「静の山紫水明・陽朔」朝のすなどり Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur
豪傑君 ついに、「古事記」を読破しました!
南海先生 嘘でしょ?
豪傑君 いえ、本当です。
南海先生 本当?
豪傑君 ま、本当です。
南海先生 何か、怪しい…。
豪傑君 まあ、限りなく本当です(笑)。
南海先生 ほら、やっぱり、嘘じゃん。
豪傑君 嘘ではありません。
南海先生 じゃ何なのさ?
豪傑君 はい、じゃあ言いますよ。現代語訳で読んだのです。
南海先生 なあんだ!
豪傑君 なあんだ、と言われても、現代語訳でもそれなりに苦労して読んだのです。これでも。ただ、ほんの少しだけ、前知識があったおかげで読破できました。この前知識がなければ、恐らく、途中で挫折していたでしょう…。
南海先生 ほう…。
洋行紳士 まあ、まあ、お二人さん。ここは、ちょっと、お二人とも、少し落ち着いて。南海先生も、そう、茶化さないで、たまには豪傑君の話でも聞いてあげようではありませんか。
豪傑君 はい、有難う御座います。それでは、茲に感想めいたことを短く述べさせていただきたいと存じます。
静の山紫水明 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur
恐らく、現代文壇(という名称は死語にはなりましたが)の日本を代表する作家で、最も権威のある現存作家と言っても過言ではない池澤夏樹訳です。何と、彼の御尊父福永武彦も「古事記」の現代語訳に挑んでいるのですね。池澤先生は、全30巻の日本文学全集の「個人編集」責任者として、自ら第一巻の「古事記」訳で先鞭をつけています。(2014年12月初版)
言うまでもなく、「古事記」は日本最古の文学です。第四十代天武天皇が稗田阿礼(ひえだのあれ、柳田国男らの説では女性だったとか!)に暗唱させていた「帝紀」と「旧辞」を、太安万侶(おおのやすまろ)が712年(和銅5年)に、第四十三代元明天皇(第三十八代天智天皇第四皇女。天武天皇の皇子・草壁皇子<母は後の第四十一代持統天皇>の妃。和同開珎の鋳造、710年の平城京遷都もこの天皇の事蹟)の代に完成させたものです。712年といえば、唐の玄宗皇帝の時代で、唐の全盛時代をつくりながら、晩年は楊貴妃を寵愛して、安禄山の変など内乱を招きます。
「古事記」は、変体漢文で書かれ、神代の物語の「上巻」、神武天皇から第十五代応神天皇までの「中巻」、第十六代仁徳天皇から第三十三代推古天皇までの「下巻」に分かれています。太安万侶は、女帝である元明天皇の臣下で、正五位上勲五等の朝臣(あそみ)。
上巻、中巻には、日本人なら誰でも知っている伊耶那岐(イザナギ)、伊耶那美(イザナミ)の国造りの物語や、天照大御神の天の岩屋戸の物語、八岐大蛇の伝説、天孫降臨、大国主神の国譲りの物語。それに、倭建命(ヤマトタケルのミコト)の冒険などが出てきます。(P.204の註によりますと、「古事記」で誕生から死までの生涯を語られる者は、ヤマトタケルしかいないそうです)
倭健命が、能煩野(のぼの=伊勢国鈴鹿あたり)で、郷里を思って詠んだ歌…
倭は 国のまほろば
たたなづく 青垣
山隠(ごも)れる 倭しうるはし
は、やはり日本人の心の琴線に触れますね。
池澤先生は、文学者ですから、文学者としての冷徹な眼で分析し、端から、古事記は神話だから、架空の話で、科学的にもあり得ない、史実にも程遠いというスタンスで見られているようです。確かに、天照大御神の孫で降臨した瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の皇子の火遠理命(ホオリのミコト、後の山佐知毘古=ヤマサチビコ、神武天皇の祖父)は、享年583。初代神武天皇(神倭伊波礼毘古命=カムヤマトイハレビコのミコト)の享年が137。第十代崇神天皇(御真木入日子印恵命=ミマキ・イリヒコ・イニヱのミコト)の享年が168、となれば、やはり物理的にもありえない長寿ぶりで、単なる創作、と片付けてしまうかもしれません。
しかし、神話だからと言って、全くの架空で、根も葉もない根拠のない出鱈目だとは私は思えません。火のないところに煙は立ちません。デフォルメはしていても、何らかの史実も元に、長年の間に口伝で子から孫へ、さらにその孫へと伝えられていったのでしょう。
だから、黄泉の国に行った伊耶那美の姿を、「見てはいけない」という約束を破って見てしまった伊耶那岐が、醜く姿形を変えた伊耶那美に追いかけられる話は、ギリシャ神話のオルフェウスの物語とほとんど同じです。これは、偶然の一致ではなく、遥か彼方から歳月をかけて、色んな国の神話が日本列島にも伝わってきたのではないか、という学説に私も賛同してしまいます。
静の山紫水明・陽朔 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur
勿論、池澤先生は文学者ですから、文学者としての日本語の語源に関する興味や洞察には比類なきものがあります。
例えば、「神武東征」で道案内したと言われる八咫烏(やたがらす)は、大きなカラスのことですが、今では日本サッカー協会のシンボルとして使われ、ということは日本代表のユニフォームのエンブレムとしても使われています。この八咫(やた)は、本来は「や・あた」で「あた」は親指と中指を広げた長さの単位だといいます。132ページ。親指と中指の間は、昔の人は20センチだとすると、その8倍だと160センチの人間並みの大ガラスということになります!
(つづく)