九州中津藩士として大坂の藩邸で生まれ、いわば幕府の録を食んだ忠君精神を最期まで保持したのに対し、元幕臣でありながら、維新後、転向して明治新政府に仕官し、伯爵にまでなって高位高官を極めた勝海舟を批判したわけです。

うーむ、なるほど…。そういうことだったんですか。私は、無血開城した勝海舟は、江戸市中を戦争の動乱に巻き込まなかった救世主だとばかり、思っていましたが、同時代人の見る眼は、違っていたんですね。

確か、勝海舟と福沢諭吉は、幕末に幕府所有の「咸臨丸」で一緒に渡米しているので、面識どころか、交際もあったはず。いつか、何処かで仲違いしたのでしょう。と、思って調べてみたら、どうやら、咸臨丸の頃から反目していたようです。(詳細略)

勿論、元幕臣の福沢諭吉が、維新後、勝ち馬に乗るように、新政府に出仕した勝海舟や榎本武揚らを批判したのは一理あるとして、勝海舟としては、渋々、無理矢理出仕しただけで、どの官職も長続きせず、すぐ辞めてしまったではないか、と反論したくなるのもよく分かります。

「この人には信念がある。ブレない」とか言って尊崇の念をもって崇め奉られる人でも、実際の本人はかなり守旧的で、案外、時代に取り残された融通が利かない人なのかもしれません。

自分の考え方が一生変わらない人なんて、逆に怖くありませんか?

人の評価は、難しい。やはり、勝海舟の「毀誉は他人の主張」は、よく身に染みて分かります。そして、同時に、高位高官を求めた裏切り者の俗物を批判する福沢諭吉の気持ちも分かります。(単なる推測で、実際そこまで、福沢は勝のことを貶しているわけではありません。事前に勝に掲載許可を取ったのがその証拠です)

お前は、どっちの味方なんだ!?と詰問されれば、困りますねえ(笑)。両方とも、と答えておきます(笑)。

「何でやらなかったんだ?」と言いますと、ローリング・ストーンズが、1968年に「ストリート・ファイティングマン」をリリースして大ヒットした後、その返歌として、ビートルズ(というかポール・マッカートニー)が「ホワイ・ドゥ・ウィ・ドゥ・イット・イン・ザ・ロード」(何で、道路でやらなかったんだ?)を「ホワイト・アルバム」の中で発表したようなものではないか、と私のようなフリークは感じてしまいましたが、これは、ちょっとマニアック過ぎて、誰方もついていけないと思います(笑)。

「64-ロクヨン」は★★★★★  第2刷

絶景 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

13日の金曜日は、忌み嫌われておりますが、その13日の金曜日に都心の某所で、来日された京洛先生を囲んだ会に20人ほど参加して行われたようですが、残念ながら、渓流斎は参加できませんでした。

大いに盛り上がったようですが、大抵はインサイダー情報ですから、こんな最公約数のブログに書けないことばかりですので、参加できなくても、同じかもしれません(笑)。

でも、最近、夜遊びしてませんね。昨年でしたら、このブログに、いつも「昨晩も痛飲して二日酔いです」と書くのが、恒例でしたが、事情があって、お酒は一滴も呑んでいません。

まあ、呑まないなら、呑まないで、死ぬわけではないことが分かって、何とかなることを新発見した感じです(笑)。

さて、その京洛先生が「映画、クロヨンを観ましたか?探訪ブログ記者さんには必見ですよ。あたしあ、面白かったので、後編も観ようと思ってますよ」と、遠くから伝令のような飛脚を飛ばして来られました。

「クロヨン」ではなくて、「ロクヨン」だと思いますが(笑)、この映画、ご案内の通り、前編と後編の2本に分かれていますし、どびきり見たい女優さんもいないし、正直、触手が動いていなかったのですが、京洛先生が思わせぶりな言い方をされるもんですから、「しょうがないなあ。観て見るか」と重い腰を上げたのでした。

例によって、内容に触れますから、この先は、これからご覧になる方は読まないでください。

また、著作権で映画写真は使えませんから、いつものように、松岡総裁の壮大な写真をお楽しみください。

絶景かな Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

JALの御巣鷹山事件を扱った「クライマーズ・ハイ」など映画化作品がたくさんある横山秀夫さん原作で、「このミステリーは凄い」賞かなんかで、第一位を獲得した作品だそうです。小生は、映画は観ても、推理小説はほとんど読まないので、ほとんど分かりませんが、横山作品の評判は聞いております。

彼は、群馬県の最大県紙「上毛新聞」記者出身ですから、警察と記者クラブの関係については、お手の物ですが、ちょっと、カリカチュアといいますか、デフォルメし過ぎているような感じがしました。作品には、上毛新聞と思われる東洋新聞をはじめ、全国紙の朝陽新聞、毎報新聞、読日新聞のほか、関東経済新聞、テレビのNHA、おまけに中央通信と情勢通信まで配置されておられるので、個人的ながら笑ってしまいました。

絶景なり Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

物語は、わずか1週間しかなかった昭和64年に起きた少女誘拐事件で、時効を間近に控えた14年後の平成14年の群馬県警内部が舞台です。当時、県警の捜査班だった三上義信(佐藤浩一)は、恐らく未解決事件の責任を取らされて、今では広報官に左遷されて、事件の匿名発表や警察庁長官の「64事件」現場と被害者宅訪問の取材などを巡って、記者クラブと対立して、「中間管理職」のように、間に挟まれて苦悩する姿が描かれます。

警察内部の出世争いといいますか、警務部と刑事部との内部抗争が全面に出てきて、まるでヤクザ映画みたいな緊張感があって、ハラハラドキドキさせられ通しでした。特に、キャリアの県警本部長辻内役の椎名桔平や、同じくキャリアの警務部長赤間役の遠藤賢一、それに三上の上司で責任を取らされることなく捜査一課長に出世した松岡(三浦友和)らの鼻持ちならない傲慢さと冷血な事務的態度はピッタリのはまり役で、不条理なヒエラルキーの世界に身を置く人なら誰でも、共感できる場面が多々あったのではないでしょうか。

そういう私も、とても他人事に思えず、佐藤浩一と一緒に涙が出てきましたよ(笑)。

原作を読んでいないので、この後、どんな展開になるか、さっぱり分かりません。でも、そこがいい所で、来月の後編公開が楽しみになりました。

実は、最近の日本人の俳優はよく分からなくて、東洋新聞キャップ秋川役の瑛太と、広報室係長諏訪役の綾野剛との区別が最初はつかず、困ってしまいました(笑)。とはいえ、この映画は、今考えられる豪華キャスト、オールスター出演というのは間違いないでしょう。

もう、クラリオンガールと言っても、誰も知らないでしょうが、その元クラリオンガールの烏丸せつこが出演しているというので、観たのですが、観終わっても誰だったのか分からなかったのです。後で、映画の公式サイトを見て見たら、吃驚。あの捜査員日吉の母親役がそうだったんですね。えっ?あのお婆さんが?昔はグラマー女優(古い)として、ブイブイ言わせていたのに、面影が全くない(失礼!)。思わず、卒倒しそうになりました。

幸福とは何か? 第6刷

そして始まる絶景、絶景 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur
まずは、週刊文春が火を付けた疑惑について、舛添都知事の論理の破綻した言い訳を読みましたが(顔を見たくないので、新聞で)、彼には、公職から永久に降りてもらいたい、早く辞職してもらいたいと思いました。会計秘書の責任にして、強欲で政治を私利私欲で利用している、取るに足らないつまらない人にしか見えません。

回転寿司代も家族旅行代も「会議」と称して、懐に入れてしまうなんて公私混同もいいところです。公職に就いた人は、「李下に冠を正さず」です。何でも、領収書をもらって請求すれば、通ると思っては大間違いです。そして、釈明して、食事代や旅行代は「返せばいいだろう」と開き直っていますが、都民なら、せめて3カ月ぐらい減俸してもらわなければ、怒りが収まらないでしょう。

できるなら、リコールでもしてもらいたいのですが、私は都民ではないので、これ以上は言えません(笑)。

続いて、三菱自動車のこと。不祥事が続いて株価が大幅に下がったと思いましたら、電光石火、ゴーンさんの日産・ルノー連合が買収して、傘下に入れたとか。

驚きましたね。天下の三菱を半値で買い取るとは!

この意味は、三菱自動車の燃費偽装が発覚する前は、同社の株式は864円でしたが、ゴーンさんは、三菱の株価の暴落を見据えて、この4割以上も低い468円で買い叩いたというんですからね。

さすが、グランゼコールのエコール・ポリテクニークを卒業して、パリ高等鉱業学校の工学博士号を取得した人だけあって、状況判断が適格で、利に聡いですね。

状況とは、本来なら手を差し伸べるはずだった「三菱御三家」の三菱重工と三菱商事と三菱東京UFJ銀行はいずれも、巨額の赤字を抱えていたことです。銀行は黒田さんのマイナス金利のおかげで、商事は、チリ銅鉱山など資源投資の大失敗で、重工も造船業で大赤字といった具合で「子会社」の救済にまで手が回らなかったということになります。

三菱の不正を霞ヶ関にチクったのは、日産ではないか、といった誠しやかな噂が流れ、ルノーに出資するフランス政府からも、「社長としての役職手当が多すぎるのではないか」とクレームが付いても涼しい顔をしていた、日産だけでも年収20億円もある強欲で貪欲で欲の皮が突っ張った顔が目の前にチラついてしまいました。

あ、私は、三菱車でも日産車でもオーナーではないので、これ以上言えませんが。

でも、三菱自動車が半ばオーナーであるサッカーJリーグの現在首位争いで活躍している浦和レッズが今後、どうなるのか心配です。日産は、既に、横浜F.マリノスを持っていますからね。

やっと秘境黄龍溝に辿り着く Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

ご存知の方も多いと思われますが、米「ハーバード成人発達研究所」というところが、戦前の1938年から現在に至るまで、724人の生活、健康、幸福度を75年間以上、追跡調査して、「人間の幸福とは何か」という命題を追及しております。

724人は、ボストンの最貧スラム街に住む人から、ハーバード大学出身の超エリートまで様々で、貧困層から大金持ちに躍進した人もいれば、富裕層から転落した人まで、これも様々。現在も90歳代で生存している人は60人もいるそうです。

そして、最大の命題である「幸福」について、同研究所の調査で分かった結論は、お金や富や名声や勤勉ではないんだそうです。

家族や友人、知人、地域社会の人とのつながりで、いい人間関係を築いた人ほど、健康で、幸福を感じるのだといいます。

ですから、一番良くないことは、孤独と言いますか、孤立で、こういう人は脳機能も記憶力も低下して寿命も短く、結果的に幸福度も低いそうです。

普段喧嘩していても、イザという時に頼れるパートナーがいれば、幸福度は高くなるそうです。

勿論、人間関係は複雑で厄介ですから、いい関係を築くには努力もいります。それには、メールや電話だけでつながるのではなく、直接会って、散歩したり、デートしたり、連絡を取ったりする方法が一番いいそうです。

同研究所のウォールティンガー所長は「1週間に会う人の数が多いほど、人は幸福を感じる。人とのつながりには、柔軟性が必要です。他人をコントロールすることは不可能なので、他人の考えを尊重して理解することが大切です」と語っています。

人生80年、90年時代となり、男は特に定年退職すると、めっきり老け込んでしまいます。しかし、幸福者ほど、退職後、頑張って、遊び仲間をつくった人なんだそうですよ、佐藤さん、鈴木さん、高橋さん(最大公倍数)。

あと、年を取れば取るほど、幸福度が増すのは、人生、残り時間が少なくなり、優先順位を決めて、これまで、仕事や義務感や義理でやっていたことから解放されて、好きなことができるようになるからだ、という指摘には納得してしまいました(笑)。

年を取るのも悪いことばかりではないなあ、と思える瞬間でした。

Je est un autre. 第3刷

4000メートル超の道路を経て秘境へ Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

カムヤマトイハレビコのミコトの正室は、ホトタタライススキヒメのミコト

貴方が、自分自身だと思っている人間は、他者である。

貴方の思想は、他の誰かの借り物の意見であり、貴方の生活は、他者の模倣である。

貴方は、この世で唯一無二のかけがえのない存在だと思っていることは、錯覚であり、代わりは他にいくらでもいる。

宇都志は、貴方を気に掛けて回っていない。

将来、バイオリンや椅子や神社仏閣になりたいと思って育った樹木などあるはずがない。

自分は、いつも他人である。

ーアルチュール・ワイルド(2045~3025)

末岡氏のレガシィ

風神雷神図

著名な作曲家末岡武彦氏から、「累計300万アクセスを誇る貴殿のブログで拡散して下さい」との御用命がありましたので、早速、拡散することに致します。

末岡氏のコメント。

6曲のファンファーレと18のシーンであなたの精神を元気にしょよう。 https://www.youtube.com/playlist?list=PL1LRwsAgYXMh9L3LFkezM5KBjejOZosQe

再び、末岡氏のコメントです。

4番は16歳の時のピアノ協奏曲の一部です。5番は20年程前に出来上がったピアノ曲を譜面化し、それを吹奏楽用に編曲しました。一撃必殺の5曲よろぴく!!!!

一撃必殺とはな…

「宇都宮の餃子」か?「浜松の餃子」か? 第2刷

5000~6000メートル級の山脈の中を帰路に Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

日雇い人間になりますと、そう毎日ブログ更新はできにくくなるもんです。はい。

そこで、皆さん、どなたもご存知ないかと思いますが、「渓流斎日乗」別冊を、他のところで、というより、はっきり言って、楽天ブログで今年4月4日から、毎日更新しております。

「渓流斎日乗」別冊←こちらです。

この別冊ブログには、私が付けたわけではありませんが、コマーシャルがいっぱい付いているので、少々読みにくいです。確かに!ですから、写真中心で、文字は「絵解き」程度となっております。

この別冊ブログでの私の肩書は「メロン名誉会員、Uポイント顧問会員、クスリの木瓜作相談役会員、苦楽天特殊会員」となっております(笑)。

別冊の方は、まだ御訪問者が30人とか40人ちょっとですので、ほんのわずかです。ですから、本編読者の皆々様も、遊びに来てくださいね(笑)。

これで、終わっちゃうと、ブーイングが来そうなので、一言。

ここ数年、地元グルメが大人気ですね。今のところ、小生が興味あるのは、「宇都宮の餃子」と「浜松の餃子」はどちらが旨いか?-です。

一説には、宇都宮餃子は、栗林提督の伯父様が、戦後、満洲から引き揚げて、その味が忘れられず、広めたという噂がありますが、全く、渓流斎の出まかせのようです(笑)。でも、歴史はあります。

一方の、浜松の餃子は、地元グルメ・ブームに乗って生まれたような気がします。やはり、浜松といえば、鰻ですから、昔はそんな餃子、餃子なんて、騒いでいませんでした。今は、鰻は高騰して、庶民の口にはなかなか入りづらくなりましたから、代替グルメとして、生まれたのではないでしょうか。

いずれにせよ、私は、どちらも未体験なので、いつか、現地に行って、挑戦してみたいです。

大手マスコミの「パナマ文書」報道は、そんなパナマだ! 第19刷

木陰に見える滝 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

5月10日。例の世紀の大スクープ「パナマ文書」がネットで世界中に公開されました。

でも、何なんでしょうかね?日本の大手マスコミの報道は。腰が引けてるどころじゃありません。単なる財界の宣伝機関に堕落しているといいますか、もともと、そうだった正体を現した、てことでしょうか?

財界の社内報と言われる日経なんて、酷いもんで、もう前から噂になっていた大手商社の伊藤忠と丸紅やソフトバンクとは、まるで広報室と手を結んでいるかのように、「かつて、某国との取引の関係で、子会社をつくったことがありますが、今では適切に処理をしております」などと、口裏を合わせて、お墨付きのアリバイ証明までしてあげているんですからね。

世界一の販売部数を誇る「永遠に不滅」の讀賣も、堂々と、「企業名は匿名にします」なんて、宣言しているんですから、唖然。そのあまりにもの狡猾さぶりに苦笑してしまいました。

彼ら大手マスコミは、何を恐れているのか?

絶景 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

それは、推測するところ、大手企業からの広告引き揚げを恐れているということでしょうね。「マスコミ殺すにゃ、刃物は要らぬ。広告差し留め、不買運動すりゃ、すぐ潰れる」とはよく言ったもんです。(これは、与党の有力議員がかつて使った手口です。あの手口を学んだらどうか?と言った元首相の話は、別件です)

それに反して、政党助成金を拒否して、広告に頼らず、読者からの講読料で賄っている某政党新聞は大したもんです。

5月9日の一面で、ユニクロの柳井正会長、ドン・キホーテの安田隆夫最高顧問、ベネッセの福武総一郎最高顧問らを槍玉に挙げて、「税逃れ」をしている実体を暴いているのです。柳井氏と安田氏は、資産の一部をオランダの資産管理会社に移し、資産総額約2兆円と日本トップの柳井氏は、年間約7億円の税逃れ。資産総額1792億円の安田氏は、住所をわざわざ東京都港区からシンガポールに移し、巨額の税逃れをしたとみられる、とはっきり書いてますね。

また、資産総額1383億円の福武氏は、妻の保有する自社株1361万株をニュージーランドの資産管理会社に譲渡し、自ら住所も岡山市からNZに移したそうです。巧妙な税逃れですね。違法性はないのかもしれませんが。

でも、例えば、ユニクロが、媒体から広告を引き揚げたとしたら、どうなるのでしょう?自力本願の政党紙なら平気でしょうが、天下の朝日新聞ともなると、「ウチは、クオリティーペーパーですから」とお高くとまってられないでしょう。折込広告まで取り上げられたら、新聞販売店が影響をモロに被りますからね。

絶景かな Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

先日、「国境なき記者団」が発表した「報道の自由度ランキング」によると、日本は180カ国中の72位。前年の61位よりもさらにランクダウンしたそうです。

「そんな馬鹿な!?」と思いましたが、今日のパナマ文書報道で、目が覚めましたよ。

そんなパナマ!?

【後記】

帰宅して、ラジオを聴いていたら、このパナマ文書の分析に関わっている一人である朝日新聞の奥山さんという編集委員さんが出演していて、「まだ、分析は始まったばかりで、『パナマ文書』は、国際調査報道ジャーナリズム連合(ICIJ)に21万余の法人とその株主らの名前や住所などが公開されているので、皆さんからの情報提供をお願いします」と発言していたので、驚いてしまいました。

そこで、そのICIJのホームページを見たところ、企業も人物も名前は変名かもしれないですし、私のような素人ではよく分かりませんでした。反社会組織の隠れ蓑になっていたり、犯罪組織のマネーロンダリンになっているという話もありますから、ますます、裏の顔でさえ表に出すわけなく、こりあ、本当に、記者やジャーナリスト風情では「非力」で、手に負えないのかもしれません。

企業名を「匿名」にしたのは、単に分からなかったからなのかしら?

8000メートル級世界14座を制した人は29人、日本人1人 第4刷

秘境黄龍溝・造形の美 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

最近、有り難いことにか、喜ばしいことにか、よく分かりませんが、色んなことへの好奇心が復活しまして、興味の範囲も広がってきました。黄泉国(よもつくに)に行っていた昨年とは大違いです(笑)。

 今日5月9日は、ヒマラヤの高峰マナスル(世界第8位、8163メートル)に日本隊が初登頂した日。1956年(昭和31年)のことですから、今年でちょうど、60周年だそうです。

 この快挙を主催したのが、日本山岳会と毎日新聞社ですから、毎日新聞の読者以外は知らないかもしれません(笑)。そういう私も、今朝の毎日の報道で初めて知りました。

 世界には8000メートル級の高峰が全部で14座ありますが、その全てを登頂した人が世界で29人おります。日本人は、ただ一人、竹内洋岳さんが2012年5月26日に達成していたんですね。

 世界で初めて、つまりは人類で初めて14座登頂に成功(1986年)した偉人は、イタリア人のラインホルト・メスナーさんだということは知っておりましたが、今から4年前に日本人が成功していたとは、国内でも大きなニュースになったはずですが、「見たいものしか見ない」私の目には入らなかったようです。あーに、してたんですかねえ?

これも滝です Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 ちなみに、世界の8000メートル級高峰14座とは以下の通りです。

1.エベレスト(8848メートル)
2.K2(8611メートル)
3.カンチェンジュンガ(8586メートル)
4.ローツェ(8516メートル)
5.マカルー(8485メートル)
6.チョー・オユー(8201メートル)
7.ダウラギリ(8167メートル)
8.マナスル(8163メートル)
9.ナンガパルパット(8126メートル)
10.アンナプルナ(8091メートル)
11.ガッシャブルムI峰(8080メートル)
12.ブロードピーク(8051メートル)
13.ガッシャブルムII峰(8034メートル)
14.シシャパンマ(8027メートル)

 この偉業を成し遂げた日本人の竹内洋岳さんは1971年生まれ。立正大学山岳部で頭角を現したようです。現在は、プロのクライマーです。詳細は、分かりませんが、8000メートルと言えば、地上の半分ぐらいしか酸素がありませんから、普通の人では、生きていけません。それなのに、竹内さんは、ほとんどの高峰を酸素ボンベなし、シェルパなしで、登頂したようです。

だからこそ、そんな偉業を人類初めて成し遂げたメスナーさんが「超人」と呼ばれたのもむべなるかな、ですね。

 しかし、その前に事故で遭難した登山家の皆さんは枚挙に暇がありません。

池また池 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 一番有名な人は、植村直己さん(1941年2月12日 ~1984年2月13日頃)でしょう。彼は、43歳の誕生日に世界初のマッキンリー冬期単独登頂を果たした直後に行方不明になってしまいました。実は、私は植村さんがマッキンリーに旅立つ直前に、成田空港でお会いしているので、非常に感慨深いものがあります。

あんな有名人なのに、全く偉ぶったところがなく、腰の低さには驚きました。調布先生に言わせると、「腰が低い人ほど野心があるんですよお」と断言されておりましたが、植村さんに関しては、野心の微塵も感じませんでした。とても純朴な人で、真面目そうな人でした。

  ほかに、4座を制覇し、エベレストに3回登頂成功した加藤保男さん(1949年3月6日 ~1982年12月27日?)は、確か、確か、記憶のうろ覚えですが、凍傷で足の指と手の指のかなりの部分を失っていたはずです。彼もエベレスト登頂成功後、下山中に遭難しました。

7座を制覇した尾崎隆さん(1952年9月9日~2011年5月12日)にも、一度お会いしたことがあります。痩せ型で小柄の方でしたので、何処にパワーを潜めているのか分かりませんでした。彼がエベレスト登攀中に高山病で亡くなったという訃報に接してショックを受けたことは、よく覚えています。